金曜日, 6月 26, 2026
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パンツと節約 《続・平熱日記》121

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【コラム・斉藤裕之】突然だが、私はブリーフ派だ。派と言っても、ブリーフに特別に肩入れするほどの理由はない。ただ、はき慣れているというだけで、身なりに無頓着な人でも、肌に身に着けるものは以外に好みがあるということの例の一つだ。

昔は子供と言えば、ほぼ百パー白のブリーフを履いていた。ところが、高校生あたりになるとトランクス派が出てきた。ちょっと大人びた響きを感じたトランクス。私も目移りしたこともあったが、結局はき慣れたブリーフに戻った。

パリに留学したときもブリーフ。貧乏学生にとってせいぜい下着とシャツ、タオルほどの洗濯をするのにコインラインドリーに行くのは癪(しゃく)で、洗面所で洗うことに決めた。絞るのには大変な、少し大きめのタオルや厚手の衣服は、手すりのようなものに絡めて、ぐるぐるねじって絞る技を編み出した。パンツもなるべく小さくて洗いやすいブリーフが重宝した。

ところで、ブリーフといってもタイプがあって、私の好みは股上がやや浅いもの。誰かがこのタイプのものを新日本プロレス型と呼んでいたが、納得。アントニオ猪木がジャイアント馬場と袂(たもと)を分かち立ち上げた団体のレスラーは、このタイプのパンツをはいた(ややこしいがプロレスラーのはくパンツはトランクスと呼ばれる)。それに対して、馬場や鶴田のいた全日本のパンツは股上の深い縦長のパンツだった。

ところが、しばらくぶりにパンツを買いに行くと、ブリーフの売り場は隅に追いやられている。その上、この新日本型のパンツを探すのは一苦労で、もはや絶滅危惧種である。

ここ10年、20年のうちに台頭してきたのは、ボクサーパンツだ。今やこれが売り場のほとんどを占めている。これを私はミルコ型またはヒクソン型と呼んでいる(わかる人にはわかるかな。いずれも総合格闘家)。私もこのミルコ型を何度か試したが、腿(もも)の付け根あたりに違和感があってだめだった。

安売りで買ったブリーフ

この秋、生活用品が軒並み値上がりして、テレビでは頻繁に「節約術」なるものを特集している。一方で、旅行が割引になると聞くと、あっという間に予約は埋まる。お金がある人は使った方がいいのだろうが、何となく不公平感を感じる。大した得もないのに、買い物するたびにカードを求められるのもうんざり。もはやポイントハラスメント。

先日、安売りの値札につられて買ったブリーフが、ふたを開けてみたら全日本型だった。おしりの辺りがだぶつくのを我慢して履いているが、入浴前にパンイチになると、自然と全日本プロレスのテーマソング(馬場がトップロープをまたぐ映像)を口ずさんでしまう。

次は間違えずに新日本タイプを買って、「猪木ボンバイエ」を口ずさみながら風呂に向かおう。だが、その燃える闘魂アントニオ猪木がこの世を去った。プロレスごっこで、ふすまをボロボロにして叱られ、アリとの異種格闘技戦を固唾をのんで見守った身としては、一つの時代の終わりを寂しく感じずにはいられない。

そういえば、パリにいた2年間は湯船につかることがなかったことを思い出した。少し寒いのを我慢してシャワーで節約。「元気があればなんとかできる、1、2、3、ダー!」(画家)

パイオニアは元養護教員【北条宿でコーヒーブレイク】1

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店主の横山さん

つくば市内にいくつもある喫茶店は、老舗から新鋭まで様々な展開を見せている。古民家を活用した店もあり、研究学園地区の外側に店を構える例も増えている。

その中で、行政のくくりでいう筑波地区の「北条宿」(宿=しゅく=は街道の拠点となったところ。本稿ではあえてこの呼称を使う)には、この手の業種が存在しなかった。

補足するなら過去には存在しなかったといった方が適当だ。少なくとも地域の人々は「スナックはあったかもしれないが、喫茶店は聞いたことがない」「そもそもお茶は家で飲むもんだ」と答える。

2022年、現実には3件の喫茶店が存在する。喫茶店やカフェという業種が、いつの間にか北条の町なかに定着したことは、実は新鮮な風景なのだ。北条宿においてコーヒーを飲むことのできる喫茶店を訪ね歩く。

サイフォン式に憧れて

北条カフェのパイオニアでもある「茶房 佳風」

初回に訪ねる「茶房 佳風(さぼう かふう)」は、国道125号の北条歩道橋交差点から南に入った一軒家の店舗。ガソリンスタンドが国道側に所在するため目立たないたたずまいだが、この店こそが北条の地にコーヒーブレイクのスポットを開拓したパイオニアだ。

店主の横山ひろ子さん(71)は、元は養護学校の教員だった。家族の介護のために50歳で職場を辞する。コーヒー豆の焙煎(ばいせん)や淹(い)れ方に触れたのは、教員時代に余暇の楽しみとして参加した公開講座だったそうだ。

「サイフォンで淹れるコーヒーの透き通ったワインのような色がとても素敵で、いつか自分でやってみたいと感じました。教員を辞め、その後家族の介護からも解放されたとき、まだ追いかけられる夢として、コーヒーがあったんです」

当時、公開講座を開いていたのは、利根町などで「コーヒーハウスとむとむ」を経営する小池康隆社長。再び喫茶店のいろはを学ぶために門を叩き、店舗の立地条件や客足の季節毎の変動など、とむとむのノウハウを伝授してもらった。2006年9月に開店した。

コーヒーはサイフォン式で提供される

クラブハウスサンドは逸品

なぜ北条だったのか?

