水曜日, 10月 14, 2026
ホーム暮らし「透明人間じゃない」学校での付き添い 母たちによるトークイベント

「透明人間じゃない」学校での付き添い 母たちによるトークイベント

20日 つくば

障害のある子どもが学校に通うとき、保護者に「付き添い」が求められることがある。役割は、学校生活に必要な介助。しかし実際には「待つだけ」の時間が長く、孤独や虚しさに押しつぶされることもあるという。

つくば市で20日、学校での「付き添い」を経験した保護者らによるトークイベント「『透明人間』になった私たちのお話」(つくば自立生活センターほにゃら主催)が開かれる。登壇するのは、写真集「透明人間 Invisible Mom(インビジブル・マム」を出版した都内在住の写真家、山本美里さん、つくば市内の小学校に通う娘を育てる堀玲さん、医療的ケア児の親の会「かけはしねっと」代表理事で市内に住む根本希美子さん。3人それぞれが障害のある子の保護者として孤独や葛藤に向き合ってきた。

教室の後ろで座り続けた

堀玲さん(左)と小学5年の長女のイラスト(堀さん提供)

「学校での役目は、子どものトイレと階段の上り下り、それから物が落ちた時に拾うこと。それ以外は、教室の後ろで座っているだけだった」と堀さんは言う。

堀さんの長女は市内の学校に通う小学5年生。脳性まひによる障害から日常生活に車いすが欠かせない。幼稚園では、障害児を支える「加配」の先生が付き、堀さんは送り迎えをするだけだった。多くの友達に恵まれ、多目的トイレを1人で利用できるようになるなど、日々できることが増えていく娘の姿に「親の方が励まされた」と振り返る。だからこそ、「小学校も、地域の学校で」との思いは強かった。

しかし、入学要件として求められたのは「保護者による付き添い」だった。学校には「加配」に代わる「特別支援教育支援員」が各学校に配置されるが、当時、入学予定の学校では支援学級の児童が優先されていた。自身でノートをとったり、友人とコミュニケーションをとることができる娘は、普通学級で学んだため支援員の対象から外れた。「付き添い」は堀さんにとって辛い日々の始まりだった。6、7時間、会話を交わすこともなく、朝から下校時間まで椅子に座り続けた。

「体はガチガチに硬くなるし、それ以上に心が沈んでいく。周りに迷惑をかけないよう気を張っていたけれど、何もしないまま時間だけが過ぎていく虚しさに、どうしても耐えられなくなった。ただただ悲しかった」と話す。

学校と保護者が話し合える関係を

娘が2年生に進級したある日の授業中、無意識に涙が流れ出し止まらなくなった。3年生になるころには重度のうつ病と診断され、「すぐに学校に行くのをやめて夫に代わってもらい、休んでください」と医師から告げられた。

「明日こそ頑張ろうと思うと夜眠れなくなり、朝が来ると、学校に行くのが嫌で嫌でたまらなかった。起き上がることもできなくなった。親の私が登校拒否になってしまった」

市に掛け合い、学校の体制も変化し状況が好転する。学校がこれまでの対応を謝罪し、支援員の増員を決定。さらに階段に昇降機がついたり、トイレが多目的用に改修されたりし、付き添い時間も徐々に減っていき、現在は登下校の送迎のみとなっている。

「子どもが幸せに学校で過ごせるように、学校が、保護者と一緒に考える場所であってほしい。『これに困ってるんですが、どうすればできますかね?』と、遠慮せず話し合える関係を築いていきたい」と堀さんは言う。

求められた「存在を消すこと」

山本美里さん(山本さん提供)

2023年に刊行された写真集「透明人間 Invisible Mom」。そこに写るのは写真家・山本美里さん自身だ。今年3月に亡くなった三男 瑞樹さんが通った特別支援学校に付き添った自身の日々を可視化した。

瑞樹さんは、生後間もなく先天性サイトメガロウイルス感染症と診断され、たん吸引や人工呼吸器を必要とした。入学した特別支援学校には看護師がいたが、当時、瑞樹さんが緊急時に使用する手動の人工呼吸器具「アンビューバッグ」は保護者しか学校で扱うことが認められなかったため、毎日学校に待機せざるを得なかった。「使用するのは年に一度あるかないか。いつあるかわからない緊急連絡をただ待つために、一日中、誰もいない部屋に待機していました」。学校で求められたのは「存在を消すこと」だったという。修学旅行には自費で付き添いながら、記録写真には写らないよう求められ、給食は出ないので弁当を持参した。つらい状況を変えようと、学校や教育委員会に相談するも、変化はない。次第に追い詰められて、適応障害を患った。

