猛暑の中の投手戦 常総学院が我慢勝ち【高校野球茨城’23】
第105回全国高校野球選手権茨城大会は17日、3回戦に入り、J:COMスタジアム土浦では常総学院が下妻二と対戦。両チーム合わせてわずか7安打という投手戦を繰り広げ、常総学院がワンチャンスを生かして下妻二を退けた。
常総学院の先発はエースの諸星蒼空。「初戦は誰でも緊張するので、主戦投手に早く夏の経験をさせておきたかった」と島田直也監督の目論見。「春とは全然違う雰囲気だった。相手より先に失点せず、粘り強く投げられたが、エースとしてはチームを勢い付けられる投球をしなくてはいけなかった。そこが反省点」と諸星。「暑さの中でしっかり投げてくれた。投手が頑張ってくれれば野手もそれに応える。そういうことができるチーム」と島田監督。
下妻二の先発はアンダースローの飯塚史恩。対策は立ててきたものの、巧みな緩急やボールの出し入れの前に、常総打線はゴロアウトやフライアウトを連発。チームに不安がよぎったという。
「負けたらどうしようと硬くなり、自らの首を絞めてしまった。自分たちは関東大会でベスト4まで行ったのだから、天狗になってはいけないが、いままで練習で培った力を信じなさいと話した」と島田監督。
常総学院の得点は6回。暑さの中で相手投手の疲れにつけ込んだ。四球2つと川上大宝の中前打で1死満塁にすると、押し出し四球でまずは1点。三振一つをはさみ、2死満塁で打席に立ったのは石井恭悟。
序盤から相手投手の変則ピッチングに苦しみ、関東大会でも木更津総合のサイドスロー投手に抑えられたことが石井の頭をよぎったという。「同じような悔しい思いはしたくない」と打席へ。直球と変化球のどちらもかわされていたので、この回は直球に的を絞り、カウント3-1からの5球目を右前へ2点タイムリー。3点差と突き放し、相手先発をノックアウトした。
6回裏は常総学院の先発、諸星にも疲れが見え、二番手の飯塚遥己にマウンドを引き継いだ。飯塚は「ボールの調子はよく、6回はストライク先行でいけた。7回は先頭打者に四球を与え、流れを相手に渡してしまった」と振り返る。7回裏の守りは先頭打者四球の後、暴投、野選、送りバントで1死二・三塁のピンチを迎え、ショートゴロ2つで乗り切った。「投手が苦しいときは野手がカバーし、野手が苦しいとき投手がカバーして助け合う。次戦もストライク先行で、しっかり腕を振っていきたい」と飯塚。
常総学院は9回表にも石井の中前二塁打で得点機をつくるが、挟殺などで追加点を奪うことはできなかった。「自分たちは点を取った後に攻撃が落ちてしまうのが課題。勝ち上がるにはそこで隙間をつくらず、畳み掛けていかなくては。次は相手もさらに強くなり、同じ戦いでは勝てない。暑さも厳しくなるので、打撃陣が投手の力になれるよう調子を上げていきたい」と石井は前を向いた。(池田充雄)
▽17日の土浦、つくばの出場校の試合結果は以下の通り
………………………………………………………
………………………………………………………
つくば秀英が4回戦進出 土浦二にコールド勝ち【高校野球茨城’23】
第105回全国高校野球選手権茨城大会は大会8日目の17日、3回戦8試合が行われた。笠間市民球場の第1試合は、つくば秀英が土浦二にゴールド勝ちし、4回戦進出を決めた。
土浦二は初回、制球に苦しむつくば秀英の先発樋熊慧人から2四球を選び、一、二塁のチャンスをつかむも、後続が倒れ無得点に終わった。つくば秀英はその裏1死後、エラーと死球で一、二塁のチャンスに渋谷天空がセンターオーバーの3塁打で2点を先制した。
2点を追う土浦二は、2回に田上倖大の二塁打と田上将也のヒットで一、三塁と攻めるも、塩山侑生、前原知が凡退。つくば秀英は2回裏、先頭の明石理紀斗が四球で出塁すると、池内航がレフトオーバーの二塁打で1点を追加。さらに失策と木村永遠の2塁打で、この回3点を加えリードを広げた。
つくば秀英先発の樋熊は、ストレートとスライダーを軸にカーブ、チェンジアップを交え、3回を無失点に抑えると、2番手石塚大志が3者連続三振を奪い、3番手大石隼也も2回を無安打無失点の好投を見せた。
つくば秀英は4回にも1点を追加すると、6回には1死後6安打で4点を奪い、6回ゴールドで土浦二を破った。