「自宅から通えるところで人の集まる町が北条でした。小池社長からは、役所と学校の近くは意外に客は入らないよと言われましたね。開店の頃はすごい人だかりで1カ月ほどはてんやわんやでした。でも言われたとおり、年が明けるとお客さんが来なくなった。まさしくお茶は家で飲むもの。そういった風習との戦いというか、じっと待つ毎日でした。その間、絶やさなかったことはいつでも笑顔でいること。それも小池社長の教えです」

店が軌道に乗ったのは3年ほど経過してからだという。客層は喫茶店になじんだ団塊世代が中心となり、午後7時で閉店するところを「8時までやってよ」と要望されたという。

横山さんのコーヒーは蒸気圧でお湯をフラスコからロートへ移しながらコーヒー粉に浸すサイフォン式。カップ2杯分が提供される。サイフォンによるコーヒー抽出は強めの苦みと濃い味わいになるといわれているが、佳風のコーヒーは横山さんが憧れた透き通ったワイン色を醸し出すため、ソフトブレンドのようにあっさりとしている。

看板メニューのクラブハウスサンド

手伝いを頼むこともあるが、大半の仕事は横山さんが1人で行う。想像以上にメニューの内容も充実している。お勧めを聞くと「クラブハウスサンド。学生の頃、浜松町の世界貿易センタービル最上階のレストランでホールスタッフのアルバイトをしていました。そのときのメニューでとてもおいしそうだったことと、厨房の人たちの手際を思い出しながら、これは喫茶店でもできるかな、と」

横山アレンジが施されてはいるが、佳風のクラブハウスサンドは、今は貿易センタービル改築のために閉店してしまった浜松町東京會舘仕込みの一品だった。(鴨志田隆之)

続く

つくば洞峰公園問題 県と市の考えが対立 《吾妻カガミ》144

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つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】つくば市の県営洞峰公園改修問題が迷走しています。茨城県の計画に日常的な公園利用者が猛反対。そこで県が広く県民を対象にしたアンケート調査(2回目=秋)を実施したところ、改修賛成が50%に達しました。ところが市は、日常的利用者を主対象とするアンケート調査(県が公表を抑えていた1回目=夏)の分析結果(改修反対が86%)を公表、対案をぶつけたからです。

レジャー施設にこだわる知事

県としては賛成50%で理論武装し、計画の基本を維持したいようです。詳細は「知事『市が所有も一つの選択肢』…」(10月25日掲載)をご覧ください。

そのポイントは、▽2回目のアンケート調査では、県民の賛成が50%(反対は13%)、つくば市民の賛成が39%(反対は27%)と、いずれも改修賛成が多かった、▽ただ、日常的利用者の懸念に配慮し、計画の核になる「グランピング」と「バーベキュー」施設に、飲酒可能区画と同時間を設ける、▽自然を残せとの声に応え、樹木伐採は極力抑える、▽公園を市に移管したらどうかとの提案は選択肢のひとつ―などです。

つまり、県民と市民が支持してくれたので、「グランピング」「バーベキュー」施設を設ける計画は変えないということです。公園運営に民間の知恵を入れ、レジャー施設を経営してもらい、その収益で維持管理費を浮かせる、というのが県の構想です。このため、この2施設はどうしても必要な仕掛けなのでしょう。

市の対案は施設利用料値上げ

県の構想に日常的利用者は反発しています。両施設があると、宿泊者の飲酒で騒がしくなり、バーベキューの煙や臭いは迷惑だ―と。市はこの声を踏まえ、県は計画を取り下げ、公園の維持管理費はプールなどの施設利用料の値上げで捻出したらよいとの対案を出しました。詳細は「(公園運営民間委託を)撤回し利用料値上げを つくば市長…」(11月2日掲載)をご覧ください。

そのポイントは、▽1回目のアンケート調査を分析したところ、日常的利用者の86%は県の計画に反対という結果が出た、▽公園の維持管理費を捻出する方策として、施設利用料の値上げでまかなう案に理解を示す人が52%いた―などです。

市営に移管するという選択肢

県と市の考えの違いは上のように要約できます。面白いのは、県民の50%、市民の39%が計画に賛成、日常的利用者の86%が計画に反対―と、県民・市民と日常的利用者で賛否が分かれることです。

県民の賛成50%の数字を踏まえると、県は計画を撤回することはできないでしょう。また市の方は、市民の賛成39%を悩ましく思いながら、日常的利用者の86%が反対していることから、撤回に動かざるを得ないでしょう。

アンケート調査も大事ですが、もうひとつ大事なのは、公園の管理者は市でなく県であるということです。公園サービスの提供者である県としては、市の対案(施設利用料値上げ)を素直には受け取れないでしょう。

私は市vs.県の泥沼化を心配し、コラム134「県営の洞峰公園、つくば市が買い取ったら?」(6月6日掲載)で、公園の市営化を提案しました。県は面子を失わない形で計画を白紙化できるし、日常的利用者の要求(公園を変にいじらない)を100%満たせるからです。知事はこの案を選択肢のひとつと言っていますから、スマートな策ではないでしょうか。

対県提案を市が実施したら?

