日曜日, 5月 5, 2024

宿泊割引支援、キャンプ場情報発信 県補正予算

【山崎実】県議会6月議会が8日から23日まで開かれる。公表された補正予算案によると、需要の冷え込みが著しい県内観光の回復、支援策として、旅館やホテルへの宿泊促進事業、家族連れにも人気の高いキャンプ場の情報発信などに乗り出す。 宿泊促進事業は、県内の旅館やホテルなどの事業者を対象に、旅行宿泊料金の割り引びを行った相当額分を支援する。 支援額は、宿泊料金(税込み)が1万円以上の場合は1人1泊当たり5000円、6000円以上1万円未満の場合は同3000円となる。 県は約2万人の利用を想定し、9900万円の予算を計上する。議会の承認が得られ次第、スタートさせる。 一方、キャンプ場については、県版キャンプ場のポータルサイトを立ち上げる。国内最大級のキャンプ場予約サイトとも連携し情報発信を強化する。民間を含め県内に100カ所以上あるキャンプ場への誘客対策を進める。 感染防止へ医療支援 6月議会に提案する補正予算総額は50億800万円。新型コロナウイルスにかかわる感染拡大防止と医療体制の整備では、地域外来・検査センターの拡大のほか、PCR検査機購入補助、医療機関の受け入れ病床確保に対する補助、防護服など医療用資機材の確保、軽症者・無症状者を受け入れる宿泊療養施設の借り上げなどを含め、30億8400万円を計上する。 県立高のオンライン環境整備 ほかに教育関係では、県立高校のオンライン学習用いるタブレット端末を整備、貸与するなど、通信環境、遠隔学習環境の整備事業などが盛り込まれている。

《邑から日本を見る》65 いいね、「黒川杯」検察庁前麻雀大会

【コラム・先﨑千尋】先月30日の夕方のテレビで、表題のニュースを見た。前東京高検検事長の黒川弘務氏が新聞記者と賭け麻雀をしていたことが「週刊文春」で報道され辞任したが、訓告処分を受けただけで辞職したことがことの発端。 ことのいきさつはこれまでに伝えられているので、簡単に。安倍首相が「余人をもって代えがたい」と惚れ込み、1月に法律をねじ曲げて同氏の定年延長を決めた。さらに、そのことを後付けで正当化しようとする検察庁法改正案が衆議院を通過する寸前に問題が発覚し、黒川氏は辞めざるを得なくなったということだ。 問題はそれにとどまらず、長い間新聞記者と賭け麻雀をしてきたのに、賭博罪にあたらないと懲戒処分を受けず、訓告にとどまったということだ。閣議ではこれらについてどのような議論があったのだろうか。 定年延長を認めていない検察庁法を、国家公務員法という別の法律を使って、時の政権の意向次第で変えてしまう。明らかに違法行為である。さらに、賭け麻雀は刑法の賭博罪にあたる。しかも黒川氏の場合は常習犯のようだ。過去に、自衛隊員が同じ行為をして懲戒処分にあっている。 人事院の懲戒処分指針では、「賭博をした職員は減給または戒告、常習的に賭博をした職員は停職」となっている。黒川氏は次期検事総長待ちで定年延長になった。それだけ高いポストにいたわけだ。潔白でいるべき人が、不要不急の外出を自粛すべきという緊急事態宣言下に、新聞記者の自宅マンションで賭け麻雀をしていた。 権力とメディアの「持ちつ持たれつ」の関係 法律はおろか憲法まで勝手に解釈を変えてしまう安倍首相だから、人事院の指針などくそ食らえなのだろうが、彼らに賭博罪を適用するかどうかは検察と裁判所が決めることだ。すでに、市民グループや弁護士から告発状が東京地検に出されているが、内閣は「テンピン」という黒川氏らのレートが賭博罪にはあたらないと判断している。 検察が起訴すれば、裁判所が改めて賭博罪の成否や量刑を判断するが、黒川氏が起訴されない、または無罪とされれば、刑法はザル法になる。賭け麻雀が合法化されるということだ。 第1回「黒川杯」の主催者らは、警察官によって検察庁前から日比谷公園に追い払われたが、そのねらいは、「黒川氏や記者らに対してきちんと捜査を行い、彼らのレートだと賭博罪で罪を問われるのか否かをはっきりさせろ」ということだと思われる。 今回のことでもう一つ問題にしたいのは、検察幹部とメディアのズブズブな関係があからさまにされたということだ。しかも、安倍政権の評価で対極にあると考えられていた朝日新聞と産経新聞の記者が仲間だということに驚いている。「朝日よ、お前もか」だ。 新聞などは書かない(書けないだろう)が、この「賭け麻雀事件」の根源は、日本特有の記者クラブ制度にあると考えている。記者クラブ制度は1890年に帝国議会が開かれた時からあるようだが、会員以外は記者会見場から締め出す排他性が指摘され、記者会見も慣れあいで進められる。同時に、この制度によって権力とメディアの緊張関係が失われ、「持ちつ持たれつ」の関係になる。この制度がなくならない限り、同じようなことが繰り返される。(元瓜連町長)