土浦二は初戦からエース横川巧が今大会1人で投げきるも、創部初となる3回戦突破はならなかった。
土浦二の相良真博監督は「初回から守備が乱れてしまったがその中で横川はよく投げてくれた。横川のお陰で2回も勝たせてくれた」とエース横川をねぎらった。主将の前原知は「序盤、最少失点で行けずに、エラーで相手に点を与えてしまったのが敗因だった。これまで3回戦が一番最高の成績だったので、ここで勝って歴史を塗り替えたかったが、負けてしまったので後輩達に託したい。2回勝てて2回校歌を歌えたので、最後、ゴールドで負けてしまったが、自分としては力を出してやり切った」と話した。投手の横川は「打たれてはいけない時に失投してしまった。自分の目標、チームの目標のベスト8まで進めなかったのが悔しい。3年間野球をやってきて練習はきつかったが、仲間と居れる時間は楽しかった」と振り返った。
つくば秀英の桜井健監督は「(初戦の)2回戦はいい試合が出来たが、今回はうまくいかないぞと言った。100点の試合をした後はそこが基準になって、何をやってもうまくいかないと感じてしまうので、うまくいく、いかないを想定しながら試合に入った。しっかり我慢するところで我慢が出来て、取るべき所で点が取れた。信頼できる樋熊が2回戦で勝った時、樋熊で行くと決めていたので、みんなでしっかり準備して、いろんな想定をしながら試合に入れたのが勝因」と試合を振り返った。
4回戦進出を決めたつくば秀英は20日、ノーブルスタジアム水戸で、鹿島学園と緑岡の勝者と対戦する。(高橋浩一)
17日の土浦、つくばの出場校の試合結果は以下の通り
………………………………………………………
………………………………………………………
ルワンダで障害と向き合う 義足を作り続ける夫婦がつくばで講演
東アフリカのルワンダで義肢装具を製作し、紛争や病気で手足を失った人たちに無償提供するルダシングワ真美さん(60)と夫のガテラ・ルダシングワ・エマニュエルさん(68)による講演会が22日、つくば市吾妻、つくば市民ギャラリーで開かれる。障害者の自立生活支援に取り組む当事者団体「つくば自立生活センターほにゃら」(同市天久保、川島映利奈代表)が企画した。
2人がルワンダの首都キガリ市で活動を始めたのは1995年で、約100日間に80万人以上が命を奪われた「ルワンダ大虐殺」の翌年だった。96年にNGO「ムリンディ・ジャパン・ワンラブ・プロジェクト」を立ち上げ、97年から義肢装具の製作を開始し、これまでに延べ1万2000人以上に無償提供してきた。
危機からの再出発
「窮地からは脱して再オープンしました。今は日常に戻り、義足作りをしています」と、真美さんが現在の状況を語る。
2020年2月、夫妻の活動拠点であるキガリ市にある「ワンラブ・ランド」が突如、ショベルカーで壊された。そこには義肢装具の工房とともに、活動資金を捻出するために建てたゲストハウスやレストランがあり、地元の人たちも数多く働いていた。近年、度々洪水の被害に遭っていたことから、政府は一帯の住民に対して「また大雨が降る、今すぐこの場所を出るように」と、立ち退きを迫っていた。「すぐに移動はできない」と断るも、翌日には重機が押し寄せ家屋は取り壊された。
多くの時間と労力をかけて築いた施設が、目の前で壊されていく。あまりの衝撃に、「自分たちの活動に意味があるのか、本当に必要とされているのだろうか」と葛藤した。しかし「ルワンダで私たちにできることは他にない。これをやるしかない」と思い至った。
同年10月、施設再建の資金を募るためクラウドファンディングを立ち上げると、3カ月で1200万円を超える支援が集まった。この資金を元手に、翌年新たな場所に施設を新設した。
2人の出会い
2人の出会いは1989年。ルワンダの近隣国でのことだった。神奈川県出身の真美さんは当時、勤めていた日本の会社を辞めて語学留学でケニアを訪れた。そこで出会ったのが民族対立が続くルワンダから避難してきたガテラさんだった。ガテラさんは幼少期に受けた医療ミスで右足にまひがあり装具を付けていた。真美さんにとって障害以上に印象に残ったのは、大きな体とドレットヘアー、そして誠実で明るい人柄だった。
