月曜日, 4月 21, 2025
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来年の高校受験 100点アップのこつ《竹林亭日乗》22

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写真は筆者

【コラム・片岡英明】現在、中学校では志望県立高について三者面談が行われている。しかし、志望校を決めても学習はなかなか進まないものだ。そこで今回は、今年の入試問題を解説して受験生の勉強を応援したい。

2024年県立入試

24年は、受験者1万6395人、平均287.52点。科目平均は、国語66.71点、社会57.55点、数学57.57点、理科55.61点、英語50.08点。最後に発表のあった20年の標準偏差99.0を参考に標準偏差を100とする。受験偏差値は平均を50とし、偏差値1は標準偏差の1/10なので、10点である。

500点満点で、偏差値50が287点、偏差値60が387点、偏差値40が187点となる。一般的に40~60が中間層と言われ、全体の2/3を占める。偏差値には±5の誤差があるから、偏差値1点に悩む必要はない。280点の生徒はすでに330点を取る可能性があるのだ。

入試問題の特徴

茨城県は18年から、新指導要領を先取りし記述を増やした。すると、21年に「採点ミス」が発生し、県は教員1000人以上を処分した。そこで、22年から採点ミス防止のため一転して記号問題になり、24年は3年目。

大学共通テストも長文化しているが、茨城の高校入試は長文化と記号化の2つの特徴がある。最近の入試問題は長文化だけでなく図表やグラフも多い。保護者の時代と違って意地悪をしているようにも見えるが、そうではない。問題文の読みを、従来の読解から情報読みへ切り替えるよう求めている。

つまり、なぜ著者がこう書いたかという「読解」よりも、設問に関係する部分を、本文や図表からすばやく探す=「情報読み」で答えるのだ。問題を解くとは問題作成者の意図を読み取ることなので、問いの言葉が重要である。選択肢を読むとなぜか混乱するという人は、選択肢を分析し、問題作成者の工夫を見てほしい。

問題のポイント

例えば、国語で選択肢を4つ作るには、本文にA、B、2つの要素を持つ部分を探し、次のように選択肢を作る。①A〇B〇、②A〇B✕、③A✕ B〇、④A✕ B✕。受験者側はこの選択肢を2つの要素に分離し、本文に沿って正誤を判断する。その判断は自分の思いでなく、あくまでも本文による点が鍵だ。

英語は記号化した22年から難化し、24年の平均は50点台と、英語が一番低い。これは問題6の生徒を悩ませる不要語入りの並べ替え問題のためで、ここは改善が必要だ。

さて、英語は長文が山なので、長文問題の5を例に説明する。毎年、この本文の展開は同じ形で、「以前の状況-出来事-自分の変化」という感想文の形。まず、この展開を押さえる。

設問に関係する部分の探し方は、①段落に番号をつける、②固有名詞と数字をマークしながらあっさり読む、③設問に関係する部分を、マークを目印に見つける―ことが大事だ。

頑張れ!受験生

情報読みだけでは疲れてしまい、学習は深まらない。授業や自主学習では「なぜ、著者はこう書いたか」と時々立ち止まり、いわゆる「著者との対話」の時間を持ってほしい。 普段は著者の意図を深める読解を行い、試験では長文化と記号化の特徴をふまえ、今回のコラムのヒントを参考に情報読みを行えば、3カ月で100点アップは可能である。(元高校教師、つくば市の小中学生の高校進学を考える会代表)

二審が結審、来年2月判決へ 鬼怒川水害訴訟 

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記者会見に臨む原告と弁護士ら

原告「水害は人災」 国の責任問う

2015年7月の豪雨で起きた鬼怒川水害で、常総市の住民が甚大な浸水被害を被ったのは国の河川管理に落ち度があったためだとして、住民19人と法人1社が国を相手取って約2億2000万円の損害賠償を求めた控訴審の第2回口頭弁論が11日、東京高裁で開かれた。水害の被害を受けた住民1人が証人に立ち、控訴審はこの日で結審した。判決は来年2月26日に言い渡される。

「水害は人災」と語る原告共同代表の片岡一美さん(右)

閉廷後、記者会見した原告共同代表の片岡一美さん(71)は「水害は自然災害だと思っていたが、裁判を通じてこれは人災だと理解した。水害の責任を誰が取るべきなのか、裁判に勝つことで『鬼怒川水害判例』というような判決が出れば」と言い、原告代理人の只野靖弁護士は「日本全国で水害が頻発する中で、国や自治体のずさんな河川管理が放置されているところが少なからずある。鬼怒川水害はその最たるもの。これはまずいと司法が判断することは被害救済にとっても重要であり、この国の河川行政をより良いものにするためにも国交省は反省し、(河川行政のあり方を)見直していかなければいけない」と語った。

原告代理人の只野靖弁護士(左)

鬼怒川水害では、豪雨により常総市内を流れる鬼怒川堤防の決壊や越水があり、市内の約3分の1が浸水した。同市では災害関連死を含めて15人が亡くなり、住宅被害は全壊53軒、半壊5120軒、床上浸水193軒、床下浸水2508軒に及んだ。一審で水戸地裁は、国の河川管理の落ち度を一部認め、国に対して原告住民32人のうち9人に約3900万円の損害賠償を支払うよう命じる判決を出した。判決を不服として原告住民と被告の国の双方が控訴していた。

9月9日開かれた控訴審の第1回口頭弁論で住民側は、一審で主張が退けられた同市上三坂地区の越水・決壊した堤防について「鬼怒川流域で一番堤防の高さが低く、最も危険な場所だった」とし、堤防の改修工事が後回しにされていたのは国が誤った安全評価に基づいたためで、優先順位に問題があったなどと主張していた。これに対し国は「安全度などのバランスを見て順次、改修を行なった」とした上で、当該の堤防に改修が及ぶ前に「経験したことのない記録的な降水量」の豪雨にあったことで起きたもので、「国に法的責任はない」と主張した。(柴田大輔)

那珂市で夭折の画家・寺門彦壽展《邑から日本を見る》171

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写真は筆者

【コラム・先﨑千尋】今、那珂市戸崎の那珂市歴史民俗資料館で「色彩の貴公子 寺門彦壽(てらかど・ひこじゅ)展」が開かれており、彦壽の作品の他、デッサンやスケッチブック、日記、落款(らっかん)なども見ることができる。彦壽は同市下大賀出身の日本画家で、戦時中に22歳で亡くなった。近代日本画家の巨匠・横山大観から「天才少年」とたたえられ、養子にしたいという申し出があったと伝えられているが、無名のまま夭折(ようせつ)した。

彦壽は1918(大正7)年に静村(現那珂市)で農家の6男として生まれた。旧制水戸中学(現水戸一高)を出た後、東京美術学校(現東京芸術大)日本画科に入学し、41年に首席で卒業、答辞を読んだ。同校研究科に進学。同年6月に徴兵検査を受けた後、盲腸炎で亡くなった。在学中に大日美術院展などに入選している。

