月曜日, 4月 21, 2025
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1年後の私へ、生き延びていますか?《電動車いすから見た景色》59

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イラストは筆者

【コラム・川端舞】2025年10月の私は、ちゃんと生きていますか? つくばを離れ、群馬に引っ越して、半年たった頃だと思います。少しは新しい生活に慣れてきましたか?

2024年10月、今の私は自分を押し殺して、何とか生き延びています。曲がりなりにもライターである私が、自分の思いを素直に書けないのは、想像したより辛いことでした。未来の自分になら少しは本音を書けると思い、手紙を書きます。私にとって、言葉を綴(つづ)ることは生き延びるための処世術だから。

言うまでもなく、障害者は社会から生きづらさを押しつけられる存在です。この社会は障害者の存在を前提にしておらず、障害者のことはあくまで例外としか考えていないから。そんな中、車椅子でそのまま室内まで入れるアパートを群馬で見つけられたのは奇跡だと思います。健常者なら、アパートの室内に入れるかどうか、心配することさえないのでしょうが。本当に羨(うらや)ましいです。

社会から常に爪弾(はじ)きにされてきた障害者なのだから、同じように社会から差別されてきた女性や性的少数者たちの立場も理解できるのでは。今から1年前の私はそう信じていました。しかし、それは幻想なのかもしれません。障害者団体の中にも女性や性的少数者に対する差別が歴然とあることを、この1年で私は痛感しました。

当然ながら、障害者団体の中にも女性や性的少数者はいるはずなのに、彼ら・彼女らの声は軽視されがちであることに、私は気づいてしまいました。「そんなことはない。それは、あなたが対話をしなかったからだ」と、私を責める人もいるでしょうが、この1年、私がどれほどもがき苦しんだか、未来の自分なら分かってくれますよね?

もう少し上手な対話の方法があったのかもしれませんが、私にはあれが限界でした。私は負けたのです。

来月でこのコラムも最終回

私は来年、15年暮らしたつくばを離れ、故郷の群馬に引っ越そうと思っています。群馬には、以前から関わりのある性的少数者の支援団体もあるので、その団体とも繋(つな)がりながら、障害者と性的少数者の連帯を模索するつもりです。

このコラムも、次回で終わりにしようと思います。ちょうど60回、丸5年で幕を下ろすことになります。私の拙い文章を毎月読んでくださった方がいるのなら、ライター冥利(みょうり)に尽きますね。最終回のコラム、私は何を書くのでしょうか。それでは、お元気で。誰かの評価を得るために、無理に頑張らないでください。

あなたの悪い癖です。そんなことより、自分で自分を認められるような生き方をしてください。(障害当事者)

棄却も「市政の信頼大きく損ねた」 つくば市監査委員 生活保護行政の不適正事務

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つくば市役所

生活保護行政をめぐって、つくば市で不適正な事務処理が相次いでいる問題で、元市議の塚本武志さんが市監査委員(高橋博之委員ら)に出した住民監査請求(9月7日付)の結果がこのほど出された。生活保護費の過払いや過支給は「違法・不当な公金の支出に当たる」と認定しながら、「市の損害が確定していない」などとして請求を棄却とした。一方で「市民の市政に対する信頼を大きく損ねた」とし、「不適正な事務を一掃するという覚悟を持って今後の業務に取り組む」よう求める意見を付けた。

監査請求は7月に出された。生活保護費の過払いや過支給によって市に生じる計約3842万円の損害額について、市長や歴代管理職が同額を市に返還するよう求めていた。9月には、昨年まで生活保護業務を担当していた現役の市男性職員が請求者代理人として異例の陳述を行い「不適正事務の原因は、市が発表しているような管理職の認識不足などではなく、ずさんな債権管理と、誤った支給が発覚するのを恐れた管理職の故意、重過失が原因だ」などと告発していた。

監査結果は9月27日付で出された。各誤支給に対しては、市が現在、生活保護受給者に対し返還を進めており、市の損害額はまだ確定しておらず「対象職員に対する損害賠償請求権は成立していない」などとした。さらに、市の損害が生じた場合、市は対象職員の損害賠償も検討すると主張しているので、市の損害が確定した後、職員の損害賠償責任を判断すべきだとした。

その上で再発防止策の検討として、統一的な手順で正確な業務遂行ができるよう事務処理マニュアルを整備し、制度の理解を深めるため、職員を外部機関への研修に積極的に参加させるなどを求めた。

監査結果に対し請求人の塚本さんは「残念な結果。損害額が確定してないと言っているが、確定している額もある。でたらめな福祉行政だったことを示しており、きちんとやってほしい」と話し、今後、住民訴訟の訴えを起こすか否かについては「関係者と協議したい」とした。請求代理人として陳述した市職員は「(結果については)残念。時効確定分の4分の1は市の損害額として確定しているので、もう少し踏み込んで議論していただきたかった」とする一方、監査委員が付けた意見について「あまり例を見ないものでしょうし、職員の責任について言及した点については一定の評価をしている」とした。

一方、五十嵐立青市長は11日の市長定例会見で「真摯(しんし)に受け止めたいと思っている、調査を進めながら速やかに改善を進めたい」とする一方、今後の調査のスケジュールについては明らかにしなかった。(鈴木宏子)

インドレストラン・ニューミラ《ご飯は世界を救う》64

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イラストは筆者

【コラム・川浪せつ子】インドレストラン・ニューミラー(つくば市天久保)は、東大通沿いにある筑波実験植物園のお隣。市内でインドの方が経営しているお店の中では老舗中の老舗。つくば市内、その周辺地域は、インド料理屋さんが多めです。

インドカレー初体験は、洞峰公園付近を散歩していて見つけたお店。カレーもおいしかったけれど、ナンの大きさとお代わりできちゃう、太っ腹精神。それから病み付きになり、本場のカレーを求めていろいろなお店を訪ねました。

インドネパール料理・マヤデビ

インドネパール料理・マヤデビ(つくば市竹園)もかなりの老舗店。スーパー近くで便利です。マヤデビとは、お釈迦(しゃか)様のお母様、マヤ夫人にちなんだ名前だそうです。店内テレビではインドの映画や風景を映していて、これも楽しいです。

ひよこ豆などの食材も大好き

実は、私は辛いのが苦手。インドのカレーは激辛もあるけれど甘口もあって、本当にうれしい。辛くなくてもカレー? カレーは元々、スパイシーに重点があるのです。南インドの方と3年間ほどお付き合いしたとき、各種スパイスを見せてもらい、カレー以外のお料理もたくさん食べさせてもらいました。

また、インドカレー屋さんでのお気に入りは、ひよこ豆などインドの食材を販売していることです。ひよこ豆は、ヒヨコのように鳥のくちばしのような突起がでて可愛いです。一度にたくさんゆでて、小分けにして冷凍。良質な植物性たんぱく質が豊富に含まれているので、料理のトッピングに最高です。(イラストレーター)

保健師の真木みゆきさん 移動式救護所を開始 つくば

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移動式救護所をイベント参加者に説明する真木さん(左)

