火曜日, 1月 20, 2026
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「緑の地」故郷つくば《映画探偵団》77

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イラストは筆者

【コラム・冠木新市】つくば市の市章は、科学と自然を意味する青色と緑色の二つの「つ」の字を組み合わせ一つにしたもので、明るいイメージが広がり私は気に入っている。

映画の世界にも、2作品が組み合わさって相乗効果を上げているものがある。『仁義なき戦い 代理戦争』と『仁義なき戦い 頂上作戦』(映画探偵団22)や『ゴッドファザー』と『ゴッドファザーPARTⅡ』がそれである。1本でも面白いが、もう1本加わると内容が一層深まり面白さが倍増する。

2本の『マッドマックス』

ジョ一ジ・ミラー監督の『マッドマックス フュリオサ』(2024)を映画館で見た。自宅に戻ってすぐ、前作『マッドマックス 怒りのデス・ロ一ド』(2015)のDVDを見た。何度も見返してきた作品だが、これまでよりも理解が深まり一層面白く感じられた。

『フュリオサ』は『怒りのデス・ロ一ド』の前日譚(ぜんじつたん)の設定で、同じく核戦争後の世界を描いている。2作品はフュリオサを主人公にして話はつながっているのだが、2本は全く違うアプローチで作られていて、別物語と言ってもいい。

『フュリオサ』は、15年間の物語を5章仕立て2時間28分で、フュリオサが独裁者ディメンタスに母親を殺され、その敵をとる追跡の旅路を描いている。『怒りのデス・ロ一ド』は、3日2晩の物語を2時間で、フュリオサが亡き母と約束した故郷「緑の地」に戻るため、独裁者イモ一タン・ジヨ一から逃亡する旅を描いている。

フュリオサが関わる2人の独裁者の性格が異なる。ディメンタスは、亡き子どものクマの人形を肌身離さず身に付け絶望感にとらわれているが、陽気で屈折した複雑な性格の持ち主である。各派閥のバイカ一集団を組織しているが、管理能力はあまり高くなく、目先の戦略にはたけていても展望力はない。

一方で、イモ一タン・ジョ一は放射能に汚染されていない水を確保し「砦」を管理、救世主を名乗り部下に階級制を導入し支配している。

フュリオサは核戦争後の2人の独裁者の下で「緑の地」の秘密を胸に収め生きていく。フュリオサは「緑の地」という希望を持っているが、ディメンタスは絶望感しかない。同じく肉親を亡くした2人は、似た者同士だが全く生き方は異なっている。

『怒りのデス・ロ一ド』を見たとき、フュリオサが信じる「緑の地」などあるわけ無いと思えたが、『フュリオサ』を見ると、亡き母との約束を果たそうとの思いが強かったのだと分かってくる。「緑の地」とは「母親」そのものだった。

『フュリオサ』は、娘が母との約束を果たそうとする物語であり、ただの敵討ちではなかった。またフュリオサは、ラストで絶望感にあふれたディメンタスを殺さず、別の希望の形で生かす方法をとる。

つくば市:科学と自然

購入したパンフレットを読んでいたら、なんと『怒りのデス・ロ一ド』に暗い沼地が出てくるのだが、実は、そこが「緑の地」であると書いてあった。その沼地で一本の木を倒すシ一ンが描かれる。これが『フュリオサ』のラストの意味につながる。いやはやなんとも恐れ入った。

筑波山の麓に人工都市としてつくられた筑波研究学園都市つくば市は、一般的には科学都市で知られている。30年前つくばに移転して来たとき、緑にあふれた場所で気に入った。きっとこの地には科学よりも自然の緑を愛するフュリオサが育ってきているに違いないと感じている。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

町の「光」を観る⑶《デザインを考える》9

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左はS町鶴光開発の7つの要素、右は切り株コンサートと日本国太鼓の提案(イラストは筆者)

【コラム・三橋俊雄】 コラム7(4月16日掲載)と8(5月21日掲載)では、S町における観光開発に向けた「光」の発見と、町民が主人公になれる地域づくりについてお伝えしました。こうしたプロセスを経て、町民が目指したい「観光」とは、来訪者と町民の触れ合いを通して、生きることの喜びを共に享受できるものであり、「町民の生きがいづくり」につながるものと確信しました。

観光開発の5つの理念

そこで、S町観光開発計画の基本理念として、以下の5つの柱が設定されました。①48の集落全体が輝ける観光地づくり、②集落の日常生活を分かち合える観光地づくり、③どの集落も一人一人が主役になれる観光地づくり、④暮らしを支えてきた自然と美しく付き合える観光地づくり、⑤郷土が培った知恵や伝統が息づく観光地づくり―です。

また、住民と来訪者たちとの熱い触れあいを目指していくために、図左に示した7つの観光要素、①楽しく集える町、②食を楽しめる町、③ものづくりのできる町、④暮らしを体験して自分を磨ける町、⑤学べる町、⑥買う楽しみのある町、⑦遊ぶことのできる町―が設定され、それぞれの具体的事例と、それを推進するために必要な様々なアイデアが提示されました。

例えば、「焼畑観光」については、短期計画として「焼畑見学とカブの種蒔(ま)き体験」「切り株コンサートと日本国太鼓(図右)」「秋のカブ摘み体験ツアー」など。中・長期計画としては、「焼畑シンポジウムの開催」「焼畑オーナー制度の導入」など。

まちづくりへの住民の意識

観光開発基本計画を策定した後、S町では「魅力ある集落づくり事業」が開始されました。まず、1カ月をかけて全集落を巡る「集落座談会」が開催され、事業の説明と意見交換がなされました。その後、各集落では「光」の発見・確認作業と、その「光」の磨き方についての検討が重ねられました。

筆者もいくつかの集落検討会に出席し、ある集落では、「日本国」という名の山へ向かう登山道があり、その脇に建つ朽ちた御堂(蔵王堂)の話がありました。その木造のお堂の改築には費用が掛かりすぎ、町からの補助金だけでは無理があるので、結局アルミサッシの扉を考えているとの話でした。

私は、「日本国山」は地元の誇りであり、登山道にそのような御堂が建てば、皆さんの誇りに傷がつくのではないかとの発言をし、最終的には、集落の方々が経費の不足分を出し合って立派な木造の御堂が完成しました。

翌年開かれた「フォーラム」では、ある集落の若者から「はじめ、集落づくりは行政がやるものだと思っていたが、この取り組みに参加して、住民自身がやるものだと気づいた」との発言がありました。「内発的地域づくり」とは、行政側の努力と住民側のそうした意識の醸成があってこそ、進められていくものだということを学びました。(ソーシャルデザイナー)

全国からトップ選手が参加 日本発祥 視覚障害者テニス大会

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2012年に洞峰公園体育館で開催された第12関東ブライドテニス茨城オープン大会の様子

22、23日 つくば 洞峰公園体育館

日本発祥の視覚障害者テニス「ブラインドテニス」の国内大会「第22回関東ブライドテニス茨城オープン大会」(主催 日本ブラインドテニス連盟関東地域協会)が22、23日の2日間、つくば市の洞峰公園体育館で開催される。ブラインドテニスは1980年代に視覚障害者の競技として日本で誕生し、世界30カ国以上で楽しまれている。今大会には全国から日本のトップ選手らが集まる。

3次元のスポーツ

宙を飛ぶボールの音を頼りにラリーを打ち合い、ボールの落ち際へラケットを持つ手をいっぱいに伸ばして打ち返す。まるでボールを目で追っているかのような激しいプレーに観客はぐいぐい引き込まれる。主催団体で事務局長を務める佐々木孝浩さん(43)はブラインドテニスの魅力を「見えていない中で、空中に浮いたボールを打ち合う『3次元』のスポーツ」だと話す。佐々木さん自身、視覚障害の当事者として競技に打ち込んできた。

ラリーをする佐々木さん

視覚障害者の球技はフロアバレーボールやサウンドテーブルテニスなど、床やテーブルといった平面を転がるボールを打ち合う2次元競技が多い。3次元競技のブラインドテニスは、バウンドしたり、回転したりする際にボールから聞こえる音を頼りに空中を行き交うボールを打ち合う。音が出る特殊なボールを使う。スポンジボールの中に入る金属球同士が、ボールの動きによって中でぶつかり音が出る仕組みだ。変化する音を頼りに選手はボールの位置を把握する。

