木曜日, 5月 15, 2025
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【成人式’19】はれのひ事件から1年 フォトスタジオが「いつでも無償で支援」

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梶山泰央さんと良き理解者の妻希美さん=龍ケ崎市藤ケ丘のスマイルカメラのスタジオ

【橋立多美】きょう14日は平成最後の成人の日。昨年は成人の日にあたる1月8日、振り袖の販売と貸し出しを行う「はれのひ 」の3店舗(つくば店、八王子店、横浜みなとみらい店)が突如閉鎖された。あれから1年経ったが、龍ケ崎市のフォトスタジオ「スマイルカメラ」のホームページには「はれのひ被害に遭われた方へ」と題して、気持ちの整理がついたら10年後であっても撮影までを無償で支援しますという呼び掛け文が載る。

昨年ははれのひの3店舗に電話連絡ができなくなり、同店から購入またはレンタルで成人式の着付けを予約していた新成人たちが晴れ着を着られなくなった。つくば店は、同市や周辺自治体が成人式を1日早い7日に挙行したことで、「式当日に晴れ着を着ることができない」というトラブルは発生しなかったが、着付けが式典に間に合わなかった人も出た=2018年1月9日付け=。

「スマイルカメラ」を営む梶山泰央さん(49)は、ニュースでこの事態を知って「なんてことが…」と怒りが込み上げた。本人たちの泣きたい思いはもとより、仕事柄、晴れ着姿の我が子の前撮りをうれしそうに見守る父母たちの姿を見ていただけに、その気持ちが痛いほど分かったからだ。

「何とかしてあげたい」と8日夜、ツイッターとインスタグラムに「撮影だけで良ければ無償で支援します」と書き込んだ。すると「ヘアメーク、着付けできます」「振り袖あります」「応援します」など、続々と賛同と支援の声が寄せられた。ツイッターで100回以上リツイートされ、ページビュー(閲覧件数)は8万件以上に上ったという。

数日でヘアメークから撮影までの全てを無償で支援できる体制が整い、ホームページや取材を受けたメディアで利用を呼び掛けたが、問い合わせはなかった。つくば市周辺では「式当日に晴れ着を着ることができない」トラブルがなかったためと見られる。

震災経験し人生一転 「辛さ分かち合い」実感

被害者に今も無償支援を呼び掛ける梶山さんには、東日本大震災の経験を経て「最悪だった日を幸運な日に変えて笑顔にできれば」との願いが込められている。

梶山さんの人生は2011年の震災で変わった。震災から1カ月後、妻の希美さん(41)のふるさと宮城県亘理町の震災ボランティアセンターが稼働するのを待って駆け付けた。命と財産、町並みを失った痛みに黙々と耐える被災地を目の当たりにして「人の役に立つ仕事をしよう」と決意。趣味の域だった写真撮影の技術を独学で磨き、14年3月東京都下水道局を退職してフォトスタジオを龍ケ崎の幹線道路沿いにオープンした。

「被害者の新成人からの連絡はなかったが、多くの人がSNSで情報を広げてくれ、河内町の美容室を始め10人の有志が支援に名乗りをあげてくれた。辛さや困りごとを分かち合うための手が皆の心にあることを実感した。フォトの領域から世の中の役に立つ活動をしていきたい」と梶山さんは前を向く。

◆フォトスタジオ「スマイルカメラ」のHPはこちら(https://www.smilecamera2525.com/
龍ケ崎市藤ケ丘1-3-6
電話080-3307-3401
月曜定休

【成人式’19】厳重警備の中 つくば、土浦で挙行

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つくば市成人式会場に集まった新成人たち=13日、つくばカピオ

【崎山勝功】つくば・土浦両市で13日、成人式が執り行われた。両市とも式典は約30分と短縮した。会場内外には警察官が多数配置された。

「これから頑張っていかなきゃ」つくば

2017年成人式で逮捕者を出したつくば市は、今年新たに会場の同市竹園、つくばカピオ前道路に車止め用バリケードを置いて道路を通行止めにし、路上に覆面パトカーや白バイを配置した。さらに会場近くの駐車場の一角を送迎車の乗降所にして車を会場に近づけないようにした。

会場前の道路が車両通行止めになり会場近くで車を降りる新成人=同

会場入り口では昨年同様、新成人たちのかばんを開けさせて手荷物検査を実施した。会場内は、昨年同様にステージ前に紅白幕をかぶせた鉄柵が設置され、鉄柵前には警備員が配置。場内各所には多数の警察官と警備員らが警戒に当たった。

式典は五十嵐立青市長のあいさつと2人組音楽グループ「森と林」の演奏などで終わった。五十嵐市長は「これから皆さんは正解のない時代を生きていく」と話し、自分の頭で考え判断していくことの大切さを訴えた。

出席した柔道日本代表の野上廉太郎さん(20)は「20歳と言うのは大人と一緒」と述べた。「友だちがつくばに多いので参加した」という石岡市出身で県立並木中等教育学校(つくば市並木)卒業の堀口花凛さん(20)=大学2年=は「昔から知っている友だちが大人になって華やかな服を着ているのを見て、大人になった気分と、これから頑張っていかなきゃという気分」と語った。

「後世に魅力引き継いでいく」土浦

謝辞を述べる新成人代表の宮本翔平さん=13日、土浦市民会館大ホール

土浦市は、同市真鍋新町の市民会館で成人式を挙行した。市民会館前広場を警察車両などで車が入らないようにしたほか、会場近くのコンビニ店などにパトカーを待機させた。

会場には1000人近くの新成人が集まったが、式典会場の大ホール内には空席が目立ち、半分近くが市民会館前広場で友人らと談笑や写真撮影をしていた。

式典で中川清市長は「土浦市の発展のために頑張っていただきたい」と述べ、新成人代表で土浦消防本部消防士の宮本翔平さん(20)が「後世にこの魅力あふれる土浦の街を引き継いでいくことが私たち新成人の使命」と謝辞を述べた。

参加した「生後3カ月の男の子がいる」という同市の主婦(20)は「最高です。大人の魅力をもっと出したい」と喜びをかみしめていた。同市の大学2年生の園田ななさん(19)は「大学を頑張って卒業する」と目標を述べた。

式典終了後、つくば市では一部の新成人が隣接する大清水公園内で仲間たちと日本酒を一気飲みしたり、土浦市では市民会館前広場に酒類を持ち込んだりする若者が見られたが、大きな混乱はなかった。

土浦市民会館前広場で自撮りをする新成人たち=同

【成人式’19】警備強化以外の方法はないのか 龍ケ崎市はトラブル回避に成功

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鉄柵で囲まれた成人式会場のつくばカピオ前=12日、つくば市竹園