つくば市在住の保健師、真木みゆきさん(48)が「移動式救護所」の事業を開始した。自前で購入したキャンピングカーを救護室に改造し、移動先で簡易な救護やカウンセリングを行う。車内にはソファ、ベッドなどが用意してあり、イベント会場などで、救護室、授乳室、休憩室、保育室としての利用が可能だ。

野外イベントなどでの需要を見込んでいる。スポーツイベントなどでけがや熱中症などの応急処置をしたり、カウンセリング、健康相談、健康測定、健康講話、ダイエット支援など、身近な健康相談にも対応する。

同市学園南、研究学園駅前公園で12日開催された、市商工会青年部主催のイベント「GO!GO!フェスタつくば」で初めてお披露目された。当日、応急処置を求める人はいなかったが、健康相談などを実施し、体組成計体重計で体脂肪率を測定したり、カメラで笑顔チェックなどをした。「いてもらうと安心感が得られる」という評判が聞かれた。

ソファやベッドなどが用意された移動式救護所の室内

真木さんは愛媛県生まれ。阿見町の県立医療大学で学び、看護師と保健師の資格を得た。卒業後つくば市役所に就職し、24年間、保健センターに勤務したり、感染症対策、介護予防などの仕事に携わった。昨年、市職員を退職し国立環境研究所に1年勤務した。人の役に立ちたいと、保健師として今年5月に独立。市商工会にも加入し、個人事業者として新しいステージに立った。

資格も保健師と看護師のほか、第一衛生管理者、健康経営アドバイザー、肝炎医療アドバイザー、食品衛生責任者などの多くを持っている。現在、従業員の健康管理を支援する産業保健師として3つの企業と契約している。

真木さんは「イベントなどに移動式救護所があると、乳幼児やお年寄りと一緒に出掛けようと思う方も、一人で出掛けようと思う方も、安心して行ってみようかなと思えるイベントになると思う。楽しいお出掛けのはずが、想定外のアクシデントで嫌な思い出にならないように、けがや体調に対するケアだけでなく、心のケアもやっていきたい」と述べ、「イベント主催者からは『年に1回から数回の行事の度に、水やばんそうこうなど救急用品の消費期限の確認をして、買い替えたり、物品をかき集めて準備するのは手間と無駄が生じるが、救護に関係する物品すべてをセットで依頼できるのはとても助かる』と言われた」と話す。

イベントなどでの移動式救護所設置料金は検討中という。(榎田智司)

◆問い合わせはメールmi224.nobu324@gmail.com(真木さん)へ。

「ひきこもり」その2《看取り医者は見た!》29

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写真は筆者

【コラム・平野国美】今回は前回(10月4日掲載)の続きです。「ひきこもり」は、いつ、どこから現れたのか? 他国にも存在するのか? 単なる個人の病的な資質なのか?

家族主義がある韓国、イタリア、日本では「ひきこもり」の形態が多く、個人主義の米国、英国では子供が家から独立する傾向があるため、「ホームレス」の形態が多いと言います。つまり、この現象は個人の資質だけでなく、文化や生活習慣の影響を受けていると思われます。

「病理」という医学用語があります。病気の原因や成り立ちを研究する学問で、主に患者さんの病変部を採取した組織を顕微鏡で観察して診断をつける役割を果たしています。「ひきこもり」という現象は、顕微鏡の世界で理解できるものではありません。社会的病理と考えられるのではないでしょうか?

精神科医、斎藤環先生(筑波大学医学医療系社会精神保健学教授)は「ひきこもり」を「病」ではなく「状態」として捉え、社会的な要因が大きく影響していると指摘しています。

斎藤先生によると、日本のひきこもりは、家族主義だけでなく、社会の期待が強い文化背景が影響しており、個人が社会や家族の役に立たないと感じることがその一因と述べています。そして、社会からの孤立が問題の本質と強調されています。

そこは天国か? 地獄か?

日本の「ひきこもり」と欧米の「ホームレス」は似て非なるものなのか? それとも、孤立という同じものなのか? そこに文化的背景があるのか? 私の小学校の同級生に、この範疇(はんちゅう)に入る者の記憶がありません。中学校時代は1学年400名ほどでしたが、1人存在していたと思います。

自分が現在診察している高齢の方に、昔、こういう人はいましたか?と尋ねると、ほとんどの方が存在しなかったと答えます。文化背景の一つかも知れませんが、昭和、戦前の日本家屋を考えると、引きこもる場所もなかったと思います。6畳間に雑魚寝して生活する時代であったと思います。

実際、患者さんたちは、昔のことをこう話してくれます。「家も狭いし、家でゴロゴロしていると、親に外で遊んでこいと叱られた」と。戦後のある時代から、子供部屋というものが出現しました。当初はふすまや障子で仕切られた部屋であったと思います。

私も受験期に、そのような部屋をあてがわれました。そして、平成に入り、子供部屋がドアを持った構造、そして鍵が掛かり、テレビが1台。ある時から、そこにパソコンやゲーム機器が置かれるようになったと思います。20年前、2階の息子と母親が携帯電話で話す姿を見て奇妙に思えたことがあります。

そこは天国か? 地獄なのか? 家屋構造の変化も、「ひきこもり」を誘発したのではないでしょうか?(訪問診療医師)

自民、立憲、共産の三つどもえに 茨城6区 衆院選公示

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出陣式に駆け付け拍手する支援者ら

第50回衆院選は15日公示され、27日の投開票に向けた12日間の選挙戦が始まった。茨城6区(つくば、土浦、石岡市など)で立候補を届け出たのは立憲前職で3期目を目指す党副幹事長の青山大人氏(45)、共産新人で党南部地区委員を務める元つくばみらい市議の間宮美知子氏(77)、自民前職で3期目を目指す元総務政務官の国光あやの氏(45)の3氏。

コロナ禍の前回2021年は、野党共闘により、国光氏と青山氏の一騎打ちとなったが、国光氏が約12万超と、青山氏を約1万2000票上回る得票を得て逃げ切った。青山氏は比例で復活当選した。今回と同じ三つどもえだった前々回2017年は、国光氏が約10万票超で初当選、青山氏(当時は希望の党)は約9万7000票ときん差で敗れたが、比例復活で初当選した。古沢喜幸氏(共産)は約2万票だった。

「望まぬ用途に税が使われるのを正す、大切な選挙」

青山大人 45 立憲前② 党副幹事長
【略歴】土浦市出身、土浦一高、慶応大学経済学部卒。国会議員秘書、県議2期、2017年比例復活で初当選。党県総支部連合会代表、党幹事長部局副幹事長
【公約】①時限的消費税減税など内需主導型経済対策②危機管理に投資しリスクを最小化②教育無償化、看護・介護・保育・教育現場の処遇改善など人への投資

