日曜日, 4月 20, 2025
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体感しよう「土浦八景」「垂松亭八景」《文京町便り》36

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土浦藩校・郁文館の門=同市文京町

【コラム・原田博夫】昨年12月、今私が会長を務めている土浦ロータリークラブ(RC)が、市内に2つの案内板「体感しよう、土浦八景」「体感しよう、垂松亭(すいしょうてい)八景」を設置しました。場所は、土浦駅西口のプレイアトレ前、小松二十三夜尊(にじゅうさんやそん)境内です。「…土浦八景」は市に寄贈し、その式を2月5日、市役所で行います。

案内板設置の着想は、土浦市立博物館の第38回特別展(2017年3月)の際にまとめられた冊子『土浦八景~よみがえる情景へのまなざし』に由来します。

「垂松亭八景」案内板の横に立つ筆者

私は高校まで土浦で過ごしたにもかかわらず、そういった歴史をほとんど知りませんでした。この特別展で、複数の「土浦八景」が江戸時代から選定されていたこと、その中のいくつかは自宅付近の馴染(なじ)みある風景だったことを知り、子供時代の思い出がよみがえりました。

そこで、案内板設置を、土浦RCの地区(国際RCの茨城県域)補助事業として申請し、土浦市民や市来訪者が周遊する際の目印としてはどうかと考え、「体感しよう、垂松亭八景」と「体感しよう、土浦八景」の案内板を設けることにしました。

江戸時代の藩主と町人が選定

垂松亭八景は、第4代土浦藩主・土屋篤直(あつなお)が在藩の折、小松台地に庵(いおり)・垂松亭を建て、そこからの藩内の景色を家臣たちと愛(め)でたことに始まるそうです。近年確認された巻子一巻「垂松亭八景詩巻」によると、宝暦2年(1751)のことです。この詩巻は市立博物館に所蔵されています。

「土浦八景」案内板の横に立つ筆者

土浦八景は、その約100年後の江戸時代後期、文芸を好む町人たちが選定した八景です。それをまとめた一冊(慶應2年<1866>刊)は早稲田大学図書館に収蔵されています。

2023年12月、土浦は歴史的風致維持向上計画に認定されており、市民や市来訪者の皆さんには、2つの案内板を参考にして、土浦の江戸時代以来の変遷と第2次世界大戦後・21世紀の変貌を味わいながら、市内を回遊してもらいたいものです。(専修大学名誉教授)

スタバの協力で「ふらっとカフェ」《けんがくひろば》14

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ふらっと カフェの様子

【コラム・椎名清代】私たちは2023年秋から「けんがく ふらっと カフェ」を始めました。商業施設イーアスつくば(つくば市研究学園)内のスターバックスコーヒー店で、月1回開いています。だれもがフラットな立場、進行役もいない、テーマもない、決まりもない―そんな集まりです。毎回、20人近くの人が集まり、おしゃべり、笑顔があふれる空間になっています。

最初はイーアス内

研究学園エリアは2万余の人が暮らす大きな街になりました。でも、自由に利用できる交流センターのような公的な集会施設がありません。どこか借りられるところはないかと、3人の民生委員で考え、チェックアウトからチェックインまでの時間、ホテルの一角を貸してもらえないか聞いたこともありました。

そんなとき、テレビで見た町田市のスターバックスで開かれている認知症カフェのことを思い出し、町田市役所に問い合わせました。市から当時の店長さんを紹介してもらい、スターバックスは社会貢献を社の方針としており、つくばでもサロン活動を実現できることを知りました。

しかし私たちは、お店の方に「利用させてください」と話すことができませんでした。そんな状況を社会福祉協議会の生活支援コーディネーターに話したところ、市の地域包括支援センターにつないでもらい、サロンを実現することができました。スターバックスは従業員と地域とのつながりを大切にしており、席の設定や他のお客への配慮など、とても感謝しています。

ふらっと カフェの表示

学園の森や大学内にも誕生

参加者は研究学園エリアのシニアの女性が中心で、その多くが県外や他市町村から移って来た人たちです。ここでは、新たなつながりが生まれたり、意外な発見があったりします。多世代にも広がったらと思いながら活動しているうち、「がくもり ふらっと カフェ」(スターバックス学園の森の店、つくば市学園の森3丁目)も誕生しました。

子育て現役世代の情報交換の場になればと思っており、小さなお子様連れも大歓迎です。小さな子を連れてカフェに行くのは気が引けてしまうママたちの憩いの場になったらと思っています。もちろん年齢層は幅広く、70代の先輩ママもご参加しています。男性も数名いらしています。

私たちの活動は、「つくばセンター ふらっと カフェ」(つくば市吾妻、トナリエキュート内)、「キャンパス ふらっと カフェ」(つくば市天王台、筑波大学中央図書館内)へと、市内にある他のスターバックスにも広がっています。

民間会社の方たちに集会の場を提供してもらい、これからも「ふらっと カフェ」活動を広げられると希望を感じています。でも、そもそもの始まりは「研究学園には公的な集会施設がない。交流センターが欲しい」でした。こういった市の施設の実現はこれからの課題です。(ふらっとカフェ実行委員)

免許証失効したまま車通勤 つくば市職員 公用車運転も

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つくば市役所

つくば市は24日、市立保育所に勤務する市職員が、昨年12月15日から今年1月23日まで約1カ月間、運転免許証を失効した状態で、自家用車で通勤していたほか、1月20日には研修のため公用車を運転し保育所から市内の公立施設まで往復したと発表した。

市幼児保育課によると、職員の運転免許証の有効期限は昨年12月14日だった。今年1月23日、職員が自分の免許証を確認したところ、失効に気付き、所属長の保育所長に報告した。職員は翌24日、家族の送迎で運転免許センターに行き、免許証の更新手続きを行った。道路交通法に基づく罰則などはなかった。

失効した理由について職員は、うっかりして失念してしまったなどと話しているという。

再発防止策として市は、全職員に対し運転免許証の有効期限を確認するよう注意喚起し再発防止に努めるとしている。

ロウバイが満開 筑波山梅林 春の訪れ告げる

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満開のロウバイ=23日、筑波山梅林

筑波山中腹の筑波山梅林(つくば市沼田)で23日、春の訪れを告げるロウバイが満開となり、ろう細工のような光沢のある黄色い花を咲かせている。

ロウバイは、標高約250メートルの梅林内にある筑波山おもてなし館付近に数十本ある。ほのかに甘い香りが漂う中、家族連れらが、青空と黄色のコントラストを写真に収める姿が見られた。

つくば市観光コンベンション協会によると、1週間ほど前から満開になっており、今が見頃。ロウバイは中国が原産で、梅の一種ではなくクスノキ目に属している。

ほのかな甘い香りが漂う

神奈川県横浜市から訪れた40代夫妻は「筑波山に観光で来て、昨日は亀の井ホテルに宿泊した。夜空がとてもきれいだった。今日は偶然、梅林を訪れ、ロウバイがきれいなので感激した。筑波山は自然が素晴らしいのでまた訪れてみたい」と話した。