【崎山勝功】つくば市と土浦市で13日、成人式が催される。「荒れる成人式」が問題になる中、両市とも警備を増強する。お祝いする場なのに警備強化以外、方法はないのか。近隣の龍ケ崎市は、市内6校の中学校を会場にする分散開催でトラブル回避に成功している。

つくば市 鉄柵張り巡らされ物々しさ

つくば市は昨年同様、受け付けで手荷物検査を実施するほか、式典会場となるつくばカピオ前(同市竹園)の道路を通行止めにする。成人式当日には制服・私服警官を含め市職員や警備員など約200人態勢で警備に当たるという。

前日の12日午後時点で、カピオと接する大清水公園に高さ1㍍前後の鉄柵が張り巡らされており、お祝いとはほど遠い物々しさだ。市生涯学習推進課は「参加者と周辺住民の安全のため警備をしっかりして、(改造車などが)近寄れないようにしたい」と話す。

同市の今年の新成人は2764人(男性1502人、女性1262人)と県内最多。成人式には約1800人の参加が見込まれるという。市内には12校の市立中学校と4校の小中一貫の市立義務教育学校がある。同課は「つくば市は中学校が多い。以前から成人の日に1カ所に集まって『みんなでお祝いする』というのが趣旨なので、分散開催という発想はない」とする。

一方、人口増加で今後以降も新成人が増えることが見込まれており、会場に参加者が収まらない可能性も視野に入れる。「(将来的には)分散開催というのもあるかもしれないが現時点では考えていない」と話す。

成人式を控え、会場のつくばカピオ前交差点に設置された「車両通行止」の看板=同

土浦市 会場外の警備強化 「今年もガードする」

土浦市民会館(同市東真鍋町)が会場の土浦市は、例年警察署と連携を取って警備を実施し、昨年は警察官を増員した。市生涯学習課は「今年も市民会館前広場に車両やバイクが入ることがないようガードする」と話し、例年以上に会場外の警備を強化して、改造車などを近づけないようにする方針だ。同課は「(昨年は)会場の外に他地域から改造車で来る人がいたが大きなトラブルにならなかった。ステージに上がる人はいない」と話す。

同市では「かなり昔に中学校ごとに(分散)開催していた時期もあった」というが、長らく1カ所で式典開催を行っている。分散開催について、同課では「話に出ることはあるけど」と導入しない方針だ。

龍ケ崎市 悪目立ち心理など弊害指摘

現在、市内6カ所の中学校で分散開催している龍ケ崎市は、1997年まで他市同様に1カ所で開催する方式だったが「新成人たちの喧騒やまとまりの無さ」などが問題となり、98年から分散開催方式に変更した。同市生涯学習課は、変更して以降「大きなトラブルは起きていない」と話す。

1カ所での集中開催について▽異なる中学校出身者との間でトラブルになる▽一部の新成人が「悪目立ちをしよう」との心理が働く―などの弊害を指摘する。

【成人式’19】「多様な任務完遂できる隊員に」 自衛隊霞ケ浦駐屯地

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答辞を述べる新成人代表の岩瀬雄二朗陸士長=土浦市右籾の陸上自衛隊霞ケ浦駐屯地

【崎山勝功】成人の日を前に、陸上自衛隊霞ケ浦駐屯地(土浦市右籾)で11日、新成人となった自衛官ら38人が出席して成人式が催された。新成人を代表して岩瀬雄二朗陸士長(20)が「多様な任務を完遂できる隊員となるよう若さと情熱を持ってまい進していく覚悟」と答辞を述べた。

新成人は、約300人の先輩隊員や保護者らを前に一人ひとり壇上に立ち「自分のできることを精一杯努力して頑張っていきたい」「今まで助けていただいた方々への感謝を胸に自衛官としてまい進します」などとそれぞれ抱負を述べた。

同駐屯地司令の權藤三千蔵陸将は「高い志を持ち続け、常に感謝の気持ちを忘れず、輝かしい明日を信じて日々精進することを祈念する」と訓示した。

緊張した様子で来賓らと会食する新成人の自衛官たち=同

式典後、新成人を囲んでの会食が行われたほか、今年からの新企画として新成人が庁舎の車寄せ屋根の上で面白いアピールをする「新成人の主張」を行った。「自分は栃木県出身なので餃子を200個食べたい」「自分には彼女がいません。誰か紹介してください」などとアピールをして、先輩隊員たちの笑いを誘った。

関口達人陸士長
石井愛美1等陸士

土浦市出身の新成人、関口達人陸士長(20)は、高校時代は音楽の専門学校への進学を目指していたが「今まで親に迷惑を掛けていたので自分でお金を稼ぎたかった」と父親と同じ自衛隊に入隊した。「(災害派遣現場などでは)自衛官としてキビキビと動きたい。一般の人を励ます存在でありたい」と語った。

千葉県出身の石井愛美(あみ)1等陸士(20)は、人を助ける仕事に憧れを抱き、東日本大震災での自衛隊の活躍をテレビで見て自衛官になった。「毎日が充実している。一つの任務を皆で成し遂げ、達成することにやりがいを感じる」と語り、「自覚と責任を持って自分の目標を達成していきたい。定年まで勤め上げたい」と成人の抱負を述べた。

土浦・亀城公園の高齢サル リョウタとスミレの「幸福論」

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スミレ㊧とリョウタの間にはすきま風が吹く=土浦市中央の亀城公園

【相澤冬樹】土浦市中央の亀城公園で飼われている2匹のニホンザルが厳寒の冬を過ごしている。オスのリョウタとメスのスミレ、つがいとは言い難い奇妙な同居生活を送っているサルで、ともに生年は不明、公園での飼育は2001年にスタートしているから18歳を超えて老境に入った。生気のないリョウタ、脱毛のひどいスミレ、見かねたひとりのお年寄りが日参して、その生活を観察中で「もう少し幸福な老後にならないものか」と手だてを探っている。

サルの観察のためだけに連日公園を訪れているのは同市大岩田の無職、坂入保男さん(73)。昨年秋、同公園を訪ねた際、サルの園舎前を通りがかり、消耗した風体にショックを受けた。「あまり幸せそうに見えない」印象が気になった。

「感情に任せて市役所に怒鳴り込んだところで何も解決しないと調べてみることにした」そうで、園舎は毎日清掃され、きちんとエサやりもされているのも分かった。園舎のサイズなど飼養状況は獣医師ら専門家から適正と診断され、脱毛に対する投薬処方も行われていた。

それでも毎日観察してみると、園舎の前で立ち止まる者はいない。公園の南側は遊具が置かれ就学前の幼児らを連れた親子の遊び場になっているが、誰も近寄ってこない。サル園舎の前身であるミニ動物園の設置目的だった「子供たちの教育の一環」の要素はどこにも見出せなかった。

