日曜日, 4月 5, 2026

「かかし送り」火と子どもたち《宍塚の里山》108

【コラム・阿部きよ子&江原栄治】私たちの「田んぼの学校」では、夏に田んぼの周りに立てたかかしを燃やす行事を「かかし送り」と名づけて、毎年実施してきました。12月9日、担当係の子どもたちが「かかしさんありがとう」「かかしさんさようなら」の垂れ幕を作って、エノキの大木に登って下げました。 昼過ぎ、集まってきた親子は、自分が作ったかかしを田んぼから運んで解体し、可燃物と不燃物を分けました。第1部:垂れ幕の前の広場で「かかし」の歌、踊り、言葉。第2部:子どもたちは学生さんたちと鬼ごっこなどで遊び、大人はたき火と食材の管理。第3部:食べる時間です。 焼きリンゴは「アップルパイみたい」。「えっ、ミカン焼くの?」の声もあった焼きミカンも好評。焼きサトイモ、焼き大根には会特製のみそをつけ、畑で育てたサツマイモの焼き芋は甘くねっとり。途中で子どもたちは、栗のイガを集めてきて、線香花火のような美しい火も楽しみました。 火に近づけるようになってから、各自が笹の串にさしたソーセージ、最後にマシュマロをあぶって食べました。 幼児から中学生までが協力する姿、力いっぱい遊ぶ姿、おいしい食べ物にニッコニコの子どもたちに出会える喜びは、私たちスタッフのエネルギー源です。ただ、燃えている炭を踏みそうになったり、煙の方向を読めないなど、子どもたちが火、炎、煙に未経験なことが気になります。 「良い火」ってどんな火だろう? 以下、たき火担当の江原さんから届いた文の一部です。 冬の寒い朝、田んぼの学校の広場で1人たき火をしながら待っている。予定の時間より早くやって来る幼いお客さんたちの体を、静かにこう温めてやりたいのだ。「ワーイ、火が燃えている」と走り寄ってくる。 パチパチと音を立てながら美しく燃える火を、しばらく一緒に見詰める。その幸せを破って「君たち、火に悪い火と良い火があるのを知っているかい? オレ様は燃えてるぜ!と周囲の迷惑に気づかずに得意になって燃えているヤンチャな火を何と呼ぶか?」「それは火事だ」と子どもたち。 「良い火」ってどんな火だろう? おいしい料理を作るとき助けてくれる火、お風呂を温めてくれる火、エンジンや溶鉱炉の中で燃えている火や、寒い日、私たちを温めてくれる大空の日(太陽の火)。火に感謝しよう。 着火し、火を育て、火の世話をする、そんな体験をしてほしいと、孫にマッチを渡したら、地面にベタにまきを置き、その上にこっぱや杉の落ち葉、一番上に新聞紙を置いて上から火をつけようとした。 「ああ、お前もか!」。若い親ごさんたち、気を付けてください。便利になればなるほど、基礎能力が低下・劣化してきている面があることを。アブナイね、アブナイです。火に親しみ、敬意を払い、感謝し、コントロールする技術を子供のころから身につけてほしい。(宍塚の自然と歴史の会 会員) <注意> 野焼きは原則禁止です。会では消防署に事前に届けを出して「かかし送り」を実施しています。

