日曜日, 4月 5, 2026

五十嵐市長はなぜ市民との責任ある議論を避けるのか【投稿・酒井泉】

議会の議決を経ずに高エネ研南用地を売却 五十嵐立青つくば市長は、2022年9月27日、高エネ研南用地(旧総合運動公園用地)46ヘクタールを外資系のグッドマンジャパンに一括売却しました。売却に先立って、パブリックコメントや市民説明会が行なわれ、市民からは様々な土地利用計画が提案されました。2021年6月に市議会特別委員会が出した提言書も一括売却には否定的であり、市民のための公共利用を優先する方針を提示していました。 また大穂地区の市民説明会では、五十嵐市長1期目の選挙公約の目玉「UR都市機構(国)への返還交渉」の具体的内容について問われましたが、それには答えず、「議会がOKすればそれが民主主義」と開き直っていました。 それにもかかわらず、2022年1月9日の市議会全員協議会で、市長は「(高エネ研南用地は)市土地開発公社の所有であり、市の所有ではないから、市議会の議決は不要」と言って、市議会の議論を経ることなく一括売却を強行したのです。これによってつくば市民が被る損失は以下の3点です。 陸上競技場?豊かな緑地?学園都市の未来? ▼市長も必要性を認めている陸上競技場は、誰もがその最適地と思っている高エネ研南用地ではなく、市の西端の上郷高校跡地に追いやられてしまったのです。 ▼市長が市民に約束した「公共利用」「緑豊かな街づくり」は、高エネ研南用地全体の1割程度の面積に防災倉庫を建設して、その屋上を緑化することで市民を欺こうとしています。市報に公表されている俯瞰(ふかん)図は、広角レンズの遠近強調効果により、まるで用地の半分が緑地であるかのように見えます。平面図は掲載されていません。 ▼これが一番重要な問題ですが、グッドマンへの一括売却によって、筑波研究学園都市の未来が閉ざされてしまいます。もう、新たな研究施設をつくる用地は研究学園都市の内部には無くなってしまいますから、研究学園都市の未来はありません。 市民説明会は時間切れで打ち切られましたが、市議会で十分な議論が行われていれば、これらの問題について、市長は市民が納得する説明を求められたはずです。市長が市議会での議論を避けたことは、市民説明会での「議会がOKすれば、それが民主主義」との発言にも矛盾します。市長の「公約無視」「市民無視」「議会無視」をつくば市民は容認してもよいのでしょうか? 議会裁決拒否の理屈は認められるのか? 五十嵐市長の市議会議決不要の理屈は「高エネ研南用地は、市の土地開発公社が買収した土地で、市の所有ではないのだから、売却について市議会で議論する必要はない」ということです。そして、2022年1月の市議会全員協議会で、一部良識派議員の強い異議申し立てがあったにもかかわらず、市長与党の多数派議員はこれを認めてしまったのです。 市土地開発公社は、公共用地の先行取得を目的につくられた組織であり、理事長は飯野副市長で、市長や部長が役員に連なり、その職員も市職員が兼務しており、給与も支払われていません。実質的に市と一体の組織ですから、この市長の理屈は明らかにおかしい。これが認められたら、市長や市職員が市民の税金を勝手に使うことが可能になります。しかも、議会の与党多数派がこれを認めてしまうのでは、市民は唖然(あぜん)とするばかりです。 地裁却下→高裁控訴、最高裁まで闘う この不条理を正すため、我々は2022年3月29日、住民監査請求を行ったものの、市の監査委員は市長の言い分を認め、我々の請求を却下しました。監査委員は市長が選任するので、これは予想されたことです。そこで我々は取り得る最後の手段として、司法の判断を求め、2022年5月20日、水戸地裁に住民訴訟を提訴しました。これは却下されましたが(2023年6月20日)、即、東京高裁に控訴しました。我々は高裁の判決によっては最高裁で闘うつもりです。 ▼住民訴訟の主旨:①市土地開発公社は、その実態がつくば市の行為であることが明白であるにもかかわらず、②形式的に土地所有者が公社であり、売主が公社であるとして、法の網の目をかい潜り、③地方公共団体の財務会計行為を、民主的なコントロールからすり抜けさせることで市民の目を欺き、市民に不利益な行為を行っている、④従って、グッドマンジャパンへの一括売却契約は無効である。 ▼水戸地裁の判決:公社は実質的にはつくば市であると見ることは相当ではない、として却下。 ▼高裁控訴の理由:①公社の行為実態が、まさにつくば市の行為であることが明白であるにもかかわらず、②非常に形式的に、実質的にはつくば市であると見ることは相当ではない、という理由で地裁は却下した、③地方公共団体の財務会計行為を、民主的コントロールからすり抜けさせることに手を貸すことは、法の番人たる司法府がその責務を放棄することである。 司法で問えるのは不条理の一部 我々は民主主義における司法の役割について諦めてはいません。五十嵐市長の不条理を正すため、司法の場での議論は今後も続けます。しかし、司法の場で問えるのは、市側の「市の土地開発公社は市とは別組織である」という形式論に対し、我々の「市の開発公社は市と事実上一体である」という現実論に限られます。 水戸地裁の判決は形式論を優先して、「(高エネ研南用地は)市の土地開発公社の土地だから、売却にあたって市長が市民(市議会)と議論しないことは合法である」としましたが、市長が市民・市議会と議論しても違法ではありません。違法どころか、市民・市議会と責任ある議論をすることで、問題のより良い解決策が望めるし、市長と市職員に対する市民の信頼度も上がる好循環が期待できるはずです。それにもかかわらず、なぜ違法性のリスクを冒してまで、市長は市民との責任ある議論を避けるのでしょうか? 司法の世界では形式論が優先される場合があったとしても、市民社会や政治の世界は現実論で動いています。市長が市民との議論を避ける不条理と、これがもたらす市民社会の損失については、市民の力(政治の力)の現実論で対抗することが重要です。 センタービル再開発でも議論回避 高エネ研南用地と同様のことは、つくばセンタービル再開発問題についても言えます。再開発に10億円を超える事業費を使うのに、市長はなぜ自分で決めた第三者委員会でその是非を議論しないのでしょうか? その理屈は「街づくり会社への市の6000万円の出資金は事業費とは別だから、(この分をマイナスすると)この事業は10億円を超えない」という形式論を用いた詭弁(きべん)です。 この詭弁に対しては、現実論では違法ではないか?という疑義が生じます。我々はこの点についても、住民監査請求を経て住民訴訟を行いました。しかし、高エネ研南用地判決と同じ日に出された地裁判決は、またしても形式論に堕した「街づくり会社への出資金はセンター地区の再開発の事業費とは別であり、第三者委の審議は不要」というものでした。 「第三者委の審議は不要」が合法であっても、第三者委で議論することは違法ではありません。第三者委での議論があれば、五十嵐市長と関係が深いと言われている人物らが街づくり会社に共同出資することで、センタービルの半分の面積を占有することの是非も議論され、市民が納得できる説明が求められたはずです。(元高エネルギー加速器研究機構准教授、元福井大学教授、つくば市在住)