「空中の音、バウンドした時の音で距離、位置、高さを推測する。回転も音で分かる。スライスをかけられると空中で音が消えることもある。打った時の音でいかにそこ(打点)に入れるか。平面に比べて難易度が高い一方で、他の競技では体験できない感覚を味わえる」と、佐々木さんは競技の醍醐味を話す。

試合は、視力や視野に応じて全盲の「B1」から弱視の「B3」まで3クラスに分かれて行われる。バドミントンと同サイズのコートには、テープで引かれたラインの下にタコ糸をはわせ、盛り上がる糸の感触を頼りに、選手は自分の位置を確認する。

競技は屋内で行われる

80年代に誕生、世界へ

主催団体によると、ブラインドテニスの始まりは1980年代。埼玉、東京、神奈川の障害者スポーツ関係者と視覚障害の当事者が中心になり、視覚障害者もプレーできるテニスの開発が進められた。1990年、国立身体障害者リハビリテーションセンター(埼玉県所沢市)で最初の全国大会が開催されたのが、競技としての始まりだ。2007年からは海外にも紹介され、現在までに5大陸30カ国以上に普及した。近年は国際協会が発足し、ヨーロッパを中心に毎年国際大会が開かれている。参加する日本選手は上位に食い込み、発祥国として世界をリードしている。

茨城大会の始まりは01年。当事者のメンバー有志と日本女子テニス連盟茨城支部の協力で始まった。当初はひたちなか市内の体育館を使用していたものの、11年の東日本大震災で会場が被災したのをきっかけに、同年からつくば市の洞峰公園体育館に移り、18年に牛久市で開催した以外は、洞峰公園での開催を続けている。20年、21年はコロナ禍で中止となった。

普及のきっかけに

現在、国内の競技人口は約300人。国内の代表組織である日本ブラインドテニス連盟では、全国各地で体験会を開いたり、国外へ赴いたりするなど競技の普及に努めている。同競技の地域組織で、今大会を主催する同連盟関東地域協会の杉本唯史副会長(46)は「大会を開く意義は、プレーヤーが競い合い、活躍の場を提供すること。同時に、プレーを色々な方に見ていただき、視覚障害の当事者に興味を持ってもらうこともある。『空中のボールを打つ』という迫力あるプレーを、当事者以外にも見てもらい、競技の魅力を伝えたい」と大会開催に込める思いを語る。同協会の新井彰会長(41)は「今大会には北海道から鹿児島まで、全国からトッププレーヤーが参加する。1試合目から高いレベルの選手同士のラリーが見られるはず。一人一人の独自のプレースタイルを築く選手たちの姿を見てもらいたい」と来場を呼び掛ける。(柴田大輔)

◆第22回関東ブラインドテニス茨城オープン大会は、6月22日(土)が午前11時から午後6時、23日(日)が午前8時半から午後4時まで、つくば市二の宮2-20 洞峰公園体育館で開催。入場無料。来場は事前申し込み必要。問い合わせは関東地域協会事務局(メール jimukyoku@kanto-bta.jpn.org)へ。

過去のいじめ問題 再調査を渋る土浦市《吾妻カガミ》185

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教育委員会が入る「ウララ2」ビル(左)と市役所が入る「ウララ」ビル

【コラム・坂本栄】土浦の市立中学校で起きた「いじめ問題」を本コラムで最後に取り上げてから8カ月がたちました。169「懸案に苦慮する市議会…」(2023年10月17日掲載)では、議会の文教厚生委員会が調査に乗り出すことを伝え、車いす中学生へのいじめの実態が解明されると期待していましたが、不発に終わったようです。

市民に冷たい市長回答

この問題が本サイトにアップされたのは9カ月前のことです。記事「いじめをなぜ止められなかったのか 保護者が再調査求める…」(23年9月3日掲載)では、息子さんが市立中在学中(2019年4月~2022年3月)に受けたいじめの実態が詳しく報じられています。

息子さんは市外の私立高に進み、今は中学時代のいじめからは開放されています。それにもかかわらず、保護者は、当時の実態を解明して再発防止の教訓にすべきだと考え、市教育委員会に再調査を求めました。しかし、市長の回答(22年6月15日付)は「… 既に、教育委員会からメール、電話、対面などで、ご回答およびご説明をさせていただいておりますので、改めて回答する事項はありません」と、門前払いでした。

そこで保護者は、教育行政をチェックする市議会の文教厚生委に、「うちの息子が(3年間も)経験したようなことが2度と起こらないよう、議会が市教育委をきちんと指導するよう要望する」文書(2023年10月2日付)を送り、議会の調査を求めました。

中途半端な議会の調査

保護者によると、この要望への回答(2024年3月28日付)が議会から届きました。その結論は、「…教育委員会の担当者の〇〇様に対する対応については十分なものと認められました。最終的に市が顧問弁護士の意見を仰いだ上で〇〇様への対応を終了した判断についても支持するものであります」と、再調査は不要とする市長の判断を是認しています。

私は、168「…いじめ回答拒否、個人情報保護が盾」(23年10月2日掲載)で、いじめに関わった生徒、対応した先生たちのプライバシー保護を理由に、再調査を渋る教育委や議会の姿勢に疑問を持ち、「…プライバシー保護を心配するのであれば、文教厚生委を非公開の秘密会にし、固有名詞をA、B、C、D…にすればよい」と提案しました。

ところが、文教厚生委は、保護者と息子さん、いじめに関わった生徒、問題に対処した先生たちを調査の場に呼ばず、「教育委員会およびこども未来部の担当者から当時の手続きの妥当性を中心に聞き取り調査を行った」だけだったそうです。話を聞いたのは、対応に問題はなかったと言い張る市の職員のみということですから、これでは調査の体を成しません。

議会は行政をチェックする議会としての仕事を怠り、教育行政を担当する職員に言いくるめられたようです。

市民<役所ファースト?

以上の流れから明らかになったのは、市はいじめ問題から逃げ回り、教育委の対応にミスはなかったと言い続けていることです。市民ファースト(第一)であるべき市政が役所ファースト(大事)になっているようです。市民からの疑問や苦情をかわすために弁護士を雇い、そのアドバイス=市の対応に問題なし=に頼るという守勢にも笑えます。

市の再調査見送り、議会の執行部追認もあり、息子さんのいじめ問題から教訓を引き出そうとする保護者の試みは頓挫しています。でも、調査を求めるプロセスで、市長、教育委、議会はあまり当てにならないという別の教訓を得ることはできました。(経済ジャーナリスト)

小貝川に架橋しアグリロード延伸を つくば・常総まちづくりの会が総決起大会

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総決起大会であいさつするつくば市の皆葉治郎共同代表

つくば市と常総市の境を流れる小貝川に架橋して、つくば下総広域農道(通称アグリロード)を直線的に延伸することを求める総決起大会が16日、常総市新石下の地域交流センターで開かれた。10万人を目標に署名を集め、道路を管理する両市長に延伸を求める陳情書を提出する方針を決めた。

アグリロード近くのつくば市上郷や常総市新石下地区など両市住民13人が発起人となって昨年11月「小貝川流域つくば市・常総市まちづくりの会」(皆葉治郎、篠崎孝之共同代表)を設立し、総決起大会開催を呼び掛けた。

陳情書は、圏央道が2017年に開通し常総インターチェンジ(IC)周辺の交通量が増える中、小貝川の長峰橋からつくば市の豊里中学校方面に向かう、アグリロード北側の県道土浦境線などが激しい渋滞となり、地域住民の通勤・通学に大変な障害となっているほか、災害時の避難経路確保など防災対策としても直線的な延伸が求められるなどとしている。

アグリロードは坂東市借宿とつくば市の市街地などを結ぶ。県が整備し2020年に全線開通した。事業終了後の道路管理は地元市に移され、現在、つくば市や常総市などがそれぞれ管理している。一方、つくば市上郷と常総IC近くの常総市収納谷(すのうや)間は直線的につながらず南に迂回し、小貝川の新福雷橋を通るルートになっている。

