水曜日, 4月 8, 2026

雨男・晴れ男 《短いおはなし》4

【ノベル・伊東葎花】 雨と晴れなら、晴れの方が好き。きっと9割くらいの人がそう答えるはず。私、間違っていないよね。 好きだった彼は究極の雨男。初めてのデートは台風級の大雨。会うたび雨。いつも雨。彼の人生、大切な行事はすべて雨だったと打ち明けられた。 大粒の雨が窓ガラスを叩(たた)く小さな部屋で「結婚しよう」と彼が言った。不器用だけど優しくて、きっと私を大切にしてくれる。嬉(うれ)しかったけど、ふと考えてしまった。彼と一緒にいる限り、この先の行事はすべて雨。結婚式も新婚旅行も、絶対雨だ。子どもの行事も家族旅行もすべて雨だ。 迷っていたときに現れたのは、取引先の御曹司。出会ったばかりでグイグイ来られて、ついに誘いに乗ってしまった。初めてのドライブは、最高の青空。グレイの雲がみるみるうちに去っていく。「俺、究極の晴れ男なんだ」彼が言った。私の中で、何かが揺れた。 彼とのデートはいつも晴れ。降水確率80%をも覆すパワー。テニスにゴルフ。キャンプにバーベキュー。楽しくて、結局私は、晴れ男を選んだ。土砂降りの日に雨男と別れ、秋晴れの日に晴れ男と結婚した。 だけど幸せは続かなかった。晴れ男は、家庭を顧みない遊び人で、子どもが生まれても協力どころか無関心。たった3年で離婚した。離婚した日も悲しいくらいの晴天だった。優しかった雨男の彼を思い出す毎日。やっぱり私、間違えた?ひとり息子の晴太(はるた)は、父親に似て晴れ男。入園式も遠足も、雨に降られたことはない。しかし幼稚園最後の運動会、ピカピカのお天気だったのに、年少組のかけっこが始まる辺りから、何やら雲行きが怪しくなってきた。そして突然降りだした大粒の雨。運動会は一時中断で、みんなテントの中に避難した。「予報、雨じゃなかったのにね」と困り顔の保護者たち。 そのとき、ひとりの男が園庭の真ん中に出てきて頭を下げた。「すみません。この雨は、僕のせいです」思わず息をのんだ。彼だ! 究極の雨男の彼だ!「僕が来たら雨が降ることはわかっていたのに、どうしても息子が走る姿を見たくて来てしまいました。ごめんなさい」ふくよかな女性が走ってきて、彼の隣で同じように頭を下げた。「夫が雨男ですみません」たちまち起こる爆笑の渦。怒っている人なんて誰もいない。 ああ、そうか。私もこんなふうに彼を支えればよかったのか。ずぶ濡(ぬ)れなのに幸せそうなふたりを見ながら、自分の愚かさに気づいた。雨に濡れるくらい、どうってことないのに。 彼が帰ったと同時に、雨が止んだ。園児たちが、いっせいに走り出す。喧騒(けんそう)の中、取り残された気分でしゃがみ込んだ。「ママ」と晴太が私の手を握った。「虹が出てるよ」見上げると、空いっぱいの虹が、地球をまるごと包んでいる。なんて優しくて、なんて美しい。ああ、そうだ。私、やっぱり間違っていない。自分で選んだ人生だもの。私は、世界一愛しい小さな晴れ男の手を、ぎゅっと握り返した。(作家)

