土曜日, 4月 4, 2026

土浦・亀城公園の高齢サル リョウタとスミレの「幸福論」

【相澤冬樹】土浦市中央の亀城公園で飼われている2匹のニホンザルが厳寒の冬を過ごしている。オスのリョウタとメスのスミレ、つがいとは言い難い奇妙な同居生活を送っているサルで、ともに生年は不明、公園での飼育は2001年にスタートしているから18歳を超えて老境に入った。生気のないリョウタ、脱毛のひどいスミレ、見かねたひとりのお年寄りが日参して、その生活を観察中で「もう少し幸福な老後にならないものか」と手だてを探っている。 サルの観察のためだけに連日公園を訪れているのは同市大岩田の無職、坂入保男さん(73)。昨年秋、同公園を訪ねた際、サルの園舎前を通りがかり、消耗した風体にショックを受けた。「あまり幸せそうに見えない」印象が気になった。 「感情に任せて市役所に怒鳴り込んだところで何も解決しないと調べてみることにした」そうで、園舎は毎日清掃され、きちんとエサやりもされているのも分かった。園舎のサイズなど飼養状況は獣医師ら専門家から適正と診断され、脱毛に対する投薬処方も行われていた。 それでも毎日観察してみると、園舎の前で立ち止まる者はいない。公園の南側は遊具が置かれ就学前の幼児らを連れた親子の遊び場になっているが、誰も近寄ってこない。サル園舎の前身であるミニ動物園の設置目的だった「子供たちの教育の一環」の要素はどこにも見出せなかった。 周囲から隔離された空間のなか、2匹のサルの間にも冷たい時間が流れる。毛づくろいをしたり、身体を寄せ合って暖をとるようなシーンはまったく見られないのだ。「一種のコミュニケーション不全。僕が毎日見に来るようになって、心なしか人間に関心を向けるようになった気がする」(坂入さん) 同市公園街路課によれば、2匹がやってきたのは2001年のこと。石岡市の野猿公園で群れから排除されたオスのはぐれザルと、笠間市で農作物を荒らし回っていたメスザルが捕獲された。ニホンザルの習性から元の群れに戻すのは難しく殺処分もできないため、県動物指導センターの仲介で同公園が引き取ることになった。同公園では昭和30年代にミニ動物園を設置、サルやタヌキ、クジャクなどの鳥類を飼っていた施設があったためだ。 2001年当時サルは飼われていなかったが、空いていた園舎を間仕切って2匹を収容した。以来、同センターの指導や獣医師、動物愛護団体等のアドバイスを受けながら健康・飼育管理をしてきた。県の飼養許可を受ける「特定動物」扱いである。 しかし、これ以降、2匹のサルの扱いをめぐっては再三クレームが市に寄せられた。動物虐待ではないか、施設を改修すべきだなどの声。市はその都度、適正に管理している旨返答をしてきたが、2匹の高齢化で、このまま収束に向かう考えを否定しない。「健康面のチェックはしつつも、万一死亡ともなれば致し方ない。次のサルを受け入れることはない」(市公園街路課)という。 坂入さんは今のところ、アクションは起こしていない。自身のFacebookで、サルたちの「幸福論」を語っている程度。「おサルさん友の会」の名称で賛同者を集め、50人程度の規模になったが、陳情や請願までは考えていない。先進的な取り組みをしている動物園の事例などを参考に、2匹に合った飼い方の研究をしているところ。「1年間様子を見て、それでも生きているようなら、何か具体的な提案をしていきたいと思う」と語っている。