青山氏は午前11時半、土浦市乙戸の街頭で第一声。土浦市議の下村寿郎氏、奥谷崇氏、矢口勝雄氏、栁澤健二氏らが応援に駆け付けた。

青山氏は今回の総選挙を「税の配分を問う重大な選挙」と位置付け、「物価、税金、社会保険などの負担がずるずると上がっている。政治全体を大局的に見て、一旦歯止めをかけるべき」と訴えた。一例が5年間で防衛費を43兆円増やす政府方針。「日本をとりまく安全保証環境の変化は承知しているが、必要に応じてではなく中身を何も決めていないうちに増額だけを勝手に決めるのはおかしい。霞ケ浦医療センターなどの旧国立病院はどこも老朽化で建て替えが必要で、国立病院機構では貯金を進めてきたが、それを防衛費に回すのは納得がいかない」

過去最高を更新する国の税収をどう経済再生に結び付けるか。その切り札が立憲民主党の消費税還付法案だという。「一度消費税をしっかり下げ、実質賃金が物価高を超える段階までは内需拡大を目指す」教育・子育てでは独自の国債発行を、農業では個別補償制度の充実を唱え、「裏金で脱税した議員らが自民党の公認をもらえずに出馬を取りやめたが、政治家とはそんな軽いものじゃない。政党のためではなく地元の声を国に届けるのが役割」と話した。この日は坂東市など県西方面を遊説後、土浦市のホテルで出陣式を行った。

「一人ひとりの懐を良くすれば経済は回る」

間宮美知子 77 共産新 党南部地区委員
【略歴】つくばみらい市出身、東京都立大卒。東京都江戸川区、足立区の中学校教員。茨城県立養護学校教員。JICAシニアボランティア。つくばみらい市議1期。
【公約】①戦争準備でなく平和構築を②物価高騰から暮らしと経済を立て直す改革を➂原発推進止め原発ゼロ、脱炭素社会に切り替え④人権が大切にされるジェンダー平等社会

間宮氏は午前10時、つくば市竹園の大清水公園で第一声。二見伸明元衆院議員が応援に駆け付け「間宮さんと一緒にやりたいことが3つある。東海第2原発の廃炉を実現する、日本を核武装に巻き込まない、食を守る、農業を守る」ことだと話した。

間宮氏は「石破さんが首相になった途端、解散総選挙をするのは、自民党候補が受かってしまえば裏金事件はちゃらになるという思惑から」だと批判。自身について「38年間教員をやって、50歳の時、母の介護のため教員を辞めた。介護のため自分の全財産を使ったので、10年間JICAのシニアボランティアをやった。大変だったが自分の支えになっている」などと話した。

さらに「今。物価高で、買い物の金額に驚く。年金は少しずつ減らされ、この夏暑くてクーラーの電気代に驚いた。庶民の生活実態を自民党の政治家に何としても分かってほしいという思いで立候補した」と述べ、「(共産党は)国民の生活、国民の暮らしを良くする方向に税金を使う。大幅な賃上げをし、消費税を5%に戻し、学費を値下げするなど、一人ひとりの懐を良くすれば経済が回っていく。自公政権はアメリカ言いなり、大企業言いなりで、軍事費の倍増計画を進めている。国民の生活と安全を守ることが政治」だなどと訴え支持を求めた。

「6号渋滞緩和、霞ケ浦医療センター整備など仕事する」

国光あやの 45 自民前② 元総務政務官 公明推薦
【略歴】山口県出身、長崎大学医学部卒。勤務医、厚労省医系技官、同保険局医療課課長補佐。2017年、丹羽雄哉氏の後継者として初当選。第2次岸田内閣で総務政務官。
【公約】①物価等に連動した年金受給額のさらなる引き上げ②国道6号バイパスの整備促進➂霞ケ浦医療センターの整備実現

国光氏は午後3時から、土浦市藤沢、新治運動公園で出陣式。上川陽子前外相が応援に駆け付けた。厳重な警備体制が敷かれた中、上川氏は国光氏について「声なき声を聞ける人」と持ち上げ、「2期で大きな仕事をやってきた。大丈夫だろうでなく、3期だからこその壁を乗り越えさせていただきたい」などと支持を求めた。自民党の加藤明良参院議員、伊沢勝徳元県会議長のほか、公明党県本部幹事長の八島功男県議らも駆け付けた。

国光氏は「コロナから日常が戻ったが、次なる危機がやってきた。物価高にすべての人が困っている。何とかしたいと取り組んできた。バブル期以降、過去最大の年金引き上げを成し遂げたが、まだまだ足りない。来年4月もしっかり引き上げたい」などと述べた。地元の課題に対しては「県南は人口が伸びている地域だが渋滞がひどい。国道6号の渋滞を緩和したい。霞ケ浦医療センターの整備はコロナ禍で遅れてしまったが予算を確保することができ、内部から整備が始まっている。恋瀬川や桜川の河川整備も進めている」などと話し「私は皆さんの課題を解決する職人。しっかり仕事をしてなんぼのもの。仕事をする力はだれにも負けない」などと訴え支持を求めた。16日は岸田文雄前首相がつくばに駆け付ける。

もったいない(1)《デザインを考える》13

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イラストは筆者

【コラム・三橋俊雄】里山で出会った「もったいない」についてお話ししようと思います。これは、モノの持つ本来の価値を大切にし、無駄にしないという考えです。「もったいない」は、ノーベル平和賞を受賞したケニアのワンガリ・マータイさんが世界に広めた言葉でもあります。

今回は、福島県の人口3000人ほどの過疎山村、三島町での桐(きり)の木の活用についてです。

この町では桐の栽培が400年も前から行われ、桐は「金の木」と呼ばれて大切な農家の財産として育てられてきました。町では、この貴重な桐の木を、小枝から幹、根にいたるまで無駄なく使い尽くす、伝統的なものづくりの知恵が生かされていました。(上図を参照してください)

桐の太さ2寸5分〜3寸(約7~9センチ)以下の残木(ざんき)と呼ばれる小枝は、小箱づくりに利用されました。また、薪(まき)は燃やすと火が柔らかくなり、豆腐づくりに最適であったと言われています。灰は肥料として畑にまかれ、トマトなどのアク抜きにも用いられました。

桐の幹部は、20〜25年ほど生長して直径7〜8寸(21~24センチ)となったものが桐箪笥(だんす)の板目として利用されました。さらに、30〜40年ほどのものは直径1尺2寸(36センチ)ほどにもなり、木目がきれいにそろった鏡板として高値で取り引きされました。

箪笥用に伐採された残りの桐の根の上部は、桐下駄(げた)や桐火鉢、生け花の台などに利用されました。また、「下駄尺」と呼ばれる根の上8寸(24センチ)ほどの幹部からは、男物の巾広の下駄材と女物の巾の狭い下駄材が切り出され、さらに、残った四隅の三角形の材からは高下駄の台が取られ、それに朴(ホオ)や橅(ブナ)の「刃」を付けて製品化されました。

最後に、桐の根を5〜6寸(15~18センチ)残した「ごんぼ根」からは新芽が育ち、「二才木」と呼ばれて、息子が生まれると記念樹として大切に育てられたということです。

