水曜日, 9月 9, 2026
ホームつくばルワンダで障害と向き合う 義足を作り続ける夫婦がつくばで講演

ルワンダで障害と向き合う 義足を作り続ける夫婦がつくばで講演

東アフリカのルワンダで義肢装具を製作し、紛争や病気で手足を失った人たちに無償提供するルダシングワ真美さん(60)と夫のガテラ・ルダシングワ・エマニュエルさん(68)による講演会が22日、つくば市吾妻、つくば市民ギャラリーで開かれる。障害者の自立生活支援に取り組む当事者団体「つくば自立生活センターほにゃら」(同市天久保、川島映利奈代表)が企画した。

2人がルワンダの首都キガリ市で活動を始めたのは1995年で、約100日間に80万人以上が命を奪われた「ルワンダ大虐殺」の翌年だった。96年にNGO「ムリンディ・ジャパン・ワンラブ・プロジェクト」を立ち上げ、97年から義肢装具の製作を開始し、これまでに延べ1万2000人以上に無償提供してきた。

危機からの再出発

「窮地からは脱して再オープンしました。今は日常に戻り、義足作りをしています」と、真美さんが現在の状況を語る。

2020年2月、夫妻の活動拠点であるキガリ市にある「ワンラブ・ランド」が突如、ショベルカーで壊された。そこには義肢装具の工房とともに、活動資金を捻出するために建てたゲストハウスやレストランがあり、地元の人たちも数多く働いていた。近年、度々洪水の被害に遭っていたことから、政府は一帯の住民に対して「また大雨が降る、今すぐこの場所を出るように」と、立ち退きを迫っていた。「すぐに移動はできない」と断るも、翌日には重機が押し寄せ家屋は取り壊された。

多くの時間と労力をかけて築いた施設が、目の前で壊されていく。あまりの衝撃に、「自分たちの活動に意味があるのか、本当に必要とされているのだろうか」と葛藤した。しかし「ルワンダで私たちにできることは他にない。これをやるしかない」と思い至った。

同年10月、施設再建の資金を募るためクラウドファンディングを立ち上げると、3カ月で1200万円を超える支援が集まった。この資金を元手に、翌年新たな場所に施設を新設した。

キガリ市の義肢製作工房の様子(同)

2人の出会い

2人の出会いは1989年。ルワンダの近隣国でのことだった。神奈川県出身の真美さんは当時、勤めていた日本の会社を辞めて語学留学でケニアを訪れた。そこで出会ったのが民族対立が続くルワンダから避難してきたガテラさんだった。ガテラさんは幼少期に受けた医療ミスで右足にまひがあり装具を付けていた。真美さんにとって障害以上に印象に残ったのは、大きな体とドレットヘアー、そして誠実で明るい人柄だった。

「私にとって、彼と知り合う以前に障害のある人との出会いはほとんどありませんでした。彼を通じて障害への純粋な好奇心を持ったんだと思います」

1991年にガテラさんが来日し、滞在中に壊れた装具を治すために訪ねたのが、神奈川県の「平井義肢製作所」だった。そこで目の当たりにした高い技術にガテラさんは「これをルワンダの人のために役立てたい」と思いを強くし、真美さんはその夢を実現するため平井さんの元に弟子入りを志願し、5年の修行の後に国家資格を取得した。ルワンダに渡ったのは大虐殺翌年の95年。その間ガテラさんはケニアへ逃れ無事だった。暴力の傷が色濃く残るルワンダで再会し、2人は新しい暮らしをスタートさせた。

ルワンダで気づいた「自由」

95年当時、町なかには手足を失った人があふれていた。初めての患者は地雷で足を失った男性だった。満足に材料が手に入らないなど予期せぬトラブルがあったが、無事完成すると、男性は、歩行訓練の中で徐々に、再び働くことへの希望を取り戻していったという。

以来、様々な障害のある人たちと関わってきたルワンダで、真美さんが居心地の良さを感じたのが「楽天的」なところだという。「うちにはレストランがあるので、障害のある人にお酒を振る舞うことがあるんです」と言いつつ、こんな例を挙げる。

「酔っ払って音楽があれば、みんな杖(つえ)つきながら踊るんですよ。それでお開きになると、2、3本、杖が置きっぱなしになってることがある。本来、杖ついて来たはずなのに、どういうこと?どうやって帰ったの?って、思いますよね。酔っ払って誰かに抱えられていったのかもしれないし、片足で歩いて帰っちゃったのかもしれない」

