グランプリは「KA.TA.MI.」 つくば短編映画祭
【池田充雄】つくばからの文化発信と次世代の才能発掘を目指したムービーフェスティバル「つくばショートムービーコンペティション2021」(つくば市、筑波学院大など主催)の審査結果が2月27日発表された。10分以内の短編映像が対象となるグランプリには「KA.TA.MI.(カタミ)」(監督・脚本・編集/タイム涼介)が選ばれ、賞金10万円と副賞を獲得した。8回目となる今回は計148作品の応募があった。
受賞作の「KA.TA.MI.」は、新人女優が映画のオーディションに挑み、審査員の発する「言葉の銃弾」にさらされるが、大切な人たちからもらった「言葉の形見」に守られ、審査を乗り切るという話。互いに言葉の銃弾を撃ち合うシーンや、形見の品が銃弾を弾き返すシーンなどの、斬新な特殊撮影も見どころの一つだ。
制作者のタイム涼介さんは映像作家であると同時に「日直番長」「セブンティウイザン」などの作品で知られる漫画家でもある。今回の受賞については自身のツイッターで「中村義洋監督のコメントに感涙しました! コロナ禍においての私たちなりの作品作りをご理解いただきこんなにうれしいことはありません! ありがとうございました!」とコメントしている。
「コロナと正面きって向き合う」
審査員長の中村義洋さん(映画監督)は受賞作について「この作品の面白さは時間・空間を行き来するところ。コロナ禍になって窮屈な世の中だからこそ、そういう自由自在なものを、自分自身が見たかったんだなあと思った。このコンペティションでは毎年、やりたいことをやってほしいとずっと言ってきた。コロナはあるが、それとは別に自分のやりたいことがある。それで正解じゃないか。自分のこの1年の仕事を達観できるような感想を持てて、感謝したいくらい」と総評で述べた。
中村さんはまた、コロナ禍に振り回された一年であったことを振り返り、「この状況でコロナを描くかどうかは誰しも悩むところ。僕自身も、描くならどう描くか、またはコロナ下であることを無視するのか、これまで温めていた企画はコロナの設定なしに通用するのか、コロナと正面きって向き合って描いたものを見たい人がいるのかなど、いろんなことを日々考えた。それは応募する方々も一緒ではないかと思い、心して作品を見た。本当に切実なものがいっぱいあり、若い人がちゃんとコロナに向き合って生活していることが分かって心が打たれた」とも語っている。
審査結果は以下の通り(敬称略)。【自由部門】▽グランプリ「KA.TA.MI.」タイム涼介▽つくば市長特別賞「くしゃみ」高島優毅▽ウィットスタジオアニメーション賞「マリー」鈴木絢子▽佳作賞「BEFORE/AFTER」GAZEBO、「した ためる」菱沼康介、「SYNCHRO」張時偉▽市民審査員賞「BEFORE/AFTER」GAZEBO
【3分以内のショートショート部門】▽筑波学院大学長賞「リコリス」テンクウ▽佳作賞「MELVAS」比留間未桜
【全天周映像部門】▽つくばエキスポセンター賞「Season」高野真衣
【つくば部門】▽佳作賞 「今日のお散歩」地球レーベルひとでちゃん
ノミネート作品のオンライン上映(youtube)は3月7日まで、こちらのサイトで見ることができる。
https://www.youtube.com/watch?v=0Ek5cQAj3jc&feature=youtu.be
【震災10年】1 つくばで100年の歴史をつなぐ 原田功二さん
東日本大震災から10年を迎える。福島原発事故から避難し、つくば、土浦で生活を再建しようとしている6人に話を聞いた。