バス路線が突然廃止 その時住民は【公共交通を考える】2

つくば市下広岡の住宅団地、桜ニュータウンで今年1月31日、同団地とつくばセンター(つくば駅前)を結ぶ「桜ニュータウン線」が廃止となった。関東鉄道が運行する路線バスで、売り上げの減少が廃止の理由だ。 廃止の方針を聞き、2017年から同団地自治会の下部組織として活動しているまちづくり団体「桜ニュータウンのこれからを考える会」(金子和雄、阿部眞庭共同代表)が立ち上がった。 コロナ禍で利用減、年561万円の赤字 同団地は土浦市に隣接し、今年4月現在1244人が暮らしている。1979年に分譲が開始され、働き盛りの世帯がこぞって入居した。入居から約40年を経て団地全体が同時に老いることになり、高齢化率は市平均の19.2%を大きく超え51.7%に上る(5月1日現在)。 団地のほぼ中央にバスの回転場を備えた起終点の停留所があり、第1期の入居者が住み始めた時から現在に至るまで、土浦駅までの路線バスの起点及び終点となっている。入居当時、都心への通勤手段は常磐線で生活全般が土浦に向いていた。05年8月24日、つくばエクスプレス(TX)が開業すると生活圏がつくばに向かい、つくば駅と接続するバスターミナル、つくばセンターへのバス路線を望む声が上がるようになった。 06年4月につくば市のコミュニティーバス「つくバス」の運行がスタートしたが、地域循環ルートでつくばセンターまで時間がかかる上に便数も少なかった。5年後にルートを見直し、関東鉄道が運行する路線バス、桜ニュータウン線になった。廃止直前は平日9本、土日祝日は2本が運行していた。 桜ニュータウン線の廃止は、21年11月に市総合交通政策課と市議でもある同会代表の金子さんが、当時の関東鉄道自動車部長の訪問を受けたことから始まった。同年12月20日、関東鉄道は県バス対策地域協議会に22年6月30日をもって廃止を申請。新型コロナの影響で利用客が大幅に落ち込み、22年度以降に運行する場合の経常収支は年間561万円の赤字になるとし、路線の維持は厳しいというのが理由だった。年が変わって22年2月1日の同協議会で廃止申請案が審議され、路線沿線住民の意見を確認できていないことを理由に廃止決定はいったん保留となった。 2060戸にアンケート、廃止なら交通難民 同会は、沿線住民の利用実態と意見を聞き取るアンケートに乗り出した。104の区会を束ねる桜地区区会連合会にバス路線廃止の動きを説明し、アンケートへの協力を依頼。桜ニュータウンの3区会を含む路線沿線の21区会2060戸を対象に4月3日から5月8日までの期間でアンケートを実施した。回収枚数は724枚で回収率35.1%だった。 集計した結果、外出時の移動手段に桜ニュータウン線のバスを利用していたのは146人で、このうちの半数を桜ニュータウンが占めていた。また、廃線後の移動手段を聞いた項目では「廃線されると目的地まで移動できない」を選択した人は11人いて、7人が桜ニュータウンの住民だった。同団地の住民にとって、つくばセンターに向かうバスは重要な公共交通で、廃止されると「交通難民」になりかねない状況が浮かび上がった。 自由記載欄には▽今は運転しているが、この先が心配で免許返納に踏み切れない▽通院できないので困る▽老人は家に閉じこもるか、便利な地域に引っ越すしかない▽減便になってもいいのでなくならないでほしい▽通勤通学の時間だけでも運行してほしいーなど、廃止への困惑と不安、存続の訴えが書き込まれていた。アンケートの報告書はつくば市を通して同協議会に提出された。 22年8月26日に開かれた協議会で、保留となっていた桜ニュータウン線の廃止申請案が審議された。アンケート報告書によって沿線住民が存続を切望していることが認知されたが、廃止が決まり、翌23年の1月31日で運行を終えることになった。 代替交通を提案「市に希望託すしか」 同会のメンバー伹野恭一さんは「ここだけの話ではなく、売り上げの減少や乗務員の人手不足を理由にした廃線や減便が全国で問題になっている。関東鉄道の採算を考えると受け入れるしかないと思った」と当時を振り返る。 通勤や通学に桜ニュータウン線を利用していた人は、廃止になる前は、つくばセンターまで1本のバスで行くことができた。今は最寄りのバス停まで1キロの距離を歩いて2本のバスを乗り継ぐか、土浦駅行きのバスに乗車して乗り換えるルートを使うしかない。いずれも大幅にう回するルートで、25分だった所要時間が倍以上になって運賃も高くなった。 廃止が決まるまで、同会は市や桜地区区会連合会と何度も話し合うなど、粘り強く桜ニュータウン住民の意識を伝える努力をしてきた。廃止を受け入れた後も、活動の手を緩めずに代替交通の確保に取り組んでいる。 会が提案する代替案は、通勤通学客を輸送する朝晩の定時マイクロバスの運行と、商業施設を経由してつくばセンターに至る新たなバス路線だ。市と協議を進めており、代表の阿部眞庭さんは「市に希望を託すしかない」と話す。(橋立多美) (続く) ➡「公共交通を考える」の過去記事はこちら