「私にとって、彼と知り合う以前に障害のある人との出会いはほとんどありませんでした。彼を通じて障害への純粋な好奇心を持ったんだと思います」
1991年にガテラさんが来日し、滞在中に壊れた装具を治すために訪ねたのが、神奈川県の「平井義肢製作所」だった。そこで目の当たりにした高い技術にガテラさんは「これをルワンダの人のために役立てたい」と思いを強くし、真美さんはその夢を実現するため平井さんの元に弟子入りを志願し、5年の修行の後に国家資格を取得した。ルワンダに渡ったのは大虐殺翌年の95年。その間ガテラさんはケニアへ逃れ無事だった。暴力の傷が色濃く残るルワンダで再会し、2人は新しい暮らしをスタートさせた。
ルワンダで気づいた「自由」
95年当時、町なかには手足を失った人があふれていた。初めての患者は地雷で足を失った男性だった。満足に材料が手に入らないなど予期せぬトラブルがあったが、無事完成すると、男性は、歩行訓練の中で徐々に、再び働くことへの希望を取り戻していったという。
以来、様々な障害のある人たちと関わってきたルワンダで、真美さんが居心地の良さを感じたのが「楽天的」なところだという。「うちにはレストランがあるので、障害のある人にお酒を振る舞うことがあるんです」と言いつつ、こんな例を挙げる。
「酔っ払って音楽があれば、みんな杖(つえ)つきながら踊るんですよ。それでお開きになると、2、3本、杖が置きっぱなしになってることがある。本来、杖ついて来たはずなのに、どういうこと?どうやって帰ったの?って、思いますよね。酔っ払って誰かに抱えられていったのかもしれないし、片足で歩いて帰っちゃったのかもしれない」
「酔っ払って転んじゃってる人もいる。ただの酔っ払いのおじさんと変わらないそんな姿を見て、いいなと思ったんですよね。誰だって酔って転ぶことあるじゃないですか。転ぶのはその人の勝手。障害があろうがなかろうが、私がタッチすることじゃない。杖を忘れて転ぶくらい放って置かれていい。それくらい自由がいいと思ったんです」
「日本では、転ぶ前に手を差し伸べたり、必要以上の心配をしてくれちゃうことがある。『これできないから、よろしく』って言われた時に、『はいよ』って手を差し伸ばせる関係がいいんじゃないかって。それが、お互いに気持ちがいい状態でいられる関係なんじゃないかって気がしたんです」
激動の30年と「アフリカの奇跡」
ルワンダは近年、「アフリカの奇跡」と呼ばれる高い経済成長率を記録し、国民が悲劇の記憶を乗り越えようとしている。また女性の国会議員の割合が世界1位となるなど、女性の社会進出でも注目を集めている。真美さんはこれまで日本の「師匠」の元に約10人の若者を派遣し、技術を学ぶ機会を作ってきた。そのうち4人が独立して工房を構え、2人はワンラブ・ランドの工房で共に汗を流している。「大きな夢はないんです。このまま義足を作っていければいいなと思っています」と今後について話すと、「普通に場所を構えて、人が来るのを待って、地方に出向いて必要な人に届ける。後継者というか、任せられる人がいればいつでも死ねるかな、なんて思ってます」と語る。
30年の間にルワンダは大きく変化した。この激動の歴史の中に身を置いてきた記憶を語る講演会は、これまで全国で多数開催されてきたが、茨城では今回が初めてになる。(柴田大輔)
◆講演会「義足と歩むルワンダ」は、7月22日(土)午後2時から、つくば市吾妻2-7-5 つくば市民ギャラリーで開催。参加費は無料。申し込み・詳細はイベントの特設サイトへ。
自分を野次り続ける《続・気軽にSOS》137
【コラム・浅井和幸】今ではどうか知りませんが、私が若いころの野球事情は、味方の応援と相手チームへの野次(やじ)が半分半分だったと記憶しています。味方がボールを見逃したら「大丈夫、次の球打ってこー」と大声を出し、相手チームがボールを見逃したら「バッター、ビビってるよー」と声を張り上げるのです。
味方を盛り上げ、相手をこき下ろす。なんともはや、これが世間一般で思われている「爽やかな少年たちの野球」で、大人たちはこのように指導していたのです。まぁ、自分の力を発揮して、相手の弱点を突くというのが対戦スポーツの醍醐味(だいごみ)で、それをルールの中で行っているから素晴らしいのかもしれませんが…。