その中で始めたのが写真だった。通信制の大学に入り、卒業制作として取り組んだのが『透明人間』だ。教員や校長も被写体として巻き込みながら「付き添い」の現実を可視化した。

学校と保護者は一つのチーム

「本来、学校と保護者は一つのチームであるべき。お互いに話を聞き合って、歩み寄って、ウィンウィンの関係でいられることが大事。先生方が作品に参加してくださったことで、『この状況を一緒に変えられるかもしれない』と感じられたのは、大きな救いだった」と振り返る。

写真集にしたのは「障害のある子の親は外出すら難しい。本にすれば、必要な人に家の中で見てもらえる」からだ。読者からは「これは私の話かと思った」「自分だけじゃなかった」との声が寄せられた。「医療的ケア児の親は少ないし、付き添っている親も少ない。障害によって状況も異なる。周りに似た状況の人がいないと、不満を抱くのは私がおかしいんじゃないか? みんな受け入れてるのにできないのは私の問題なんじゃないか?などと考えてしまう。本音も言えずにいる人は多い。だから『透明人間』を見て、自分の思いを言葉にしてもいいんだと思ってもらえたらうれしい。そういう橋渡しをするのが今の私の役目なんじゃないかなと思っている」と話す。(柴田大輔)

◆トークイベント「『透明人間』になった私たちのお話」は、9月20日(土)午後1時から午後3時30分まで、つくば市研究学園のつくば市役所コミュニティ棟で開催。定員60人、手話通訳あり。参加申し込みは専用サイトへ。申込締め切りは15日(月)。会場では、山本さんによる写真展「透明人間 Invisible Mom」の写真展も開かれる。展示は同会場で午後6時まで。問合せは、「つくば自立生活センターほにゃら」電話:029-859-0590、ファックス:029-859-0594、メール:cil-tsukuba@cronos.ocn.ne.jpへ。

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho





spot_img

最近のコメント

最新記事

「言葉でなく視線で会話」イタリアの劇団がつくばの保育園で公演

乳幼児など小さな子供たちのための舞台作品で世界的に知られるイタリア・ボローニャ市の劇団「ラ・バラッカ」の公演「ON・OFF」が13日、つくば市鬼ケ窪の私立みらいのもり保育園(久松惠園長)で開かれ、0歳から5歳までの園児約100人が観劇を楽しんだ。照明のオン、オフによって生まれる光と闇の美しさが、子どもたちの好奇心や想像力をかき立てた。 前日の12日、つくばカピオで催された来日公演に続く特別公演で、同園での公演は昨年に続き2回目(25年10月7日付、同10月16日付)。来日公演を主催した文化交流団体「日伊櫻の会」の協力で実現した。 今回の演目「ON・OFF」は、作者の一人でもある同劇団のアンドレア・ブゼッティさんによる一人芝居。ラ・バラッカを代表する演目の一つで、18年前に制作されて以来、世界各地で上演されてきた。赤ちゃんや幼児が光るものに対して示す驚きや関心を、そのまま演劇に落とし込んだといい、みらいのもり保育園の子どもたちからも「照明がついたり消えたりするのが魔法みたいで楽しかった」といった感想が聞かれた。 ブゼッティさんは「0~3歳児の反応はどこの国でもほとんど同じで、どの場面で笑ってどの場面で怖がるかも同じ。3歳以上では違いがあり、イタリアの子どもたちはじっと集中して見てくれたが、日本の子どもたちはすごくハッピーに、声を上げて楽しんでくれた」と話す。 せりふはほとんどなく、冒頭では電気のコンセントを抜いたり差したりする仕草や表情だけで見せた。その後は電球の光を吹き消したり、食べたりするパントマイム的な表現も入ってきて、さらには照明器具をパパやママ、赤ちゃんに見立てた人形劇的な場面もあった。赤ちゃんを何度寝かしつけてもすぐに光ってしまう場面では、子どもたちの笑い声や歓声がひときわ大きくなった。 「歌や踊りも入ってはいるが、単なるエンターテインメントにはせず、演劇が持っている要素を維持するよう心掛けている。また抑揚も大事。子どもたちにはあまりたくさんのことを一気に伝えられない。スローな時間もつくりながら集中は切らさず、沈黙の時間の中でアイコンタクトで子どもたちと会話する。言葉にするのは難しいが、今日も劇中で子どもたちとたくさんの会話ができた」とブゼッティさん。 日本では、小さな子どもが演劇や芸術を理解することは難しいと考えられているが、欧米では7カ月目から演劇鑑賞が可能だとする研究成果もあるという。ラ・バラッカではボローニャ市の委託を受け、劇場や保育所で子どもたちが日常的に演劇に触れられる環境をつくっている。 ブゼッティさんは「子どもは正直で真実で純粋な最高の観客。伝わったときはきちんと応えてくれる。子ども向けに作って演じることで、アーティストとしての自分を磨き育てることもできる」という。 今回の公演から子どもたちが得たものについて、同保育園の久松園長は「言葉だけでなく音や動き、表情などから物語を感じ取り、想像力や感性を豊かにする貴重な経験となった。また一人ひとりが自由に感じ、表現する楽しさを知るとともに、好奇心や探求心を育む機会となった」と語っている。(池田充実)