私の定番、あれこれ《続・平熱日記》148

【コラム・斉藤裕之】セーターというものを着なくなった。代わりに着るようになったのはフリース。今や冬の定番。私にとっては動物の冬毛のようなもので、春までずっと着っぱなし。しかも何年も同じものを着ているので、肘の辺りがすり減ってみすぼらしい。というわけで近くのリサイクル店に探しに行ったら、運よく同じようなものを見つけた。 若いころ古着屋でバイトをしていたこともあって、セカンドハンドには何の抵抗もないのだが、持って帰って着てみたら結構いい香りがする。色や形、着心地は申し分ないのに…。古着を買うときの基本中の基本、なぜ匂いをチェックしなかったか。体臭というよりも何だろう? 満員電車で嗅いだことのある…、整髪料? 香水? とにかく激しいおじさんの香り。おじさんが着るのだからいいようなものだが、生理的に無理な匂いだ。まずは重曹に漬けてみたが、頑固なおじさんの匂いは全く取れない。 定番といえば、いつも買っていた靴下がホームセンターから消えた。ネットで検索しても出てこないところをみると、製造中止になったのだろう。綿と化繊の割合とか厚さとかが絶妙で、履き心地が良くて好きだったのに。 それからTシャツも。老舗メーカーの3枚組のものだが、最近見かけなくなった。肌着だからこそのこだわりがあって、例えばちょっとした丈の長さとか。しかし、こちらの定番はネットで見つけてポチっと注文できた。 おじさん臭は残るが許容範囲 冷凍庫の定番だったお気に入りのアイスクリーム。いつものスーパーにない。フルーツと小豆のツブツブ入りで一箱6本入り。系列の別の店舗にも売っていない。店員さんに聞いてみようかと思ったのだけれども、それが聞けないのがおじさん。 さらにここにきて、いつも使っていた一番安価な定番の子供用の紙粘土が見当たらない。フワフワしたソフトなものに代わっている。手は汚れないが、マシュマロみたいで腑(ふ)抜けた形になってしまう。あの素朴なずっしり重い紙粘土が好きだったのに。 さて、件(くだん)のフリースはどうなったかな。少し長めに酸素系の漂白剤に漬けて、洗濯して干しておいたんだけど…。恐る恐る鼻を近づけてみた…かすかにおじさん臭は残るが、許容範囲。 ちなみに気になってフリースの語源を調べてみたら、「羊一頭から刈り取られた、ひとつながりの羊毛」だそうだ。頭の中には、毛を刈り取られて丸裸になった羊とそれを羽織る私。スマホで語源や由来を調べて、「フーン」というのが昨今の私の定番。 私の定番はさておき、どうやら世の中で定番と言われていた物事もそうではなくなってきている? 万博やオリンピック、紅白に正月、さんま、制服、学校、働き方…ちなみに、最近よく聞く「てっぱん」という言い方は私の中では定番になっていない。(画家)