【柴田大輔】「浪江に住み続けたい」と誰もがそう思える街をつくりたかった。震災は、原田功二さん(44)らが未来を見据えた街づくりの最中に起きた。
つくば市学園の森の新興住宅地に、元・浪江町商工会青年部長の原田さんは眼鏡店「グラン・グラス」を2018年にオープンさせた。真新しい店内だ。
地域おこしのさなかに起きた
「私は浪江の人に育てられたんです」
千葉県柏市出身の原田さんは、結婚を機に福島県浪江町に移住した。妻・葉子さん(44)の実家は浪江で3代続く「原田時計店」。1925年に開業し、時計や眼鏡、貴金属などを扱う地域に根ざした老舗の商店だ。原田さんは千葉県の大学を卒業後、当時交際していた葉子さんの実家の家業を継ぐため、専門学校で認定眼鏡士の資格を取り、眼鏡部門を担当した。
葉子さんは2人姉妹の長女。将来は福島に行くのかなという思いはあったし、浪江ののんびりした雰囲気も気に入っていた。
浪江では生活に慣れるまで時間がかかった。当初は友人もなく、新しい仕事に忙殺され「ほとんど引きこもり状態」だった。「人との距離が近く、横の繋がりが不可欠」な浪江の社会にも馴染めなかった。
「外で静かに飲もうとしても、必ず知り合いに会って話し掛けられる。それが苦手でした。でも、その距離感が心地よくなっていきました」
誰もが見知る地域だからこその信頼感、互いを気遣う「持ちつ持たれつ」の暮らしに、原田さんは次第に「安心感」を覚えた。その後、地元消防団、商工会に入り、会合や祭りに積極的に参加した。
震災前の浪江は、日本中の地方同様、後継者不足に直面する事業者が少なくなかった。こうした中、若い世代が手を取り合い「子どもたちが住みたいと思える、いきいきした街づくり」に動き出していた。その輪に原田さんは積極的に参加し「よそ者」から浪江の一員になっていく。夜は仲間と飲みつつ街の将来を語り合い、地域おこしに取り組んだ。震災は、そんな充実した日々の中で起きた。
故郷の味が仲間をつなぎとめた
その日、店で卸業者の応対をしていると、突然揺れた。店の窓が割れ、ものが散乱した。直後に流れた津波警報。原田さんは家族と高台に避難し車で夜を明かす。翌朝、片付けのため店に戻ると、今度は原発事故による避難指示。落ち着く間もなく店を出た。
隣町の親戚宅に滞在中、福島第1原発1号機が爆発し浪江に戻れなくなった。その後、避難所や親戚宅など、つくばにたどり着くまで県内外5カ所を移動した。
原田さんが浪江商工会青年部長に就任したのは、震災直後の4月。前年に決まっていたことだった。東京の都営住宅に移ったばかりで自身も混乱の中にいた。原田さんはこう考えた。
「『よそ者』の自分は、浪江が故郷の仲間に比べ気持ちに余裕がある。自分だからできることがある」
震災前に購入したスマートフォンで避難者に有益な情報を収集し発信、仲間の安否確認をした。さらに原田さんは青年部の仲間と、名物「浪江焼きそば」を各地に散らばる避難所で振る舞い、被災者の「心の復興」に取り組んだ。避難所で焼きそばを作ると、故郷の味に浪江の人たちが涙を流したのがきっかけだった。活動はバラバラになった仲間をつなぎ止めるためでもあった。浪江の暮らしは地域のつながりがあってこそ。そこから2年、仲間と各地のイベントで焼きそばを作り、メディアでの情報発信に力を注ぐ。
そのころ浪江町民の中で、町外に住民がまとまり暮らせる「代替地」の用意を町長に求める声が上がった。だが、将来的に町への帰還を考える町長と思いは一致しなかった。
「帰るのは無理だと思い始めました。40歳を超え、新しい土地で何かを始めるなら体力のあるうちに動きたかった。県外も考えたいと社長である義父に相談すると、承諾してくれました」