同まちづくりの会は、両地区で南に迂回するのではなく、小貝川と、常総市の八間堀川に二つの橋を架けて、上郷と収納谷間約2.6キロを直線的に延伸し両市を結ぶよう要望している。

一方、同会関係者によると、2.6キロを延伸するための事業費は二つの橋を架けるため総額200億円以上かかるとみられ、両市だけでなく国や県の補助金なども要請していくことが必要になるという。

来賓のつくば、常総両市長と国会議員ら

16日の総決起大会には、現在アグリロードを管理する五十嵐立青つくば市長、神達岳志常総市長のほか、永岡桂子、青山大人衆院議員、堂込麻紀子参院議員と、つくば市区と常総市・八千代町区選出の県議全員、両市の市議らが来賓として顔をそろえた。

まちづくりの会発起人で常総市の篠崎共同代表は「つくば市の上郷市街地活性化協議会と出会い、アグリロードがつくば市でも常総市でも(迂回ルートの)T字路になって止まっているという話になった。この区間がT字路なのは不自然。自然災害が頻繁に起こる中(水害時などは)避難先のつくば市に橋を渡らないと行くことができない。生活道路としても橋はなくてはならないもの。皆と一緒に架橋の実現に頑張っていきたい」と話し、つくば市の皆葉共同代表は「土浦境線の渋滞がどうにもならない。豊里中の先生方は毎日、自転車通学の生徒を誘導している。つくば市には間もなく(2027年完成予定の)陸上競技場ができ、両市発展する。陳情書10万人署名という目標を達成して、住民の力を国、県、行政にアピールしたい」などと話した。

永岡衆院議員は「(アグリロードは)農水省が事業費を出し、県が整備し、現在は両市に移管されている。国に『補助してね』というところまでもっていきたい」などと述べた。

今後のスケジュールについては、年内に署名を集め、年末か年明けに両市長に陳情書を提出する計画だという。

花と自転車とカフェ りんりんロード沿いに15日オープン 土浦

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カフェ「ビュルブ(blube)」店内

「駅」の役割を復活させたい

筑波山や霞ケ浦を結ぶ自転車道「つくば霞ケ浦りんりんロード」沿いの土浦市坂田に15日、カフェ「ビュルブ(blube)」がオープンした。園芸店を営む坂田園芸(同市上坂田、完賀裕子社長)が地域の拠点として、サイクルショップと併設して開店した。

1987年に廃線になった筑波鉄道筑波線の旧坂田駅近くに立地する。同園芸会長の完賀ししが浩光さん(64)は、土浦市と合併前の旧新治村長を2003年から07年まで務めた最後の村長だ。同店について「地域の拠点としての役割を果たしながら、人、物、情報が行き交った『駅』の役割を復活させたいという思いがある」と話す。

園芸店とサイクルショップ、カフェがあるグリーンゲート

昨年11月、同所にある本業のガーデニングショップ「グリーンゲート」をリニューアルした。約3000平方メートルの広さがある。今年4月には自転車道を利用するサイクリストらが自転車の点検や修理をする「サイクルステーションサカタ」を同所に増築し、オープンした。今回、かつての店舗部分をカフェに改装し、園芸店と自転車店、カフェの3つの事業を実施する。50台分の駐車場も造った。

カフェは地元の野菜や果物などを使った地産地消の食材で。ドリンク、デザート、スコーンなどを提供する。コーヒーは本格派で、ジャガイモの冷製スープが絶品だという。坂田園芸はグラジオラスの球根を全国販売しており、店名の「ビュルブ」は球根という意味。

森の雰囲気がある緑のゲート

ガーデニングショップは、自社で育てた花や観葉植物を展示販売するほか、花の種子や球根、緑化樹木の生産・販売を行っている。店内は花や植物群で覆われ、文字通りグリーンゲートとなっている。

サイクルステーションは、自転車のレンタル、メンテナンス、ビンテージバイクの販売もあり、シャワー室などが完備されている。車で訪れて、同店からりんりんロードにサイクリングに出掛けることもできる。

サイクルステーション

完賀会長は「人の役に立てればという思いでサイクル店とカフェをつくった。カフェはどなたにも利用いただける楽しめる場所にした。『森をつくりたい』という会社の思いを体現したので、雰囲気を味わってほしい」と語る。(榎田智司)

◆カフェ「blube」は土浦市上坂田610 坂田園芸グリーンゲート内。営業時間は午前10時~午後5時。定休日は火曜と水曜。電話029-893-3177。

花火大会とドローンショー《見上げてごらん!》28

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左=とりで利根川大花火大会2023、右=花火搭載ドローンのテスト飛行(いずれもレッドクリフ提供)

【コラム・小泉裕司】月刊誌「日経トレンディ」(日経BP)は、ヒット商品やトレンド予測など時代の一歩先を見通した最新情報を発信する。表紙の特集タイトルが購入の決め手だ。2023年12月号は、2024年ヒット予測ベスト30を特集し、1位に「ドローンショー&空中QR」を選んだ。

3年ほど前、中国発「ドローン製のQRコード」映像がテレビ画面に映し出されたとき、思わず声が出るほど感動した記憶がある。

ドローンショー2023

ドローンショーは、色とりどりのLEDを搭載した多数のドローンを使い、空中に文字や形を描き、動きまで演出するエンターテインメントイベント。初めて見たのは、23年7月29日の「ふくろい遠州の花火2023」(静岡県袋井市)。

打ち上げ開始前のサプライズイベントとして、200機のドローンが大会名や風鈴、金魚など夏の風物詩を夜空に描いた。約10分間、花火待ちの観客は空を見上げ、歓声を上げた。

約2カ月後の10月7日、「大曲の花火 秋の章」(秋田県大仙市)では、500機のオープニングショー。ここの特徴は、スポンサー名を投影したこと。視覚による広告効果は、従来の場内アナウンスとは比較にならないだろう。

10月21日、「やつしろ全国花火競技大会」(熊本県八代市)では、ドローンで描いた熊本県のマスコットキャラクター「くまもん」と花火が競演するなど、工夫を凝らしたドローンショーが開催され注目を集めた。

「とりで利根川大花火大会」(茨城県取手市)も、昨年に続き今年もドローンショーを決定。常陸大宮市は、夏祭り・大宮祇園祭での競演を企画するなど、今後も広まりそうだ。

コロナ後の花火大会の危機

しかしながら、日経トレンディがドローンショーを今年のヒット予測1位に選んだ理由の1つに、花火大会とのコラボを取り上げているのは、煙火業界が置かれている厳しい現状が背景にあるようだ。

コロナ禍で花火大会が中止となり、煙火業者の存続危機に関わる厳しい情勢が続いたが、現在は大会の開催が増え、花火の受注はコロナ禍前の水準以上の業者も多いという。

一方、ロシアによるウクライナ侵攻の影響で花火を発光させる金属や玉皮のパルプ材など原材料が高騰し、花火玉1発の製造費は2~3割増しになっているという。これまでと同様に大きな玉を上げると、大会の運営経費はまかなえないため、開催中止を決める花火大会もあるという。

ドローンショーが危機を救う?

そこで救世主となりそうなのがドローンショー。大手の運営会社、レッドクリフ(東京都港区)では、スポンサー名だけでなくロゴやメッセージ、さらには空中QRコードなどを組み込むことで、大会協賛企業の獲得にもつながると、花火大会運営者への積極的な営業活動を進めているという。

さらに「花火搭載ドローン」を大曲の煙火業者と共同開発したとの報道もあり、レッドクリフの佐々木社長は「今年は、さらに花火大会との競演を全国に広めたい」と力を込めた。

土浦でのドローンショーの開催予定は承知していないが、8月31日開催の「全国花火競技大会」(秋田県大仙市大曲)では、競技の合間に国内最大級1500機によるドローンショーを決定しており、今後、土浦、いや国内花火大会の試金石となるのかも知れない。

人間が芯(心)を込めて作る花火玉とプログラミングしたデジタルなショービジネスとのコラボは、これまで抵抗感があったのが正直なところ。だが、花火を見続けるために、背に腹は代えられないということか!