関東リーグ優勝メンバーから4人がプロ入り 筑波大蹴球部

筑波大学蹴球部からプロ入りする4選手の合同記者会見が25日、つくば市天王台の同大大学会館特別会議室で開かれ、各人が抱負を語った。今季、関東大学サッカーリーグ1部で6年ぶり16回目の優勝、全日本大学サッカー選手権大会(インカレ)では7年ぶりのベスト4と輝かしい成績を残した選手たちの次のステージでの活躍が期待される。 J1のヴィッセル神戸に内定した山内翔選手は、ゲームコントロールに長けたボランチで「戦術やゲームを認知する能力が高い。一人だけ見えている世界が違う」と小井土正亮監督の評。 プロへの抱負としては「中高の6年間を過ごしたチームに戻れてうれしい。筑波大での4年間がなければ成長できなかった。大学で学んだことを生かし自分が活躍することで、いろんな方々への恩返しになるよう、また大学サッカーの発展につながるよう頑張りたい」と話した。 同じく神戸に内定した高山汐生選手は、身長190センチの恵まれた体格を生かしたダイナミックなプレーが持ち味のゴールキーパー。シュートストップのみならずハイボール処理やコーチングでも小井土監督の評価は高い。 「J1のチャンピオンチームに加入できることをうれしく思う。セットプレーでは自分が前に出て相手に触らせず、コーチングでは声でチームを動かしたり鼓舞し、後ろに自分がいることでチームを安心させられる選手になりたい」 J3カターレ富山に内定した瀬良俊太選手は、テクニックとポジショニングに優れたファンタジスタタイプのサイドハーフ。「意外性やアイデアあふれるプレーで見る人のツボを突く。自分も好きなタイプ」と小井土監督。 「以前は自分のプレーを出したい、見てほしいという意識が強かったが、大学でいろんな人に出会い、チームが勝つために自分に何ができるかを考えられるようになった。今季は相手のプレッシャーを外して展開するだけでなく、自ら前へ出て得点することも意識した。この部分をもっと伸ばしていきたい」 J3のFC大阪に内定した林田魁斗選手は高さ、強さ、速さを兼ね備え、ゴール前でのシュートブロックに優れたセンターバック。「気持ちで戦える男。けがで試合に出場できないときも立ち振る舞いで他のお手本となった真面目な選手」と小井土監督。 「生まれ育った関西でプロのキャリアをスタートできることがうれしい。自分もサッカーからたくさんの夢や感動をもらったので、多くの人に夢や感動を与えられるようになりたい。FC大阪に欠かせない選手になり、J3優勝とJ2昇格に貢献したい」 大学での思い出として最も心に残っているのは、11月4日の関東リーグ東京国際大学戦だったと各選手は語る。同リーグは今季、初めてホーム&アウェー方式で開催され、筑波大はホーム最終戦で2000人超の観客を前に、見事に優勝を飾った。「1グラ(筑波大学第一サッカー場)に多くの人が応援に来てくれて、支えてもらっていると感じた。プロへ行ってもファンやサポーターへの思いを大切にしながらやっていきたい」と高山選手。 一方、最も悔しい思いをしたのは12月21日、流通経済大学龍ケ崎フィールドで行われたインカレ準決勝、明治大に0-1で敗れた試合。「紙一重の差だった。あれほど勝ちたい、負けて悔しい試合はない。この悔しさをプロで晴らしたい」と瀬良選手。 プロの世界では、これまで以上に結果が求められる。山内選手は「プロは大学と違って結果が全て。勝つことでチームはもちろん自分自身の価値も高めていきたい」、林田選手は「選手の価値は結果でしか示せない。常に結果を目指して、必要なことを考えながら成長していきたい」と、来季を見据える。(池田充雄)

つくばの児童養護施設にサンタがプレゼント 商工会青年部

クリスマスの25日、サンタクロースやトナカイ姿の商工会青年部メンバー21人がつくば市前野の児童養護施設「筑波愛児園」(小林弘典施設長)を訪れ、クリスマスケーキやチキン、お菓子、おもちゃなどのプレゼントを子供たちに届けた。 同園には、様々な事情で家族と暮らせなくなってしまった幼児6人、小学生15人、中学生14人、高校生11人の3~18歳の計46人が生活している。子供たちは毎年、訪問を待ちわびている。 新筑ブロック商工会青年部連絡協議会(会長・佐藤武志)が実施した。同連絡協は、つくば市や土浦市など旧新治・筑波両郡の45歳以下で構成される5つの商工会青年部でつくる。同園への訪問は2008年に始まり、プレゼントは今年で16回目。各青年部の負担金と企業などからの寄付でまかなっている。 サンタやトナカイ姿のメンバーは、子供たちが生活している各部屋に出向き、全員にチキン、各部屋ごとに8つのクリスマスケーキと、1500個を超えるお菓子などのプレゼントを子供たちに手渡し、大喜びのクリスマスとなった。 同連絡協ブロック長の佐藤さんは「子供たちの笑顔を見ると本当にやって良かったと思う。これからもずっと継承していきたい」と話した。 同園の小林施設長は長きにわたる支援に感謝し、今後も続けてくれればありがたいとあいさつした。(榎田智司)