周囲から隔離された空間のなか、2匹のサルの間にも冷たい時間が流れる。毛づくろいをしたり、身体を寄せ合って暖をとるようなシーンはまったく見られないのだ。「一種のコミュニケーション不全。僕が毎日見に来るようになって、心なしか人間に関心を向けるようになった気がする」(坂入さん)

同市公園街路課によれば、2匹がやってきたのは2001年のこと。石岡市の野猿公園で群れから排除されたオスのはぐれザルと、笠間市で農作物を荒らし回っていたメスザルが捕獲された。ニホンザルの習性から元の群れに戻すのは難しく殺処分もできないため、県動物指導センターの仲介で同公園が引き取ることになった。同公園では昭和30年代にミニ動物園を設置、サルやタヌキ、クジャクなどの鳥類を飼っていた施設があったためだ。

2001年当時サルは飼われていなかったが、空いていた園舎を間仕切って2匹を収容した。以来、同センターの指導や獣医師、動物愛護団体等のアドバイスを受けながら健康・飼育管理をしてきた。県の飼養許可を受ける「特定動物」扱いである。

しかし、これ以降、2匹のサルの扱いをめぐっては再三クレームが市に寄せられた。動物虐待ではないか、施設を改修すべきだなどの声。市はその都度、適正に管理している旨返答をしてきたが、2匹の高齢化で、このまま収束に向かう考えを否定しない。「健康面のチェックはしつつも、万一死亡ともなれば致し方ない。次のサルを受け入れることはない」(市公園街路課)という。

坂入さんは今のところ、アクションは起こしていない。自身のFacebookで、サルたちの「幸福論」を語っている程度。「おサルさん友の会」の名称で賛同者を集め、50人程度の規模になったが、陳情や請願までは考えていない。先進的な取り組みをしている動物園の事例などを参考に、2匹に合った飼い方の研究をしているところ。「1年間様子を見て、それでも生きているようなら、何か具体的な提案をしていきたいと思う」と語っている。

岩佐宮司が1月末で辞職へ 筑波山神社 後任は未定

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筑波山神社

【鈴木宏子】筑波山神社(つくば市筑波)で昨年、氏子総代有志らが神社本庁に、岩佐弘史宮司(55)の解任を要求していた問題=2018年10月12日付け=で、岩佐宮司が1月末日で同神社宮司を辞職する内容の辞表を出していることが10日までに分かった。後任は現時点で未定という。

この問題をめぐっては氏子総代ら23人が昨年9月、氏子など約800戸を対象に解任を求める署名活動を展開し、9割の署名を集めて、神社本庁に解任を求める要求書を提出していた。

要求書で氏子総代らは岩佐宮司に対し「地区氏子との関係を希薄化させ、総代からの意見を聞き入れず、職員に対してパワーハラスメントによる管理が横行しているなどさまざまな問題行動を起こしている」などと主張していた。

一方岩佐宮司は昨年10月時点で、氏子総代らの言い分を否定し、宮司の職を辞める意志がないことを強調していた。

その後、県神社庁で双方の意見を聞くなどの調査が行われていた。

岩佐宮司は東京出身。国学院大学大学院で神道学などを専攻。神社の専門紙を発行する「神社新報社」に入社し、神社本庁出向職として編集部記者、業務部長などを歴任した。神社本庁参事から、2013年7月、筑波山神社の権(ごん)宮司となり、15年6月、宮司に就任した。宮司として神社の借入金を完済したり、さまざまな改革を断行した。筑波山地域ジオパーク推進協議会副会長も務めている。

【あと一勝の壁】8 社会人野球で必ず壁破る

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尊敬する河原井正雄監督から気合を注入。上野さんお気に入りの一枚だ

【伊達康】新日鐵住金鹿島のセレクションを受けた際は「晴海君」にお世話になったという。社会人野球のセレクションは数社受けたが、合否の結果が出る前に河原井監督に薦めてもらった北海道ガスに決めた。

昨年4月から北海道野球連盟に加入し部員16人でスタートしたばかりの若いチームだ。12月17日には札幌で内定式を終えた。野球の戦力としてはもちろん正規の総合職として採用され、社業にも期待をかけられている。上野のほかに大学で主力級の活躍をした6人の選手が入社するそうだ。東都リーグから3人、東京六大学と千葉、神奈川、関西から1人ずつ。中には大学ジャパンに選ばれた選手もいる。このメンバーを加えて来春からの都市対抗野球予選に挑む。

卒論は「ゲルマン民族」について2万字以上をやっとの思いで書き上げた。時間のある現在は取手リトルシニアのグラウンドでトレーニングを続けながら、シニアの後輩の指導にも当たっている。

「高校でも大学でもあと1勝というところで負けてしまった。2月には北海道に引っ越す。次に関東の地を踏むのは都市対抗野球に出場するときだという覚悟で臨む。結果を残してあと1勝の壁は必ず社会人野球で破ってみせます」

上野は恐らく高校時代に日本一悔し涙を流したのではないだろうか。悲劇のヒーローのままでは終わってほしくない。この先の社会人野球で1勝の厚い壁を破ってほしいと願わずにいられない。北の大地からの吉報を心待ちにしている。

=終わり

介護者が胸の内明かせる場所に つくばの支援カフェ「茶にすっぺ」

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「茶にすっぺ」の様子。テーブルには容子さん手作りのハーブティーと、参加者が持ち寄った茶菓子や漬け物などが並ぶ=昨年12月18日、つくば市大角豆のつくば草の根はりきゅう院

【池田充雄】在宅介護者支援カフェ「茶にすっぺ」は、在宅ケアにかかわる人たちが悩みを話し合ったり、さまざまな知識や情報を共有したりできる場所だ。2018年4月から「つくば草の根はりきゅう院」の小池栄治さん、容子さん夫妻が、つくば市大角豆の同院で毎週火曜日午後1~3時に開いている。

栄治さんは治療活動を通じて、多くの人が家族の介護で大変な思いをしている現状を知り、心を痛めてきた。「先が見えない中で日々の介護に行き詰まり、悩んでいる介護者が大勢いる。そういう人たちが外へ出て、胸の内を明かせる場所が身近なところに必要だと思った」

医師や看護師が協力

在宅ケアの可能性について話す室生さん

この活動には医師の室生勝さん、看護師の方波見柳子さんも協力。医療や介護に関する参加者の幅広い相談に応じると同時に、高齢者や家族がより健康で生き生きと暮らせるような健康管理の話や、身近な暮らしの話題なども提供している。