岩佐宮司が1月末で辞職へ 筑波山神社 後任は未定

【鈴木宏子】筑波山神社(つくば市筑波)で昨年、氏子総代有志らが神社本庁に、岩佐弘史宮司(55)の解任を要求していた問題=2018年10月12日付け=で、岩佐宮司が1月末日で同神社宮司を辞職する内容の辞表を出していることが10日までに分かった。後任は現時点で未定という。 この問題をめぐっては氏子総代ら23人が昨年9月、氏子など約800戸を対象に解任を求める署名活動を展開し、9割の署名を集めて、神社本庁に解任を求める要求書を提出していた。 要求書で氏子総代らは岩佐宮司に対し「地区氏子との関係を希薄化させ、総代からの意見を聞き入れず、職員に対してパワーハラスメントによる管理が横行しているなどさまざまな問題行動を起こしている」などと主張していた。 一方岩佐宮司は昨年10月時点で、氏子総代らの言い分を否定し、宮司の職を辞める意志がないことを強調していた。 その後、県神社庁で双方の意見を聞くなどの調査が行われていた。 岩佐宮司は東京出身。国学院大学大学院で神道学などを専攻。神社の専門紙を発行する「神社新報社」に入社し、神社本庁出向職として編集部記者、業務部長などを歴任した。神社本庁参事から、2013年7月、筑波山神社の権(ごん)宮司となり、15年6月、宮司に就任した。宮司として神社の借入金を完済したり、さまざまな改革を断行した。筑波山地域ジオパーク推進協議会副会長も務めている。

【あと一勝の壁】8 社会人野球で必ず壁破る

【伊達康】新日鐵住金鹿島のセレクションを受けた際は「晴海君」にお世話になったという。社会人野球のセレクションは数社受けたが、合否の結果が出る前に河原井監督に薦めてもらった北海道ガスに決めた。 昨年4月から北海道野球連盟に加入し部員16人でスタートしたばかりの若いチームだ。12月17日には札幌で内定式を終えた。野球の戦力としてはもちろん正規の総合職として採用され、社業にも期待をかけられている。上野のほかに大学で主力級の活躍をした6人の選手が入社するそうだ。東都リーグから3人、東京六大学と千葉、神奈川、関西から1人ずつ。中には大学ジャパンに選ばれた選手もいる。このメンバーを加えて来春からの都市対抗野球予選に挑む。 卒論は「ゲルマン民族」について2万字以上をやっとの思いで書き上げた。時間のある現在は取手リトルシニアのグラウンドでトレーニングを続けながら、シニアの後輩の指導にも当たっている。 「高校でも大学でもあと1勝というところで負けてしまった。2月には北海道に引っ越す。次に関東の地を踏むのは都市対抗野球に出場するときだという覚悟で臨む。結果を残してあと1勝の壁は必ず社会人野球で破ってみせます」 上野は恐らく高校時代に日本一悔し涙を流したのではないだろうか。悲劇のヒーローのままでは終わってほしくない。この先の社会人野球で1勝の厚い壁を破ってほしいと願わずにいられない。北の大地からの吉報を心待ちにしている。 =終わり