【赤青白のサギの群れ】㊤ 繁殖の地、土浦・桜川にアカガシラ1羽きり

【相澤冬樹】新緑から深緑に向かう今の季節は、鳥たちの動きが活発になる。サギ類が大規模なコロニー(営巣地)を作ることで知られる土浦・桜川の大曲付近には、1000羽を超す各種のサギが集まって巣を作り、子育てを始めた。これを待ちかねたように「鷺山(さぎやま)」と呼ばれる営巣地のわきの学園大橋には、側道に数人の愛鳥写真家が陣取って、超望遠レンズの放列を敷く。カメラがこぞって狙うのはアカガシラサギという希少種だ。 河川敷のコロニーには5種のサギが集まってくる。一般に白サギとくくられるが体躯の大きい順にダイサギ、チュウサギ、コサギの別があり、冬場は白一色だが夏羽になると頭から胸、背中にかけて橙色(亜麻色)となるアマサギもいる。さらに暗灰色の羽毛を背負うゴイサギが混じっている。 ダイサギ、コサギは留鳥だが、チュウサギとアマサギは渡り鳥で、暖かくなるとフィリピンなどの越冬地から日本に渡り、「お彼岸からお彼岸まで」の間、営巣地を作って子育てをする。今の時期だと求愛活動や抱卵の姿も見られ、にぎやかになっている。ふ化から巣立ちまで、ひと夏を過ごす。 研究者によれば、県内には15~20カ所のコロニーがあり、土浦・桜川の鷺山は最大級の規模といえるそうだ。子供が生まれると個体数は2000羽から3000羽になるという。 ここに集まってくる愛鳥写真家は毎日5、6人。ほぼ同じ顔触れ。足繁く通う土浦市の荒井知行さん(76)によると「アングルが絶好。鳥は樹上にいるものだけど、ここなら見下ろすように撮れるのがいい」と学園大橋の側道に陣取る。 荒井さんが狙うのは、6種めのアカガシラサギ。全長50センチ弱の小型のサギ。特徴的な頭から首にかけての赤褐色の色彩が名前の由来になっている。絶滅危惧種に指定されている鳥ではないが、全国的にも希少種で、荒井さんは4年ほど前から撮影に来ている。写真仲間によれば7、8年前から見られるようになったという。 ところが、なぜかこのサギの飛来は毎年1羽だけ。繁殖のための営巣地なのに番(つが)う相手がいないのだ。雌雄同色なので、姿形からオスメスの判定が付かないが、「本能なのでしょうかね。他のサギの子供にエサを与えているのを見たことがある」と荒井さん。 アカガシラサギは小型種のうえ普段はやぶの奥に隠れるように生活しているから、粘らないとなかなか撮れない。荒井さんは今季の飛来を確認し、5月末に撮影に成功。早速自身のインスタグラムやフェイスブックにアップした。 赤褐色の頭部の羽毛と背側の紫褐色の羽のコントラストが目を引く。夏羽といわれる季節特有の羽毛で、婚姻色とみられる。お色直しして恋の相手を待ち続ける風だが、今年の飛来も1羽だけのようだ。毎年同じ個体かの確認はできていない。 実は、アカガシラサギのメスとコサギのオスとがつがいとなり、雑種とみられる1羽のヒナの巣立ちが観察されたことがある。土浦の鷺山とは別の場所だが、茨城県内で2010年に見られた。同じサギ科ながら異なる属間での繁殖行動、しかも野外での雑種形成の確認は世界で3例目という。 この報告をしたのが当時、筑波大学大学院生命環境科学研究科の博士課程にいた益子美由希さん。この4月から農研機構中央農業研究センター(つくば市)に籍を移して鳥獣害研究に携わっている。(つづく)

