月曜日, 5月 6, 2024

江戸期から昭和のすごろくが集合 新年14日までつくばの古書店

【伊藤悦子】つくば市吾妻の古書店、ブックセンター・キャンパス(岡田富郎店主)で「双六(すごろく)のいろいろ」が開催されている。ショーケースに展示されているのは、江戸、明治、大正、昭和のすごろくの原本や複製合わせて23点。 すごろく(絵すごろく)は、複数のコマに区切られた紙の上を、さいころを振って出た目の数だけをコマ進めて、上がりを競う遊び。江戸時代の初期から出版されていたといわれている。 すごろくで時代がわかる 展示中の「東海道名所記新板道中双六」は、江戸時代のすごろくで、歌川豊国によって描かれた。日本橋を振り出しに、東海道の名所の絵が描かれたコマを進み、京都が上がりとなっている。 そのほか江戸時代のお伊勢参りの様子がわかる「新板伊勢参宮廻(まわり)双六」や、明治時代の子どもたちの勉強に使われていた「東京小学校教授双六」などが展示されている。 ブックセンター・キャンパスのスタッフは「今まで仕入れて集まってきたすごろくを、お正月のタイミングで皆さんに見ていただきたいと思った。時代ごとの流行りや世相もすごろくから読み取れるので楽しんでほしい」と話した。 すごろくはショーケースに入っているが、申し出れば外に出して間近で見ることもできる。「ショーケースに展示しきれなかったすごろくもあるので、見たいときは気軽に声をかけて」と呼びかけている。 ◇「双六のいろいろ」 2021年1月14日までブックセンター・キャンパス(つくば市吾妻3-10-12。営業時間は午前10時~午後4時。火曜日定休。電話:029-851-8100)

《県南の食生活》20 おせち料理あれこれ

【コラム・古家晴美】今年も残すところわずかとなったが、昨年末には想像だにしなかった「新しい生活様式」に振り回された1年だった。新型コロナウイルスの影響で、日々の生活ばかりか、冠婚葬祭や様々な行事なども中止を余儀なくされ、そのあり方自体が問い直されている。新型ワクチンが開発されたとしても、これまでの日常がそのまま回復されるのかと、漠然とした疑問を抱きつつ、年末を迎えようとしているのは、筆者だけであろうか。 昨年12月にはお雑煮についての記事を書かせていただいたので、今年はおせち料理について触れてみたい。正月用に予約注文を受ける、重箱に美しく詰められた色鮮やかなおせち料理のチラシを目にするようになって久しいが、そもそも重箱に詰めるということ自体が、それほど古くから行われてきたわけではない。元来は、歳神様(としがみさま)との共食(きょうしょく)を目的とした供えものであった。 三方に裏白やゆずり葉を敷いた上に、米・橙(ダイダイ)・搗栗(カチグリ)・串柿・昆布・伊勢エビ・野老・ホンダワラなどを積み、中央に松竹梅を飾った「食積(くいつみ)、関西では蓬莱(ほうらい)飾り」を作り、床の間に置き、家族以外に年始客にも振る舞った。その後、それは食べない飾り物となり、正月料理は膳に盛られた年迎えの膳(御節)と重詰めの組重(食積)へと移行した。 江戸時代後期の江戸では、『諸国風俗問状(しょこくふうぞくといじょう)』(1804~18)の「組重のこと」には、4段重ねの重箱に「数の子・田作り・たたきごぼう」の他に、焼き物・酢の物・煮物などが詰められているようすが記されている。現在のような重詰めのおせち料理の形に変化したのは、これ以降のことだ。 黒豆、数の子、ごまめの他に、口取りのきんとん、伊達巻、かまぼこ、塩鮭の焼き物、紅白なます、酢蓮、昆布巻き、煮しめ(八つ頭、ごぼう、人参、コンニャク)など、それぞれに言祝(ことほ)ぎのメッセージが込められてきた。 ステイホームの年末年始は? 全国的に共通する内容が多いおせち料理だが、県南地域の事例をいくつか挙げてみたい。昆布巻きの芯にする魚については、美浦村や牛久沼から行商で売りに来るフナや霞ケ浦のワカサギを使う(牛久市井岡、牛久市柏田)。 また、おせち料理とともに、大晦日に3カ日分のヌッペ、ヌッピ、ノッペ(けんちん汁と素材は同じだが、野菜はうす切りでなく賽=さい=の目に切り、油を使用しない)を大量に用意しておく(つくば市玉取・猿壁、龍ケ崎市、行方市麻生町)。 自家用のアズキで羊羹(ようかん)を作る(かすみがうら市宍倉、牛久市柏田、つくば市猿壁)。霞ケ浦湖岸では、蓮の煮物や酢の物などは、おせち料理に欠かせない(土浦市)。 Go Toトラベルに待ったがかかり、ステイホームの年末年始。おせち料理に新たな動きが現れるであろうか。(筑波学院大学教授)

