月曜日, 10月 12, 2026
ホームコラム人口減の土浦に夢と元気は如何にして《土着通信部》48

人口減の土浦に夢と元気は如何にして《土着通信部》48

【コラム・相澤冬樹】土浦市の「広報つちうら」12月15日号は、かすみがうらマラソン兼国際ブラインドマラソンの来年4月17日開催決定について、フロントページで大々的に報じていた。NEWSつくばには記事がなかったなあ、などと思いながら、ページをめくっていると、「パブリックコメントを実施します」とある一覧表に目が留まった。

3本の計画案について、市民(市内在住・在勤・在学者)の意見も求めるものだが、2本目に「第9次土浦市総合計画について」(案)があがっていて、これは見逃しちゃいけないと思った。総合計画は将来のまちづくりの指針で、22年度から5年間の市政運営の基本方針となる。表には担当は政策企画課、コメントの提出期限は16日から1月12日までとあったが、情報はそれだけともいえ、マラソンの参加者募集に比べたら素っ気ない。

実は、同課には約ひと月前、メールによる問い合わせをしたばかりだ。2020年に行われた国勢調査の結果概要が11月30日に公表され、同市の人口は14万2074人で、前回調査(2015年)から1270人(0.9%)の増加に転じていたのが気になった。増加理由の分析と「下げ止まったと見られるか」を質問した。

回答は、増加傾向に転じた要因として「外国人の技能実習生や留学生等の増加、土浦駅周辺への転入者の増加、土浦協同病院の移転に伴う、おおつ野地区における医療従事者や看護学生等の転入者の増加、宅地造成が市内の複数箇所で進み、分譲が開始されたことによる転入者の増加、老人福祉施設が増設されたことによる入居者の増加」などをあげた。

しかし、「常住人口は、2000年をピークに減少に転じており、住民基本台帳人口においても緩やかな減少が続いていることから、今回の国勢調査の結果をもって、少子高齢化の進行による人口減少に歯止めがかかったとは受け止めておりません」との回答だった。なるほど、市の常住人口は12月1日現在13万7802人、すでに14万人を割り込んでいる。

パブコメ募集中 年を越す課題

で、総合計画である。人口の見通しこそは、計画の根幹をなす。パブコメ向けに市のホームページにアップされている「計画(案)」をのぞくと、人口動態を事細かに分析している統計データを見ることができる。それらから、総合計画の将来目標人口(2031年)は12万8000人とはじき出されていた。

第9次総合計画は「夢のある、元気のある土浦」を将来像に掲げる。しかし、右肩上がりの人口増を見込めないなかで、地域経済やコミュニティー活動に夢や元気が易々と出現するわけもない。実際「人口の社会移動の推移をみると、特に、20歳代後半から30歳代といった若い世代において転出超過の傾向が顕著な状況が継続」しているのが現状といえる。

計画(案)を読み進めていくと、人口の量的拡大が難しいなかで、質的な拡張を意図していることがうかがえる。市外からの来訪者である「交流人口」、さらに地域や地域の人々と多様に関わる「関係人口」を拡大させる必要がある-と説いたりしている。マラソン大会の人集めは大事なのだ。

計画(案)は4つのリーディングプロジェクトを示し、数字をあげて成果指標を示し、具体的な取り組みを書き込んでいる。ただし、読みこなすにはマラソンランナー並みの持久力がいりそうだ。そのうえで、12日までにパブコメ提出するとなると、正月休みはほぼ返上だ。若年人口には取り組めそうにない、年を越す課題である。(ブロガー)

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【コラム・山口京子】「死に時に あらがいつつも 迷いつつ…」。今の自分の心持ちです。昨年12月にがんと告知され、医師に「治療をしなければ余命8カ月。治療して功を奏した場合は2年半」と言われました。月に2回入院して、抗がん剤治療が効き、10カ月が過ぎました。 そうした中、良寛さんの言葉を思い出しました。1828年、良寛さんが71歳のとき、新潟で大地震が起きました。被災し、子どもを亡くした知人に宛て「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候」と。色身と法身を一身に生きた良寛さんならではの言葉だったのでしょう。 昨今の天災は人災の要素が高まっています。医療技術が進み、かっては助からない命が助かるようになった時代に生き、自分は死に時をどう考えるのか…。末期がんとどう向き合うのか…。 国民皆保険制度で、受けられる治療であれば受けてみる。高額になる自由診療は見合わせる。自分でできる食事・運動や生活改善はやってみる。手の届く代替治療やサプリメントは可能な範囲で利用する。こうして過ごしてきました。 抗がん剤治療で時間を稼いで、できるならがんの進行を遅らせ、がんを小さくし、その間に、体力・体調・体重をキープし、自分の免疫力や自然治癒力を高め、標準治療に頼らないで、がんと共存できたらという願いがあります。 どんな物語を紡ぐのか そう願う一方、抗がん剤を止めたらがんが増殖するのではないか、抗がん剤が効いて手術ができるようになったのに手術をしないのはどうかと、迷っている自分がいます。 自分の心身は自分の支えでもあり、制約でもあるのでしょう。制約を取り払うことができるなら、何が見えてくるでしょう。人が生きていくに当たって、物語と意味は不可欠なものかもしれません。どんな物語を紡ぐのか、何にどういう意味を込めるのか。 自分の自分と、他人の自分、たくさんの他人の自分で構成される社会で、平和に暮らすすべとは、いかなるものなのでしょうか?(消費生活アドバイザー)