人材の育成・発掘・登用:過去に学ぶ 《文京町便り》5

【コラム・原田博夫】岸田首相は、2021年9月の自民党総裁選からの「新しい資本主義」を、22年6月公表の骨太方針で重点分野は「人への投資」と具体化した。「人への投資」を抜本的に強化するため、3年間で4000億円規模だ。この金額が妥当・十分かどうかも問題だが、誰がこうした人材育成を担うのか。 社会的な行き詰まりを振り返ると、江戸時代末期が参考になる。幕藩・鎖国体制下の江戸時代の後期には、「読み書きそろばん」の修得を第一義とした藩校や寺子屋・道場などが全国に普及していた。一方で、蘭学などの実践的な学問も、長崎・出島や大阪・適塾などの限定された機関で教授されていた。 さらには、西南雄藩は武器調達のみならず、実用知識を目指して、自藩の若者を留学生として(幕府には秘密裏に)派遣していた。 こうした動きは全国に広がり、幕府も各藩もそれぞれの窮状を打破するために(日本全体での国難という認識よりも、自藩の立て直しが優先されていた気味があるが)、積極的に人材を登用し始めた。幕府が派遣した使節団を見てみよう。 津田梅子、福沢諭吉、渋沢栄一… 第1は、安政7年1月(1860年2月)の遣米使節団で、正使、副使、目付・小栗忠順など総数77名が米艦に乗船。軍艦咸臨丸(かんりんまる)に、軍艦奉行、船将・勝麟太郎(海舟)など91名が随行。年少の津田梅子は日本人初の女子留学生として、福沢諭吉も随員として参加。 第2は、文久遣欧使節団で、文久元年12月(1862年1月)、総数38名がヨーロッパに派遣された。日本人として初めて第2回ロンドン万博を見学し、随員には福沢諭吉や福地源一郎もいた。 第3が、第2回文久遣欧使節団で、文久3年12月(1864年2月)、総勢34名がフランスに向かい、パリ協約の成果はあったが幕府は破棄している。 第4は、慶応3年1月(1867年2月)の訪欧使節団で、第2回パリ万博への正式参加を主目的に、将軍慶喜の弟昭武が名代だった。渋沢栄一、箕作麟祥、佐野常民などが同行していた。しかし、慶応3年10月14日(1867年11月9日)の大政奉還の報を1868年1月に受け取ることになった。 人材は登用すべきもの このほか、幕府最初の海外留学生11名(榎本武揚、赤松則良、津田真道、西周など)は、文久2年9月(1862年11月)、長崎からオランダに向かった。萩藩士・伊藤博文、井上馨など5名も、文久3年5月(1863年6月)、横浜から英国に密出国している。 こうしてみると、その後活躍した人物は、海外渡航という千載一遇のチャンスをリスクとみなさずチャレンジした随員や脱藩者などに多い。派遣した幕府や各藩では当初の主目的は果たせなかった(見返りは得られなかった)が、結果的には、その後(明治期)の日本にとっては不可欠になった。散在していた有為の人材を発掘・登用できたのである。 私の結論は、人材は育成されるものではなく、登用すべきものである。問題は、だれがどのように発掘するか、である。(専修大学名誉教授)

3次元集積に足場 TSMCジャパン研究開発センター、産総研つくばにクリーンルーム

半導体の受託製造で世界最大手のTSMC(本社・台湾 新竹市)の子会社、TSMCジャパンは24日、つくば市小野川の産業技術総合研究所つくばセンター内に建設していた3DIC(3次元集積回路)研究開発センターのクリーンルームの完成を発表し、同日オープニングイベントを開催した。 半導体を立体的に積み重ねて高性能化を目指す「3次元化」技術を研究する。TSMCとしては台湾以外に初めて開設する研究拠点となる。総事業費370億円の約半分に当たる約190億円を日本政府が支援する体制を組んでおり、2021年3月に3DIC研究開発センターを設立した。これまでに旭化成や信越化学工業など国内24社の半導体関連企業が参加している。 台湾本社から魏哲家(シーシー・ウェイ)最高経営責任者(CEO)がつくば入りし、萩生田光一経済産業相と会談した。式典に臨んだ萩生田経産相は「かつて世界を席巻した日本の半導体産業は凋落(ちょうらく)著しい。過去を反省して国際連携に可能性を見いだした。3Dパッケージの技術に日本の装置、材料メーカーの支援を得てイノベーションを起こしていきたい」とあいさつした。 式典には国会議員のほか、大井川和彦知事、五十嵐立青つくば市長、石村和彦産総研理事長らが出席。口々に期待を述べた。 高度なパッケージング技術の研究 3DIC研究開発センターは、産総研西事業所のTIA共用施設に向かい合う形で建設された。2階建て施設の2階がクリーンルーム。建設規模などは明らかにされていないが、産総研によれば1800平方メートルの広さがある。研究者・従業員数の詳細も伏せられたが、台湾からの派遣と日本国内からの採用がほぼ半数になるという。 材料科学における次世代の3次元集積化技術や高度なパッケージング技術の研究を推進する。これらにより、コンピューティング性能の向上や多機能化を実現するシステムレベルの革新が実現され、従来のトランジスタサイズの縮小に加え、半導体技術を前進させる新たな道が開かれる。 江本裕センター長によれば、半導体の性能を高めるため、ナノスケールの微細な加工によって密度を高める従来の手法では、物理的な限界が近づいているそう。発熱や静電容量の問題もあり、異種プロセスで製造した複数の半導体チップを混載し、縦方向(3次元)に集積する手法に注目が集まっているという。 この際、「日本には、世界の半導体サプライチェーンにおいて重要な機能性材料や主要技術を保有する企業が数多くあり、共にスケール(規模)を大きくしていくことで、半導体プロセスの革新に取り組んでいく」(江本センター長)としている。 同センターが技術開発に注力するのはウェハーからチップを切り出して製品化する「後工程」の部分となり、「前工程」技術に取り組んでいる産総研と共同研究の体制をとる。産総研から研究者が直接、同センターに所属して研究に加わることはないそうだ。(相澤冬樹)