つくば市の教員が感染 21日まで臨時休校

つくば市は22日、市立学校教員1人が21日、新型コロナウイルスに感染していることが分かったと発表した。 市教育局学び推進課によると、教員は18日に陽性が確認された生徒の濃厚接触者という。教員の症状や、ほかの濃厚接触者に感染者がいるかについては公表しないとしている。 学校は、濃厚接触者のPCR検査などのため、21日まで臨時休校となり、22日再開した。陽性者が確認されたクラスは引き続き学級閉鎖となり、そのまま、25日から冬休みとなる。

「調査する状況にない」TX県内延伸問題で知事 91年合意に言及

【山崎実】懸案のつくばエクスプレス(TX)県内延伸問題が県議会第4回定例会(15日閉会)で議論に上り、基本調査の見通しについてただされた大井川和彦知事は「現時点では、基本調査を実施する状況にはないものと考える」との見解を示した。ハードルが高く視界不良といえる。 大井川知事は、延伸の実現が、ポストコロナ時代にふさわしい新たな働き方や、質の高い暮らしが実現できる本県発展の起爆剤になることは認めつつも、「秋葉原から東京への延伸を除く路線の延長の場合は、請願者がその建設に係る費用の全額を負担する、との1991年(平成3)年当時の関係都県間での合意がある」と言明し、仮に全額を茨城県だけで負担するということになれば、事業費を支えるには財政力上、かなり厳しいものがあるとした。 TX県内延伸をめぐっては、前回2017年8月の知事選で橋本昌前知事と大井川和彦現知事が共に公約に掲げ、初当選した大井川知事は、同年12月に策定した「新しい茨城づくり政策ビジョン」に「TXの県内延伸に向け検討を進める」と明記した。 こうした動きを受けて翌18年5月、TXをつくば駅から茨城空港(小美玉市)まで延伸しようと、地元のつくば、土浦、かすみがうら、石岡、小美玉、鉾田、行方7市の市議会議長がTX茨城空港延伸議会期成同盟会を設立した。 その後、18年11月に策定された県総合計画「新しい茨城への挑戦」では、2050年頃の将来像として、TX延伸ルートの一つに〝茨城空港ルート〟が描かれた。 一方、同期成同盟会は設立から1年半後の19年9月、県総合計画に記載されたTXの延伸ルートについて、▽茨城空港への延伸を要望する▽県が主体となって国、関係機関連携による調査・研究の早期着手を要望するーを知事に要望していた。