《霞月楼コレクション》1 大川一男 国芳派の流れを汲んだ美人画

【池田充雄】長い間、土浦には美術館がないと指摘されていた。美術品を収集・展示する公共空間だ。アルカス土浦内に市民ギャラリーが2017年開館し、展示の機能は備わったが、収集による文化の保全・継承面は十分といえない。かつての土浦では、市民がそうした文化をよく担ってきた。その代表的存在が料亭・霞月楼(土浦市中央、堀越恒夫代表)。本シリーズでは霞月楼に残された地域ゆかりの名品に目を向けていく。 霞月楼 1889(明治22)年創業、130年の歴史を誇る土浦きっての老舗料亭。各時代の政治家、軍人、文化人ら、土浦に降り立つあまたの著名人をもてなした。2代当主の堀越正雄はかつて東京・麹町(現永田町)の星岡茶寮に在籍し、その草創期を支えた名料理人だったという。 往時の土浦の風情を漂わせる 「わかさぎ焼」は土浦出身の日本画家、大川一男が1938(昭和13)年に描いた作品だ。当時の川口町(現川口1丁目)あたりは、霞ケ浦から揚がった新鮮なワカサギを焼き売りにする店が川筋沿いに立ち並び、あぶられた魚の香ばしい匂いが街中に漂っていたという。土浦小唄にある「焼かれながらも二本差し」の風情のまさにそのままだ。 この絵は当初、町内にあったさる薬局の依頼により屏風として描かれたが、一男が戦後になって訪ねてみると薬局はすでになく、尋ね歩くうちに絵だけが霞月楼に保存されていることが分かった。モデルになった女性も後年に霞月楼を訪れており、絵姿は姉さん被りの手ぬぐいのひょうたんの柄まで、当時のものをそのまま写し取っていると話したという。 図案工を経て深水に弟子入り 大川一男は1914(大正3)年、新治郡上大津村(現土浦市田村町)に400年以上続く豪農の長男として生まれた。上大津東尋常高等小学校を卒業後、農業の道に入るも画家への夢は捨てがたく、母校の恩師のとりなしで京都図案協会の研究生となり、西陣織の図案工として才能を発揮し始める。 1930(昭和5)年、京都で開催された帝展を見て、伊東深水の作品に心酔。手紙を送り内弟子となることが許され、東京・大井町の深水画塾で日本画の基礎技術を学ぶ。浮世絵の歌川国芳から月岡芳年、水野年方、鏑木清方、伊東深水と続く系譜を「玄冶店(げんやだな)派」と呼ぶが、一男もその末流に名を連ねたことになる。 1935(昭和10)年、茨城会館開館記念美術展に大川朝勢の画号で「朝霧」を発表し3等賞。これが公募展への初出品で初入選にもなった。 戦後の土浦で農業と絵を両立 戦時には2度にわたる招集を受け、中国戦線を転戦中に終戦を迎えた。1946(昭和21)年6月に復員したが、実家を支えた弟たちはいずれも戦死し、両親や親族の強い要望により家業を継ぐことになる。 一方で絵への情熱も絶やさず、1948(昭和23)年土浦に県南美術協会が発足するといち早く作品を発表。当時土浦近郊に疎開していた浦田正夫の下に通い、小林巣居人や永田春水の知遇も得る。ここに養父清直、鈴木草牛、根本正、片岡巳代子ら地域作家の面々が加わり、巣居人が再興した新興美術院や県展などを舞台に、互いに競い合い精進を重ねていく。 1980(昭和55)年に新興美術院理事、県芸術祭美術展委員、県文化団体連合常任理事に就任。1994(平成6)年には県つくば美術館で画業60年記念展を開催。2001(平成13)年に88歳で亡くなった。 現代美人画、風景画にも名作 一男の作品は、最初の師である伊東深水の薫陶よろしい、伝統的で気品漂う美人画に定評がある。一方で、あでやかな洋装の中に現代女性らしい精神性を感じさせる作品群もあり、広く人気を集めている。 深水からは「過去の様式をなぞった単なる美人画ではなく、自分なりの発見に基づき、個性を大切にした人物画を描くように」という主旨の教えを受け、その後の創作活動の大きな刺激になったという。 戦後は花鳥や風景にも画題を広げた。その代表作が奥入瀬渓谷を描いた「流奏」で、1982(昭和57)年の第32回新興展で文部大臣奨励賞を受賞した。風景画では師と仰ぐ人はなく「農村に暮らし、自然に触発され、気の赴くまま、型にはまらずに描いている」と話している。(文中敬称略) 取材協力・参考資料 ▽茨城県近代美術館▽常陽芸文センター▽大川家▽画集「画業60年記念大川一男展作品集」1994年▽リーフレット「大川一男展」(1996年、芸文ギャラリー)▽1994年9月20日付茨城新聞▽1996年1月14日付産経新聞 シリーズ協賛 土浦ロータリークラブ 土浦中央ロータリークラブ