「そのときの流れでいろんな話をとりとめなくしたり、だれかの悩みに皆で知恵を出し合ったり。気軽に集まってゆったりとした時間を過ごし、帰りはニコニコして帰ってもらえるとうれしい」と方波見さん。

室生さんはNEWSつくばでもコラム「地域包括ケア」を連載しており、この問題を早くから考えてきた一人。「介護事業者が提供するサービスにも、市の高齢者福祉計画でも、家族介護者の日常を支える支援は少ない。認知症の患者や家族のためのオレンジカフェは普及してきたが、介護でも同じような支え合いの場が必要と考えていた」

小池さん夫妻に介護者支援カフェの開催を勧めたのも室生さんだ。同院では毎月第3日曜日に農産物などのコミュニティマーケット「まめいち」を開いているため、地域に受け入れられやすいと考えた。

各地に広がり「選べるようになれば」

いま、こうした活動は各地で広がりを見せている。会場は福祉施設や公民館が一般的だが、「茶にすっぺ」のような民家の縁側的な場所も少なくないし、街中の空き店舗などを活用した例もある。地域住民のためのコミュニティスペースもあちこちで生まれており、たとえばウエルシア薬局が一部の店舗(つくば桜店、つくば豊里店ほか)に備えている「ウエルカフェ」は、介護予防や介護相談をはじめさまざまな地域貢献活動に無料で開放されている。

筑波学院大(つくば市吾妻)内のレストラン「カフェ・ド・グルマン」でも、1月24日に第1回の介護者支援カフェを開く予定だ。参加自由。

小池さんは「個性あるいろんな場所ができ、通いやすさや好みで選べるようになるといい。行けばだれかがいるという安心感のためには、とにかく続けることが大事。私たちも、これだけお金をかけずコンパクトにできるんだよという例を示し続けたい」と語っている。

▷つくば草の根はりきゅう院=http://kusanone298.com/
▷カフェ・ド・グルマン=http://gourmandtg.web.fc2.com/

【あと一勝の壁】7 神宮への憧れ 入学前に2部落ち

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4年秋の日大2回戦

【伊達康】卒業後の進路は悩んでいた。「野球以外のスポーツに関してはからきしダメで平凡な運動能力」だという。監督の母校である体育大を薦められたが、自分に適性のない体育教師になる将来像は思い描けなかった。

そんなとき青山学院大の関係者が見に来た練習試合で結果を残して「ぜひうちに」と声を掛けてくれた。当時、東都大学野球連盟1部に所属し輝かしい実績を残してきた名門である。神宮球場で投げることに憧れがあった上野は迷わず青山学院大進学を決断した。

高校野球引退後は大学野球に向けて練習に励んでいたが残念な知らせが待っていた。高校3年秋に神宮球場に観戦に行った試合で1部の最下位が確定。さらに入れ替え戦で2敗して上野の入学前に2部落ちが決まった。2部は各大学のグラウンドでリーグ戦を行うため、神宮球場で試合は行われない。

「入れ替え戦の結果を聞いて言葉がなかった。常に1部で優勝争いにからんでいた青学が僕の入学直前に2部に落ちるなんて。憧れの神宮球場で投げる自分をイメージしてモチベーションを上げていたのでショックが大きかった。さすが戦国東都とか言っている余裕はなかった」。

ベンチに入れない下級生時代 転機を迎えた4年春

青山学院大に進学し大学野球がスタートした。高校野球では名をはせた上野だが、全国から野球エリートがこぞって集う名門チームにあっては高校までのようにすぐにベンチ入りというわけにいかなかった。「思っていたとおりに厳しい世界でした。ものすごいボールを投げる人がいくらでもいて、その中で結果を出さないとベンチにすら入れない」。

下級生の頃は出場機会に恵まれず、試合に出場している同級生をうらやんだ。「自分は球威で押して三振を取るタイプではないが、一時期は速い球を投げたら試合で使ってもらえるかもしれないと思って、そういうタイプを何人か参考にして球速を追求したことがあった。でもやはり自分は緩急でボールに奥行きを出してバッターのタイミングをずらす投球術が最大の武器なので、スタイルは変えなかった」

迷いながらも自分の信念を貫いた上野は3年春のリーグ戦で初めてベンチに入ると、駒澤大1回戦でリーグ戦初登板を飾った。6対2でリードした9回に登場し結果は見事三者凡退に抑えた。この好投を機にチャンスが与えられ、翌日の2回戦は3回からロングリリーフを任された。5失点で敗れはしたが延長10回までの8イニングを投げ抜いた。「10回表に2点勝ち越されて結果的に負けてしまったが、練習試合でも短いイニングしか登板機会がなくて、自分でもまさかあそこまで長いイニングを投げられるとは思っていなかったので貴重な経験になった」。

4年になると転機が訪れた。監督に復帰した河原井正雄氏が上野の緩急を武器とするピッチングスタイルを評価してくれた。4年春には5試合に登板。さらに秋には13試合のうち7試合でセットアッパーとして起用され着実に結果を残した。チームは幸先よく2つの勝ち点をとったが、リーグ戦終盤に連続で3回戦を落として3位に終わり、在学中の1部昇格はかなわなかった。

=続く

フラワーアレンジメントで記憶力向上! 農研機構と県立医療大が訓練手法開発

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キットを使って作成したフラワーアレンジメント

【田中めぐみ】農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構、つくば市観音台)と県立医療大学(阿見町)が、フラワーアレンジメントを作成する作業を通して認知機能改善の訓練を行うプログラムを開発した。臨床研究では、脳に損傷を負った人を対象にフラワーアレンジメント作成プログラムを行った結果、記憶力の改善が見られたという。今後、医療、福祉施設などでリハビリへの活用を促進していく考えだ。作成用のキットが考案され、生花店やインターネットで購入できる。

誰でも簡単に作成

印の付いた吸水スポンジ

作成プログラムでは、〇、△、◇の印の付いた吸水スポンジを用い、印に葉、大きな花、小さな花の順に花材を挿していくことで、パズルを組み立てるようにフラワーアレンジメントを作成する。

フラワーアレンジメントは健常者でも難しいが、キットを使えば誰でも簡単に丸型のをつくることができる。印付きのスポンジ資材や手順書、花材を含む作成キットは、つくば市千現の生花店プアラニ(塚田祐一代表)で購入できるほか、全国の生花店、インターネットでも購入が可能だ。キットは特許を取得している。

リハビリに効果期待

臨床研究では、不慮の事故や脳卒中などの病気で脳が損傷し、記憶や注意、言語などに障害のある高次脳機能障害者27人を対象とした。フラワーアレンジメント作成プログラムに参加した群と参加していない群とに分け、図形の記憶力テストを行ったところ、プログラムに参加した患者群に記憶力の改善が認められたという。効果は3カ月持続した。また左半側空間無視という症状=メモ=のある患者に対しても注意機能の改善が見られた。