作品は市に寄贈される

彦壽の作品の大半は生家の蔵の長持ちに保存されていた。私はふとした縁でその作品群を見つけ、5年前に同市古徳の市総合センター「らぽーる」で1日だけの作品展を開くことができた。

一連の作品を見たとき、私は「日本画だけど洋画の趣もある。繊細で克明な描写が美しい。こんな素晴らしい作品を埋もれたままにしておくのはもったいない。彦壽も無念の想いだったに違いない。地元の人に見てもらい、近くにこんなすごい人がいたんだと知ってもらいたい」と考えたのだ。

その後、生家の当主・寺門直子さんは、作品の中には傷みが激しいものもあるため、1人で管理するのは難しいと考え、絵だけでなく、彦壽に関する資料類を市に寄贈することを決めた。寄贈を受けた市は、表具師に修復と額装を依頼し、このほどその作業が終わったので、那珂市制施行20周年記念行事の一環として今回の企画展にこぎつけた。

「カンナ」「田端駅展望風景」

今回の作品展には、大観が見たと思われる小学生時代の「水辺の少年たち」や中学生時代の「牡丹と雛」、「洋蘭と雀」と習作、美術学校時代の「少女」「カンナ」「田端駅展望風景」などの大作の他、絶筆となった日記なども展示されている。

私は今回の作品展に掲示された作品群を見ながら、「彦壽は今の医療技術なら、盲腸炎で命を落とすことはなかっただろう。存命だったら思う存分に画才をふるい、同校卒で文化勲章を受章した東山魁夷や杉山寧らと並んで、わが国でのトップクラスの日本画家になったのに」と、80年以上前に亡くなった彦壽に想いをはせている。

彦壽の作品展は11月30日まで(月曜休館)。関係者は、企画展終了後、これらの作品を地元の瓜連小学校で展示し、子どもたちや父母に見てもらうことも予定している。(元瓜連町長)

ブリキの缶、物語のはじまり《続・平熱日記》169

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絵は筆者

【コラム・斉藤裕之】必要に迫られて2階にちょっと手を入れることになった。2部屋に仕切られていた壁を抜いて一続きの部屋にする。そう聞くと大変そうだが、SDGsを先取りした我が家の壁はビスで留められた針葉樹合板でできているので、インパクトドライバーで作業すること小1時間、あっさりと壁は取り払われた。

それはそうと、部屋の隅に積み上げられた透明の衣装ケースや中身のよくわからない段ボールをどうしたものか。

捨てるもの、だれかに使ってもらえそうなもの、とりあえず保留…。もう何年も開けたことがないということは、全て処分してしまっても多分困らないのだが…。しかし、これまでに何度も同じようなことが繰り返されて、目の前の衣類や段ボールの中身は生き残ってきたはずだ。

ある段ボールにはカセットテープ、それから年賀状や手紙の入った箱。それから捨てられないのが、子供たちの描いた絵、ノート、賞状など。そんな子供たちの思い出の箱から、ブリキの缶を見つけた。開けてみると、特に何ということはない小さな人形やシール、キャラクターのカードなどが入っている。

若いころ住んでいた東京の西の街に、「ブリキ缶」というカフェがあった。文字通りアンティークの缶が飾ってある小さなカフェで、同じ通りには古着屋や古書店などもあって、田舎者の私が当時のカウンターカルチャーに出会った場所だ。確かに、ブリキの缶はキッチュなデザインや色が時間と共に古びていく感じがなんともいえない味となって、鑑賞に値するオブジェとなりうるし、今でも出かけた先でお土産物を選ぶときなどは意外に缶のデザインに引かれて買ってしまう自分がいる。

手紙、裁縫道具、領収書、写真

ドラマや映画では、この手の缶の中身が重要な手掛かりになったり、お宝が隠されているシーンを見かける。多分、ブリキの缶は何かをしまっておくのに「ちょうどいい」のだ。大きさといい素材といい、それから少し安っぽいところとか。

もし缶がなかったら、お宝も思い出も秘密も埋めたり隠したりできなかったかもしれない。そして、ブリキの缶は物語の始まり、きっかけにはもってこいの小道具。昔はいただいたクッキーを食べた後の缶やノリの缶なんかは何かの入れ物にしてとっておいたものだ。

というか、何かの入れ物になるかもしれないと思って捨てられないでいたというか。するとそのうち、ちょうどいいものがちょうどいい缶に収まる。手紙、裁縫道具、領収書、写真…。私も何かサプライズなものを缶にしまっておこうか、宝の地図とか…。おや、この缶は? 台所の棚にある赤い缶を開けたら、古い落花生が出てきた。

ひと続きになった部屋には低くなった陽の光が差し込んで心地よい。子供たちの思い出の缶はそのまま元の箱に戻すことにした。(画家)

人と街と文化《遊民通信》100

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【コラム・田口哲郎】

前略

おかげさまで、このコラムも100回を迎えることができました。御礼申し上げます。散歩好きの文明批評家との肩書きをいただき、徒然(つれづれ)なるままに好きなことを書かせていただいたことは、とてもありがたく感謝しております。

大学院の博士課程にいながら、キョロキョロしながら街を歩いてコラムを書いています。すべてが遊歩の話題とはいかないのですが、今回は原点に戻って、散歩者から見た街について書いてみたいと思います。

先日、東京で開催された、とある学会に参加したとき、とある学者さんとお話しする機会がありました。その先生は、とある地方都市にお住まいです。出身地は知りませんが、大学は東京だったそうです。

先生は都心の街を眺めながら「東京は良いなあ」と何度もおっしゃるので、「何がそんなに良いんですか」と聞きました。すると「東京は良いよ、文化があるもの。私が今住んでいる街には文化がない」とぼやいていました。

学会のお昼休みに都心の繁華街に行ったのですが、小さな飲食店が並ぶいわゆる裏路地を歩いているときにも、「良いなあ」。入ったのはその街で何十年も営業している、風情のあるカフェでした。「文化があるなあ。飯もうまい」と、終始満足そうな顔をしていました。

その先生が住んでいる地方都市は住みやすいと聞きますし、文化ももちろんあるし、食べ物もおいしいところだと思います。「文化」をほめたたえる先生の真意はなんだろうと私は考えました。もちろん、個人的な好みもあると思いますが、東京が持つ「文化」とはなんでしょうか。

群集が街の文化をつくる

たしかに、茨城県南、土浦・つくば市と東京の繁華街を比べると、郊外と都心という違いがあります。土浦は歴史ある街ですし、アーケイド街もあるので都心の要素もあると思います。でも、圧倒的に異なるのは、昼間にも夜間にも人がたくさんいるということでしょう。いまの都心は人混みの程度が、インバウンドもあって大きくなっている気がします。

郊外のお店は混んでいないので入りやすいですが、都心のお店は席がなかったり、行列していたりする。しかし、それは人の通行量の違いがなせるわざです。

こう考えると、街の文化の礎とは雑踏、人混みなのではないでしょうか。前にも紹介しましたが、エドガー・アラン・ポーの「群集の人」という小説があり、その主人公の老人はひたすら街を歩き、カフェで休憩します。最後は雑踏に消えてゆきます。群集がいてこその街なのです。