福島での事業再開を望んでいた義父が、原田さんの希望を受け入れた。
愛された浪江の店がお手本
浪江の知人につくばを紹介された。
「つくばは開発中のこれからの街。一目ぼれでした。郊外に広がる山と田畑が浪江に似ていました。ここでやろうと覚悟を決めました」
消防や青年部の仲間に思いを伝えると、励ましの言葉が返ってきた。
新しいお店は「1歳からお年寄りまで来られる眼鏡店」がコンセプト。時間をかけてお客さんの声を聞き、その人にとって最適な眼鏡を決めていく。お客さんがゆっくり過ごせるよう、子どもが遊べるスペースも用意した。住民に愛された浪江の店がお手本だ。店内にある柱時計と壁時計は浪江の店から運び込んだ。「原田時計店」の原点を引き継ぐ。義父は現在、福島県二本松市に同名の店舗を構える。つくばはその支店にあたる。
「私にとって故郷は『人』です。生まれ育った柏でも、浪江でも、私は人に育てられました。特に浪江では、社会人としてたくさんのことを教えられました。つくばでは、地域の方と一緒に育っていけたらと思っています」
原田さんは現在、妻の葉子さん、8歳になる長男と暮らしている。
「息子は浪江焼きそばが好きなんです。まだ小さいので震災のことは話してません。でも、『これ、お父さんとお母さんが住んでたとこの食べものだよ』って伝えてます」
原田時計店は2025年に100周年を迎える。つくばの街で、人の縁と歴史をつないでいく。
《吾妻カガミ》101 つくば市長の名誉毀損提訴を笑う
【コラム・坂本栄】つくば市長の五十嵐さんが、期間を限って発行されたミニ無料新聞に市長としての名誉を傷付けられたと、その発行人を名誉毀損(きそん)で裁判所に訴えました。1期目の市政を批判されて面白くなかったのでしょうが、五十嵐さんには、関連する記事に対し自分の後援会紙などで反論する機会があったのに、言論に対し言論で対抗しないで司法の場に持ち込むとは…と、思わず笑いました。
言論による名誉毀損には言論で対抗すべき
五十嵐さんの訴えは、昨秋の市長選挙の前(6月~8月)、ミニ新聞の記事(計3号中の22箇所)によって、市長としての評価を傷付けられたから、その損害(130万円)を賠償せよという内容です。訴えられたのは、元つくば市議で「つくば市民の声新聞」発行人の亀山大二郎さん。提訴の概要や亀山さんのコメントは、本サイトの記事(2月17日掲載)をご覧ください。
この無料紙第1号については、本コラム「紙爆弾戦開始 つくば市長選」(昨年7月20日掲載)でも取り上げ、「五十嵐市長の2大失政(運動公園問題の後処理の不手際、つくば駅前ビル再生計画の失敗)などのリポートを掲載、現市長にマイナス点を付けました」と紹介しました。「権力の監視」を編集方針の柱の一つに掲げる本サイトとしても、シンパシー(共感)を覚えたからです。
提訴の話が耳に入ったとき、知り合いの弁護士に名誉毀損のポイントを解説してもらいました。彼によると、「言論による名誉毀損にはまず言論で対抗すべき」という法理論があるそうです。これには「相手に対し対等で反論が可能であれば」との前提が付くそうですが、五十嵐さんは、後援会紙、SNS、記者説明などで反論できたわけですから、発信力は対等どころか、ミニ新聞よりも優位にありました。
そこで、五十嵐さん後援会紙「Activity Report」7~10月発行分(計4号)をチェックしたところ、内容は市長1期目の自慢話ばかりで、「つくば市民の声新聞」への反論は見当たりませんでした。選挙運動中は反論せず、選挙が終わってから裁判所に駆け込むとは、市長=政治家らしくない行動です。
公約は「返還」でなく「返還交渉」だった?