バス減便 運転手不足深刻【公共交通を考える】1

深刻なバス運転手不足により関東鉄道(本社・土浦市)は今月20日のダイヤ改正に合わせて、つくば、土浦などでバスの減便を実施した(11月24日付)。「2024年問題」といわれるバス運転手などの時間外労働の規制によりつくば市では来年4月からコミュニティーバス「つくバス」の減便が予定されている(11月8日付)。現場で何が起こっているのか、公共交通はどうなるのか。バス事業者、利用者、行政の現場を5回にわたって取材した。 5年半で68人減「苦渋の選択」 県南地域などで路線バスを運行し、市町村からコミュニティーバスの運行を受託している関東鉄道 自動車部の白鳥賢部長(49)は今月20日から実施した減便について「(減便前のダイヤで)運行するにはバス運転手が600人必要だがすでに60人不足し、休日出勤や時間延長でまかなっている。来年4月からの基準を守ると、さらに20人足りなくなる。このままでは立ち行かない。秋以降、観光需要が増えることもあり、前倒しで12月に減便することにした。苦渋の選択だった」と理解を求める。 ここ10年間の同社のバス運転手は、2015年から18年まで600人前後で推移。18年3月時点の601人を境に減少に転じ、20年3月は567人、22年3月は551人、今年10月末時点で533人と減少が続いている。 白鳥部長は「入社して25年経つが、業界として人が足りたことはない。ここ数年は深刻化している。入社する人が減っているのに、退職する人は変わらず一定の人数いる」と説明する。当社のバス運転手の平均年齢は現在52歳。バス業界では平均年齢が50歳を超えると高齢化が進んでいるという指標になっており、「若い世代の入社が減り、運転手が高齢化している」という。 新型コロナの影響もある。同社は路線バスやコミュニティーバスなどのほか、高速バスを運行している。路線バスの赤字は自治体などからの補助金のほか、高速バスの収益で補てんし維持していた。会社全体の営業収益の6、7割を占めるのがバス事業で、そのうちの4割を高速バスが占める。 20年4月に新型コロナの緊急事態宣言が出された。高速バスの乗客はコロナ禍前の6、7割まで落ち込み、運行本数を通常の5割まで減便した。コロナ前の19年度、約71億円を計上したバス部門の営業収益は、20年度は約45億円までダウンした。「コロナ禍で収益の柱を失った。コロナ禍の間に退職した運転手もいる」と白鳥部長。コロナ禍により20年は収益が底を打ったが、今年はコロナ前の19年と比較して8割ほど回復している。「お客さんも戻ってきた」と語る。 積極採用、次世代の実験も 深刻な運転手不足に対し、同社は数年前から運転手の採用活動に力を入れる。バス運転手になるために必要な大型2種免許の取得費用を会社が負担するなどしてPRする。白鳥部長は「ここ数カ月、募集広告の宣伝効果が出て前年度に比べて採用ができている」というが、ほとんどが40代か50代で、長年バス運転手をやりたいと思っていた人が入社していて、20、30代の入社は年に数人。高卒者も年に1人か多い年で2人という状況だと明かす。 次世代の公共交通として期待される「MaaS(マース)」と呼ばれる新たな移動サービスにも挑戦。情報通信技術を使って複数の移動手段を最適に組み合わせる実証実験を2021年から地元土浦市と連携して実施しており、スマホなどで予約を受け付けAI(人工知能)を活用して効率的に運行するAIバスや、住宅地で時速20キロ未満の電気自動車を走らせ路線バスや鉄道など複数の公共交通と最適につなぐ取り組みなども積極的に行っている。ただし、AIバスや自動運転バスなどの「実用化はまだ先」だとし、現時点では、解決策にはなっていない。 すみわけ、再編し「最適化したい」 では今後どうすればよいのか。白鳥部長は「運転手がいない、お客さんがいないからと(便数を)どんどん減らすと、減らした直後は収支に効果が出るが、全体としてお客さんが減少し会社の将来はない。地域の足を確保することもままならなくなって負のスパイラルに陥る。これは意味がない」と認識する。 その上で、運転手不足に対する今後の対策としては「交通の最適化が求められる」とし、「例えば、現在つくバスの北部シャトルと当社の路線バスが競合している。限られた人数しかいない運転手を2人使うのはもったいない。民間の路線バス、自治体のコミュニティーバス、デマンドタクシー、企業の貸し切りバスなどが連携し、各地域で一回、公共交通を整理してすみ分けし、運転手を無駄なく使うなどの再編をしないと維持できない。1社ではできないので関係者に声掛けして検討していきたい」と話す。 「今回の減便は運転手不足に起因する減便なので、運転手が確保できれば便を復活することを視野に入れている。そういう努力はしていきたい」という。 続く ➡「公共交通を考える」の過去記事はこちら