一物全体活用

このように、かつての三島町には、桐を貴重な里の資源として余すところなく使い尽くす、「一物全体活用」と言われる「もったいない」の観念が根付いていました。

しかし、私が訪ねた1990年代には、桐箪笥や下駄材に使われる以外のほとんどが、野積みにされ焼却されるという状況でした。

人間は、厳しい自然に対峙(たいじ)しながらも、自然を積極的に働きかける対象としてとらえ、自然から生きる術(すべ)を学び取ってきました。その一例が、桐の一物全体活用という「もったいない」のデザインなのではないでしょうか。(ソーシャルデザイナー)

「蓮豚焼き」を新名物に 土浦商工会議所青年部が開発

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(左から)土浦商工会議所青年部の皆藤正洋さん、柴沼秀篤さん、菅井歩美さん、小椋直樹さん

土浦産のレンコンとしょうゆ、県産豚バラ肉を使った炒め物「蓮豚(れんとん)焼き」を土浦商工会議所青年部(土浦市中央 小椋直樹会長)が1年かけて開発した。土浦の新名物として今後、青年部会員が経営するお店を中心に売り出すことになっており、年内から提供するお店を決めていくという。

同市役所前の大屋根広場で11日開かれた「つちうら炭火焼きまつり2024」で、同青年部が発表した。

厚切りの豚バラ肉とレンコンを、しょうゆをベースにした甘辛のたれで炒めた料理で、しょうゆは地元の柴沼醬油醸造(同市虫掛 柴沼秀篤社長)の製品を使用した。レシピは、農水省の料理人顕彰制度「料理マスターズ」ブロンズ賞を昨年受賞した地元の料亭「よし町」(同市中央)の社長、木村英明さん(48)が監修した。

土浦産のレンコンとしょうゆ、県産豚バラ肉を使った「蓮豚焼き」

食べられるお店が意外とない

青年部の小椋直樹会長(45)は「土浦はレンコンが有名だが、意外と食べられるお店がない」とし「地元の人や遊びに来た人たちが、市内のいろいろなお店で土浦のレンコンを食べられるように新名物を作りたいという思いがあった」と話す。「蓮豚焼きは、ビールはもちろん、ご飯にも合うので小さなお子さんにもお薦めしたい」と語る。

試作品としてピリ辛味と甘辛味の2種類を作って7月の土浦キララまつり、8月の真鍋のまつりなどで提供し、食べた人にどちらがいいか投票を依頼した。その結果、人気だった甘辛味の蓮豚焼きを新名物とすることになった。

青年部の菅井歩美さん(40)は「メンバーたちでほぼ1年あれこれ悩んだ。全力投球で開発した。皆さんにおいしく食べていただけたら」と話す。(伊藤悦子)

世界で最初に飢えるのは日本《邑から日本を見る》169

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パネルディスカッションで発言する秋山組合長(左から2人目)

【コラム・先﨑千尋】前回(9月23日掲載)に続いて、食の話題を提供する。先月29日、水戸市民会館で「食の安全保障」をテーマにした講演会が開かれた。タイトルは「世界で最初に飢えるのは日本」。ぎょっとするタイトルだ。しかも、この講演会を開いたのが、普段は農業とあまり関係がなさそうな水戸葵ライオンズクラブ(以下LC)だったから驚いた。

LCは、献血や地域の環境整備、災害復興支援などを行う、ボランティア活動を目的として結成された民間団体で、同クラブは結成60年を迎えるという。今回の講演会はその記念行事として行われたもので、鈴木宜弘東京大学大学院教授の講演とパネルディスカッションの2部構成。

講演で鈴木教授は「農産物のタネは90%が輸入。肥料の原料や畜産の飼料もほとんどが輸入に頼っている。日本の自給率は37%と言っているけれど、実質は10%を切っている。今や異常気象が通常気象になり、世界の農産物の供給は不安定だ。台湾有事など戦争の危機は高まっており、食糧は武器だ。ウクライナ戦争で食料争奪戦は激化しており、オイルと食料が日本に来なくなればお手上げだ。日本政府はそういう事態に、カネで買えばいいという前提で食料安全保障を考えているが、カネでは買えなくなり、物流が止まれば飢餓が待っている。不測の事態にトマホークとオスプレイで国を守れるのか」などと訴え、世界的視野に立った食料問題や、我が国の農政の問題点、有機農業の実態などを分かりやすく解説した。

有機が話題の中心に

パネルディスカッションには、高橋靖水戸市長、幡谷公朗水戸葵LC会長、秋山豊常陸農協組合長、地域住民代表の横山かおりさんが登壇し、それぞれの取り組みや食に対する思い入れなどが語られた。

高橋市長は「農業はカネで勘定できない。市民の健康や環境を守り、多面的機能もある。地元の飲食店で地元の食材を使う店を増やし、学校給食にも地元の農産物を増やしていき、有機農産物も使いたい」などと話した。

幡谷会長は「国防で一番大切なのは食料。国民を飢えさせないことが国防だ。台湾有事になれば、1カ月でスーパーの棚から食料品が消える。食料安保のために農家が再生産できる環境を整えるべきだ」と力説した。

秋山組合長は、常陸大宮市で有機農産物を学校給食に取り入れている事例を紹介しながら「有機農産物は値段が少し高いので、消費者になかなか買ってもらえない。スーパーでも高いから置かない。子どもを健全に育てるためには、学校給食に健全な野菜や米を提供することが大事なことだ。外国から持ってこられないものを我々は作っていく。水戸農協でも有機の取り組みが始まった。国をあてにするな」と話した。

3人の子どもを持つ横山さんは「食に関心を持つきっかけは妊娠、出産だった。赤ちゃんは母親の食べたもので育っていく。普通の消費者は食の危険性に気づいていない。原料の出自や内容がよく分からない加工品をなるべく使わずに、目の前にある食材で料理するように心がけている」と、自分の体験談を語った。

鈴木教授とパネリスト4人の話を聞いて、「世界で最初に飢えるのは日本」というタイトルが決してオーバーな表現ではないと感じた。中身の濃い企画だった。(元瓜連町長)

手製の本通じ思い伝えたい 9人の作家が作品展 つくば

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出展作家の(左から)小田島久則さん、田中千夏さん、丹野香織さん

25周年に

銅版画や木工、デザイン、イラストなどの創作活動に打ち込む9人の作家が、それぞれが作る手製の本を通じて思いを伝える作品展「ブックワームス15」が、つくば市天久保のギャラリーYで12日から始まった。各作家が作った本と、それぞれの専門分野の作品計約100点が展示されている。筑波大で芸術を学ぶ学生が中心になり1999年に始まった企画で、活動を始めて25周年になる。近年は2年に一度の開催で、今回が15回目の開催となる。

第1回から中心で活動し、同作品展を主催する画家で版画家の田中千夏さんは、25年間の活動を通じて「作家が本当に見せたい思いを本にしてきた。万人向けじゃないかもしれないが、流通する本にはない魅力がある。実際に手に取って作家の思いを感じてほしい」と語る。