7月2日から説明会とアンケート つくばの洞峰公園パークPFIで県

つくば市二の宮にある県営の都市公園、洞峰公園(約20ヘクタール)に今年4月から、民間の資金やアイデアを活用するパークPFI(公園設置管理)制度が導入され、グランピング施設やバーベキュー(BBQ)施設の整備、南側駐車場の拡張などが計画されている問題で、県都市整備課は24日、説明会とアンケート調査を7月2日から実施すると発表した。 説明会は県が主催し、7月2日から31日まで計4回、つくば市内の3会場で開催する。県都市整備課と、パークPFI事業者の「洞峰わくわく創造グループ」(代表法人・長大)が、バークPFI事業の目的、事業内容のほか、今年3月のオープンハウス型説明会で出された意見や、市民団体から寄せられている要望書など、これまで寄せられたさまざまな意見に対し、県や事業者の考え方を説明するという。 説明会の定員は会場ごとにそれぞれ100人~400人。説明資料は7月1日までに県都市整備課のホームページに掲載するという。 併せて、7月2日から8月31日までの2カ月間、アンケート調査を実施する。アンケート用紙は説明会会場でも配布し、会場でも回答を受け付けるほか、県ホームページ(HP)に掲載し、HPで回答を受け付ける。県都市整備課はアンケートの内容について「計画をより良くするためのアンケートになる」などとしている。 パークPFI事業による洞峰公園のリニューアル計画に対してはこれまで、地元の五十嵐立青つくば市長が、グランピング施設とBBQ施設について「周辺に対し臭いやアルコールなど懸念がある」などと表明している。 ほかに、公園周辺に住む住民らでつくる市民団体「地域参加型の洞峰公園整備計画を求める会」(木下潔代表)が、公園管理者と地域の利用者が話し合う「協議会」を設置するよう4000人を超える署名を添えて県などに提出している。同会はさらに南側駐車場を拡張するため伐採予定の約300本の樹林地に、準絶滅危惧種のキンラン、ギンランが確認されたなどとして、希少な動植物を保全するよう求めている。 ◆洞峰公園パークPFI事業説明会の日程は以下の通り。①7月2日(土)午後2~4時=つくば国際会議場Leo Esakiメーンホール(大ホール)、つくば市竹園2-20-3、定員400人②7月12日(火)午後7~9時=谷田部総合体育館、つくば市谷田部4711、定員100人③7月21日(木)午後7~9時=谷田部総合体育館、定員100人④7月31日(日)午後2~4時=洞峰公園体育館、つくば市二の宮2-20、定員100人※入場は先着順。受け付け開始は開会の1時間前。資料は県HPで公表し当日配布はしない。アンケ―トは説明会会場でも回収する。

