木曜日, 11月 21, 2024
ホーム検索

田中めぐみ -検索結果

If you're not happy with the results, please do another search.

「霞月楼所蔵品展」が開幕 土浦市民ギャラリー

29日はトークセッション 明治時代に創業し各時代の政治家、軍人、文化人らをもてなした土浦の老舗料亭「霞月楼」(同市中央、堀越恒夫代表)が所蔵する美術作品などの写真パネル約40点を一堂に展示する「霞月楼所蔵品展」(同実行委員会主催)が24日、土浦駅前の土浦市民ギャラリー(同市大和町、アルカス土浦1階)で始まった。会期は29日まで。初日は午後2時からオープンし、約40人が訪れた。 政治家、軍人、文化人らが通う 「霞月楼」は1889年(明治22年)に創業、130年以上の歴史を誇る。県内の政治家や実業家らの社交場として、また多くの文人や画家、書家らが逗留(とうりゅう)する創作の場としても栄え、画家の大川一男、小川芋銭、竹久夢二、岡本一平などが残した作品が大切に継承されている。 1921年(大正10年)、阿見町に霞ケ浦海軍航空隊が発足すると、海軍の関係者らが訪れて連日にぎわい、東郷平八郎や山本五十六もよく通った。1929年、飛行船ツェッペリン伯号が飛来した際は、乗客乗員を「霞月楼」で歓待した。 海軍予備学生の寄せ書き屏風レプリカも 展示されているのは、東郷平八郎、山本五十六、リンドバーグ、ツェッペリン伯号などにまつわる歴史資料と、著名作家の美術作品の写真パネルなど。土浦市出身の彫刻家、一色五郎の作品は「白鷺(しらさぎ)」の写真パネルのほか、「逆さだるま」と鳩の彫刻2点の現物を展示している。 太平洋戦争末期の1944年に「霞月楼」で開かれた海軍予備学生の送別の宴で、これから戦地に向かう予備学生らが寄せ書きした屏風(びょうぶ)は、同じ大きさのレプリカを展示。「征空萬里」、「回天」という勇ましい言葉や、当時人気だった芸者「春駒」の文字が見られる遺書のような屏風は、若者が命を賭した戦争の痛ましさを生々しく伝える歴史資料の一つだ。 「霞月楼」の堀越雄二さんは「当時祖父が予科練にいて、この寄せ書き屏風の存在を伝え聞いていたという人も訪れ、涙を浮かべて屏風を見ていた。このような歴史の1ページがあることを多くの人に知ってもらえれば。開催中は受付にいるので、解説もしますし、質問もいつでもお待ちしています」と話している。(田中めぐみ) ◆「霞月楼所蔵品展」は土浦市民ギャラリーで、9月24日(火)から29日(日)まで開催。開館時間は午前10時から午後6時まで。入場無料。 ◆最終日の9月29日(日)午後1時から午後3時は同ギャラリーで、小説家の高野史緒さんと社会学者の清水亮さんによるトークセッション「ツェッペリン伯号と湖都・土浦を語る」が開かれる。入場無料。車で来場の際は駐車場が最大2時間無料。図書館、または市民ギャラリー受付で確認印が必要。 ➡《霞月楼コレクション》の過去記事はこちら

慶応大の学生10人 土浦・阿見の博物館など巡り 歴史語り継ぐ方法を調査

土浦市立博物館(同市中央)や予科練平和記念館(阿見町廻戸)などを巡り、歴史を語り継ぐ方法を調査しようと、18日から、慶応義塾大学の学生10人が土浦を訪れている。土浦市内に20日まで滞在し、街歩きをしながら史跡を見たり、地元の人にインタビューするなどしてフィールドワークの手法を学ぶ。最終日には同市中央のギャラリー、がばんクリエイティブルームで作業をし、体験したことをまとめる予定だ。 社会学者の清水亮さん企画 訪れたのは同大環境情報学部と総合政策学部の1~3年生10人。土浦や阿見町の戦中・戦後史をまとめた「『軍都』を生きる 霞ケ浦の生活史1919-1968」(岩波書店)=23年3月22日付=の著者である同大専任講師の清水亮さんが教育活動の一環として合宿を企画した。社会学を専門とする清水さんのゼミ生や、フィールドワーク法の授業を受講する学生など、調査手法を学びたい学生たちが参加した。清水さんは学生時代から自身も幾度となく土浦を訪れ、近現代史の調査を続けている(24年8月3日付)。 調査1日目となる18日には、明治、大正、昭和の調剤道具などが展示されている「奥井薬局」や、1929年に飛来した際の写真や資料が展示されている「ツェッペリン伯号記念館」、江戸時代後期の商家を活用した観光拠点「まちかど蔵」などを学生たちが巡って、街中にある小さな展示を見学。手作りの展示に取り組む人々に聞き取りをするなどし、土浦の街全体を博物館に見立てる「フィールドミュージアム」の可能性を探った。 午後には市立博物館を訪れ、歴史や文化を伝える資料を見学した。学生たちは一つ一つに足を止め、メモを取ったり写真撮影をしたりしながら、熱心に見入っていた。見学後は同館学芸員の野田礼子さんに展示の工夫や課題についてインタビューした。2日目となる19日には予科練平和記念館などを訪れ、学芸員の山下裕美子さんや、予科練戦没者の遺書や遺品などの資料を保存・収集する「海原会」の行方滋子さんにも話を聞いた。 災害、地方創生…それぞれの興味から 参加した3年生の福島優希さんは桜川市の出身で、防災教育に関心があり普段は全国各地で調査を行っている。地元の茨城についてもっと深く知りたいと考え、この合宿に参加した。調査で土浦を訪れるのは2回目だ。「土浦は水運の街。今は水害を避けて川辺には住まないことが多いが、土浦の昔の富裕層は川辺に住んでいたのが興味深く、もっと調べたいと思った」と災害の観点から着目し、関心を深めていた。 同じく3年生で静岡県出身の高久快さんは地方創生や地方の経済活性に関心を持っているという。土浦を訪れるのは初めてで「昔の街並みが残りつつ、昔と今とが融合している。『昭和レトロ』な雰囲気がいい」と話す。戦後、軍用地がどのように利用されてきたかに興味を持っており、調べたいという。 1年生の中沢遥花さんは図書館や、サードプレイスと呼ばれる自宅や学校、職場でもない第3の居場所に関心があり、合宿に参加した。「土浦は昔の雰囲気が残っており、歴史を感じられる街」と土浦の印象を語った。 五感で「生きた歴史」見つけて 同大の清水専任講師は「博物館などの展示は、それを作る人の努力と工夫があってできている。リスペクトの気持ちを持ってほしい」と活動の目的を話す。歴史をどのように語り継いでいくか、若い世代の視点で考えてほしいとし、「フィールドワークのノウハウやスキルというよりも、人との出会いを大切にし、そこに生きた歴史があることを学生たちに伝えたい。街中も、風景や地形など実際に歩いて分かることがある。教室での勉強や、書物を紐解いていく勉強とは違い、空間の中で五感を使って体験することを大事にしてほしい」と思いを語り、フィールドワークの楽しさを説く。(田中めぐみ) ◆社会学者の清水亮さんは、29日(日)午後1~3時、土浦市民ギャラリー(同市大和町、アルカス土浦1階)で開かれるトークセッション「ツェッペリン伯号と湖都・土浦を語る」に出演し、小説家の高野史緒さんと対談する。トークイベントに先立って24日(火)~29日(日)、同ギャラリーで「霞月楼所蔵品展」が開かれる。開館時間は午前10時から午後6時(初日は午後1時から開場)。いずれも入場無料。 ➡詳しくはこちら

土浦で初 筑波大芸術系卒業制作展 市民作家減少、新たな萌芽に 

筑波大学芸術系の卒業制作作品のうち、特に優れた作品を展示する「筑波大学アート・コレクション展 TURNING POINT(ターニング・ポイント)」が土浦駅前の同市大和町、アルカス土浦1階市民ギャラリーで開かれ、絵画や造形など卒業生の力作16点が展示されている。同大アート・コレクション展の土浦市での開催は初めて。 決意表明の作品 日本画や彫塑(ちょうそ)、書、版画、総合造形など、14の領域を有する筑波大学ならではの多様なジャンルの作品が展示されている。第11回MOE創作絵本グランプリを受賞した絵本作家、塩満幸香さんの油彩画「Sit down, please.」や、多摩美術大学講師の陳芃宇さんの日本画「The End・Be Start」、宇都宮大学准教授の株田昌彦さんの油彩画「排気4000 Ⅰ,Ⅱ」など横幅2~4.5メートルの大作や、映像作家浅井佑子さんの映像作品「make-up」なども見ることができる。 いずれも同大で「芸術賞」と「茗渓賞」として1999年から2018年までに表彰された受賞作だ。「芸術賞」は1997年度、「茗渓会賞」は2006年度に始まった表彰制度で、これまで120点余りの作品が受賞している。受賞作品は毎年大学が買い上げ、「筑波大学アート・コレクション」として収蔵されている。卒業制作は、芸術を志す若者が、自身の今後の方向性を宣言する決意表明の作品でもある。 土浦市の友人と一緒につくば市から訪れた須藤スミ子さんは「これまでヨーロッパやアメリカなど16カ国の美術館を訪れているが、遜色なく、プロ並みの力作ぞろいで迫力があり、驚いた。若い人たちにがんばってほしい」と話し、展示された工芸作品などに見入っていた。 市民美術展、県内一の歴史 土浦市は、市民公募型の美術展「土浦市美術展覧会」が1947年に始まり、県内一の歴史ある美術展として知られるなど、県南の芸術文化の中心地となってきた。しかし少子高齢化が進む近年は、創作活動をする市民作家が減少しているという。若い感性で創り出された作品に触れることで土浦市の芸術文化振興の新たな萌芽のきっかけにしたいと同市が展示を企画した。 企画した同市文化振興課の若田部哲さんによると、ターニング・ポイントというタイトルには、展示された作品が学生の卒業後の方向性を決め、大きな転機となったという意味と、同展が土浦の芸術文化への意識を変える転換点になればという思いが込められているという。「芸術系を目指す若い人たちにぜひ見に来てほしい。土浦の高校生にも見てもらえたら」と来場を呼び掛ける。(田中めぐみ) ◆会期は10月20日(日)まで。開館時間は午前10時~午後6時。月曜日は休館(祝日を除く)。入場無料。土浦市民ギャラリーは、土浦市大和町1-1、土浦市立図書館1階。問い合わせは電話029-846-2950(同ギャラリー)。