99年に筑波大で開いた企画の第1回で展示した田中さんの作品

本当に伝えたいことを形に

田中さんは、日々の暮らしで感じるささいなことを書き留め本にする。シリーズ化する「それがどうした」や「mousouroku(妄想録)」は、書き留めなければ暮らしの中で流れていってしまいそうなその時々の思いを「定点観測的」に記録したものだ。「振り返ってみると自分でも面白いような恥ずかしいような」と言いながら、「私にとって手製の本は、自分が今、『いいな』と思っていることを考え、伝える手段。流通に乗らないものだからこそ好きなことができるし、作家が本当に伝えたいことを形にできる」と話す。「何かを作っているのが好きで、ほっとくと何かを作っている。作らないとやっていけない」とも言い、手製の本とともに、大学で学んだ銅版画、木を使ったオブジェ、手芸品など多様な作品を展示する。

今年1月に、あかえだいずみの作家名で絵本「ミコばあちゃん」(あのねブックス)を出版した、つくば市在住の絵本作家、倉持いずみさんは、一緒に暮らす2匹の猫との暮らしを手書きの絵と文字で本にまとめた。手製本の魅力について「頭に浮かんだことを紙に書いてホチキスで止めるだけでも本になる。何かにとらわれず、自由に作れるのが魅力。毎回展示に向けて、質感の異なる紙や、色々な製本の仕方も試せるのが楽しい」と話す。

大きさ、形、素材を変えて製本した丹野さんの作品「スモールマン」

4回目の参加となる日本画家の丹野香織さんは、前回の企画でも展示した、空を飛ぶことを夢見る少年とロボットの交流を描いたオリジナルの絵本「スモールマン」を、紙質やとじ方、サイズを変えて製本した3種類の本を展示する。「物語自体は変わらなくても、素材や本の形が変われば、ものとしての価値や意味が変化する」と話す。

石岡市の木工作家で画家の小田島久則さんは、知人のアイディアがきっかけになり、自身が油絵で描いたクマなどの動物をもとに絵本を作った。本の中には文字はなく、本を見た人が自由にセリフやストーリーを書き加えてオリジナルの一冊にすることができる。「これまでに4人の子どもが、自分でストーリーを書いてくれた。それぞれ、話が異なり個性が出ていて面白かった」と語る。

小田島さんの絵と木工作品

その他、40代で経験した自身の妊娠・出産体験を「母親学級」というタイトルで108ページの漫画にした、あべようこさんや、ダンボールの素材を生かした筑波大学芸術学系の元教授、笹本純さんらの作品が並ぶ。

田中さんは「本は、絵のようにパッと見てある一面が見えるものではなく、ページをめくることで物語としての深みや奥行き、時間の推移を感じる見せ方ができる。子ども向けの本だけでなくて、アーティストブックとしてさまざまなチャレンジができると思っている」と手製の本の魅力を語り、「25年続けて、一緒にやってきた人たちがそれぞれ歳を重ね、作品も変化している」とし、「作家が本当に見せたいものを、売れるかどうかを基準に考えずに作っている。その良さを実際に手に取って感じてほしい」と呼び掛ける。(柴田大輔)

◆「ブックワームス(Book Worms)15」は12日(土)から20日(日)、つくば市天久保1丁目のギャラリーYで開催。開館時間は午前11時から午後7時(最終日は午後6時)まで。詳しくは、同ギャラリーのホームページへ。

子供たち150人が仮装行列 26日 つちうらハロウィン 

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2023年のつちうらハロウィン仮装行列の様子=NPOまちづくり活性化土浦提供

31日のハロウィンを前に、「つちうらハロウィン2024」が26日、土浦駅周辺で開催される。約150人の子供たちが仮装して、駅前のアルカス広場から川口町バス停前広場まで中心市街地約350メートルを行進する。

街中ににぎわいをつくろうと、コミュニティバス「キララちゃんバス」を運行するNPOまちづくり活性化土浦(同市中央、横山恭教理事長)が2015年から開催している。

子供たちは仮装行列の後、スタンプラリーを行い、各自自由に店舗を回ってお菓子をもらう。参加者150人はすでに定員に達している。つちうらハロウィンに協賛する店舗や施設は、国道125号沿い、中城通り、本町通り、モール505内など49カ所となっている。

同NPOの金澤敦子さんは「募集後、2日で定員に達した。2015年から始めたつちうらハロウィンが地元に定着してきてうれしい」とし「思い思いの仮装を楽しんでいただくことはもちろん、スタンプラリーで土浦にたくさん素敵なお店があるという発見もしてほしい」と語った。

高校生がイラスト、ラッピングバス運行

最優秀賞の土浦三高1年 赤見美和さんのイラストをラッピングしたキララちゃんバス

つちうらハロウィンを前に、同市内では9月11日から、市内の高校生3人が描いたハロウィンのイラスト3点をそれぞれラッピングしたバスが3コースで運行している。同NPOが今年7月、市内の高校生に向けて初めてポスターデザインコンテストを開催し、最優秀賞に選ばれた土浦三高1年の赤見美和さんと、入賞した同校1年の飯塚杏奈さん、土浦一高の3年の青木淑香さんが描いたイラストをラッピングした。

赤見さんのイラストは同法人のキャラクター、キララちゃんがドーナツを食べているところを見つかって慌てているシーンを描いた。赤見さんは「とにかくかわいいキララちゃんを描きたかった。構図をパッと思いついて、タブレットを使って7時間くらいで描いた」と話す。赤見さんのイラストはバスのラッピングのほか、今年のつちうらハロウィンのポスターにも使用されている。(伊藤悦子)

土浦三高1年の飯塚杏奈さんが描いた、キョンシーの仮装をしたキララちゃんのイラストをラッピングしたバス。飯塚さんは手描きで3日程度で仕上げたという

つちうらハロウィン2024 26日(土)午後1時30分~午後4時30分開催。小雨決行。開会式と全体記念撮影のあと、仮装行列とスタンプラリーを行う。終了後アルカス広場に再集合し、仮装の表彰式と閉会式を行う。参加者は事前登録済。詳しくは電話029-826-1771(まちづくり活性化土浦)へ。

土浦一高3年の青木淑香さんが描いたイラストをラッピングしたバス

雨情とつくばセンタービル《映画探偵団》81

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イラストは筆者

【コラム・冠木新市】2025年にやる『雨情からのメッセージⅢ』のイベントを準備中である。10月26日には、依頼を受け『つくつくつくばの七不思議/つくばセンタービルの事件簿』の講演をする。一見、雨情とつくばセンタービルとは関係ないようだが、私の中では七不思議とつながっている。

当初11月の開催予定が10月になった。26日は、つくば市長・市議選挙の前日に当たる。きっと各候補者がセンタービル付近に集まりにぎやかになることだろう。

1985年、つくば科学博覧会が開かれた年に、ロバート・ゼメキス監督のSF映画『バック・トゥ・ザ・フュ一チャ一』が公開された。時は1985年、所はカリフォルニア州ヒルバレー(架空の都市)。高校生のマ一ティは、ドク博士が全財産をつぎこみ製作した車型タイムマシーン・デロリアンで過去へとタイムスリップする。

