土曜日, 1月 29, 2022
ホーム コラム KEKの初夢? 放射光施設に「ハイブリッドリング」《土着通信部》49

KEKの初夢? 放射光施設に「ハイブリッドリング」《土着通信部》49

【コラム・相澤冬樹】高エネルギー加速器研究機構(KEK、つくば市大穂)を「高エ研」と呼んでいた1980年代初め、フォトンファクトリー(PF、直訳すると光の工場)というしゃれた名前の施設が運転を開始した。その初代施設長が3年前の冬に97歳で亡くなった高良和武さんで、第3代施設長の千川純一さんも昨年暮れ92歳で逝去された。

KEKが新年5日に、研究成果「放射光源設計の新機軸–ハイブリッドリングによる放射光2ビーム同時利用」の発表をすると知って2人の名を思い出した。フォトンファクトリーこそ放射光施設で、光といっても主にX線を幅広く用いる。その40年目の新機軸ということで、初夢感たっぷりの話が聞けるのではとオンライン記者会見への参加を申し込んだ。

10年かけて建設目指す

高エネルギーの電子など荷電粒子が磁場によって曲げられるとき、電磁波を放射する現象(シンクロトロン放射)が起こる。エネルギーのそろった強力なX線を得られることから、高良さんらは分子・原子レベルの構造解析や微細加工に利用できると目をつけた。PFは国内最初の放射光利用の専用施設として1982年にファーストビームの発生に成功、以来40年の長きにわたり、大学の基礎研究から企業の応用研究まで、幅広く活用されて成果を挙げてきた。

発表資料には、KEK加速器研究施設の原田健太郎准教授、小林幸則教授、KEK物質構造科学研究所の船守展正教授(放射光実験施設長)らの研究グループが、新概念による放射光源施設「ハイブリッドリング」を考案したとある。今のところ、線形加速器と蓄積リングとを組み合わせた新しい放射光源のアイデアの提案で、予算化や建設・稼働の時期などに見通しをつけたものではない。2030年代前半までにPFの後継施設の建設を目指しているという。

40年の間に、日本の放射光施設は11光源を数え、極めて高い輝度を得られるSPring-8が1997年、播磨科学公園都市(兵庫県)に稼働開始するなどし、「第4世代」に突入した。「第3世代」のPFは2つめの光源加速器PF-ARを設けるなど改良を加え、現在も一線級の放射光施設として運用されているが、輝度偏重から脱却し、汎用性と柔軟性を実現する方向に転換しようとしている。

使い勝手を優先した設計の蓄積リングを基本とし、入射器として長パルスの超伝導線形加速器を組み合わせた、ハイブリッド型が考案された。従来型の蓄積ビームからの放射光利用に加え、リングの⼀部分(3分の2周)に入射器からの超高性能電子ビームを⼀度だけ通過(シングルパス)させ、そのビームからの放射光利用も行う。線形加速器からのシングルパスビームを使えば、ビームサイズやパルス幅、ビーム繰り返しといった蓄積リングでは変更困難なパラメーターに対する柔軟性も得られ、さらに、蓄積ビームからの放射光と組み合わせることで、放射光2ビーム同時利用も可能になるという。

光源の設計や性能についての解説は、難解極まりない。会見で出た話の中では「光学・電子顕微鏡に出来て、放射光に出来ないことを実現するのがハイブリッドリングの目的になる」(原田准教授)という説明が分かりやすかった。

たとえば「大きな試料全体の測定から始め、特徴的な場所に向け倍率をあげていきながら、詳細な測定を段階的に行っていくこと」が放射光では出来ないそうだ。顕微鏡では対物レンズを替えながら倍率を大きくしていくが、放射光では焦点を当てた箇所が狙い通りとは限らない。輝度を上げることで細かいものは非常によく見えるようになっているが、どこを見ればいいか、その指標がない。放射光2ビームの同時利用で、段階的な詳細測定が可能になるという説明だった。

こうした開発研究から放射光科学を先導する新しい技術が生まれる期待がある。2つのビームの独立制御などシミュレーションを繰り返すなどして、10 年先の実現に向け、夢を追う形だ。船守教授は「PFの先人たちは40年前、世界に例のない施設を作って放射光科学を引っ張っていこうとしていた。今日、大変難しい技術が多いが、私たちも改めて難関に取り組んでいきたい」と語った。(ブロガー)

誹謗中傷するコメントはNEWSつくば編集局が削除します。
0 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る