「有機農業運動の希望の星」星寛治さん逝く《邑から日本を見る》150

【コラム・先﨑千尋】今月9日の『日本農業新聞』で、山形県高畠町の農民詩人・星寛治さんの訃報を見た。享年88歳。星さんの仲間である佐賀県唐津市の山下惣一さんが昨年亡くなり(本コラム126回)、農業の現場から、小説やルポ、詩、講演などで農村の実情を世間に訴え続けてきた南北の巨頭を失った感じだ。 星さんは、1973年に町内の若手の農民たちと「高畠町有機農業研究会」を立ち上げ、耕し、収穫し、おいしいコメやリンゴ、ブドウなどを消費者に直接届け、食べものを分かち合う喜びを、詩に刻んできた。また、わが国の農業と農法をどうするかを農民や消費者、研究者たちと議論し続けてきた。 小説『複合汚染』を書いた有吉佐和子さんも、74年に高畠を訪れ、小説にもそのことを書いている。日本有機農業研究会を立ち上げた一楽照雄さんとも親しかった。 私が星さんと最初に出会ったのは77年夏。石岡市で開かれた「生消提携」の集会を『日本農業新聞』の通信員として取材し、講演後の星さんに高畠のリンゴとブドウを購入したいと申し出たことがきっかけだった。それから、私どものささやかな消費者の会「水戸たべものの会」と交流が始まり、高畠まで車を走らせ、2月の生産者と消費者グループとの「作付け会議」にも参加するようになった。 熊本県水俣市の水俣病患者の生産する甘夏を購入するようになったのも、この頃だった。星さんからは、著書を発行の都度送っていただき、自宅に伺い、リンゴ園も何度か見ている。今年の賀状には「はてしない野道をゆっくり、ゆっくり歩こうよ。足跡など消えてもいいよ」という詩が添えられていた。 実践するだけでなく表現する農民 星さんの師匠は、詩人で同人誌『地下水』を主宰していた真壁仁。佐藤藤三郎さんや齋藤たきちさん、木村廸夫さんらと共に、直系の弟子だった。星さんは真壁から「実践するだけでなく、表現する農民として生きていく」ことを学んだ。 星さんは高校を卒業してすぐに就農した。最初に取り組んだ化学肥料や農薬漬けの農法で身体を壊し、田畑から生き物が消えていくのを見て、「命や健康、環境を守ることが農の本分」と思い定めた。土にはいつくばって虫や草を取り、農薬などを使わない農業を実践。3年目の田んぼに黄金色のコメが実り、トンボやホタルも戻ってきた。 星さんは町の教育委員も長く務めた。在任中は食農や食育教育を重視し、学校給食で地域の食材を使った「地産地消」に取り組んだ。「農業と教育は、育てるという意味で地下茎のようにつながっている」と書いている。星さんにとって有機農業は生き方そのもの。「文化」は英語では「カルチャー」。文化とは耕すことだというのが口癖だった。そして「農民は、日本に暮らす勤労市民の命と健康を支える使命がある」とも。 「農村には千年続く伝統と文化がある。日本の原風景に誇りを持とう。そして田園に暮らす幸せを体感しよう」という星さんの呼びかけに、私も共感する。星さんのあとは山形大学農学部を出た孫の航希さんが継いでいる。星さんの足跡が消えることはない。(元瓜連町長)