この、言葉で相手を攻撃して相手の力を発揮させない、ネガティブな刺激によりネガティブな結果を生み出すということはそれなりに効果があり、勝負事ではまあまあ力を発揮します。
ネガティブな自己暗示
さて、そのネガティブな気持ちや言葉を自分に向け続けたらどうなるでしょうか。「俺はダメな人間だ」「世界中の人が自分を悪く言っている」「もっとちゃんとしないといけない」「自分は恥ずかしい生活を送っている」などなど。
野球の試合であれば、その口汚いチームと対戦している時間以外は、野次は飛んできません。しかし、自分が自分であるのは24時間365日です。自分が自分に向かって野次を飛ばし続ける。それはとてつもないプレッシャーで、手も足も縮こまり、人の目も見られなくなり、笑顔もなくなり、身動きできなくなるのも当然です。ネガティブな自己暗示、悪い過去や未来のイメージトレーニングを続けているのですから。
習慣化した自分への野次、家族への野次、自分の所属するコミュニティへの野次…。何を目的として、そのネガティブな野次、口汚いこき下ろしをしているのか、もう一度考え直してみてください。
事実ではない(たとえ事実の部分があっても)目的を失って辛くなりすぎることに、苦行以外の何も得られないことでしょう。うまくことが進んでいないときは、もう少しだけ自分や自分に相対するもの、自分が属する何かへの野次は控えることをお勧めします。(精神保健福祉士)
全国大会出場へ 牛久リトルリーグマイナー
牛久市やつくば市を拠点に活動する少年硬式野球チーム「牛久リトルリーグマイナー」(小学3~5年、会長・根本洋治牛久市長)が、5月に行われた野球大会「AIGプレゼンツ MLB CUP 2023リトルリーグ東関東連盟大会」で優勝し、7月28日から宮城県石巻市で行われるファイナルラウンド(全国大会)への出場を決めた。
東関東大会は茨城県と千葉県で構成するリトルリーグ東関東連盟所属の11チーム(うち2チームが合同)が出場し3日間にわたり実施された。牛久は決勝戦までの4試合のうち3試合でコールド勝ちし、総得点49点に対して失点はわずかに1点と圧倒的な強さを見せた。
決勝は船橋リーグに初回、エースの眞壁陽大君が連打を浴びて2点のリードを許した。2回にも1点を献上し苦しい展開となったが、迎えた5回裏、四球と内野安打を皮切りに怒濤(どとう)の反撃で5点を奪い逆転に成功した。しかし最終回の6回表、勝ちを急いだ配球が相手打線につかまり同点に追いつかれた。延長7回は無死二塁からのタイブレークとなったが、2番手としてマウンドに上がった速球派・萩原唯月君の力投で無失点で切り抜けた。波に乗った牛久はその裏、送りバントで一死一、三塁から、3番・飯田弥大君のセンターへの犠牲フライでサヨナラ勝利を手にした。牛久の全国大会出場は2016年の第1回大会以来7年ぶり2度目。
今井卓監督は「決勝は3点ビハインドを追う苦しい展開だったが、選手たちは絶対に何とかしようとボールに対して必死に食らいついていたので、必ず逆転できると信じていた。日頃の練習の成果が発揮できた試合だったと思う」と話し、内田夏生主将は「全国大会に行くためにこの試合は何が何でも勝ちたかったので本当に良かった。東関東連盟の代表として全国大会も一戦必勝で優勝したい」と意気込みを話した。
各会場では、60秒間のうち45メートルのラインを何本越えられるかを競うホームランダービーが行われた。チーム一の長身選手である中島直太郎君が9本で優勝し、閉会式で、プレゼンターの牧田和久投手(元サンディエゴ・パドレスほか)からサイン入りの記念バットが授与された。決勝の午後にはリトルリーグ東関東連盟所属全てのマイナーリーガーが一堂に会し、牧田投手による野球教室も開催された。
牛久は昨年9月に行われた東関東連盟大会において2年連続で優勝し、11月の秋季関東大会ではチーム史上初の準優勝を果たした。同決勝での敗退以降、ここまで練習試合を含めてAチームの試合は無敗のままといい、全国大会での優勝を十分狙える位置にある。「秋の関東決勝で敗れた東練馬リーグを全国で倒すことを目標に頑張ってきた」と内田主将は力強く語る。