不動産業者によると、公園周辺の地価は1平方メートル=約10万円、20ヘクタールある公園の市場価格は約200億円だそうです。この数字を踏まえると、タダというわけにはいかないでしょう(少なくとも簿価?)。また、移管されれば、毎年2億円強の維持管理費を市の予算に計上する必要があります。

県の計画に賛成する市民(39%)は、移管に伴う公園買収費と維持管理費にNOと言うでしょう。そういった声には、(日常的利用者が自己負担する)施設利用料の値上げでまかなうと説明すれば、納得するのではないでしょうか。(経済ジャーナリスト)

全国の駅弁掛け紙コレクションも つくばの古書店で鉄道150年展

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ショーケース展示の一部

つくば市吾妻の古書店ブックセンター・キャンパス(岡田富朗店主)で、第16回店内展示「鉄道150年」が開催中だ。1872年(明治5)10月14日に日本初の鉄道が新橋-横浜間に開業してから150年を迎えたのを記念し、店内のショーケース3台に明治期から現在までの鉄道関係資料約80点を展示している。目玉といえるのが数百枚に及ぶ駅弁の掛け紙コレクションで、かつて名を馳せた土浦の駅弁も含まれている。

主な展示品は、明治~昭和期の各地の時刻表や鉄道地図、旅行案内などのほか、運転教範や線路工手教範といったマニュアル類、改札鋏(かいさつばさみ)や鉄道懐中時計、車両番号札などの実物も豊富だ。地域資料では旧筑波鉄道や筑波山ケーブルカーの絵はがき、つくばエクスプレスのカレンダー(2008年~2018年)などがある。

珍しいところでは、1881年(明治14)に発行された日本鉄道会社の鉄道特許条約書(国の設立許可書)もある。同社は岩倉具視らが中心となって立ち上げた日本初の私立鉄道会社で、後の東北本線、高崎線、品川線、常磐線などを運営していた。

駅弁の掛け紙はショーケース展示とは別に、地域ごとにファイリングされ、北海道から九州までの日本全国と、日本統治下の朝鮮や台湾のものもある。鉄道旅行黄金期とされる昭和初期を中心に、戦時中の「国民精神総動員」「車内も隣組」といった標語を刷り込んだものも目立つ。

「今は駅弁の販売は始発駅に集中しているが、昔は途中の駅で買うことが多かった。今と違って列車旅行は長旅で、駅弁の需要も大きかった。特に機関区(機関車の保守点検などをする車両基地)のある駅は停車時間が長く、車窓越しにホームの売り子から弁当を買う姿がよく見られた」と店主の岡田さん。そうした駅の一つが土浦で、水戸機関区の土浦支区があり、機関車の取り替えなども行われていた。

駅弁の歴史113年 土浦駅

展示されている土浦駅の駅弁掛け紙、左は説田商店、右2枚は山本弁当店

土浦駅では日本鉄道土浦線(現JR常磐線)開業4年後の1899年(明治32)、説田商店に構内営業の許可が下り、翌1900年(明治33)には山本弁当店、1902年(明治35)には福見商店(後の富久善)が参入して競い合った。当時、常磐線で駅売りがあるのは土浦駅と水戸駅だけで、例えば午前8時30分上野発に乗った客は、11時14分着の土浦で弁当を買い逃すと、午後1時20分の水戸着まで空腹を抱えなければならなかった。

土地の名物駅弁、いわゆる特殊弁当は明治中頃から盛んになった。中でもうな丼は土浦駅の説田商店が1902年(明治35)に発売したのが最初とされ、日本画家の横山大観が常磐線に乗る際は、必ずといっていいほど同店に注文が入ったという。

高度成長期、鉄道の高速化は駅弁業界に逆風となった。在来線でも特急列車の停車時間が短くなり、車両の窓も開かなくなったため、ホームでの立ち売りは急速に姿を消し、売店での販売や車内販売に活路を求めていった。しかし行楽の足がバスや自家用車に変わり、さらにファストフードやコンビニ弁当の普及などもあり、駅弁はますます衰退。土浦では2012年(平成24)に富久善分店がホーム売店を休業したのを機に、113年に及ぶ駅弁の歴史に幕を下ろすことになった。

「誇らしく、感謝」

思い出を語る説田賢哉さん

説田商店の創業者・良三郎のひ孫で、土浦市内で不動産鑑定事務所を営む説田賢哉さんは、幼いころの記憶に残る自社商品に、うな丼のほか、霞ケ浦の名産品を取り入れた幕の内タイプの「水郷弁当」、山菜炊き込みご飯の「ときわ路弁当」などがあったと振り返る。

だが父の賢助さんの代には駅弁はすでに下降線で、立ち食いそばに軸足を移した後、2001年(平成13)ごろ経営を譲渡、駅での事業から撤退している。「明治から平成までの間、土浦の歴史に名を刻んだことは誇らしく、今の自分があるのも曾祖父らのおかげと感謝している。できることならもっと話を聞きたかった」と賢哉さんは述懐する。

◆会期は12月11日(日)まで。営業は午前10時~午後4時。不定休(ツイッター@campusokadaで情報更新)。同店はつくば市吾妻3-10-12(北大通り沿い、店舗の裏に駐車場あり)、電話029-851-8100

お米を極める旅 in柏崎 ① 《ポタリング日記》9

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門出かやぶきの里・いいもち棟

【コラム・入沢弘子】愛車「BROMPTOM(プロンプトン)」が故障してしまい、修理に2カ月ほど要するということ。11月と12月のコラムは番外編として、先月参加した「対話型体験」プログラムについて報告します。

前職の会社の同僚・大羽昭仁氏が、「地域が稼ぐ観光」をコンセプトに会社を立ち上げました。彼のプロデュースは茨城県内では「かすみキッチン」(かすみがうら市)が知られています。現在は、各地の地域資源を生かした観光プログラムづくりに取り組んでいます。

私はそのパイロット事業「日本の食の原点・お米を極める旅」に参加しました。自治体プロモーションに携わってきた経験から、どのようなストーリーをつくるのかに興味があったからです。10月中旬、新潟県柏崎市へ。2泊3日の「旅」でした。

越後門出和紙作家の小林康生さん

柏崎駅からタクシーで訪れたのは史跡「飯塚邸」。大地主で、政財界で活躍した一族の家屋です。昭和天皇が滞在された際に名を賜った庭園も案内していただきました。宿場町であり、かつ北前船の寄港地として繁栄した町の歴史がしのばれました。