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カフェ&ラボ テラッツァ《ご飯は世界を救う》75

【コラム・川浪せつ子】公益財団法人つくば文化振興財団が運営する「つくばカピオ」(つくば市竹園1丁目)では、室内アリーナ、会議室、和室などの施設を借りることができます。ここでは、バスケットリーグ、大相撲つくば場所などのスポーツイベント、音楽リサイタルなどの文化プログラムが開かれています。 その西側に、ガラス張りのステキな平屋の建物があります。以前は、障害者関係の方々が飲食店をやっていました。ところが閉店していまい、今年6月、「Cafe&Labo TERRAZZA(カフェ&ラボ テラッツァ)」という名前のイタリア料理店がオープンしました。 私は月1回、つくばカピオの小会議室を借りて、水彩画教室をやっています。教室が終わってから、皆さんとTERRAZZAにご一緒しました。外観だけでなく内部もオシャレで、都会的ないい雰囲気。お店の方も親切です。隣には、展示などができるフリースペース(有料)もあります。 アナタのお子さんは大丈夫 記憶がややあいまいですが、かつてこのコーナーは社会福祉法人の相談所でした。私はわんぱく息子に手を焼き、2回ほど児童相談に行きました。担当の元小学校の校長先生は「アナタのお子さんは大丈夫です」と言ってくださり、特別なアドバイスはありませんでした。 ですが、その言葉で私の気持ちは落ち着き、ホッとして帰宅したことを覚えています。数年後、元校長先生にお礼をと思いましたら、相談所はすでに閉鎖。社会福祉法人に問い合わせたら、その方は亡くなられたとのことでした。 その後、子育ては山あり谷ありでしたが、今でも時々思い出します。男の子は、母親に理解できないことが多い「未知の生命体」ですね。今、息子たちは「チョッピリ親思い」の大人になりました。(イラストレーター)

5カ国の19人を歓迎 日本つくば国際語学院で秋の入学式

つくば文化学園が運営する日本語学校「日本つくば国際語学院」(つくば市松代、東東郷治久理事長兼校長)の2026年度10月生歓迎会(秋の入学式)が8日、同市小野崎の同校に隣接する料亭、つくば山水亭で開かれた。5カ国から来日した19人が、鮮やかな民族衣装などに身を包み、新たな一歩を踏み出した。 新入生はミャンマー、バングラデシュ、スリランカ、ネパール、中国出身で、ミャンマー出身者が9人と最多。これから1年半、日本語を学ぶ。 歓迎会では、19人のうち、出席した18人全員がそれぞれ、習いたての日本語で、出身国、年齢、日本でやりたいこと、趣味などを自己紹介し「日本語学校で学びながら専門学校に進みたい」「卒業後は日本で仕事先を見つけたい」「音楽とサッカーが趣味」「読書や旅行が好き」「好きな日本の食べ物はすしとラーメン」などと話した。 在校生を代表してバングラデシュ出身のイスラム・サイフルさんが歓迎のあいさつをし、「最初、日本語があまりわからず、電車に乗った時はどこに行くのかもわからなかった。先生たちは優しく教えてくれたので安心して勉強することができた。皆さんも故郷を思い寂しくなることもあると思うが、学びながら日本の生活を楽しんでください」と新入生にエールを送った。 東郷理事長は「遠い国から、このつくばの地に来てくれてありがとう。日本語を学びながら、日本の文化や社会も学んでほしい。つまずくことがあるかもしれないが、つまずきは大きな経験。明るく前向きにチャレンジして成長してほしい」と語った。 歓迎会には在校生も参加し、この日は新入生を含め200人を超える生徒が会場にあふれた。在校生を対象に日本語能力試験の表彰も行われ、5段階評価のうち最も難しいN1に合格した1人、日常的な日本語を理解できるN2合格の2人、N3合格の21人、N4合格の26人が表彰された。N1は日本人でも合格するのが難しいという。 その後、新入生、在校生、教職員全員で記念撮影が行われた。最後は歓迎パーティーとなり、在校生がキーボードやギターを弾きながら歌ったり、ミャンマー出身の生徒が伝統舞踊を披露するなどした。 東郷理事長は「入学した学生を見ていると、向上心があり明るい、日本人の失ったものをもっているような気がする」などと話した。(榎田智司)