本日は、この辺で「打ち留めー」。「パッ パパーン!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

関彰商事、強豪 常陽銀行破り初優勝 軟式野球茨城大会

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優勝が決まった瞬間、歓喜に舞う関彰商事ナイン

2024年度県民総合体育大会兼第78回国民スポーツ大会軟式野球競技茨城大会決勝が15日、常総市の石下球場で行われ、関彰商事が強豪の常陽銀行を3−0で破り初優勝を飾った。敗れた常陽銀行は前々回、第76回大会以来の優勝はならなかった。

軟式野球茨城大会決勝戦 15日 石下球場
関彰商事 0 0 0 0 0 1 0 2 0  3
常陽銀行 0 0 0 0 0 0 0 0 0  0

4月中旬から県北、県央、県南、県西の4つのブロックで予選を行った。勝ち抜いた16チームが決勝トーナメントに進み、国体予選代表を賭けて争った。

関彰商事は1、2回戦を完封でゴールド勝ち、準決勝では昨年の覇者、筑波銀行を相手に10−3で7回コールド勝ちし、初の決勝進出を決めた。一方常陽銀行も1、2回戦を完封でゴールド勝ちし、準決勝では原子力機構原子力科学研究所を3−0で破り4年連続の決勝進出を決めた。

決勝の関彰商事先発は、BCリーグ茨城アストロプラネッツに3年間所属していたエース矢萩陽一朗(土浦湖北高出身)。常陽銀行の先発は髙﨑雄太。両投手とも好投し、5回まで両チーム無得点が続いた。

6回表、石橋利生が先制タイムリーを放つ

6回表、関彰商事はヒットで出塁した田村和麻が飯田涼太のバントで2塁に進むと、2死後、石橋利生がライトに2塁打を放ち先制。8回には次の打者に繫ぐ気持ちで打席に入り、チェンジアップを狙っていたという芹澤祐馬(土浦日大出身)がライトポール直撃の2ランで突き放した。

芹澤祐馬(右)がホームイン

投げては矢萩が145キロの真っすぐの速球とカットボールを主体に9回119球、4安打4奪三振を奪う気迫のこもった投球で投げ抜き、チームを初優勝に導いた。

矢萩は「昨年、一昨年と常陽銀行に敗れ、勝ててなかったので、リベンジ出来てうれしい。(チーム内の)後ろの投手がいいので、打者1人1人、全力で行けるとこまで行くつもりでいた」と話した。

完封した矢萩陽一朗投手

敗れた常陽銀行の豊島賢人主将(藤代高出身)は「昨年は筑波銀行に負けて悔しい思いをしたので、今年は優勝を目標に、長野で開催された全国の強豪が出場する五味杯で優勝し自信を持って挑み対策もしていたが、後手後手で終わってしまった。相手の矢萩投手に好き放題に投げられてしまった」と悔しがった。

今年からキャプテンを務める関彰商事の飯田涼太主将は「初の決勝進出で緊張したが自信を持ってリラックスして試合に入れた。強い常陽銀行相手に勝てたことで新たな歴史をつくれた。国体予選では県代表として思い切り力を発揮したい。まずは1勝を目指す」と力を込めた。

閉会式で優勝旗を受け取る関彰商事

就任2年目で初優勝を果たした藤井楽監督は「ここまでコールドで勝ち続けてきたが、(決勝は)点が入らない苦しい中で矢萩が辛抱強く投げてくれた。今大会は打撃が良かったが本来の守備もしっかり守れた。チーム内の雰囲気が良くミスがあってもみんなでカバーし合ってやりたい野球をやることが出来た。国体予選ではうちの野球をやり一戦必勝で国体出場を目指す」と抱負を語った。

優勝した関彰商事は8月24日から山梨県で開催される関東国体予選に県代表として出場する。(高橋浩一)

準優勝の賞状を受け取る常陽銀行

親子で英会話《けんがくひろば》7

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写真は筆者提供

【コラム・佐久間健】研究学園駅近くに教会があるのをご存じですか? 今回は、教会で行われている「親子英会話」を紹介します。15年ほど前、つくば市に住んでいたカナダ人の宣教師によって始まりました。以来、未就園児が親子で集える場所の一つとして広がり、たくさんの親子が足を運んでくださいました。

現在の講師は、ドイツ人宣教師のシュテファンさんとララさんです。レッスンでは、フクロウのパペットが登場したり、ギターに合わせて歌ったりします。お二人の温かい人柄が魅力です。

最近は1~2歳の子どもが多くなりました。初めのうちは、恥ずかしがったり、眠かったりすると、あまり参加できません。それが、みんな1年もたてば元気よく入ってきて、歌や踊りに楽しく参加できるようになるのです。子どもの成長を見ることができるのはとてもうれしいですね。

毎回、30分ほどのレッスンの後はティータイム。子ども達が遊んでいるのを見守りながらおしゃべりして、和やかな時間を過ごします。

安心・安全、楽しく、気ままに

「君は愛されるため生まれた」という賛美歌を歌い、おやつを食べて、『見つけた子育ての喜び』という本を用いて子育てについて学んだり、聖書の言葉を紹介したりしています。

子育ての環境は時代とともに変化し、多様化してきました。しかし、子ども達一人ひとりに「君は愛されるため生まれた」というメッセージは変わりません。聖書にこうあります。「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

また、子育てする親は知恵深く、忍耐深く、愛をもってしつけることを学ばなければなりません。そのために励まし合いや、リラックスして分かち合える場が必要です。

親子英会話は、子どもにとっても、親にとっても安心・安全のところ。親子で楽しく英語を学び、子どもは自由に遊び、ママ達は気ままにおしゃべりする―そんな場所になることを願っています。(牧師)

モンゴルの「筑波山ゲルグランピング」《ご飯は世界を救う》62

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イラストは筆者

【コラム・川浪せつ子】今回は、私が属する建築士会・女性部会で見学した「筑波山ゲルグランピング」(石岡市小幡)です。モンゴルと聞いて、世界地図を思い浮かべても、位置がはっきり分からない私でした。

お国のイメージは「放牧しながら暮らしている民族」。ですが今は、首都ウランバートルなどは高層ビルの建つ都市。人口は340万人弱。多くの方々が都市部に住んでいるそうです。

ゲルグランピングの経営者さんは、交換留学生で筑波大学に来て、卒業後、お国のゲル(大型テント)を輸入して建てたとか。日本語がお上手で驚きました。日本語とモンゴル語は文法が似ているそうです。でも地理的には、飛行機の直行便で5時間35分。

モンゴルって、モンゴル相撲が有名ですね。日本の力士になられた方も多くいます。こちらの施設は昨年5月のオープンですが、有名な力士さんも泊まりに来ているそうです。

ひとときの「異国の旅気分」

スケッチブック持参で、いろいろな説明を聞きながら描きました。本物のゲル、雑貨など、ステキな物ばかり。モンゴル衣装も着せてもらいました。世界中の民族衣装って、ほんとうに素晴らしいデザイン!

日本にいながら、ひとときの「異国の旅気分」。遠い国の食べ物を食せるのは、ぜいたくな時間でした。(イラストレーター)

本物のゲル(左)、雑貨(右上)、モンゴルの衣装(右下)など

土浦一高卒のプロとアマ 駅前ギャラリーで美術展

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美術展の様子。中央は小張隆男さんの作品

土浦一高(土浦市真真鍋)卒業生による美術展が12日から16日まで、土浦駅前の市民ギャラリーで開かれている。展覧会のタイトルは「あれから…年 第4回 土浦一高OB・OG展」。美術系大学に進みプロになった美術家、趣味で絵を描いているアマチュアなど卒業生19人が出展している。

作品は多岐にわたり、彫刻、水彩画、油彩画、日本画、写真、建築物、陶芸品、書、ミックス・メディア、絵手紙など大小約100点。市民ギャラリー展示スペースの約半分を使っており、作品の発表の場であると同時に、知り合いと交流する場にもなっている。

イラストレーター、西丸式人さんの作品

プロのイラストレーターや彫刻家

幹事役の寺澤徹也さん(元サラリーマン、父は画家)によると、第1回と第2回は土浦一高美術部OB・OGの作品展だったが、コロナ禍後に再開した第3回から美術部出身者以外にも発表の場を開放した。その結果、今回は19人、約100点に膨らんだ。