ツェッペリンと土浦の近現代史テーマに 作家 高野史緒さん×学者 清水亮さんがトーク

24-29日 アルカス土浦で「霞月楼所蔵品展」 土浦の老舗料亭「霞月楼」(土浦市中央、堀越恒夫代表)が所蔵する美術作品や歴史資料の写真パネル約30点を展示する「霞月楼所蔵品展」が9月24日から29日まで、土浦駅前の市民ギャラリー(アルカス土浦1階、同市大和町)で開催される。最終日の29日には昨年、いずれも土浦を題材にした本を出版した作家の高野史緒さんと社会学者の清水亮さんがトークセッション「ツェッペリン伯号と湖都・土浦を語る」に登壇し、異なる視点から土浦を解釈し歴史を解き明かす。2人が土浦で話をするのは初めて。 NEWSつくばと土浦ツェッペリン倶楽部がつくる霞月楼所蔵展実行委員会(坂本栄実行委員長)が主催する。 作家と学者が土浦にスポットライト 高野史緒さんは土浦市生まれ、土浦二高出身。SFやミステリーを得意とする江戸川乱歩賞受賞の人気作家だ。昨年2月、土浦を舞台としたSF小説『グラーフ・ツェッペリン あの夏の飛行船』(ハヤカワ文庫)を出版し、今年2月に早川書房が発行した『SFが読みたい!2024年版』国内編で第1位を獲得した(2月25日付)。SFファンが「聖地巡礼」で土浦を訪れるなど話題となっている。同作は土浦二高の高校生と、量子コンピュータの開発に関わる青年の男女2人が主人公で、作中には土浦市の霞月楼や亀城公園、旧土浦市役所、つくば市のノバホール、筑波大学などが登場する。高野さんは今年5月に新作『ビブリオフォリア・ラプソディ あるいは本と本の間の旅』(講談社)を発売した(5月21日付)。 清水亮さんは東京都出身の若手社会学者。現在、慶應義塾大学専任講師を務める。東京大学の学部生だった2013年から阿見町や土浦の地域史に興味を抱き、研究を始めた。昨年『「軍都」を生きる 霞ヶ浦の生活史1919-1968』(岩波書店)を出版(3月22日付)。霞月楼の資料や常陽新聞の記事などを史料に等身大の生活を描き出し、ドイツの飛行船ツェッペリン伯号の飛来の様子や、どのようにして阿見、土浦で基地が受け入れられてきたか、戦前、戦中、戦後を通した生活史をまとめた。今年6月には、戦争の記憶を拾い集めようとする若手研究者11人の研究をまとめた『戦争のかけらを集めて 遠ざかる兵士たちと私たちの歴史実践』(図書出版みぎわ)を企画、編集し、刊行している(8月3日付)。 SF小説と社会学、偶然にも異なる分野から同時期にスポットライトが当たった土浦。高野さん、清水さんのいずれの著作にも、ツェッペリン伯号が土浦に飛来した出来事が大きなテーマとして扱われている。ツェッペリン伯号の飛来はどのような意味があり、どのように受け止められたのか。土浦と当時の歴史的背景について2人がトークする。 老舗料亭の記憶伝える トークに先立って、24日から市民ギャラリーで展示される「霞月楼」所蔵品の写真展は、大川一男、小川芋銭、竹久夢二、岡本一平など有名作家の美術品や、東郷平八郎、山本五十六、リンドバーグ、ツェッペリン伯号にまつわる歴史資料など。各時代の政治家や、文化人、軍人など著名人をもてなしてきた「霞月楼」が収集し継承してきた。 美術作品では土浦や茨城にゆかりある作家の作品を多く展示する。歴史資料は海軍航空隊の存在が土浦を内外に強く印象付けたことが分かるもので、大正から昭和初期の時代性を見ることができる。ツェッペリン伯号については写真パネルのほか大型模型なども展示する。 屋台村をコラボ開催 トークセッションが開催される29日にはコラボ企画としてアルカス土浦前の広場で屋台村も開かれ、もつ煮込みやスイーツ、ドリンクなどのほか、かつてツェッペリン伯号乗組員にふるまったカレーを現代風にアレンジした「土浦ツェッペリンカレー」を販売する。イオンモール土浦の未来屋書店土浦店も出店し、高野さんと清水さんの著書販売やサイン会を行う予定だ。(田中めぐみ) ◆高野史緒さんと清水亮さんのトークセッション「ツェッペリン伯号と湖都・土浦を語る」は、土浦市民ギャラリー(アルカス土浦1階、同市大和町)で、9月29日(日)午後1時から午後3時。入場無料。車で来場の際は駐車場が最大2時間無料。(図書館、または市民ギャラリー受付で確認印が必要) ◆「霞月楼所蔵品展」は土浦市民ギャラリーで、9月24日(火)から29日(日)午前10時から午後6時まで(初日は午後1時から開場)。入場無料。

中村哲医師写真展 13日からつくばで 元JICA職員「遺志継ぎ国際支援の考え広めたい」

女性の人権考えるトークセッションも パキスタンやアフガニスタンの人道支援に従事し、2019年に銃撃を受けて亡くなった医師、中村哲さんの活動を紹介する写真展が、13日から16日まで、つくば市高野台、国際協力機構(JICA)筑波センターで開かれる。写真パネル50点を展示し、中村さんの活動を伝えるDVDの映写も行う。15日にはアフガニスタンと日本の女性の人権について考えるトークセッションやアフガニスタンの弦楽器ラバーブの演奏会も開かれる。 主催するのは「中村哲医師を偲び思索と活動に学ぶつくば市民の会」代表で、元JACA職員の渡辺正幸さん(85)。2022年から同展を始め、今年で3回目の開催となる。渡辺さんはパキスタンで人道支援プロジェクトに携わった経験を持つ。中村さんの遺志を継ぎ、パキスタンでの支援活動を継続する国際NGO「ペシャワール会」を支え、つくば市民に国際支援の考えを広めたいと話す。 羊の寄生虫駆除から 渡辺さんは1995年から5年間、JICA職員としてパンジャーブ州ドーリ村で支援活動を行った。中村哲さんが活動していた場所から600キロほど離れた、アフガニスタンとの国境近くだ。 ドーリ村の人々に最初に対面した時、人々は銃を携えていた。植物の生えない石と岩だけの谷川沿いの村では、羊が現金と同じ価値を持っており、狭い土地で過剰な羊を放牧していた。牧草が無くなると他の部族の牧草地を奪い、部族同士の争いが絶えない状況だった。そこで渡辺さんらプロジェクトチームは羊の消化管に寄生する寄生虫の駆除薬を投薬することから始め、徐々に村人たちの信頼を得た。牧草地を3つに分割し、羊を入れず牧草を育てる場所を設けてローテーションで放牧する技術や、芋やレモンなどの栽培方法も教えた。 ひどい扱いを受けていた女性の支援にも乗り出した。「女性は雑巾と同じ扱い。人権が無く、女性には教育もしない、病気になっても病院に連れて行かない。死んでもいくらでも替えが効くという考え。そこで(中村さんが現地代表を務めていた)ペシャワールからぼろきれをもらってきて洗って雑巾を縫うということを教えた」。女性たちが作った雑巾が売れるようになり、小金を稼げるようになると、男性が女性を見る目も変わってきたのを感じたという。 村長から「支援を継続」を申し出 5年間のプロジェクトが終わるころ、現地の村長ら10人からプロジェクトチームのメンバーに会いたいと申し出があった。申し出に応じ会場に赴くと、渡辺さんらが現地入りした時には銃を携えていた村人が、その時は誰も銃を持っていなかった。ドーリ村の村長自身も「銃を持たずに村境を超えることがあるのは初めてだ」と驚いた。話は「プロジェクトを続け、隣の村にも支援をしてほしい」という内容だった。武力には武力でという行動原理を、信頼関係を築くことで変えられたことは、渡辺さんにとって大きな経験だった。支援の継続は一存では決められず、日本に持ち帰った。しかし1998年にインド、パキスタンが地下核実験を行い、核兵器の保有を宣言したことから、核不拡散の立場を取る日本政府からは新規の支援協力ができなくなってしまった。 その後、中村哲さんの著作を読み、自分の体験と重なる所が多いと感じた渡辺さん。「撃たれても撃ち返すな。撃ち合いにしたら話ができなくなる」と言い、話し合いで相互信頼関係を築くことを貫いた中村さんに共感し、「力で欲望を満たす、より大きな武力を持つことが敵対する力の抑止になるという歴史がある。それを逆転させる考えを広めたい」と、2年前から中村さんの写真展企画を始めた。 戦争体験が原点に 国際人道支援への関心は、渡辺さん自身の戦争体験が原点にある。渡辺さんは満州生まれで、7歳の時に日本に帰還した。6歳の時に生まれた弟がおり、背に負ってよく世話をしていた。しかし、生まれたばかりの弟は日本に引き揚げた直後に亡くなってしまった。 「1946年8月、満州からの引き揚げ船で広島に到着し、船から降りてDDT(白い粉の殺虫剤)をかけられて払い落し、もう殺される心配はないと安堵(あんど)した時、弟は飢餓で亡くなった」。少年がぐったりとした幼児を背負い、まっすぐ立っている様子を撮影した写真「焼き場に立つ少年」を示し、「この少年は私そのものだ」と話す渡辺さん。「焼き場に立つ少年」は、アメリカの写真家ジョー・オダネル氏が撮影し、長崎原爆資料館に展示されているものだ。同じような悲劇が当時数多くあったと話す。「貧困が戦争につながる。安心して食べられる社会、不自由になっても助け合う仕組みを作り、戦争の恐怖、家族を失う悲しみをもう二度と繰り返してはいけない。そのためには平和を望む人々の声が大きくならなければならない。若い人たちに展示を見てそのことを考えてほしい」と語り、写真展への来場を呼びかける。(田中めぐみ) ◆中村哲医師写真展「アフガニスタンにあと50人の中村哲さんが居れば世界が変わる」は9月13日(金)から16日(月)、つくば市高野台3-6-6、国際協力機構(JICA)筑波センターで開催。開催時間は全日午前10時から午後4時まで。15日(日)午後1時からは、ラバーブ演奏と「女性と人権―アフガニスタンと日本―」のトークセッションが行われる。入場無料。主催は「中村哲医師を偲び思索と活動に学ぶつくば市民の会」。