コロナ禍では街に人がいなくなりました。それも終わり、人も価値観も元通りになっている。でも、コロナ後はコロナ前とは何かが違うはずです。遊歩者を自認する者として、人と街の関係について注意しながら文明を観察してゆきたいと思います。ごきげんよう。

草々

(散歩好きの文明批評家)

道路工事中に個人宅の光回線ケーブル切断 つくば市

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つくば市役所

つくば市は8日、市が発注した同市花室の歩道整備工事で7日午後2時ごろ、請負業者が市道の電線付近で作業を実施し、油圧ショベルのアームを持ち上げたところ、光回線ケーブルの電線を切断してしまったと発表した。

光回線ケーブルは個人宅への引き込み線で、切断により1軒でインターネットサービスが一時利用できなくなった。業者はNTT東日本に復旧を依頼、個人宅に謝罪し状況を説明した。インターネットは2時間ほどで復旧したという。

市道路整備課によると、業者が周辺状況に注意を払っていなかったことが原因。市は同業者に対し、周辺状況を把握して細心の注意を払って作業するよう指導したとしている。さらに現在、市の工事を受注している全業者に対しても注意喚起を徹底し、再発防止に努めるとしている。

同市では2021年5月にも道路工事中に光回線ケーブルを切断する事故が発生。今年8月には水路の除草作業中に光回線ケーブルを切断する事故が発生している。

独自の発展遂げる茨城の伝統工芸を紹介 スタジオ’Sで企画展 つくば

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7日から始まった企画展で展示される小佐畑孝雄さんによる「桂雛」

つくば市二の宮のギャラリー「スタジオ’S」(関彰商事つくば本社内)で、県内にて伝統工芸を維持しながらそれぞれが独特な発展を遂げてきた作品を紹介する企画展「常陸国が誇る-進化する伝統工芸と匠の技-展」が7日から始まった。展示されているのは、いばらき組子、笠間焼、桂雛、大子漆/八溝塗、西ノ内和紙、本場結城紬、水府提灯/すずも提灯など7つの分野で活躍する作家らによる作品80点余り。

安達克敏さんと将伍さんによる「いばらき組子」

主催する関彰商事は文化事業の一環として、茨城県を中心とする全国の優れた伝統工芸品などを紹介する「クラフテリアートギャラリー」を2022年に同社東京オフィス(東京都千代田区丸の内)内に開設した。同ギャラリーのキュレーター津延美衣さんは「クラフテリアートとは、クラフト・インテリア・アートを組み合わせた造語。クラフテリアートを通じて、日本の文化でもある伝統的な工芸技術・技法による作品と、伝統と革新が融合する現代のニーズにあった素敵な作品を国内外の多くの方にご紹介し、作り手・売り手・購入者がともに喜びを感じることを心より願っている」と思いを込める。

辻徹さんによる大子漆を用いた「八溝塗」

今回つくばの企画展に関して津延さんは「日常生活の中で育まれてきた日本人の知恵と熟練を要する伝統の技を継承しながら、他県ではあまりない独自のスタイルを追求できることにより進化を遂げている匠の技など『灯台下暗し』と思われるそれらの素晴らしさを特に県内の方々が再認識するとともに周知していただき、茨城県伝統工芸のさらなる発展につながると幸いです」と語る。さらには「茨城に伝わる優れた原材料を生み出し国内の伝統文化を支えている全国第2位の生産量を誇るのは上質な『大子漆』で輪島塗に、県北地域で作られる和紙の優れた原料になる『那須楮』は日本三大和紙の美濃和紙や越前和紙の原材料となっている一方で、それらを活用するべく県内においての伝統工芸の担い手が不足している現状は深刻な問題」と指摘する。

キュレーターの津延美衣さん

会場には、▷2021年に厚生労働省による「現代の名工」に選ばれ、22年には黄綬褒章を受章した小美玉市で「いばらき組子」を作る「安達建具」の3代目を務める木工職人の安達克敏さんと、父の技術を受け継ぐ将伍さん、▷鮮やかな草花や、筆を用いたモノトーンを笠間焼で表現するグラフィックデザイナーから陶芸家に転身した大貫博之さん、▷城里町で茨城県郷土工芸品に指定され、城里町無形文化財指定の認定を受けるひな人形「桂雛」を作る「桂雛喜凰」3代目の人形師・小佐畑孝雄さん、▷自ら漆の木を育て大子産の漆を用いた漆器「八溝塗」を作る常陸大宮市の有限会社ウェアウッドワークを営む木漆工芸家の辻徹さん、▷常陸大宮産の那須楮を使用した西ノ内和紙作りを継承する「西ノ内和紙 紙のさと」4代目の和紙工芸家・菊池大輔さん、▷奈良時代に常陸国から朝廷に献上されていた「絁(あしぎぬ)」が原型ともいわれる結城紬を、従来の着物や帯以外にもコートやショール、バッグなど現代の暮らしにあった形で表現する「結城 花田」の花田啓子さんと長男の千裕さん、▷1865年に創業し水戸で水府提灯を作り続け、現在は7代目鈴木隆太郎さんが受け継ぐ「鈴木茂兵衞商店」と水戸市出身のビジュアルアーティストのミック・イタヤさんとの協働によるアートオブジェにもなる新しい提灯「すずも提灯」などの作品が並ぶ。

◆「常陸国が誇る-進化する伝統工芸と匠の技-展」は7日(木)から28日(木)、午前10時から午後5時まで、つくば二の宮1-23-6 関彰商事つくば本社内、スタジオ‘Sで開催。土日祝日は休館。入場無料。

高低差3メートルの情熱《くずかごの唄》143

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】

「この前の道路、昔は霞ケ浦の入り江だったのよ。私が初めて土浦に来たとき、その風情がまだ少し残っていたわ」

「えっ、霞ケ浦から2キロも離れているのに」

「あの辺に柳の並木なんかあって、料亭・霞月楼に行くのに、阿見の人たちは船に乗ってやって来て、風情のある小道を歩き、料亭を利用していたらしいわ」

「その料亭、今でも残っているの?」

「そのまま残っていて、この間、霞月楼に伝わる絵や書の名品展が行われたの」

歴史のある料亭が昔の形で残っているところは、少なくなってしまった。しかし土浦には、霞月楼という老舗料亭が昔のままの形で残っている。

9月下旬、「湖都・土浦を語る」と題したトークセッション(29日)と、霞月楼に伝わる絵や書の写真展示会(24~29日)が行われた。トークセッションの講師の1人、高野史緒さんは娘の友達。もう1人の清水亮先生は、慶応大学の学生を連れて奥井薬局の展示コーナーに来てくださった。