さらに、患者の家族を対象に神経症の諸症状の程度を調べる質問を実施した。質問はGHQ(一般精神健康質問紙)によるもので「夜中に目を覚ますことは」、「いつもよりいろいろなことを重荷に感じたことは」といった内容の28項目をチェックしたところ、生花を家に飾ることで患者の家族の神経症状が軽減されることが分かったという。

農研機構の望月寛子上級研究員は「今後、高齢者やアルツハイマー型認知症の方のプログラムも開発していきたい。一人一人の症状に合った方法を模索していければ」と話す。

※メモ
【左半側空間無視】右側の脳が損傷を受けることで左側の刺激を無視してしまう症状。見えているが注意が向かない

生花店 プアラニ
住所▽ つくば市千現1-23-28
電話▽029-856-7788  FAX▽029-856-7790
営業時間▽午前10時~午後8:00
販売しているキット▽大小2種類の花と葉、印の付いた給水スポンジ、器、ラッピング紙、手順書で1セット。吸水スポンジの印が少ないMサイズと多いLサイズがあり、価格は2000円から。

フラワーアレンジメントキットを医療機関などに販売している生花店プアラニ(つくば市千現)。店内でキットの説明をする塚田代表

【あと一勝の壁】6 配球パターンを丸裸 4度目のチャンス

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決勝後ベンチ前で泣き崩れる霞ケ浦ナイン

【伊達康】いよいよ甲子園へのラストチャンスとなる夏の大会を迎えた。春の決勝で敗れた霞ケ浦は第2シードとなったが、このゾーンには打力の高い有力校が並んだ。

初戦の下妻二は上野と綾部翔(横浜DeNAベイスターズ。取手シニア出身)の継投により6回コールドで下した。3回戦のつくば国際大は好投手・福田海人の前に打線が沈黙し5回まで1対1。6回から上野が登板したが連打で逆転を許す苦しい展開となった。直後に一死満塁から1年生・根本薫(オリックス・バファローズ。取手シニア出身)のライトフェンス直撃スリーベースで逆転したが、最終回はホームスチールで1点差まで迫られる大苦戦を強いられ上野を温存できる展開とはいかなかった。

フルイニングの接戦続き

4回戦の水戸商には上野が8回まで7安打1失点。最終回は安高に継投したが、強打を誇る水戸商打線の前に早い回からの継投策は打てなかった。準々決勝は明秀学園日立と鹿島学園を1点差で退けて粘り強く勝ち抜いてきた石岡一だったが4対0と上野が完封した。

準決勝の取手松陽はノーシードながら勝ち上がった勢いのあるチームだった。上位に強打者が居並び一瞬の隙も見せられない。ここでも頼みの上野が完投で3対1の接戦をものにした。準決勝を終えて打撃陣が5試合で打率.289と調子が上がらず初戦以外はコールドゲームに持ち込めなかった。フルイニングの接戦続きで上野の投球イニングは34回2/3にのぼっていた。1年秋から5季連続で決勝の相手だった常総学院は準決勝で敗れ2強の牙城は崩れた。いよいよ甲子園まであと1勝。相手は藤代。甲子園への4度目の、そして最後のチャンスだった。

「決勝を迎えてアドレナリンが出ていたからか疲れは感じず、いつもどおりの調子だと思っていた。でもブルペンに入るとボールが思うようにいかなくて。マウンドでも身体がコントロールできなかった」。球威も制球も本来の出来とは程遠く、1回表に藤代打線につかまった。ヒットと四球で一死一、二塁から、4番・根本文弥にライト前タイムリーを浴びて1点を失った。続く5番・小林慧太には初球のチェンジアップを狙い撃たれ2点目を失った。さらに押し出しで3点目を献上した後、死球で満塁から竹内悠に2点タイムリーを浴びて一挙に5点を失った。

「秋の県大会では準々決勝で藤代に完封でコールド勝ちした。後日、藤代に進んだ取手シニアの同期から聞いたのですが、藤代の菊地一郎監督は秋以降、夏までほぼ毎日ミーティングで『茨城は上野を打てないと優勝できない』と言い続けて、打倒・上野を執念深く植え付けていたそう。夏の期間中も霞ケ浦の映像を見て研究していたと」

「すると大会中に霞ケ浦の配球パターンが分かってしまったんですって。2年夏までは濱部さん(駿稀。駒澤大中退―滋賀ユナイテッドBC)が配球のサインを出していたんですが、最上学年になってからは捕手が固定されなくてベンチが出していた。2点目のタイムリーを打った小林君には『初球チェンジアップが来るから絶対に振れ』とベンチが指示していたらしく、初球のチェンジアップを見事にレフト線に弾き返されてしまった。配球パターンを丸裸にされて、コントロールが利かないのとどこに投げても打たれるのとであれよあれよという間に5点取られていた」。

その後も3点を奪われ上野は5回途中で無念の降板となった。霞ケ浦は7回に2点を返したが及ばず、藤代が12対3で霞ケ浦を下して3年ぶり3度目の優勝を飾った。

甲子園への4度目のチャンスにもあと1勝の厚い壁が立ちはだかり、遂に憧れの舞台にたどり着くことなく高校野球を引退することとなった。

=続く

土浦労働総合庁舎 15日、宍塚にオープン

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15日オープンする土浦労働総合庁舎=土浦市宍塚

【鈴木宏子】土浦労働基準監督署(同市中央2丁目)とハローワーク土浦(土浦公共職業安定所、同市真鍋1丁目)が移転し、15日、同市宍塚にオープンする土浦労働総合庁舎で業務を開始する。

新庁舎は鉄筋コンクリート造り、延べ床面積約3600平方㍍で、1~2階がハローワーク、3階が共同会議室、4階が労働基準監督署などになるという。移転前の二つの庁舎を合わせた延べ床面積より3.3倍広くなる。

雨水をトイレの洗浄水や屋上緑地の散水に再利用したり、太陽光発電設備を設置するなど環境にやさしい造りとなる。庁舎の外観デザインは、1929年、霞ケ浦飛行場に着陸したドイツの巨大飛行船ツェッペリン号をモチーフにしたという。敷地面積は約4600平方㍍で71台分の駐車場スペースを設ける。

現在の土浦労基署は1972年に、ハローワーク土浦は76年に建築された。老朽化し手狭になっていたことから、移転し合同庁舎として新築する準備が進められてきた。特にハローワークは混雑緩和が期待されている。