豊かだった満州の記憶 鮮明に【語り継ぐ 戦後79年】1

阿見町 奥島雅子さん 阿見町でミニデイサービスの事業所「レプラコーン若栗」を管理する奥島雅子さん(93)。1931(昭和6)年、東京都江東区生まれ。戦時中のことを鮮明に覚えている。米屋を営む家で、雅子さんは8人きょうだいの末っ子だった。3歳の時に父が亡くなり、11歳の時に母も亡くしたが、25歳上の兄が家業を継ぎ、親代わりとなって雅子さんを育てた。 亀戸にあった実家は米屋だったため米蔵もあり、ネズミに困るほどたくさんの米があったが、1940年に配給制が始まると蔵は空になり、配給もわずかだったことから雅子さんたちきょうだいも食べ物に困るようになった。「配給でもらえるのはほんの少し。これでどうやって家族全員食べるのかと。お芋を入れたりしてなんとか食べてはいたが、栄養失調だったと思う」と話す。 満鉄の兄に連れられ満州へ 長男の兄は本来徴兵される年齢ではなかったが、兵隊として中国南方へ配属された。2番目の兄は満州事変をきっかけに徴兵されて満州(中国東北部)に渡っていたが、その後除隊。次男で後を継ぐ必要がないからと南満州鉄道に就職していた。2人とも実家の米屋の配達で車の運転ができたため、前線に行くことなく無事だった。1944年の秋、雅子さんが14歳のころ、満州へ行っていた兄が日本に一時帰国して、食べるに食べられない状況を見かね、雅子さんと姉を満州に連れて行くことにした。急なことだったが雅子さんは急いで荷物をまとめ、リュックを背負って東京駅から下関まで1日かけて汽車に乗り、下関の港から船で釜山に渡った。 汽車の中で一人に一つ蒸しパンが渡されたが、雅子さんは食べずに取っておいた。釜山から列車で満州の撫順(ぶじゅん)駅に到着すると、満鉄の人が車で迎えに来てくれ、社宅まで送ってくれた。「社宅には紺と白のじゅうたんがありびっくりした。取っておいた蒸しパンを姉が蒸して温めなおしたら、バターを塗って、紅茶にお砂糖を入れて出してくれた。感動どころか、驚いてひっくり返った。なんでバターやお砂糖があるのかと」 撫順での暮らしは豊かだった。社宅はコンクリート造り3階建て。冬はマイナス10度以下になるが、ボイラーがあって室内は暖かく暮らしやすかった。「豚肉の切り身やみかんなどなんでもあった。栄養が取れるようになり、満州で体ができた」。学校にも通った。日本人専用車に乗って30分から40分ほどかけて通学した。教科書も日本で勉強していた内容と同じだったが、中国語の授業があることが違っていた。 雅子さんと姉は撫順で落ち着いた暮らしをしていたが、1945年3月、東京大空襲があり、亀戸にあった米屋の実家は燃えてしまった。姉たちは金庫にあったお金を懐に入れて逃げ、あたり一面が火の海になる中、川に入ってやりすごしたと聞いた。家族全員、無事だった。「焼け出されて(足立区にあった)隠居所に越したよ、という手紙をもらって(実家が燃えたことを)知った。着る物もなく困るだろうと浴衣や靴下、炒った大豆のカンカンを行李(こうり)2つ分入れて日本に送ったけれど、1つだけしか届かなかった」。 押し入れに隠れて寝た 1945年8月、ソ連が満州に攻め入ってきた。国民党軍と八路軍(中国共産党軍)の撃ち合いも始まり、爆撃音が聞こえていた。「どこまでが正規軍(国民党軍)でどこまでが八路軍かも分からない。ソ連軍を恐れて、夜は押し入れに隠れて寝るようになり、夜は近所中の男の人が警備をした。撃ち合いになると流れ弾に当たらないように壁にくっついた。とにかく自分を頼るしかない。家族と離れないようにしていた」と話す。学校は閉鎖になり、不安の中、家で兄の勉強ノートなどを読んで過ごす日々が続いた。 1年間残留し、1946年10月27日、東京に帰ることになり、撫順市から港がある葫芦島(ころとう)市まで屋根のない汽車で向かった。途中で盗賊に襲われるグループもあったが、雅子さんたちは無事だった。葫芦島からは日本語を話せるアメリカ兵が誘導し、「ごはん食べた?」と日本語で聞かれ、雅子さんは驚いた。 「みんな緊張していたが、ボートが陸を離れると大人も笑顔になった」と話す。船の中で亡くなる人がおり、水葬となった。乗り込んだ人の中でお経を上げる人がおり、船長が板を斜めにして海に遺体を流した。「お経を上げてくれる優しい人がいてよかったと思った」。 東京に戻り、亀戸の駅前に立つと、「180度見渡す限りなんにもない。引き揚げ船の中で、東京のここが焼けていると地図を見せて教えてもらっていたが、何もかも変わっていた」。しかし「自分はけがもない、手足もそろっている。こんなにありがたいことってない」と境遇に感謝する。 工夫が身に付いた 結婚し、都内で空調工事などを手掛ける会社「奥島工業」を夫と2人で切り盛りした。女性が現場に入ることが少なかった昭和30年代に、病弱だった夫を助け、雅子さん自ら2トントラックのハンドルを握り、搬送や経理の仕事をした。仕事で中国に何度も行き、満州時代に覚えた中国語を勉強し直した。60代で女性起業家の異業種交流会の代表を務めた。退職後、阿見町が気に入り移り住んだ。 「無い無いばかりだった時、兄も姉もなんでも自分で作っていた。無い物は自分で作るという習慣ができている。足りないものばかりだったから、今は誰かが来たらいつでも何かを食べさせる。経験したことが知恵として残っていて、不自由だから自分で直したり、ものづくりしたりが染みついている」と話す。(田中めぐみ)

遠ざかる戦争とどうつながるか 若手研究者11人の最新研究まとめた本出版【戦後79年】

阿見、土浦「軍都を生きる」著書、清水亮さん企画 戦後78年、戦争を知る人が少なくなる中、戦争とどう向き合い、戦争の記憶との断絶にどう抗うか。薄れゆく戦争の記憶を拾い集めようとする若手研究者11人の研究成果をまとめた『戦争のかけらを集めて ー遠ざかる兵士たちと私たちの歴史実践』(図書出版みぎわ発行、A5判、320ページ)がこのほど刊行された。 企画したのは慶應義塾大学専任講師で、海軍航空隊や予科練があった阿見町や土浦市の人々が基地や軍人たちとどう関わりながら生活したかを記した『「軍都」を生きるー霞ケ浦の生活史1919-1968』(岩波書店)=23年3月22日付=の著書、清水亮さん(32)。清水さんは東京大学の学部生だった2013年から阿見町や土浦市の地域史に関心を持って通いつめ、社会学の立場から研究を続けている。 『戦争のかけらを集めて』の編集者の一人でもある清水さんは「この本の狙いは、およそ1980年代から90年代生まれの研究者が、体験者の高齢化やコロナ禍の中で、あの手この手でどのように元兵士に向き合ってきたか、その経験の共有」だと語る。 清水さんは東大大学院博士課程を修了後、2020年から22年には筑波大学にポスドク研究員として在籍し予科練を研究。予科練出身者や遺族などが建てた、遺書や遺品などを収集し展示する雄翔館(阿見町青宿、陸上自衛隊土浦駐屯地内)の成り立ちを論じた『「予科練」戦友会の社会学―戦争の記憶のかたち』(新曜社)を2022年に出版した。 同じく『戦争のかけらを集めて』の編者の一人で、北海道教育大学准教授の白岩伸也さんは筑波大出身。筑波大での博士論文をもとに『海軍飛行予科練習生の研究』(風間書房、2022)を出版している。清水さんは『戦争のかけらを集めて』について、『「予科練」戦友会の社会学』や白岩さんの『海軍飛行予科練習生の研究』などの「研究蓄積の最新の成果」であると話す。 丁寧で謙虚な歴史との向き合い方 清水さんは『戦争のかけらを集めて』で現役の自衛隊事務官である行方滋子さん(20年8月15日付)を取り上げる。行方さんは雄翔館の案内に携わったことから予科練に関心を持ち、戦没者の慰霊顕彰と遺書、遺品などの管理を行う「海原会」の一般会員として活動している。行方さんの遺族訪問、聞き取り、関連資料の収集などの活動に触れ、丁寧で謙虚な歴史との向き合い方について論じている。 元予科練生の語り部で、昨年亡くなった阿見町の戸張礼記さん(23年6月6日付)についても言及する。清水さんは、戸張さんと学部生のころに出会い、卒業論文は戸張さんについて書いた。清水さんは何度も話を聞きに訪れ、戸張さんの語りを記録している。 今しか書けないことがある 同書の構想は、清水さんと、戦争をテーマにした本を多く編集していた編集者、岡田林太郎さんとの出会いがきっかけでもあった。「みずき書林」の創業者である岡田さんはがんを患い、昨年7月、享年45歳でこの世を去った。同書のあとがきには、清水さんが「(研究者として)未熟な今こんなに本を書いていいのか」と逡巡(しゅんじゅん)する中、岡田さんが「今しか書けないことがあると思いますよ」と声をかけたエピソードがつづられている。岡田さんの後輩である堀郁夫さんが創業した「図書出版みぎわ」から出版に至った。 戦争体験者から生の声を聞く機会が失われつつある中、戦後世代である若手研究者らの実践は続いている。清水さんは「実は、あえて後ろから読むのがお薦め。フォト・エッセイやあとがきから、戦後世代のどんな人々がこの本をつくったか、著者たちの横顔をのぞいてみてほしい」と話す。 どのように歴史を継承していくか。「戦後90年にもなれば、元兵士の語りを聴くバトンリレー的な継承はほぼ不可能になる。その未来を見越して、それぞれの非体験者が託されたり、拾い集めたりした資料や聞き取り記録や思い出を持ち寄って、車座になって学び議論し合う可能性を探っている」という。(田中めぐみ)