名誉を毀損されたという記事は、先に引用した2大失政のほか、五十嵐市政下で市職員が増え人件費が拡大している(行政改革が不十分)、県からもらえるはずの補助金なしで給食センターを建てた(市が全部負担)、地元業者優先の不自然な発注が目立つ(入札制度への疑問)―などの内容で、とても勉強になりました。
訴状を読むと、五十嵐さんは記事の表現を問題にしています。例えば運動公園問題については、ミニ新聞の記事では用地をURに返還すると公約したと書いているが、公約したのは「返還」でなく「返還交渉」だった、と。交渉がうまくいかなかったから返還できなかった、でも交渉はしたのだから公約は守った、だから記事は間違いであり名誉毀損に当たる―といった論理構成です。この理屈も笑えます。
逆に、笑って済まされない箇所もあります。「歪(ゆが)んだ情報により一旦結果(選挙結果)が生じれば、一時的とは言え地方自治体の体制を混乱に陥れることになりかねない重大な結果を招く…」とのくだりです。こういった表現の自由を封じるような論述は、どこかの非民主国の言論規制を想起させます。(経済ジャーナリスト)
ロボッツ、佐賀に連勝「シーズンベストの守備」
【池田充雄】男子プロバスケットボールB2リーグの茨城ロボッツは27、28日、つくば市竹園のつくばカピオアリーナで、西地区の佐賀バルーナーズと2連戦し、27日は101対93、28日は74対59で連勝した。茨城の現在の成績は29勝12敗、勝率7割7厘で東地区2位。レギュラーシーズンの残り試合数は19で、プレーオフ進出マジックは10。
2020-21 B2リーグ第43戦(28日、つくばカピオアリーナ)茨城 74-59 佐賀茨 城 |18|15|17|24|=74佐 賀 |14| 9|17|19|=59
前日は終盤まで激しい点の取り合いだったのに対し、この日は一転してロースコアのゲームとなった。要因は、互いに昨日の結果を受けて守備の改善を図ったこと。茨城は、相手のガードの選手によるドライブやピック&ロールに注意し、高いプレスで陣形を崩さず守りきることに成功。外からの攻撃に対しても隙を見せることなく「相手の得点源を抑え、シーズンベストの守備で結果を残せた」とリチャード・クレスマンヘッドコーチ(HC)は胸を張った。
ただし攻撃の場面では、前日の疲れもあり、相手の集中したゾーンディフェンスを攻めあぐねた。「昨日はコーナーからうまく攻めることができたが、今日は選手のつけ方を変えてきていた。外からのシュートも入らず、攻め方が単発になった」と、ポイントガードの福澤晃平。
それでも第1クオーター(Q)後半、相手のファウルによるフリースローで得点を重ねて4点のリードを作ると、第2Qには中と外のボールの出し入れで相手に隙を作らせ、リードを10点に広げることに成功。第3、第4Qもこのリードを保ったまま、盤石の勝利を挙げた。
特にマーク・トラソリーニは前半わずか2得点ながら、後半は19得点と爆発。リバウンドも13を取り、ダブルダブル(2項目で2ケタ成績)の活躍でMVPを獲得。4本中4本を決めた3点シュートでは「最近あまり入っていなかった」というが、1本決めてから調子をつかんだようで、思いきりの良いプレーが増えた。
「コミュニケーションをとってスイッチミスなどを防ぎ、チームとして守れた」と福澤。「守備でよく我慢し、佐賀というタレント豊富なチームを抑えることできた」と高橋祐二。クレスマンHCは「攻守とも高いレベルを保ち、攻撃で思うように行かないときも、守備で結果を残せるチームにしたい」と今後の展望を語った。
《食う寝る宇宙》80 火星探査「魔の7分間」
【コラム・玉置晋】ウチの大事な家族である犬の「べんぞうさん」の体調がすぐれません。この数年、検査で腎臓の数値が悪かったので、腎臓ケアの食事に変えていたら、今度は肝臓の調子が悪くなり、手製の食事に替えましたが食欲がなく、昨日も仕事のお休みをいただいて獣医さんに連れていきました。2008年に我が家にやってきたこのワンコ、人間でいえば70歳くらい。70歳だったら、まだまだバリバリ働いている人いっぱいいるぞ。どうか元気になってくれ。