私道を100メートル歩いて出勤

土浦市内の旧中城通りは昔の水戸街道。昭和のころには、鈴木薬局、奥井薬局、山口薬局、土浦薬局と、120メートルぐらいの街道沿いに薬局が4軒もあり、お互いにしのぎを削っていた。一軒置いてお隣の山口薬局さんとは、どちらが先にシャッターを開けるか、毎日競っていた。

私はそういう競争がアホらしくて、父母に店の引っ越しを勧めてみたが、「奥井薬局は、土浦城から出て、水戸街道にぶつかる一等地です」と。

徳川時代の一等地から離れようとしない父母が亡くなってすぐに、私は我が家の敷地の尻尾に薬局を移転してしまった。昔の霞ケ浦の入り江だったところである。家はそのまま昔の水戸街道沿いにあるから、毎朝、弁当やお花、飲み物など手押し車に積んで、私道を100メートル歩いて出勤する。

家(水戸街道沿い)と薬局(霞ケ浦入り江)のある場所は3メートルの高低差がある。手押し車にとっては、ちょうどいい傾斜を歩くことになる。江戸時代、街道を湖の高さから3メートル上げて造った道。土をどこから持ってきたのだろう。この辺りは低地だから、土砂を殿里あたりの台地から運ぶしかない。

人の手だけで運んだのだからすごいなあ。私は毎朝、江戸時代の人に感謝しながら歩いている。(随筆家、薬剤師)

「ながら運転」罰則強化受け 並木中等教育学校で自転車安全講習会

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電動アシスト自転車に試乗し安全運転について確認する生徒ら

県立並木中等教育学校(つくば市並木、柴崎孝浩校長)で7日、中学生向け自転車安全講習会が実施された。道交法改正により11月1日から携帯電話を使用しながら自転車を運転する「ながら運転」に罰則が設けられたなど、自転車の安全運転に対する意識が高まっていることから、電動アシスト自転車メーカーのパナソニック サイクルテック(大阪府柏原市、稲毛敏明社長)が開催した。

中学1年生160人を対象に、通学で使用する自転車に安全に乗るためのポイントや運転ルールを、座学と試乗を交えて解説した。同社の自動車安全講習会は全国で4カ所目。

同社事業企画課の山本力也さんが、体育館のステージにスライドを写しながら、ヘルメットの着用や安全な乗り方、「ながら運転」の罰則強化など道交法改正について説明した。

中学1年生160人を対象にスライドを交えながら安全運転について説明する講師の山本力也さん(ステージ上)

続いて1年生全員が、同社が用意した電動アシスト自転車15台に代わる代わる試乗し、直進したり、目印の周りをジグザグに走ったりしながら安全運転について確認した。

参加した中学1年の生井夢さんは「電動自転車は少しペダルを踏むだけでスピードが出るので少し怖かった。通学では3キロ自転車に乗る。今日の講習会を受け、安全に心掛けたい」と語り、中村そよさんは「電動自転車は普段使っている。正しく乗れば安全。今日の講習会はとてもためになった」と話していた。

同社の山本さんは「電動自転車は安全に乗れるものなので徐々に普及している。坂の多い地域などでは80%が利用している学校もある。メーカーとしては自転車の安全性を高める工夫をしており、合わせて啓蒙活動を行うことで、ハードとソフトの両方を充実させていきたい」と話す。

11月1日の道交法改正では、携帯電話などを手に持って、自転車に乗りながら通話する行為と、画面を注視する行為が新たに罰則の対象になり、違反者には6カ月以下の懲役、または10万円以下の罰金が科される。さらに自転車の酒気帯び運転にも罰則が設けられ、違反者には3年以下の懲役または50万円以下の罰金が科される。酒気帯び運転に関しては、酒気帯び運転の恐れがある人に酒類を提供したり、自分を送ってほしいと同乗したり、自転車を提供した場合も罰則が科される。(榎田智司)

演奏と朗読など融合し研究成果を発表 フランス音楽研究会がサロンコンサート

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「スポーツと気晴らし」の演奏の様子。マルタンの版画と共に

サティの詩を新訳で披露 10日、つくば 夢工房

つくばを中心に活動する「フランス音楽研究会」(阿部理香代表)が10日、つくば市豊里の杜、ギャラリー夢工房でサロンコンサートを開く。今回は「エリック・サティ氏の気晴らし」と題し、20世紀初頭のフランスで活躍した前衛音楽家サティと、その同時代人であるラヴェル、ストラヴィンスキーの作品も取り上げる。

コンサートの白眉は、サティのピアノ小曲集「スポーツと気晴らし」の全曲演奏。ゴルフ、ブランコ、ヨット、魚釣りなど、当時のブルジョワジーの風俗を題材にした全21曲の詩曲集だ。サティの詩は風刺やウィットに富み、今回のコンサートではそれを新訳で披露する。

フランス音楽研究会は2003年結成。近代フランスの作曲家を中心に、文化的背景と音楽表現の関わりなどを異分野融合的に研究し、その成果を演奏と詩の朗読、文化的レクチャーを融合したコンサートとして発表している。

代表の阿部さんはメゾソプラノ歌手で「カルメン」「フィガロの結婚」などのオペラに出演。文学、美術、風俗などの異分野を融合した探求を行い、総合芸術の視点でフランス音楽を研究している。

「イタリア組曲」演奏の様子。ピカソによる舞台背景と衣装デザインと共に

「スポーツと気晴らし」は、高級ファッション誌を手掛けていたパリの出版社が企画し、サティの手描き楽譜と風俗画家シャロル・マルタンの版画をコラボレーションした豪華本として1923年に発表された。当初は1914年の出版予定だったが第一次世界大戦の勃発により中断、約10年の間に流行や価値観が大きく変化したため、マルタンが新たに絵を描き直した。

「新旧の版を比較すると、女性がどんどん自由になっていく過程が分かり面白い。例えば第17曲『そり』は、旧版では男性に押してもらっており、新版では女性が一人で滑っている。第8曲『海水浴』は自由奔放に海に飛び込み、泳ぐ女性たちの姿が生き生きと描かれている」と阿部さん。

サティの音楽については「親しみやすく常に新しい。単純な音で時代を超え、耳にすればみんなが知っている。環境音楽のはしりとも言える人。権威に背を向け、自分の個性を大事に生きた」と阿部さんは評する。

「サティが生きた19世紀末から20世紀初頭にかけては、みんなが新しいものを探していた時代。美術、音楽、ファッションなどが同時に進化し、その様子は音楽だけを見ていたのでは捉えきれない」

当時は女性の力が強まり、アカデミーという既存の権威をひっくり返すほどの力も持っていた。有産階級の女性が主宰したサロンでは、アカデミーのようなヒエラルキーはなく、芸術家たちは自由に新しい自分の芸術を追究することができたという。

サティもまたアカデミーに背を向けた異端児で、モンマルトルのキャバレーのしがないピアノ弾きをしていたが、「ベルエポックの女王」と呼ばれたミシア・セールの抜擢により脚光を浴びることになった。ミシアはロシアバレエ団の創始者ディアギレフのパトロンでもあり、ディアギレフはバレエ作品「パラード」の音楽にサティを起用、そこにはコクトーやピカソ、ストラヴィンスキーら時代の寵児も多くかかわっていた。