苦手克服へ子どもたちがチャレンジ 放課後体育館でNPOが運動教室

放課後の体育館を使った運動教室で、子どもたちがとび箱やマット運動などの練習を行っている。教室を運営しているのはNPO法人ネクストワン(Next one. つくば市松代、井上真理子代表)だ。発足して12年、子どもたちが苦手を克服し自分で目標を設定しチャレンジする心を育てたいと、つくば市の学校体育施設開放事業を活用して小学校の体育館で活動を続けている。 6月下旬、谷田部南小学校に5歳から小学6年生までの子ども約20人が集まり、それぞれが目標とするとび箱や鉄棒など、学校の授業で習う種目を40分間練習した。教室は1回70分で全8回のプログラム。この日はプログラムの最終日で、練習した後にこれまでの成果を披露する発表会が行われる。諦めず、同じ技を何度も繰り返す子どもたちの様子を家族も見守った。「出来てるよ」「その調子」と声掛けをしながら、子どもたちを見守りサポートするのは、代表の井上さんと筑波大学の学生たちだ。 応援し合って成果を披露 練習の後はいよいよ発表会。一人一人が目標にしている技を全員の前で披露した。「仲間を応援しましょう」という井上さんの声掛けで、子どもたちから「頑張れー!頑張れー!」と声が上がる。小学4年の小田部翠葉さんは連続逆上がりを見事に成功させて笑顔。仲間たちから拍手喝さいが起こった。「プログラムに参加して楽しかった。今日は緊張感ゼロでやれた」。小学2年の芝山優衣さんも逆上がりに成功し、これで器械運動の技12種に合格したという。修了証書を手に「サッカーが好き。ワールドカップに出るのが目標」と夢を話した。 筑波大の学生が見守る 子どもたちをサポートしたスタッフの森洸輔さんは体育専門学群の4年生。「子どもたちは本当に素直。声の掛け方次第で子どもたちの力を引き出せるのが楽しく、勉強になる」と話す。教育分野で仕事をすることも夢の一つという。国際総合学類2年の加藤梓栞(しおり)さんは、小児看護を勉強する先輩がスタッフとして活動しており、その紹介で参加した。「子どもが好きで、運動やコミュニケーションも好き。発展途上国の教育制度の問題にも興味を持っている」と話す。 外遊びやアウトドアキャンプも 代表の井上さんも筑波大大学院で体育科学を修了した指導者だ。運動が苦手な子どもも楽しみながら練習できることを目指し、教室を運営している。市の学校体育施設開放事業を利用した「うんどう・たいいく教室」のほか、様々なスポーツ種目のプロ選手などに直接指導を受けられる「スポーツ探検隊」、外遊びで体を動かす「あそびクラブ」、アウトドアキャンプを体験する「ちゃれんじキャンプ」など、子どもたちの心身を養う教室を企画し、ホームページ制作からチラシ作りまで、全て自分で行う。今年度は4月から延べ270人が市内外から教室に参加している。 やった人にしか分からない学びがある 井上さんは大学で小中高の教員免許を取得し、大学院で体育科学の修士課程を修了した。卒業後、生涯スポーツを振興するNPO法人アクティブつくば(同市春日)で活動した。アクティブつくばの事業の一部を引き継いで、2012年にネクストワンを立ち上げ活動を続けている。 学生時代、学校と部活が大好きだったという井上さん。「勝てないソフトボールの部活動が楽しかった」と笑う。高校では理系に進み、一時は大好きな学校を建てる建築士になることを目指した。受験勉強をしながらスポーツと関わらない1年を送る中、自分にとって体を動かすことがとても大切だと気付き、スポーツを学びたいと進路を変更した。「あいさつや人との関わり方、目上の人への対応などスポーツや部活を通して大事なことを学んだ。その種目をやった人にしか分からない学びがある。学校やどこかで誰かにほめられるとうれしい。ネクストワンの活動で何かを得た人が、次に何かを発信できる人になってほしい」と話す。(田中めぐみ) ◆「スポーツ探検隊」では7月に県障害者パラカヌー協会代表の朝日省一さんを講師としたパラカヌー、サッカーやサーフィンの体験を企画している。詳細は同会ホームページへ。

元イスラエル兵ネフセタイさん つくばで平和への思い講演へ

7月7日 尾崎秀子さん企画 イスラエル出身で埼玉県在住のダニー・ネフセタイさんが平和への思いを語る講演会「争いの絶えない国から来た私が今、日本で言えること」が7月7日、つくば市高野、市民ホールとよさとで開かれる。つくばの市民団体「平和を願う市民の集い」(尾崎秀子代表)が主催する。 3年間空軍に所属 ネフセタイさんは1957年生まれの木製家具作家。高校を卒業後、徴兵制でイスラエル空軍に入り、3年間兵役を務めた。退役後、バックパッカーとしてアジア諸国を放浪し79年に日本を訪れた。以来45年間日本で生活している。88年に都内から埼玉県に引っ越し、家具を製造する木工房ナガリ家を立ち上げ、注文家具や遊具、小物などの創作に従事している。平和のための講演活動も行い、2016年にはイスラエルの社会通念を批判した「国のために死ぬのはすばらしい?」(高文研)を出版、昨年12月には「イスラエル軍元兵士が語る非戦論 」(集英社新書)を出している。 講演に感銘 講演会を主催する「市民の集い」代表の尾崎さん(75)は、平和を願う思いから、市内で22年よりウクライナ出身のカテリーナさんによる民族楽器バンドゥーラのコンサートを開催してきた(23年7月11日付)。昨年7月にはノバホール(同市吾妻)でコンサートを開き約570人が来場した。今年3月、尾崎さんは前橋市で開かれたネフセタイさんの講演会を訪れて感銘を受け、つくばでも講演会を実施したいと企画。ネフセタイさん宅を訪れて依頼し、実現した。 「戦争が起こるとしたら絶対に反対しよう」 尾崎さんは1948年大阪生まれ。大阪府立大学を卒業後、塗料会社の研究所に勤務した。84年につくば市に移り住み、2000年まで市内の研究所に勤務。その後秋田県に住み、15年に再びつくばに戻った。つくば市では中央図書館協議会委員を12年務めるほか、「絵と歌と語りの集い」開催や「つくば自然農を学ぶ会」を立ち上げるなど市民活動にまい進する。 直接戦争を知らないが、両親や兄、姉から、大阪大空襲や学童疎開での苦労についてよく聞かされていたと話す尾崎さん。「小さい頃から『そんなに大変な思いをしたのになぜ戦争を止められなかったのか』と親に聞くと、親は苦い顔で『仕方なかったんや、止められなかったんや』と。父は町内会の会長で出征兵士を見送っていた側。辛い思いがあったと思う。自分は戦争が起こるとしたら絶対に反対しようと思って生きてきた」と語る。 「戦争で人を傷つける時、相手は自分と同じ人間だという意識がかき消されている。それが戦争というもので、ダニーさんは、誰の命も大切で、尊重される人権があると教える教育が必要だと訴えている。お金や権力より、人の命が一番大切なもの。生きていく上で何を一番大事にして暮らしていくか、考えるきっかけになれば」と話し、来場を呼びかける。(田中めぐみ) ◆ダニー・ネフセタイさん講演会「子ども達へ残そう 悲しみのない未来を~争いの絶えない国から来た私が今、日本で言えること」は7月7日(日)午後1時30分開場、午後2時開演。会場はつくば市高野1197-20 市民ホールとよさと。入場無料。定員250人。当日は寄付を募り、集まった寄付金を国境なき医師団と日本ユニセフ協会に送る。申し込みは専用フォーム、または同会のEメール、電話080-1118-0289(尾崎さん)へ。申し込みの際は①参加者(代表者)氏名➁連絡先電話番号➂参加人数④駐車場利用の場合は車の台数を明記する。