移転をめぐっては当初、同市滝田地区が候補地に挙がっていたが地元の理解が得られず断念した経緯がある。その後、宍塚大池周辺地区の業務核都市構想に基づいて市が先行取得していた用地などを、2014年に国が購入し、16年に着工、このほど完成した。

移転後の跡地は、労基署(約2100平方㍍)、ハローワーク(敷地面積約900平方㍍)とも2020年3月までに解体するという。その後の利活用について財務省水戸財務事務所は、一般的な手順として、公共的利用がないか確認した上で、なければ入札を実施し民間に売却することになるとしている。

◆移転先の住所は同市宍塚1838。移転後の電話番号は土浦労働基準監督署(電話029-821-5127)、ハローワーク土浦(電話029-822-5124)いずれも変更はない。バスでの行き方は、土浦駅西口とつくばセンターから関東鉄道バスが運行し、新設されたバス停「土浦監督署・ハローワーク入り口」で下車する。土浦駅西口からは「つくばセンター」方面行きバスで約10分、つくばセンターからは「土浦駅西口」行きバスで約15分、バス停から徒歩5~6分。

【あと一勝の壁】5 3度目のチャンス 力投報われず

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3年春季関東大会で横浜をコールドで下した

【伊達康】失意の敗戦から数日後、監督から「上野に甲子園に連れて行ってもらうぞ」と冗談とも本気ともつかない檄(げき)を受けて、最上学年となった上野はキャプテンに指名された。やがてその言葉を体現し、2年秋に甲子園への3度目のチャンスを迎えることになった。

上野は地区予選から県大会決勝までの全6試合で先発し、県大会2回戦から決勝までは4試合全てを完投した。決勝は宿敵・常総学院と延長15回で決着が付かずに完投。大会を通じての投球回数は驚異の55イニングに及び投球数は900球を超えた。翌日の再試合は安高颯希(桜美林大3年)が1失点に抑える快投を演じて霞ケ浦が春以来の優勝を遂げた。

秋季関東大会は開催県には3校、開催県以外の6県には2校の出場枠があり全部で15校が出場する。通常は2回勝たなければセンバツ当確ラインの準決勝に進めないが、開催県の1位校だけは1回戦を免除され準々決勝から出場する特典(スーパーシード)が与えられる。つまり、開催県の1位校は1回勝てばセンバツ当確という訳だ。この年の秋季関東大会は茨城開催だったため、茨城1位の霞ケ浦がスーパーシードを獲得した。

1回戦を終え準々決勝の相手は桐生第一に決まった。先発はこの試合も上野だ。霞ケ浦は2回裏に先制を許したが、4回表に相手のエラーで同点に追い付いた。その後、1対1の膠着状態のまま9回裏に突入。二死二塁から打ちとった当たりが痛恨のサヨナラ打となった。霞ケ浦打線は散発5安打と沈黙。上野の力投が報われず甲子園への3度目のチャンスもあと1勝の壁に阻まれた。「最後は際どいところに打たれた自分が悪い。県大会決勝の後は1週間ボールを握らずにノースローで調整した。痛みはなかったが、県大会の疲労は抜け切ってなかった」

投手陣の底上げへ 上野に頼らない春

一冬を越えて3年春の県大会。霞ケ浦の投手起用方針は秋から一転した。「春先の練習試合で調子が上がらず東海大相模にめった打ちを食らったというのもあるが、大会前に監督からは『関東大会がかかった準決勝だけ完投で行くぞ』と言われていた」。1人でも多く夏の大会で投げられるめどが立つように、上野以外の投手の経験値を上げる方針で大会に臨んだ。霞ケ浦はその思惑どおりに安高颯希を中心に、秋は出番のなかった岩田直也や浅賀蒼太の継投で勝ち上がり、準決勝の土浦湖北戦は上野が2失点完投で春季関東大会行きを決めた。さらに常総学院との決勝では1年生の飯村将太(桜美林大2年)と根本将汰(桜美林大2年)にも登板機会を与えた。決勝では敗れたものの、上野一人に頼ることなく勝ち上がる中で投手陣に経験を積ませることに成功した。

横浜を撃破 夏に向け自信

神奈川開催の春季関東大会では淺間大基(日本ハム)と髙濱祐仁(同)を擁する神奈川1位の横浜と対戦した。場所は神奈川高校野球の聖地「横浜スタジアム」だ。完全なるアウェーの中、県大会の疲労が全くない上野は横浜打線を相手に5安打2失点に抑える粘投を見せた。打線は6回まで1安打に抑えられていたが11個の四球と相手投手の制球難に乗じて長短打を絡め、7回表に一挙7点を挙げ7回コールド勝ちを収めた。横浜のコールド負けは1970年春以来44年ぶりのことであった。1年秋の東海大相模に続いて横浜を下す大金星。投打ががっちりかみ合っての勝利は夏に向けて自信となった。

=続く

【あと一勝の壁】4 サヨナラホームラン 阻まれた2度目のチャンス

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3年夏の3回戦(つくば国際)

【伊達康】2年夏には2度目の甲子園へのチャンスを迎えた。初戦の鉾田一に1点差で辛勝したが、その後は順当に勝ち上がり、3季連続で霞ケ浦と常総学院という決勝のカードとなった。霞ケ浦の先発は2年生の上野だ。対する常総学院の先発はエース右腕の飯田晴海となり、茎崎ファイターズのOB同士で投げ合うこととなった。

「これまでも常総と対戦していたが僕が投げている時は別のピッチャーが投げていたので直接対決はなかった。小学生時代に雲の上の存在だと思っていた晴海君と夏の決勝の舞台で投げ合えるとは、自分はなんて幸せなんだろうと。でも甲子園に行くために負けてたまるかと初回から飛ばしていった」。

上野はその言葉どおり4回二死まで3安打無失点と圧巻の投球で強打の常総学院打線を翻弄(ほんろう)し、2番手の市毛孝宗(星槎道都大―きらやか銀行)にマウンドを託した。霞ケ浦は初回に菅原直輝のタイムリーで先制し8回表にも田村祐一のタイムリーでリードを2点と広げた。

しかし、8回裏に常総学院が連続タイムリーで同点とし試合は振り出しに戻る。霞ケ浦は3番手に片野凌斗を投入した。同点の9回裏、常総学院は先頭から2者連続で凡退したが、3番の進藤逸(國學院大4年)がレフト前ヒットで出塁し4番の内田靖人(楽天イーグルス)につないだ。ファウルを打たれてカウント2ボール1ストライクから一度タイムを取って攻め方を確認する霞ケ浦バッテリー。しかし次に投じた外角高めの甘いボールを内田は見逃さず、打球は右中間スタンド上段に吸い込まれた。劇的なサヨナラ2ランホームランで幕切れとなり、甲子園への2度目のチャンスはあと1勝のところでついえた。