「学園の森高校」の実現が必要《竹林亭日乗》45

【コラム・片岡英明】9月1日、栃木県立宇都宮南高校の学級増についてのニュースを読んだ。県立高校再編計画(2024~35年)で栃木県は、県内を7地区に分け、中学卒業予定者が20%減る宇都宮地区では宇都宮東高を中等教育学校にし、宇都宮青陵高をフレックス高(多部制・単位制)にすると発表していた。同県に学級増の理由を聞いたところ、「状況に合わせて微修正した」との説明があった。 つくば市内にある県立高の学級増が実現していない茨城県との違いに驚いた。中学卒業者数が減少する中、栃木は学級計画をプラスに修正したが、茨城は生徒が増えているつくばエリアの学級増計画が実行されてない。 市内県立高入学者を比較 茨城県は、2019~26年の高校改革プランで県内を12のエリアに分け、中学卒業者数でエリアの募集学級数を調整することにした。また、つくばエリア(つくば、つくばみらい、守谷、常総市)の生徒数がこの間、440人増えると推計した。これに対し、本来ならば7学級増(私たちの計算)にすべきところを、同プランでは2学級増に抑えた。 ところが、最終年の2026年になっても、2学級増も実現していない。県は募集学級をマイナス修正したようだ。そのため、2026年入試でもつくばエリアの高校受験生は大変な苦労を強いられた。2026年の水戸・土浦・つくば3市の市内全日制県立高への入学者数と市内入学率は以下の通りだ。 ▽水戸市(市内中学卒業者2043人、市内県立高入学者867人=入学率35.8%):①水戸工業162人 ②桜の牧高114人 ③緑岡高111人 ④水戸二高106人 ⑤水戸三高101人 ⑥水戸商99人 ⑨水戸一高39人 ▽土浦市(同1056人、同400人=37.5%):①湖北高115人 ②土浦二高92人 ③土浦工業92人 ④土浦三高78人 ⑦土浦一高23人 ▽つくば市(同2161人、同347人=16.1%):①竹園高216人 ④サイエンス高97人 ⑬筑波高34人 つくば市の市内県立高入学は依然として6人に1人だが、水戸市と土浦市は入学数上位にずらりと地元の県立高が並ぶ。これからも中学卒業者数が増えるつくば市内で、県立高校新設が必要なことは明らかである。 つくば市の市外高への入学数を見ると、②牛久栄進高167 人③土浦二高121人 ⑤伊奈高69人 ⑥下妻二高61人 ⑦牛久高58人 ⑧土浦一高57人 ⑨水海道一高56人 ⑩土浦工高47人 ⑪水海道二高46人 ⑫土浦三高41人―となっており、多くの生徒が毎日の通学に苦労している。 まず、計画があった2学級増を竹園高校で では、どうすればよいか。まず、県が2026年まで増やすと計画した2学級増を竹園高校で実施する。次に、県平均水準に17学級不足しているつくばエリアの県立高の不足解消を求めたい。そのため、私たちの会は7月21日、9回目の県教育委へ要望書で、研究学園駅近くにある「イ-アスつくば」の北側県有地に「学園の森高校」、または同駅南側に「研究学園高校」など、通学に便利なTX沿線に県立高を新設するよう求めた。 栃木県を参考にして、2027年度県立高校定員発表(10月末)では、茨城も学級数をプラスの方向に修正して、受験生と保護者の希望に応えてほしい。(元高校教師、つくば市の小中学生校の高校進学を考える会 代表)