桜川の特定外来魚活用にアイデア出し合う 第2回川守養成プログラム

つくば市などを流れる桜川の環境を見守る人を養成する「桜川川守かわもり養成プログラム」(4月22日付)の第2回体験会が9日、桜川河川敷のつくば市松塚、桜川漁業協同組合(鈴木清次組合長)拠点広場で開かれた。市内外から14人が参加し、外来魚の活用法や、桜川の環境をどう見守っていくかについて意見が交わされた。同プログラムは川の水質や生態系を見守る担い手を育てようと、桜川漁協や市民グループ「桜川ナマズプロジェクト」が協力し、NEWSつくばが後援して実施している。 ハクレン大量遡上は観察できず 桜川では先月15日から産卵期のハクレンの大量遡上が始まった(5月15日付)。今回のプログラムはハクレンを観察する予定だったが、しばらく雨の日がなかったことから川の水量が少なくなり、遡上やハクレンジャンプといわれる集団跳躍行動を観察することはできなかった。参加者はハクレンジャンプを観察する予定だった少し上流の堰まで歩いて移動し川を眺め、遡上した時の様子について話を聞いた。堰では体長50センチほどのゴイサギのつがいがじっと川面を見つめ、魚を狙う様子が見られた。また拠点広場では、特定外来生物のアメリカナマズ釣り体験も行った。鈴木組合長は、桜川に生息する在来種のマゴイ、ゲンゴロウブナ、タナゴなど27種類の魚について参加者にイラストを見せて話した。 国際ナマズ料理大会、ナマズ肥料使った農園などの案も 桜川で近年急増しているアメリカナマズは特定外来生物のため、外来生物法により生きたまま運搬することが禁止されている。市内から参加した夫婦は、7月に開かれる桜川漁協主催の外来魚釣り大会に毎年参加していると話し、釣り人の目線から「アメリカナマズを釣っても全部食べられるわけではなく、(活用のための保管など)置くところに困る。釣ったナマズを集めるところを作ったらどうか」というアイデアを話した。また、ナマズの皮をなめして財布を作る、ナマズ料理大会を開く、キャラクターを作る、ナマズで肥料を作り、それを使用した農園「ナマズパーク」を作る案も出た。都内からの参加者は「ナマズは困った存在というだけではなく、ナマズがいるからいろんな国の料理を知ることができるのでは」と肯定的にとらえ、ナマズを使った各国の国際料理を紹介するのはどうかと意見を話した。川守養成プログラムを通じ、今後も漁業者と参加者とで意見を出し合っていくことになる。 草刈りや清掃活動など参加へ 鈴木組合長は市水質浄化対策推進協議会の会長も務めていることから、同協議会で行っている河川敷の清掃活動や花畑の造成活動についても説明した。河川敷をきれいに保つことについては「川辺で花を作るにも野菜を作るにもとにかく草刈りの手間がかかる」とし、特に土手の斜面を刈るのに草刈り機を持っている人たちの協力が不可欠であることを話した。桜川の近隣に住んでいるという参加者は、20年くらい前に川の清掃活動に参加していたことがあり、カヤックで桜川を下ったこともあるという。今後再び桜川の清掃活動などに携わっていきたいと話し、鈴木組合長も「ぜひお願いします」と受け入れ、地域の輪が広がった。 ナマズ、カワエビの試食も 釣り体験では、桜川漁協組合理事の松田七郎さんらが手伝って、15匹以上のアメリカナマズを釣り上げた。ナマズは組合員や参加者がさばき、唐揚げにして振る舞われた。また桜川で捕れたばかりの川エビの唐揚げも振る舞われた。四川料理店「麻辣十食」(同市天久保)も、香辛料を効かせたナマズ料理「ラーズーナマズ」を提供し、「スパイスの香りで冷めてもおいしく食べられる」と好評を博していた。 同プログラムは年5回実施の予定。4回以上プログラムに参加した人は、養成プログラム実行委員会が桜川の「川守」(桜川を見守るサポーター)に認定し、川の清掃活動などの情報を配信する。プログラムは1回のみの参加も可能で、来年度も実施を予定している。(田中めぐみ) ◆次回、第2回プログラムは7月7日(日)開催の予定。NEWSつくばのページで参加を募集する。 ➡第1回川守養成プログラムはこちら

平家物語を語り奏でる琵琶演奏会 29日つくば ウクライナ出身のチェロ奏者 推し

琵琶の演奏会「琵琶へのいざない~平家物語の無常観と哀れ」が29日、つくば市遠東、老人福祉センターとよさとで開かれる。大子町在住の琵琶奏者、谷田部晃功あきのりさん(47)が平家物語の演目「敦盛」と「能登殿最期・壇ノ浦」を披露する。つくば市在住の物理学者でオペラ演出家の大須賀ケネス鬨雄ときおさんによる講演も催される。 それほど感動したなら 音楽を通して世界の国と人々への関心を深めようと、つくばでさまざまな国の音楽講義や演奏会を開催しているボランティア団体「世界音楽の旅つくば発」(石井由美子代表)が主催する。 今回、琵琶の演奏会を発案したのは、代表の石井さん(63)が支援しているウクライナ出身のチェロ演奏家、トルマチョヴ・グリェブさんから琵琶奏者の谷田部さんについて聞いたことがきっかけ。グリェブさんはつくば市に住む妻の姉を頼り、昨年つくば市に避難してきた。来日後、谷田部さんの演奏を聞いて感動。石井さんに思いを伝えた。 石井さんは「考えてみると学校では西洋の音楽ばかり習ってきて、日本の音楽を知らないと気が付いた。グリェブさんがそれほど感動したのなら演奏会を開催したいと思い、谷田部さんにお願いした」と話す。石井さんも谷田部さんの演奏から琵琶の魅力を知り、日本の音楽について勉強している。 アニメ映画のレコーディングに参加 谷田部さんは2016年から正派薩摩琵琶の後藤幸浩さんに師事している。後藤さんは22年に米ゴールデン・グローブ賞にノミネートされたアニメ映画「犬王」や、テレビアニメ「平家物語」の琵琶監修、演奏を担当しており、谷田部さんも「犬王」のレコーディングに参加している。 都内で活動するエレクトリックベースの奏者だった谷田部さん。ロック、ジャズ、ソウルなどさまざまな音楽を聞いていた。特にアフリカにルーツを持つブラックミュージックに傾倒していく中で、「音楽の中にプレーする人のエネルギーやパワーを感じ、日本人としてのルーツは何か考えるようになった」と言う。日本人の精神を元につくられる音を奏でたいと現在、琵琶奏者として活動している。 平家の怨霊を鎮魂 鎌倉時代に成立した軍記物語「平家物語」は、盲目の琵琶法師が琵琶をかき鳴らし語り伝えられてきた。この語りの演奏様式は一説には12世紀末頃から始まったとされる。谷田部さんは、琵琶には死者の意をくみ、冥界とつながる力があると話す。「平家物語は武勇伝のようなものだと思いがちだが、そうではなく非業の死をとげた平家の怨霊への鎮魂の意味合いがあるとされている。慈悲と優しさの物語だからこれまで語り継がれてきた。一生懸命生きた人々に思いをはせながら演奏したい」と演目への思いを話す。 「世界音楽の旅つくば発」は、石井さんが2020年にがんを患ったことや世の中がコロナ禍に見舞われたことから、閉塞感を打ち砕きたいと、同年12月、世界の音楽についての講義を企画し、オンライン配信を始めた。インドネシア、ベネズエラ、ブータン、フィリピン、パプアニューギニアの音楽など、普段あまり耳にすることのない音楽について解説する配信が好評を博し、昨年からは外にも活動の場を広げて、市内の小中学校やまつりつくばなどで年10回ほど演奏会を開催している。(田中めぐみ) NEWSつくばを見た中高生は500円 ◆「和楽器の世界 琵琶へのいざない~平家物語の無常観と哀れ~」は6月29日(土)、つくば市遠東639-1、老人福祉センターとよさとで開催。第1回は午後1時から2時15分、第2回は午後3時から午後4時15分。受付は30分前から。入場料は中学生以上1000円。NEWSつくばを見た中高生は500円。申し込みはこちら。問い合わせは同会のメールまたは電話080-5089-0617(石井さん)へ。 当日は能登半島地震義援金募金箱を設置する。寄付金が1000円以上の人は花の苗を、2000円以上の人は花の苗と谷田部さんが特別栽培した奥久慈大子産「立神米」をプレゼントする。集まった寄付金はつくば市社会福祉協議会を通じて寄付する。