梅林では早咲きの紅梅も咲き始めている。今年の梅まつりは2月8日から3月9日まで。広さ約4.5ヘクタールの梅林には約30種の紅梅と白梅計約1000本が植えられている。筑波石と呼ばれる斑れい岩の巨石があちこちにあり、筑波山地域ジオパークの見どころの一つになっている。梅林内の最上部にある遠望あずまやからは、眼下に山麓の田園風景、好天日は首都圏のビル群や富士山を望むことができる。(榎田智司)

最優秀賞は野口重典さん 24年度「日本一のれんこんグランプリ」

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前列左から、市川誉庸さん、野口重典さん、大川正勝さん、後列は左から小林勉副市長、安藤真理子市長、JA水郷つくば池田正代表、平石勝司市会議員=土浦市役所

日本一のレンコン産地として土浦のレンコンの魅力を広く発信しようと、昨年11月開かれた2024年度「日本一のれんこんグランプリ」(土浦市主催、JA水郷つくば協賛)の表彰式が23日、土浦市役所で開かれた。最優秀賞に選ばれたレンコン生産者の野口重典さん(42)、優秀賞の市川誉庸さん(36)、優良賞の大川正勝さん(44)の3人が安藤真理子市長から表彰を受けた。

同グランプリは、昨年11月23日に市内で開催された土浦市産業祭の会場で実施された。市内の生産者が出品した48本のレンコンを並べ、形や大きさなどの見た目を来場者が投票して順位を決定した。

表彰式にはほかに、小林勉同市副市長、JA水郷つくば農業協同組合池田正代表理事組合長、来賓として市議会産業建設委員会委員長の平石勝司市議が出席した。

安藤市長は「今回のグランプリは昨年11月に開催された土浦産業祭の中で投票されたもの。多くの方が48点の応募作品を真剣なまなざしで一つひとつ選んで投票していたのが印象深い。生産者の皆さんのますますの力強い生産に期待している。多くの関係者の皆さんに感謝したい」と述べた。

JA水郷つくばの池田正組合長は「農産物販売の主力はレンコン。日本一のレンコンなので、今日表彰される3名は日本一の3人ということ。生産者の励みになる表彰。切磋琢磨して愛されるレンコン作りを、生産者として先頭に立ってほしい」と話した。

最優秀賞に選ばれた野口さんは「皆様に感謝したい。就農して20年になる。今年初めてグランプリに出品して最優秀賞をいただいた。今後も土浦の日本一のレンコンをPRしていけるように日々精進してレンコン作りに励みたい」と受賞の喜びを語った。

優秀賞の市川さんは「れんこんグランプリで表彰されるのは3回目。土浦ブランドにも認定され昨年は最高の年だった。3年入賞できるのはなかなかないかと思う。今SNSを使ってPRしているので販売につなげていきたい」とした。

優良賞を受賞した大川さん「今回賞をいただいて大変ありがたい。自分は日頃から消費者目線で生産を心掛けている 消費者の皆さんに選んでもらってありがたい。今後も頑張りたい」と抱負を語った。

味には自信がある

安藤市長から表彰を受ける最優秀賞の野口さん=同

野口さんのレンコン畑は10ヘクタール、年間約250トンを作っている。「レンコンは土づくりが大事」だとし「味には自信がある」と話す。レンコンは形も大切で、節をすべて均等に作るのが特に難しいという。

都内を中心に和食レストランなど約20店に卸している。「ヒツジ肉にレンコンが合う」とオープン当初から野口さんのレンコンを購入してくれるジンギスカン料理店もあるそうだ。

野口さんによるとレンコンは根元に近いほどほくほくしていて、上部はシャキシャキしているのが特徴だ。そのため「根元は煮物に、上部はサラダやてんぷらなど料理によって使い分けてもらうとさらにおいしく食べられるので試してもらえたら」と話す。

「市内に生産者がたくさんいることを消費者にアピールしていくためにも、土浦のいろいろなレンコン農家の人は産業祭に参加して、れんこんグランプリで賞を取ってほしい」と語った。(伊藤悦子)

今年の干支は巳、ヘビの年です《宍塚の里山》120

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樹上で休むアオダイショウ。この時は眠っているようで視線が明後日を向いていた

【コラム・吉武直子】宍塚(土浦市)には、アオダイショウ、シマヘビ、ジムグリ、ヒバカリ、ニホンマムシ、ヤマカガシ、シロマダラ、7種のヘビが生息しています。その中でも、春~秋に里山を歩いていると比較的出会うのが、アオダイショウ、ヒバカリ、ニホンマムシです。

里山の生態系の中で、ヘビは捕食者であり、被食者でもあります。ニホンマムシはカエルが好きで、ヌマガエルやアカガエルが多い水路脇や林縁(りんえん)でとぐろを巻いて待ち伏せ、やって来たカエルに噛(か)みつき捕らえて食べます。一方、里山で繁殖する夏鳥のサシバにとってヘビは格好の獲物で、アオダイショウを捕らえて運ぶ様子が観察されるそうです。

ゆえに、ヘビが持つ牙や毒は獲物を捕らえる時の狩猟道具であるばかりでなく、襲撃者を退けて身を守るための護身用具でもあるのです。ある日、散策路の真ん中でとぐろを巻く若いニホンマムシに出会いました。さて、どんな動きをするでしょうか。

夜、散策路でとぐろを巻くニホンマムシ。尾の先が黄色なのはまだ子供のしるし

憶病な生き物

まず、このニホンマムシは、とぐろを巻いた姿勢のまま周囲の地面に擬態してやり過ごそうとしました。さらに近づくと、とぐろを解いて逃げ出しましたが、動けば襲われやすいという認識があるのか、それとも擬態に自信を持っているのか、すぐに体を伸ばしたままで動きを止め、擬態の姿勢になってしまいました。

土の塊から枝の擬態です。この状態をまたいで通るわけにもいかないので、枝でトントンと周囲をたたくと慌てて藪(やぶ)に滑り込み、またすぐに地面のくぼみでとぐろを巻いて小さくなってしまいました。

基本的に、ヘビは憶病な生き物です。人間に出会うと、周囲に擬態してやりすごそうとするか、素早く逃げ、林床(りんしょう)や地面の隙間に身を隠します。しかし例外もあり、卵胎生のニホンマムシが子を腹に抱えているときは、攻撃的で通りかかるものに襲いかかることもあるそうです。体を伸ばして口が届く範囲に近寄らない方が無難でしょう。

身近なお隣さん

里山観察会では、ヘビは生き物好きの子どもたちに人気があります。湿地で出会うヒバカリは大きくても60センチほどにしかならず、めったに噛みつくことがない穏やかなヘビです。そのため、さらさらの鱗(うろこ)を指でさわったり、瞼(まぶた)のない大きな丸い眼を観察したりすることもできて、実物のヘビを知るすてきな機会となります。

皆さんにとってヘビはどんな生き物でしょうか。危険? 不快? かわいい? かっこいい?感じることは様々であるかと思いますが、先入観から害するようなことはせず、身近なお隣さんとして付き合っていきたいものです。(宍塚の自然と歴史の会 会員)