その記念すべき日が10月26日なのだ。また着いた1955年の町では、市長選の真っ最中である。講演日と市長選の現実が映画の内容と偶然に重なる。

雨情との対話

そんなある日、夢を見た。センタービルでタバコをのむ小柄なちょびひげの壮年を見かけた。

「あのー、もしかして野口雨情さんではありませんか?」

「いやぁ、これは初めまして。野口雨情でやんす。『筑波節』を広める活動をしているあなたがセンタービルの話をすると聞き、あの世からやって来たのでやんすよ」

「恐縮です。でも雨情さん、ここは禁煙なんですが…」

「おや、これは失礼。水戸芸術館には喫煙場がありましたがな」

「水戸芸術館にも行かれたのですか」

「行きやした。私は建築の専門家ではありませんが、磯崎新さん設計のセンタービルと水戸芸術館は対の構造になっている感じがしましたな」

「センタービルの印象はいかがですか」

「見た目は西洋風ですが、中心の何も無い虚(うつ)ろな広場を見ていると、極めて日本的な建物だと思いやんした」

「実は4年前、広場に屋根やエスカレーターを付けたり、外壁を変えたり、階段を削ったり、10億円弱かけた改造計画がありました」(映画探偵団33参照

「えっ、少しも古くなってないじゃありませんか。で、どうなりました」

「市民の反対を受けて、改造計画は撤回され、内装のみとなりました」

「それはようござんした。用意された改造費用もだいぶ節約になったんでござんしょう」

「それが、屋根やエスカレーターがなくなっても、予算は変わらずでした」

「う一ん、しかし選挙があるみたいですから、改造計画を進めた議員さんは、市民から批判を浴びるのではありませんか」

「さぁー、どうでしょうか。日本人は忘れぽいですからね。『筑波節』を作曲した藤井清水さんは、『私は地味でも(略)どこまでも日本人の音楽を創っていく。百年後には理解する人も出てくるであろう』と言われましたが、筑波節はあと5年、センタービルはあと60年ぐらいかかるのではないでしょうか」

「私の歌を知る人も少なくなりましたか?」

「雨情さんの童謡は今でも歌われていますよ」

「だが私の民謡を知る人は少ない」

「でも雨情さん、歌も建物も愛する人が1人でもいれば、いつかきっと理解する人が現れてくると思います」

「ありがとうさん。ところでセンタービルを設計した磯崎さんは?」

「2年前に亡くなりました。亡くなる前に、センタービルを守ってくれてありがとう、との伝言がありました」

「それはようござんした。今度、磯崎さんと会って話をしてみましょう。サイコドンハ トコヤン サノセ」

「あ、先に言われちゃった」(脚本家)

講演『つくつくつくばの七不思議/つくばセンタービルの事件簿』
 日時:2024年10月26日(土)10時30分〜12時
 場所:つくば駅前コリドイオ大会議室
 参加費:1000円
 申込先:cocolabo.2024@gmail.com 090-8315-3775(町田)

巨大化する災害にこそ研究連携で 防災科研呼び掛け11機関勢ぞろい

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特別セッションに集まった11研究機関メンバー=東京国際フォーラム

能登半島地震の観測や調査、復旧支援などに関わったつくばの研究機関が一堂に会し、それぞれの取り組みを報告し、なお巨大化する災害に対する連携を模索する特別セッションが11日、都内で開かれた。

防災科研(つくば市天王台、寶馨理事長)の研究成果発表会「国土の安全と防災連携」の冒頭で行われた。筑波研究学園都市交流協議会(筑協、福田敬大会長)が全面協力し、関係省庁の垣根を越えて11機関が参集した。防災科研によれば、これまでにない規模での横断企画で、会場となった東京国際フォーラムには約250人、オンラインで約300人が参加した。

1月1日の地震発生直後から、宇宙航空研究開発機構(JAXA)や国土地理院は動き、それぞれ陸域観測技術衛星「だいち2号」(ALOS-2)による土砂移動情報、空中写真撮影による斜面崩壊や陸地化変動などを把握して国の対策本部に報告。気象研究所では気象庁機動調査班(JMA-MOT)による津波の高さの測定など行った。

その後早い段階で研究者が現地入りし、産総研は調査で最大4メートルの海底隆起が観測されたことから海底活断層の動きを評価した。既知の活断層の再活動ととらえられたが、海岸段丘に2メートルもの隆起が見られたことから数百年に一度起こる活動にとどまらない1000年オーダーでとらえるべき地震だったとした。

復旧支援には国総研、土木研、建築研などのチームが現地入り。インフラの復旧や崩壊トンネルの調査などに当たった。これらの作業にはJAXAの提供するALOS(陸域観測技術衛星)や地理院の航空レーダー測量などのデータが大きく役立ったという。

農研機構は主に農村工学研究部門が職員を派遣し技術支援に当たった。森林総研は海岸の隆起に伴う飛砂対策、国環研は300万トンを超えると見積もられる災害廃棄物の処分対策などを自治体の職員向けに発信するなどした。

あいさつする防災科研の宝理事長

筑協を介し開催を呼び掛けた防災科研の宝馨理事長は「地震に始まった今年は、豪雨や猛暑が続いた。災害対策は従来100年から200年に一度のレベル1を想定してきたが、これからは経験したことのない記録破りのレベル2の災害に対する備えも必要になってくる。研究の方も連携して、巨大災害、有事に対応しなければならない」と述べた。

防災科研は研究機関との連携による災害・防災の研究をさらに推進する構えだが、今回を契機につくばで多様なテーマでの連携が進むことを期待している。 (相澤冬樹)

レスリングの大沢友博さんを悼む《竹林亭日乗》21

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霞ケ浦高校レスリング場

【コラム・片岡英明】9月12日、霞ケ浦高校でレスリング部の監督をしていた大沢友博さんが69歳で亡くなった。日本レスリング協会はすぐに「高校レスリング界に不滅の金字塔~大沢友博氏が死去」とHPに掲載。告別式には教え子の樋口黎さん(2014年卒)のパリでの金メダルを胸にかけた写真が飾られた。大沢さんの努力がパリまで届いたなと感じた。

世間では「高校レスリング界の名匠」(レスリング協会のHP)と称されていたが、今回コラムでは大沢友博さんを悼むとともに、彼のレスリング部での出発点を紹介し、若手教師を励ましたい。

体育館の片隅のマット2枚から

大沢さんは1977年、霞ケ浦高校の教諭となった。私も同期で、共に定年まで勤めた。1980年の最初の卒業生は、彼が3組、私は4組の担任。テストの採点をしながら、遅くまで職員室で語り合った。

最初は柔道部顧問だったが、彼はすぐにレスリング部づくりを始めた。八丈島出身で、東京の正則高校から日本体育大学に進んだ彼は、八丈島のレスリング道場で体験した厳しさの中にある楽しさを、部活を通して生徒に伝えようとしていた。