こういう時に限って、仕事の締め切りやら、確定申告の準備やら、異様に忙しい。2月19日早朝に、たまった領収書と悪戦苦闘しながら、NASA(米航空宇宙局)のライブ中継をみていました。NASAジェット推進研究所の火星探査機「パーシビアランス」が火星への着陸を試みている真っ最中です。
これまで各国で試みられてきた火星探査の成功率は半分以下。火星周回への軌道投入、大気圏突入、軟着陸のためのパラシュートの展開―すべて難易度が高い。地球から火星までの距離は光(電波)の速さでも10分かかるので、探査機に事前にプログラムしておき、自己判断させなければならないのです。特に探査機の大気圏突入の時間は、「魔の7分間」として恐れられているそうです。
着陸成功にガッツポーズ
火星の大気圏突入時には、時速2万キロという高速移動しているために、ものすごい勢いで探査機前方の大気を圧しつぶします。圧しつぶされた大気の分子が激しくぶつかり合って、熱が発生します。火星の大気だと2000℃程度に加熱されるので、高温に耐えねばなりません。
そして、着陸点に向かう軌道を修正しつつ、適切なタイミングでパラシュートを開く。しばらく降下した後、「スカイクレーン」と呼ばれるロケット推進で噴射する装置につるされながら、ゆっくりと着陸していきます。この間7分間。NASAの運用室の緊張感がパソコン画面を通じて伝わってきました。着陸成功が報じられたときは、思わず僕もガッツポーズ。
なお、この火星探査機の開発や運用には日本人のエンジニアの方も関わっています。こういう活躍を見せていただくと、僕もがんばらなくちゃねと励みになります。まずは「べんぞうさん」を抱っこしながら、さっさと領収書の山を片付けないと。(宇宙天気防災研究者)
<3分宇宙天気>2月19日から太陽の「コロナホール」から流れ出した高速太陽風が地球周辺に吹いています。20日に太陽の「プロミネンス」から発生したガスの塊は、24日に地球をかすめて通過しました。この後、宇宙天気は穏やかになる見込みです。宇宙旅行の際は宇宙天気を見てからお出かけください!
自動運転からパーソナルモビリティーにつなぐ つくばスマートシティの実証実験
【山口和紀】つくば市が県、筑波大学、民間企業などと構成する「つくばスマートシティ協議会」は27日、自動運転車両とパーソナルモビリティーの実証実験を行った。自動運転の乗用車がみどり公園(同市学園の森)から筑波大学付属病院(同市天久保)まで走行した後、乗客は遠隔操作のパーソナルモビリティーに乗り換え、病院受付まで自動走行で移動するという内容だ。
実験に用いられた自動運転車両はトヨタ・ジャパンタクシー(JPN TAXI)を自動運転用に改造したもので、自動運転技術はシステム開発企業のTierⅣ(ティアフォー、愛知県名古屋市)の技術が用いられた。パーソナリモビリティーとして用いられたのはWHILL(ウィル、東京都品川区、杉江理社長)の電動車いすだ。
自動運転の実験では、万が一に備え運転手が搭乗していたものの、一切の運転操作を行わずコンピューターの自律走行のみで公道を走行した。実際に搭乗した五十嵐立青市長は「怖さは全く無かった。最大の難所が人間でも運転が難しい右折だと伺っていたが、全く心配が要らないレベルだった」と感想を話した。
パーソナルモビリティーは、病院内の移動やバス停から自宅までのラストワンマイルなどで用いられる一人乗りの乗り物のこと。今回の実験では、自動走行ではなく、遠隔操作で走った。実験の監修役を務める筑波大学、鈴木健嗣教授(システム情報系)は「将来的には、病院内で身体に不自由のある方や患者さんを自動運転で検査室や病室まで運ぶようなことを想定している。ボタンを押せば病院内どこでも連れて行ってくれるような形だ。技術的には現時点でも十分に可能と考えている」と話す。
「自動運転の交通手段とパーソナルモビリティーの連携こそが今回の実験のポイント」と五十嵐氏市長。体に不自由な人を想定した実証実験であるため、市長自身も介助を受けながら自動運転車からパーソナルモビリティーに移乗した。