「酔っ払って転んじゃってる人もいる。ただの酔っ払いのおじさんと変わらないそんな姿を見て、いいなと思ったんですよね。誰だって酔って転ぶことあるじゃないですか。転ぶのはその人の勝手。障害があろうがなかろうが、私がタッチすることじゃない。杖を忘れて転ぶくらい放って置かれていい。それくらい自由がいいと思ったんです」

「日本では、転ぶ前に手を差し伸べたり、必要以上の心配をしてくれちゃうことがある。『これできないから、よろしく』って言われた時に、『はいよ』って手を差し伸ばせる関係がいいんじゃないかって。それが、お互いに気持ちがいい状態でいられる関係なんじゃないかって気がしたんです」

激動の30年と「アフリカの奇跡」

ルワンダは近年、「アフリカの奇跡」と呼ばれる高い経済成長率を記録し、国民が悲劇の記憶を乗り越えようとしている。また女性の国会議員の割合が世界1位となるなど、女性の社会進出でも注目を集めている。

真美さんはこれまで日本の「師匠」の元に約10人の若者を派遣し、技術を学ぶ機会を作ってきた。そのうち4人が独立して工房を構え、2人はワンラブ・ランドの工房で共に汗を流している。「大きな夢はないんです。このまま義足を作っていければいいなと思っています」と今後について話すと、「普通に場所を構えて、人が来るのを待って、地方に出向いて必要な人に届ける。後継者というか、任せられる人がいればいつでも死ねるかな、なんて思ってます」と語る。

30年の間にルワンダは大きく変化した。この激動の歴史の中に身を置いてきた記憶を語る講演会は、これまで全国で多数開催されてきたが、茨城では今回が初めてになる。(柴田大輔)

◆講演会「義足と歩むルワンダ」は、7月22日(土)午後2時から、つくば市吾妻2-7-5 つくば市民ギャラリーで開催。参加費は無料。申し込み・詳細はイベントの特設サイトへ。

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

1コメント

1 Comment
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho





spot_img

最近のコメント

最新記事

ワイン用ブドウの収穫が最盛期 筑波山麓

筑波山麓で8月末からワイン用ブドウの収穫が始まり、最盛期を迎えている。収穫作業は9月末まで続く。つくば市は2017年に「つくばワイン・フルーツ酒特区」に認定され、現在市内には四つのワイナリーがある。 筑波山麓には、筑波大出身で、ワイナリー「ビーズニーズヴィンヤーズ」(同市神郡)を経営する今村ことよさん(53)のブドウ畑が広がる。今村さんは2015年から栽培を始めた。現在、山麓の沼田地区と臼井地区の2カ所に計約1.5ヘクタールあり、白ブドウのシャルドネ、黒ブドウのシラーなど10品種を栽培している。今村さんは今年6トンの収穫を目指している。 ブドウの栽培からワインの醸造まで今村さんが一人で担っているが、収穫作業は人手が必要になる。初日の8月30日にはSNSの呼び掛けで、ワイン作りを学びたいと、つくば市内や東京都、千葉県などから、50歳代の男女6人が集まり、ボランティアで収穫を手伝った。 ボランティアの6人はこの日、沼田地区のブドウ畑でジュースとして利用するメルローなどの品種を収穫した。今村さんから指導を受けながら、剪定(せんてい)ばさみを用いて、ていねいに収穫していった。千葉県習志野市から参加した公務員、角田圭吾さん(54)は「各地域のブドウ畑でボランティアとして収穫作業に参加している。今村さんの指示は的確で細かくありがたい」と語り、都内から参加した50代の男性は「つくばでワインが出来るのに驚いた。山麓の景色の良いところで作業できるのはうれしい」と話していた。 収穫作業と併せて、今村さんのワイナリーでは9月4日から、今シーズンのワインの仕込みが始まった。八千代町と埼玉県入間市の2軒のブドウ農家も加わり、それぞれ収穫したブドウを持ち込み、ブドウの品種や状態に合わせて、機械でブドウの茎や軸を取り除いたり、圧力をかけてブドウを絞る作業などを実施した。 この日持ち込まれたブドウは、今村さんが700キロ、八千代町のブドウ農家が700キロ、入間の農家が220キロの合計1620キロ。仕込み作業で出た搾りかすは、今村さんが肥料として利用する。2軒のブドウはそれぞれ、今村さんが受託しワインを醸造する。 今村さんは「今年はここ数年に比べて気温が低く、ブドウの色づきも良く、昨年よりも良いブドウが収穫出来そうだと期待している。収穫や仕込みの作業がまだまだ続くが、良いワインになるようにがんばっていきたい」と話している。(榎田智司)