つくば駅-筑波大、自動運転バスが実証走行 運転士不足に「もっと本気で」

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つくば駅と筑波大間を往復するEV自動運転バス「ミニバス」=つくば市吾妻、つくば駅前

つくば駅から筑波大学間約10キロの既存の路線バスのルートを、自動運転バスが9日から実証走行している。つくば市、筑波大学、民間8社による共同事業で、通信大手のKDDIが事業を企画、統括する。自動運転バスの実証実験は、筑波大構内を周回した昨年1月に続いて(24年1月19日付)2度目となる。23日にはメディア向けに運行の様子が公開され、つくば駅と筑波大学間を往復した。

使用されている車両は、最高時速35キロの16人乗り自動運転EVバス「ミニバス」で、自動運転車用のオペレーティングシステムを開発するベンチャー企業のティアフォー(名古屋市)が中国メーカーの車両をもとに開発した。運行時の平均時速は20~30キロ。走行時は、車両に取り付けられた8台のカメラと、レーザー光を使った13台のセンサーが周囲の状況を分析する。事前に地図上に設定した走行ルートをもとに、自動安全システムにより走行し、交差点やカーブなどでの停止、発信、加減速に対応した。緊急時に備えて運転席には運転士1人が乗車し、路上駐車車両や自転車などの追い抜きには手動の運転で対応した。

車内には、走行ルートと運転士の様子が画面に映し出される

ブレーキ、乗り心地が改善

昨年の実証実験との比較について、KDDI社の担当者は「昨年は20キロ未満の速度で、10人乗りと小型での実証となった。今回は車両のサイズも大きくなり、より実際の運行に近い形になっている。前回はきつかった停止時の衝撃を滑らかに改善し、通常のバスにより近づくようにした」とし、「今回の実証結果を踏まえて、社会実装に向けてしっかりとシステムをアップデートしていきたい」と語った。

運転士を提供する関東鉄道自動車部営業二課の森作久男課長は「運転士が不足しており、募集してもなかなか集まらない状況が続いている。持続的な運行を今後も続けていくためには、取り入れていかなければいけない技術」と話す。

「2年から3年後の実装目指したい」

今回の事業に学術的な立場で参加する筑波大学の永田恭介学長は「前回から比べるとアクセル、ブレーキのタイミングが改善され、普通のバスと変わらない乗り心地に近くなった。運転士不足は深刻であり、もっと大々的に、国も市も、産業界も、本気で取り組んでもらいたい。待っている理由がないので、早くできればと思っている。もたもたしているという印象を持つ。もっと早くやるべきと思っている」と苦言を呈した。

つくば市科学技術戦略課の中山秀之課長は「前回に比べて乗り心地も改善された。つくば市としても社会実装に向けて取り組んでいきたいが、まだまだ自動運転バスは価格が高いことが課題」だとし、「2年から3年後の実装を目指したい」としながらも「人間が運転する車と比べて想定外のことがどの程度起こるのか、引き続きしっかり実証していく必要があると考えている」と述べた。(柴田大輔)

野口雨情没後80年 詩劇で生き方と作品を解く つくばの脚本家 冠木新市さん

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イベントを企画した脚本家の冠木新市さん

25日、山水亭でコンサート

大正から昭和初期にかけて多数の童謡や民謡を作詞した茨城出身の詩人・野口雨情の没後80年と、雨情が作詞した「筑波節・筑波小唄」の誕生95周年を記念する公演「雨情からのメッセージIII 詩劇コンサート 空の真上のお天道さまへの旅」が25日、つくば市小野崎の料亭、つくば山水亭で開かれる。

主催するのは、つくば市や土浦市などを流れる桜川流域の歴史や文化を掘り起こし、アートイベントを開くつくば市の市民団体「スマイルアップ推進委員会」(冠木新市代表)。脚本家でもある冠木さん(73)が企画、演出する。2部制で、前半は雨情の歩みを調べてきた冠木さんによる講演、後半は、雨情が残した詩や歌を元にした詩劇コンサートが開かれる。旧筑波町や雨情の故郷の旧磯原町にちなんだ民謡や、青い目の人形、赤い靴などの童謡のほか、土浦小学校校歌、水戸歩兵第二連隊歌など全部で19曲が披露される。

2曲と出合う

「空の真上のお天道さま」ー 。1945年1月25日に他界した野口雨情の遺稿から見つかったのが、このフレーズを含む一編の詩だった。雨情の作品や人物に魅せられてきた冠木さんは、長年、曲をつけられずにいた詩に着目し、作曲家の宮田まゆみさんと協力して、2023年、曲をつけて発表した。

桜川流域に残る歴史や文化に注目する冠木さんは、地域に残る伝説や逸話を元に数々の舞台作品などを手掛けてきた。野口雨情との出会いは、かつて雨情が残した筑波にまつわる「筑波節」「筑波小唄」の2曲との出合いからだった。

歌の背景を知ろうと、旧筑波町で聞き込みをするも、手がかりはつかめない。地元の人も「そんな歌は知らない」という人ばかりだった。なんとか手がかりをつかもうとする中で知ったのが、筑波を歌う2曲が、元は一つの曲だったことだ。「雨情は、なぜ、そんなことをしたのだろう」。冠木さんは、疑問を解こうと、雨情が生きた歩みをさらに調べていく。その中で見えてきたのが、多数の童謡や民謡を手掛けてきた雨情が持つ、ミステリアスにも思える意外な人柄と、冠木さんが関心を持ち続ける桜川流域とのつながりだった。

隊歌を作った思いは

今回のイベントでは、雨情が生きた時代とその時作った作品ごとに5章に分けて、雨情の人生を作品を通じて表現する。歌に合わせて披露されるのは、日本舞踊を始め、スリランカ舞踊やストリートダンスに精通する踊り手による舞だ。

「軍歌は作らないと言っていたはずの雨情が、戦中にペリリュー島(パラオ諸島の一つ)で1万人以上の戦死者を出した『水戸歩兵第二連隊』の隊歌を作っていた。戦争に対する雨情の思いも今回の企画で解き明かしたいと思っている」と冠木さん。今回の企画では、茨城出身者が多く参加した水戸歩兵第二連隊の生き残りだった人物と、その遺志をついだ子どもたちが、この『詩劇コンサート』を開いたという設定で舞台は進行する。観客も、企画の参加者になるという設定だ。

「今が『新しい戦前』だという考えもある。しかし、戦後80年を迎えてこれからも『戦後』であり続けるためのあり方が、雨情の生き方を通じて感じ取れるのではと思っている。雨情の魅力を多くの方に知ってもらう機会になればと考えている」と話す。(柴田大輔)

◆「雨情からのメッセージIII 詩劇コンサート 空の真上のお天道さまへの旅」は、25日(土)午後1時30分から、つくば市小野崎254、料亭「つくば山水亭」万葉ホールで開催。入場料は一般5000円、高校生以下は1000円。予約制。申し込み、問い合わせは電話090-5579-5726(冠木さん)へ。詳しくは、スマイルアップ推進委員会のホームページへ。