牛久ナインは7月25日に根本牛久市長を表敬訪問し、28日の開会式に合わせて宮城県石巻市入りする。28日はホームランダービーが行われた後に開会式。29日に1回戦と準々決勝、30日に準決勝が行われ、両日ともに敗退リーグを対象にMLBゲストの野球教室が行われる。昨年は松坂大輔氏や岩隈久志氏らがゲストとして招かれた。
牛久リトルリーグは1977年4年に創設された。過去に神戸拓光選手(元ロッテ)や菊田拡和選手(巨人)を輩出している名門リーグ。
リトルリーグは学童野球と異なりアメリカ基準で学年構成されるため、新チームの結成は毎年8月からとなる。連勝続きのこのチームも7月の全国大会をもって解散し、5年生は活動場所をつくば市谷田部に変えメジャーチームの6年生と合流、4年生は3年生とのマイナー新チームでそれぞれ始動する。
事務局長を務める西川政和さんは「この子たちは仲が良くてまとまりがありティーボール(3年生以下)の頃から負け知らず。これまでの公式戦を総なめにしている。現在は低学年の人数が不足しているので広報活動に力を入れている。特に5年生以降の練習場所はつくば市のTXみどりの駅の近く。興味のあるご家庭は是非見学に来て欲しい。学童野球からの移籍も大歓迎です」と持続可能なチームを目指しPRも抜かりない。
牛久リトルリーグマイナーのベンチ入り選手(敬称略)(5年生)内田 夏生(主将)萩原 唯月(副主将)眞壁 陽大中島 直太郎鈴木 心明吉松 岳阿部 心陽梶本 大馳(4年生)飯田 弥大西川 遥摩朝 隆晟神田 歩武松本 逢生鴻巣 うらら
◆試合はSportsnaviにて全試合生配信され、その後も見逃し配信される。牛久リーグのウェブサイトはこちら。問い合わせは電話090-1048-6265(西川事務局長)
特定外来魚駆除へ 釣り大会開き活用法模索【桜川と共に】6
7月上旬、つくば市と土浦市の桜川で「特定外来魚釣り大会」が開かれた。県内外から親子連れなど約70人が参加し、午前中だけでアメリカナマズ126匹、ブラックバス2匹、ブルーギル9匹の計約131キロを釣り上げた。
同大会は、釣り好きの一般参加者の協力を得て特定外来魚を駆除しようと、桜川漁業協同組合(つくば市松塚、鈴木清次組合長)が毎年主催している。釣果の9割を占めたアメリカナマズは1980年代に霞ケ浦に定着し、2000年ごろに爆発的に増え始めたとされる。雑食性で、組合員が捕まえたアメリカナマズの腹を割くと、ワカサギなどの在来魚のほかモグラまで出てきたことがあった。漁協では刺し網やはえなわ漁を組合員に推進しているが、捕っても収益になる見込みがないことが課題となっている。
釣れたアメリカナマズはこれまで穴を掘って埋めていたが、「ただ殺すのは忍びない」(組合員ら)と今回新たに、つくば市内の中華料理店や、近隣農家で働いている外国人技能実習生らが引き取り、食べてもらうこととなった。漁協は多方面に声を掛け、新たな活用法を模索している。
県内外から参加
釣り大会は、釣り上げた総重量で順位を付け、兵庫県から参加した斎藤直之さん(39)が16.7キロで優勝した。斎藤さんは筑波大の卒業生。「在学中から桜川でバケモノ(アメリカナマズ)が釣れると知り、釣りに来ていた」と話す。大会には都内や栃木県在住の釣り仲間と一緒に参加した。
つくば市内在住の小学5年青山秀延(しゅうすけ)さんは「魚が好きで初めて参加した。釣りはおもしろい」と、釣り上げたアメリカナマズを優しく手で持ち上げてみせた。市内在住の小学6年菊池風汰さんと小学4年泰佑さんの兄弟は、釣り好きでよく川に出掛けるという。続けざまにヒットし、手慣れた様子でリールを巻きあげ、笑顔を見せていた。
アメリカナマズは背びれと胸びれに太く鋭いとげを持っており、漁業者や釣り人がけがをすることもある。漁協組合員の鈴木孝之さんは、釣れたナマズを手に持って「ナマズは小さい頃の方がとげが固い。それは小さいうちは敵に襲われやすいから。大きくなるととげが柔らかくなる」と子どもたちに説明。鈴木さんが小さいナマズのとげでどれだけ大きなナマズを持ち上げることができるかやって見せると、親子から歓声が上がっていた。