「ストラヴィンスキーやラヴェルはサティより一回りほど年下だが、サティよりはるかに売れっ子で、それでいて互いに認め合う仲だった。サティの音楽は10年早かったとも言える」と阿部さん。そうした点もコンサートで確かめることができる。(池田充雄)

◆フランス音楽研究会のコンサート「エリック・サティ氏の気晴らし」は11月10日(日)、つくば市豊里の杜2-2-5、夢工房で開催。開場は午後2時、開演は2時30分。演目はラヴェル:マ・メール・ロワより、ストラヴィンスキー:バレエ音楽「プルチネッラ」イタリア組曲より、サティ:ジムノペディ、1916年の3つの歌、スポーツと気晴らし、あんたが欲しい。料金は2000円、「茶-tea」付き。申し込み・問い合わせは電話029-852-7363(阿部さん)へ。

北海道は北京郊外の山とそっくり《医療通訳のつぶやき》12

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日本最北端の地の碑(写真は筆者)

【コラム・松永悠】10月末に初めて北海道に行ってきました。うちには犬も猫もいるため、家を空けることがなかなか難しく、北海道に行くなんて夢のまた夢でした。

今回はご縁があって、札幌や函館といった有名な観光地ではなく、稚内まで飛んだ後、さらに浜頓別というオホーツク海に面した小さな町に行くので、この旅はどんなものになるか予想もつきませんでした。

結論を言うと、最高の思い出が出来ました。観光シーズンが終わったこと、そして観光地ではない場所として、ディープな北海道の一面を見ることができました。

滞在中、毎日車で移動して、オホーツク海側も日本海側も見て回ることができて、いろいろ感無量です。同じ海でも、東京付近の海と全然雰囲気が違うんですね。オホーツク海も日本海も荒く、そして力強く、とにかく圧倒されっぱなしでした。海沿いに道路があって、高速ではないのに、交通量が少ないから信号なしでスイスイ行けます。

もちろん、海だけじゃないです。広大な平原と山林が途切れることなく延々と広がっています。実はここで意外な収穫がありました。初めて行ったのにも関わらず、この景色を見て私はとても懐かしく感じたのです。

「何もない」を楽しむ時間

この懐かしさはいったいどこから?としばらく観察したら、理由が分かりました。この風景、実は北京郊外の山とそっくり。目の前に広がっているのは子供の時から慣れ親しんだ景色そのものです。緯度的には、北海道が北京より北の方ですが、植物の種類も広大な感じも紅葉の色も驚くほど似ています。

今回の行き先は北海道の最北端に位置するため、行く先々で「最北端の〜」と出合います。土地が広いのに人口が少なく、出合ったエゾジカの数が人間より多いほどです。こんな場所ですから、夜になると文字通り「真っ暗」になります。ナイトサファイアに出かけたら、ここでも感動が待っていました。

これほどきれいな川が目の前に広がっていると気づいたとき、涙が出そうになりました。記憶の中で空一面に広がる星を見たのは、30年ほど前に北京郊外の山に行ったときでした。まだ大学生だった私が、山頂のゲルに泊まって、友人たちとふかふかの草の上で寝転がって、天の川に見とれていた記憶がよみがえりました。

とにかく、今回の旅は「何もない」を楽しむ時間でした。人も人工的な建造物もほとんどない代わりに、豊かな自然、たくさんの野生動物、パワーいっぱいの海を目いっぱい感じて、心を空っぽにすることができました。都会に住む人間にとっては、これほど贅沢(ぜいたく)なことはありません。(医療通訳)

苦手だからやらないだけではね《続・気軽にSOS》155

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【コラム・浅井和幸】自分は体を動かすことが苦手だからやらない。パソコンは苦手なので部下にやってもらう。苦手なことはやらなくてよいので長所を伸ばそう。

苦手だと、苦しんで嫌々物事を進めることはつらいだけで何も身につかないので、その意味ではこれらの言葉は的を射ていると言えるでしょう。チームで物事を進めるときは、自分が苦手なことは得意としている人に任せて、他の人が苦手で自分が得意なことを行う方が効率的で成果が出やすいです。

さて、苦手とは何を指すものでしょうか? たぶん、自分と似た年齢や身近な人と比べたときに、劣っている能力での行為を指すのでしょう。それに加えて、感情的に、感覚的にやりたくないことに対して、苦手だからという言葉が出やすくなるものだと思います(好きなことや面白いことは苦手なことでも行うでしょ? 苦手だから好きなテレビを見ないとか、苦手だから面白いゲームをしないということはないはず)。

行動を起こさないことに対して、向いてないからとか苦手だからというのは、よい言い訳として通用しやすいということですね。面倒だからとか疲れるからやらないという言い訳をしたら格好悪いですから。

誰でも最初は初心者

しかし、長い人生の中では、人は練習を積み上げることで実力を上げることができます。誰でも最初は初心者なのです。例えば編み物などがとても器用にできる人が、実は手先が不器用であるという話はよく聞きます。好きだから続けているうちに、ある分野の手芸に対し誰よりも上手くなっていたという話です。

あのプロ野球のスタープレーヤーも、小学生のときからプロ野球で通用するような能力を持っていたわけではありません。周りの小学生よりは、もしかしたら数段上手だったのかもしれませんが、プロ野球選手と比べたら野球が苦手と言えるかもしれません。スタープレーヤーも幼少時は、プロ野球選手の大人に比べたら体もできていないし、知識もテクニックもない状況ですから。

プロ野球など、切磋琢磨(せっさたくま)してギリギリの挑戦をしているような世界はそうそうあるわけではありません。それに比べれば、私たち常人の生活では、ちょっと勉強すれば周りよりも知識が身に付くし、ちょっと体を動かせば周りよりも体力や技術が身に付き周りよりも得意と言える状況になります。100メートルを10秒切る能力は必要ありません。

腕立て伏せを毎日少しだけ行えば、半年もすれば周りの人よりも腕立て伏せが得意になれるかもしれません。動画サイトでちょっと勉強して、ちょっとだけ実践を繰り返せば、周りよりも掃除とか、料理とか、アプリ作成とかが得意と言えるようになるかもしれません。

あなたは、足が速くなりたいですか? 楽器が弾けるようになりたいですか? 外国語が話せるようになりたいですか? 人に好かれるようになりたいですか? 金持ちになりたいですか? あなたは何が苦手ですか? どの様な人になりたいですか? どの様な生活を送りたいですか?(精神保健福祉士)

来年100周年、運営再検討へ 安藤市長 土浦花火大会中止を改めてお詫び 

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大会実行委員会会長の安藤真理子土浦市長

チケット代は全額返金

順延日の警備員を確保できず開催を中止した第93回土浦全国花火競技大会について(11月1日付)、大会実行委員会会長の安藤真理子土浦市長は5日開かれた市長定例会見で「皆様に心よりお詫びを申し上げたい」と改めて述べ「十分に反省し、今回のことを教訓として、来年に向けて検討を重ねたい」と話した。来年は大会100周年を迎えることから「歴史を未来につないでいくことが私の責務だと思っている」と強調した。

