金曜日, 9月 30, 2022
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相沢冬樹

人口減の土浦に夢と元気は如何にして《土着通信部》48

【コラム・相澤冬樹】土浦市の「広報つちうら」12月15日号は、かすみがうらマラソン兼国際ブラインドマラソンの来年4月17日開催決定について、フロントページで大々的に報じていた。NEWSつくばには記事がなかったなあ、などと思いながら、ページをめくっていると、「パブリックコメントを実施します」とある一覧表に目が留まった。 3本の計画案について、市民(市内在住・在勤・在学者)の意見も求めるものだが、2本目に「第9次土浦市総合計画について」(案)があがっていて、これは見逃しちゃいけないと思った。総合計画は将来のまちづくりの指針で、22年度から5年間の市政運営の基本方針となる。表には担当は政策企画課、コメントの提出期限は16日から1月12日までとあったが、情報はそれだけともいえ、マラソンの参加者募集に比べたら素っ気ない。 実は、同課には約ひと月前、メールによる問い合わせをしたばかりだ。2020年に行われた国勢調査の結果概要が11月30日に公表され、同市の人口は14万2074人で、前回調査(2015年)から1270人(0.9%)の増加に転じていたのが気になった。増加理由の分析と「下げ止まったと見られるか」を質問した。 回答は、増加傾向に転じた要因として「外国人の技能実習生や留学生等の増加、土浦駅周辺への転入者の増加、土浦協同病院の移転に伴う、おおつ野地区における医療従事者や看護学生等の転入者の増加、宅地造成が市内の複数箇所で進み、分譲が開始されたことによる転入者の増加、老人福祉施設が増設されたことによる入居者の増加」などをあげた。 しかし、「常住人口は、2000年をピークに減少に転じており、住民基本台帳人口においても緩やかな減少が続いていることから、今回の国勢調査の結果をもって、少子高齢化の進行による人口減少に歯止めがかかったとは受け止めておりません」との回答だった。なるほど、市の常住人口は12月1日現在13万7802人、すでに14万人を割り込んでいる。 パブコメ募集中...

黄色いイチョウ、翡翠色のぎんなん 《土着通信部》47

【コラム・相澤冬樹】銀杏を「いちょう」と読めば街路樹、「ぎんなん」と読めば農作物になる。前者はほぼ雄(オス)の木が並木を作り、後者は雌(メス)の木が畑に植わっている。雌雄異種といい、公園や社寺の古木は雌雄入り乱れる(?)形だ。イチョウ栽培歴30年、農事組合法人、つくば銀杏生産組合(石岡市半田)代表の櫻井和伯さん(66)にウンチクを含め語ってもらった。 組合名にある銀杏は「ぎんなん」。櫻井さんが土浦、石岡の圃(ほ)場で栽培しているのは久寿、喜平などの接種済銀杏樹木(接ぎ木で繁殖した雌木)で、販売もしている。これまでに県内外に1万本近くを植えてきた。かたや自宅わきの加工場で生産しているのは「実」の方、食用の部分は種子の中にあり、厳密に言えば「胚乳」という。9月半ばになると櫻井さんの植えた銀杏畑から、栽培農家が果肉を削いだ銀杏の種子を持ち込んでくるので、蒸して殻を割り「実」を取り出した上で選果する。 加工後の色合いが特徴的。「翡翠銀杏(ひすいぎんなん)」と呼んで商標登録している。最上級ランクの「特選翡翠」は鮮やかなグリーンをしている。黄味が加わるほどに「翡翠(ライトグリーン)」「シャトルルーズイエロー」と並ぶラインアップ。分かりやすいたとえでいうと「枝豆から大豆への色合いの変化に似ている」、味は未熟感に好みが分かれるが「まろやかさ」が身上という。 蒸して冷凍保存で緑色を保つ翡翠銀杏 鮮やかなグリーンや未熟感にはわけがある。ぎんなんは実が青いうちに、落果を待たずに収穫してしまうのだ。機械で一気に実を落とす。今年の場合で9月18日ごろから摘み取りが始まり、特選翡翠は最初の10日間が勝負、次の10日間だとライトグリーンになってしまう。手早く収穫し、蒸す加工で黄化にストップをかけ、冷凍保管して出荷を待つ形だ。 市場出荷はしておらず、スーパーや小売店では購入できない。櫻井さんによれば「固有名称は勘弁してほしいが、高級ホテル、レストランを中心に取り引きしている」そうだ。翡翠銀杏は素揚げや天ぷら料理などで提供されているという。高級食材だ。

