日曜日, 6月 7, 2026
ホームつくば不登校生徒のフリースクール「ライズ学園」岐路に つくばで19年

不登校生徒のフリースクール「ライズ学園」岐路に つくばで19年

【橋立多美】不登校の子どもたちが学ぶフリースクール「ライズ学園」(つくば市谷田部)が岐路に立っている。経営が苦しく、3月末で一旦閉園して運営を検討しようとしたが、保護者の声に押されて教室を移転し、週に1日開級している。同園の礎を築いた小野村哲さん(59)は「これで終わりではない」と奮起する。

公立中学の英語教師だった小野村さんは、小さなつまずきから勉強に追い付けなくなり、「どうせ自分なんか…」と思ってしまっている生徒を見ていた。その一方で、落ちこぼれていく子どもに対応できない学校の限界を感じていた。保護者の「勉強が分からない子どもを見てくれる場所がない」に背中を押され、1999年に教職を離れた。

登園者延べ2万2585人

2000年7月にリヴォルヴ学校教育研究所(01年にNPO法人化)を設立し、不登校の児童・生徒が学力を身に付けることのできる「ライズ学園」の運営に乗り出す。定員15人の少人数制。週4日の時間割で、教員免許を持つ教科担当者が指導するほか、スポーツや絵画造形、農作業など体験型の学習を取り入れた。教室は谷田部内町の洋品店の2階(約132平方メートル)を借りた。

同園のモットーは「みんなちがって、みんないい」。不登校の背景にはいじめや学習障害(LD)、注意欠陥多動性障害(ADHD)などが潜むケースがある。また勉強のつまずきは千差万別。子ども一人ひとりがどこに困難を感じているか理解した上で学習支援を行っている。

「ダメな子」とレッテルを貼られていた子どもが丁寧な指導で分かるようになると、意欲を出して変わっていくという。高校、大学への進学や、社会に適応できないと思われていた子どもが数年して独立していく。開園から今年3月末までの延べ登園者数は2万2585人に上る。

個に応じた学習支援を行うことで得た発達障害などへの対処法や成果を教材としてまとめ、その販売収益と月謝=メモ参照=、助成金、寄付金を活動経費に充ててきた。しかし、次第に負債が膨らみ始める。

4月に学園を巣立つ生徒が数人いても、それに代わる人数の入園生を迎えることはしない。春を待たずに「学校に戻る」ことを選択した子どもが「やっぱりライズに…」となった経験から、卒園生の居場所を確保しておこうという配慮だ。

ライズ学園のスタッフたち。左から事務局長兼国語担当の北村直子さん、英語担当の小野村哲さん、学園長で数学担当の本山裕子さん=つくば市千現のリヴォルヴ学校教育研究所事務局

こうした配慮が月謝収入を不安定にさせ、指導にあたるスタッフが転勤などで退いても経営難から新たなスタッフを採用できなくなった。スタッフ不足は定員に満たない運営につながり、数年前から新たな入園希望に応じられない状況に陥った。

「せめて週に1日でも」

リヴォルヴ学校教育研究所の理事やスタッフが話し合いを重ね、19年度は難局を乗り切り発展するために一時休園という結論に傾いた。ところが保護者から「活動をゼロにしないで欲しい」「せめて週に1日でも」の要望が相次いだ。

教室を近くの公共施設、市民ホールやたべの一室に移し、4月から毎週水曜日に開級している。現在、市内外の中学生2人と高校生4人(通信制2人)が通う。スタッフは数学担当で学園長の本山裕子さん、英語担当の小野村さんら計8人。

書類などを保管する棚がないためスタッフは毎回、教科書や辞書、実験器具、画材を運び込んでの活動だ。教室が変わったことで動揺する通園生はいなかった。授業時間外はスタッフとフレンドリーに言葉を交わし、学校でも家庭でもないライズ学園を子どもたちは心地よく思っていることが伝わってきた。

小野村さんは「今はライズが果たすべき役割を考えて基盤強化を図りたい。ライズ学園はこれで終わりではない」と言い切った。学ぶ意欲を育み、不登校の心に寄り添う挑戦が続く。