次に向かったのは高柳町門出(たかやなぎちょうかどい)。市街地を過ぎると程なく鯖石(さばいし)街道。江戸時代は小千谷縮(おじやちぢみ)を運ぶ要路でした。のどかな風景を走ること40分。3メートル以上の降雪がある豪雪地帯、門出に到着です。紙漉(かみす)きの5代目、越後門出和紙作家の小林康生さんが迎えてくれました。

小林さんの和紙は、地元産の楮(こうぞ)を使った品質と高い技術で定評があり、隈研吾氏の依頼でサントリー美術館やジャパンハウスに使用されています。彼が和紙作家活動と共に続けているのが茅葺(かやぶき)家屋の再生。約40年前に空き家になった茅葺家屋修復を開始しました。

その目的は、過疎化する集落に都会の人を呼び込み、交流を深め、地域活性化を図ること。再生した家屋は宿泊施設「門出かやぶきの里」として運営。今では国内外から年間千人以上が訪れ、他地域からの移住も実現しています。

宿泊した「いいもち棟」は、山並みを背景に広がる田んぼの一角。谷内六郎氏の絵にある風景のようです。夜の帳が下りるころ、2階の部屋にいい香りが漂ってきました。囲炉裏のある座敷に降りると、炉端では串刺しの鮎が焼かれていました。

門出の昔話は『北越雪譜』のよう

お米作りの達人・農業指導士の鈴木貴良さんも合流し、軒先で餅つきのスタートです。門出産大豆で作ったきな粉をつけたお餅を堪能するころ、竈(かまど)でお米を炊き始めました。中越沖地震で崩れた壁の土で作った竈に、紙漉きで使用する楮の皮や山で集めた杉の葉をくべていきます。

門出産新米の焼きおにぎり

「SGDSって言うけれど、門出では昔からやってるんですよ」と小林さんがポツリ。食事は集落のご婦人達が交代で作ります。材料はすべて門出産。今夜は酢ずいきと菊のおひたし、揚げ茄子(なす)煮ひたし、のっぺ、野菜天ぷら、糸瓜(へちま)のサラダ、車麩(くるまぶ)と野菜の煮物、馬鈴薯(ばれいしょ)の甘辛和え、鮎の塩焼き、ぜんまいの煮物、お雑煮、そして焼きおにぎり―。

炉端で語る小林さんの幼少期の門出エピソードは、まるで『北越雪譜(ほくえつせっぷ)』のようでした。

ある方が「日本中の米を取り寄せてみたら一番おいしかった」という門出の米。地域の人々と語らい、風景にふれ、作物を生産者の方が調理し、その場所で味わう。ここでしかできない特別な体験。ぜいたくな気分に浸りつつ、星空を眺め、夜は更けていきました。(広報コンサルタント)

土浦全国花火競技大会 5年ぶりフィナーレまで完走

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花火競技大会の華、スターマイン=5日午後6時、土浦市下高津で撮影

色とりどりの花火が大音響と共に土浦の夜空に戻ってきた。第91回土浦全国花火競技大会(主催・大会実行委員会、委員長・安藤真理子市長)は5日、土浦市佐野子、学園大橋近くの桜川河川敷で開かれ、開催を待ちわびた多くの見物客でにぎわった。

内閣総理大臣賞をかけて花火師が技を競う国内最高峰の大会の一つ。2018年と19年は事故により途中で打ち切り、20年と21年はコロナ禍で中止となった。今年はコロナ対策と安全対策を徹底して、3年ぶりに開催された。

空高く見上げる10号玉=同

大会は、従来より30分早い午後5時30分に最初の一発が上がり、午後8時過ぎまで約2時間半にわたり、音と光のスペクタクルが繰り広げられた。空高く轟音を伴って打ち上がる10号玉、トリッキーでユニークな形状の楽しめる創造花火、土浦の花火名物といわれる華やかなスターマイン、競技大会参加の93作品、広告花火を加えると100近いプログラムが次々に夜空を染めた。

新型コロナ対策として、有料観覧席の入場者を例年より4割減らし約3万5000席に制限し、入場する際は検温と手指消毒を求め、飲食時以外のマスク着用を徹底した。

18年と19年の事故を教訓に、安全対策として打ち上げ場所付近の立ち入りを規制する保安距離を200メートル確保したほか、一本の花火筒に2つ以上の花火玉を入れて打つ「重ね玉」を取り止めて臨んだ。

待ってましたの観客でごった返す

会場周辺は開催を待ちわびたファンで早々に混雑し、ごった返した。午後3時過ぎにはJR土浦駅から会場に向かう人たちで、桜川左岸の堤防道路に長い行列ができた。屋台の仕込みが始まり、堤防下の河川敷では早々にブルーシートが広げられ、場所取りが始まった。

桜川銭亀橋付近。土浦駅から会場に向かう人の列の下で河川敷の場所取りが始まる=午後3時すぎ

土浦大橋から学園大橋の間の桜川左岸は桟敷席以外も有料の椅子席となり、堤防道路との間は黒い遮へい幕で花火の打ち上げも見られないようシャットアウト、立ち止まらないよう警備員らが早い時間から交通整理に張り付いた。実行委員会は約2000人で誘導など行う警備体制を敷いた。

駐車場を開放した生田町のスーパーは大賑わい=午後7時すぎ

生田町のスーパーでは仮設トイレを設け、駐車場を開放した。駐車場にシートを敷いて見物する家族連れなどでごった返した。桟敷席対岸の下高津側では市の用意した駐車場が早々に埋まり、1台3000円が相場の民間の駐車場前にも車列が出来た。

あまりの人出と警備誘導にあきらめ、見通しのきく道路の路肩に座り込んで花火見物する人たちも少なくなかった。11月の花火に「やっぱり寒い。10月開催に戻してほしい」との声も聞かれた。