「イナリヤツ」とよばれる谷津田 《宍塚の里山》90

【コラム・嶺田拓也】土浦市の宍塚大池の西側には約25アールの通称「イナリヤツ」とよばれる谷津田があります。谷津田とは斜面林(里山)に囲まれた盆地状の地形に展開している田んぼを指します。イナリヤツは5枚の田んぼから成る谷津田で、昭和初期から地元の青年会によって稲作が行われてきました。 戦後、青年会の人数が減ってからは、地元自治会により耕作されてきましたが、1954年からは宍塚大池の近隣に住むお1人の方によって、ほそぼそと耕作が続けられてきました。しかし高齢化などに伴い、2001年以降徐々に休耕する田んぼが増え、2008年にはすべての田んぼが放棄されるようになりました。 イナリヤツは耕作が放棄されたあとも、周辺の里山に降った雨が地下に浸透して谷津奥部や台地斜面の下部からしみ出すことで湿地状態を維持し、通称イナリヤツ湿地と呼ばれていました。この湿地には希少な湿生植物も見られたことから、宍塚の自然と歴史の会では茨城県自然博物館などと共同して、2012年から定期的に湿地内の植生を調査しています。 これまでのところ、湿地全体で150種以上の植物が確認され、マルバノサワトウガラシやミズニラなど、全国や茨城県で絶滅危惧種に指定されている希少な湿生植物10種の生育が確認されました。一方、外来種のセイタカアワダチソウやキショウブなどの定着も認められました。また、ヤナギ類やガマなどの大型で繁殖力も強い植物が繁茂し、何も手を加えないと小型の希少な湿生植物が生育しにくい環境に移行していくこともわかってきました。 絶滅危惧種などをモニタリング そこで、絶滅危惧種の保全を目的に湿地の維持管理作業も行っています。具体的には、数年おきに刈り払いを行ったり、トラクターなどで部分的に耕したりすることに加え、定期的にセイタカアワダチソウやキショウブなどの外来種の除去も実施しています。 ヤナギ類など大型の植物の掘り取りや除去は大変な作業を伴うため、CSR活動(企業の社会的な貢献活動)との連携や、学生サークルや里山体験実習プログラム生にも参加してもらい、多くの人数をかけて活動しています。近年では、降雨が少なく大池の水位低下などにより乾燥化が進んでしまう年や、逆に長雨が続き湿地全体が10センチ以上も冠水してしまう年など、湿地の環境も年々変動しています。 私たちの会では、今後もイナリヤツ湿地に見られる絶滅危惧種などのモニタリングを継続し、湿地環境の変化にも対応しながら、適宜必要な手を加え、この希少な湿地環境を後代に残すべく活動を続けていくつもりです。(宍塚の自然と歴史の会 会員)

ウクライナ避難学生50人受け入れへ 筑波大

447人が申請 筑波大学(つくば市天王台、永田恭介学長)は23日の定例会見で、ウクライナからの避難学生を50人程度受け入れると発表した。国立大学としては全国で最大規模の受け入れになるという。第1期として20人を選考し、7月中旬以降、来日する予定だ。 ロシアの侵攻により、学ぶ場や研究する場を失ったウクライナの学生や大学院生、卒業生などを対象に、4月中旬から、筑波大のホームページなどで募集した。6月22日までに計447人の申請があったという。 第1期として、5月6日までに申請者があった83人を対象にオンライン面接などを実施し、勉強したい内容が筑波大が実施する授業や研究と一致するかや、英語や日本語の語学力があるかなどを選考し、20人の受け入れを決めた。 20人はウクライナの11の大学の学生で、現在、ウクライナ国内のほか、国外に避難している学生もいるという。 筑波大では受け入れ学生に、渡航費用上限15万円を支給するほか、学生宿舎を無償貸与し、月額5万円の生活費を支援する。入学金や授業料は免除し、日本語学習プログラムを提供したり、心のケアなどカウンセリングも実施する。 受け入れ期間は来年3月末までだが、ウクライナの情勢によっては延長も検討している。 ただし特別聴講学生として受け入れるため、筑波大での学位の取得は難しいという。 7月に来日する20人はこれからビザの取得手続きなどをする。ウクライナ政府は18歳から60歳の男性の出国を原則認めていないことから、太田圭副学長は、男子学生8人のうち出国できない学生もあるかもしれないとしている。 残り30人程度の受け入れについてもなるべく早く選考し、秋学期が始まる10月までには授業を受けられるようにしたいとしている。 筑波大には現在、ウクライナの留学生が5人在籍している。留学生には、避難学生を支援するスタッフとして協力を依頼したいとしている。 日本財団が実施している「ウクライナ避難民支援」に、渡航費や生活費の支援申請をするほか、学生宿舎がいっぱいになってしまった場合は、県やつくば市とも住まいの支援について連携したいとしている。さらに避難学生支援のための基金を設置し、学内、学外から寄付を募りたいとしている。(鈴木宏子)