介護者が胸の内明かせる場所に つくばの支援カフェ「茶にすっぺ」

【池田充雄】在宅介護者支援カフェ「茶にすっぺ」は、在宅ケアにかかわる人たちが悩みを話し合ったり、さまざまな知識や情報を共有したりできる場所だ。2018年4月から「つくば草の根はりきゅう院」の小池栄治さん、容子さん夫妻が、つくば市大角豆の同院で毎週火曜日午後1~3時に開いている。 栄治さんは治療活動を通じて、多くの人が家族の介護で大変な思いをしている現状を知り、心を痛めてきた。「先が見えない中で日々の介護に行き詰まり、悩んでいる介護者が大勢いる。そういう人たちが外へ出て、胸の内を明かせる場所が身近なところに必要だと思った」 医師や看護師が協力 この活動には医師の室生勝さん、看護師の方波見柳子さんも協力。医療や介護に関する参加者の幅広い相談に応じると同時に、高齢者や家族がより健康で生き生きと暮らせるような健康管理の話や、身近な暮らしの話題なども提供している。 「そのときの流れでいろんな話をとりとめなくしたり、だれかの悩みに皆で知恵を出し合ったり。気軽に集まってゆったりとした時間を過ごし、帰りはニコニコして帰ってもらえるとうれしい」と方波見さん。 室生さんはNEWSつくばでもコラム「地域包括ケア」を連載しており、この問題を早くから考えてきた一人。「介護事業者が提供するサービスにも、市の高齢者福祉計画でも、家族介護者の日常を支える支援は少ない。認知症の患者や家族のためのオレンジカフェは普及してきたが、介護でも同じような支え合いの場が必要と考えていた」 小池さん夫妻に介護者支援カフェの開催を勧めたのも室生さんだ。同院では毎月第3日曜日に農産物などのコミュニティマーケット「まめいち」を開いているため、地域に受け入れられやすいと考えた。 各地に広がり「選べるようになれば」 いま、こうした活動は各地で広がりを見せている。会場は福祉施設や公民館が一般的だが、「茶にすっぺ」のような民家の縁側的な場所も少なくないし、街中の空き店舗などを活用した例もある。地域住民のためのコミュニティスペースもあちこちで生まれており、たとえばウエルシア薬局が一部の店舗(つくば桜店、つくば豊里店ほか)に備えている「ウエルカフェ」は、介護予防や介護相談をはじめさまざまな地域貢献活動に無料で開放されている。 筑波学院大(つくば市吾妻)内のレストラン「カフェ・ド・グルマン」でも、1月24日に第1回の介護者支援カフェを開く予定だ。参加自由。 小池さんは「個性あるいろんな場所ができ、通いやすさや好みで選べるようになるといい。行けばだれかがいるという安心感のためには、とにかく続けることが大事。私たちも、これだけお金をかけずコンパクトにできるんだよという例を示し続けたい」と語っている。 ▷つくば草の根はりきゅう院=http://kusanone298.com/ ▷カフェ・ド・グルマン=http://gourmandtg.web.fc2.com/

【あと一勝の壁】7 神宮への憧れ 入学前に2部落ち

【伊達康】卒業後の進路は悩んでいた。「野球以外のスポーツに関してはからきしダメで平凡な運動能力」だという。監督の母校である体育大を薦められたが、自分に適性のない体育教師になる将来像は思い描けなかった。 そんなとき青山学院大の関係者が見に来た練習試合で結果を残して「ぜひうちに」と声を掛けてくれた。当時、東都大学野球連盟1部に所属し輝かしい実績を残してきた名門である。神宮球場で投げることに憧れがあった上野は迷わず青山学院大進学を決断した。 高校野球引退後は大学野球に向けて練習に励んでいたが残念な知らせが待っていた。高校3年秋に神宮球場に観戦に行った試合で1部の最下位が確定。さらに入れ替え戦で2敗して上野の入学前に2部落ちが決まった。2部は各大学のグラウンドでリーグ戦を行うため、神宮球場で試合は行われない。 「入れ替え戦の結果を聞いて言葉がなかった。常に1部で優勝争いにからんでいた青学が僕の入学直前に2部に落ちるなんて。憧れの神宮球場で投げる自分をイメージしてモチベーションを上げていたのでショックが大きかった。さすが戦国東都とか言っている余裕はなかった」。 ベンチに入れない下級生時代 転機を迎えた4年春 青山学院大に進学し大学野球がスタートした。高校野球では名をはせた上野だが、全国から野球エリートがこぞって集う名門チームにあっては高校までのようにすぐにベンチ入りというわけにいかなかった。「思っていたとおりに厳しい世界でした。ものすごいボールを投げる人がいくらでもいて、その中で結果を出さないとベンチにすら入れない」。 下級生の頃は出場機会に恵まれず、試合に出場している同級生をうらやんだ。「自分は球威で押して三振を取るタイプではないが、一時期は速い球を投げたら試合で使ってもらえるかもしれないと思って、そういうタイプを何人か参考にして球速を追求したことがあった。でもやはり自分は緩急でボールに奥行きを出してバッターのタイミングをずらす投球術が最大の武器なので、スタイルは変えなかった」 迷いながらも自分の信念を貫いた上野は3年春のリーグ戦で初めてベンチに入ると、駒澤大1回戦でリーグ戦初登板を飾った。6対2でリードした9回に登場し結果は見事三者凡退に抑えた。この好投を機にチャンスが与えられ、翌日の2回戦は3回からロングリリーフを任された。5失点で敗れはしたが延長10回までの8イニングを投げ抜いた。「10回表に2点勝ち越されて結果的に負けてしまったが、練習試合でも短いイニングしか登板機会がなくて、自分でもまさかあそこまで長いイニングを投げられるとは思っていなかったので貴重な経験になった」。 4年になると転機が訪れた。監督に復帰した河原井正雄氏が上野の緩急を武器とするピッチングスタイルを評価してくれた。4年春には5試合に登板。さらに秋には13試合のうち7試合でセットアッパーとして起用され着実に結果を残した。チームは幸先よく2つの勝ち点をとったが、リーグ戦終盤に連続で3回戦を落として3位に終わり、在学中の1部昇格はかなわなかった。 =続く