有料観覧席の外側の桜川河川敷で観覧する人たち=午後7時30分すぎ

打ち上げが始まると観客の一部は入場が制限されていた河川敷に入ったが、収拾がつかない状況には至らず、草むらから整然と花火を見上げ、歓声をあげた。ほかに目立ったトラブルもなく大会は終了。軽快なビートの躍動と共に繰り広げられる花火のロックンロールで5年ぶりのフィナーレを迎えた。

新米23.5トンを子ども食堂などに 茨城大農学部研究中の収穫から

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寄贈式に臨む関係者。左から2人目が井坂寛さん、3人目が清水直子さん=茨城大学農学部(阿見町)

茨城大学農学部(阿見町、宮口右二学部長)は4日、実証実験中の大規模圃(ほ)場で収穫された新米(あきたこまち)23.5トンを、県内で子ども食堂などの支援活動に取り組む団体に寄贈した。機械メーカーのコマツ(本社・東京、小川啓之社長)と共同で、20年から農業用ブルドーザーを用いた乾田直播(ちょくは)水稲栽培の研究を進めており、年々収量をあげている。収穫米は販売できないことから、食の支援を必要とする家庭や学生へ届けるために活動する団体に寄贈しており、3年目となる今回、この数量も増やされた。

4日は宮口学部長、コマツ本社から坂井睦哉グリーン事業推進部長らが出席して寄贈式が行われた。Ami seed(アミシード、阿見町)の清水直子代表、県生活協同組合連合会(水戸市)の井坂寛専務理事が寄贈の目録を受け取った。Ami seedは茨城NPOセンター・コモンズ(水戸市)により運営されている子ども食堂サポートセンターいばらきを、県生協連は茨城大学生協を含む協同組合ネットいばらきを、それぞれ代表する形で受け取った。

ブルドーザーで耕す乾田直播水稲栽培

共同研究は今年、稲敷市内にある5.6ヘクタールの大規模圃場で行われた。乾田直播水稲栽培は、水田にイネの苗を植えるのではなく、イネの種子を直接土に播くスタイルで行われる。稲作の労力とコストを削減させ、休耕地活用の促進や地域農業の持続可能性につながることが期待されている。コマツの開発した農業用ブルドーザーは、最新のデジタル技術を駆使することによる高精度な均平作業と、後部に装着した農業用アタッチメントによる耕起作業や種まき作業が可能という。

直播栽培はこれまでにもさまざまに試みられたが容易に普及しなかった。農学部の黒田久雄教授は「とにかく土地を真っ平らにするのが大事な要件」といい、トラクターや田植機ではなくブルドーザーの出番となった。

水田の均平精度を高めることにより、給排水を低減した環境配慮型の新たな灌漑(かんがい)システムである額縁明渠(がくぶちめいきょ=あぜに沿う水路)法の実証を進めた。この給水法により、明渠への給水箇所が1カ所で済むようになり、水管理が容易になっただけでなく、ポンプに関わる電力は従来の節電型の水田と比較し、約70%もの節電効果を得られたという。

本年度の収量はヘクタール当たり4.2トン、昨年の3.66トンから大幅に伸ばした。浅木直美准教授によれば「コシヒカリを栽培した昨年は倒伏米(稲が田に倒れてしまう現象)が多かった。あきたこまちでは倒伏がほとんどなかった」のが増収につながったそう。通常の水田ではヘクタール当たり5トンの収量が見込めるといい、採算的にもこのレベルに近づいてきた。

今回の寄贈分は合計23.5トン。昨年の16.8トンを大きく上回った。

子ども食堂とフードパントリーを運営するAmi seedの清水直子代表は「子ども7人に1人の貧困率と言われるが実態は6人に1人になっている。食に興味を持てない子供たちが増えている。お米っておいしいんだよというところから味あわせてあげたい」と謝辞を述べた。コモンズによれば「子ども食堂サポートセンターで把握している県内の子ども食堂は昨年の122件からことし10月時点で144件に増えた。寄贈は大変ありがたい。コロナ禍だけで増えているのではなく、この先も長い支援が必要」(コーディネーターの伊東輝美さん)としている。(相澤冬樹)

電車の中を急いで走る 《続・気軽にSOS》120

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【コラム・浅井和幸】朝、ちょっとした想定外のことが重なり、約束の時間にギリギリ間に合うかどうかの瀬戸際。少しでも早く着かないかと焦る気持ち。思わず、電車の中でそわそわしてしまう体験はあるでしょうか。

事故なのか、道路工事が重なったのか、渋滞している道路が多く、遅刻してしまいそうだ。すぐ次の信号で止まらなければいけないのに、スピードを出したり、車間距離を短くしたり、体をハンドルの近くまで前のめりで自動車の運転をしたことはあるでしょうか。

そんなことをしても目的地に早くつくはずがないのに、早く前に進みたいという意識が体を前に突き動かし、心臓を早く脈打たせるものです。

そして考えます。あれさえ無ければよかったのに、これさえ無ければよかったのにと、過去のことを。挙句の果てには、そもそも日本の電車のシステムや道路の造り方がいけないのだと、イライラを募らせてしまいます。

間違いなく、上記のそわそわした感覚を持ち、もう少し早く家を出ればよかったと嘆いて、疲れるほど努力をしていることなのかもしれません。日本がいけないのだと考えるのも、とても崇高な考えで素晴らしいのかもしれません。

確かに、目的地に着いたら謝ろうとか、目的地の手前の階段を駆け上がろうとか、早く書類を提示できるようにしようとか、対策は考えにくいものではありますが、この対策を考える方が目的に即しているでしょう。

頑張れと言われれば言われるほど、頑張ることを強制されれば強制されるほど、頑張ることを自分で考えれば考えるほど、この目的とは別の手段で頑張ってしまい、疲れるし、憂鬱になってしまうものです。