「1年夏の頃から2年生主体のチームで、この学年と1年半ずっと一緒に野球をやってきた。寮でも仲が良くていっぱいかわいがってもらって。大好きな先輩たちと甲子園に行くぞとこの試合にかける思いが強かった。負けてしまって申し訳ないという気持ちが強い分、2年の夏の敗戦が僕の高校野球生活の中で一番悔しかった」

=続く

【あと一勝の壁】3 高校1年夏 鮮烈デビュー

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2年夏

【伊達康】高校は県外の強豪校に行きたい気持ちもあったが、親の薦めもあって地元に残り父親の母校でもある私立霞ケ浦高校に進学した。中学までは常に叱られながら野球に取り組んできた上野だが高校では環境が一変した。監督は上野の全てを受け入れてくれたのだ。

「1年からすぐに試合で使っていただいたので気を遣ってもらっていたのかなという部分はありますね。好きにやらせてもらった。だからといって練習を手抜きした訳ではありません」。否定されることも叱られることもない分、自主性と自立心が要求された。

迎えた1年夏、2回戦の境戦で2番手として公式戦デビューを果たすと、3回戦の第7シード土浦湖北戦では先発を任され9回まで1失点。後を受けた片野凌斗(東京経済大―筑波銀行)が無失点でしのぎ延長15回の激闘を制した。3年生がベンチに4人しか入っていない2年生中心のチームはノーシードながら準々決勝まで勝ち進んだ。

インパクト残した1度目のチャンス 2強時代へ

甲子園への1度目のチャンスは1年秋に訪れた。霞ケ浦は県大会決勝で常総学院に0対7で敗れ茨城2位となり関東大会に進出。初戦は神奈川1位で大会優勝候補の東海大相模となった。誰もが東海大相模には勝てないだろうと予想していたカードであったが、なんと上野が完投して5対3で大金星を挙げた。あと一つ勝てば甲子園に手が届く。しかし続く準々決勝で宇都宮商に4対5と逆転負けを喫した。センバツ甲子園出場はかなわなかったが、東海大相模を倒したインパクトは大きく、1年サウスポー上野拓真の知名度は一気に上がった。

2年春には県決勝で常総学院に3対2で競り勝って念願だった夏の第1シードを獲得した。この頃から高校野球ファンの間で霞ケ浦と常総学院を称して「2強」と呼ばれるようになった。それだけ2校の力が抜きん出ていた。

=続く

【あと一勝の壁】2 心も体も成長 叱られ続けた中学時代

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中2秋のシニア関東大会決勝

【伊達康】中学では学校の軟式野球部ではなく硬式クラブチームを選択。茎崎ファイターズでバッテリーを組んだ石川竜聖(竜ケ崎一)と一緒にまだ創設されたばかりの取手リトルシニアに3期生として入団した。ただ、自宅から練習場までは車で抜け道を通っても30分以上かかった。「駅まで遠くて自力で通うことができないので、毎日の送迎では親に大変な苦労をかけた。石川の親と交代で送迎してもらってお互いの負担を減らして。そうでもしなかったらとても続けられなかった」

取手リトルシニアに入ってからも叱られながら野球に取り組む日々だった。「小学生の時も毎日叱られたが、シニアではその比にならないくらい叱られた。もう何をやっても叱られる感じ。言われ続けてようやく気付いてできるようになることってありますよね」

「よく『叱られて伸びるタイプはタフなだけ。褒められればもっと伸びていた』という人がいますが、僕の場合は叱られなければ伸びなかった。叱られて自分ができないことが身に染みて分かる。だから悔しくてさらに自ら練習するから伸びるのではないか。もし褒められていたとしたら調子に乗って自分から練習していない。言い続ける指導者も大変だったと思いますよ。本当に毎日罵声ですもん(笑)。でもそのおかげで人間的にも野球に取り組む姿勢も成長できた。シニアで僕の人間としての礎を作ってもらった」

同期は30人。仲間と切磋琢磨(せっさたくま)しながら、指導者に励まされながらの取り組みは大いに結実した。のちに高校3年夏の決勝で甲子園をかけて対決することになる根本文弥(藤代―東洋大4年)が4番打者。その後高校まで同じ釜の飯を食べた菅原直輝(霞ケ浦―白鴎大4年)がショート。今や東京6大学のスター選手で今年のドラフト候補でもある柳町達(慶應義塾高―慶應義塾大3年)が1学年下ながらもレギュラーと、そうそうたるメンバーを擁して3年の全国選抜大会で初優勝を果たした。もちろんエースは上野である。「その年のジャイアンツカップ(中学硬式クラブナンバーワンを決める大会)にも出場できたんですよ。取手リトルシニアの11年の歴史において、ジャイアンツカップに出場できたのは唯一、僕らの代だけなのでちょっとした自慢です」と表情を緩ませる。

=続く

【あと一勝の壁】1 日本一の悔し涙 胸中に迫る

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上野拓真さん

【伊達康】4年前、茨城の高校野球で話題を席巻した小さな大エースがいた。身長166㌢と小柄ながら、私立霞ケ浦高校で1年夏から主戦投手として活躍し、1年秋から3年夏まで6季連続で県大会決勝に進出。秋と春の関東大会では全国区の強豪・東海大相模と横浜に完投勝利を収め、2年春と2年秋の2度、県大会優勝と、投手として一時代を築いた上野拓真(22)さんだ。

投手としての実力が圧倒的に抜きん出る一方で、彼のもう一つのドラマにも注目が集まった。秋の関東大会準々決勝と夏の茨城大会決勝で合計4度甲子園に王手をかけたが全て敗退。大一番で先発を4度経験しながらもあと1勝の厚い壁が立ちはだかって甲子園への切符をつかむことなく高校野球を引退した。

その後は神宮球場での登板を夢見て東都大学野球リーグの青山学院大に進学。3年春には念願のリーグ戦デビューを果たし4年秋には7試合に登板した。大学野球を経て今春からは社会人野球「北海道ガス」に所属し都市対抗野球出場を目指すという。新たな高みを目指す上野さんの胸中に迫った。

全国大会で3位 小学生時代

野球を始めたのは小学2年。通っていたつくば市立茎崎第一小を本拠地とする茎崎ファイターズに入団した。全国大会常連の名門チームであるだけに練習が厳しく、「野球の技術も精神的にも未熟だった」という上野は、毎日叱られながらもめげることなく練習に取り組み3年からピッチャーを任された。1学年上には、のちに高校2年夏の決勝で先発として投げ合うことになる飯田晴海(常総学院―東洋大―新日鉄住金鹿島)がおり、「当時からすごくて憧れの存在」だったという。4年からは全日本学童軟式野球大会(マクドナルド・トーナメント)に3年連続で出場し逸材ぞろいの茎崎ファイターズは県内で無敵を誇った。さらに6年の時はエースとして同大会の全4試合で完投し3位になった。