ただ、後期高齢者となり病気のために新作を出せず、以前描いた作品を送ってきた西丸式人さん(東京芸大デザイン科卒、イラストレーター)のようなプロもいる。一方で、小張隆男さん(日大芸術学部卒、彫刻家)のように、大作をギャラリー中央に数点展示し、来場者の質問に応じる現役の人もいた。

寺澤徹也さんの作品

歌舞伎の絵を数点出した寺澤康也さん(元NHKディレクター・プロデューサー、徹也さんの弟)は、放送局時代には古典芸能担当で、歌舞伎中継、伝統芸能入門、歌謡曲などの番組などを担当した。出展作品は現役時代の延長といえそうだ。

寺澤兄弟は「昨年の第3回は若い人の持ち込みがあったが、今回は大学生の出展がなかった。毎年開くので、若い卒業者にも出してもらいたい。必要ならば市民ギャラリーの展示スペースを全部借りてもよい」と張り切っている。(岩田大志)

展示作品も見る来場者

まちづくりと運行の両輪で 土浦キララちゃんバス20周年 延べ250万人が利用

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キララちゃんバス

7月に二つの記念イベント

土浦市のコミュニティーバス「まちづくり活性化バス キララちゃん」が今年、運行20周年を迎える。バスを運行するNPO法人まちづくり活性化土浦(同市中央、横山恭教理事長)は20周年を記念して7月に2つのイベントを催す。20周年記念シンポジウム「公共交通シンポジウム2024どうなる公共交通!どうする?キララちゃんバス」と、無料乗り放題の実施だ。

シンポジウムは7月6日開催する。複数の公共交通やモビリティーを最適に組み合わせた次世代の交通システムづくりに2021年から挑戦している関東鉄道が、「つちうらMaaS(マース)」と呼ばれるこれまでの取り組みについて話し、同NPOがキララちゃんバス運行の20年の歩みを振り返る。さらに公共交通政策のスペシャリストで、実際に全国各地で公共交通やコミュニティバスに乗車している名古屋大学環境学研究科の加藤博和教授が基調講演する。

無料乗り放題は7月15、16日の2日間、全路線で実施する。

3者協定に基づく協働事業

キララちゃんバスは中心市街地の活性化などを目的に2005年3月、運行が始まった。同NPOが事業実施者で、関東鉄道に運行を委託、土浦市が事業費を補助するなど、3者協定に基づく協働事業で運行している。NPOがコミュニティーバスを運行するのは全国でも珍しい。

現在の運行路線は3路線あり、土浦駅西口を起点に、市街地のクラフトシビックホール(市民会館)などを循環するコース、中心市街地の亀城公園などを循環するコース、霞ケ浦総合公園や郊外の住宅団地などを循環するコースがある。

運行開始の05年から23年度まで19年間の総利用者数は延べ約250万6000人。利用者数のピークは14年度の約15万9000人だったが、運賃値上げなどの影響で17年度には約12万5000人まで減少した。徐々に回復傾向だったものの、20年度は新型コロナ感染拡大の影響で約8万5000人にまで落ち込んだ。その後、再び利用者が少しずつ増え23年度は約12万人の利用者があった。

「単なる移動手段でなくまちづくり担ってきた」

事務局長の小林まゆみさんは「『自分たちで土浦を良くしていこう』ということを市民の方に意識してほしいとNPO法人を起ち上げた」とし「キララちゃんバスは単なる移動手段ではなく、さまざまなイベントの開催などまちづくりの活性化も担ってきたと思っている。まちづくりとバス運行の両輪で走ってきた。一般的なコミュニティバスだったらここまで続いてこなかった」と20年を振り返った。

今後については「中心市街地の活性化の目的を大切にしつつも、市内でバスが走っていない高齢者らが住む地域にもキララちゃんバスが行けるようにしたい」と語った。さらに「将来は無人運転の小さなバスで市内を回り、キララちゃんバスの停留所まで利用者を運ぶ。そこからキララちゃんバスに乗車して土浦駅に行く、といったハブの役割を持つバス停を作る方法も実現できたら」と話した。(伊藤悦子)

◆キララちゃんバス運行20周年記念シンポジウム「公共交通シンポジウム2024 どうなる公共交通!どうする?キララちゃんバス」は7月6日(土)午後1時30分から午後4時、同市東真鍋町2-6クラフトシビックホール土浦(土浦市民会館)小ホールで開催、入場無料、予約不要。キララちゃんバス無料乗り放題は7月15日(月)、16日(火)の2日間実施。問い合わせはNPO法人まちづくり活性化土浦(電話029-826-1771へ。

➡キララちゃんバスの過去記事はこちら

「死が遠ざかった」今の時代⑵《看取り医者は見た!》21

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筆者提供

【コラム・平野国美】今の「死が遠ざかった時代」(私の呼び方)では、「死」だけでなく、「老いる」過程も我々の意識から遠ざけられています。私が勤務医だった時代と訪問診療をしている今の「死生観」は異なったものになりました。人を年齢で区分したり、年齢で差別してはいけないと思いますが、「老化」について改めて考えてみます。

上のイラストをご覧ください。向かって左から、生まれた赤ちゃんはハイハイをして家の中を移動し、その後二足歩行を開始し、やがて転ばずに走れるようになります。そして、徐々に体は前傾し始め、杖(つえ)が必要になり、車椅子に乗る状態を描いています。

この流れを見て、後半部分を病態と考えるでしょうか? それとも、正常な経過の老化と考えるでしょうか? 以前は車椅子に乗る状態を「異常」と考えていましたが、高齢の患者さんを診察していると、初診の時にすでにこの状態になっているか、診察の経過でこの状態から寝たきりになっています。そして、死へと向かうのは避けられません。

何を偉そうにと思われるかも知れませんが、多くの方が、これを「理解できない」、もしくは「受け入れられない」のです。しかも、患者さんの息子さんや娘さんが私と同業の医者であっても、「理解していない」ことが多々あるのです。

この半世紀、日本人は病院で亡くなるのが普通になり、特に最期の場面は密室化されてしまいました。これが、老いや死ぬことを異常事態と考えるようになった背景です。こういった感覚は、我々が視覚で捉えられる身体上の変化だけでなく、目に見えない体内や頭の中でも起きているのです。

どこまでが生理でどこからが病態?

薬や老化を予防する体操で死は少し先延ばしできるかもしれませんが、いずれ確実に訪れるのです。大家族の時代は、同居していた祖祖父や祖父が身をもって、老いや死を見せてくれました。「老いる」はネガティブなイメージが多い言葉ですが、決してそれだけではないということを患者さんは私に見せてくれます。

老いとは生理的なことだけではなくて、その取り巻く環境でも様々なことが起きます。ドラマや映画で見る死とは違った風景があります。自分が独居であることを嘆く方もいますが、今、多くの高齢者がその状態です。同居していても、家族との接触が無いのです。

これからも「死」と「老いる」問題を取り上げたいと思います。今、介護の現場で何が起きているか? 今、人生の最終コーナーで何が起きているのか? 決して悲壮な場面だけではなく、いろいろなお話ができればと思います。(訪問診療医師)

<参考> 前回の「『死が遠ざかった』今の時代」はこちら

筑波山の見える風景《ひょうたんの眼》69

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自宅近くから遠望した筑波山。筆者撮影

【コラム・高橋恵一】コンビニの建物越しに見える富士山が撮影スポットとして話題になっています。富士山は日本が誇る山で、どこから見るのが魅力的かにも関心が持たれ続けています。

十国峠、伊豆の大瀬崎、三保の松原、山梨県の三つ峠、富士五湖の逆さ富士、夜叉神峠、南アルプスの北岳、諏訪湖畔の遠景、東京スカイツリー、和歌山県の大台ケ原、福島県の某所…。それぞれが、地元自慢の見学場所です。

富士山が見えるということから自治体名にしている、富士見市、ふじみ野市、富士見町、(旧)富士見村もあります。地元のシンボル的な山を富士山になぞらえている山もあります。利尻富士、蝦夷富士(羊蹄山)、津軽富士(岩木山)、伯耆富士(大山)、薩摩富士(開聞岳)…。

眺める位置ごとに多様な姿

山麓の神郡から見た筑波山(2023年11月筆者撮影)