➡動画「雨情からのメッセージIII 詩劇コンサート 空の真上のお天道さまへの旅」

文豪風入院日記①《遊民通信》105

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【コラム・田口哲郎】

前略

急性胃腸炎にかかり入院しています。幸い軽症だったので痛みもおさまり、現在は退院に向けて体が回復するよう療養しています。体は比較的元気ですので、この原稿を書いているわけです。

体調をよくするためにひたすらに休むというのは、大学院生の私が暇だなあと思うほどにゆっくりできます。せっかくですから、この入院体験を夏目漱石や内田百閒風に書いてみようと思います。もちろん文豪ほどの腕はないのであくまで「風」です。

急性胃腸炎で入院

夜半に急に腹が痛み出し、苦しくてならず、水も受けつけなくなった。最近、茨城県は不要不急の救急車出動にはお金を取るらしいので、救急相談ダイヤルにかけたら、救急車を呼ぶほどでないが、脱水が起こっているからなるべく早く病院に行ったほうがよいと言われた。

体もだるくなってきたので、家人に送ってもらい、近くの病院に夜間急患ということで診てもらった。血液検査、尿検査、レントゲン、CTスキャンをした結果、急性胃腸炎、いわゆるおなかの風邪だと言われた。すぐにリンゲル液を点滴してくれたが、症状がみるみる良くなった。

これで帰れるだろうと思ったら、やさしそうな女医が「脱水ですし、余分な栄養分もおしっこに出てしまっているので心配です」と言う。そして、「入院しますか、それとも帰りますか」と聞くのだった。

今時の医療は、よっぽど危機迫る状況ではない限り患者に選択をさせるので、「まあ、大したことはないし、帰ってもいいですよ」と言われると期待していた私は、困ってしまった。このまま帰宅してもよさそうだが、また振り返しても家人に迷惑がかかる。しかし、入院とは大げさな気もするし。医者と看護師がじっと私を見下ろしている。私は入院することにした。

文明の利器に感動

そうと決まると、病室の話である。個室料金は4人部屋の4倍だという。それはそうだろうと、4人部屋を選んだ。夜中にすでに3人が入っている部屋に入れられ、私はとりあえずベッドに寝かされた。リンゲルで緩和したとはいえ、具合は良くなかったのだろう、すぐに眠りに落ちてしまった。

しかし、未明である。仕切りはあるものの、4人部屋の隣のベッドの病人のイビキで目が覚めた。中年男性だろう。地鳴りのような響き方から大柄と思われる。私はこの世のごう音と夢の世界の甘美な眠気に引き裂かれながらも、なんとか騒音から逃れたのだった。

看護師に検温に来たと呼びかけられて目が覚めた。気づくと胸とお腹には吸盤が貼られ、心拍数と心電図、酸素濃度を測るセントラルモニタなる携帯機器がつけられていた。これで私のバイタルは24時間監視されているのだ。

私は文明の利器に驚き感動した。こんなに安心なことがあるだろうか…。私は初めての入院に新鮮味を感じ、子供のように喜んでさえいた。しかし、入院生活は始まったばかりだったのである。ごきげんよう。

草々

(散歩好きの文明批評家)

世界初、安定駆動に成功 産総研発明の「湿度変動電池」

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開発したワイヤレスセンサー(左)と受信機

産業技術総合研究所(産総研)の発明した「湿度変動電池」が、電子回路を安定して駆動できるまでの出力向上に成功した。人間拡張研究センターの駒崎友亮主任研究員が22日、同つくば中央事業所に新型電池を組み込んだワイヤレスセンサーを持ち込んでお披露目した。

湿度変動電池は昼夜の湿度変化を利用して発電を行う。濃度を変えた2種の塩化リチウム水溶液を膜で仕切ると、空気に接した開放側と底部の密閉側に電極ができる。開放側からの水蒸気の発散・吸収により湿度が変化することで、水溶液間に濃度差が生じ電力を生み出す原理による。

太陽光発電のような大出力は得られないが、暗所でも使用でき電池交換の手間もかからない。このため、道路下部工の暗がりに監視装置を設置してインフラモニタリングを行うなどの際、発電素子に使えそうと有望視された。産総研が2021年に発明し、開発に取り組んできた。

湿度変動電池を手にする駒崎友亮主任研究員=産総研つくば中央事業所

研究チームが今回開発した電池は、一辺が35ミリの正方形で厚さ5ミリ、重量5グラムの軽量サイズ。水溶液を仕切る部材にセラミック固体電解質膜を使ったのが大きな改良点だ。

ポリマー系陽イオン交換膜を使った従来型の電池は発電出力が小さく、電子回路を動かすまでに至らなかった。膜を通し水が移動し自己放電が起こってしまうため、濃度差が減少し電圧が低下してしまった。

新たに目を付けたセラミック固体電解質膜は、EV車への搭載競争が起こっている全固体電池に用いられる注目の先端材料。水を透過せず自己放電もないとみられた。

実験では、4時間ごとに湿度30%と90%を繰り返す環境下で、膜面積1平方センチ当たり436マイクロワットの最大出力が得られた。従来型の68倍に相当する値だ。コストの問題があるが、これで実用化に展望が開けた。

新開発の湿度変動電池を屋外に設置して発電出力を計測すると、昼夜の温度差を利用して3カ月以上継続して発電し、最大出力は348マイクロワット、平均出力は17.5マイクロワットだった。この平均出力は、省電力なセンサーや無線通信モジュールを間欠的に駆動させることが可能な値だった。

研究チームは湿度変動電池を電源とするワイヤレスセンサーも開発した。これを屋外に設置しデータを取得すると、2.5ボルトから2.8ボルトに到達したバッテリー電圧は4カ月以上、安定して動作した。世界で初めての駆動の成功例という。

しかし、インフラモニタリングなどへの社会実装を考えると「劣化が起こり数カ月しか持たないようでは実用化にはまだまだ。5年、10年交換なしで使えるよう耐久性向上の研究が必要になる」と駒崎主任研究員。電解質膜については、全固体電池の普及次第で大きなコストダウンが期待できるということだ。(相澤冬樹)

コタツ生活《短いおはなし》35

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イラストは筆者

【ノベル・伊東葎花】

朝、いつものようにタカシ君を迎えに行った。

「タカシ君、学校行こう」

家の中から声がした。

「ごめん、ユウ君。コタツから出られないんだ」

「えっ、何言ってるの? 早くおいでよ」

タカシ君のお母さんが出てきて言った。

「ごめんね、ユウ君。コタツがタカシを放してくれないのよ。今日はお休みさせるから、ユウ君ひとりで行ってね」

???