フラワーアレンジメントで記憶力向上! 農研機構と県立医療大が訓練手法開発

【田中めぐみ】農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構、つくば市観音台)と県立医療大学(阿見町)が、フラワーアレンジメントを作成する作業を通して認知機能改善の訓練を行うプログラムを開発した。臨床研究では、脳に損傷を負った人を対象にフラワーアレンジメント作成プログラムを行った結果、記憶力の改善が見られたという。今後、医療、福祉施設などでリハビリへの活用を促進していく考えだ。作成用のキットが考案され、生花店やインターネットで購入できる。 誰でも簡単に作成 作成プログラムでは、〇、△、◇の印の付いた吸水スポンジを用い、印に葉、大きな花、小さな花の順に花材を挿していくことで、パズルを組み立てるようにフラワーアレンジメントを作成する。 フラワーアレンジメントは健常者でも難しいが、キットを使えば誰でも簡単に丸型のをつくることができる。印付きのスポンジ資材や手順書、花材を含む作成キットは、つくば市千現の生花店プアラニ(塚田祐一代表)で購入できるほか、全国の生花店、インターネットでも購入が可能だ。キットは特許を取得している。 リハビリに効果期待 臨床研究では、不慮の事故や脳卒中などの病気で脳が損傷し、記憶や注意、言語などに障害のある高次脳機能障害者27人を対象とした。フラワーアレンジメント作成プログラムに参加した群と参加していない群とに分け、図形の記憶力テストを行ったところ、プログラムに参加した患者群に記憶力の改善が認められたという。効果は3カ月持続した。また左半側空間無視という症状=メモ=のある患者に対しても注意機能の改善が見られた。 さらに、患者の家族を対象に神経症の諸症状の程度を調べる質問を実施した。質問はGHQ(一般精神健康質問紙)によるもので「夜中に目を覚ますことは」、「いつもよりいろいろなことを重荷に感じたことは」といった内容の28項目をチェックしたところ、生花を家に飾ることで患者の家族の神経症状が軽減されることが分かったという。 農研機構の望月寛子上級研究員は「今後、高齢者やアルツハイマー型認知症の方のプログラムも開発していきたい。一人一人の症状に合った方法を模索していければ」と話す。 ※メモ 【左半側空間無視】右側の脳が損傷を受けることで左側の刺激を無視してしまう症状。見えているが注意が向かない 生花店 プアラニ 住所▽ つくば市千現1-23-28 電話▽029-856-7788  FAX▽029-856-7790 営業時間▽午前10時~午後8:00 販売しているキット▽大小2種類の花と葉、印の付いた給水スポンジ、器、ラッピング紙、手順書で1セット。吸水スポンジの印が少ないMサイズと多いLサイズがあり、価格は2000円から。