お薦めの地元食品が一堂に 15日 筑波銀行「駅前マルシェ」

筑波銀行(本店土浦市、生田雅彦頭取)が県内外の食品や食材の魅力を伝える販売会「つくば駅前マルシェ」が15日、つくば駅前のつくばセンター広場で開かれる。つくば、牛久、かすみがうら市などの企業21店とキッチンカー4台が出店する。昨年10月に続き2回目の開催となる。主催はつくば駅前マルシェ実行委員会(筑波銀行内)。 地域経済の活性化を目指し、お薦めの農産物、加工食品、スイーツなどを一般消費者向けに紹介する。つくば市からは8店が出店し、仙台牛タン焼き、ハム、チヂミ、カレー、麻婆豆腐やドリンクなどを販売する。センター広場のモニュメントプラザでは、筑波ジュニアオーケストラとつくばジュニアウィンドオーケストラの演奏会も開催される。損害保険ジャパンによる「親子で学ぶ防災ワークショップ」も出展する。 出店する25事業者は同行が提供する福利厚生サービス「ハッピーエールサポート」の提携先が中心で、会計時にハッピーエールサポート会員証を提示すると各店で特典が受けられるという。 初回の昨年10月は、筑波銀行がつくばカピオ(同市竹園)で昨年11月に開いた商談会「2023ビジネス交流商談会+SDGs」のプレイベントとして実施した。20店が出店、約3000人が来場した。商談会の食部門に出展する企業から「地元の人に自慢の商品を知ってほしい」「その場で調理した出来たての食品を提供したい」という要望があり、開催が実現した。 同行の担当者は「県内外から25事業者が地元食材を使った自慢の食品を提供する。前回の出店規模を上回り、子どもから大人まで幅広い年齢層の皆さまに楽しんでいただけるイベントとなるので、多くの皆さまにお越しいただき、当行がお薦めする県内外の食品の魅力を発見していただければ」と話す。(田中めぐみ) ◆つくば駅前マルシェは15日(土)午前11時から午後3時まで、つくば市吾妻1-10-1 つくばセンター広場ペデストリアンデッキで開催。雨天中止。問い合わせは電話029-859-8111(筑波銀行内の「つくば駅前マルシェ実行委員会」事務局)へ。 【出店する25店】▽モッツバー高の家(つくば/牛タン焼き・せせりほか)▽里カフェ(常総/イモアイス・イモチップスほか)▽とんかつ とん(日立/ヒレかつ)▽ムトウ削節店(土浦/焼きおにぎり・ドリップ出汁ほか)▽筑波ハム(つくば/ハム・ベーコンほか)▽ソウル家(つくば/チヂミ・トッポギほか)▽扇屋商店(ひたちなか/本場ほしいも)▽インドレストランガンズ(つくば/インドカレー・サモサほか)▽髙橋肉店(龍ケ崎/龍ケ崎コロッケ・みっちープリンほか)▽四川料理・麻辣十食(つくば/麻婆豆腐・汁なし担々麺ほか)▽チキンダイナマイト(東海村/韓国チキンほか)▽コロッケのころっ家(大洗町/コロッケバーガー・スナックフード)▽コスゲパン(千葉県流山市/激安パン)▽アオイ(つくば/常陸牛のメンチカツ・笠間の栗コロッケ)▽カフェバスいろは(下妻/クレープ・ドリンク)▽産みたて卵専門店たまご屋本舗(常総/極上カスタードプリン・手作りあげもち)▽ストロベリーファーム八千代(八千代/スムージー・いちごミルクほか)▽菓子庵 たちかわ(筑西/和生菓子・焼菓子ほか)▽ROMII DONUT(大洗町/ドーナツ)▽茶の木村園(つくば/日光の天然かき氷)▽壺焼き司源(東京/焼き芋・スムージーほか)▽つくばブルワリー(つくば/つくば産クラフトビール)▽ベルファーム~畑の中のジューススタンド(つくば/野菜ジュース・果物ジュース)▽牛久シャトー(牛久/クラフトビール・日本ワイン)▽江口屋醸造所(かすみがうら/クラフトビール・ソーセージ)

ハクレンの大量遡上始まる 桜川 つくば 松塚の堰 

15日朝、桜川 松塚の堰(つくば市松塚)に、ハクレンが大量に遡上したのを桜川漁業協同組合(鈴木清次組合長)が確認した。朝は水面が真っ黒になるほどだった。大量遡上が確認されたのは今年初めて。夕方には、朝より数は半分ほど減ったものの多くのハクレンが見られ、背びれを水面にのぞかせて泳ぐ様子に、川辺で農作業をしていた近隣住民も驚いていた。 ハクレンジャンプと言われる集団跳躍行動はまだ見られず、何匹かが堰を上ろうとジャンプする様子が観察された。堰を上りきれず浅瀬にジャンプし、岸に打ち上げられたハクレンも5、6匹見られた。 年々遡上する数が増加 桜川漁協の鈴木組合長によると、ハクレンが桜川に大量に遡上し始めたのは3年前からで、年々遡上する数が増えている。「おとといの13日、雨が降ったので桜川が増水し産卵のために上ってきた。今日は松塚の堰はそれほど水が多くない。松塚の堰を上ったハクレンは(さらに上流の)田土部堰(たどべぜき)が閉まっているのでこれ以上は行けず、ここにとどまったり戻ったりしながらジャンプしている。前は利根川のハクレンジャンプが有名だったが、最近は桜川でも見られるようになった」と話す。 20時間で稚魚になり霞ケ浦へ ハクレンは、1匹のメスに数匹のオスが寄り添って産卵と受精が行われる。受精した卵は下流に流されながら、20時間ほどでふ化して稚魚になるという。鈴木組合長は「3年前には霞ケ浦のワカサギ漁の網にハクレンの稚魚が大量に入り、ハクレンとワカサギをより分けるのが大変だったという話を聞いている」と話し、「去年も今年もワカサギはあまり獲れないと聞く。このままではハクレンばっかりになってしまう」と懸念する。 ハクレンは中国原産の外来魚で、成魚の体長が100センチ、重さが10キロほどになる大型魚。アオコなどの植物プランクトンを餌としている。産卵期が5月から7月で、この時期に集団跳躍をする習性がある。産卵は、産卵日の前日や前々日が雨天で、川の水量が増加した早朝から行われる傾向があるという。 昨年5月には田土部堰でハクレンの大量酸欠死が発見され(23年5月27日付)、6月初めには台風の影響による増水で大量の死骸が霞ケ浦に流される事態が発生した(23年6月2日付)。(田中めぐみ) https://youtu.be/mEdw6IGQxy4

700種2000株のバラ栽培 つくばローズガーデン 一般公開始まる

つくばローズガーデン(つくば市古来)のバラが開花を迎え、11日一般公開が始まった。初日の朝から多くの人が園を訪れ、バラの写真を撮ったり、香りをかいだりしながら、花を話題に会話を弾ませていた。園主の藤沢仁子(まさこ)さんによると現在は一分咲きで、見ごろを迎えるのは18日ごろから25日のあたりまで。6月上旬まで開花を楽しめるという。 SNSの口コミで若者の来園増 約3000平方メートルの園内に、約700品種、2000株のバラを植えて育てている。一般公開はブログやインスタグラムで告知しているだけだが、昨年はシーズン中に約3000人が来園した。園主の仁子さんによると、SNSが普及し始めてから、来園者が園内の写真を投稿して広まるようになり、近年は20代、30代の若い来園者が多く訪れているという。 園は元つくば市長の藤沢順一さん(84)が作り、2005年から一般公開している。藤沢さんは入浴施設つくばユーワールド(同市下原)の代表。施設の風呂にバラの花びらを入れるというアイデアを聞き、「それなら自分がバラを作ってやるよと芝生広場に育て始めた」と話す。雑誌などで情報収集し、イギリスやフランスのバラ、オールドローズなど多品種を集めた。東京農大で農業を学んだ知識を生かして栽培に取り組み、今も毎日2時間程度せん定などの作業を行っているが「バラの手入れを大変と思ったことは一度もない」とのこと。中国で発見されたというつる性のバラ「リージャンロードクライマー」がお薦めと紹介する。 バラと宿根草の組み合わせでデザイン 園主の仁子さん(45)はピンク系の多いバラが引き立つよう、白や寒色系のクレマチスなど宿根草約140種類を栽培。立体感のある、絵画のような彩りのガーデンを作り上げた。お薦めは大輪の「ピエールドロンサール」。昨年は夏の酷暑で多くのバラと宿根草が枯れてしまい、植え替えを行った。今年に入ってからも気温の上がり下がりはあったものの、例年通りの花付きで、来週末には最盛期を迎える。「バラが満開になるとまた全く違った光景となる。宿根草とバラの組み合わせをぜひ見ていただきたい」と来園を呼び掛ける。 市内から訪れた男性は「バラが好きで毎年ここに見に来ている。自宅でも鉢で育てていて、冬の手入れは花もないしトゲはあるしで大変だが、花を咲かせてくれると大変さも忘れる」と話し、白いバラの苗を新たに購入していた。(田中めぐみ) ◆園内では18日(土)につくば市在住のピアニスト永田ジョージさんによるジャズライブ、25日(土)には県南で活動するビッグジャズバンド「スターライトオーケストラ」によるライブが開催される予定。また17日(金)からはつくば市や土浦市でヨガ教室を開く新井昌子さんが教えるガーデンヨガも開催される。 ◆つくばローズガーデンは、つくば市古来458。今年の一般公開は5月7日(日)~6月2日(日)までの予定。開園時間は午前9時~午後5時(入園は午後4時半まで)。入園料は一般300円~500円(開花状況により変動)、小学生以下無料。同園のホームページはこちら。 https://youtu.be/HR_TeEhAT1s