33年間も付き合ったハイエース《鳥撮り三昧》18

【コラム・海老原信一】2026年9月2日、車との32年と9カ月の付き合いに終止符を打つ日がやってきた。家族とのキャンプやスキー、野鳥を求めての野宿旅、普通の人なら入らないような所へと入り込んでは、あちらをこすり…、気が付けば「身体」はボロボロになっていた。 文句ひとつ言うでもなく、1993年11月5日登録のハイエースは40万7000キロも走り続けてくれた。8月30日、「もうこれでお終わりにしたい」と言われたような故障が発生。何とかならないかと思案したが、そう理解した。恥ずかしい話だが、涙があふれた。 長過ぎた付き合いだった。いろんな思いが詰まってしまっていた。それは家族との思い出であり、自身の生きてきた時間そのものだから。代わりの「相方」が必要なので、前車と同様に頑張ってくれる車種を探すが、価格高騰がネックとなっている。野鳥を求める旅には支障があるけれど、しばらくは悩み続けよう。 鳥たちと毛虫 9月下旬から10月中旬にかけて、桜が植えられている場所で、葉が色付き、落ち始めるとカッコウの仲間が姿を見せる。これまでの観察経験ではツツドリの幼鳥が多い。旅の途中、栄養補給のため桜に着く毛虫を求めて来るのだ。 毛虫は人には嫌われる存在だが、鳥たちには大事な食料。とはいえ、くちばしに毛虫をくわえているのを見ると、「それを食べるんかい」との思う。自分が口にしているのを想像してしまうからなのかもしれない。それでも、毛虫を食べる人もいるようで、その人の書いたものを読んだ記憶がある。 かの鳥たちは桜の葉が無くなるころにはいなくなるが、一体どのくらいの毛虫を食するのだろう。彼らが食べることで桜が守られることもある。そう考えると、他の命を支えるという相互の関係が思われる。世の中はそんな関係で成り立ってるのかもと思う。(写真家)

抗がん剤治療が効き10カ月《ハチドリ暮らし》66

【コラム・山口京子】「死に時に あらがいつつも 迷いつつ…」。今の自分の心持ちです。昨年12月にがんと告知され、医師に「治療をしなければ余命8カ月。治療して功を奏した場合は2年半」と言われました。月に2回入院して、抗がん剤治療が効き、10カ月が過ぎました。 そうした中、良寛さんの言葉を思い出しました。1828年、良寛さんが71歳のとき、新潟で大地震が起きました。被災し、子どもを亡くした知人に宛て「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候」と。色身と法身を一身に生きた良寛さんならではの言葉だったのでしょう。 昨今の天災は人災の要素が高まっています。医療技術が進み、かっては助からない命が助かるようになった時代に生き、自分は死に時をどう考えるのか…。末期がんとどう向き合うのか…。 国民皆保険制度で、受けられる治療であれば受けてみる。高額になる自由診療は見合わせる。自分でできる食事・運動や生活改善はやってみる。手の届く代替治療やサプリメントは可能な範囲で利用する。こうして過ごしてきました。 抗がん剤治療で時間を稼いで、できるならがんの進行を遅らせ、がんを小さくし、その間に、体力・体調・体重をキープし、自分の免疫力や自然治癒力を高め、標準治療に頼らないで、がんと共存できたらという願いがあります。 どんな物語を紡ぐのか そう願う一方、抗がん剤を止めたらがんが増殖するのではないか、抗がん剤が効いて手術ができるようになったのに手術をしないのはどうかと、迷っている自分がいます。 自分の心身は自分の支えでもあり、制約でもあるのでしょう。制約を取り払うことができるなら、何が見えてくるでしょう。人が生きていくに当たって、物語と意味は不可欠なものかもしれません。どんな物語を紡ぐのか、何にどういう意味を込めるのか。 自分の自分と、他人の自分、たくさんの他人の自分で構成される社会で、平和に暮らすすべとは、いかなるものなのでしょうか?(消費生活アドバイザー)