【あと一勝の壁】6 配球パターンを丸裸 4度目のチャンス

【伊達康】いよいよ甲子園へのラストチャンスとなる夏の大会を迎えた。春の決勝で敗れた霞ケ浦は第2シードとなったが、このゾーンには打力の高い有力校が並んだ。 初戦の下妻二は上野と綾部翔(横浜DeNAベイスターズ。取手シニア出身)の継投により6回コールドで下した。3回戦のつくば国際大は好投手・福田海人の前に打線が沈黙し5回まで1対1。6回から上野が登板したが連打で逆転を許す苦しい展開となった。直後に一死満塁から1年生・根本薫(オリックス・バファローズ。取手シニア出身)のライトフェンス直撃スリーベースで逆転したが、最終回はホームスチールで1点差まで迫られる大苦戦を強いられ上野を温存できる展開とはいかなかった。 フルイニングの接戦続き 4回戦の水戸商には上野が8回まで7安打1失点。最終回は安高に継投したが、強打を誇る水戸商打線の前に早い回からの継投策は打てなかった。準々決勝は明秀学園日立と鹿島学園を1点差で退けて粘り強く勝ち抜いてきた石岡一だったが4対0と上野が完封した。 準決勝の取手松陽はノーシードながら勝ち上がった勢いのあるチームだった。上位に強打者が居並び一瞬の隙も見せられない。ここでも頼みの上野が完投で3対1の接戦をものにした。準決勝を終えて打撃陣が5試合で打率.289と調子が上がらず初戦以外はコールドゲームに持ち込めなかった。フルイニングの接戦続きで上野の投球イニングは34回2/3にのぼっていた。1年秋から5季連続で決勝の相手だった常総学院は準決勝で敗れ2強の牙城は崩れた。いよいよ甲子園まであと1勝。相手は藤代。甲子園への4度目の、そして最後のチャンスだった。 「決勝を迎えてアドレナリンが出ていたからか疲れは感じず、いつもどおりの調子だと思っていた。でもブルペンに入るとボールが思うようにいかなくて。マウンドでも身体がコントロールできなかった」。球威も制球も本来の出来とは程遠く、1回表に藤代打線につかまった。ヒットと四球で一死一、二塁から、4番・根本文弥にライト前タイムリーを浴びて1点を失った。続く5番・小林慧太には初球のチェンジアップを狙い撃たれ2点目を失った。さらに押し出しで3点目を献上した後、死球で満塁から竹内悠に2点タイムリーを浴びて一挙に5点を失った。 「秋の県大会では準々決勝で藤代に完封でコールド勝ちした。後日、藤代に進んだ取手シニアの同期から聞いたのですが、藤代の菊地一郎監督は秋以降、夏までほぼ毎日ミーティングで『茨城は上野を打てないと優勝できない』と言い続けて、打倒・上野を執念深く植え付けていたそう。夏の期間中も霞ケ浦の映像を見て研究していたと」 「すると大会中に霞ケ浦の配球パターンが分かってしまったんですって。2年夏までは濱部さん(駿稀。駒澤大中退―滋賀ユナイテッドBC)が配球のサインを出していたんですが、最上学年になってからは捕手が固定されなくてベンチが出していた。2点目のタイムリーを打った小林君には『初球チェンジアップが来るから絶対に振れ』とベンチが指示していたらしく、初球のチェンジアップを見事にレフト線に弾き返されてしまった。配球パターンを丸裸にされて、コントロールが利かないのとどこに投げても打たれるのとであれよあれよという間に5点取られていた」。 その後も3点を奪われ上野は5回途中で無念の降板となった。霞ケ浦は7回に2点を返したが及ばず、藤代が12対3で霞ケ浦を下して3年ぶり3度目の優勝を飾った。 甲子園への4度目のチャンスにもあと1勝の厚い壁が立ちはだかり、遂に憧れの舞台にたどり着くことなく高校野球を引退することとなった。 =続く