追悼 戸田広さん 霞ケ浦帆引き網漁の保存活動に尽力

霞ケ浦の伝統的な漁法である帆引き網漁を観光資源として継承し、後世に残したいと保存活動を続けていた戸田広さんが、4月15日に亡くなった。89歳だった。2001年から操船技術の継承と観光帆引き船の運航、PRなどに尽力してきた。帆引き網漁の技術は18年、県内初の国選択無形民俗文化財に指定された。告別式は5月11日に行われる。 戸田さんは、つくだ煮を製造・販売する出羽屋(かすみがうら市)の社長で、「霞ケ浦帆引き船・帆引き網漁法保存会」の会長を務めた。出羽屋で霞ケ浦の漁業者と取引していたことから、帆引き船の操業技術を継承する人材を育成する活動を続けた。 同保存会は2014年に設立。前身は「霞ケ浦帆引き船まつり実行委員会」で、かすみがうら市を盛り上げようと01年に発足した。同年にPRのため「帆引き船フォトコンテスト」を企画して以来、毎年継続し、昨年も県内外から400点以上の応募がある人気コンテストとなっている。観光帆引き船は現在、土浦、かすみがうら、行方の3市により毎年夏から秋に運航されている。 戸田さんは観光としてだけではなく、100年後も生業となる帆引き網漁を残したいとし、亡くなる直前まで精力的に活動した。同保存会事務局長の武田芳樹さん(74)は「何を提案しても『いいよ』と言って受け止めてくれる人だった。いつも前向きで、いろいろなアイデアを持っていた」と、大らかな人柄をしのぶ。帆引き網漁で捕獲した魚のブランド化も発案。引く力が強く、魚を網に押し込んでしまうトロール漁とは異なり、帆引き網漁は風の力を使って柔らかく網を引くため、魚に傷が付かないことから、帆引き網漁で捕れた魚に新たな商品価値を見出していた。保存会では戸田さんの遺志を継ぎ、帆引き船漁法の操船継承を推進する活動を続けていくという。 白く大きな帆を張り、横滑りしながら漁をする帆引き船は、夏から秋にかけて霞ヶ浦の風物詩となっている。1880年(明治13年)、漁師の折本良平氏によってシラウオ漁を目的に考案されたと言われ、約90年間、霞ケ浦のシラウオやワカサギ漁の主役として操業した。帆の大きさは高さ9メートル、幅16メートルにもなる。霞ケ浦の周囲には遮る山などがなく、四季を通して風が吹くため、風の力を利用する大きな帆の船が考え出され、独特の操業法が継承されてきた。 1963年に常陸川水門(逆水門)が完成し、漁獲量減少を心配していた漁業者への補償として、67年にトロール漁が解禁されると、帆引き船はいったん姿を消した。しかし復活を願う人々の声を受け71年、出島村(現かすみがうら市)が観光帆引き船として復活させた。現在はかすみがうら、土浦、行方3市の各保存会により帆引き網漁の継承が図られ6隻が運航している。(田中めぐみ) ◆通夜は10日(金)午後6時から、告別式は11日(土)午後1時から、いずれもかすみがうら市加茂5319-6 トモエホールで行われる。

投網や釣り体験で交流 川守養成プログラム始まる 桜川

桜川に親しみ、川の環境を見守る人を養成する「桜川川守(かわもり)養成プログラム」(4月22日付)の第1回が5日、つくば市松塚、桜川漁業協同組合(鈴木清次組合長)の拠点広場で開催され、市内外から7組22人が参加した。中国やインド出身の参加者も訪れて投網や釣りを体験し、国籍や世代を超えて交流を深めた。 同プログラムは川の水質や生態系を見守る担い手を育てようと、川守養成プログラム実行委員会が企画した。桜川漁協や市民グループ「桜川ナマズプロジェクト」が協力し、NEWSつくばが後援している。 鈴木清次組合長(81)は参加者に、シジミやウナギなど多様な生き物が生息し、澄んだ流れだったという桜川の記憶や、近年アユやワカサギ、オイカワなど在来魚が急激に減少していることについて話した。桜川で伝統的に使われている漁具についても実物を見せながら紹介した。その後、参加者に投網の投げ方を教え、参加者は川沿いの広場で投網を何度も投げて練習した。桜川では遊漁者が投網を行うことは禁じられているが、漁協の組合員になれば投網を使用することができる。組合員によると、投網を正しく丸く広げられるようになるには10年の経験が必要だという。 投網体験のほか釣りの体験も行われ、体長60センチほどのアメリカナマズが次々と釣り上げられて歓声が上がった。15匹が釣れ、市外から参加した女子高校生が慣れた手つきでナマズをしめてさばいた。昼食時には市内の四川料理店「麻辣十食」(同市天久保)が、霞ケ浦のアメリカナマズを使ったメニュー2種類を提供し参加者が試食した。四川料理「ラーズーナマズ」は今年2月から同店でレギュラーメニュー化した一品(2月28日付)。市外から参加した中学生は「今日はアメリカナマズを釣り上げた。試食したナマズはすごくおいしい。人気になると思う」と話した。釣り体験で釣れたナマズは、その場でしめ、食用や骨格標本制作用として参加者がそれぞれ持ち帰った。昼食時には、鈴木組合長による投網の実演が行われ、外来魚のダントウボウやアメリカナマズ、オイカワなどが網にかかり、参加者から拍手が起こっていた。 在来魚が減少し、特定外来魚であるアメリカナマズが急激に増加するなど、近年桜川の生態系は大きく変化している。桜川はつくば市の水源である霞ケ浦に流れ込んでおり、川の水環境は市民の生活に密接に関係している。70年前、澄んだ水だった桜川で泳いで遊んだという鈴木清次組合長や組合員の鈴木孝之さん(81)は、当時の記憶を話し、かつての清らかな水質を取り戻したいと市民に向け発信を続けている。 市内在住の30代の男性は「NEWSつくばを見て、投網をやってみたいと思い参加した。子どもの時から桜川で釣りをして遊んできたので、桜川が好き。長く見ているので、桜川で釣れるものが変わってきたのを感じている」と変化についての実感を話した。同じく市内在住で北海道出身の30代男性は「桜川には観光としての魅力がある」と観光資源としての可能性を話した。 鈴木組合長は「いつでも遊びに来てください。楽しみながら川のことを知ってほしい。清らかな桜川を取り戻すのが私の願い」と参加者に話した。川の生態系の現状を知ってもらい、川を見守る担い手を増やしたい思いだ。 同プログラムは年5回実施の予定。4回以上プログラムに参加した人は、養成プログラム実行委員会が桜川の「川守」(桜川を見守るサポーター)に認定し、川の清掃活動などの情報を配信する。プログラムは1回のみの参加も可能で、来年度も実施を予定している。(田中めぐみ) https://youtu.be/3drK3Bmeol8 ◆次回、第2回プログラムは6月9日(日)開催の予定。NEWSつくばページで5月11日より参加を募集する。

桜川の環境見守る「川守」養成 参加者募集 5月から体験学習会

NEWSつくば、漁協、市民グループが協力 【お知らせ】NEWSつくばは、桜川漁業協同組合、市民グループ「桜川ナマズプロジェクト」と協力し、つくば市などを流れる桜川に親しみ、川を見守る人「川守(かわもり)」を養成する体験学習会「川の未来を考えよう!―2024桜川川守養成プログラム」を5月から開催します。 つくばや土浦市を通り霞ケ浦に流入する桜川は1960年代まで、地域の人が泳いで遊べる川でした。漁業者によると当時は、飲むことができるほど清らかな川で、シジミやウナギ、モクズガニなどがいたそうです。 今、桜川は水質悪化、川辺の荒地化や不法投棄、外来魚のアメリカナマズやハクレンの増加、ワカサギの記録的不漁など様々な課題を抱えています。 これらの課題に取り組もうと、桜川漁業協同組合(鈴木清次組合長)は地域住民と共に、川辺の整備や清掃、稚魚の放流、アユの産卵床をつくるための河床耕うんなどに取り組んでいます。NEWSつくばは2023年3月からこれまで計11回にわたって漁協組合員らの活動や桜川の課題などを取材し報道してきました。 一方、組合員は平均年齢80歳と高齢化しており、川の環境を見守る次世代の担い手が必要です。桜川漁協の鈴木清次組合長は「私たちが子どもの頃は、桜川は澄んだ水でした。澄んだ水の桜川を取り戻し、漁業者にとって魅力ある川にしたい」と話しています。 そこで、NEWSつくばと桜川漁協、ナマズプロジェクトの有志が実行委員会(代表・田中めぐみNEWSつくばライター)をつくり、NEWつくばなどが後援し、桜川の環境を見守る「桜川川守養成プログラム」を企画しました。 養成プログラムは年5回実施し、漁協組合員から昔の話を聞いたり、桜川で親から子へと伝わってきた投網を学んだり、1辺6メートルと川では最大級の四手網(よつであみ)を見学したり、特定外来魚のアメリカナマズを釣って駆除したりと様々なプログラムを予定しています。このプログラムで桜川に親しみながら生態系や伝統漁法について知り、桜川の川守になってみんなで環境を見守りませんか。 4回以上プログラムに参加した人を実行委員会が桜川を見守る「川守」に認定します(イベントは来年度も開催予定ですので、来年にかけて参加も可)。川守になった人には認定グッズを進呈し、桜川での地域活動のイベント情報をお知らせする予定です。 【24日追記】「2024桜川川守養成プログラム」の参加申込は定員に達したため締め切りました。 2024桜川川守養成プログラム ▷第1回 プレイベント 投網講習会(桜川の昔と今についてのお話)日時 5月5日(日)午前10時~午後2時 小雨決行場所 つくば市松塚 桜川漁業協同組合拠点参加費 1回500円/1人対象 小学生から大人まで(小中学生は保護者同伴)。動きやすい服装で申込 参加申込受付フォームから申し込む。締め切りは4月30日(火)定員 各プログラム10人。 以降のイベント日時と予定(内容は天候等の事情で変更となる場合があります)▷第2回 ハクレンジャンプ見学と在来魚・外来魚の勉強会6月9日(日)小雨決行 午前10時~午後2時 ▷第3回 特定外来魚釣り大会と外来魚の試食会 7月予定▷第4回 稚魚の放流体験と投網講習会(予定)9月予定▷第5回 1辺6m四手網見学会と伝統漁法勉強会(予定)10月6日(日)小雨決行 NEWSつくば「桜川と共に」の過去記事は下記の通り1、平均年齢80歳 漁協組合員ら不法投棄撤去し見回り➡2023年3月17日付2、消えたワカサギ 水遊びの生態系から➡23年4月3日付3、アメリカナマズに熱視線 「ガチ中華」で食べて活用➡23年4月25日付4、川遊び創出に海洋クラブ助け船➡23年5月29日付5、4年ぶりにゴロが戻ってきた➡23年7月4日付6、特定外来魚駆除へ 釣り大会開き活用法模索➡23年7月16日付7、アメリカナマズを四川料理に ガチ中華で食事会➡23年7月20日付8、川を次世代に託す 児童らフナの放流体験➡23年7月23日9、産卵床を造成 アユを呼び戻したい➡23年10月12日10、ボランティアで荒れ地を整備 河川敷が憩いの広場に➡23年10月28日11、「汚した環境 未来に」放流体験通し標語➡24年3月14日