ビデオ通話で遠隔手話サービス開始 つくば市 障害者らの声で実現

つくば市が今年5月、聴覚障害者等を対象に、タブレット端末などのビデオ通話を利用した遠隔手話サービスを開始した。自宅や外出先で、聴覚障害者と聞こえる人が同じ場にいるときに、市役所本庁舎にいる手話通訳者にビデオ通話をつなぎ、通訳を受けることができる。 1回15分以内と時間制限はあるが、事前予約は不要だ。市内在住で意思疎通に手話を使用する聴覚障害者が対象。 障害者と家族、支援者などからなる市民団体「障害×提案=もうちょい住みよいつくばの会」(斉藤新吾さん主宰)が2020年の市長選と市議選の立候補者に、公開質問状の形で提案していた。昨年10月にはつくば市聾(ろう)者協会から要望書も出されていた。 窓口センターで手続き済むように 市聾者協会の事務局長で、「住みよいつくばの会」のメンバーでもある有田幸子さん(60)は聴覚障害があり、日常的なコミュニケーションは手話で行う。 市役所本庁舎には手話通訳者が配置されているが、市内6カ所の各窓口センターには配置されていない。各窓口センターでは筆談で対応してもらえるが、得られる情報量は手話通訳よりも少なくなってしまう。詳しい説明を受けながら各種申請をするためには、本庁舎に行くのが当たり前だと有田さんは思っていた。 しかし、数年前、その状況を「住みよいつくばの会」の仲間に話したところ、「わざわざ本庁舎に行かずに、電話できないの?」と言われ、当時、全国で遠隔手話サービスを導入する自治体が増えていたのを思い出し、選挙時に提案することになった。 2020年の選挙後、市議会でも遠隔手話サービスの導入について一般質問が複数回されたが、当時、福祉部長の答弁は「2021年から国が実施する電話リレーサービスの周知に努める」ことに終始した。しかし、電話リレーサービスは聴覚障害者と聞こえる人が離れた場所から電話するときに、オペレーターが手話・文字と音声を通訳するものであり、聴覚障害者と聞こえる人が同じ場にいるときには利用できない。 議会を傍聴し、遠隔手話サービスと電話リレーサービスの違いが理解されていないと感じた有田さんは、聾者協会として定期的に複数の議員と面会する際に、遠隔手話通訳の必要性を説明し、理解を得ていった。 何気ないやり取りも楽しみたい 窓口センターにも新たにタブレット端末が設置され、事前登録せずに、ビデオ通話で本庁舎の手話通訳者から通訳を受けながら各種申請が可能になった。それ以外の場所で聴覚障害者本人のスマートフォンやタブレット端末から手話通訳を受ける場合は事前に登録が必要。市障害者地域支援室によると、6月10日時点で、利用登録したのが7人、実際の利用はまだないという。 「今後、自宅での急な来客時や、お店で商品の説明を聞いたり、値引きの交渉をする時に利用したい。筆談でのコミュニケーションではどうしても用件のみになってしまい、『お元気ですか』などの何気ない会話は難しい。生活するために必要なコミュニケーションを手話でとりつつ、筆談では省略されてしまう何気ないやり取りも楽しみたい」と有田さんは期待する。(川端舞) ◆「住みよいつくばの会」は、オンライン報告会「市民の提案で市政が動いた!『障害×提案=もうちょい住みよいつくばの会』中間報告会2022」を29日(水)午前10時から正午まで開催する。遠隔手話サービスのほか、20年の選挙時に提案し、今年度の新規事業としてスタートした「重度障害者ICカード乗車券運賃助成制度」と「重度障害者等就労支援特別事業」について、市民の提案からどのように市政が動いたのか、広く市民と共有する。参加申し込みは27日まで。申込方法はこちら。