「禍根を残す」「立つ鳥跡を濁す」《ハチドリ暮らし》65

【コラム・山口京子】どうやって始末をつけるのか? どう片づけを考えるのか? 個人であれ、社会であれ、「禍根を残さず」とか「立つ鳥跡を濁さず」という言葉は死語になってしまったのでしょうか? 科学技術が軍事利用、商業利用されるにつけ、「禍根を残す」「跡を濁す」ケースが増えているように思えます。 今、近代西洋科学には、自然を人間の都合で改変してしかるべし―という姿勢があるような気がしてなりません。科学を利用する人間の欲望のなせる業なのでしょうか。科学技術の成果が商品化され、社会がどんどん複雑化しているのに対し、人間の思考は単純化していると感じます。次第にお手上げ状態で生きるのではないか―そんな不安がよぎります。 人間のすることは自然にかなわないと分かった東日本大震災。福島原発事故のその後について、なぜ詳しい報道がされないのでしょうか? 緊急事態宣言が解除されたとは聞きません。福島の第一・第二原発の廃炉処理はどうなっているのか? 廃炉のロードマップ、時間・費用・技術など、素人には分かりません。それでも、廃炉の費用は税金から支出されるのでしょう。 経済破綻を戦争でウヤムヤに? パキスタンやアフガニスタンで医療活動に従事した中村哲さんの本に、こんな言葉がありました。「(国連難民帰還の)机上のプランは事情を知らぬものには説得力があったが、我々にはまるで粗悪なカリカチュアとしてしか映らなかった」と。それは彼の地を見続けた医師の声ですが、廃炉にも当てはまるのではないでしょうか。 事態がどうなっていくのか…。あれだけの大きな被害があり、今も将来も続いていくのに、責任はだれも取っていないような…。日本列島は地震の活動期に入ったと言われます。その上に、いくつの原子力発電所が建っているのか…。いつ大きな地震が来てもおかしくない今、それらを稼働させることは悪夢でしかないのでは? 各国ともども軍事費が膨張していくとなれば、未来はどうなるのでしょう? 国家は経済破綻を戦争でウヤムヤにするかもという声を聞きます。将来世代に重い負担が課せられていくでしょう。大きな負担と危険が隣り合わせの暮らしを押しつけることは、許されないはずなのに…。(消費生活アドバイザー)