《続・平熱日記》76 娘がいる東京の美容院に行った

【コラム・斉藤裕之】今日は次女のいる美容院に行く。次女の休みの日を使ってカミさんがカットしてもらいに行くというので、ノコノコついて行く。実はこれが2度目である。最初は今年の夏。長い間坊主頭でセルフカットしていたために、床屋というところへ行くのも10数年ぶりのことで、恐らく最初で最後だと思っていたのだが、再び訪れることとなった。 このにぎやかな街には思い出がある。故郷から受験のために出てきて、最初に滞在したのがこの街にある先輩のマンションで、次女のいる美容院はそのすぐ目と鼻の先だった。ゼロイチゼロイチ? 駅のそばにあるそのデパートを丸井と読むことを知り、快速や特別快速という電車があることも知った街だ。その後も何度かこの街には来ているが、10数年ぶりに訪れた街の変わりようは私をまごつかせた。 子供に頭を触られるという経験。この私でさえちょっとした幸福感を味わえる。いわんや、母親にしてみるとこれほどの孝行もないだろう。 まあ、私の方は座ったとたんにバリカンで刈り上げられて、それでも1000円カットよりはさすがに丁寧に切ってもらって、30分というところか。カミさんは髪を染めている。あと小1時間かかるというから、懐かしき街を散策することにした。夏に来たときは確かとても暑い日だったが、今日はダウンを着てちょうどいい。店はほとんど変わっているのだが、それでも角を曲がるたびに、少しずつ記憶のピースがはめ込まれていく。 「インチキアーティストカット!」 それからカミさんのカットも終わり、3人で昼飯を食べた。人気のカレー屋さんということで、遅い時間にもかかわらず混んでいた。「私にはサンタさんは来ないのかなあ?」と次女はカミさんに冬のコートをねだったようだ。 夕方に子供たちがアトリエに来るので、私は一足先に帰ることにした。茨城は実に平坦で高い建物もないと思っていたが、車窓から見える東京こそ地平線まで家並みが続く、平らな街であることに改めて驚いた。今日、「私はこの街が好き」と次女が言った言葉を思い出した。いろいろ大変だろうが、その一言で多分幸せに暮らしているのだろうと思った。 ところで、この髪型には名前があるのか? 次女曰く「インチキアーティストカット!」なるほど。髪型がインチキなのか、本人のせいか、それともアーティストそのものがインチキなのか。はたまたそのすべてか。 夕方には子供たちが来て、ボール紙と松ぼっくりでクリスマスリースを作った。お迎えのお母さんに「先生、素敵な頭ですね!」と社交辞令を言われた。冷たい風が刈り上げた後ろ頭を横切った。(画家)

つくば市のLIGHTzなど2社 ジェトロ事業に採択

【山崎実】日本貿易振興機構(ジェトロ)茨城は、海外サプライチェーン(供給連鎖)多元化支援事業に、県内からつくば市のAI企業、LIGHTz(ライツ、乙部信吾社長、つくば研究支援センター内)と、小美玉市のヨコハマモールドの2事業者を採択したと発表した。 この事業は、新型コロナ感染拡大に伴い、国内サプライチェーンの脆弱(ぜいじゃく)さが顕在化したことから、アジア地域における生産多元化などにより分断リスクを低減し、持続可能な供給体制を確立すると共に、日本とASEAN(東南アジア諸国連合)の経済産業協力関係を強化するのが目的。 具体的には、ASEANなどの地域で、海外生産拠点の多元化を図るため、設備導入補助、実証事業、事業実施可能性調査の3つの事業に係る経費の一部を補助する。公募により採択事業を決定した。 つくば市のLIGHTzは第2回公募に申請、64件から21件が採択された。タイで、ものづくりに関する熟達者思考AI(人工知能)を活用したサプライチェーン高度化の実施可能性調査を行う。小美玉市のヨコハマモールドは、第3回公募(設備導入補助型)採択30件の1つ。タイでタイヤ生産用金型の整備導入補助を受ける。 新型コロナのASEANサプライチェーン強靭(きょうじん)化プロジェクトに、県内事業者2社が採択されたことは、産業振興だけでなく、企業の海外進出活動の面からも期待されている。

お餅を詰まらせないために 筑波大医学生が26日に啓発イベント

【車谷郁実】お正月に向け、餅の誤飲による窒息事故を防ぐための啓発イベントが26日、カスミ筑波大学店 (つくば市天久保)で行われる。主催するのは筑波大学医学部5年の森陽愛子さんだ。イベントでは森さんが手作りのフリップや人形を用いて餅を詰まらせたときの対応方法などを伝える。その様子はカスミの公式フェイスブックや同大学店のツイッターなどでライブ配信される予定だ。 SNSを使ったカスミのライブ配信 森さんは昨年から心肺蘇生法を伝えるイベントを開催してきた。森さんとカスミが連携してイベントを行うのは6月のイベント(6月24日付)に続いて2回目になる。 今回は、コロナ禍における医療従事者の負担を少しでも減らしたいと企画した。きっかけは、実習先の病院で「医療従事者は常に大きな感染リスクに晒されている」と実感したことから。発熱のある患者は、感染リスクのために学生の森さんではなく、病院勤務の医療従事者たちが対応した。ある医師は「少しでも咳や鼻水が出ると患者さんに不安を与えてしまう。自分の体調管理も徹底しないといけない」と話した。 森さんは、医療従事者には気を緩める時間は一時もないと感じた。病気や事故の予防法を市民に伝え、病院にかからぬようすることで、医療従事者の負担を少しでも減らしたいと考えた。 そのころ読んだ大学の先輩が書いた論文で、一年で最も誤嚥(ごえん)による窒息死が多いのは元日であることを知った。多くの人がお餅を食べるためだ。その窒息予防について伝えたい、と前回のイベントで交流のあったカスミの担当者に開催を提案した。 同社は現在、月に2回ほど旬の食材の魅力や食育について、生産者や取引先とともにSNSを通してライブ配信している。イベント担当者である営業統括部人事コミュニケーションソーシャルシフトの高倉綾子さんによれば、森さんの提案はその情報発信の在り方を見直す契機にもなった。「どれだけ商品を販売できるかだけではなく、お客さんが購入したあと安全に食を楽しんでもらうことまで考えないといけないと気づかされた」と話す。 カスミのSNSを使ったライブ配信ではおよそ5000人の視聴者が集まる。森さんは「救急の観点だけで言えば『餅は食べないでほしい』と言わなければいけないところ。だけど、そうは言えないので、餅を安全に食べてもらえるよう窒息の予防法について多くの人に伝えたい」と意気込みを語った。 イベントは26日午後1時から。会場は筑波大学構内のカスミ筑波大学店(電話:029-850-5851)。ライブ配信は以下のアカウント。・カスミ公式Facebook「カスミFanページ」@kasumi.fanpage・カスミ公式Twitter「カスミ筑波大学店」@kasumi398ut