桟敷席6600升(2万6400席)、いす席1万500席を合わせた有料観覧席3万6900席のチケット代計約2億円は全額返金する。返金時期は近く決まる見通しで、大会実行委員会のホームページに掲載する。

順延日の3日と9日に警備員を確保できなかった経緯について大会実行委事務局の市産業経済部は、開催予定だった2日の警備については470人の警備員を配置する計画で、警備会社2社に約1800万円で警備を委託したが、順延日の3日と9日については、5月に今年の実行委員会を立ち上げた当初から警備体制の確保についてお願いしていたとした。

その後、10月上旬から中旬に順延日の警備員が確保できないことが分かり、警備会社に依頼し、県内だけでなく栃木、群馬、千葉県など県外からも応援を得て、さらに都内の大手警備会社にも打診するなどぎりぎりまで人員の確保をお願いしたという。1日時点では順延日に300人程度が確保できる見通しとなり、事務局としては市職員を総動員してでもカバーしたいと考えたが、雑踏を警備する交通誘導業務を行うためには資格が必要であるなど、安全を確保する体制が整わなかったとした。

開催中止に関し、市への問い合わせが1日から4日までに計約3600件あった。開催の有無のほか、「どうして中止にするのか」などの問い合わせが寄せられたという。

同大会の開催費用は約3億円。市の補助金8500万円と有料観覧席チケット代2億円、スポンサー協賛金1500万円でまかなう計画だったが、開催中止によりチケット代2億円と協賛金1500万円が入らなくなった。一方支出は、打ち上げ後の清掃やごみ処理費などを除いて、花火の製作、桟敷席の設営、草刈り、警備費などに事業費の多くをすでに使っている。不足分については今後、議会と相談する。

来年の開催に向けては、大会当日と順延日2日間の計3日間、警備員を確保しようとすると、警備費が3倍の5400万円かかる見通しだ。花火大会は現在も火薬の高騰や資材の高騰などに見舞われ運営費が上がっており、大会実行委員会では有料席を増やすなど自主財源確保に努めている最中だった。

市産業経済部は「来年の運営体制はこれから検討する」とし「どういう形になれば開催できるか、まず今回の検証をして来年に向けて動き出したい」とした。

一方、コロナ禍で開催できなかった2020年と21年はサプライズ花火の打ち上げなどを実施したが、今年は予定していないという。

雨の日と喫茶店と猫 《ことばのおはなし》75

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写真は筆者

【コラム・山口絹記】先日、雨が降っていたので久々になにをするでもなく喫茶店に入った。喫茶店というのは本質的に時間をつぶすところだと思っているのだが、天気の良い日などに行ってみると、仕事か勉強をしていたり、打ち合わせをしていたりする人が多く、なんとも落ち着かない。自分もなにやらしなければならぬ、という気分になる。だから、喫茶店には雨の日に行くのが一番だ。

雨の日の店内は、一定数、雨が降ってきたから雨宿りに入店した、というお客さんがいる。仕方なく入ったわけで、当然やることがない。仕方なく、外を眺めていたりするのだ。それが良い。一緒になって外を眺めていてもなんら罪悪感がない。

最近は一日中晴れている、ということが少ない気がする。秋晴れなんてことばもあったが、ハッキリ感じられる秋そのものが来ない年が続くと、ことばそのものを忘れてしまいそうだ。そんなとりとめもないことを考えながら、珈琲を飲もうとすると、カップが空だった。あれ、飲み終わってたっけ? だいぶ上の空だったらしい。これはかなり良い感じである。良い感じにできあがっている。

帰ったら本でも読もう

ちょうど雨もやんだので外に出る。雨上がりの曇った空の下を歩いていると、木陰に猫がいた。木から滴る雨水を、目をつむって、ペロペロと飲んでいる。近づいても気づかないようなので様子を眺めていると、水の滴る位置が次第にずれていき、もはや猫の口には一切水は届かないのだけど、猫は相変わらず目をつむってペロペロと舌を出している。おまえさんもだいぶ良い感じだな。

じっと眺めていると、うっすら目を開けてこちらを一瞥(いちべつ)し、そのまま眠ってしまったようだ。おまえさんの中の野生はどうした。とは思ったものの、まぁ人の、いや猫の?ことを言えたギリではないので立ち去ることにした。帰ったら本でも読んでゆっくりしよう。

こんな日があってもよいのである。(言語研究者)

つくば市は孤立? 五十嵐市政3期目 《吾妻カガミ》195

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つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】2024年秋のつくば市長選挙は五十嵐氏が勝利した。過去8年の市政運営を巧みに宣伝する広報(PR)戦を展開、PR面では控えめだった星田氏が敗退した。ただ票差は約7000(五十嵐氏6万1604票:星田氏5万4580票)に狭まり、五十嵐氏に対する市民の評価は満足と不満足にほぼ二分された。

宣伝戦の巧拙が結果に影響

コラム194(10月21日掲載)でも指摘したように、五十嵐氏のチラシは自己PRが上手だった。これに対し挑戦者・星田氏の方は公約が総花的で訴求力が弱く、チラシの発行数など物量面でも五十嵐氏が圧倒していた。

また、星田氏が市役所内のゴタゴタを正面から取り上げないのは「政治センスが問われる」と書いたように、挑戦者の争点作り下手も五十嵐氏に幸いした。それにもかかわらず、票差が約7000になったのは、五十嵐市政に対する市民の疑問がくすぶっているからだろう。

知事とのギクシャクは続く?

選挙チラシの2ショット写真でも分かるように、大井川知事は星田氏を支援するスタンスを明確に打ち出した。洞峰公園問題などで知事と市長の間にコミュニケーション不足が生じ、知事が五十嵐氏に強い不信感を抱いたからとみられるが、知事と市長の間のギクシャクは選挙後も残るだろう。

選挙で選ばれる首長間のこういった関係は、それぞれの行政現場に微妙な影響を与える。つくば市にとっては厄介なことだ。

例えば、市長選でもテーマになった県立高不足問題。市は県立高の市内新設がすぐには無理ならば、当座の策として既存県立高のクラスを必要数増やすよう県に求めている。これに対し県は、一部県立高の学級増と近隣県立高への遠距離通学推奨で対応、市の要望を軽視している。つくば市に冷たい県のスタンスはまだまだ続く?