「自動運転の技術そのものは既に一定程度の水準に達しており、実証実験も各地で進められている。しかし、今回の実験ではそこから一歩進める形で、交通弱者のニーズを解決するということを目指した。具体的には、自動運転とパーソナルモビリティーを組み合わせることで、高齢者や障害を持った人が通院をするというシーンを想定しての実験になった」という。
実証実験を行ったスマートシティ協議会は「つくばスマートシティ」の実現を目指し、産学官金が連携して事業を推進していくことを目的として2019年6月に設立された組織だ。大井川和彦知事とつくば市長が会長を務める。茨城県およびつくば市と、筑波大学や産総研などの研究機関、ドコモやカスミなどの企業、計39機関が会員として所属している。
五十嵐市長は「技術的には自動運転技術は十分に実用化のレベルに達していると思うが、法制度の整備などを待つ必要がある。自動運転などの技術を実際の仕組み、サービスとして具体化していくには『スマートシティ構想』に採択されることが大きな後押しになる」と語った。
《ひょうたんの眼》34 JOC森前会長の罪深い発言
【コラム・高橋恵一】JOCの前会長が不適切発言で引責辞任し、次期会長に女性が就いた。元々、首相時代から「失言」の目立つ森前会長だったのだが、今回は、重要ポストを追われ、どうやら院政を敷くのも困難な立場に立たされたようだ。
森前会長は、JOCの女性理事の割合を現在の20%から40%にしようとする目標に関して、評議員会の席で「女性の多い会議は、発言者が多くなり、時間がかかるので困る」という趣旨の発言をした。この発言に対して女性蔑視(べっし)、差別だとする批判が高まり、さらに、発言撤回と反省の記者会見で逆ギレし、当初は、政権や関係者の前会長擁護の動きもあったが、IOC会長の裏切り非難声明により、しぶしぶ辞任することになった。IOCも大スポンサーからの指摘で、変節しただけのようだが…。
この発言と「本音」について、国内でも様々な議論が起こったが、日本の男女格差、ジェンダーフリーのレベルが国際的にも最低位置にあることが、世界に広まってしまった。後任のJOC会長の選び方も、透明性確保が求められたが、今までの組織の流れを引き継ぎながら、世間体を繕うために、女性でオリパラ担当大臣の橋本聖子さんが就任した。これで、右往左往した世間も落ち着き、IOCも安心した。
しかし、日本のジェンダーフリー、民主主義のあり方については、何も進展しなかった。会議の発言者多いと、なぜ困るのか? 男性が場を「わきまえている」ということは、異論をはさむ者(男性)を、初めからメンバーに入れていないということだ。そういえば、首相の記者会見、国会での答弁拒否、政策決定の有識者会議等々、初めから結論ありきで、もともと議論を交わす考えがないということだ。
国会だけではあるまい。多くの、株主総会、諸団体の総会から、多くの地域社会の決め事まで、多様な意見を交わして高め合う機会が少なく、結果として、組織の高度化、成長を妨げている。
民主主義に基づく学者とメディアに期待
古来、日本では、権力者と異なる意見を主張することは、困難を伴った。殿様の言動を変えさせるために切腹、諌死(かんし)した逸話も少なくない。自分と異なる意見を聴くのが大嫌いな上司は数多くいる。それが、自分自身の利害や先入観に基づく場合は、強固である。その上司が国家のリーダーである場合、その拒否が、聞き入れない政策が、国民の生命や生活に重篤な影響を及ぼすことになろう。
先の悲惨な戦争が人権と民主主義の否定に端を発していたことは明らかであろう。現在の気候変動や感染症対策、格差拡大を増幅している経済対策も、日本学術会議への態度に見られるように、政権の科学的思考の薄弱さに裏打ちされている。
社会経済が疲弊して、一部の層だけが富と権力を占有し、庶民の不満が限界に近づくとき、巧妙にファッショ化が進行する。歴史の教訓である。本来、忖度(そんたく)などに陥らない、真に使命感を持った官僚が必要なのだが、国民を誤った方向から救えるのは、人権と民主主義に基づく学者とメディアであろう。(地図好きの土浦人)