土浦労働総合庁舎 15日、宍塚にオープン

【鈴木宏子】土浦労働基準監督署(同市中央2丁目)とハローワーク土浦(土浦公共職業安定所、同市真鍋1丁目)が移転し、15日、同市宍塚にオープンする土浦労働総合庁舎で業務を開始する。 新庁舎は鉄筋コンクリート造り、延べ床面積約3600平方㍍で、1~2階がハローワーク、3階が共同会議室、4階が労働基準監督署などになるという。移転前の二つの庁舎を合わせた延べ床面積より3.3倍広くなる。 雨水をトイレの洗浄水や屋上緑地の散水に再利用したり、太陽光発電設備を設置するなど環境にやさしい造りとなる。庁舎の外観デザインは、1929年、霞ケ浦飛行場に着陸したドイツの巨大飛行船ツェッペリン号をモチーフにしたという。敷地面積は約4600平方㍍で71台分の駐車場スペースを設ける。 現在の土浦労基署は1972年に、ハローワーク土浦は76年に建築された。老朽化し手狭になっていたことから、移転し合同庁舎として新築する準備が進められてきた。特にハローワークは混雑緩和が期待されている。 移転をめぐっては当初、同市滝田地区が候補地に挙がっていたが地元の理解が得られず断念した経緯がある。その後、宍塚大池周辺地区の業務核都市構想に基づいて市が先行取得していた用地などを、2014年に国が購入し、16年に着工、このほど完成した。 移転後の跡地は、労基署(約2100平方㍍)、ハローワーク(敷地面積約900平方㍍)とも2020年3月までに解体するという。その後の利活用について財務省水戸財務事務所は、一般的な手順として、公共的利用がないか確認した上で、なければ入札を実施し民間に売却することになるとしている。 ◆移転先の住所は同市宍塚1838。移転後の電話番号は土浦労働基準監督署(電話029-821-5127)、ハローワーク土浦(電話029-822-5124)いずれも変更はない。バスでの行き方は、土浦駅西口とつくばセンターから関東鉄道バスが運行し、新設されたバス停「土浦監督署・ハローワーク入り口」で下車する。土浦駅西口からは「つくばセンター」方面行きバスで約10分、つくばセンターからは「土浦駅西口」行きバスで約15分、バス停から徒歩5~6分。

【あと一勝の壁】5 3度目のチャンス 力投報われず

【伊達康】失意の敗戦から数日後、監督から「上野に甲子園に連れて行ってもらうぞ」と冗談とも本気ともつかない檄(げき)を受けて、最上学年となった上野はキャプテンに指名された。やがてその言葉を体現し、2年秋に甲子園への3度目のチャンスを迎えることになった。 上野は地区予選から県大会決勝までの全6試合で先発し、県大会2回戦から決勝までは4試合全てを完投した。決勝は宿敵・常総学院と延長15回で決着が付かずに完投。大会を通じての投球回数は驚異の55イニングに及び投球数は900球を超えた。翌日の再試合は安高颯希(桜美林大3年)が1失点に抑える快投を演じて霞ケ浦が春以来の優勝を遂げた。 秋季関東大会は開催県には3校、開催県以外の6県には2校の出場枠があり全部で15校が出場する。通常は2回勝たなければセンバツ当確ラインの準決勝に進めないが、開催県の1位校だけは1回戦を免除され準々決勝から出場する特典(スーパーシード)が与えられる。つまり、開催県の1位校は1回勝てばセンバツ当確という訳だ。この年の秋季関東大会は茨城開催だったため、茨城1位の霞ケ浦がスーパーシードを獲得した。 1回戦を終え準々決勝の相手は桐生第一に決まった。先発はこの試合も上野だ。霞ケ浦は2回裏に先制を許したが、4回表に相手のエラーで同点に追い付いた。その後、1対1の膠着状態のまま9回裏に突入。二死二塁から打ちとった当たりが痛恨のサヨナラ打となった。霞ケ浦打線は散発5安打と沈黙。上野の力投が報われず甲子園への3度目のチャンスもあと1勝の壁に阻まれた。「最後は際どいところに打たれた自分が悪い。県大会決勝の後は1週間ボールを握らずにノースローで調整した。痛みはなかったが、県大会の疲労は抜け切ってなかった」 投手陣の底上げへ 上野に頼らない春 一冬を越えて3年春の県大会。霞ケ浦の投手起用方針は秋から一転した。「春先の練習試合で調子が上がらず東海大相模にめった打ちを食らったというのもあるが、大会前に監督からは『関東大会がかかった準決勝だけ完投で行くぞ』と言われていた」。1人でも多く夏の大会で投げられるめどが立つように、上野以外の投手の経験値を上げる方針で大会に臨んだ。霞ケ浦はその思惑どおりに安高颯希を中心に、秋は出番のなかった岩田直也や浅賀蒼太の継投で勝ち上がり、準決勝の土浦湖北戦は上野が2失点完投で春季関東大会行きを決めた。さらに常総学院との決勝では1年生の飯村将太(桜美林大2年)と根本将汰(桜美林大2年)にも登板機会を与えた。決勝では敗れたものの、上野一人に頼ることなく勝ち上がる中で投手陣に経験を積ませることに成功した。 横浜を撃破 夏に向け自信 神奈川開催の春季関東大会では淺間大基(日本ハム)と髙濱祐仁(同)を擁する神奈川1位の横浜と対戦した。場所は神奈川高校野球の聖地「横浜スタジアム」だ。完全なるアウェーの中、県大会の疲労が全くない上野は横浜打線を相手に5安打2失点に抑える粘投を見せた。打線は6回まで1安打に抑えられていたが11個の四球と相手投手の制球難に乗じて長短打を絡め、7回表に一挙7点を挙げ7回コールド勝ちを収めた。横浜のコールド負けは1970年春以来44年ぶりのことであった。1年秋の東海大相模に続いて横浜を下す大金星。投打ががっちりかみ合っての勝利は夏に向けて自信となった。 =続く