=続く

「よいお正月を」 高齢者におせち届ける 土浦市社協

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おせち料理を受け取る高齢者(右)=土浦市内

【谷島英里子】お正月を前に、土浦市社会福祉協議会のボランティアが28日、手作りのおせちを作り、市内の一人暮らしの高齢者154世帯に届けた。今年で23回目を迎える年末の恒例行事で、高齢者の安否確認や触れ合いを兼ねている。

料理を盛り付けるボランティアたち=土浦市大和町の市総合福祉会館

料理は宅配や会食の食事サービスを行うボランティア38人が、午前8時30分から同市大和町の市総合福祉会館で作った。大鍋で紅白なますと筑前煮の2品を作り、容器にていねいに盛り付けたあと、昆布巻き、だて巻き、栗きんとん、紅白かまぼこを詰めておせちセットに仕上げた。そして市内の小中学生や六中地区公民館の折り紙同好会がデザインした包装紙で包んだ。包装紙にはイノシシの絵や縁起の良い正月言葉が添えられ、新年を祝う気持ちが込められた。

その後、ボランティアたちが高齢者宅を訪問し、「体に気をつけて良いお年を迎えてください」と手渡した。毎年、おせち料理の配布を心待ちにしている山本忠さん(81)は「とてもうれしい。楽しみながら少しずつ食べたい。来年も体を大切にしていきたいですね」と話していた。

この配布は1世帯400円で、2018年度地域歳末たすけあい募金(12月1日~31日)の一部を活用しているという。

小3男子を平手打ち 元児童館長を停職処分 つくば市

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つくば市役所

【鈴木宏子】口答えをした小学3年生の男子児童の頬を平手打ちしたなどとして、つくば市は27日、当時児童館長だった男性職員(50)=現こども部こども育成課課長補佐=を停職1カ月の懲戒処分にしたと発表した。

元館長は、今年5月31日午後4時ごろ、外でおにごっこをしていた児童から、仲間外れにされたという訴えを受け、グループを庭に集めて注意した。そのうちの1人が口答えをしたことから左頬を平手打ちした。男子児童のほおは赤くなったが、けがはなかったという。当時、児童館は117人の利用があり、ごった返していたという。

保護者から訴えがあり、元館長の暴力行為が発覚した。元館長は昨年4月に赴任した。訴えを受けた後、本庁勤務に異動になったという。

一方その後の調べで元館長は、昨年7月から12月までに男女の児童に対し、平手打ちをした、胸ぐらをつかんだ、部屋に閉じ込めたなど計5件の不適切な行為をしていたことが分かり、公務員にふさわしくない行為があったとして処分に至ったという。

併せて管理監督責任があったとして、17年度と18年度のこども部長、同次長などを訓告処分にした。

五十嵐立青市長は「児童への暴力という非違行為により、児童、保護者、市民の信頼を裏切り、多大なる御迷惑をお掛けしたことを深くお詫びし、信頼を回復できるよう取り組んでいきます」などとするコメントを発表した。

Jリーグへ5選手 筑波大蹴球部 

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会見で笑顔でポーズをとる4選手(左から鈴木大誠選手、会津雄生選手、西澤健太選手、鈴木徳真選手)=つくば市天王台の筑波大学

【池田充雄】つくば市天王台の筑波大学で26日、同大蹴球部から来季Jリーグのクラブへ進む各選手の合同記者会見が開かれた。内定が決まった5人のうち、インフルエンザで欠席した小笠原佳祐選手を除く4人が、プロサッカー選手としての目標や意気込みなどを語った。

卓越したテクニックでトップ下を務めた西澤健太選手は、ジュニアユースとユースの6年間を過ごした清水エスパルス(J1)でプロデビューが決まった。下部組織から大学経由でトップチームに入るのは、同クラブでは初めての例だそうだ。入団コメントでは「大学を経たからこそできることがあるという姿を、後輩たちに示すのが自分の役割だと思っている」と語っている。

精度の高いキックが武器の西澤選手。「運動量の部分が課題なので、鍛えてステップアップしたい」=全日本大学選手権準々決勝(12月17日、柏の葉公園総合競技場)より

センターバックの鈴木大誠選手とボランチの鈴木徳真選手は共にJ2の徳島ヴォルティスに内定。大学の同期で同じプロチームに進む希有な例だ。高校では徳真選手が前橋育英、大誠選手が星稜の主将同士で選手権の決勝を戦った仲でもある。「進路について相談したことはなく、それぞれにベストの選択をした結果。だが人生に大事な刺激を与えてくれる仲間であり、安心感や心の支えにもなっていると思う」(大誠選手)と互いを認め合う。

鈴木大誠選手は「ゴールを守るため大事な場所、必要な場所にいられることが自分の一番の長所」という(左)、鈴木徳真選手はフィジカルの弱さを克服するとともに、長所であるゲームメークのうまさを磨いてきた=同

FC岐阜(J2)へ進むのは、左右のサイドバックおよびサイドハーフもこなすユーティリティープレーヤーの会津雄生選手。「クラブではどこでも求められるポジションで、自分なりのいいプレーをしていきたい」と話す。運動量が豊富でボール扱いにも長けるテクニカルな選手であり、岐阜はしっかりとボールを保持し、ショートパスをつなぎながらプレーを組み立てていくスタイルなので、相性の良さを感じているという。

会津選手は柏レイソルU-18出身。「日立台でクラブやサポーターの皆さんに成長した姿を見せたい」と話す=同

来季J3で戦うロアッソ熊本に内定したのが小笠原佳祐選手。全日本大学選抜の経験もあるDFだが、今季は主将としてチームの得点力不足に悩み、自らFWへのポジション変更を願い出た。「東福岡高校ではFWとしても活躍したが、4年のいまそれをやることで、DFとしての評価は下がるかもしれない。それでもチームが勝つためと決断し、実際に点も決めてくれた。感謝しかない」と小井土正亮監督。なお、熊本ではDFとして獲得されている。

DFとしての小笠原選手は足元の技術や集中力、クレバーさなどが評価されている=同

小井土監督は各選手について「自分の強みや弱みを知り、上へ行くために何が足りないかを考えて努力してきた選手ばかり。考え方も一人一人違い、すり合わせるのにひと苦労だが、方向性が合ったときは大きな力を発揮してきた。プロの世界でも周りとぶつかりながら、成長を続けていってほしい」と期待を語った。