《吾妻カガミ》96 NEWSつくば 学園記者会に入会

【コラム・坂本栄】NEWSつくばの筑波研究学園記者会への入会がこのほど承認されました。同記者会はつくば市とその周辺地域をカバーする新聞・通信・テレビ・ラジオ記者の取材拠点ですが、ネットメディアが会員になるのは初めてです。地域ニュースを伝える本サイトの実績と役割が認められたと言えるわけで、メンバー各社の理解に感謝しております。 土浦記者会への入会手続きも開始 2017年10月にスタートした本サイトの編集方針は、コラム67(2019年11月4日掲載)でも触れましたように、「比較的若いまち 研究学園都市つくば市の諸相」「商業都市から観光都市に脱皮しつつある 歴史あるまち土浦市の諸相」を、地域ばかりでなく全国にも発信することです。この3年3カ月、地域のいろいろな話題のほか、税金で仕事をする行政の観察にも力を注いできました。 これまで記者クラブの「外」にいたかというと、そうではありません。記者会の会員であったFM放送「ラヂオつくば」の特約記者として、記者会が関わる会見などには出席、ラジオや本サイトで発信してきました。これからはNEWSつくば記者として活動することになります。 非営利のNPO法人NEWSつくばの執筆陣は、旧常陽新聞(1948~2017年)の記者経験者、元専門紙の記者や問題意識の高い市民記者、各分野で活躍してきた(今も活躍している)コラムニストで構成されています。地域紙出身者が記者会のルールに通じていることも、入会に際して考慮されたのだと思います。 学園記者会入りが認められたことから、現在は市長会見への「オブザーバー出席」だけが認められている土浦市政記者クラブへの入会手続きも開始しました。地域の各種情報ソースへの経路を広げ、本サイトの発信力を強めていく考えです。 記者クラブの対外開放では悪役に 記者クラブについては苦い思い出があります。通信社の証券部長時代(1990年代半ば)、ブルームバーグ、APダウジョーンズ、ロイターなどの米英メディアが東京証券取引所の記者クラブに入会したいと言ってきたとき、私は反対の旗を振りました。外国勢が上場会社の業績といった情報に日本勢と同条件でアクセスできるようになると、競争上まずいと判断したからです。 これに怒った米国勢は、「日本の記者クラブは閉鎖的だ」と、日米摩擦の一つに仕立てました。米政府の抗議を受けた日本政府は報道各社の説得に動き、記者クラブが外国勢にも開放されるようになり、今に至っています。金融証券情報を扱う内外メディアの激突を描いた『勝負の分かれ目』(下山進著、講談社、1999年)で、私は時代の流れ(記者クラブの対外開放)に抵抗する悪役として登場しました。 それから四半世紀。伝統メディアを主会員とする在京記者クラブでは、内外差別は解消されたものの、ネット系など新興メディアの扱いをめぐってはギクシャクがみられます。それに比べると、われわれのような弱小ネットの入会にOKを出した学園記者会は開放的です。25年前の私の振る舞いを反省しながら、以上、NEWSつくばの近況をお知らせしました。(NEWSつくば理事長)