コタツがタカシ君を放さないってどういうこと?
寒くてコタツから出られないだけだろう。

学校が終わってから、ぼくはまたタカシ君の家に行った。

「タカシ君、プリント持ってきたよ」

「ユウ君、玄関開いてるから入って」

「じゃあ、おじゃましま~す」

上がって部屋に行くと、タカシ君はコタツに寝そべってマンガを読んでいた。

「なんだ。やっぱりさぼりじゃないか」

「違うよ。コタツがぼくを放さないんだ。コタツ布団をめくってごらん」

言われた通りめくってみると、コタツの足がタカシ君の足に絡まっている。

「ねっ、コタツから出られない理由がわかったでしょ」

「大変じゃないか。トイレとかどうするの?」

「それがさ、平気なんだよね。ぼくの身体がコタツの一部になったみたいでさ、感覚がないんだ。ほら、コタツはトイレ行かないだろう」

「つらくないの?」

「ぜんぜん。だってこうしてマンガは読めるし、ご飯も食べられるよ。それに何よりあったかいからね」

ぼくは、プリントを置いて帰った。
タカシ君は、コタツの中で手を振った。

翌日もタカシ君は学校を休んだ。
学校帰りにタカシ君の家に行くと、タカシ君のお母さんが一緒にコタツに入っていた。
寝そべってみかんを食べている。

「もしかして、おばさんも?」

「そうなのよ。うっかりコタツで寝ちゃったら、もう出られなくなっちゃったの」
「ごはんとか、どうするんですか」

「デリバリーがあるから大丈夫。スマホがあれば何でも買えるわ。あら、注文したピザが来たみたい。ユウ君、悪いけど受け取ってくれる。そうだ。お父さんに電話して、明日のパンを買ってきてもらいましょ」

コタツの一部になっても、お腹は空くんだな~と思いながら、玄関でピザを受け取った。

家に帰って、ママに尋ねた。

「ねえママ、うちにはコタツはないの?」

「ないわよ。コタツは人間を堕落させるからね。コタツから出られなくなったら困るでしょ。私はこの温風ヒーターがあれば充分よ。ほら、温かいわよ」

ママが温風ヒーターにへばりついた。

しばらくすると、温風ヒーターから手が伸びて、ママの足に絡みついた。

「あらいやだ。温風ヒーターの前から離れられなくなっちゃった。ユウちゃん、テレビのリモコンとスマホとお茶とミカン、手の届くところに置いてちょうだい」

なんてこった。
それもこれも、寒さのせいだ。
ああ、早く春が来ないかな。

(作家)

学校給食に画びょう混入 市立土浦五中

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学校給食に混入していた画びょう(土浦市教育委員会提供)

土浦市教育委員会は21日、同市手野町、市立土浦五中(平田豊校長)3年生のクラスで同日出された学校給食のスパゲティのおわんの中に異物が混入していたと発表した。

市学務課によると、同日午後0時53分ごろ、生徒が食事を始めた後、3年の生徒の一人が、きのことツナのスパゲティが入ったおわんの中から、長さ約2センチ5ミリの画びょうを発見した。発見時はクラスのほとんどの生徒が既に給食を食べ終わっている状態だった。

同給食は市立学校給食センターが提供し、小学校7校、中学校2校に提供した。ほかの学校で異物混入は確認されず、同日午後8時時点で体調不良を訴える児童・生徒は無いという。

なぜ、どのように混入したかは不明で、市教委は現在、混入経路を調べている。今後の対応として同校は、全保護者に異物混入があったことを通知するほか、土浦保健所の立ち入り調査を受ける。さらに配食時の管理・指導を徹底するとしている。学校給食センターは調理過程での異物確認を徹底し再発防止に取り組むなどとしている。

使い切る「京のしまつ」《デザインを考える》16

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構成は筆者

【コラム・三橋俊雄】今回は、京都の「しまつ」という「もったいない」のお話をさせていただきます。その前に「しまつ」と表裏の関係にある「京の着倒れ」からご紹介します。

聞いて極楽 見て地獄

井原西鶴『好色一代男(1684)』(巻四・目に三月)には、「げにげに花の都、四条五条の人通り、…遠国とは違ふて是は是はそれはと見るに、下には水鹿子の白むく、上にはむらさきしぼりに青海波(せいがいは)、紋所は銀にてほの字切りぬかせ五所(いつところ)のひかり、帯はむらさきのつれ左巻、…」と、京の女性たちの装いも目を見はるばかりであるといった情景が描かれ、「京のはなやぎ」が感じられます(上図・左)。

また、十返舎一九の『東海道中膝栗毛(1802〜1814)』(七編・京都めぐり)では、「商人のよき衣きたるは他国と異にして、京の着だをれの名は、益々西陣の織元より出、染色の花やぎたるは、堀川の水に…」とあり、京都人は、衣装に大金をはたいて惜しまない「着倒れ」の気風があることを揶揄(やゆ)しています。

一方で、京都には「 三条室町 聞いて極楽 見て地獄 おかゆ隠しの長暖簾(ながのれん)」という家風歌(かふうか)があります。

それは、<あこがれて奉公に上がった老舗ではあるが、実は営々と続く家訓を厳守し、決して華美な生活など送っていない。季節ごとに着るものまできちんと決められ、食事も質素倹約を旨とする。祭りなどの「付き合い」で義理を欠くことは決してないが、日常生活は極めて慎ましいのが当たり前。店の主人から奉公人まで一緒になって「おかゆ」をすする>というものです。

そうした「質素な暮らし」を、京都では「しまつ(始末)」と言います。しかし「しまつ」はただの「ケチ」とは違います。モノを無駄に捨てないで「一工夫」加えて、「使い捨て」ではなく「使い切る」ことが「京のしまつ」です。

縫い糸のしまつ

私は、2000年ごろ、京都の伝統的な生活の中に「もったいない」に相当する文化がどのように継承されているかを知るために、「記憶の中の京の暮らし」という調査を行いました。そして「しまつ」という京都人の「精神」に出合うことができました。

そこで一番印象的だったのが、「糸のしまつ」でした。京都では、女性たちが、毎日の針仕事で使い残したくず糸を捨てずに、重ねた古布に玉むすびをしないまま針を通し、何針か縫ったあと、そのまま針を抜く。そうした作業を何日も繰り返すことで、1枚の雑巾が縫い上がるというものです(上図・右)。

調査では、京都府内在住の「生活学校」に通う111名の方に「京のしまつ」についてうかがい、「残ったくず糸で雑巾を縫う」と答えた方が25名もおられました。

こうした「京のしまつ」も時代の流れの中で急に姿を消しつつあるようですが、次回も「京のしまつ」について、もう少しご紹介していこうと思います。(ソーシャルデザイナー)

原材料高と人件費増が経営問題 筑波総研調査

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グラフⅠ

筑波銀行グループの筑波総研(本社・土浦市)はこのほど、最近の「茨城県経済の現状と展望」をまとめた。筑波銀と総研が昨年12月に実施した企業動向調査によると ①製造業は人件費の上昇や原材料の高止まりからコスト上昇が続いているが、販売価格への転嫁や生産・受注回復により素材業種を中心に改善している ②非製造業は所得の改善を背景にして、個人消費の底堅い動きに支えられた小売業などを中心に改善している―という。