150周年、たまには新治県のことも思い出してあげて《土着通信部》46

【コラム・相澤冬樹】13日、茨城県政が150周年を迎えるのだそうだ。「県民の日」は1871(明治4)年11月13日、初めて「茨城県」という県名が用いられたのにちなんでいる。 県歴史館資料などによれば、1871年7月の廃藩置県によって、現在の茨城県の領域には常陸国14県(水戸県・土浦県ほか)、下総国3県(結城県・古河県ほか)などが成立した。さらに、同年10月末~11月に府県の統廃合が実施され、全国に3府72県が成立する。11月に実施された関東地方の統廃合によって、茨城県が誕生した。 この誕生日は11月13日とも14日ともいわれる。県庁に問い合わせると、13日としたのは、初代茨城県知事(当時は参事)、山岡鉄太郎(鉄舟)への任命書に基づくとの回答だった。末尾に「明治四年辛未十一月十三日」と記されていた。旧暦の日付だから、新暦に改めると同年12月24日になる。 第1次府県統合の関東地方への布告は旧暦14日付。真壁郡・茨城郡・那珂郡・久慈郡・多賀郡が茨城県の、新治郡・筑波郡・河内郡・信太郡・行方郡・鹿島郡が新治県の、それぞれ管轄となった。新治県には旧下総国の香取郡・匝瑳郡・海上郡が統合され、利根川を跨ぐ形で設置された。 つまり150年前の茨城県に、つくば・土浦はなかったことになる。佐原や銚子までを県域とする新治県、その県庁は土浦城本丸御殿を改装して設けられた。知事(当時、権令)には池田種徳が、やはり13日付けで任命されている。 新治県は(以下新暦表記)、1871年12月25日から1875年5月7日まで存続している。1875年の第2次府県統合により、新治県は利根川を境に分割され、利根川以北は茨城県に、利根川以南は千葉県に、それぞれ編入された。つくば・土浦の「茨城県歴」はまだ146年というわけだ。

満開の桜川河口で満月を見下ろす 《土着通信部》45

【コラム・相澤冬樹】満月の夜は、土浦駅東のビル屋上に陣取った。ここからだと眼下に桜川河口から霞ケ浦土浦入りまでを見渡せる。河口部には両岸の堤に桜が植わっていて、満開の樹冠越しに月の出が望めるはずだった。 お月さまの写真は毎月のように撮っているが、満月に限ると桜の時期では1年前の4月7日の宵だった。新型コロナウイルスの感染拡大で、ちょうど国の緊急事態宣言が出た日のこと。月の出は午後5時過ぎで、「月は東に日は西へ」太陽コロナも沈む時分だし、お月見ぐらいよろしかろうと勝手な理屈をつけて霞ケ浦畔まで出掛けたのである。 ところがこの日は東の空に低く雲がたれ込め、まさに桜の季節の花曇り。水辺から昇るお月さまは拝めず、雲間から満月が姿を現したのは午後9時過ぎ。自宅からでも見物可能な高みに昇ってからだった。 お月見とはいうが、月の出の時間帯にこだわるようになったのは、二十三夜をはじめとする「月待」の行事に興味をもった(コラム第16回、第22回)からだった。中天に昇った月を撮れば天体写真になってしまうが、地表近くなら樹木や水辺の写り込みが逆に興趣を誘う。月の出と同時に空の色調が一変するのをおもしろがった。 そんな話をしていたら、昨春土浦駅東に事務所を構えた知人が「花見の時期においでよ」と誘ってくれた。3階建てのビル屋上から川岸の桜並木を一望できるのが自慢だ。今年は早めに散ってしまいそうな懸念もあったが、満月の3月29日は昨年より1週間以上早く、ぴったり満開のタイミングに合った。 東に開けたロケーション