土浦市などの自粛要請を21日から解除 知事「全国まれな成功事例」

県内での新型コロナウイルス感染拡大を受けた自粛要請について、大井川和彦知事は20日記者会見し、1週間延長していた土浦、つくばみらい、利根3市町に対する不要不急の外出自粛要請と営業時間短縮要請を21日から解除すると発表した。11月27日に出され最大12市町村に及んだ要請は3週間ですべて解除となる。 直近1週間(13~19日)の県内の状況について大井川知事は、新規感染者数144人(自粛要請直後の11月29日~12月5日は301人、12月6~12日は165人)、病床稼働率は44.3%(同55.3%、同51.3%)まで改善したとした。人口1万人当たりの直近1週間の新規感染者はつくば市は同1.18人、土浦市は同1.30人。 大井川知事は「全国で新規感染者数が過去最大値を更新し続けている中、対策を講じたタイミングと実行の徹底により、茨城県は新規感染者数の抑え込みに成功した。まれな成功事例」だと強調した。抑え込みができた最大の理由は「大規模な検査の徹底」だとし、政府の12月28日から1月11日までのGoToトラベル全国一斉停止について「全国一律で止めてしまうのではなく、(旅行の)直前にPCR検査をして陰性が分かった人はGoToを利用できるなど第3の道があり得た」などと話した。 飲食店などの営業時間短縮要請に対する協力金については、16日以降、国の協力金が4万円に加算されたため、土浦市など3市については16日から20日まで協力金を当初の2万円から4万円に引き上げるという。 一方、全国的には感染が拡大している状況にあることから、引き続き警戒を怠らないよう改めて呼び掛け、直近1週間の新規感染者数が人口10万人当たり15人を超える都道府県の帰省について注意を呼び掛けた。現時点で同15人を超えているのは北海道、埼玉、東京、神奈川、愛知、京都、大阪、兵庫、広島、高知の10都道府県。 つくばの医師のワイン会「配慮足りない」 一方、土浦市内で病院を開業する男性医師が11月中旬、つくば市内の自宅でワイン会を開き、37人が参加し、17人が感染した問題について大井川知事は「ちょうど土浦で感染が拡大し一斉検査を実施していた時期。医師の立場として配慮が足りなかったと思う」とコメントした。