地元高校の校歌で「沃野(よくや)一望数百里 関八州の重鎮(しずめ)とて…」と歌われる筑波山も、シンボリックな山です。その山容は、二つの峰のかかわり具合から、眺める位置ごとに多様な姿を見せます。

霞ケ浦の高浜入り、玉造の桃浦からの眺めが定番でしたが、霞ケ浦大橋からの眺め、研究学園都市からの眺め、結城や下妻からの眺めも地元の自慢です。写真家からは、ダイヤモンド筑波も人気があります。江戸時代の歌川広重の江戸百景では、関東平野の向こうに筑波山の遠景が描かれています。

筑波山は、山容だけでなく、和歌や物語を伴う山でもあります。古代の常陸の国風土記には「常世の国」とはこの地であろうと書かれ、国府庁や国分寺の背景に筑波山があり、霞ケ浦を臨む常陸野で人々が仕事や生活を喜ぶ様子が描かれています。

万葉集には、筑波山の歌垣(かがい)の歌が紹介されています。多くの男女が集まって、愛の歌を交わし合うおおらかな交流の場でした。中世の鎌倉・室町時代には、約400年にわたって小田氏の勢力下にあり、経済面でも文化面でも繁栄したようです。

以前、旧明野町(現筑西市)で、町民の皆さんに明野の魅力の話をしたとき、地面から立ち上がる筑波山の雄姿が二番目によい眺めだ―と褒めました。話が終ってから、一番はどこかと聞かれ、「それは私が住んでいる街から」と答えました。筑波山も、それぞれの人が愛着を持って、自分の風景にしている山だと思います。

故郷の山は嫌な思いをリセット

おらが国の山、ふるさとの山の凛々(りり)しい風景を眺めるとき、嫌な思いからリセットされる感覚を覚えます。

人々の幸せと国の繁栄を志したはずの政治家が、裏金をごまかすために能力を使い果たしたり、世界に誇る大企業が、製品の安全基準をごまかしたりしている情報を聞くと、その曲がった魂の人には、ふるさとの山の朝の清々しい姿や、すべてを深く吸い込んで暮れて行く夕景を眺めることをお薦めします。(地理と歴史が好きな土浦人)

農林団地で生まれた「庶民派」楽団 29日つくばで 35周年コンサート

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本番に向けて練習に臨む「アソシエ・ド・パンドラ」のメンバー=城山公民館

農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構、つくば市観音台)がある農林団地で1989年に誕生したギターとマンドリンの楽団「アソシエ・ド・パンドラ」が、結成35年記念コンサートを29日、つくば駅前のノバホールで開催する。研究所の昼休みに練習する4人から始まった活動で、現在は、関係者ら約30人が仕事や家事と両立しながら切磋琢磨している。仲間と分かち合う感動を、節目の年に観客に届ける。

「当時は企業にこういうクラブがあった。研究所にもあればと思った」と振り返るのは、設立メンバーの1人でマンドリンを弾く丸山久子さん。昼休みに自分たちもできたらと職場の仲間に声を掛けて、昼休みの20分間を練習に充てることから始まった。当時、農林団地で行われていた夏祭りで演奏したり、クリスマスにちなんだ演奏会を開いたりしたのを皮切りに、毎年行うコンサートを目標に、共に歩む仲間を増やしてきた。

楽団の名称「パンドラ」には、「希望をもたらす仲間たち」という思いを込めたという。丸山さんは、「『パンドラの箱』には、開けると災いが出てくる悪いイメージがある。でも、全て災いが飛び出したあとに残るたった一つのものが『希望』。ギリシャ神話から名付けた」と話す。

空に伸びる青麦のように

楽団の最初のイメージキャラクターは、両手に音符を手にしたタヌキだった。お腹のところに描かれた4本の弦は、丸みを帯びた姿が似ているマンドリンを重ね合わせたもの。当時、農研機構の動物衛生研究所に勤務していたメンバーが考案した。

記念コンサートで着用するユニフォームに描かれる青麦は、元農研機構職員のメンバーによるもの (アソシエ・ド・パンドラ提供)

今回のコンサートでは、現役の他のメンバーが描いた青い麦をあしらうユニフォームを来てステージに立つ。「勢いよく、空に向かって元気に伸びていくという気持ちを込めた」という。

練習は毎週土曜日、市内の公民館などを利用し3時間ほど行っている。公演を控えて熱がこもる練習会場でメンバーは「仕事が忙しくてくたくたになるけど、この活動は手放さない。理想を目指してみんなで一生懸命やるのは面白い」「仕事を持ちながら、子育てしたりしながら、なんとか時間をつくって活動を続ける他のメンバーの姿を素晴らしいと思っている」「これまで毎年1回、必ずコンサートを開いてきた。ステージに上がるといつも以上によくできることがある。みんなのエネルギーに感動する。やってよかったという達成感が35年続けることになった」と、仲間と続ける活動へのやりがいを口々に話す。

野口雨情の名曲メドレーを演奏

ノバホールでのコンサート開催は、結成25周年を迎えた2014年以来。10年前の記念コンサートに合わせて企画したのが、今回も演奏する茨城県出身の童謡詩人、野口雨情作品13曲のメドレー「野口雨情の世界」だ。今回は新たに、市内の産業技術総合研究所職員らによる「産総研音楽倶楽部合唱団」、同じく同研究所関係者らによる合唱サークル「コールアイスト」と共演する。他にも映画のテーマ曲など馴染みのある曲をはじめ、作曲家の武藤理恵さんの作品「パラディソ」、リヒャルト・ワーグナーによる「タンホイザー」など全10曲が演奏される予定だ。

「アソシエ・ド・パンドラ」で部長を務める芝池博幸さん(60)は「今年、結成35周年を迎えるパンドラは、クラシックからポピュラ―、童謡まで、なんでも演奏する庶民派の楽団。ノバホールにお越しいただく皆さまと過ごす時間を大切に、パンドラらしい、活気に満ちた演奏をお届けしたい」と、来場を呼び掛ける。(柴田大輔)

◆「ギター アンド マンドリンアンサンブル アソシエ・ド・パンドラ 35周年記念演奏会」は6月29日(土)、つくば市吾妻1-10-1 ノバホールで午後2時開演。入場無料。

野良犬猫の保護は自治体の課題《晴狗雨dogせいこううどく》9

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写真は筆者

【コラム・鶴田真子美】2023年度の茨城県動物指導センターへの市町村別犬猫収容頭数が発表されました(一覧表はこちら)。 犬は茨城町の239頭が群を抜いて多く、鉾田市の100頭、小美玉市の92頭、笠間市の53頭、神栖市の47頭、境町の44頭、行方市の41頭…と続きます。

その大半が子犬です。母犬を捕まえないと半年後にまた出産し、一腹(ひとはら)から5頭から10頭が産まれ、繁殖を繰り返していくでしょう。子犬を捕まえる時が成犬捕獲のチャンスになります。根本解決を目指し、母犬と一緒に保護できるよう、動物指導センターの指導のもと、市町村の職員は技術を磨いてもらいたいと思います。

野良犬が減らないのは、捕獲の行程がうまくいかないからです。捕獲機を設置して捕まえるには餌でおびき寄せるため、まず犬を空腹状態にしなくてはなりません。

しかし畜産農家の多い茨城町や小美玉市では、養鶏場の柵を壊し、あるいは土を掘り簡単に侵入できてしまうため、養鶏場や養豚場が餌場になっており、犬を飢えさせることができません。野犬対策には、畜産関連団体や農業協働組合を巻き込み、対策を講じる必要があります。

 猫の収容数は、神栖市が101頭、鉾田市が67頭、日立市が44頭、龍ケ崎市が42頭、城里町が37頭…でした。猫の収容数が多い自治体が早急に行うべき施策は、TNR(Trap=捕獲、Neuter=不妊・去勢手術、Return=元の場所に戻す)です。TNR活動を地域全体に広めていくことが求められます。

幸い茨城県には避妊去勢手術の助成制度があります。また県獣医師会や一部の市町村も費用助成をしており、動物保護団体の施設や動物病院でも保護犬猫を対象に避妊去勢を行っています。