《土着通信部》44 UDフォントから始まるSDGsの行方

【コラム・相澤冬樹】行方市(鈴木周也市長)とモリサワ(本社・大阪市、森澤彰彦社長)が3日、「連携協力に関する包括協定」を締結したとのプレスリリースが届いた。行方(なめがた)は近隣のまちだが、NEWSつくばのカバーするエリアではない。でも地方自治体がなぜにモリサワ? とは、活字メディアに長く携わってきたものには興味あるところだ。 モリサワが扱うのは「フォント」。昔でいえば活字メーカーで、NEWSつくばの前身である常陽新聞も写植文字にモリサワを使っていた。しかし、行方に事業所や営業所があるとは聞いたことがない。 プレスリリースを読むと、「連携協力に関する包括協定」は地方創生とSDGs推進を目指すとある。同社による連携協定は関東の自治体では初めての事例と紹介している。 行方市は、総合戦略書に「情報発信で日本一プロジェクト」を掲げ、各種の課題に取り組んでいる。このなかで、モリサワのUD(ユニバーサルデザイン)フォントおよびMCCatalog+(多言語ユニバーサル情報配信ツール)の活用を図ってきたのだそう。これまでに職員研修を実施し、情報のユニバーサルデザイン化の浸透を図るなどの協力体制を開始しており、今後この動きを加速化するべく、協定の締結に至った。 UDフォントは筆者のパソコンにも教科書体が入っているが、UDが「ユニバーサルデザイン」とはついぞ知らなかった。より多くの人に、文字の形が分かりやすく、読み間違えにくく、文章が読みやすい―を目指して開発されたフォントということだ。 社会人を対象とした検証実験が昨年10月、同市も参加して行われ、UDフォントは特に40歳以上で読みの速度が約3.3%上がり、誤認を約5.3%回避できるという結果も得られた。

《土着通信部》43 2021年どうする?  GoTo初詣

【コラム・相澤冬樹】年の初めの例(ためし)とて-とはいうものの、コロナ禍の2021年、初詣は例年通りとはいかず、様変わりしそうだ。県内の主な神社に聞くと、大みそかから元旦の終夜参拝を取りやめる例は確認できなかったが、「密」を避けるため「分散参拝」を呼び掛けるなど、「新しい生活様式」に準じた参拝方法を提案している。 常陸国一之宮の鹿島神宮(鹿島市)では、「初めて参拝した日が初詣」という考え方や、正月三が日にこだわらず節分までは初詣だとの理解を求めている。楼門参入口にサーマルカメラを導入して体温を測り、37.5度以上の人には境内の外から本殿を向いて拝む「遙拝(ようはい)」にとどめてもらう。マスクをつけない人も参拝を遠慮してもらうなどの対応だ。 同神宮では遠隔初祈祷を案内している。ホームページを介した郵送祈祷に加え、代参祈祷の参拝方式を取り入れる。昭和初期まで存在した参拝者の世話をする「御師(おし)」を復活させ、ネットを通じて代参する様子の動画を依頼者に見てもらう。同神宮によれば、神道の本義から外れることなく、インターネットという現代の技術を用いて新しい生活様式の選択肢を提案したそうだ。 あんばさま総本宮、大杉神社(稲敷市)は、分散参拝に取り組むのは今回が初めてではないという。厄年・八方除(よけ)の厄払いで知られており、立春や旧正月(2月12日)も新しい年の始まりと扱うことから、従前3月までを初詣とみなしてきた。 「新年は、節分の豆まき行事を中止にした以外は例年どおり神事を行う」(市川久仁守宮司)としながらも、手洗い場に次亜塩素酸水の噴霧装置を設けたり、お守りの授与にICタグを用いた会計方式を取り入れるなど新機軸も打ち出している。 筑波山神社(つくば市)は、「一月中のお参りが初詣となるので、混雑を避けてお参りください」と呼び掛けている。ご祈祷は例年拝殿に300人ほどを招き入れたが、新年は「密」を避けるため昇殿は代表者1人に限り、1回約50人で執り行うことにした。7日までの祈祷は予約制。控室の入室前に、体温計測、手指の消毒、マスク着用などの決まりを設けている。