「頑張る」→「適当にやる」

相談の約束をすると、会えなくなる人がいました。約束をすると、数日前から心構えなどの準備を始めてしまい、約束の当日にはくたびれてしまって会えなくなるのです。そこで、約束をせずに突然訪問するという方法を約束して、会えるようになったケースがあります。

引きこもって家で特にやらなければいけないことは無いと、家族や支援者からは見えるけれど、いろいろな不安や世界の脅威、何かが起こったときの対応を忙しく考えている人もいます。

ビジネスマンでも、大きな未知の仕事を抱えると身動きが取れなくなるという経験をした人もいるかもしれません。頑張れというと、頑張っているのにもっと頑張らなければいけないのかというやり取りもあるでしょう。

そのときの疲労の程度で休む必要もあるかもしれません。そのときは休むことを頑張る必要があります。しかし、それと同じぐらい、今の頑張りを抑えて、目的に即した手段を頑張る必要があるかもしれませんよ。

あえて頑張ると書きましたが、上記の文章の「頑張る」をすべて「適当にやる」に変えて読み替えても面白いですよ。(精神保健福祉士)

土浦、牛久、下妻を例に既存校の定員増へ努力 つくば 県立高校問題で県教育長

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一般質問に答弁する森作宜民県教育長=4日、県議会議場

人口が増加するつくば市で、市民団体「つくば市の小中学生の高校進学を考える会」(片岡英明代表)が県立高校の新設や既存校の定員増などを求めている問題で、森作宜民県教育長は4日開かれた県議会12月定例会で、つくば市の子供たちが多く通学している土浦、牛久、下妻の3市を例に挙げ「今後、通学可能な範囲で進学先が確保できるよう努める」と答弁した。

定員を増やす学校の具体的な選定については「教室の数や敷地の広さなど敷地の状況も考慮しながら、中学生の進路選択に影響が出ないよう検討を進める」などとした。

さらに、中学卒業者数の推移や志願状況、学校施設などの状況を検討し「つくば市の人口増加に対応した県立高校の募集定員について、計画的に示せるよう取り組む」などとした。

鈴木将県議(自民)の一般質問に答えた。答弁を受け鈴木県議は、早ければ2024年度の募集に間に合うよう取り組みを求めた。

森作教育長は、県立高校の適正配置計画は、県内を12のエリアに分け、エリアを基本に検討しており、つくばエリア(つくば市、つくばみらい市、守谷市、常総市など)の中学校卒業者数は2030年までに現在より約700人増加する見込みなのに対し、周辺エリアは約1400人減少することが見込まれる、などとこれまでの答弁を繰り返した。

一方で、周辺エリアにはつくば市から通学している生徒が少ない市町村も含まれているとの市民団体のこれまでの指摘を認めた上で、つくば市から多くの生徒が通学している土浦、牛久、下妻の3市に限って推計すると、つくばエリアの中学卒業者数は2030年までに現在より約700人増加するのに対し、3市は約500人減少し、つくばエリアの増加が約200人上回る状況となることを認めた。

その上で「こうした状況から、適切な時期に県立高校の定員を増やしていくことが必要」だとし、来年春、つくばサイエンス高校(現在のつくば工科高校)の定員を2学級80人増やすのにとどまらず、さらに既存校の定員を増やしていくとした。

一方、市民団体が求めている、つくば市内への県立高校の新設については触れなかった。

請願署名402人分を追加し7477人に

これに対し市民団体は、人口が急増するつくば市では6人に1人しか市内の県立高校に進学できず、通学費用や通学時間の負担が大きいなどとして市内などへの県立高校の新設や既存校の定員増などを求め、10月31日、県議会に請願を出し、10日開かれる文教警察委員会(水柿一俊委員長)で審議される(10月31日付)。4日、署名を402人分追加提出し、請願署名は計7477人となった。請願の紹介議員になったのは山中たい子県議(共産)ただ一人。

染色家の協力で洋服アップサイクルに挑む 古着好きの筑波大1年生

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futashiba248の関将史さん(左)がポップアップショップを出店した際、プロジェクトについて話す大本裕陶さん=8月、トナリエキュート(つくば市吾妻)

たんすに眠っているTシャツなどの洋服を集めて、地元の染色家が地元産の農産物で染め、新しい服に生まれ変わらせて販売する洋服のアップサイクルを、つくばで実現しようと筑波大生が奔走している。筑波大学総合学域群第一類1年、大本裕陶さん(18)は、昨年NEWSつくばに掲載された記事をきっかけに、染織に興味を持ち、自分らしいイベントを開催しようと奔走する。

アップサイクルは、本来は捨てられるはずだったものに新たな価値を与えて使う取り組みをいう。「リユース(再使用)とリサイクル(再利用)のちょうど中間のような概念。リユースはもう一度使うこと。リサイクルは一度、細かく分解してから使うこと。アップサイクルは、ものを分解せず、そのままの形を活かしてさらに価値を加えることを指す」と大本さん。

古着と出会う

進学した千葉県の県立高校時代に古着と出会い、魅力に取りつかれた。「よく東京に行って、好きなアーティストが開いている古着の店に通った。映画に出てくる服とかも見て回った」2022年に筑波大学に入ってから、今ある仕組みやシステムにただ参加するのではなくて、自分で新しいことがしたいという気持ちを強く感じた。そこで自分が好きな古着で何かできないかと思うようになった。

現在の洋服の生産・流通・販売の仕組みは環境に大きな負荷をかけてしまっているとの問題意識からだ。大量の服がごみとして捨てられている問題などを知って、環境に負荷をかけずにファッションを楽しめる仕組みをどうにかしてつくれないか、もどかしさを抱えていた。

大本裕陶さん

染織のことはよく知らなかったが、NEWSつくばの連載を読み、身近なつくばや土浦にも染織家がいることを知った。2021年10月27日~30日に4回連載の「染織人を訪ねて」は、つくばにゆかりのある染織家を追った記事だったた。