裏金化問題、政治責任はどう問うべきか《文京町便り》23

【コラム・原田博夫】昨今メディアをにぎわしているのが、自民党安倍派のパーティー券収入の裏金化問題である。岸田首相は、自派には影響ナシと見てか、当初はいつも通り慎重な対応だったが、なぜか自身の支持率も低下するに至り、とりあえずは安倍派の閣僚・党役員・副大臣・政務官などを差し替える弥縫(びぼう)策で、乗り切ろうとしている。 こうした金銭授受を巡る問題は、政治活動の少なからざる局面で多くの国民も昔からうさん臭さを感じながらも、漠然とやり過ごしてきた感がある。とはいえ、使途不明金の存在は、個人の活動であっても公的なものであれば税制上は認められるわけもなく、ましてや公人としての政治家の活動では透明性・公開性が求められる。 こうした問題を引き起こした政治家は、しかるべく、検察の捜査・立件・公判などの法の下での裁きを受けなくてはならない。 しかし、それが確定するまでには相当の日時がかかる。さらには、このような事案が他派閥でも生じているなど構造的なものであれば、選挙制度(衆議院の定数465人中、小選挙区289人・比例代表176人。参議院の定数248人中、比例代表100人・選挙区148人)の大改革や政治資金規正法改正を視野に入れるべきだとする論調も出ている。 刑が確定した政治家は公民権停止に しかし、こうした制度改革には、現在の民主主義制度下では、国会議員の発議・立法化が必要である。仮にメディアなどでどれだけ機運が盛り上がっても、肝心の国会内での与党・政権党がその気にならなければ、結局は球場外の声に終わってしまう。では、この手詰まり感をどう突破すべきか。 まずはこの問題で、現行制度の下で刑が確定した政治家は、その後一定期間国政選挙には立候補できないというルール(すなわち公民権停止)を、国会の場(できるだけ全会一致)で取り決めることである。この公民権停止期間は、(現憲法下での二院制を前提にする限り)衆議院の場合は4年間、参議院の場合は3年間、とする。 政治資金パーティーを巡る裏金疑惑の深刻さ・波及範囲が見えない現時点では、ここまでの措置はフライイングだと躊躇(ちゅうちょ)する向きもあるかもしれない。さらには、そこまで罪の償いを求めては、せっかくの(国政に選出されていた)有為な人材も一網打尽に退場を求めるようなものだとの反論もあるだろう。 しかし歴史に範を求めれば、少なくともわが国の近代史に限っても、明治維新時、昭和20年代いずれも、それ以前の体制派の大方はどんなに人格・識見が高潔であっても、次代の公職からは排除された。軍事的な内乱は極力抑えられたが、次代の統治機構は、旧体制の打倒に貢献した勢力および全国から新たにリクルートされた人材から構成され、新機軸を試行錯誤で模索したのである。 仮に現行の国会議員の半数が公民権停止になったところで、全国に目を向ければ、有為な人材は澎湃(ほうはい)として存在している、というのが私の見立てである。わが国の進路を真剣に論じ確立するには、先例を安易に踏襲する形骸化した政治ゲームに安住している国会議員に活を入れるべきだと思う。(専修大学名誉教授)