《土着通信部》42 福島第1原発事故から10年が迫る町

【コラム・相澤冬樹】東京電力福島第1原発事故に伴う住民避難が続く福島県双葉町を先月末、約6年ぶりに訪ねた。環境省が現地で開いた「福島再生・未来志向シンポジウム」に参加を申し込んだ。原発の隣接地に設けられた「中間貯蔵施設」への現地見学を希望してのGoToだった。 東日本大震災から10年となる来春に向けての情報収集という意図が働いた。そのせいか、取材メモは数字を書きとる作業に終始しがちだった。 たとえば中間貯蔵施設では、毎日約2800台のダンプトラックを受け入れているという話を聞いた。「ペースカー」と呼ばれる10トントラックには1台6~7個のフレコンバッグが積まれているそうだ。 フレコンバッグには、福島県内の除染に伴い発生した土砂や廃棄物などが詰め込まれている。6年前には地表を剥ぎとられた田畑や原野に、膨大な量の土のう袋が野積みされていた。あの黒い袋の現時点の回収地点が、中間貯蔵施設ということになる。 施設は、原発を取り囲むように、双葉、大熊両町にまたがって6号国道から海側の約1600ヘクタールの地域を占めている。ここに汚染土を最終処分までの間、安全に集中的に貯蔵すべく、環境省が設置、中間貯蔵・環境安全事業(JESCO)が運営する事業が2015年から行われてきた。 輸送対象となる福島県内の汚染土は約1400万立方メートルに達するとされ、11月までに約7割の965万立方メートルが同施設に運びこまれた。21年度中には完了の見通しということである。

《土着通信部》41 振り向けば駅そば 耕作放棄地再生の白い花

【コラム・相澤冬樹】振り向けば、ひたち野うしく駅近くの阿見町荒川本郷に、一面のそば畑が広がっている。なだらかにうねる丘陵は今、白い花ばなに覆われ、収穫の秋(とき)を待っている。6年前は荒れるに任せる耕作放棄地だったといわれても、にわかには信じられない景観の変わりようだ。 地元の認定農業者、斉藤正義さんのそば畑は合わせて4.2ヘクタールにもなる。水稲とショウガを主力に16ヘクタール規模で営農してきた斉藤さんが、常陸秋そばの栽培に踏み切ったのは2015年のこと。町が茨城大学農学部の協力を取り付け農家に呼び掛けた「美味しいそばプロジェクト」がきっかけだった。 農業従事者の高齢化、後継者不足の進行とともに拡大した同町の耕作放棄地率は、2010年当時31.2%(県平均14.6%)に達していた。この対策から畑作支援に乗り出した町が、そばづくりを推奨した。「常陸秋そばの場合、夏に播種して(稲刈りの終わった)11月には収穫できる。この間比較的手間がかからない」(町農業振興課)作業性に目をつけた。 茨大農学部の小松崎将一教授の指導で、栽培には学生らも参加。たんぱく質含量の多い、食味に優れたそばが育った。ここ2年、開花時期を台風に直撃され、収量ダウンや価格の低迷に見舞われたものの、町内の作付面積は6年目の今年、80ヘクタール超に達した。町の畑地面積のほぼ1割に相当する。15年以前には町内で一切、そばづくりは行われていなかったのだから、その分耕作放棄地の解消や抑制に役立ったといえる。 土浦市では新治地区で73ヘクタール(2019年)を作付・販売する市農業公社の契約栽培が大半だから、JA水郷つくばを介してのそばの出荷は阿見そば部会が主力を担うようになった。斉藤さんは昨年、全国そば優良生産表彰と県そば共進会優秀賞をダブル受賞するまでになった。秋に収穫を終えるとムギ栽培に切り替える輪作を行っている。 同町では今後の経営安定には、さらなる品質向上が必要とみて、茨大農学部と共同で実証実験を進めている。「特に土づくりが重要という認識で一致している。事前にヒマワリなどを育て、播種前に土壌にすき込んで緑肥とすることで、たんぱく含量に効果が表れるなどしている」という。