元広告デザイナーとJリーガー 農業への思いつなげ地域の輪広げる つくば

20日 研究学園駅前公園で「ワニナルフェス」 広告デザイナーから転身しつくば市で新規就農した青木真矢さん(44)と、元Jリーガーの近藤直也さん(40)が、「農業×〇〇」で地域を盛り上げようと、地元農家の直売店を中心にキッチンカーなどが出店する体験型マルシェ「ワニナルフェス」を開催し地域の輪を広げている。20日、つくば市学園南、研究学園駅前公園で8回目の同フェスを開催し。およそ40店が出店する。 若者の活躍の場を提供したい 主催するのは農業を中心に地域活性化を目指す合同会社「ワニナルプロジェクト」(代表青木さん、近藤さん)。地域のコミュニティーをつくろうと2021年に立ち上げた。 青木さんが広告デザイナーだった経験を生かし、農家に取材して発信していたところ、SNSで農業に関心のある地元大学生などとつながり、取材班を結成。昨年1月、市のアイラブつくばまちづくり補助事業で活動補助を受け、クラウドファンディングでも支援金を集めて、つくばの農業の魅力を発信する季刊誌「ワニナルペーパー」を創刊した。市内を中心に1万部を約200カ所で無料配布している。セカンドキャリア、セカンドライフで異業種から新規就農した人のインタビューを掲載し、農業に参入したいと考える人の情報誌としての役割も果たしている。 取材する中で、こだわりを持って栽培する農家の思いを知り、消費者が直接、生産者の顔を見て農作物や加工品を購入できるイベントを企画。農業を核としてスポーツや音楽など地域の若い人たちがクリエイティブに活躍する場にもなればと、昨年5月「ワニナルフェス」を始めた。月1回のペースで開催し、前回はおよそ500人が来場した。 異業種の2人がタッグ 代表の青木さんは京都府出身。現在つくば市上郷でブルーベリーの観光農園「アオニサイファーム」と併設のカフェを運営する。同じく代表の近藤さんは、元Jリーガーで「DOサッカークラブ」(土浦市荒川沖)などを運営する。アスリートのセカンドキャリアとして農業分野の活動を模索している。 異業種から農業に関わろうとする2人がタッグを組んだプロジェクトは「農業×クリエイティブ」、「農業×アスリート」の掛け合わせで新しい価値を産み出し、地域の輪を着実に広げ始めている。 青木さんは「こだわりあふれる地元農家の季節の新鮮野菜を中心に、キッチンカーや飲食店、雑貨、ワークショップ、スポーツ体験など、週末を満喫できるわくわくを集めた。つくばの多彩な魅力を感じることができる、まさに『輪になる(ワニナル)フェス』。ご来場をお待ちしてます」と話す。 20日は、筑波大の理系学生2人が作る「阿吽(あうん)の焼き芋」や、ワイン用ふどうを栽培する「つくばヴィンヤード」、米と日本酒を作る「四喜佳通販」など、農家の店10店が参加する。「乗馬クラブクレイン茨城」によるポニーのお世話体験や、ボクシングジム「アイディアル スペース(ideal space)」によるキックボクシングとミット打ち体験、絵本の読み聞かせなど、体験やワークショップのブースが充実し家族連れで楽しめる。(田中めぐみ) ◆「ワニナルフェスvol.7」は、4月20日(土)午前10時~午後4時、TX研究学園駅近くのつくば市学園南2-1、研究学園駅前公園で開催。入場無料。雨天決行、荒天中止。駐車場は周辺の有料駐車場利用を。問い合わせは電話029-811-6275(ワニナルプロジェクト、受付時間/平日午前10時~午後6時)へ。

桜川環境保全・川守養成プログラム実行委員会 プライバシーポリシー(個人情報保護方針)

桜川環境保全・川守養成プログラム実行委員会プライバシーポリシー(個人情報保護方針) 桜川環境保全・川守養成プログラム実行委員会(以下、「当委員会」という。)は,参加者の個人情報について以下のとおりプライバシーポリシー(以下、「本ポリシー」という。)を定めます。本ポリシーは、当委員会がどのような個人情報を取得し、どのように利用・共有するか、参加者がどのようにご自身の個人情報を管理できるかをご説明するものです。 【1.事業者情報】 団体名:桜川環境保全・川守養成プログラム実行委員会 住所:〒305-0862 茨城県つくば市東丸山20-1 代表者:田中めぐみ 【2.個人情報の取得方法】 当委員会は参加者が利用登録をするとき、氏名・生年月日・住所・電話番号・メールアドレスなど個人を特定できる情報を取得させていただきます。 お問い合わせの送信時には、氏名・電話番号・メールアドレスを取得させていただきます。 【3.個人情報の利用目的】 当委員会が主催するプログラム(イベント等)にご参加いただくにあたり、取得する個人情報は、以下のいずれにあたり利用目的の範囲内で適切に取扱います。 個人情報の種別 利用目的 参加者の個人情報 当委員会が提供するプログラム(イベント等)に関するお申込手続きのため当委員会が提供するプログラム(イベント等)に関するご案内(電子メール・SNS・電話等)の送付・配信のため※プログラム参加終了後も情報提供をさせていただく場合もございます個人を特定しない形の統計的情報調査分析のため事故等緊急の場合の連絡のため保険会社(保険代理店を含む)への保険金請求等各種手続きに関わる事務処理のため お問合せをいただいた方の個人情報 お問合せに関する返信のため 【4.個人情報の適正な取得】 当委員会では、個人情報の取得は、適法かつ公正な手段で行います。 【5.個人情報の提供】 当委員会は、次の場合を除き、参加者の個人情報を第三者に開示または提供しません。 1.参加者の同意がある場合 2.法令に基づく場合 3.人の生命、身体又は財産の保護のために必要であって、参加者の同意を取ることが困難な場合 4.利用目的の達成に必要な範囲で、個人情報の取り扱いを委託する場合 5.合併、分割、譲渡その他の事由によって事業の承継が行われる場合 【6.個人データの第三者提供について】 当委員会は法令及びガイドラインに別段の定めがある場合を除き、同意を得ないで第三者に個人情報を提供することは致しません。 【7.個人情報取り扱いに関する相談や苦情の連絡先】 当委員会の個人情報の取り扱いに関するご質問やご不明点、苦情、その他のお問い合わせは参加申し込みフォームよりご連絡ください。 【8.プライバシーポリシーの制定日及び改定日】 制定:2024年4月1日 【9.免責事項】 当委員会Webページに掲載されている情報の正確性には万全を期していますが、利用者が当委員会Webページの情報を用いて行う一切の行為に関して、一切の責任を負わないものとします。 当委員会は、利用者が当委員会Webページを利用したことにより生じた利用者の損害及び利用者が第三者に与えた損害に関して、一切の責任を負わないものとします。 【10.著作権・肖像権】 当委員会Webページ内の文章や画像、すべてのコンテンツは著作権・肖像権等により保護されています。無断での使用や転用は禁止されています。 【11.リンク】 当委員会Webページへのリンクは、自由に設置していただいて構いません。ただし、Webサイトの内容等によってはリンクの設置をお断りすることがあります。

望月学長「何度も立ち上がりやり直す生き方こそ指針に」 筑波学院大学で卒業式

筑波学院大学(つくば市吾妻、望月義人学長)の2023年度卒業式が18日に催された。ビジネスデザイン学科の145人がスーツやはかまに身を包み、晴れやかな表情で式に臨んだ。卒業生代表の堀江紅音さんが望月義人学長から卒業証書を受け取った。 望月学長は、南米ウルグアイの前大統領ホセ・ムヒカ氏を尊敬する人物として挙げ、同氏が述べた言葉を引用し「(ホセ・ムヒカ氏の)貧しいけれども清い生き方は国内外の人々に共感を与えてきた。何度も立ち上がりやり直すという生き方こそ、これから社会の荒波に飛び込む皆さんの生き方の一つの指針となる。人生の価値はどれだけの富や地位を得たかではない。常に自らを磨くために努力を続け進化を遂げていく人の姿はまぶしく映る」と話して激励した。 橋本綱夫理事長は、卒業生が新型コロナウイルス感染拡大の時期に入学したことに触れ、さまざまな制約があったにもかかわらず、我慢して努力し卒業を迎えたことをねぎらった。また「卒業で学びは終わりではない。自分自身で学びたいことを見つけていくことが必要になる。主体的な学びの姿勢は重要で、ぜひ学び続けていってほしい。今の社会は変化に満ちており、さまざまな困難や課題から逃げないで取り組んでいくことが大切」とあいさつした。 卒業生代表として答辞を述べた飯島瑞樹さんは「大学に入学した最初の頃は新型コロナウイルスの影響によって友だちをつくることができず、孤独を感じながら授業を受けていたが、たくさんの友人や先輩と出会い一生の宝物となった。このような多くの友人との出会いによって、これまでの私であれば決してありえなかった経験をすることができた」と思い出を振り返り、支えてくれた友人や教職員、家族への感謝の気持ちを述べた。 ビジネスマネジメントコースで中国出身のリュウ・ニヘイさんは「6年日本で暮らしたが、時間が短く感じる。卒業後は中国に帰る。まだ何をするか決めていないが、事業を起こしたい」と話した。情報デザインコースの斉藤優希奈さんは「卒業の日を迎えてうれしい。プログラミングやウェブデザインを学ぶことができた。卒業後は県内の製造業で働く」と笑顔を見せた。 同大は新年度から大学名を日本国際学園大学に変更し、仙台キャンパスが開学。つくばと仙台の2キャンパス体制となる。グループである東北外語学園(仙台市)の教育メソッドを取り入れ、語学教育に力を入れていく。(田中めぐみ) ◆日本国際学園大学のホームページはこちら

Most Popular