選挙を意識した退職金いじり

市長選が終わり、五十嵐氏の2期目の退職金をいくらにするか、現在、ネット投票が行われている。詳細はコラム191(9月16日掲載)を読んでほしい。要は、2期目の仕事振りについて市民に採点してもらい、その平均が100点ならば規定額2040万円を受け取り、評点ゼロの場合は退職金を辞退した1期目と同じ22円になるというスキームだ。

五十嵐氏のユニークな退職金のもらい方について、周辺の市長さんは困惑している。1期目の退職金辞退が発表されたとき、多くの市長さんは唖然(あぜん)としていた。市民受けを狙って退職金がいじくり回されると、施策を競い合う選挙が歪んでしまうからだ。退職金額を市民投票で決めるというアイデアは、選挙を意識したポピュリズムの極みといえる。

知事や周辺市長と五十嵐市長の関係を見てくると、つくば市は他の行政組織から孤立しつつある。こういった流れが市政にどういった影響を与えるか、要注目だ。(経済ジャーナリスト)

手づくりの祭りで交流 5年ぶり「桜が丘フェスタ」【シルバー団地の挑戦@つくば 桜が丘】1

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5年ぶりに開かれた「桜が丘ふれあいフェスタ」に参加し輪投げを楽しむ団地住民ら=つくば市桜が丘

つくば市茎崎地区の住宅団地、桜が丘で3日、住民手づくりの祭り「2024桜が丘ふれあいフェスタ」(同自治会主催)が5年ぶりに開かれた。午前中は団地内の中央公園に豚汁や焼き芋、焼きそばなどの屋台が並んだ。住民約200人が参加して輪投げやヨーヨー釣りなどのほか、おしゃべりや会食を楽しんだ。午後からは隣接の公民館でハンドベルの演奏を聞いたりカラオケを楽しむなどして交流を深めた。コロナ禍で2020年から中止していた。

焼き芋にしたサツマイモは、団地内の畑で野菜作りをして一人暮らしの高齢者らに届けている「ふれあい友の会」の星野富士子さん(78)ら約20人が栽培した。1~2週間前に200本を収穫し、焼き芋にした。豚汁は自治会役員らが前日から仕込んで準備した。ハンドベルの演奏は日ごろ卓球を楽しんでいるメンバーが1週間ほど前から猛練習を重ねて披露した。豚汁の調理と販売を担当した女性(77)は「すごく和やかで楽しい。ありがたい」と話していた。

ハンドベルの演奏を披露する住民=同

2015年まで同団地では、公園にやぐらを組んで盆踊りなどをする夏祭りを2日間にわたって開催してきた。住民が高齢化し準備が大変なことから、16年から文化祭を兼ねた秋祭りに切り替えた。

同団地は首都圏に通勤した団塊世代が多く住む約450戸の一戸建て住宅団地で、1977年から入居が始まった。入居開始から47年経ち住民は一斉に高齢化し、現在65歳以上の高齢化率は52%、空き家が約50戸あるという。

同自治会の落合正水会長(78)は「茎崎地区全体が共通して抱えている問題だが、だんだん高齢化し、催しものの開催が年々難しくなっているほか、自治会役員のなり手がいないのも課題」だとし、5年ぶりのフェスタ開催について「高齢化している中で、ふれあいや親睦の場を通して皆さんと楽しんだりすることは意義深いのではないか」と話す。(鈴木宏子)

103万円の壁、税率5%をゼロに《ひょうたんの眼》73

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写真は筆者

【コラム・高橋恵一】裏金問題や統一教会問題で安倍一強政治への批判を受けて衆院解散による総選挙の結果、自公与党が過半数を割り込んだ。与党少数だが、野党はバラバラなので、施策の優先度や重要課題についてよく議論し、協議内容を公開して世論の評価なども受けながら、バランスの取れた政策が推進できるのではと期待していた。

しかし、国民民主党は、労働組合を基盤とする、弱者側に立つ政党と理解しているが、キャスティングボートを握ったとして強気になり、選挙勝利の成果を、低賃金労働者(いわゆるパートさん)の手取りを増やす政策を主導し、103万円の壁を無くすというものだ。

彼女(パート)らは、月収10万円弱だが、年末の11月ごろには、それまでの収入が103万円に達してしまい、12月の就労を止めないと、所得税がかかる。さらに、賃金の年収が130万円を超すと社会保険に加入し、保険料を負担することになる。

また、この壁を超えると、夫の扶養家族控除が無くなり、会社からの扶養手当も無くなる場合もあり、就労日数を増やしても、かえって手取りが減ってしまうから、妻(パートさん)は、働く日数を制限してしまうという事情のようだ。しかし、壁を越えて増額する収入額は、新たに負担する所得税や社会保険料より多く、手元の残金の方が多いのだ。

国民が就労して国や自治体の必要な公共サービスの経費を能力に応じて負担するのは当然だし、社会保険への加入は老後の生活を保障する重要な制度だ。むしろ、扶養控除や扶養手当の継続が課題かもしれないが、減税と違って、雇用企業が決めることなので、政府は強制できないだろう。

低所得層の所得拡大が必須

冷静に評価すれば、103万円の壁の見直しは、目先の手取りが若干増えるように見えるが、壁を178万円にしても、パート労働者の賃金は大幅に増額することはないだろう。むしろ、パート労働者の低賃金を固定させてしまう恐れがある。壁の見直しで基礎控除の底上げをすれば、累進課税だから、負担軽減したい低所得者より、高額所得者の方が断然減税額が多くなるのだ。

検討課題は多いけれど、手取りを増やすために壁の見直しをやるとするなら、基礎控除の引き上げではなく、課税対象額の低い区分(194万9000円以下)の所得税率を5%から0%に変更すれば、高所得者の減税は生じない。

現在、我が国の課題の一つは、経済力の低下。以前はGDP(国民総所得)世界第2位だったのが、昨年には、ドイツに抜かれて第4位、1人当たりGDPは世界34位にまで落ち込んでしまった。GDPは名称の通り、国民ひとり一人の所得の合計額だ。従って、GDPの拡大には、国民、特に低所得層の所得拡大が必須だ。

非正規労働者の大半は女性で、市役所などの公的職場で働いている。政府が賃上げすれば改善する。政府がやらなければ実現しない。(地歴好きの土浦人)

つくば駅とバスターミナルに1日導入 点字ブロックのQRコードで視覚障害者を道案内

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点字ブロックのQRコードを自分のスマートフォンで読み取り道案内する視覚障害者向けナビゲーションシステム「shikAI(シカイ)」=TXつくば駅ホーム

つくばエクスプレス(TX)つくば駅構内と、隣接するつくばセンターバスターミナルに1日、視覚障害者をスマートフォンの音声で道案内するシステムが導入された。点字ブロックに貼り付けられたQRコードを自分のスマホカメラで読み取り、行き先を選ぶと、目的地までの移動ルートを案内してくれる。

TXを運行する首都圏新都市鉄道とバスターミナルを管理するつくば市、システムを開発した「リンクス」(東京都港区)が昨年5月から6月、視覚障害者が学ぶ筑波技術大学の協力を得て実証実験を実施した(23年5月31日付)。安全性や利便性が確認されたことから今回、本格導入された。