ネコたちのいる風景 7日まで関由香さん(つくば)写真展
【池田充雄】つくば市在住の写真家、関由香さんの写真展「ねこうらら」が3月7日まで、筑西市丙のしもだて美術館で開かれている。約20年間のキャリアの集大成的な展示会で、関さんが特に気に入りの作品100点が並んでおり、「ネコを通して生まれるあたたかな風景が好き。厳しい状況の中で少しでも、うららかな時間を過ごしてもらえたら」と話す。
関さんは長野県出身、東京のブライダル写真の会社で腕を磨いた後、ネコ写真家として独立。2001年に沖縄の竹富・小浜・波照間などの島々を巡って撮った写真が、2003年の第4回新風舎・平間至写真賞優秀賞を受賞し、翌年の写真集「島のねこ」にまとめられた。以来、手掛けた作品は40冊以上。テレビCMで人気の「ふてニャン」の写真集もその一つだ。
「ふてニャンがすごいのは“待て”ができるところ。離れていても全然ポーズを崩さない。何百匹に一匹の逸材だそうです。顔がかわいいし、全体に存在感がある。性格も穏やかでいい子」と評価する。
ネコと一緒に撮影を楽しむのが関さんのスタイル。いっぱいほめてあげるとネコも分かってくれるそうだ。ネコの顔が見えるよう地面に寝そべって撮っていると、倒れているのかと心配され、よく声を掛けられるという。「ネコ好きな人には良くしてもらうことが多く、いつもいやされて帰ってきます」
「ほっこりした気持ちになって」
展覧会は、写真家としての出発点となった沖縄のネコから始まる。みやげもの屋のテーブルに“て”の字の形に寄り掛かって眠ってしまった子や、電信柱の裏側にしがみついて手だけを見せている子など、ゆったりとした島時間の中で伸び伸びと暮らすネコたちの姿が活写されている。
ラオス、カンボジア、ミャンマーなど、アジアのネコを集めたコーナーもある。台湾の寺で首にお札を付けて大切に飼われていたり、駄菓子屋の店先で立ちポーズを披露したりなど、人とネコとの多様なかかわりが異国情緒あふれる景色の中に浮かび上がる。
下町の商店街や喫茶店などの看板ネコもテーマの一つ。つくばや土浦でも探しているが室内飼いが多いのか、街中でネコを見かけることは少ないと嘆く。看板ネコのいる店をご存じの方は、ぜひ当記事のコメント欄へ情報を。
最近撮り始めたのが「ねこ助」のシリーズ。テーブルやいすなどに手をついたポーズを集めたもの。「マントを付けたお助けマンみたい」というのが命名の理由だそうだ。コロナ禍による自粛期間中、ネコのどういうところが好きなのかと振り返っていてたどり着いた。「ずっとネコに助けてもらってきた。見ているだけで幸せにしてくれる。皆さんにもほっこりした気持ちになっていただけたらうれしい」と呼び掛ける。
「関由香写真展 ねこうらら」の詳細はしもだて美術館へ。
《宍塚の里山》74 コガモとオオタカ
【コラム・及川ひろみ】今ごろの宍塚大池。ピッツ、ピッツと澄んだ声が鳴り渡っています。カモの中で最も小さなカモ、「コガモ」の雄の鳴き声です。ドバトより少し大きな、両手で包めるほどの小型のカモ。コガモと言っても子どものカモではありません。大池を歩いていると、「あの鳴いているのは何?」とよく聞かれます。その正体がカモと知ると、想定外だったのか、皆さん一様にびっくします。
コガモが盛んに鳴いているとき、しばしば雌への求愛行動(ディスプレー)が見られます。1羽のメスの周りに数羽の雄が、うろうろ、そわそわ。頭を振ったり、体をそらせたり、水面すれすれに首を伸ばして泳いだり、水しぶきを上げたり。時に、緑に輝く美しい羽根や、尾の近くの黄色い羽根を見せびらかし、雌に猛アピールするのが見られます。旅立ち前の真剣な儀式です。
大池では1984年から、野鳥の会の依頼を受け、毎年1月、カモの種類とその数を数えています。数え始めたころ、最も多かったのがコガモでした。しかし、次第にその数が減り、数年後にはマガモが多くなり、それが続きました。コガモが多かったころは、池の周りは松が多く、水面が陰影に富み、今のような明るい池ではありませんでした。