犬猫問題は私たちの身近な問題

収容頭数を減らすために各市町村に求めたいのは以下のようなことです。

⑴ 飼い犬猫への避妊去勢の徹底、猫の室内飼育

⑵ 里親会の開催:これにより、保護犬猫の里親探しができます。市内に保護団体があれば、役場などの駐車場を会場として貸し出すなど、市町村も協力すべきです。保護団体がない場合、自治体主導の方が早いでしょう。

⑶ ボランティアの育成:活動を担うボランティアを育成し、場合によってはその活動を助成することが必要でしょう。

⑷ 子どもの教育:人と動物の共生は、幼少期から学校や課外活動で学ぶべき課題であり、教育委員会が積極的に取り組むべきです。シェルターでのボランティア体験を通し、子どもたちは奉仕活動を学びます。

野良猫が増え、道路でひかれている光景や、犬猫が虐待を受けているのに放置されているのを見るのは、子どもたちに精神的ダメージを与えます。野犬が繁殖し畑を荒らしたりすれば、住民は安全が脅かれます。

行政は、犬猫問題を市町村の問題、つまり身近な問題として捉え、自治体で取り組むべき課題であると認識すべきでしょう。(犬猫保護活動家)

元イスラエル兵ネフセタイさん つくばで平和への思い講演へ

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つくば市の尾崎さん宅を訪れたネフセタイさん(手前左)と妻の吉川かほるさん(同右)。後列左が尾崎さん、同右が韓国民話の語り手 金基英(キム・キヨン)さん(尾崎さん提供)

7月7日 尾崎秀子さん企画

イスラエル出身で埼玉県在住のダニー・ネフセタイさんが平和への思いを語る講演会「争いの絶えない国から来た私が今、日本で言えること」が7月7日、つくば市高野、市民ホールとよさとで開かれる。つくばの市民団体「平和を願う市民の集い」(尾崎秀子代表)が主催する。

3年間空軍に所属

ネフセタイさんは1957年生まれの木製家具作家。高校を卒業後、徴兵制でイスラエル空軍に入り、3年間兵役を務めた。退役後、バックパッカーとしてアジア諸国を放浪し79年に日本を訪れた。以来45年間日本で生活している。88年に都内から埼玉県に引っ越し、家具を製造する木工房ナガリ家を立ち上げ、注文家具や遊具、小物などの創作に従事している。平和のための講演活動も行い、2016年にはイスラエルの社会通念を批判した「国のために死ぬのはすばらしい?」(高文研)を出版、昨年12月には「イスラエル軍元兵士が語る非戦論 」(集英社新書)を出している。

講演に感銘

講演会を主催する「市民の集い」代表の尾崎さん(75)は、平和を願う思いから、市内で22年よりウクライナ出身のカテリーナさんによる民族楽器バンドゥーラのコンサートを開催してきた(23年7月11日付)。昨年7月にはノバホール(同市吾妻)でコンサートを開き約570人が来場した。今年3月、尾崎さんは前橋市で開かれたネフセタイさんの講演会を訪れて感銘を受け、つくばでも講演会を実施したいと企画。ネフセタイさん宅を訪れて依頼し、実現した。

「戦争が起こるとしたら絶対に反対しよう」

尾崎さんは1948年大阪生まれ。大阪府立大学を卒業後、塗料会社の研究所に勤務した。84年につくば市に移り住み、2000年まで市内の研究所に勤務。その後秋田県に住み、15年に再びつくばに戻った。つくば市では中央図書館協議会委員を12年務めるほか、「絵と歌と語りの集い」開催や「つくば自然農を学ぶ会」を立ち上げるなど市民活動にまい進する。

直接戦争を知らないが、両親や兄、姉から、大阪大空襲や学童疎開での苦労についてよく聞かされていたと話す尾崎さん。「小さい頃から『そんなに大変な思いをしたのになぜ戦争を止められなかったのか』と親に聞くと、親は苦い顔で『仕方なかったんや、止められなかったんや』と。父は町内会の会長で出征兵士を見送っていた側。辛い思いがあったと思う。自分は戦争が起こるとしたら絶対に反対しようと思って生きてきた」と語る。

「戦争で人を傷つける時、相手は自分と同じ人間だという意識がかき消されている。それが戦争というもので、ダニーさんは、誰の命も大切で、尊重される人権があると教える教育が必要だと訴えている。お金や権力より、人の命が一番大切なもの。生きていく上で何を一番大事にして暮らしていくか、考えるきっかけになれば」と話し、来場を呼びかける。(田中めぐみ)

◆ダニー・ネフセタイさん講演会「子ども達へ残そう 悲しみのない未来を~争いの絶えない国から来た私が今、日本で言えること」は7月7日(日)午後1時30分開場、午後2時開演。会場はつくば市高野1197-20 市民ホールとよさと。入場無料。定員250人。当日は寄付を募り、集まった寄付金を国境なき医師団と日本ユニセフ協会に送る。申し込みは専用フォーム、または同会のEメール、電話080-1118-0289(尾崎さん)へ。申し込みの際は①参加者(代表者)氏名➁連絡先電話番号➂参加人数④駐車場利用の場合は車の台数を明記する。

吉井・元水俣市長が死去 水俣病患者に謝罪《邑から日本を見る》161

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谷津田の水田

【コラム・先﨑千尋】古くからの友人・知人が相次いで亡くなっている。今度の訃報は水俣市長だった吉井正澄さん。5月31日に92歳で亡くなった。5月1日、水俣病犠牲者慰霊式の後の伊藤信太郎環境大臣と水俣病患者らの懇談で、被害者側の発言時間が予定時間を超えたとして環境省の担当者がマイクの音を切り、SNSで大炎上しているときに重なった。

吉井さんは、水俣市では山間部に住み、自民党の政治家として市議会議長などを歴任した後の1994年に市長に就任した。

そして、同年5月の水俣病慰霊式で「いわれなき中傷、偏見、差別を受けた犠牲者に対し、市当局が十分な対策を取り得なかったことを申し訳なく思う」と述べ、水俣市長として初めて患者と被害者に公式に謝罪した。その後も水俣病問題に真正面から取り組み、村山富市首相らと会談を重ね、政治解決に奔走した。

元気だったころの吉井さん(左)

吉井さんからは、水俣病を発生させたチッソや被害者たちと離れた所に住み、直接関わりがなかったのでできた仕事だった、と後で聞いた。

また、経済と環境の調和のとれたまちづくりを目指す「環境モデル都市づくり」、「新しい水俣づくり」に全力を傾注し、水俣病のために疲弊、分断された市民の融和を図り、絆を取り戻す「もやい直し」運動を始めた。

2000年5月には同市で環境自治体会議の「水俣会議」が開かれ、全国から集まった自治体関係者や市民、研究者、学生などが、同市の「ごみ高度化分別収集」、市役所、学校、家庭の「環境ISO」、エコショップや環境マイスター制度、環境水俣賞などの取り組みを学んだ。茨城県からも村上達也東海村長(当時)などが参加した。

私はこの会議の分科会の一つ「環境自治体づくりの先進事例に学ぶ」で司会を務めたが、報告者の一人である柳川義郎・岐阜県御嵩町長が町内の産廃処理場を巡って暴力団に襲われ、瀕死の重傷を負った後だったので、岐阜・熊本県警のものものしい警備の中で分科会が開かれたことが今も記憶に鮮明に残っている。

行政のトップが代われば街も変わる

私は、この会議以前から水俣病患者が生産した甘夏などを購入していたので水俣には度々訪れているが、吉井さんが市長になってからは、行くたびに、同市は変化している、進化しているという印象を受けた。行政のトップが代われば、その地域の住民も街も変わるのだ。

吉井さんが2017年に出された『じゃなかしゃば 新しい水俣』(藤原書店)の出版記念会には村上達也さんと一緒に参加したが、この会には多くの水俣病患者たちも出席していて、吉井さんとの絆の強さを知った。

一昨年5月、私は家族旅行の際に吉井さんの自宅に寄り、思い出話に花を咲かせることができたが、その時も、まだトラクターに乗り、田畑を耕していると聞いて驚いた。

吉井さんは文を書くのも達者。『離礁:水俣病対策に取り組んで』、『奈落の舞台回し』、『気がついたらトップランナー』などの著作がある。米寿を過ぎてからも『小さな蛮勇』と題するエッセイを書きつづり、私たちに送ってきてくれていた。最後は今年の正月。その軽妙洒脱(しゃだつ)な文を読みながら、吉井さんとの出逢いを振り返っている。