導入にあたって、バスターミナルからつくば駅のホームまで約250メートルにわたって敷設されている点字ブロックの分かれ道や曲がり角など170カ所に計791枚のQRコードが貼り付けられた。利用方法は、自分のスマートフォンのカメラをQRコードにかざし、アプリをダウンロードする。スマホ画面に表示される目的地のリストから、つくば駅のホームやバス停、タクシー乗り場などを選択すると、分かれ道や曲がり角のたびに女性の音声で「直進10メートル」「右3メートル」「その先、前方に下り階段。階段を65段降ります」などと道案内し、目的地まで誘導してくれる。

ナビゲーションシステムを実際に使って特徴などを説明するリンクスの藤山悠史さん=同

視覚障害者は頭の中の地図をもとに、白杖や点字ブロックを使いながら1人で移動できるが、知らない場所では外出を支援する誘導者が必要になる。導入された移動支援システムは、初めての場所でも1人で移動できるよう、アプリに入っている点字ブロックの地図データを基に、進む方向と距離を案内する。

市内には視覚障害者が学ぶ筑波技術大が立地するなどから導入に至った。つくば駅では2023年4月時点で月30人の視覚障害者が駅係員のサポートを受けて乗車しているという。

導入されたのは「shikAI(シカイ)」というシステム。費用は、つくば駅構内が設置費用74万円、年間利用料が18万円で首都圏新都市鉄道が負担、バスターミナルは設置費用43万円、年間利用料は11万円でつくば市が負担する。ただしアプリをダウンロードできるのは現時点でiPhone(アイフォン)のみ、アンドロイドのスマホは利用できない。

首都圏新都市鉄道運輸部つくば駅務管理所の船越順也助役は「このシステムを活用することで視覚障害者がつくば駅とバスターミナル間を不安なく移動できる環境になる」とし「導入後もお手伝いが必要なお客様には駅係員が今までと変わらずサポートします」と語り、つくば市総合交通政策課の上田洋輔課長補佐は「視覚障害者がアプリを使って、一人でも気軽につくばセンターやつくば駅に外出してくれれば」と話している。システムを開発したリンクス ソフトウェアエンジニアの藤山悠史さんは「視覚障害者がもっと気軽に一人歩きできる世の中になってほしいと開発を進めてきた。駅からバスターミナルへの乗り換えなど移動や乗り換えの選択肢の幅を広げられれば」と述べる。

同システムは2021年1月に東京メトロで導入され、つくば駅は全国15施設目。導入事業者が鉄道事業者と自治体の2者にまたがるのは全国初。視覚障害者だけでなくつくば駅やバスターミナルで道に迷った時などに誰でも利用できるという。(鈴木宏子)

「ひきこもり」その3《看取り医者は見た!》30

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写真は筆者

【コラム・平野国美】前回コラム(10月16日掲載)で、「ひきこもり」の原因として家屋構造を取り上げ、思春期における子供部屋の意味合いについて書きました。このほかに、家屋と町並みの関係もあると思います。

私が訪問診療をしているこの20年の間に消えていったものが、いくつかあります。例えば、縁側や垣根といった家屋構造は消えました。今、訪問先の患者さん宅で、道路から垣根越しに、縁側や応接室が見えるお宅があります。この家では、いつの間にかご近所さんが訪れて縁側で話し出すのです。

お話を伺うと、約束までして来るものではないとか、チャイムを鳴らしてまで訪れるものではないとか、玄関から入るほどの用があるわけでもないから、縁側で十分なのだと話されます。見ていると、散歩中の知人を見つけて呼び入れ、お茶が提供され、自然と会話が始まります。

こんな昭和の風景は消えました。どこもマンションやアパートが並び、門柱の表札も消えました。よく言えばプライバシーの保護ですが、隣人の名前も家族構成も、全くわからない状況となりました。

昔の住宅では、8畳間で暮らす家族との接触を断つことは不可能でした。近所とのコミュニティにしても、垣根といった外部との曖昧な境界によってつながっていました。子育てにしても、地域で育てる流れがあったと思うのです。

時代の変化も大きく影響

数年前、ある女性がお葬式で故郷に帰るというので、ご親戚に不幸があったのか?と尋ねると、自分が育った商店街のおばちゃんの葬式と言うのです。「私の実家は商売で忙しく、おばあちゃんの店に行って、アヤ取りを教わったり、昼ごはんもご馳走になっていました。お葬式も行くのが当たり前じゃないですか」と。

最近の研修医を診療先のお宅に行かせると、困惑の表情を浮かべることがあります。どこに座ったらいいのか、なにを話したらいいのか、迷ってしまうというのです。どうしてかと聞くと、子どものころ、ご近所や他人宅に行った経験があまりないようなのです。こういった状況が「ひきこもり」とまではいかなくても、コミュニケーション能力不足につながっているようです。

駄菓子屋のおばちゃんをおだててオマケをしてもらうとかが、コミュニケーション能力の上達に役立ったと思うのです。チェーンの飲食店が少なかった時代、大衆食堂や喫茶店も、食べる以外に誰かと会話をする場所でした。「ひきこもり」には、こんな時代の変化も大きく影響しているのではないかと思うのです。(訪問診療医師)

ダイオウイカ再登場 県自然博物館 開館30周年企画展

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国内唯一というダイオウイカの含浸標本=坂東市の県自然博物館

ミュージアムパーク茨城県自然博物館(坂東市大崎、横山一己館長)の開館30周年を記念する企画展「ミュージアムパーク30年のありったけ」が2日から始まる。1日には関係者を招き、オープニングセレモニーと内覧会が開かれた。

1994年の開館以来30年にわたって収集、蓄積してきた展示資料の「ありったけ」を公開する。見せるだけでなく、触ったり体験もできる企画内容で、2月に展示を入れ替えながら来年6月1日まで続くロングラン展開となる。

第91回となる今回の企画展は特設会場に10のコーナーを設け、同館の過去、現在、未来それぞれの「おもしろさ」にスポットを当てる。植物、動物、地学の分野から選りすぐりの収蔵資料を展示する。

オープニングセレモニーであいさつする横山一己館長(左端)



過去に人気を集めた展示を再登場させるベストセレクションコーナーでは、ダイオウイカの再標本化による展示を見ることができる。

2019年に石川県七尾市の定置網にかかったダイオウイカで、採集時の体長は約3.2メートル。同館で液浸標本とし、20年の企画展「深海ミステリー」に展示すると人気となったが、会期終了後に展示ケースから液漏れを起こしてしまった。

今回は資料課の池澤広美さんらが中心となり、含浸標本としての再標本化に取り組んだ。生体の水分や脂質を高級アルコール(蝋状の固体)に置き換える措置で、採集時のふっくらとした標本に仕上がった。ダイオウイカの含浸標本は国内唯一という。

同館は今年累計の入場者数が1300万人を突破。横山館長は「16ヘクタールにも及ぶ広大な敷地ながら交通の便がいいとは言い難い立地だが、今年度入場者は50万人を突破しそうで、コロナ禍以前の水準にまで回復した。団体のお客様が多く、県内ばかりでなく広い地域の皆様に満足いただいている。今後TX沿線で移動博物館を開くなど計画していきたい」としている。(相澤冬樹)