《つくば法律日記》8 ネット上の誹謗中傷について考える

【コラム・堀越智也】毎日SNSを見るようになったのは、2006年だったと明確に覚えている。妹にミクシィ(mixi)やってみなと言われて始めた。まだ司法試験の受験生で、家に閉じこもっている僕を不憫(ふびん)に思ったのかもしれない。妹の思惑が当たったのか、僕は、SNSという文字通り新たな社会の一員になった。 自分のことについて投稿するだけでなく、コミュニティーといわれる特定のグループに書き込みをしたりと、家に閉じこもりながら、新たな社会で活発に活動するようになった。やがてtwitterやFacebookが主流になり、SNSの中での引っ越しも成し遂げた。 こうして僕は、かつては試験の答案くらいしか機会がなかったアウトプットが、気軽にできる社会になっていることに気づく。 法律家は、法律の勉強を始めたてのころから、幾度となく、表現の自由は、表現を通じて人格を形成・発展させ、かつ政治的意思決定に関与するための重要な価値があると習う。 そんな原点がありながら、表現の自由が憲法上保障されていても、巨大なマスメディアが存在したことで、効果的にアウトプットできるのはマスメディアだけではないか、だから表現の自由を再構成して、知る権利が保障されるべきだと言われ始めて久しい。知る権利は、中学生の公民の教科書にも書かれていた。 そんなマスメディアがアウトプットを独占する世の中が、SNSが台頭することで、マスメディアでなくても自由にアウトプットできる世の中に変わった。表現の自由の重要な価値が実現しやすくなった点で、とても素晴らしいことだと思ってきたし、SNSを通じて多くの人と知り合ったり、遠くにいる友人と情報交換したり、仕事の幅を広げることもできた。 表現の自由の再々構成が必要 しかし、新しく便利なものには負の側面も付き物で、気軽に人を誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)できるようにもなった。しかもSNSは、現実の社会と同じく集団化する。匿名で、自分の身分を明かさずにアウトプットすることもできる。自分の姿も相手の姿も見えにくいため、人を傷つけている感覚が鈍り、逆にアウトプットされる言葉は鋭い凶器になる。 そこで、ネットでの誹謗中傷の防止について国会が協議することになった。ネットでの誹謗中傷による社会のマイナスは、わざわざ人の命であったり、人生というレベルで語らなくても甚大なものがある。 一方で、今の時代でも、言論が弾圧され、自由な表現ができない国もある。表現の自由は、結構な最近まで僕らのご先祖様が血を流しながら、やっと手に入れたものだ。SNS上の表現の規制も慎重にしなければ、せっかく広がった人格を形成・発展させ、かつ政治的意思決定に関与する機会が、再び狭められてしまう。 日本国憲法の表現の自由を語るとき、政治的な表現からSNS上のつぶやきのような表現まで、様々であるにもかかわらず、「表現の自由」と一括りにされることが多い。そろそろ、気軽にアウトプットできるようになった時代の表現の自由を、改めて慎重にではあってほしいが、再々構成した方がいいのではないかと願う令和2年6月。(弁護士)

