水曜日, 11月 4, 2026
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ルワンダで障害と向き合う 義足を作り続ける夫婦がつくばで講演

東アフリカのルワンダで義肢装具を製作し、紛争や病気で手足を失った人たちに無償提供するルダシングワ真美さん(60)と夫のガテラ・ルダシングワ・エマニュエルさん(68)による講演会が22日、つくば市吾妻、つくば市民ギャラリーで開かれる。障害者の自立生活支援に取り組む当事者団体「つくば自立生活センターほにゃら」(同市天久保、川島映利奈代表)が企画した。

2人がルワンダの首都キガリ市で活動を始めたのは1995年で、約100日間に80万人以上が命を奪われた「ルワンダ大虐殺」の翌年だった。96年にNGO「ムリンディ・ジャパン・ワンラブ・プロジェクト」を立ち上げ、97年から義肢装具の製作を開始し、これまでに延べ1万2000人以上に無償提供してきた。

危機からの再出発

「窮地からは脱して再オープンしました。今は日常に戻り、義足作りをしています」と、真美さんが現在の状況を語る。

2020年2月、夫妻の活動拠点であるキガリ市にある「ワンラブ・ランド」が突如、ショベルカーで壊された。そこには義肢装具の工房とともに、活動資金を捻出するために建てたゲストハウスやレストランがあり、地元の人たちも数多く働いていた。近年、度々洪水の被害に遭っていたことから、政府は一帯の住民に対して「また大雨が降る、今すぐこの場所を出るように」と、立ち退きを迫っていた。「すぐに移動はできない」と断るも、翌日には重機が押し寄せ家屋は取り壊された。

多くの時間と労力をかけて築いた施設が、目の前で壊されていく。あまりの衝撃に、「自分たちの活動に意味があるのか、本当に必要とされているのだろうか」と葛藤した。しかし「ルワンダで私たちにできることは他にない。これをやるしかない」と思い至った。

同年10月、施設再建の資金を募るためクラウドファンディングを立ち上げると、3カ月で1200万円を超える支援が集まった。この資金を元手に、翌年新たな場所に施設を新設した。

キガリ市の義肢製作工房の様子(同)

2人の出会い

2人の出会いは1989年。ルワンダの近隣国でのことだった。神奈川県出身の真美さんは当時、勤めていた日本の会社を辞めて語学留学でケニアを訪れた。そこで出会ったのが民族対立が続くルワンダから避難してきたガテラさんだった。ガテラさんは幼少期に受けた医療ミスで右足にまひがあり装具を付けていた。真美さんにとって障害以上に印象に残ったのは、大きな体とドレットヘアー、そして誠実で明るい人柄だった。

「私にとって、彼と知り合う以前に障害のある人との出会いはほとんどありませんでした。彼を通じて障害への純粋な好奇心を持ったんだと思います」

1991年にガテラさんが来日し、滞在中に壊れた装具を治すために訪ねたのが、神奈川県の「平井義肢製作所」だった。そこで目の当たりにした高い技術にガテラさんは「これをルワンダの人のために役立てたい」と思いを強くし、真美さんはその夢を実現するため平井さんの元に弟子入りを志願し、5年の修行の後に国家資格を取得した。ルワンダに渡ったのは大虐殺翌年の95年。その間ガテラさんはケニアへ逃れ無事だった。暴力の傷が色濃く残るルワンダで再会し、2人は新しい暮らしをスタートさせた。

ルワンダで気づいた「自由」

95年当時、町なかには手足を失った人があふれていた。初めての患者は地雷で足を失った男性だった。満足に材料が手に入らないなど予期せぬトラブルがあったが、無事完成すると、男性は、歩行訓練の中で徐々に、再び働くことへの希望を取り戻していったという。

以来、様々な障害のある人たちと関わってきたルワンダで、真美さんが居心地の良さを感じたのが「楽天的」なところだという。「うちにはレストランがあるので、障害のある人にお酒を振る舞うことがあるんです」と言いつつ、こんな例を挙げる。

「酔っ払って音楽があれば、みんな杖(つえ)つきながら踊るんですよ。それでお開きになると、2、3本、杖が置きっぱなしになってることがある。本来、杖ついて来たはずなのに、どういうこと?どうやって帰ったの?って、思いますよね。酔っ払って誰かに抱えられていったのかもしれないし、片足で歩いて帰っちゃったのかもしれない」

「酔っ払って転んじゃってる人もいる。ただの酔っ払いのおじさんと変わらないそんな姿を見て、いいなと思ったんですよね。誰だって酔って転ぶことあるじゃないですか。転ぶのはその人の勝手。障害があろうがなかろうが、私がタッチすることじゃない。杖を忘れて転ぶくらい放って置かれていい。それくらい自由がいいと思ったんです」

「日本では、転ぶ前に手を差し伸べたり、必要以上の心配をしてくれちゃうことがある。『これできないから、よろしく』って言われた時に、『はいよ』って手を差し伸ばせる関係がいいんじゃないかって。それが、お互いに気持ちがいい状態でいられる関係なんじゃないかって気がしたんです」

激動の30年と「アフリカの奇跡」

ルワンダは近年、「アフリカの奇跡」と呼ばれる高い経済成長率を記録し、国民が悲劇の記憶を乗り越えようとしている。また女性の国会議員の割合が世界1位となるなど、女性の社会進出でも注目を集めている。

真美さんはこれまで日本の「師匠」の元に約10人の若者を派遣し、技術を学ぶ機会を作ってきた。そのうち4人が独立して工房を構え、2人はワンラブ・ランドの工房で共に汗を流している。「大きな夢はないんです。このまま義足を作っていければいいなと思っています」と今後について話すと、「普通に場所を構えて、人が来るのを待って、地方に出向いて必要な人に届ける。後継者というか、任せられる人がいればいつでも死ねるかな、なんて思ってます」と語る。

30年の間にルワンダは大きく変化した。この激動の歴史の中に身を置いてきた記憶を語る講演会は、これまで全国で多数開催されてきたが、茨城では今回が初めてになる。(柴田大輔)

◆講演会「義足と歩むルワンダ」は、7月22日(土)午後2時から、つくば市吾妻2-7-5 つくば市民ギャラリーで開催。参加費は無料。申し込み・詳細はイベントの特設サイトへ。

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