※メモ

【フリースクールの月謝】義務教育の教育費は無償だがフリースクールには公的な支援がなく、親が学費を負担する。文科省の調査によれば月会費の平均は3.3万円で親の金銭的な負担は大きい。その一方でフリースクールは月謝だけでは立ち行かず、職員が待遇面で我慢したり寄付金を集めるなど経営に苦しんでいる。

➡NPO法人リヴォルヴ学校教育研究所のホームページはこちら

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img

最近のコメント

最新記事

ラヂオつくば社長に就任した立川記子さん【キーパーソン】

つくば市内をエリアにしているコミュニティFM「ラヂオつくば」を運営する「つくばコミュニティ放送」の社長が5月下旬に交替し、新社長に立川記子さん(52)が就任した。つくば市に住み、大学受験の個人塾を経営、イベント企画や広報の仕事もしている。立川さんに、学園都市に向けて電波を発信するFM放送の役割などについて聞いた。 開局から18年、4代目の社長 ラヂオつくばが開局したのは18年前の2008年。筑波大学内にアンテナを立てさせてもらい、国が割り当てた周波数84.2MHzの電波を使って、つくば市内に情報や音楽を発信している。茨城県内にはほかに、「FMぱるるん」(水戸市)、「FMかしま」(鹿島市)、「FMひたち」(日立市)、「FMうしくうれしく放送」(牛久市)、「FMだいご」(大子町)の5局がある。 立川さんは創業から4代目の社長。どうして5月下旬にトップが交替したのか聞くと、「私は取締役としてFMラジオ局にも関わってきたが、当社の決算期は前年6月~今年5月になっており、経営上の区切りがよかった。それから、弁護士をしている前任の堀越智也さんから、そろそろ法律事務所の仕事に専念したいとの申し出があった」とのこと。 「気軽に立ち寄れる」スタジオ 立川さんはラジオパーソナリティとして、この8年間、昼2時間の帯番組も担当してきた。 「コミュニティ放送のスタジオは誰でも気軽に立ち寄れる場所。スタジオを市内のいろいろな情報が集まって来るところにし、そういった情報を発信する基地として運営していきたい。スタジオがハブ(車輪の中心)になり、人と人のつなぐ部屋になればと思う」 「市内の区長さんや地域で活躍する方にも出演していただき、地域のイベントなどの話題を話してもらいたい。そういった、市民の皆さんが主役になれるような放送局にしたい。また、コミュニティ放送として、市が発信する災害情報も伝え、防災面でも役に立つ局にしようと考えている。84.2MHzあるいはホームページにアクセスすれば、市内のことは何でも分かるような放送局にしていく」 「聞こえる・見える」スタジオ 以前、ラヂオつくばのスタジオは広場に接するつくばセンタービルの2階にあった。その後、トナリエクレオ(元西武百貨店)の3階に移ったが、場所が分かりづらいこともあり、昨年7月、クレオ前のT.S Buil(元ライトオン本社ビル、つくば市吾妻1-11-1)の1階に引っ越した。幅の広い歩道に面しており、仕切りガラス越しにスタジオ内の様子をのぞくことができる。 立川さんによると、放送の音声をラジオやスマホなしでも聞けるように、近く、スタジオの外側にスピーカーを取り付ける。また、ペデストリアンデッキに面するT.S Builの外壁に設置されている大スクリーンでも放送中の影像を映してもらえるよう、同ビルを所有する「都市開発」と交渉中という。これらの仕掛けが実現すると、スタジオの発信力が強化され、つくば駅近くの名所になりそうだ。 【たちかわ・のりこ】1996年、法政大学文学部卒。EIDAI合同会社(大学受験個人塾と広報イベント企画)代表社員、NPO法人子どものための救命教室理事、茨城県地球温暖化防止活動推進員。東京都港区赤坂出身、つくば市在住。家族は、中学3年の長男、小学6年の長女、勤務医の夫。 【インタビュー後記】私も放送が好きだった。小中では放送部に属し、冷蔵庫ぐらいのアンプ、小型スーツケースぐらいの録音器、分78回転SPレコードをかけるプレーヤー、音声をコントロールする操作盤をいじるのが楽しくて仕方なかった。校内連絡では自分がアナウンス、シナリオを書いて番組も作った。大学構内に電波塔があるFM局は学園都市にとてもよく似合う。(経済ジャーナリスト、坂本栄)