犬猫の餌や薬代支援を ひと月休園の「つくばわんわんランド」

筑波山の麓にある日本最大級の犬のテーマパーク「つくばわんわんランド」(つくば市沼田)が、3日からクラウドファンディングを開始し、約500匹の犬や猫の餌代や薬代の支援を呼び掛けている。 新型コロナウイルス感染拡大防止の休業要請を受けて、ゴールデンウイークをはさむ4月22日から5月17日まで約1カ月間休園し、5月18日に再開したばかり。例年ならゴールデンウイークは数万人の来園者があり、大きなダメージを受けた。 昨年10月は台風19号の被害を受け園内が冠水、1週間休園した。一部の電気製品などが壊れ、復旧にとりかかっている最中での休園だった。 一方、同園には約500匹の犬と約30匹の猫がおり、毎月、一定の餌代がかかる。1996年に開園して24年経つことから、現役を引退した老犬や老猫もおり薬代もかかる。 クラウドファンディングは支援金額500万円を目標にする。餌代や薬代のほか、感染拡大防止対策をとりながら来園者に安全に楽しんでもらうための施設改修などの費用にも充てたいという。 同園の田口弘樹園長(33)は「開園して24年経つので、現役でお客様と触れ合っている犬たち以外に、歳をとって引退し老後を過ごしている犬たちがいる。現役時代に私たちを笑顔にし癒しを与えてくれたおじいちゃん犬、おばあちゃん犬たちが、穏やかに安心して過ごしてもらうためなどに、ご支援いただいた金額を使いたい」などと話す。 スタートから3日目の5日時点ですでに300人を超える人から目標金額の半分を超える支援が集まっており、スタッフたちを大いに元気づけている。田口園長は「こんなに多くの方々からご支援をいただけて感謝しかない」と語る。 5月18日の再開から約3週間経つ。人が大好きな犬たちばかりのため、再開直後の数日間はかまってもらいたいと、来園者に猛烈アピールを展開したという。現在の犬たちの様子は「普段通りに戻りつつある」と田口園長。 ➡同園のクラウドファンディングはこちら

《続・気軽にSOS》62 職と住まいを失ったある男性

【コラム・浅井和幸】男性は孤独で生きてきた。家族との連絡も途絶え、友人もいない。アルバイトをして暮らしていたが、真面目に働き、貯金はなくとも、ぜいたくをしない彼にとっては不自由ない暮らしだった。もうすぐ30歳になることを考え、正社員として働きたいと考えるようになった。たまたま、ある職人の下で働ける機会を得た。 真面目に働いて貯金もしていくぞと意気込んだが、2回ほど働いた後、職人の携帯に連絡してもつながらなくなった。下請けのまた下請けのようなところで、新型コロナウイルスの影響で仕事がなくなったのかもと考えた。訴えて時間を使うより、これからを考えて動こうと思った。 収入がなくなり、仕方なく原付きスクーターとわずかばかりの荷物で、ほぼホームレスの状態になった。少しだけ手元にあったお金で、ネットカフェでシャワーを浴びることもあったが、ほとんどは野外で寝泊まりした。体力に自信があったので、この状況が絶望するほどの苦しみではないが、このままではいけないので何か方法はないか考えた。 ネット検索をして、たまたま居住支援法人という住まいを相談するところを見つけた。人にだまされることが多い人生だったが、その取材記事のようなネットのページを見て大丈夫だと思って電話をかけてみた。 住む場所が決まり 新生活が始まった 穏やかな口調で電話に出た居住支援法人の男は、こちらの状況を聞き、対処法をいろいろと考えているようだった。「今日は金曜日で17時をかなり過ぎている。近くの行政窓口に行けるのは月曜日になってしまうね」と言ったその居住支援法人の男は、「いますぐ動くことは可能ではあるけれど、明日まで今の状況でも生きていられる?」と聞いてきた。 何かを値踏みしているような質問だったが、勘ぐってもしょうがない。「大丈夫です。何とかなります。問題ありません」と正直に答えた。居住支援法人の男は「分かった。明日の朝9時に、つくば市二の宮の事務所に来られるかな?」と聞いたので、「行きます。よろしくお願いします」と答えた。 居住支援法人の男は「了解。何とか明日の9時までは、頑張って生きてください。約束ですよ。そこまで生きていられたら何とかなります。いや、何とかしますから」と言って電話を切った。 何かにつながれた。そんな気がした。次の朝、事務所に向かい、ビルの2階に案内され、相談が始まった。いくつかの物件を見て回った。いくつかの物件オーナーに、居住支援法人の男は電話をかけていた。 居住支援法人の男は「心配して力になってくれた友人に、早めに電話をかけて安心させるんだよ」と言った。相談時に、1人だけつながっているネット上での友人の話を覚えていたのだ。「はい。そうするつもりです」と答えた。 住める場所が決まり、新しい生活が始まった。市役所やハローワークなどの手続きもした。何とかなる。そんな気がしてきた。(精神保健福祉士) ※これは、いくつかのケースを混ぜ、一部変更して書いたフィクションです。