《土着通信部》40 根本健一さんのつくばスタイル

【コラム・相澤冬樹】音楽はクラシック党、名画を求めてエルミタージュやフィレンツェの美術館を訪ねたりしていたから、こと芸術に関しては本格志向だった。それでいて新奇さや前衛に傾倒する新しもの好きで、学生や若いアーティストにパトロンじみた支援も行うなど、鄙(ひな)には稀(まれ)な人物だった。鄙―つくば市吉瀬の田園を「ルーラル」と呼んで、筑波研究学園都市の「アーバン」と対置する取り組みを行ってきた根本健一さんが4日、亡くなった。66歳だった。 今の筑波都市整備の前身、第3セクターの筑波新都市開発で竹園や天久保のショッピングセンター開発に取り組んでいた根本さんが退職し、吉瀬の自宅の長屋門で画廊を始めたのは30歳前後、80年代の初めだったと思う。鄙に戻って家業の農家を本格的に継ぐのかと思えば、口にしたのは「農村業」への転身だった。 3セクはデベロッパーだったから、身に着けた不動産業の知識を農村に合った形で事業化する展開を考えた。科学万博のあった85年を契機に退職、長屋門を構えるほどの旧家の母屋はやがてレストランとなり、自宅周辺の小家屋は陶芸工房や貸しオフィス、美術学生のアパート兼作業場として提供された。 平成になると、事業は吉瀬集落からつくば市周辺に及ぶ。吉瀬には林間のオートキャンプ場「フォンテーヌの森」を開設、「アウトドアライフ」やら「RV車」などがトレンドワードとして急浮上していた時期で、時代の先取り感はあった。「グリーンツーリズム」や「クラインガルテン」など農村業にまつわる横文字には即座に反応し、企業化を図ったが、イチゴの水耕ハウス栽培など空回りすることも少なくなかった。 農村のストックを付加価値の先頭に 高度経済成長が続いた80年代まで、農村の都市化は不可逆的で、学園都市周辺の農村部はいわゆる「混住社会」というとらえ方をされていた。しかし「混住」は過渡期の姿ではなく、地域社会の1つのありようであることが、まさにつくばで明確になってきた。根本さんは筑波大学をはじめとした都市計画、地域計画の専門家、芸術家たちと交流するなかで、手法や考え方を学び、地域のなかに具体的に落とし込む作業に没頭した。

《土着通信部》39 霞の向こうの赤い月 6月の天文暦

【コラム・相澤冬樹】写真はコロナではない。霞ケ浦から昇る月、夏至に一番近い満月を「ストロベリームーン」と呼ぶと聞いて、2年前の6月、土浦市蓮河原の湖畔まで行ってカメラに収めた。 しかし月はいつだって、赤く染まって地平から昇ってくるものだ。地平線近くにあるとき、月の光のうちの波長が長い赤い光が吸収されずに残ることで深紅に見える。6月の月に特有の色彩ではない。 霞ケ浦の土浦入りでは春以降、東方に低く雲が霞んでかかるようになるから、梅雨時に、これだけの月の出が見えることの方が貴重といえる。2年前は写真のシーンから1分後に、月は雲間に隠れてしまった。 月食も日食もある西の空 今年6月の満月は6日で、土浦では午後6時18分ごろが月の出の時間となるが、実は同じ日の早朝、半影月食が見えるとの予報がある。食の始まりは午前2時43分ごろで食の最大は同4時25分ごろ、月に地球の半影(真影ではない)がかかる半影月食だから、食が分かりにくい上、午前4時30分ぐらいには月没の時間となってしまうため、天体ショーとしては派手さに欠ける。 そして半月後の21日には、新月となった月が太陽を隠す日食が起こる。アフリカからアジアにかけての一部の地域で金環食となるが、日本では午後4時~6時ごろに部分食が見られる。最大食分は那覇で約0.84、東京で約0.47、東日本では半分も欠けない。

