【コラム・平野国美】「先生、おやじがボケました」。長男さんからその電話を受けたのは、真夏の午後だった。受話器を置いてから、私は1年前の冬を思い出していた。
佐藤さん(78歳、仮名)の奥さんを看取ったのは、あの家の奥の6畳間である。あのときの佐藤さんは実に立派だった。50年連れ添った妻の介護を、ほとんど1人でやり遂げた。最期の場面でも取り乱さなかった。私が頭を下げると、「先生、ありがとうございました」と、こちらが恐縮するほど深く礼を返された。この人なら大丈夫だ—そう思って、私はあの家を辞したのである。
あれから1年。何が起きたのか。異変はひと月ほどの間に現れたという。何度も同じことを聞く。足元がふらつく。昼間もウトウトしている。家族が認知症を疑ったのは無理もない。往診に伺うと、確かに会話がかみ合わなかった。記憶が抜けているというより、そもそも話に注意が向いていない。
「朝は普通なんです。夕方になると、急に人が変わって」。長男さんの一言が、私の頭の中で引っかかった。認知症なら、こうも短い時間で行ったり来たりはしない。
「お父さん、食事はどうされていますか」。長男さんが口ごもった。月に一度、家に来るのが精一杯で、わからないという。私は台所に上がらせてもらった。答えは冷蔵庫にあった。缶ビールが、ぎっしり詰まっていた。ほかには、ほとんど何も入っていない。あれほどきちょうめんに妻の食事を作っていた人の台所が、空だった。
枝豆、冷ややっこ、焼き鳥、乾き物
採血の結果、血液中のナトリウムが118。正常の下限を大きく割り込んでいた。「ビール多飲症」である。腎臓が余分な水を尿として捨てるには、塩分やたんぱく質といった「捨てる相手」が要る。ビールにはそれがほとんど含まれていない。食べずに飲み続ければ、水を出したくても出せない。血液が薄まり、脳がむくむ。それが物忘れとふらつきと眠気になって現れる。
ここで、ふと思い当たることがある。酒にはつまみがつきものだ。枝豆、冷ややっこ、焼き鳥、乾き物—どれも塩気とたんぱく質の塊である。あれは味を引き立てるためだけのものではなかった。腎臓に水を捨てさせるために必要なのだ。先人は理屈を知らぬまま、体でそれを知っていたのだろう。
危ないのは酒そのものより、つまみのない酒である。治し方も厄介だった。急いでナトリウムを戻せば、今度は脳の神経が傷む。あえて、ゆっくり治す。入院をお願いし、数日かけて緩やかに補正していただいた。退院後、佐藤さんは自分の言葉で私に話しかけてきた。「先生、ご迷惑をかけました」。あの日と同じ、律儀な人の姿だった。
「急にボケた」と聞いたら、私はまず採血をする。そして台所を見せてもらう。認知症という名前は、一度つくと簡単には外れない。だから、つける前に立ち止まる。佐藤さんが飲んでいたのは、多分、ビールではなかったのだと思う。妻のいない寂しさ。それを責めるわけにもいかない。(訪問診療医師)






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