ガラガラ、ごめんください 昔の日本の訪問作法《遊民通信》43

【コラム・田口哲郎】 前略 先日の夕方、再びつくばセンター地区のソトカフェを歩いていたら、鳥の鳴き声が広場全体に響き渡っていました。大きな音量で、絶え間なく鳴いているので、なんだろうと思ったら、街路樹にスピーカーがつけられていて、そこから流れている録音された鳥の声でした。最近、街路樹にムクドリの大群が押し寄せて、騒音や糞(ふん)害をもたらして問題化しているので、その対応でしょう。 ムクドリの天敵であるワシやフクロウの鳴き声を流して、ムクドリが木に集まらないようにしているのですね。その効果なのか、わたしが歩いたとき、ムクドリは来ていないようでした。都会にある自然を感じさせますね。人間の生活圏にムクドリがやってくる。動物との共生は理想だけれども、それがゆき過ぎるとご遠慮いただく。せっかくの訪問なのですが、なんとも心苦しいなあと思います。 ところで、昔の映画やドラマを見ていて気になることがあります。かつて日本の家では玄関に鍵をかけなかったのではないでしょうか。現在はオートロック、玄関のインターフォンという二重のロックまであるところがあります。ピンポーン、「どなたですか?」、「誰々です」、「どうぞ」です。 けれども昔は、扉をガラガラ開けてから、「ごめんください」です。ご近所に親類や顔馴染(なじ)みが住んでいたので、治安がよく、まず扉を開けるという訪問方法が許されていたのです。今はお隣さんの氏名さえ知らないということも珍しくないので、ロック解除して放っておくわけにはいきませんよね。 個人主義の台頭と地域共同体の衰退 1970年代から個人主義が強まって、イエ制度や地域共同体は衰退しました。旧来のイエ、ムラ制度から個人が解放されることは良いことなのですが、それゆえにわずらわしいながら、気心の知れた人たちとのささやかな交流は無くなりました。大した用はないけれど、ふらっとご近所に立ち寄り、ガラガラ、ごめんください、あらいらっしゃい、お茶でもあがってって…。そんなコミュニティが現実生活にも確かにありました。 さらに小津安二郎の映画を見ていて思ったのは、セリフのほとんどが「挨拶(あいさつ)」なのです。現在も交わす、おはようございますから始まって、おやすみなさいに至る一連の挨拶です。それが、昔は家族も多かったし、親戚が同居したり近くにいたし、ご近所さんがやってくるので、今よりもかなり多い回数交わされる。 人間同士のコミュニケーションの結構な部分が、実はこうした決まりきった、なんてことはない会話でできているのではないかとふと思いました。深い話なんてあまりしなくて、いいお天気ですね、お加減いかがですか、そんなやりとりから、雨が続きますね、おじいちゃんが昨日から風邪でね、とかそんな話になり、自然にお互いに助け合うようになる。 そうなると、今のようなみんなが孤独な状態はなくなるような気がします。ごきげんよう。 草々(散歩好きの文明批評家)