拝殿に大しめ縄飾り付け 筑波山神社が新年準備

筑波山神社(つくば市筑波、上野貞茂宮司)が新年を迎える準備に忙しい。22日は朝から神職らが、拝殿に飾るしめ縄作りの作業に追われた。わらで編んだ縄をさらに編み上げて長さ18メートルの大きなしめ縄に仕上げ、午後には拝殿に飾り付けた。 来年は新型コロナが5類に移行して初めての正月を迎える。同神社は今年の正月からすでに人出が戻っており、新年は参拝客が昨年よりやや増え例年並みの21万人から22万人が訪れるのではないかと予想している。神社では、境内で販売する破魔矢、熊手、鏑矢(かぶらや)など、例年通りの準備を進めている。 神社本殿のある筑波山山頂には毎年、ご来光を拝む人で早朝からにぎわう。ケーブルカーやロープウエーを運行する筑波山観光鉄道によると、山頂では、関東では一番早い午前6時44分に鹿島灘方面から昇る初日の出が見られ、初日の出の時間に合わせて午前4時30分からケーブルカーとロープウエーを早朝運行する。 甘酒サービスが復活 同神社では新年は新型コロナの感染防止対策を緩和しほぼ例年通りとし、甘酒のサービスも復活する。ただし手水舎(ちょうずや)では今年もひしゃくを置かないという。 同神社権禰宜(ごんねぎ)の八木下健司さん(60)は「コロナ対策も特になくなり、甘酒サービスも再開するなど従来の新年が迎えられそう。天気予報も良さそうなので、良い初詣になるのではないか」と話す。 神社総代の菊地武司さん(69)は「もっと大勢の人に来てもらいたいが、道路が一つしかないので、どうしても渋滞が起きてしまう。駐車場もなかなか停められないので、頭の痛いところだ」と語る。(榎田智司)

クリスマスの唄 ♫ 清し、この野郎 ♪《くずかごの唄》134

【コラム・奥井登美子】私が土浦に嫁に来て初めてのクリスマスの日。夫には2人の兄がいて、クリスマスの日は全員集合だった。教会へ行く前、家で男3兄弟、私に歌ってくれたのが「♪ 清、♪ この野郎、星は光 ♬」。夫の名は清。彼は「清、この野郎」などと言われているのに、実にうれしそうな顔をして、一緒に歌っているではないか。 私は大笑いしながらも、2人の兄が彼らなりに、一生懸命、弟を育ててくれたのだという事実を、痛いほど知ってしまったのだった。清は幼年期に重い肺炎になり、小学校の入学を2年も遅らせたひ弱な子供だったらしい。 長男の誠一兄は、私が学生時代、青酸カリや砒素など毒物の「裁判化学」という教科の先生。「弟と結婚してやってくれ」と、私を口説いたのは本人でなく兄だった。 私の学生時代。東京薬科大学女子部は上野にあったので、東大の先生が何人も講師に来てくれていた。兄もその1人だった。兄は東大卒業のとき、天皇陛下から恩賜(おんし)の刀を頂いたくらいだから、成績もよかったのだろう。その後、東北大学に薬学部を創設し、45歳であっけなく亡くなってしまった。次男の勝二兄は千葉大学病院の外科医で、がんの手術が得意だったらしい。 医師会ならこちらもイシ会です 日本の外科の歴史を考えると、フランス人のアンブロワーズ・パレの著書が、オランダから入ってきたのが始まりだった。パレの生誕400年祭の際、パレ生地の公園に、日本医師会から「日本の伝統工芸品の石灯籠を贈りたい」という東大の盛岡恭彦先生。先生にはパレに関する著書も多い。 「医師会ならこちらもイシ(石)会です。イシ会として協力させていただきます」。真壁町の加藤征一さんが伝統工芸品の春日燈籠を作成、1991年1月、真壁の五所駒ヶ瀧(ごしょこまがたき)神社での荘厳な贈答式が行われた。 勝二兄は、この石燈籠が気にいって、同じものを自分の家の庭にも設置してもらい、日本の外科学の歴史を偲(しの)びながら仕事に励んでいたが、3年前、宇宙に飛び立ってしまった。生前、この燈籠は「僕が生まれて育った家に移してほしい」と言っていたとか、加藤さんが伝統工芸師の息子さんと2人で、千葉から土浦に移築してくださった。 この間、兄の命日に、「石燈籠を見ながら、奥井勝二さんを偲ぶ会」を我が家の庭で行った。パレの資料など読みながら、兄の96歳の天寿を祝して、楽しい語らいの場であった。(随筆家、薬剤師)                                 

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