「ナツワカ」うだる? 霞ケ浦ワカサギ漁21日解禁

【相澤冬樹】連日の猛暑から霞ケ浦の水温も上がって、21日解禁となるワカサギ漁への影響が気遣われている。今の時期のワカサギは、魚体は小さいものの脂がのり、栄養豊富な初物「ナツワカ」として珍重される。ところが梅雨明け後の気温の上昇で、水温も湖の表層部で軒並み30度を超えた。水温が高いとワカサギの食欲も減じて漁獲量に響く。試験操業の結果から、不漁だった昨季の挽回が期待された今シーズンだったが、いきなり暗雲が垂れ込めてきた。 霞ケ浦(北浦含む)で21日解禁となるのは、ワガサギ・シラウオひき網漁業(トロール)。漁期は12月末までで、昨年の解禁日には199隻が出漁した。このうちワカサギについては、ほぼ霞ケ浦産が占める茨城県内の漁獲量は全国3~4位で推移し、一時の低迷を脱した。2000年に51トンにまで落ち込んだが05年から16年までは12年連続100トン以上を記録した。 全国の産地で夏場に操業を行うのは霞ケ浦だけのため、県は霞ケ浦北浦水産振興協議会を通じ「ナツワカ」として売り出しを図ってきた。不飽和脂肪酸のEPA(エイコサペンタエン酸)やDHA(ドコサヘキサエン酸)を多く含むのがウリだ。今季は「平成最後のナツワカ」と力を入れた。 ここで不安は天候不順。安定していた漁獲が2017年に92トンに減少したのも気象条件に左右された。県の水産試験場内水面支場(行方市)は、「冷夏と日照不足で記憶される昨年だが、実はワカサギの生長期である解禁前の7月までは日照時間が長く、降水量が少ない展開だった。エサとなるワムシなど湖内の動物プランクトンも減少して生育環境が整わなかった」のを不漁の原因とみる。 今季は同試験場が7月3日と4日に漁期前調査を行い、魚体のサイズは5.4センチ平均と小さめだが、エサの量は十分にあるため「100トン以上には回復しそうだ」との見通しを示した。ところがここに来て連日の猛暑、水温もウナギ上りで、表層の水温が軒並み30度を超えた。ワカサギは水温が27度を超えるとエサを食べなくなり、魚体が大きくならない。まだへい死など影響は出ていないが、天候不順に正直に反応するサカナなのだ。 21日にわかさぎ解禁市開催 解禁初日の漁は、霞ケ浦で21日午前3時30分から5時まで、北浦で同4時から8時まで。漁師らでつくる霞ケ浦水産研究会は同日午前11時から、行方市の道の駅たまつくりにある観光物産館「こいこい」で「わかさぎ解禁市」を開く。採れたてのナツワカを天ぷらなどにして販売する。売り切れ次第終了というから、出足の漁獲高が注目される。 ▷解禁市の問い合わせは、道の駅たまつくり観光物産館「こいこい」電話0299-36-2781

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【コラム・川上美智子】スポーツには疎い方ですが、小学3年生の孫に誘われて「茨城ロボッツ」を応援するようになりました。保育園のころにサッカーでつまずいた孫が、小学生になってから茨城ロボッツのスクールに通うようになり、すっかりバスケットファンになってしまいました。 昨シーズンも、アダストリア水戸で行われたホーム試合は全て応援に行き、さらにYouTubeでそれぞれの試合を何度も何度も観戦して、試合運びを分析するほどの熱の入れようです。休みの日には、敷地内の小さな中庭のバスケットゴールで腕をみがいています。 そのような折、ロボッツから試合後の選手に提供するリカバリー弁当の話が舞い込みました。私がオープニングでプロデュースのお手伝いをした「レストランAOYAMA」(水戸市赤塚)のオーナーシェフ青山雅樹さんから、メニュー作成と監修の依頼がきたのです。そんな形でお役に立てればうれしい話と、早速、前職場の茨城キリスト教大学の教員に声をかけ、ロボッツの西村大介社長と詰めに入りました。 昨シーズンが始まり、ロボッツがなかなか勝てなかった時期の話で、昨年12月に6者協定の話がまとまり、年明けから「茨城ロボッツ・スポーツニュートリション 6者連携プロジェクト」がスタートしました。この取り組みが功を奏したのか、この後は、ロボッツが勝利する試合が多くなりました。 「食」の応援プロジェクトは3本柱 このプロジェクトの内容は、以下のようなものです。