中嶌日本画学院生徒の「游美会展」開幕 つくば市民ギャラリー

つくば市在住の日本画家、中嶌虎威(なかじま・とらたけ)さんが主宰する日本画教室「中嶌日本画学院」(つくば市小野崎)の「游美会日本画展」が21日、つくば市民ギャラリー(同市吾妻)で始まった。40代から80代の生徒27人の作品27点と中嶌さんの作品「月明山王岩」、ほかに色紙の作品28点を展示している。今年で29回目となる。 中嶌さんは1967年東京芸術大学日本画科を卒業。つくば市で34年間絵の指導をしており、毎年銀座の画廊宮坂で個展を開催している。「岩絵の具の色彩と線が日本画の特徴。岩絵の具の色を損なわないように澄んだ色を出す技術を教えている。昔ながらの伝統的な日本画が日本人の体質に合っているのでは。西洋と東洋では宇宙観の違いがある。日本人の民族性、風土、自然の表現を大切にしたい」と話す。 ブーゲンビリアやハイビスカスなどの植物を組み合わせた30号の作品「南国の花」を描いた斎藤道子さんは、40歳ごろから日本画を始め、28年ほど続けている。「先生が厳しく、後ろに来るとドキドキする。うん、とうなずいてくれるとやっとできたかなと思う。(日本画は)生活の中の生きがい。一人でやっていると続かないが、みなさんの作品を見たり、指導を受けたりして勉強になっている」と話す。 友人の作品を見に土浦市から訪れた中川京子さんは「毎年来ている。どれもすばらしい。自分は絵手紙を描いたことがあるくらいで絵は描かないが、作品を見るのが好き」と、一つ一つの作品に足を止めて見入っていた。 土浦市の藤田勝治さんはつくば市の町田保さんと一緒に会場を訪れた。藤田さんは油絵の風景画を、町田さんは水彩画を描いている。町田さんは「日本画だけれども洋画のような描き方もありおもしろい。高尚なイメージから親しみやすくなってきたような気がする。繊細で上品なのが日本画の良さ。いつまでも残してほしい」と話した。(田中めぐみ) ◆「第29回游美会日本画展」は6月21日(火)~26日(日)まで。開館時間は午前10時~午後5時(最終日は午後3時まで)。入場無料。

ヨーロッパ由来の市民農園 《菜園の輪》5

【コラム・古家晴美】民俗学で注目されているのが、日本の農村や都市で利用されてきた自家用野菜を栽培する畑、すなわち「前栽畑(せんざいばたけ)」と、主に非農家の方々が携わってきた「市民農園」の共通点である。歴史を振り返ると、「前栽畑」が在来のものであるのに対し、「市民農園」は20世紀前半のクラインガルテン(農地賃借制度)などヨーロッパ由来のものだ。 が、これらの自家用の小規模「農」は、少量多品種、無農薬・有機栽培への志向など、自宅で「食べる」ということを前提としており、均一化(質・出荷時)・大規模化・単作化を志向している経済活動主体の「農業」とは異なる。 今回は、つくば市内の市民農園で野菜栽培をされている中本暁子さんご一家の「梅雨編」だ。お勤めの暁子さんに代わり、この時期、ご両親が晴れ間を見計らって畑仕事に精を出す。雨天が続くと、1週間に1回ぐらいしか来られず、雑草が生い茂ってしまうときもある。副業としての小規模「農」では普通かもしれない。 市民農園で30平方メートルという、限られたスペースをいかに活用するかを共に考えることは、家族の楽しみの一つだ。現在、2畝(うね)あるじゃがいもを、今日収穫したあとは、地這えのカボチャとズッキーニがつるを伸ばすことができるようにと、あらかじめ畝(うね)の間に植えておいた。 ジャガイモ、近くの三月豆(絹さや)も、今日、取り除く予定だ。弘之さんが、処分する豆とともに、枯れた小枝の塊を片手に持っていた。自宅近くの藪(やぶ)から取ってきた篠竹(しのだけ)だ。三月豆の霜よけと、ツルを這わせるために挿し立てておいたのだ。 農家だった親御さんがそのようにしていたのを思い出して、それにならった。「市民農園」自体は外来のものだが、日本の民俗的知識・技術が息づいている。 「食」と「命」に触れ合う ナバナやほうれん草があったところには、すでにピーマンとナスを3本ずつ植え、実が付き始めている。きゅうりは2本だ。それ以上植えると、食べきれなくなってしまうからだ。このように、食べる量から逆算して、植え付けするのも自家用野菜畑の特徴といえる。 そして今日の一大イベントは、ジャガイモ掘り。弘之さんが牛糞(ふん)と豚糞を投入し、栄養分豊かになった土から、容太郎くんは葉付きジャガイモもを次から次へと掘り上げ、満面の笑みを浮かべている。容太郎くんの好物であるスイカは、弘之さんが受粉して大切に育てている。また、暁子さんが蒔(ま)いたポピーは、鮮やかなオレンジ色の花を咲かせている。 野菜ばかりでなく、花やハーブ、家族の好物など、市民農園で「食」と「命」に触れ合う楽しみのときは尽きない。(筑波学院大学教授)

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