廃止を公約の退職金22円に つくば市長

【鈴木宏子】1期4年ごとに約2000万円が支給されるつくば市長の退職金について、五十嵐立青市長は5日の定例記者会見で、公約に基づいて22円にすると発表した。 退職金は任期満了の今年11月16日を基準日に支給される。五十嵐市長は初当選した2016年11月の選挙戦で「市長特権の退職金廃止」を公約の一つに掲げていた。 一方、退職金を廃止することについては、県内44市町村で組織する県市町村総合事務組合が事務処理を行っており、制度上、受け取りを辞退しゼロにすることが困難だという。 市長退職金の算定方法は、任期満了日の給与月額に22を掛けた額になる。現在の月額約92万7000円だと約2000万円になるが、任期満了日の給料を1円にして22円にする。 手続きとしてはさらに市長給与特例条例の改正が必要になるが、条例改正案を議会に提案する時期は現時点で未定。 五十嵐市長は「2000万円というのは市民感覚から離れているので公約に掲げた。新型コロナで市民は大変な状態にあり、痛みを分かち合いながら約束を守っていく」と話した。 退職金の原資として、市は同事務組合に負担金を支出しているが、返還されないという。 議会から指摘も 市長退職金をめぐっては今年3月議会一般質問で議員から「(就任から)3年が経過しても(廃止するか否かの)結論が出ない。実現できないとなれば公約実現ができないことにつながるのでしっかりと進めていただきたい」などの指摘が出ていた。 これに対し五十嵐市長は、退職金を廃止するためには県内全市町村長の同意が必要となるなどの課題があるとして「廃止に向けた検討を進めている」などと答弁していた。

【オンライン授業奮闘記】教育現場から考える(中)生徒の意外な一面

【田中めぐみ】授業で使用しているウェブ会議アプリにはチャット機能がある。チャットは、生徒自身の発信内容を教員にしか見えない設定にするか、生徒全員に見える設定にするか生徒側から選択できる。問題の答えや質問、意見を書いて送ってもらうこともできる。 この機能がとても良い。教室では普段あまり話さない生徒がこの機能を使って質問をしてきたり、驚くような良い答えを書いてきたりする。無口な生徒が気さくにあいさつしてくれることもある。教室の授業では見えなかった生徒の一面をオンライン授業で垣間見るようになった。 また、問題を解いていく際、設問ごとにチャットで答えを送ってもらうことでクラス全体の正答率が見え、どういった傾向の問題に弱いか、どこまで知識が定着しているかといったことも分かるようになった。理解度に合わせて問いかけや解説も変えることができるので便利な機能だ。教室での授業に戻ったとしてもオンラインの長所は利用し、並行して取り入れていく価値があると感じている。 友達と話したい アプリには少人数のグループに分けることのできる機能もあり、話し合わせたり、互いに発表をさせたりする授業も行った。 中学1年生は、学校で一度も授業を受けていない状態でグループセッション機能を使い、クラスメイトと顔を合わせた。授業の最後に感想を求めたところ、「友達と話せて楽しい」「もっとやりたい」という声が多く上がった。授業中に生徒が個々でチャットをすることは許可しない設定にしているため、友達同士のコミュニケーションに飢えているのだろう。 近くの席の友達同士で目を合わせたり、先生の言ったことにリアクションし合ったり、通常の学校生活が送れていれば当たり前に享受できたような些細なコミュニケーションが休校で一切無くなってしまっている。 一瞬で見渡すことできない 1クラスに30人以上の生徒がいる場合は、全ての生徒の様子をカメラで瞬時に把握するのは難しい。教室では一瞬で全体を見渡すことができるが、ディスプレイから個々を確認するのには時間がかかってしまう。できればせいぜい10人~15人ほどの小人数でやりたいというのが本音だ。 途中で生徒の接続が切れてしまうこともある。通信環境が良くなったとは言え、それぞれの状況によっては.カメラが消えたり、音声がとぎれとぎれになったりすることもあるようだ。頻繁にあるわけではないので許容範囲内だが、すべての生徒に平等、均一で安定的な学習の機会が与えられているとは言いにくい。高速大容量の5Gが普及すればこういった問題も解決するのだろうか。 デジタルストレス心配 デジタルストレスによる健康面も心配になる。勤務校では生徒の健康を考慮し、1コマ50分、1日4コマの授業を実施しているが、私自身2コマ連続で授業をやるだけでもかなりの目の疲れを感じる。 画面で共有するファイルの文字に注視しながら、カメラに映る生徒たちの様子に集中していると授業後は目がかすんでしまい、休み時間はしばらく目をつむっていることもある。授業以外の時間も準備でPC作業が長いせいもあるだろう。やはり紙の教科書やノートが目に優しいと改めて思う。 生徒たちの目も心配になり、読み上げて書かせるなどして、できるだけ画面ばかり見る授業にしない配慮をするようになった。数年前研修で聞いた、ICT先進校がデジタル黒板を取り入れた事例で、6時間目には生徒たちの目が疲れて授業にならないという話を聞いたことがあったが、それを今実感している。 依然として課題も多いが、非常時に学びの機会を無くさないこと、授業を止めず生徒と関わり続けることの価値を感じている。 (続く)