不登校の子どもや保護者と支援者つなげたい 30団体がつくばで初の合同説明会

不登校など学校に悩みを抱える子どもや保護者と、支援者をつなぐイベント「不登校・多様な学び つながる“縁”日」が10月15日、つくば市流星台の桜総合体育館などで開催される。支援団体などでつくる「不登校・多様な学びネットワーク茨城つくばエリア」が主催する。支援団体による合同説明会と講演会などが催され、合同説明会は今回が初の試みとなる。 主催団体の石田佳織さん(43)は「支援につながれていない人が圧倒的に多い。複数の支援団体が協力し、より多くの人に支援を届けたい」と語る。 つくば市や近隣からフリースクールや親の会など約30団体が相談ブースを設置する。不登校の小中学生の居場所「つくし広場」を運営するつくば市教育相談センターもブースを設ける。ほかにフリースクールに通う子どもたちが企画ブースを設け来場者と交流を図る。発達心理学の専門家で恵泉女学園大学学長の大日向雅美さんによる講演会も予定されている。 支援者いると知ってほしい 「誰にも相談できずに苦しむ人は多い」。不登校の子どもの保護者を支援する「竹園学園”教室や学校に行きづらい子ども”の親の会」共同代表の中村規乃さん(47)が、当事者の声を代弁する。同団体は、同ネットワークに参加する団体の一つだ。 中村さん自身、不登校の子を持つ当事者。学校に行けない自身を責める子どもの気持ちを知り「学校に行って欲しいという思いと、学校に行かない子どもを認めたいという思いの間で苦しんだ」と当時を振り返る。

インターナショナルスクールを誘致 県、旧筑波小跡地に

秀峰筑波義務教育学校(つくば市北条)の開校に伴い2018年に廃校となった9小中学校の1つ、旧筑波小学校(同市国松)にインターナショナルスクールの誘致計画が浮上している。跡地利用についての意見交換会が9月に、2回にわたって同市沼田の働く婦人の家で開かれた。 開設を表明しているのは、東京都江戸川区で「グローバル・インディアン・インターナショナル・スクール(GIIS)」名で3つの学校を運営しているグローバル・スクールス・ファウンデーション(GSF、本部・シンガポール)。誘致しているのは、茨城県庁で国際渉外などを手がける営業戦略部。つくば市の経済部産業振興課を通じ学校跡地を貸借できないか打診してきた。 2回目の意見交換会は26日開催された。GSFの日本法人(株式会社組織)であるグローバル・インディアン・エデュケーション(GIE)から3人の関係者が説明に訪れ、県、つくば市の担当者らと、地域住民らの質問に答えた。約25人が参加した。 県によれば、つくば市周辺では半導体メーカーのTSMCジャパン3DIC研究開発センター(同市小野川)など世界的企業の進出が次々と決まり、外国人子弟の教育環境ニーズの高まりがあるとして支援する構えを見せている。「日本人生徒も数多く学ぶ学校で、地域への移住促進にもつながる」と誘致に動いた。 開設の意向を示したGSFに対し、県は市と調整し今春、校舎の耐震基準などを満たす市内3カ所の適地を紹介。夏までに旧筑波小跡地に絞り、今後の交渉を進めることになった。市は「地域に受け入れらなければ進められる問題ではない。今回の開催は説明会ではなく意見交換会。きっちり意見を聞いて、貸与について検討したい」との構えだ。 2018年に廃校となった旧筑波小