陽性確認者数(公表日ベース)の推移

つくば市

土浦市

スポンサー

注目の記事

最近のコメント

最新記事

浄化槽設置補助金431万円を過大交付 国・県に返還へ つくば市

台所の排水やトイレのし尿を処理する合併処理浄化槽を住宅や事務所に設置する場合に国や県から交付される補助金について、つくば市は28日、会計検査院による国の会計実地検査の事前調査で、2019年度の設置事業について、国と県から過大な交付を受けていたことなどが分かったと発表した。最大で8件分、約431万1000円が過大に交付されたとみられるとして、市は金額を確定した上で、補正予算に計上して3月議会に提案し、県と国に返還するとしている。 市環境保全課によると、高度処理型合併処理浄化槽の費用は家族5人用の場合、工事費も含め100万円前後で、霞ケ浦、牛久沼、小貝川のどの流域に住んでいるかや、浄化槽の性能によって、38万4000円~87万6000円の補助金が国・県・市から交付される。 過大に補助金の交付を受けていたとみられる8件のうち4件は、実際は設置工事が延期されたり中止されたことにより19年度の申請が取り消されていたにもかかわらず、実績報告に含め、国や県から、つくば市が補助金を受けていたという。残り4件は、霞ケ浦・牛久沼流域か小貝川流域か、どの流域にあるかの判断を誤り、本来とは異なる金額で実績報告してしまったという。 流域の確認を誤った4件は、設置者にすでに補助金を交付している。このうち3件は、本来より高い補助金を交付してしまったことから、設置者3件に対し計51万7000円を返還請求する。一方、本来より低い補助金を交付したケースも1件あり、8万9000円を返還するという。 合併処理浄化槽の設置補助金を受けるには、市に交付申請書を提出することが必要で、申請者はどの流域に住んでいるかを書類に記載する。流域が入り組んでいる地区からの申請書類に流域の記載誤りがあったにもかかわらず、市が確認することを怠ったなどが原因という。 同課は再発防止策について、今後は特に注意を要する項目をリスト化し複数人で確認するなど、確認体制の強化を図るとしている。

小学校 臨時休校に 2月10日まで 県が要請

新型コロナウイルスの感染が急拡大し、県教育委員会が、県内すべての小学校にリモート学習と分散登校の併用などを要請したことを受けて、つくば、土浦市の小学校はいずれも1月31日から2月10日まで、臨時休校となる。 リモートとプリント授業 つくば市 つくば市は27日、市内すべての小学校と義務教育学校前期課程を臨時休校にすると保護者に緊急メールで連絡した。 県教委が26日、県内の小学校で複数のクラスターが確認されていることなどを踏まえ、リモート学習など感染拡大防止の取り組みを徹底するよう市町村教委に要請。これを受けてつくば市教委がリモート授業の実施を決めた。 つくば市では1月に入ってから毎日感染者が判明し、小学校は2校が休校、6校12学級で学級閉鎖となった。 31日から2月10日までは原則登校はせず、オンラインを活用した授業とプリントなどの学習を行う。ただし、保護者が医療や介護、保育、消防などに従事する場合や仕事の都合などで児童の面倒を見ることが困難な場合、自宅にインターネット環境のない児童は学校が受け入れる。

カスミの新業態「BLANDE」つくば並木店オープン ウエルシアと売場融合

食品スーパーのカスミ(つくば市、山本慎一郎社長)が28日、つくば市並木4丁目に新業態のスーパーマーケット「BLANDE(ブランデ)つくば並木店」を開店した。ドラッグストア大手のウエルシア薬局と売り場、レジを一体化したのが特徴で、医薬品を除く化粧品や日用品などを食料品とまとめて決済することができる。「フード、ヘルス、ビューティー&ウエルネス」をコンセプトにし、より利便性の高い新しいスーパーマーケットの形を目指す。1号店は売場面積2353平方メートル、年商目標は16億円。 早速にぎわう果物売り場=BLANDE店内 食料品ではカスミのプライベートブランド「MiiL KASUMI(ミールカスミ)」でオリジナル商品を作り、地元ならではの品やこだわりの品をそろえる。総菜売り場ではアジアン、エスニックなどさまざまな国のメニューのデリカを用意。お酒売り場ではアプリを活用して好みのワインを探せたり、有料でワインテイスティングしたりできるコーナーも展開する。つくば市手代木のイタリアンレストラン「TRATTORIA E PIZZERIA AMICI(トラットリア・エ・ピッツェリア・アミーチ)」が監修した焼きたてピザも提供する。 レジを通らずに買い物できるスマートフォンアプリ「Scan&Go Ignica」を利用した会員制プログラム「BLANDE Prime」の導入も新しい試み。ブロンズ、シルバー、ゴールドと3つの会員グレードを用意し、有料会員はオンラインデリバリーの配送料無料やカスミの管理栄養士による健康相談、コーヒー1杯無料などのサービスが受けられる。 有料会員用の管理栄養士によるヘルスサポートコーナー=同

高田保の「ブラリひょうたん」 《ひょうたんの眼》44

【コラム・高橋恵一】高田保は、土浦出身の劇作家、映画監督、舞台演出家、随筆家である。旧土浦町の旧家に生まれ、子供のころから気遣いができて話も面白く、同級の者以外とも交流するなど、人望が厚かったそうだ。 旧制土浦中学(現在の土浦一高)を経て早稲田大学の英文科に進み、頻繁に銀座に現れるなど生活を謳歌(おうか)したという。中学の入学試験はトップだったが、2位には阿見町出身の下村千秋がおり、その後、2人とも文筆の道に進んだ。 保は、大学在学中から新劇運動に参加。戯曲に取り組んだり、劇団の脚色、演出、小説の執筆など、幅広い分野で活動。人柄もあって幅広い付き合いがあった。 東京日日新聞(現・毎日新聞)の学芸部長だった阿部真之助から、菊池寛を顧問とした学芸部社友に、大宅壮一、横光利一,吉屋信子らとともに招かれ、活躍。彼らの文章を評して、「マクラの阿部真之助、サワリの大宅壮一、オチの高田保」と言われたこともあるという。 戦時中から体調を壊し、大磯(神奈川)に住まいを移し、晩年は、同じ大磯の志賀直哉の旧居に住んだ。 戦後、1951年の12月から、東京日日に、1日1文「あとさき雑話」を書き始め、新年からは表題を「ブラリひょうたん」に改めた。なぜ、ブラリなのか? なぜ、ひょうたんなのか?...