【あと一勝の壁】4 サヨナラホームラン 阻まれた2度目のチャンス

【伊達康】2年夏には2度目の甲子園へのチャンスを迎えた。初戦の鉾田一に1点差で辛勝したが、その後は順当に勝ち上がり、3季連続で霞ケ浦と常総学院という決勝のカードとなった。霞ケ浦の先発は2年生の上野だ。対する常総学院の先発はエース右腕の飯田晴海となり、茎崎ファイターズのOB同士で投げ合うこととなった。 「これまでも常総と対戦していたが僕が投げている時は別のピッチャーが投げていたので直接対決はなかった。小学生時代に雲の上の存在だと思っていた晴海君と夏の決勝の舞台で投げ合えるとは、自分はなんて幸せなんだろうと。でも甲子園に行くために負けてたまるかと初回から飛ばしていった」。 上野はその言葉どおり4回二死まで3安打無失点と圧巻の投球で強打の常総学院打線を翻弄(ほんろう)し、2番手の市毛孝宗(星槎道都大―きらやか銀行)にマウンドを託した。霞ケ浦は初回に菅原直輝のタイムリーで先制し8回表にも田村祐一のタイムリーでリードを2点と広げた。 しかし、8回裏に常総学院が連続タイムリーで同点とし試合は振り出しに戻る。霞ケ浦は3番手に片野凌斗を投入した。同点の9回裏、常総学院は先頭から2者連続で凡退したが、3番の進藤逸(國學院大4年)がレフト前ヒットで出塁し4番の内田靖人(楽天イーグルス)につないだ。ファウルを打たれてカウント2ボール1ストライクから一度タイムを取って攻め方を確認する霞ケ浦バッテリー。しかし次に投じた外角高めの甘いボールを内田は見逃さず、打球は右中間スタンド上段に吸い込まれた。劇的なサヨナラ2ランホームランで幕切れとなり、甲子園への2度目のチャンスはあと1勝のところでついえた。 「1年夏の頃から2年生主体のチームで、この学年と1年半ずっと一緒に野球をやってきた。寮でも仲が良くていっぱいかわいがってもらって。大好きな先輩たちと甲子園に行くぞとこの試合にかける思いが強かった。負けてしまって申し訳ないという気持ちが強い分、2年の夏の敗戦が僕の高校野球生活の中で一番悔しかった」 =続く

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