最初の年の夏前には、体育館の隅に体操用マット2枚を広げ、担任に「この生徒を私が面倒みます」と、3人ほど集めて練習を開始。すると部員たちが大きく成長し、大沢さんの指導力を皆が認めた。

部活の伝統校などでは、すでに道があるところを歩む教師が多い。また、部活の顧問から練習条件が悪いと「これでは練習できない」との愚痴も聞く。しかし、彼は部活がないところで、体育館のマット2枚からレスリング部を始め、部員も一人ひとりに声をかけ、自分で集めた。

「やってみなはれ!」の精神

現在、文科省は探求心や創造性を生徒・教師に求めている。創造性を求めるとは「やってみなはれ!」の精神で教師のチャレンジを学校が受けとめるということだ。それならば、愚痴のひとつも言いたい学校の中でも、今こそ教師自身の創造性を発揮するときではないか。

多忙な毎日と管理疲れを癒すには、問いかけに始まる対話を通して生徒の願いをつかむことにある。大沢さんのように、どこか一点からでもチャレンジし、目の前の授業や部活で個性的な実践に取り組んでほしい。生徒・保護者はそれを待っている。「やってみなはれ!」

2年目には、シューズやウエアも整え、レスリングのマットシートも用意された。その後、武道館ができて旧柔道場がレスリング道場となった。その古い木造の道場から大沢レスリング部は10年目の1986年インターハイで優勝した。

悪条件の中でも、いつも生徒と汗を流し、応援する教職員を増やした。そうして、レスリングの自分の原点を次の世代につなげようと、体育館の片隅のマット2枚からパリの金メダルまで突き抜けたのだ。

葬儀で息子さんが「レスリングの生徒はどこかいいところがあるんだよ」との言葉を紹介した。その言葉には、生徒へのぬくもりや可能性への深い信頼が現れているような気がした。大沢友博さん、ありがとう。(元高校教師、つくば市の小中学生の高校進学を考える会代表)

保育料の特別徴収通知書に誤記載 つくば市

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つくば市役所

保育園などの保育料の滞納があった場合、児童手当から滞納分を差し引いて保護者に支給する「保育料特別徴収」について、つくば市は11日、9月に対象者22人に郵送した特別徴収の通知書に誤記載があったと発表した。滞納分を差し引いて児童手当を支給する期日について、今年10月と記載すべきところ、誤って今年2月と記載して発送してしまった。

市幼児保育課によると、10日、保護者の一人から問い合わせがあり、誤記載が分かった。市は保護者22人全員に電話で謝罪し、改めて正しい通知書を再送付するとしている。

22人に対して市は、10日の児童手当支給日に滞納分を差し引いて支給した。一方、同通知書は通常、前の月に保護者に送付し、保護者から相談を受けた場合は、個別の事情に応じて差し引きを中止する場合もある。今回、誤記載があったことにより、保護者から相談を受けた場合は個別の事情に応じて差し引き分を返還することもあるという。

誤記載は担当者の記載ミスが原因。再発防止策として市は、複数の職員で内容確認を徹底し、再発防止に努めるとしている。

地域社会とは?《遊民通信》98

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【コラム・田口哲郎】

前略

テレビのワイドショーで、ご近所トラブルが取り上げられることがあります。住民が行政に苦情を申し立てますが、行政は争っている住民どちらにも配慮しなければならないので、解決策はなかなか出ない。すると、ワイドショーのMCは「地域社会でしっかり話し合うことが必要ですね」という締め方をします。MCはご近所同士で、くらいの意味合いで使っているのでしょう。でも、コメントを聞くたびに、「地域社会とはなんだろう」と思います。

新興住宅地に暮らし、独身であるわたしには地域社会というものがピンとこない。日々近所ですれ違う人びとは見知らぬ人です。両隣の人の苗字くらいは知っていても、その先の人の名前はおぼつかなく、顔も知りません。実際に町内会はあるし、子どもが公立小中学校に通っていれば、地域社会というものに実感がわくのでしょう。

でも、たとえば地方の山村に暮らせば、血縁、地縁がまだあり、近所はみんな親戚か知り合いということは珍しくありません。おそらく、そういう土地に住む方々には「地域社会」はピンとくるのでしょう。新興住宅地で生まれ育ち、独身で、いわゆる無党派層で、東京など大都市に通勤・通学している人にはあまりピンとこないと思います。

日本経済を支えてきた都市中間層

国民的アニメ、ドラえもんも、ちびまる子ちゃんも、クレヨンしんちゃんも、新興住宅地が舞台です。さして地縁や血縁がなさそうな土地で都会的な生活を送っている人びとの物語です。昭和にはそういう新興住宅地が全国につくられ、核家族が暮らし、日本経済に活力を与えていました。

でも、グローバル化、長い不況、低成長時代が続き、サラリーマンの所得が減りました。そしていわゆる都市中間層の活気はなくなりました。これからは、成熟した都市社会が「地域社会」を再発見し、人びとのつながりが復活し、新しい活気が生まれるといいですね。ごきげんよう。

草々

(散歩好きの文明批評家)

学校給食に異物混入 つくば市の義務教育学校

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カボチャ汁に混入していたホチキスの針2本(つくば市提供)

つくば市は10日、市内の義務教育学校で同日出された給食に、長さ18ミリのホチキスの針2本が混入していたと発表した。児童は針を口にしておらず、現時点で健康被害の報告はない。

市教育局健康教育課によると、同日12時30分ごろ、児童が給食のカボチャ汁を食べた後、おわんの底にホチキスの針2本があるのを見つけ、担任の教員に報告した。ほとんどの児童、生徒が給食を食べ終わっていたという。

同校の給食は、つくばすこやか給食センター豊里が、計3種類の献立を3グループに分けて調理し提供したうちの1つで、同じカボチャ汁は同日、市内の2校に計3010食が提供された。もう1校からの異物混入の報告はない。

異物の混入経緯について同課は、同給食センター及び学校で調査しているが、同日夕方時点で不明だとし、現在納入業者に対しても調査を実施しているという。

地元の魅力を食で伝える 土浦花火弁当12種販売へ

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披露された各店の「花火弁当」。上段左から、喜作(かすみがうら市稲吉)「三段花火弁当『喜作』」、霞月楼(土浦市中央)「三段花火筒弁当『彩響』」と「発熱容器具沢山釜飯弁当」、下段左から、さくらガーデン(土浦市宍塚)「三段花火筒弁当『常陸牛のローストと蓮根のひつまぶし』」と「ステーキ重」、鮨の旦兵衛(土浦市大和)「謹製 花火弁当三段重」と「常陸牛 香味焼き重」、ダイニングムーンNo.385、「三段花火筒弁当『綾京』」と「タコライスBENTO」

11月2日開催の第93回土浦全国花火競技大会で販売される「土浦花火弁当」12種類が4日、同市役所でお披露目された。土浦名産のレンコン、ワカサギ、常陸牛など地元の食材をふんだんに使ったオリジナル弁当で、今年は土浦、かすみがうら市の飲食店6店と、土浦飲食店組合が販売する。