次第に明るい池になっていったこの変化が、コガモの減少に関係しているのではと言われていましたが、なんと、この冬はコガモが一番多く、いつにも増してコガモの澄んだ鳴き声が池に鳴り響いています。コガモが増えた理由はさっぱり分かりません。
3月になるとカモたちは北帰行
もうひとつ、この冬の特徴は、カモがなかなか大池にやって来なかったことです。毎年9月末から、コガモを皮切りに多くのカモがやって来て、冬を越します。ようやくカモがやって来て、数を増えたのは11月。コガモが多数やって来たのは11月末のこと。ずいぶん遅い集結でした。
カモの季節、毎年オオタカによるコガモの狩りが見られるのですが、なかなかコガモがやって来なかったことから、オオタカの出番も大分遅くなりました。オオタカとコガモ、密接な関係があるようです。この冬、大池では、オシドリ、オカヨシガモ、ヨシガモ、ヒドリガモ、マガモ、カルガモ、ハシビロガモ、オナガガモ、トモエガモ、コガモ、ホシハジロ、キンクロハジロが見られました。
3月になると、カモたちの北帰行が始まります。この時、旅の途中の大池に立ち寄るカモも多く、日ごろ見ることのない、珍しい種類のカモが見られることがあります。これからどんなカモに会えるか楽しみです。皆さまも、春間近な宍塚の大池にお運びください。(宍塚の自然と歴史の会 前会長)
時速6キロの一人乗りロボ つちうらMaaSに新顔
【山口和紀】自動運転の一人乗りロボ「ラクロ」が25日、新治公民館(土浦市藤沢)近くの公道に沿う歩道をかっ歩した。つちうらMaaS(マース)の実証実験の一つとして行われた。コンパクトな車体に、自律移動に必要なセンサーやデバイスを搭載したロボットで、最高速度は時速6キロ、ちょっと速足気味に走行する。バス停から自宅までのラストワンマイルを担う安全性の高いモビリティーとして活用が期待されている。
ラクロを開発するZMP社(東京都文京区、谷口恒社長)事業部長の龍健太郎さんは「ラクロは人間社会に溶け込むロボットとして開発された。状況に合わせて様々な感情を表現することができ、ただ人を運ぶだけの無機質なロボットではない」と語る。
「ラクロには喜怒哀楽それぞれに3段階の感情表現があり、計20パターンの表情がある。目の前に人がいるときには立ち止まり、サウンドと音でコミュニケーションをする」という。実証実験では状況に合わせて「通ります」「道を開けてください」などと発声していた。
将来的には、スマートフォンのアプリなどでラクロを自宅前などに呼び出し、バス停まで自動で乗客を乗せていくという使い方が想定されるという。実際に東京都中央区ではZMP社が、ラクロのシェアリングサービスを行っている。現在は、月に1万円でラクロ乗り放題のプランや10分で370円の時間制サービスなどがあるそうだ。アプリでは、目的地や日時を入力することで簡単に利用できるという。
大きさは長さ約119センチ、幅66センチ、背もたれの高さ109センチ。ラクロは法律上、歩道を走行するシニアカー(電動車いす)のサイズに準拠する。そのため、日本中どこの歩道であっても走行することができる。
搭載されたコンピューターが自律的に判断をする「自動運転」については、法整備が十分に追いついていない。龍さんは「自動運転で走行することには法律上何ら問題はないが、現在は警察庁などと協議を行いながら事業を進めている状況」と説明した。
ラクロには「頭」の部分に360度の距離を測るレーザー測定器、前方の状況を認識するカメラが搭載されている。客席側にはタブレット端末が装着してあり、目的地までの地図情報や、時間などが表示される。1人乗り専用で、最高速度は時速6キロ、隣の人と歩調を合わせて移動できる。ジョイスティックなどによる操作は一切必要なく、自律的に走行する。リモコンによるマニュアル走行も可能だ。目の前に障害物がある場合には、回避するか立ち止まり、障害物が無くなりしだい自動で走り出す。
実証実験でラクロに乗った男性(つくば市在住)は「思ったよりも速かった。乗り心地は快適で、なにより表情と声がかわいいと思った」と話していた。