引退後の「環境の喪失」と継続する力《看取り医者は見た!》52

【コラム・平野国美】長年、つくば市で訪問診療医として患者さんのご自宅にうかがう中で、定年退職後の過ごし方がその後の認知機能にいかに大きな影響を与えるかを実感しています。 先日、私の高校時代の担任であった恩師と再会する機会がありました。御年91歳。足腰の弱りは少し見えてきたものの、認知症の兆候は全く見られず、その矍鑠(かくしゃく)としたお姿に驚かされました。「定年後はどのように過ごされていたのですか?」と尋ねると、先生は笑って教えてくれました。 定年前から趣味で中国語を学び始め、退職後は中国国内の日本人学校の国語教師として単身赴任されたそうです。現地で語学力にさらに磨きをかけ、帰国後も都内で中国人留学生向け日本語学校の教師を72歳まで続けられたとのこと。教えること、そして言葉という「自分の武器」を持ち続け、自ら新しい環境へ見事に移行されたロールモデルでした。 この恩師の例は、いわゆる文系的な強みを生かしたケースと言えます。文系の研究者や教育者は、「文献と机と自分の頭脳」があれば、退職後もライフワークを継続しやすく、知的環境をシームレスに保ちやすい特徴があります。 実験系研究者が直面する喪失 一方、研究機関が集積するこの街で気がかりなのは、理科系の「実験系」研究者たちが直面する「環境の喪失」の規模の大きさです。 彼らの仕事は、個人では維持できない高額な機器や特殊な実験室、そして日々議論を交わすチームがあって初めて成り立ちます。定年退職とは、こうした「物理的インフラ」と「指導者としての役割」をある日突然、一気に喪失することを意味します。 高度な知的職業に就いていた人は、脳の衰えを補う「認知予備能」が非常に高いとされています。しかし、強固な居場所を失い、フル回転していた脳への刺激と複雑なコミュニケーションが突然ゼロになると、その反動でダムが決壊したように認知機能の低下が急加速してしまうケースを少なからず目の当たりにするのです。 恩師のように、自ら新しい舞台を見つけることが理想ですが、それが難しい場合、地域社会がどう受け皿となるかが問われます。戦術を練りながら多世代と交流できる軽スポーツの場など、彼らの知的好奇心を満たし、新しい「役割」を持てるサードプレイスの創出です。 失われた環境の穴を埋め、その人らしい人生のストーリーを生き生きと紡ぎ続けられる仕掛けづくりこそが、これからの公衆衛生的な予防医療の大きな鍵になると感じています。(訪問診療医師)

粘土で作る風景《続・平熱日記》193

【コラム・斉藤裕之】6月初旬から長野県千曲市にある「art cocoon(アート・コクーン) みらい」で2回目となる個展を開く。作品は日々淡々と描き続けていたものをお見せするほかないが、初日にアーティスト・トークなるものがある。「平熱日記」というタイトルが示す通り、特に熱く語るほどのこともないし、そのあたりはギャラリーのオーナーであるかおりさんにお任せしておけば、うまくリードしてくれるから心配はしていない。それよりも、「何か実演を!」と頼まれて、はたと困った。 当然のことながら、私のスマホはAIさんが「よかれ」と思い、やたら絵を描く動画を見せたがるのだが、これ見よがしなスキルやテクニックの画像は正直苦手。しかし、ピカソが実際に絵を描いている動画が出てきたときには、正直感激した。というか、「そこから描くのね…」という意外な発見も。 私の場合は小さな画面に向かって、人様にお見せするのがむしろ憚(はばか)られるほどのチマチマした描きっぷりだし…。しかし、ここで駄々をこねるわけにもいかないので、粘土をこねることにした。題して「粘土で作る風景」。そうそう、そのころ家に絵を描きに来ていた子供たちが使っていた一番やっすい紙粘土で、小さな牛久シャトーをこさえて描いてみたのが最初。 粘土で作ったシャトーは大ざっぱで形もゆるゆる。しかし面白いことに、それを俯瞰(ふかん)で絵にしてみると不思議なリアリティーが感じられた。それから、友人の家や東京タワー、学校、電車…、粘土の模型とそれを描いた絵は気が付けば結構な数になっていた。 なぜ粘土で作る「風景」としたのか。これはなにも粘土で山や川などのジオラマの様な風景を作るという意味ではない。例えば粘土で作った電車を描くと、その電車を描いている周りに大地のように広がる風景が絵の中に感じられてくるところがミソ。あまり好きな言葉ではないが、俗に「絵画空間」といわれたりする。 だから実演では、恐らく電車を描いているのと同じか、それ以上に電車以外の背景と呼ばれる部分に手を入れる時間が長くなると思う。 「みらい」に向けて出発! さて、高校時代のある朋友。当時はトッポいあんちゃんだったが、彼が個展の情報をネットで同級生に回してくれたおかげで、関東各地から、遠くは滋賀県からも、わざわざ会場に足を運んでくれるというではないか。ということで、彼に感謝の意味も込めて、同級生のために故郷にちなんだアレを粘土で作って描くとしようか。もちろん、信州にちなんだアレは作って描こうと思っているけど…。 作り置いた手製の額に小さな絵を収めていくと、ちょうど煩悩の数ほどになった。あとは、いつも使っている牛乳パックのパレットと安物の筆、絵具、それから粘土も忘れずに車に積んで、さあ、信州千曲、「みらい」に向けて出発!(画家) <斉藤裕之「平熱日記 in 千曲」展>・日時・6月6日~28日の金・土・日・月・場所:art cocoon みらい(長野県千曲市土口378-1)