価格は1500円から4600円(消費税込)。花火を打ち上げる筒をイメージした3段重ねの容器に入れられ、オリジナルの外箱を広げると三つの容器が一度に並ぶよう工夫を凝らしている。この日披露されたのは5店による9品。

土浦花火弁当は、2006年から花火観覧者に向けて、花火の4合玉を模したオリジナル容器による販売をスタートし、08年には市内の飲食店などによる「土浦名物弁当事業者部会」を設立して、食を通じた市のPRを続けてきた。

今年販売されるのは、懐石料理、ステーキ、フグ、あんこう、中華など、市内の老舗料亭を始め各店が趣向を凝らした自信作。容器自体が発熱し、寒い屋外でも暖かく食べることができるものなど工夫されている。今年は新しく、無農薬野菜や無添加の食材を使うオーガニック料理を扱う「ダイニングムーンNO.385(ナンバーミヤコ)」(土浦市川口)も参加する。

試食会場の様子=土浦市役所

同部会では、昨年の1500個を500個上回る2000個の販売を目指す。部会長を務める嶋田玲子さんは「食を通じて土浦の良さをPRしていきたい」と意気込みを語る。安藤市長は「(花火弁当に)新しい事業所が入るなど、内容も年々ブラッシュアップされている。それぞれ立派な食材使った、力のこもった花火弁当。是非当日食べていただきたい」と語った。

花火大会当日、優良桟敷席付近に設けられる弁当引き渡し場所では、市内で採れたレンコンの販売も行われる。市農林水産課は「日本一の生産量を誇る土浦のレンコンを食べてもらい、土浦のレンコンの認知度向上を目指していきたい」と話す。

弁当は、各店による事前予約制で、それぞれオンラインまたは専用の申し込み用紙によるFAXで予約を受け付けている。弁当の受け取りは、花火大会当日に、有料桟敷席付近にある専用の受け取り場所か、店によっては店舗での受け渡しとなる。(柴田大輔)

◆詳しくは土浦市観光協会ホームページ内にある特設サイトに、各店の販売サイトや詳細が掲載されている。問い合わせは同観光協会(029-824-2810)へ。

ラヂオつくばが音楽フェス 13日、出演者らのライブやMC体験も

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生放送中のラヂオつくばのスタジオ=つくば市吾妻、トナリエクレオ3階

つくばセンター広場

つくば市のコミュニティFM、ラヂオつくば(つくば市吾妻、堀越智也社長)は13日、つくば駅前のつくばセンター広場で、音楽イベント「ラヂフェス2024」を開催する。ラヂオつくばで番組を担当したり、ゲスト出演したことがあるミュージシャン8グループが出演し、アコースティックでライブ演奏する。観覧無料。

観覧者が当日の様子をX(旧ツイッター)で、「#ラヂフェス」と付けて投稿すると、後日ラヂオつくばの番組で紹介するという。

当日は小学4~6年生が、ラヂオつくばの番組パーソナリティと一緒に司会体験をするコーナーも設ける。ステージでパーソナリティとトークしたり、ミュージシャンのプロフィールを読んでもらったりする。

同センター広場では同日、つくば青年会議所が主催する「スポーツがきっと好きになる!グッジョブスポーツフェスタ@つくば」も開催され、一緒にバドミントンやパターゴルフ、バスケットボールなどを楽しむことが出来る。

今回の企画をした、CrescentMoon(クレセントムーン)でキーボードを担当し、ラヂオつくばのパーソナリティを務める宇津野紘子さん(42)は「(現体制の)ラジオつくば初の音楽イベント。小学生のMC体験もあったり、青年会議所のスポーツ体験もあったりと楽しめるので、家族そろって見に来て欲しい。そしてラヂオつくばがもっと知ってもらえたらうれしい」と来場を呼び掛ける。(榎田智司)

ラヂオつくばは2008年に設立。現在のスタジオはトナリエクレオ3階にあり、昼や夕方に生放送されている。周波数84.2MHz 送信出力10w、インターネットでも視聴することもできる。

◆「ラヂフェス2024」は午前10時開演。観覧無料。詳しくはこちら。ラヂオつくばのホームページはこちら

タイ古式マッサージ《医療通訳のつぶやき》11

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写真は筆者

【コラム・松永悠】最近、実はタイ古式マッサージにハマっています。通い出して2カ月ほどですが、すっかり虜(とりこ)になっています。全身をほぐしてもらって、施術が終わると、体が軽くなってとても楽になります。

楽しく思う一方で、少し歯がゆい思いもしています。マッサージをしてくれるお姉さんとすっかり仲良くなって、仲良くなれば当然会話も増えますが、タイ人のマッサージ師は片言の日本語しかできませんので、話の幅が狭いだけでなく、ニュアンスもなかなか伝わりません。

私が日ごろ筋トレをしている関係で、割と筋肉があって、太ももなど硬い部分もあります。先日太ももをマッサージしてもらっていたとき、雑談のつもりで「私、筋肉あるから太もも硬いでしょ?」と言いました。すると「はい、硬いです。凝っていますね」と言われました。「硬い」は「硬い」でも、「凝っている」という意味で言ったのではありませんが…。

医療通訳の仕事をするとき、体の部位名、各器官系の仕組みはもちろんのこと、病気のことも知る必要がありますから、そこそこ難しいです。しかしマッサージの雑談レベルでも、外国人がこんな勘違いをするのだと気づきました。

異なる言語を話す人の間に入って、円滑なコミュニケーションが取れるようにお手伝いする仕事をしている関係で、「コミュニケーションが取れる」状態が私にとって当たり前です。だからこそ、このときはハッとしました。日常生活の中で、外国人と交流できるのは当たり前ではなく、「外国人とうまくコミュニケーションが取れない」状態が圧倒的に多いでしょうね。

「易しい日本語」を使う活動

今、医療現場では「易しい日本語」を使う活動が推進されています。日本人患者にとっても、医療用語や体の部位名は難しいものです。専門用語を避けて、分かりやすい単語や説明を使うことによって、患者に自分の病気のこと、これから受ける検査や治療をしっかり理解してもらうのが目的です。

インフォームドコンセント、つまり「知る、理解する、同意する」の3ステップを踏むことが義務付けられている今、医療従事者がさまざまな工夫をして言い方を変えながら、うまく患者とコミュニケーションを取っています。

専門的なことを誰もが分かる言い方で説明するのは、実は簡単なことではありません。日本語力が限られている外国人相手なら、なおさらです。そもそも語彙(ごい)だけでなく、文法が間違っていることも多いので、日本人患者よりもっと簡単な言い方じゃないと通じない、ということになってしまいますが、限界があります。

マッサージで「わたし、うんどうだいすき。だから、あしがかたい」と言えばニュアンスも正しく伝わったかもしれませんが、医療現場では時間の制限や内容によってどんなに頑張っても、このレベルまで落とすことができません。改めて医療通訳は必要不可欠だと感じたエピソードでした。(医療通訳)