慢性的な人手不足 建設・警備

業種別では「世界情勢とそれに伴う価格上下により経営判断が難しい」(木材・木製品)、「主力製品の半導体製造装置用部品の先行きが不透明」(一般機械)、「業界は繁忙で慢性的な人手不足を感じている」(建設)、「人件費の上昇分を値上げでまかなえず利益が減少している」(コンビニ)、「新規募集が難しいことに加え従業員の高齢化による人手不足により受注を増やせない」(警備会社)といった声が聞かれた。

経営上の問題点は何かとの質問には、「原材料・仕入高」「人件費など経費増加」「売上・生産の停滞・減少」との回答が多かった(グラフⅡ・Ⅲ)。総研によると、人件費などの経費は製造業・非製造業の両方で上昇しており、非製造業ではその割合が多かった。「茨城県の最低賃金(時給)が昨年10月から52円引き上げられたこともあり、パート・アルバイトが多い業種では経営環境がさらに厳しくなる」と予想している。

グラフⅡ
グラフⅢ

賃上げで採算が悪化 中小企業

昨年秋、全国加重平均の最低賃金は1055円(前年比5.1%)引き上げられた。茨城県は5.46%引き上げられ、1005円になった(グラフⅣ)。最低賃金の引き上げは非正規労働者の生活を支えることにつながる一方で、労務費の価格転嫁が遅れている中小企業にとっては採算の悪化につながる。

総研は最低賃金引き上げに伴う企業の対応も調査した。その結果(トップのグラフⅠ)、「最低賃金を超える水準まで賃金を引き上げた」企業は13.9%、「最低賃金と同額まで賃金を引き上げた」企業は10.3%だった。残り4分の3は「すでに上回っているが引き上げた」「すでに上回っているので据え置いた」と回答した。(坂本栄)

グラフⅣ

100年前に戻る?トランプの世界《吾妻カガミ》200

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日の出。霞ケ浦総合公園 釣りをする少年像付近

【コラム・坂本栄】米国は20日昼(米東部時間)からトランプさんの時代に入る。絵に描いたような保護主義(自国経済・産業優先)と孤立主義(自国第一・他国軽視)になりそうだから、世界の政治・経済システムは100年前(第1次大戦と第2次大戦の間)の状態に戻りそうだ。日本としても相当な覚悟が必要だろう。

バイデンの「嫌がらせ」

新年早々、日米間にトラブルが発生した。日本製鉄によるUSスチール買収計画について、退任直前のバイデンさんがNOと言ったからだ。日鉄はもちろん日本政府もこれに猛反発、おかしな雲行きになってきた。大統領選で負けた民主党・バイデンさんの「嫌がらせ」の感もするが、これをトランプさんが追認すれば、反米感情が高まるだろう。

日鉄とUSスチールにとっても、日本経済と米国経済にとっても、この買収案件は合理的と私は考えている。米国にとってはUSスチール・米経済の再生につながり、日本からすれば製造プラントの分散=海外投資の拡大を意味するからだ。

NOの理由として、米政府は安全保障上の理由を挙げている。日系の米社だと非常時の鋼材手当てが危うくなるという理屈だが、いざとなれば日鉄傘下のUSスチールを接収すればよい。NOは最近はやりの経済安全保障レトリックであり、本音は「大統領選時の民主党公約を破るのはまずい」ということだろう。

賢さに欠けていた日鉄

45年前、米市場で日本車が増え、米メーカーを保護するために日本車を閉め出す騒動が起きた。保護派議員や自動車労組は、高関税や輸入台数制限を打ち出したが、日本側が米政府の(見える形での保護貿易に走りたくない)立場に配慮し、対米輸出台数を抑えることで事態を沈静化させた。その後、日本メーカーは米国内に工場を次々建て、ウイン・ウインの関係を構築した。日米とも賢かったといえる。

バイデンさんとトランプさんの言動からも明らかなように、米国は自国の力に自信を失いつつあり、ストレートな方策で国益を守ろうとしている。大統領選中(経営が悪化したUSスチールにせっつかれたとしても)国名を冠した米社の買収に動き、組合員の敗北感を刺激した日鉄は賢さに欠けていた。米国の経済は読めても(国民の愛国感情に左右される)政治・選挙が読めなかったようだ。

沖縄を返せと言われる?

(以前米国が領有していた)パナマ運河を返せ、(デンマーク自治領の)グリーンランドが欲しい、と叫ぶトランプさんの言動には唖(あ)然としている。

こういった他国軽視が通用するならば、自国の安全保障のためにNATOの欧州圏との間に緩衝地帯を設けたい(ウクライナを支配したい)と考えるプーチンさんの行動を否定できないし、内戦に負けた中華民国の末裔(まつえい)が支配する台湾は中国の一部だと主張する習さんの言い分も説得力を持つ。

プーチンさんのウクライナ侵攻、習さんの台湾戦略と同じように、トランプさんはデンマークとパナマに戦争を仕掛けているようなものだ。この伝で行くと、対中戦略上必要だから「沖縄を返せ」と言ってきても不思議でない。両大戦の間から100年になる今、世界は力が支配する時代に戻りつつある。(経済ジャーナリスト)

サンガイア ホームで北海道YSに連敗

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チームトップの17得点を挙げた架谷(緑のユニフォーム)=撮影/高橋浩一

バレーボールVリーグ男子のつくばユナイテッドSunGAIA(略称サンガイア、本拠地つくば市)は18、19日、土浦市大岩田の霞ケ浦文化体育会館で北海道イエロースターズ(YS、本拠地北海道札幌市)との2連戦を戦い、18日はセットカウント2-3、19日は0-3で両日とも敗れた。これでサンガイアは7勝7敗で東地区3位。

2024-25 Vリーグ男子(東地区)レギュラーシーズン(1月19日、霞ケ浦文化体育会館)
サンガイア 0-3 北海道YS
19-25
20-25
25-27

18日はフルセットを戦い、先にマッチポイントを握りながらあと1点が奪えずという惜しい敗戦。対して19日はストレート負けという厳しい結果。第3セットは中盤まで優位に進めながら後半逆転され、そこからデュースに持ち込んだものの、最後の競り合いでブレイクできなかった。

ライトからバックアタックも果敢に放った長谷川直哉

「昨日は相手のサーブミスなどに助けられたが、今日は自分たちのミスが多かった」と長谷川直哉。「相手は個の力で得点を重ねてきた。うちはチーム力で戦わないといけないが、踏ん張り切れなかった」と川村駿介は話す。

また架谷也斗主将は「守備では練習の成果が出て、チーム全体で守りの形をつくれていた。問題は攻撃。トランシジョンでミスをせず、決めるべきところを決めきりたい」と振り返った。

第2セット途中から出場した鎌田敏弥

試合全体としては長いラリーが続き、強打ではなかなか決着が付かず、両チームとも軟打やフェイントを織り交ぜて相手を揺さぶっていた印象があった。だがこれらはコンビネーションが合わず、苦し紛れの結果でもあったそうだ。またレシーブ合戦の様相を呈したのも、互いに相手の長所であるブロックを避けたせいでもあったという。