「分からないことだらけ、不安たくさん」住民団体が設立総会【つくばに国内最大級のデータセンター】

周辺住民ら約200人集う つくば市大穂で建設が始まった国内最大級のデータセンター計画に対し、市や事業者に公開説明会の開催を求めている住民団体「データセンターから市民を守る会」(柳町弘幸会長)が6日、計画地近くの同市筑穂、大穂交流センターで設立総会を開いた。 会場には周辺住民など約200人が集まった。参加者からは「分からないことだらけで、不安がたくさんある」「なぜつくばにこんな大きな施設をつくらないといけないのか。1棟や3棟はやむを得ないかもしれないが、住宅地周辺なので(事業者が計画している)100万キロワットには反対していただきたい」などの意見が相次いだ。 守る会は今年4月から活動を始め、周辺住宅を回って住民アンケート調査と署名活動に取り組み、事業者のグッドマンジャパンに説明会開催を要望してきた(6月8日付)。2日開会した市議会9月定例会議に向けては、つくば市による市民向け公開説明会の開催を求める請願を出したばかり(8月31日付)。 4月から活動を続ける中、周辺住民などから入会申し込みなどが相次いでいたなどから、6日、改めて設立総会を開き、規約などを定め、役員を紹介した。 設立趣意書や規約によると、市が所有していた45ヘクタールを売却し用途地域を変更して進められている国内最大級のデータセンター開発は、市全体に関わるまちづくりの重要な課題だが、市民や周辺住民などから「排熱による気温上昇、騒音、水利用などについて、十分な説明が行われていない、正確な情報が分からないという声が数多く寄せられている」などとし、将来にわたり安心して暮らせる地域づくりを進めるため、今後の活動として①市民への情報提供と情報共有➁行政と事業者への要望・提案③公開説明会の開催要望④環境と生活環境の調査・研究などを行うとしている。 歌川学さんが講演 設立総会では、つくば市内の研究機関に勤務し温暖化対策を研究する歌川学さんが「データセンターの地域への影響」と題して講演した(5月19日付、5月20日付)。歌川さんは、事業者の計画通り100万キロワット(1000メガワット)のデータセンターが完成した場合、現在つくば市全体で排出されている2倍の二酸化炭素が大穂のデータセンター1カ所から排出され、市全体の2倍の排熱が発生するなどの試算結果を改めて示した。その上で「夏の猛暑日などは周辺住民、特に健康弱者の健康影響が懸念され、農業などにも影響が懸念される」と改めて述べ、「地域に影響が出ないか、悪い気象条件も想定して、地域の気温上昇分布を予測試算し、地域の健康弱者、農業などに影響がないかを確認することが必要だ」と述べた。 データセンター業界が今年5月に策定した地域との共生をうたう「地域共生ガイドライン」に対しては「数値目標が一つもない」と批判。自治体や住民が事業者と協定を締結している事例を紹介したり、自治体が地区計画を見直した例などを紹介した。(鈴木宏子)

バイシクル・ダイアリーズ ⑸《ことばのおはなし》96

【コラム・山口絹記】前回の記事では、深く考えずに「ツール・ド・つくば2026」にエントリーしてしまったところまで書いた。 エントリーしてしまったものは仕方ない。自転車屋に向かい、店長さんに「ペダルをビンディングにしたいんです」と伝えた。ビンディングペダルとは、ペダルと靴をカチッとくっつけて、より力強く走るためのペダルのことだ。 「乗り始めて半月も経ってないですけど、そんなに急いでどこに行くんですか?」 もう少し慣れてからでもよいと言われたものの、こちらには時間がない。ツール・ド・つくばにエントリーした旨を伝えると、店長さんは拍手をしながら取り付けを了承してくれた。ビンディングペダルにシューズ、お尻にクッションの入ったピチピチのパンツ(ビブショーツという)も購入。準備は整った。あとはエンジン、つまり自分の体力だけが問題だ。 この日から、毎晩、家の周りを何十周と走る自転車妖怪となった。 約1週間走り続け、5月半ば、ついに実地練習。店長さんから「家からスタート地点までをウォーミングアップにするといいですよ」とアドバイスをもらい、自転車で筑波山へ向かう。 本番は絶対1時間を切ってやる スタート地点からしばらく景色のよいストレートが続くが、カーブを曲がると突然クライムが始まる。なんというか、思っていたのと違う。具体的に言うと、八幡崎の坂より勾配がきつい。あ、帰りたいかも。 不動峠までのコーナーには、あと何回カーブが残っているかを教えてくれる立て看がある。コイツがメンタルをゴリゴリ削ってくる。ヨタヨタ走る私の横を、ランニングのおじいさんが追い越してゆく。不動峠でその名の通り動けなくなり座り込む。これは割とホントにまずい。 気を取り直して再び登るも、辛い、苦しい、以外何も考えられない。スカイラインに入ると爽快な下り坂が始まるが、下るということは、その分また登らねばならないということだ。勘弁してほしい。 なんとかゴールして、タイムは01:07:04。登りきりはしたが、途中で座り込んでしまった。コレって大会的にはOKなんだろうか。わからない。不安だ。 ということで、また毎晩の走り込みが始まった。特に練習したのがギアチェンジだ。重すぎるギアで踏めば当然脚を使うし、下りから登りに変わるところで軽いギアにしておかないと、とんでもなく失速する。毎晩、家の周りのカーブを曲がるたびにギアを変えた。 そして本番1週間前、再び本番コースへ。 前回脚をついた不動峠を気合で突破。ギアチェンジの練習も少しは効いたようで、そのまま一度も脚をつかずゴールできた。 タイムは01:00:34。あと34秒。 本番は絶対1時間を切ってやる、と意気込んで下山した。(言語研究者)