ハクレン大量遡上、カワウ減少傾向
アメリカナマズ、ブラックバス、ブルーギルといった特定外来魚以外にも、桜川ではハクレンの大量遡上など、魚種の変化が組合員の間で問題になっている。ハクレンは特定外来魚ではないが、外来種で、一昨年から4月、5月に大群となって桜川を遡上するようになった。体長60センチから90センチと大型の魚で、今年4月30日には、漁協の活動拠点であるつくば市松塚で「ハクレンジャンプ」と言われる集団跳躍行動が見られ、漁業者らを驚かせた。大型外来魚の増加に伴ってコイやアユなどはいなくなり、これらを餌とするカワウも減少傾向にあるという。(田中めぐみ)
連載【桜川と共に】の過去記事はこちら
ハクレンの過去記事はこちら
https://youtube.com/shorts/_XM4Bgdt7dk
日本の花火大会のルーツは?《見上げてごらん!》16
【コラム・小泉裕司】前回の15「花火を観るなら有料観覧席でⅡ」(6月18日掲載)で紹介した「隅田川花火大会」は、日本最古の花火大会とされている。大会公式HPでは、「両国の川開き」という名称で、享保17年(1732)、大飢饉(ききん)と疫病の流行による犠牲者の慰霊と悪疫退散を祈って江戸幕府8代将軍吉宗が催した水神祭に続き、翌年に両国橋周辺の料理屋が許可を得て花火を上げたことが始まりと解説している。
国内の花火企業約300社が加入する公益社団法人日本煙火協会の平成30年度版「花火入門」でも「通説」と前置きしながら、夏の花火大会のルーツとして紹介している。同様の記事は、様々なメディアで散見するので、このように承知されている読者も多いのではないだろうか。
ところが、「花火入門」の令和元年度版からこの記述は消失し、最新の令和5年度版(6ページ)でも、隅田川での花火鑑賞の記録としては、さらに100年以上前の寛永5年(1628)、浅草寺に来た天台宗の僧・天海を花火でもてなしたという記録にさかのぼり、その後の両国橋架橋により花火の名所となったとある。
記述変更の経緯について、テレビの花火解説でおなじみの日本煙火協会河野晴行専務にたずねたところ、墨田区すみだ郷土文化資料館開館20周年を記念して開催された特別展「隅田川花火の390年」の図録(2018年)に掲載されている同館福澤徹三学芸員の「論考-享保18年隅田川川開開始説の形成過程」を根拠にしたとのこと。
この論考では、過去の膨大な記録を読み解く中で、隅田川での花火の記録は寛永5年が初見であり、享保18年開始説の記録は存在しない。同時に、「享保説」は明治24年から昭和9年までの44年間にわたって3段階の付け加えが行われ、日時的にも根拠のない「創作」であると論じている。今後も有力な新資料が発見されない限り、現在流布している「享保説」を採用することはないとしている。
一方で河野氏は、「享保説を声高に否定するようなことはしない」とも言う。「粋」を信条とする花火師の世界。「眉間にしわを寄せて議論するような野暮(やぼ)は言いなさんな」ということなのだろう。
なお、「疫病」をコレラと表記している解説も一部見られるが、コレラが江戸で流行となったのは、「安政コロリ流行記-幕末江戸の感染症と流言」(白澤社、2021年)によれば、安政5年(1858)であり、これはもう「論外」。
花火見物は「特別な時間」
それにしても、4年ぶりの「隅田川花火」を2週間後にして、「何、無粋なこと言ってんだか」とお思いの読者には、「粋」なお話をひとつ。
両国橋周辺が花火の名所となった江戸時代後期の旧暦5月末から8月末まで、毎日20発ほどの花火が上がっていたそうで、遊び好きな江戸っ子にとって花火見物は堂々と夜遊びができる特別な時間。
1発打ち上げるのに30分以上かかっていたようで、次の花火を待つ闇夜に乗じ、素敵な人に声をかけるなんてこともあったとか。当時の浮世絵に見る川端に憩う女性のファッションで、気合いの入り方が読み取ることができるとも。本日は、この辺で「打ち止めー」。「ドン ドーン!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)
大獅子今夏も戦わず つくば「小田祇園祭」