《霞月楼コレクション》12 ツェッペリン伯号霞ケ浦飛来と熱烈歓迎

【池田充雄】1929(昭和4)年8月19日、風が止まったような夏の午後、土浦の町が突然薄暗くなり、見上げると巨大な銀色の葉巻のようなものが浮かんでいた。大空の巨鯨と形容されたドイツの飛行船LZ-127、愛称を「グラーフ(伯爵)ツェッペリン号」という。 ツェッペリン伯爵と後継者フーゴ・エッケナー博士は、1937年までに130機の飛行船を建造。軍事、旅客、航空郵便・貨物などに活用された。1928年に完成したLZ-127は全長236.6メートル、最大直径30.5メートルの偉容を誇り、マイバッハ社530馬力エンジン5基を搭載。燃料は重量軽減のため主にブラウガス(石油気化ガス)を用い、最高速度は128キロ。巡航速度の117キロでは1万2000キロの航続距離があった。 幹部乗員らを霞月楼に迎える エッケナー博士はこの最新機による世界一周飛行を計画。1929(昭和4)年8月7日深夜に米国東海岸レイクハーストを出発した飛行船は19日午後4時過ぎに土浦を通過し、東京の北東上空に姿を現した。 合図のサイレンが市内各所から鳴り響く中、千住、上野、日本橋、丸の内と進み、屋上という屋上、窓という窓には黒山の人だかりができたという。品川からは京浜方面へ向かい、横浜上空を一周して霞ケ浦海軍航空隊飛行場には午後6時過ぎに到着。トロッコを使って飛行場の格納庫へ収められた。 着陸後、エッケナー博士ほか幹部乗員11人は、自動車で霞月楼へ移動、霞ケ浦航空隊司令・枝原百合一少将主催の歓迎会に出席した。このときの献立表が残っている。 後にエッケナー博士が「ことに貝がよかった」と話したのはアワビのことか。当時は冷蔵技術が未発達で、土浦で海産物を仕入れるのは難しかった。だがこの日ばかりは海軍の接待とあって、銚子港から軍用船で運び込んだのだそうだ。 一方、下士官以下の乗員には飛行場で海軍伝統のカレーが振る舞われた。当時の土浦町右籾では糖度の高い良質なジャガイモが産出された。ドイツの人には故郷の味だろうと、ジャガイモ入りのカレーを作って喜ばれたという。これが現在の土浦ツェッペリンカレーや土浦カレーフェスティバルの起源となった。 飛行船に乗った少年の物語 ツェ伯号を一目見ようという群衆は引きも切らず、海軍航空隊周辺に詰めかけた。上野-土浦間には何本もの臨時列車が増発され、停泊期間中の合計来訪者数は30万人とも40万人とも言われる。土浦-阿見間を走る常南電車や乗合バスはフル回転で鈴なりの乗客を運んだ。 着陸の翌朝から見学が許され、格納庫に殺到した群衆は、10メートルほど開けられた扉の隙間から「空の怪物」の偉容を見上げた。このとき、LZ-127の内部見学を許された子どもが一人だけいた。後の霞月楼4代目会長、故・堀越恒二さんだ。 「私が満7歳で小学校二年生のとき、菊の間でツェッペリン伯号来日の歓迎会があった。夜9時ごろ、士官連中が25人ほど集まっていて覗きに行くと、出てきた顔見知りの副官に『坊主、ツェッペリン飛行船に乗りたいか?』と言われた。それで翌日、店の板前にリヤカーで連れて行ってもらった」 驚きの物語は、「飛行船に乗った少年/堀越恒二氏インタビュー」(2007年、土浦ツェッペリン倶楽部、土浦ツェッペリン協議会)に詳しい。漫画家うるの拓也さんによるコミック「ツェッペリンが舞い降りた日」にもなっている。 60年後の1989(平成元)年11月18日、ツェッペリン伯爵の孫イーザ・フォン・ブランデンシュタイン女史と、LZ-127の元乗員ら計5人が来日。土浦市役所や着陸地跡の陸上自衛隊霞ケ浦駐屯地を訪問後、霞月楼でもてなしを受けた。恒二会長がかつて同機に乗った話をしたところ、「坊主頭で半ズボンをはいた日本人の男の子の写真があった。複写して送ってあげる」と言われた。だがその後イーザさんは亡くなり、写真の所在も分からずじまいとなった。 2000年5月、市民有志が飛行船によるまちづくりを掲げ、霞月楼を事務局として「土浦ツェッペリン倶楽部」を結成。亀城プラザ(土浦市中央2丁目)にある1/20スケールのLZ-127模型を製作したほか、2005年には現代のドイツに蘇った「ツェッペリンNT号」を土浦に招致、翌年には子ども向けの体験飛行も実現させた。 同倶楽部は今もLZ-127飛来の歴史を貴重な地域資産として活用すべく、資料館「土浦ツェッペリン伯号展示館」(土浦市中央、土浦まちかど蔵「野村」文庫蔵)の運営などに当たっている。(シリーズ全12回おわり) 取材協力・参考資料 陸上自衛隊武器学校▽陸上自衛隊霞ケ浦駐屯地▽土浦市立博物館▽圓地與四松「空の驚異ツェッペリン」(1929年、先進社)▽廣岡幽峯「霞空十年史」(1931)▽大谷芳夫「グラーフ・ツェッペリン飛行船訪日資料」(1970年)▽「霞月楼百年」(1988年、霞月楼)▽図録「夢の空へ」(1990年、土浦市立博物館)▽柘植久慶「ツェッペリン飛行船」(1998年、中央公論社)▽天沼春樹「夢みる飛行船」(2000年、時事通信社)▽「阿見と予科練」(2002年、阿見町)▽「阿見原に来た飛行船ツェッペリン伯号」(2004年、阿見町教育委員会生涯学習課)▽「ようこそツェッペリンNT号」(2005年、飛行船ツェッペリン号再来歓迎実行委員会)▽うるのクリエイティブ事務所「ツェッペリンが舞い降りた日」(2010年、土浦ツェッペリン倶楽部)▽東京朝日新聞1929年8月19日~30日付▽東京朝日新聞・大阪朝日新聞・大阪毎日新聞1929年8月19日号外▽常陽新聞1989年11月19日付・2000年10月20日付▽Newsつくば2019年11月21日付▽土浦ツェッペリン倶楽部ウェブサイト シリーズ協賛 土浦ロータリークラブ 土浦中央ロータリークラブ

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