大本さんはアップサイクルの協力を依頼するため、土浦市板谷の染織工房「futashiba248(フタシバ)」(21年10月29日付)を訪れた。草木染を行う工房で、剪定された木枝や規格外で市場に出ない野菜・果物などを県内各地の農家から提供してもらい、農業廃棄物から取り出した染料を用いる草木染を特徴にしている。

「絶対断られるだろうな」と思いながら、自転車で1時間かけて染織工房に行った。「反応は予想外のもので、自分の話をとてもよく聞いてくれて、協力してくださることになった」

顔の見える関係

来年春、つくば市内で集めたTシャツなど衣服約30着を染めて売り出すイベントを開催する予定だ。資金はクラウドファンディングで集め、10月末までに12万円に達した。販売会場などの詳細は検討中だ。「今、友達に呼びかけて服を集めている。つくばで集めて、つくばで染めて、つくばで売る。自分が住んでいるこのつくばで完結することも大事なことだと思う」と話す。

大本さんにとって、顔の見える関係の中でアップサイクルを行うことが重要だという。「元々の洋服の持ち主、それを染めて加工する染色家、染め上げた洋服を販売する人、その人たちがアップサイクルを通じてつながるきっかけをつくりたい」という。「友人のなかには古着を汚いと思い、避けている人もいるけれど、アップサイクルには好印象を持っていたりする。アップサイクルに興味を持ってもらうことで、捨てられてしまう衣服が減ることになる」

大本さんの目標は洋服のアップサイクルを普及させること。まずは染織によるアップサイクルの形を模索するが、染色以外の手法もこれから考えていく。「まだ大学に入学したばかりの18歳で、なにか実績があるわけでもない。いろいろな方の手助けをいただくことができたらうれしい」と話した。(山口和紀)

大学病院の救急救命室 《くずかごの唄》118

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】大学病院の救急救命室を初めて見た私はショックだった。地球ではない。宇宙船の中。医療器械に囲まれたわずかな空間に、チューブだらけの人間らしきものが横たわっている。

夫は大動脈の中膜(ちゅうまく)の解離(かいり)で意識を失い、倒れてしまった。肺にたまった血液が呼吸を止める寸前に、ドレーンを使って血胸(けっきょう)を抜いてくれた。この病院ならではの手早い技術と処置で、とりあえず命をとりとめたようだ。だが、まだまだ解離した動脈血管からの出血が多いので輸血をしている。いつ呼吸が止まってもおかしくない状態だという。

「いつ何が起こるかわかりません。家族のかたは、5分以内に来られる場所にいてください」。24時間、5分以内の場所に家族は張り付いていなければならない。

「ダークマター 暗黒物質」

こうなると家族の結束しかない。3人の子供とその連れ合いと私。7人でチームを組んで当番をきめ、ノートを1冊作って、医者からの説明など、すべて記入してことにした。夫の兄は千葉大学の医学部外科教授だった人。心配で家にいられなくて、動脈解離の専門医の友達を連れて、毎日来てくれる。

運がよかったのは、脳に行く血管の1センチ下から解離したおかげで、脳の機能が保たれたことである。たった1センチの差で、彼のその後の一生は左右されたのである。5日目に意識が戻り、救急救命室から脱出し、一般病棟に移ることができた。 1カ月ぶりに土浦の家に帰ってきた彼が書いた文字は、「ダークマター 暗黒物質」。(随筆家、薬剤師) 

博物館群構想や中央広場活用提案など つくばセンタービル40周年を前に市民シンポジウム

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つくばセンタービルをアート拠点として活性化させる提案などをした(左から)斎藤さだむさん、六角美瑠神奈川大学教授、鵜沢隆筑波大学名誉教授=3日、つくば市吾妻、ホテル日航つくば

建築家、磯崎新さんが設計したポストモダン建築の代表作、つくばセンタービル(つくば市吾妻)が来年40周年を迎えるのを前に、同ビルをアート拠点として活性化させようと、市民団体「つくばセンター研究会」(冠木新市代表)によるシンポジウムが3日、同ビル内のホテル日航つくばで開かれた。同ビルを核にした博物館群構想や、非日常的な場所である同ビル中央広場の活用などが提案された。

建築意匠が専門の鵜沢隆・筑波大学名誉教授は、25年前、つくばに20世紀を記録する博物館群をつくるという「つくばミュージアム・コンプレックス」構想を紹介した。養老孟司さんや鵜沢名誉教授など7人の識者によって提案された構想で、同ビルがコアとなり、市内の他の施設とネットワークをつくることで、新しい博物館群・美術館群を構築していけるのではないかなどと話した。

当時、いかにして新しい街つくばに文化を根付かせることができるか、つくばエクスプレス(TX)が開通するとつくばはベッドタウンになるという予測の下、開通前に文化的仕掛けを提案したいという思いが、発案者の住都公団つくば開発局長(当時)の三宮満男さんにあったなどと話した。

六角美瑠・神奈川大学建築学科教授は、同ビルを1階の中庭(中央広場)、2階のペデストリアンデッキ、3階以上の三層に分け、2階のペデストリアンデッキは日常、一歩下がった1階の中庭は非日常の特殊な場所だとし、非日常的なゾーンが使われると、外の人も呼べる発信力が増えてくるなどと話した。

ビル1階の改修に異論も

さらに同ビルの建築の骨格や特徴について説明し、今春実施されたつくばまちなかデザインによる同ビル1階の改修に対し「(ぺデストリアデッキ部分から光を取り入れる)トップライトは重要なアイテム。トップライトの光の連続性を保つべきだったのではないか」などと話し、秋から市民活動拠点をつくるため市が改修を始める南側については「(1階部分は)細かく細分化されていろいろな部屋が入り、通路に学習机が並べられると聞いている。細かく細分化すると、どこにでもある施設になってしまう、通路は中庭とコンサートホールが連携して盛り上がりをつくろうというとき大事な軸になる」などと指摘した。