所属クラブの垣根超え写真展開催 土浦市民ギャラリー 高齢化で発表の場減少

所属している写真クラブの垣根を越え、写真愛好家なら誰でも参加できる企画展「形のない集団の写真展」が2日から、土浦駅前の土浦市民ギャラリー(同市大和町)で開かれている。4回目の開催で、20人の作品100点が展示されている。 土浦には写真クラブが20団体ほどあり、数十年の歴史をもつクラブも多いが、写真愛好家と指導者の高齢化のためクラブが減少、解散するところも出てきた。それぞれの写真展も会員の減少で開催が困難になり、愛好家の発表の場がなくなってきたことなどから、誰でも参加出来る写真展を企画することになった。 土浦市在住の写真家、高木紀英さん(74)が「何とかしたい」という使命感をもち企画した。知り合いの写真愛好家に声を掛け、4年前、開催にこぎつけた。「苦労しているという気持ちよりも、好きなことをしているという感じの方が大きかった」と高木さんは振り返る。4年前は、出展者10人、展示作品50点だったが、年々参加者が増え、現在は2倍に輪が広がった。写真展は高木さんが会長となり運営する。しかし会としての活動は写真展開催以外一切なく、組織化することもないという。 2日から開かれている写真展には、スナップ写真、風景、花などの作品が、カラーやモノクロで展示されている。大きさやテーマに縛りはないが、額装のマットは白に統一した。 高木会長は、モノクロの「凛」という作品を展示する。ほかに、人の足をアップしたり、平安時代から伝わる菊結びなどをとらえたり、感性に訴える作品が並ぶ。副会長の吉田亘好さんは、若者の街、東京・下北沢で出会った出来事や物象をクローズアップして捉えた作品を展示する。また建物だけをさまざまな角度で撮った北見隆久さんの写真や、写真が一つ一つ物語になっている吉原世都子さんの作品など、それぞれが個性豊かで自由な世界を表現している。吉原さんは「個展を開くなどとても出来ないので、この企画はとてもありがたい」と語る。 高木会長は「写真愛好家の高齢化が進み70代後半から80代の方が多い。しかし今回は40代の方が2人参加し、作品を作っている感じがとても良いと言っていた」と語り、昨今、写真がSNSで発表されていることに触れ「SNSでは直接顔を合わせて会話することが出来ないが、写真展では語り合うことが出来るなど良い面もある。一方、写真展に展示する作品は、プリントして額に入れなければならないという作業があるが、SNSにはそれがない。これからの写真展にどういう未来があるのか全く先が読めない」などと話した。 ◆「形のない集団の写真展」は6月2日(火)~7日(日)まで、土浦市大和町1-1、アルカス土浦(市立図書館)1階、土浦市民ギャラリーで開催。開館時間は午前10時~午後6時。入場無料。問い合わせは北見隆久さん(電話080-1043-7551)へ。