一方で守備面での安定感は高く、それはサンガイアの今季サーブレシーブ成功率にも表れている。リベロの浅野楓は72.6ポイントで個人ランキングトップ、架谷は68.1ポイントで同3位。この2人を避けるように今日の相手のサーブは川村に集中していたが、川村もまた同19位の名手。1試合中40本のサーブを受けて67.5ポイントの成功率を挙げた。「余裕を持ってスパイクに入れるよう、高さを出したレセプションを心掛けた」と話している。

川村(右端)が相手スパイクをシャットアウトする

今後の改善点としてはコンビネーションの精度を上げることと、スパイカーの枚数を増やし、戦術の幅を広げること。昨年11月に入団内定した4人の選手も、それぞれプロデビューやベンチ入りを果たすなど、チームにフィットしつつあるという。

「北海道YSに独走を許したことで地区優勝は厳しくなったが、プレーオフ進出圏の2位以内には十分可能性がある。当初の目標通り新Vリーグ初代王者を目指し、最後までぶれずにやっていく」と加藤俊介コーチは意気込む。

次節は2月1、2日、川崎市のカルッツかわさきで川﨑レッドスピリッツと対戦する。(池田充雄)

「県南の小田氏文化圏こそ雪村育てた」 水墨画の巨匠めぐり謎解き

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会場入り口のギャラリーには雪村作品の複製品が展示された=県県生涯学習センター

水墨画の巨匠、雪村(せっそん)をめぐっては現在、作品の多くをたどることはできても、生没年には諸説あり、生誕地も不詳、どこで画業の修業を積んだかも不明という謎多き存在だ。この歴史ミステリーに挑んでいるのが茨城県北、常陸大宮市に事務局を置いて活動している雪村顕彰会(冨山正一会長)。18日には冨山会長が土浦市に足を運んで講演し「県南の小田氏文化圏こそ雪村を育てた拠点だったかもしれない」の自説を展開した。

顕彰会主催の雪村講演会は土浦市大和町、県南生涯学習センターで開かれた。2月15日から水戸市の県立博物館で開館50周年企画展「雪村ー常陸に生まれし遊歴の画僧」が開かれることから、前宣伝を兼ねての開催となった。雪村は室町時代の画僧で常陸国生まれ、当時の県北一帯を支配していた佐竹氏ゆかりの出自とみられるが、県南では今一つなじみがない。

生まれた年については延徳元年(1489)、明応元年(1492)、永正元年(1504)の3学説があり、晩年の隠棲地となった福島県三春での生誕を主張する向きもある。

講演する冨山章一会長

佐竹氏の研究家として知られる冨山会長は、これらの諸説や文献と向き合い、各地に足を運んで実地に調査、取材をし考察してきた。その上で「冨山の見方」と断っていくつかの持論を展開した。

生誕地は「奥七郡」、茨城県北部の部垂(へたれ)の村田郷、現在の常陸大宮市下村田が有力とした。雪村は得度(出家)の上画僧になっているが、得度寺は下村田に近い那珂市の静神社境内にあった弘願寺(こうがんじ、現在は移設)の可能性が高い。弘願寺は常陸国で唯一、版木による印刷物を発行していた。

修業を積んだのは城里町下古内の臨済宗幻住派の清音寺(せいおんじ)と見る。ここで禅宗の幻住派がクローズアップされる。幻住派の開祖である中国・元時代の禅僧、中峰明本(ちゅうおうみんぽん)の画など宋、元時代の絵画に接したと考えられる。権威主義を排し自由さを求めた教義に雪村はひかれ、創作にも影響を与えたようだ。

土浦の法雲寺目指す

そして雪村は清音寺の法縁を頼って土浦市高岡の法雲寺(ほううんじ)を目指した。関東における当時最大の幻住派の拠点だった。何百人と修行僧のいる大きな寺で、画業の研さんを積むには不向きだったが、法雲寺末寺の崇源寺が桜川対岸のつくば市大にあった(現在は廃寺)。小田氏の最盛期を築いた8代当主孝朝が開基した。崇源寺は末寺の中でも別格の大寺といえ、ここに雪村が住んでいたという話と雪村作と伝わる絵が伝わっている。

さらにつくば市小田の龍勝寺には雪村作の「鷹(たか)図」が所蔵(門外不出)されている。龍勝寺も元は孝朝が建立した崇福寺で、幻住派寺院だった。

土浦-つくば一帯の法雲寺と末寺を中心に育った地域文化を「小田氏文化圏」と命名した冨山会長は「県北の佐竹氏の文化は、後の支配者である水戸徳川家との関係でベールに包まれてなかなか見えてこないところがある。小田氏文化圏はそうしたフィルターを介さずに伝わっているようだ。雪村についても掘り起こしてみるともっと出てくるのではないか。興味深く見守りたい」と語った。(相澤冬樹)

◆「雪村ー常陸に生まれし遊歴の画僧」は2月15日(土)から4月6日(日)、水戸市緑町の県立博物館で開催。同館では33年ぶりに雪村の名作が全国から集まる。国重要文化財の「風濤(ふうとう)図」など100点以上を展示。入場料:一般690円、満70歳以上350円、小中高生・未就学児は無料。電話029-225-4425。【おことわり】本記事の内容は同展に直接関わるものではありません。

大学入学共通テスト始まる 「情報」加わり試験科目再編

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試験開始を待つ受験生たち=つくば市天王台=筑波大学

大学入学共通テストが18日、始まった。試験は19日まで2日間行われる。会場の一つ、筑波大(つくば市天王台)では、昨年より50人少ない6253人が受験を予定している。全国の志願者数は、昨年より約3200人多い49万5171人。県内では、昨年より約100人少ない1万2249人(男性6579人、女性5670人)が受験する予定だ。

現行の学習指導要領に対応した最初の試験で、今年から新たに情報リテラシーやプログラミングの基礎などを扱う「情報」が加わり、これまでの6教科30科目から、7教科21科目に再編された。既存の科目でも問題数が増えたり、試験時間が延長されるなど、昨年までと大きく変化している。初日は地理・歴史・公民、国語、外国語が、2日目は理科、数学、情報が行われる。

筑波大には、午前7時過ぎから受験生を送り届ける家族の車やバスなどが到着し始めた。つくば市ではこの日、最低気温がマイナス4度を記録。受験生たちの白い息を朝日が照らしていた。父親に車で送ってもらった利根町の野口明莉さんは「今日は5時に起きて準備した。全力でいきたい」と意気込みを語った。牛久市の丁村啓介さんは「少し緊張しているが、これまでの成果を発揮できるように頑張りたい」と気持ちを落ち着かせた。

インフルエンザ流行、無理せず追試験を

大学入試センターでは、インフルエンザが流行する中で体調がすぐれない場合は無理をせず、1月25日と26日に行われる追試験の受験を申請するよう呼び掛けている。追試験会場は、東日本(北海道、東北、関東、甲信越、静岡県)は東京都府中市の東京外語大学と、小金井市の東京農業大学。本試験で指定した試験場の地区に基づき、それぞれの会場で受験することができる。(柴田大輔)

昨年の花火大会、異常気象で明暗《見上げてごらん!》36

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2024年8月31日、大曲の花火・夜の部直前に観客席上空に現れた虹(筆者撮影)

【コラム・小泉裕司】「祈るばかりだったので、開催が決まってうれしい!」。昨年の「大曲の花火」は、開催日8月31日(土)の3日前、28日(水)午前9時に開催決定を発表した。台風10号が九州地方をゆっくりと北上、長時間にわたって大荒れ、秋雨前線が北日本に延び、東北や北海道など遠隔地にも記録的な大雨をもたらす予報の中で、台風のゆるい動きを見極めて決断をした。

冒頭の喜びの声は、地元紙「秋田魁新報」に掲載された日本花火鑑賞士会会長 間瀬基夫さんのコメント。大会当日、開始時には、準備した雨具に着替える瞬間もあったが、以後は、雨が上がり、湿気で煙が滞留し、見にくい作品もありつつも、競技は無事終了した。

大曲は「明」で土浦は「暗」?