コロナ禍による丸3年の行動制限は、各地の町内会・自治会で行われていた夏祭りにも大きなダメージを残した。7月中下旬、つくば・土浦地域でも盛んに行われる八坂神社の祭礼「祇園祭」。みこしや山車、獅子舞が繰り出して、おはやしの音が各地に本格的な夏の到来を告げるが、15日開催の小田の祇園祭では、メーンイベントの大獅子の練り歩きを今年も見送らざるを得なかった。この大獅子には何かと故事来歴がある。
7月の第3土曜に開催される「小田祇園祭」。江戸時代の貞享四年(1687)に始まったという祭りで、戦後の一時休止期間を経て、50年ほど前に復活した。本町3つ、今宿2つの5組が持ち回りで当番組(トウメ)となり祭りを仕切る。日中から太鼓を鳴らしながら門付けをして回る行事から始まり、夕刻には子供たちのみこしや山車、獅子舞が通りを練り歩く。
例年ならこの後、田向延寿院から大獅子が繰り出して、竹ざおで獅子頭を高く掲げて練り歩くご神行(じんこう)となる。長さ約8メートルの獅子幕を引く巨大獅子頭。小田大獅子保存会が組織され、独特の太鼓や三三七拍子のリズムを聞かせる。当番組は毎年川で藻を採集し、乾かして大獅子のたて髪を結う一方、門付けに持参して家々の魔除(よ)けとして配っている。
メーンイベントは、通りで待ち構えるみこしと獅子が対峙(じ)して、それぞれが高さを競うように角突き合わせる「顔合わせ」という場面を迎える。祭神のスサノオノミコトとヤマタノオロチの戦いを模して、押しては引いての衝突を5度繰り返す。近在の祇園祭には見られないスタイルで、筑波大学の研究者や学生が現地調査に訪れたこともある。
コロナ禍の3年間、「顔合わせ」は中止され、大獅子は奉納場所である延寿院を出ることがなかった。今年の当番は「顔合わせ」の復活を模索したが、担い手の減少と高齢化は予想以上。交代要員を含めれば50人以上を揃えなければならない。「一度休んでしまうと元に戻すのは容易ではない」という。今回は子供会のみこしと獅子との「顔合わせ」で代替した。
奉納したのは長島尉信
「来年こそは完全復活」との意気込みもあるが、人材不足解消に見通しがあるわけではない。街歩きのガイドを務める常陸小田城親衛隊(川村兵庫代表)は、歴史的な初心に戻ることを提案する。
大獅子を奉納した幕末の農政学者、長島尉信(やすのぶ、1781~1867)にスポットを当てる。尉信は20歳の時、旧小田村の名主だった長島家の養子となり、45歳で隠居し、天文、暦学、測量などを学んだ。測量術を生かして土浦の修復などにも取り組んだ。土浦では、色川三中、佐久良東雄らとの交友があった。慶応元年(1865)に土浦藩を退き、小田村へ戻っている。この時これまでの志願成就を謝して、田向延寿院に「獅子頭」を奉納した。
尉信は慶応三年(1867)7月16日没し、延寿院境内の墓地に眠る。「ひとらしき我にあらねどひとまねにまことひとつを置き土産かな」と詠んでいる。
今回の祭りで「顔合わせ」できない「獅子頭」を延寿院から引っ張り出し、メーン会場である筑波山麓小田駐車場に飾ってもらった。実は同駐車場こそ、代々名主を務めた長島家の土地だった。2012年、「長島家跡地」として約4000平方メートルがつくば市に寄贈され、91台収容の無料駐車場として、小田の街歩きや宝篋山の登山客に利用されている。
親衛隊によれば「小田では八田知家(鎌倉幕府有力御家人、小田氏の始祖)や小田氏治(小田氏15代にして最後の当主)のように名の知られる人物もいるが、長島尉信は地元でもほとんど知られておらず残念。なんとかアピールの機会を作って訴えていきたい」と蒸し暑さ募る祭り会場を歩き回っていた。(相澤冬樹)
土浦工、6回で力尽く【高校野球茨城’23】
第105回全国高校野球選手権茨城大会は15日、J:COMスタジアム土浦で土浦工が初戦を迎えた。2回戦で水戸葵陵と対戦したが力及ばず、1-11のコールド負けを喫した。
土浦工は、エース清水達也と救援の横張功樹主将が代わる代わるマウンドに上がる独自のスタイルで水戸葵陵を迎えた。清水は110キロ台の球速だが伸びのあるストレートと落ちるカーブが持ち味。長身の左腕から投げ下ろすクセ球が何よりの武器だ。「前半途中から安定してきて自分の調子が出せた。終盤リズムを崩し、悪い流れを生んだことが悔しい」と試合後のコメント。