《食う寝る宇宙》63 かっこいい宇宙船の打上げ!

【コラム・玉置晋】2020年5月31日の早朝、僕は宇宙オタクの皆さんによるTweet合戦をニヤつきながら眺めていました。この日は宇宙開発にとって記念すべき日となりました。アメリカの民間宇宙企業「Space X」により、NASAの支援の元で開発された新型宇宙船「Crew Dragon(クルードラゴン)」が2人の宇宙飛行士を乗せて、国際宇宙ステーションに向けて打上げられました。 この新型宇宙船はデザインが近未来的で、とにかくカッコいい。スペースシャトルのコックピットには多数の機械式スイッチ類がありましたが、Crew Dragonには、ほとんど見当たりません。3つの大きなタッチスクリーンに、リアルタイムの飛行状況や船内環境などが映し出されます。宇宙服もSF映画さながらです。 昨年3月、「Crew Dragon Demo-1」という無人テスト飛行(宇宙服を着たダミー人形を搭載)が行われて、国際宇宙ステーションにドッキング・分離後、無事に地球に帰還しました。 今回は、「Crew Dragon Demo-2」として、有人による最終テストを行っています。基本的に、Crew Dragonは国際宇宙ステーションとのドッキングまで自動運行で、地上のミッションコントロールセンターが飛行状況をモニターしますが、今回は、緊急時のテストとして宇宙飛行士による手動操作も行われました。 そして、約19時間の飛行を経て、国際宇宙ステーションにドッキングしました。2人の宇宙飛行士は、数週間、国際宇宙ステーションに滞在の後、Crew Dragonと共に地球に帰還します。Crew Dragon Demo-2が無事に成功したら、Crew Dragonはいよいよ実運用が開始されます。 今年の8月末、最初のミッション「USCV-1(US Crew Vehicle-1)」が予定されています。第64/65次長期滞在クルーを国際宇宙ステーションに運搬します。そのクルーの1人が野口聡一宇宙飛行士です。 僕は太陽活動をモニター 僕はCrew Dragonの打上げを見守るのと同時に、太陽活動もモニターしていました。ミッション中に太陽フレアが起きて、大量の放射線が降り注ぐ事態になれば、地球への緊急帰還ということもあり得るわけです。 国際宇宙ステーションは地球を約1時間半で周回しており、1時間弱で昼と夜を繰り返していますが、Crew Dragonのドッキングは地球の夜側で行われます。夜側、すなわち地球の影にいる間に重要なミッションを実施するのは、太陽フレアによる放射線を回避する時間をかせぐことも理由の一つです。 打上げ2日前の5月29日、「Mクラス」と呼ばれる中規模の太陽フレアが発生しました。この規模の太陽フレアは、実に2年半ぶりでした。幸いなことに、今回は大事には至らず、ミッションは継続されています。(宇宙天気防災研究者)

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