昨年の土浦大会前日の11月1日(金)の予報によると、東日本では当日の2日から3日にかけて、台風21号から変わった温帯低気圧や前線の影響で24時間降水量は多いところで120ミリの大雨となる所がある見込みとのこと。

さらに雲底高度も低いとの予報が出され、安全な煙火消費および競技花火としての観覧環境が確保できないとの判断により中止となったことは、本コラム34「土浦の花火に思う」(11月17日〉のとおり。11月に台風が日本列島に接近するという近来まれな事態は、やはり異常気象と言わざるを得ないのだろう。

終了直後のゲリラ雷雨:神明花火

昨年8月7日(木)に開催した「神明の花火」(山梨県)は、打ち上げ数2万発、来場者数18万人、人気花火師が担当する花火大会に全国からファンが集う大会。当日の天気予報は、熱帯低気圧の影響で大気のバランスが不安定となり、夕方から夜になると激しいゲリラ雷雨が確実に発生すると予想。

そんな中、19時30分から打ち上げを開始、予定どおり21時に終了。直後、帰りを急ぐ観客をゲリラ雷雨が襲った。状況は、本コラム30「夏本番」(8月18日)をご覧いただきたい。

帰りの電車の立ち往生や公共施設への緊急一時避難など、全国ニュースで取り上げられるほど希少な経験をしたが、見事な花火を鑑賞した余韻は、今も脳裏に焼き付いていて、危機一髪な花火大会の開催を決断した主催者は、大いに安堵したことだろう。

打上げ20分前に中止決定:足立花火

昨年7月20日(土)午後7時20分打上予定、荒川河川敷を会場とする「足立の花火」は、雷雨のため午後7時に中止を発表、会場にはすでに約40万人が来場していた。開催を決定した当日朝の天気予報は、太平洋側に雨雲や雷雲、地上の気温が高い影響で大気の状態が不安定となり、足立区周辺を含む関東南部では急に雨が降るとあり、主催者は開催するかどうか逡巡したという。

決定後も、南にそれていく可能性もあるとの専門機関の情報を確認していたので、ただひたすら心の中で念じていたが、かなわなかったとのこと。

雷雨の中を帰路に着いた観客にとって、花火を見る事ができなかったのだから「暗」ということかも知れないが、足立の場合は、その後の観客ファーストのリスク対応があまりにも素晴らしかった。稲光を背景にケーブルテレビで中止の理由を説明する近藤やよい足立区長の頼もしい姿に感服した次第。

順延を期待する声もあったというが、順延しない理由を「約700人の警備員が従事するが、近年は警備業界の人員不足のため、警備員が減り、安全の確保が難しい状況」と説明。有料観覧席の全額払い戻しにかかる費用についても区の補正予算で対応したが、特に話題となることなく予算化が図られたと聞く。

ちなみに今年は、熱中症などの健康上のリスクや天候(風雨、雷、台風、気温など)による中止リスクがあることから、5月31日(土)に開催日程を変更した。

「順延・中止決定は2日前に」

昨年12月の土浦市議会定例会では、飲食店や小売店の損害が最小限になるよう、順延や中止の発表を、現在の「前日9時」から「2日前の早期」に変更できないかとの質問があった。

天気予報の精度が格段に高まっていることをその根拠にあげていたが、足立区の場合、ウェザーニュース(2024/7/20)では、夕立のような激しい土砂降りを予報しながらも、次の一文を付記した。「ひとつひとつの雨雲は小さいため、ちょうど上空を通過するかどうかは運次第」。

いずれにしても、主催者は、異常気象下での可否判断に苦悩しながらも、安全で魅力的な花火大会が開催できるよう、これからも最善の努力をされるに違いない。私は、その決定を、敬意を持って受け入れるのみ。

成人の日午前7時、複数個所で響いた5段雷花火が初花火。「ドーン パンパンパンパンパン」(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

落ち着きが無い=多動性から考える《看取り医者は見た!》34

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写真は筆者

【コラム・平野国美】多動性。教育の現場では「落ち着きが無い」と言われる子どもがいます。現代の基準には合わないかも知れませんが、歴史上の人物の行動パターンから、多動性ではないかと思われる英雄がいます。

ナポレオン。非常にエネルギッシュで、多くの戦闘や改革を迅速に進めました。彼の決断力や行動力は、現代の多動性に似ています。アッティラ。彼はフン族を率いて欧州を侵略、多くの戦闘を指揮しました。彼らの大胆な行動力は、多動性の特性に類似しています。

彼らの無駄なほどエネルギッシュな個性が、広範囲に移動しながら戦闘することを可能にしたのではないでしょうか。

アフリカに生まれた我々の先祖、ホモサピエンス。彼らのリーダーは砂漠を横断し、北欧、アジアへ。そのエネルギッシュな移動をリードしたのは、多動性の資質を授かった者だと思うのです。

進む先が地獄かも知れないのに歩き続ける彼らの姿は、最近、私がお会いする元研究者たち―今は患者さんとしてですが―の現役時代と重なります。実験の先にあるものが、成功なのか失敗なのかわからぬまま、突き進む姿です。そこには名誉欲など存在せず、好奇心のみがあったように思えるのです。

衝撃的なゴッホの行動特性

芸術に目を向けると、ゴッホが代表的存在です。多くの絵画を短期間で制作しましたが、その行動特性は衝動的でした。彼の創造力とエネルギーには、注意欠如・多動症(ADHD)の特性と一致する何かがあったように思います。しかし、現代風に言うところのコミュニケーション力や社会性はなかったようです。

子供のころ読んだ偉人伝や伝記には、彼らの少年時代の一風変わった性格や奇行が描かれていました。

これらの人物が多動性を持っていたかどうか、確証はありません。しかし、残された逸話などを手掛かりに考えると、その行動や特性が多動性に関連している可能性があります。ADHDにしても自閉スペクトラム症(ASD)にしても、特殊な条件や環境が設定されれば、抜群の能力が発揮される可能性があります。

私は仕事を通して、伝記に出てくるほどの人でなくても、多くの天才の老後生活を見ています。彼らから読み取れる物語は興味深いものがあります。(訪問診療医師)