横張は清水とは幼な馴染みで、小中高と一緒に野球を続けてきた。2年の春から清水が体調不良で入院し、野球をあきらめかけたときも、横張の声掛けによりチームに復帰することができたという。
土浦工は2回と3回に1点ずつを失うが、4回表2死一塁から青木雄璃の左翼線への二塁打で1点を返し、追い上げムードを高めた。青木は「走者の渡辺匠は俊足なので、バッテリーは盗塁を警戒してストレートで来ると予想していた。打った瞬間はサードライナーかなと思ったけれど、抜けてくれてよかった」という。
普段はショートとして守備を支える横張が、この日最初に救援に向かったのは4回裏、1死一・二塁の場面。「横張は気持ちが強いので、球にピンチの場面もがんがん行ける」と久保田昌倫監督。「決め球のスライダーがあるので、ワンポイントだったら行ける」と横張。犠牲フライで1点を失ったが、相手の上位打線を抑えた。
横張が2度目のマウンドに立ったのは6回裏。だがこのときは疲れで足がつるなど、すでに余力は残っていなかった。3つの四球と2つの暴投、さらに3安打を浴びて6点を献上し、佐々木に敗戦処理を託した。「つらいときも苦しいときも助けられながら、最初から一緒にやってきた仲間たちに1勝させてあげられなかったことが悔しい」と横張。
4月に赴任した久保田監督は、わずか3カ月間で守備の基本を叩き込むなど、チームのテコ入れを図ってきた。「後悔のないよう詰め込んだが、鍛えきれない部分も多かった。例えば外野手には、芝生の球場での試合経験を積ませてあげたかった」それでも選手たちは短期間で見違えるように変わり、その集大成をこの試合で見せてくれたと讃えた。(池田充雄)
女性職員らの活躍推進へチーム設置 筑波銀行
女性職員など多様な人材の活躍を推進しようと、筑波銀行(本店・土浦市)は14日、行内に、生田雅彦頭取をプロジェクトリーダーとする「ダイバーシティ(多様性)推進プロジェクトチーム(PT)」を発足させた。
女性職員のキャリア支援や仕事と家庭の両立支援のほか、シニアや障害者の活躍推進、外国人の登用などについてメンバーが意見を出し合い、業務に反映させたり、内外に発信などする。
同行は第5次中期経営計画(2022年4月-25年3月)で、25年3月末までに女性管理職比率20%以上、男性の育児休暇取得率100%ーなどを掲げており、PTでの協議を通して数値目標の達成や企業風土の醸成に取り組む。
今年3月末時点の数値目標の達成率は女性管理職が18%、男性の育休取得率は93%。すでにフレックスタイム制度や短時間勤務制度、在宅勤務制度など多様な働き方を導入したり、女性対象のキャリアアップやマネジメント研修などを実施しているという。
PTは生田頭取と、勤続11年から37年目の係長から支店長までの女性職員11人で構成する。3カ月に1回会合を開いて意見を出し合い、取締役会にも毎年、報告する。
同行は2014年8月にすでに「女性の活躍推進PT」を設立し、当時のメンバ―から出された意見を元に、育児休暇取得中の女性職員同士が情報交換したり、職場復帰に向けて準備や相談をする場を設けるなど、育児休業を取得しやすくする環境を整えてきた。
今回、PTが協議する対象を、女性職員だけでなく、シニア、外国人などにも拡大し、名称を「ダイバーシティ」に変更した。さらに生田頭取がプロジェクトリーダーに就任し、新たにスタートさせた。
14日開かれた第1回会合で生田頭取は「女性活躍や働き方改革はこれまでもやってきたが、今回、シニアや外国人なども含め幅広く取り組みたい。全行挙げて、どうしたら女性が活躍でき、多様な人材の活躍機会の拡大を図ることができるか、皆さんと議論し、経営に反映させていきたい」と話した。
同PTのプロジェクトマネージャーで人事総務部の田久保玲子主任調査役(54)は「頭取のリーダーシップの下、ダイバーシティに関する企業風土の醸成を高めていくと共に、メンバ―からの意見を参考に、様々な職員の能力や経験、価値観を尊重する環境を構築し、多様な人材が活躍できる機会を拡大させていきたい」としている。