ありがとう、そしてさようなら吉井さん。(元瓜連町長)

桜川の特定外来魚活用にアイデア出し合う 第2回川守養成プログラム

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漢字クイズを出しながら桜川の在来魚について説明する鈴木清次組合長(奥)ら

つくば市などを流れる桜川の環境を見守る人を養成する「桜川川守かわもり養成プログラム」(4月22日付)の第2回体験会が9日、桜川河川敷のつくば市松塚、桜川漁業協同組合(鈴木清次組合長)拠点広場で開かれた。市内外から14人が参加し、外来魚の活用法や、桜川の環境をどう見守っていくかについて意見が交わされた。同プログラムは川の水質や生態系を見守る担い手を育てようと、桜川漁協や市民グループ「桜川ナマズプロジェクト」が協力し、NEWSつくばが後援して実施している。

ハクレン大量遡上は観察できず

桜川では先月15日から産卵期のハクレンの大量遡上が始まった(5月15日付)。今回のプログラムはハクレンを観察する予定だったが、しばらく雨の日がなかったことから川の水量が少なくなり、遡上やハクレンジャンプといわれる集団跳躍行動を観察することはできなかった。参加者はハクレンジャンプを観察する予定だった少し上流の堰まで歩いて移動し川を眺め、遡上した時の様子について話を聞いた。堰では体長50センチほどのゴイサギのつがいがじっと川面を見つめ、魚を狙う様子が見られた。また拠点広場では、特定外来生物のアメリカナマズ釣り体験も行った。鈴木組合長は、桜川に生息する在来種のマゴイ、ゲンゴロウブナ、タナゴなど27種類の魚について参加者にイラストを見せて話した。

ハクレンジャンプを観察する予定だった桜川の堰を見る参加者

国際ナマズ料理大会、ナマズ肥料使った農園などの案も

桜川で近年急増しているアメリカナマズは特定外来生物のため、外来生物法により生きたまま運搬することが禁止されている。市内から参加した夫婦は、7月に開かれる桜川漁協主催の外来魚釣り大会に毎年参加していると話し、釣り人の目線から「アメリカナマズを釣っても全部食べられるわけではなく、(活用のための保管など)置くところに困る。釣ったナマズを集めるところを作ったらどうか」というアイデアを話した。また、ナマズの皮をなめして財布を作る、ナマズ料理大会を開く、キャラクターを作る、ナマズで肥料を作り、それを使用した農園「ナマズパーク」を作る案も出た。都内からの参加者は「ナマズは困った存在というだけではなく、ナマズがいるからいろんな国の料理を知ることができるのでは」と肯定的にとらえ、ナマズを使った各国の国際料理を紹介するのはどうかと意見を話した。川守養成プログラムを通じ、今後も漁業者と参加者とで意見を出し合っていくことになる。

草刈りや清掃活動など参加へ

鈴木組合長は市水質浄化対策推進協議会の会長も務めていることから、同協議会で行っている河川敷の清掃活動や花畑の造成活動についても説明した。河川敷をきれいに保つことについては「川辺で花を作るにも野菜を作るにもとにかく草刈りの手間がかかる」とし、特に土手の斜面を刈るのに草刈り機を持っている人たちの協力が不可欠であることを話した。桜川の近隣に住んでいるという参加者は、20年くらい前に川の清掃活動に参加していたことがあり、カヤックで桜川を下ったこともあるという。今後再び桜川の清掃活動などに携わっていきたいと話し、鈴木組合長も「ぜひお願いします」と受け入れ、地域の輪が広がった。

ナマズ、カワエビの試食も

釣り体験では、桜川漁協組合理事の松田七郎さんらが手伝って、15匹以上のアメリカナマズを釣り上げた。ナマズは組合員や参加者がさばき、唐揚げにして振る舞われた。また桜川で捕れたばかりの川エビの唐揚げも振る舞われた。四川料理店「麻辣十食」(同市天久保)も、香辛料を効かせたナマズ料理「ラーズーナマズ」を提供し、「スパイスの香りで冷めてもおいしく食べられる」と好評を博していた。

同プログラムは年5回実施の予定。4回以上プログラムに参加した人は、養成プログラム実行委員会が桜川の「川守」(桜川を見守るサポーター)に認定し、川の清掃活動などの情報を配信する。プログラムは1回のみの参加も可能で、来年度も実施を予定している。(田中めぐみ)

◆次回、第2回プログラムは7月7日(日)開催の予定。NEWSつくばのページで参加を募集する。

➡第1回川守養成プログラムはこちら

マドンナとの再会《続・平熱日記》159

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絵は筆者

【コラム・斉藤裕之】個展「平熱日記 in丸亀」の初日。11時のギャラリーオープンに合わせて、5時前に家を出た。麦秋の岡山。陽光降り注ぐ瀬戸内海を見下ろして瀬戸大橋を渡る。

既にギャラリーで待ってくれていたのは、小学生の頃からの旧友とその奥様。彼とはよく釣りに行った。中学高校と部活も同じ。今は水産会社を切り盛りしている。「徳山湾」という作品を気に入ってくれた。海上の舟から撮った徳山(現周南市)の写真をもとに描いたもので、今回展示しようか迷った絵だったが、彼に持ち帰ってもらう運命だったようだ。

入れ違いに、高松に住む高校の同級生が現れた。当時軽くツッパッていた彼が、なんと高松の裁判所で裁判官をしているというから驚いた。それから、彼を含めて6人もの同級生が集まってくれた。なんと44年ぶりの再会。何はともあれ、まずうれしかったのはみんなが私の絵をとても熱心に見てくれたこと。

それにしても、わざわざ大阪から東京から神奈川から…。その中に、大津から来たという女性がいた。

「誰だかわかる?」「小川さん!」。彼女はいわばマドンナ(古い!けど昭和なので)的存在で、3年生の時に同じクラスだった。シャイな斉藤少年は遠巻きに彼女を眺めながら、ほとんど喋ったことがなかった。しかし時を経て話をしてみると、マドンナは実に気さくで愉快なキャラクターだということが分かった。

勘八、竹寿、コルシカ、アチャコ …

夕方、高松に移動した。港の近くにある新しく整備された駅。大きく長いアーケードが印象的な街。

大阪在住の岡本君(今回彼は実にスマートな香川の旅をコーディネートしてくれた)が、なじみの店を予約していてくれた。そこに高松在住の同級生2人が合流。男性陣はいずれも立派なキャリアを積み上げていた。私が日銭を稼ぐのにヒイヒイしていた間に。話は高校時代の逸話から故郷の話題に。

日本中の地方都市がそうであったように、私の高校時代の故郷の繁華街は活気であふれていた。「青空公園の近くのソフトクリームがおいしかったのよ。それからアチャコね…」と話しているのは小川さん。アチャコ? かなりマニアックな飲食店の名前だが?

試しに、私が「寿司といえば?」と聞いたら、「勘八でしょ!」。まさかの意中の店名を言い当てられて驚いた。「あんた勘八を知っちょるん?」「あそこの大将の握るノリ巻きのノリの香りがねえ…」「それから金星、竹寿でしょ、それからコルシカ、ツジのステーキ…」。

彼女の口から次々と出る故郷の老舗名店の数々。回転寿司などない時代である。しかも、お子様向きではない名店。仕事柄、また食道楽でもあった父親の影響で私はその辺りの店を知っていたのだが、今まで私以外にこれほどまでに詳しい人に出会ったことがなかった。

ならば、いつか小川さんとお食事でも!と思っても、残念ながらかつての名店は今もうほとんど残っていない。

まぶしく新鮮な母校のセーラー服

山口の弟の家で一泊した翌朝、駅まで送ってもらった。ちょうど通学の高校生が駅の階段から降りてきた。こんなに真っ白だったっけ? 都会ではあまり見かけなくなった母校のセーラー服がまぶしいほど新鮮に感じられた。街は変わったが生徒たちは何も変わっていないと思った。新幹線は大津を通過。台風の影響で車窓は白く煙っていた。(画家)