「転ばないようにね」の危険性《続・気軽にSOS》136

【コラム・浅井和幸】高齢になると転倒事故はとても危険です。大けがにつながったり、歩行困難になる障害が残ったりすることもあるでしょう。なので、出来るだけ「転ばないようにね」と声をかけることは間違っていません。 さらに転倒防止のために、転倒リスクがある場所に手すりをつけたり、滑りにくい素材の床材を使ったり、段差をなくしたりと対応します。これらの手法は、転倒しにくい環境づくりとして推奨されます。 転倒リスクは環境だけではありません。高齢者自身の筋力や運動能力、視力などの衰えも転倒リスクとなります。なので、運動をすることも推奨されるのです。 ですが、環境づくりがうまくいくことで転倒しにくくなりますから、運動などして自分を鍛える必要がなくなるという捉え方もできます。そうなると、自分自身の能力である部分での転倒リスクが上がるということが起こるでしょう。バリアフリーが進みすぎると、余計に転倒しやすくなると言われるゆえんです。 転倒防止のために、運動をして自分自身の転倒リスクを下げることになります。そこで、転ばない練習と転ぶ練習が大切で、両者は似て非なるものです。柔道で相手がこちらを倒そうとしてくるところを、一生懸命にバランスをとってこらえるのが倒れない練習で、自ら積極的に倒れて受け身の練習をするのが倒れる練習と言えるでしょう。 そうは言っても高齢化すれば、努力しても筋力や運動能力が相対的に下がっていくので、転ぶ練習をしろとは言いにくいものです。転ぶ練習で骨折したら目も当てられません。それでも、出来る範囲で練習をした方がよいのではないかなと思います。 それが、まだまだ成長段階の未成年から中高年までであれば、積極的に転ぶ練習をした方がよいでしょうね。転ばない練習で得た身体操作は、いざ転んでしまったときには役に立たない技量ですから。 失敗によって得られる貴重な経験 これは、勉強でも、仕事でも、人間関係でも、他の社会生活でもすべてに当てはまります。自己肯定感とか、成功体験とかの経験、練習はとても大切です。ですが、いかに失敗した経験から立ち直れるかの練習もとても大切なものなのです。成功体験ばかりに意識が偏ってしまうと、いざ失敗した時に受け身が取れずに大きな支障が出てしまうことになりかねないのです。 絶対負けられない試合、絶対失敗してはいけないこと、絶対に…、このような場面が生きていてどれぐらいあるものなのでしょうか。絶対ミスをしてはいけないのであれば物事を行わない、絶対負けないと言うことは明らかに弱い相手と戦うか、試合をしない、ひきこもれということになります。 親や支援者が、子どもや被支援者から失敗によって得られる貴重な経験を奪ってはいけません。自分が前に進めなくなったとき、どう相手に接してよいか分からなくなったとき、失敗しない方法ばかりでなく、どこまでなら失敗してもよいだろう、失敗させてもよいだろうかと考えるくせをつけることで、道が見えることもあります。(精神保健福祉士)

Most Read