その上で「過去・現在・未来を横軸でつなぐ文化のプログラムがあるといい施設になっていくと思う」などと話した。

つくば市在住の写真家、斎藤さだむさんは、筑波研究学園都市の建設当初から撮り続けてきた写真をスクリーンに映し、著名な建築家が設計した市内の名建築なども紹介しながら、学園都市の成り立ちや変遷について語った。

シンポジウムには市内や県外などから約110人が参加した。参加者からは「小田城跡など(もっと古い歴史)があるのだから(研究学園都市だけでなく)市全体を考えてほしい」「科学万博のとき文化的なものが必要だ、と期間中、市民が発表する場があった。もっと文化的なものをつくってほしいと色々な人が色々なところで声を上げていかなくてはならない」などの意見が出た。

列柱廊のレリーフ「時の歩廊」(鏡の裏の壁)をお披露目するホテル日航つくばの馬場清康社長=同

開催に先立って、ホテル3階廊下に掛けられていたカーテンがはずされ、磯崎アトリエが建築当時、大理石の壁に溝を掘って描いた列柱廊のレリーフ「時の歩廊」がお披露目され、同ホテルの馬場清康社長がセンター地区活性化に向けた思いを語った。

同研究会ではさらに11月と12月にワークショップを開き、多くの市民に参加してもらって、来年6月の40周年にアートイベントを開催することを計画しているという。

魅惑の森にスポーツコート つくばインターナショナルスクール、ロボッツ招き落成式

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「パッション!」生徒たちを鼓舞するグレスマン監督、右端がシェイニー校長=つくば市上郷、つくばインターナショナルスクール

学校法人つくばグローバルアカデミー(つくば市上郷、加納正仁理事長)の運営するつくばインターナショナルスクール(TIS、クロフォード・シェイニー校長)に屋外スポーツコートが完成し、3日、プロバスケットボールの茨城ロボッツ(水戸市)に胸を借りるミニゲームで落成を祝った。

スポーツコートは、平地林の中に開かれた学校の、さらに裏手に接する森の中に、約1360平方メートル(バスケットコート2面分)の広さで設けられた。ことし創設30周年を迎える同校が、総工費約6000万円をかけ建設した。「回りの木は1本も伐らないようお願いして工事を進めてきた」とシェイニー校長。

四周を木々が取り囲む環境の中、フェンスで仕切られたコートは、コンクリート舗装された地面に特殊なパネル式フロア材を敷き詰めている。2対のバスケットボールゴール、1対のフットサルゴールが設置された。従来は土のグラウンドで運動をしていたが、今後体育の授業はこのコートが主に利用されるそう。

学校は3日、秋の文化祭の開催中。「魅惑の森」がテーマで、全校生徒300人が森の妖精などに扮する仮装をし、保護者らとコートに集合。学校関係者や工事関係者らと落成式に臨んだ。

この日のゲストは、保護者つながりで招いた茨城ロボッツのリチャード・グレスマン監督(44)と選手たち。2022-23シーズン期待の新戦力、鍵冨太雅選手(23)もお祝いに駆けつけた。落成式でグレスマン監督は、生徒たちに向かい「多くの人の情熱でこのコートが出来た。これからは皆さんが情熱をぶつけていく番」と熱弁をふるって喝采を浴びた。

色づき始めた森に囲まれたコートでバスケットボールのミニゲームが展開された=同

ミニゲームはTISのバスケットボール部員が、鍵冨選手ほかロボッツのユースチームのメンバーと対戦。盛り上がる全校応援を受けて、熱戦を展開した。この日2ゴールした11年生(高校2年に当たる)のチャッドリー龍介さんは「手加減してくれているのが分かったけど、ゴールを決められてすごくうれしい」と声を弾ませた。

TISは2008年に学校を現在地に移転、小中高の一貫教育を行っている。2011年に国際バカロレアプライマリーイヤープログラム(PYP)の認定校、17年に国際バカロレアDP課程実施校に認定され、18年にはインターナショナルスクール協議会(CIS)の認定を取得した。「卒業すれば国内はもとより世界中の大学に入れる資格を持つことになる」(加納理事長)といい、国際化のなか東京近県からも入学希望者が集まる人気校になっている。(相澤冬樹)

新しい世界へ踏み出すとき 《ことばのおはなし》51

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【コラム・山口絹記】最近、訳あって新しい撮影機材を導入した。ミラーレス一眼というヤツだ。写真を撮らない方でも名前くらいは聞いたことがあると思う。

このミラーレス一眼と言うのは、その名の通りミラーが無い一眼レフのことだ。そもそも一眼レフカメラの「一眼」と言うのは、ファインダーをのぞけば撮影用のレンズを通した像を見ることができるカメラのことで、レンズを通した像をファインダーに届けるためにミラーが内蔵されている。「レフ」というのは「光を反射する」という意味なのだ。

ではミラーがなくなり、どうやって像をファインダーに届けるのかと言うと、ファインダーの中に小型液晶が搭載され、レンズを通した像をリアルタイムで映している。

実はカメラと言っても様々な種類があって、一眼に対してレンズが2つ付いた二眼レフカメラというものもあるし、レンズとは別に測距用のファインダーを持つレンジファインダーというカメラもある。それぞれ一長一短があって、カメラマンは自分にあったカメラを使うことができるのだが、実際のところ現在の主流はミラーレス一眼カメラになっている。

それでも私はこの15年ほど、ずっと一眼レフ機を使ってきた。電子式ファインダーよりも光学ファインダーののぞき心地が好きだったからだ(のぞき心地に関しても現在はほぼ解決されつつある)。

ついにミラーレス一眼にデビュー

そんな私がついにミラーレス一眼デビューしたのには、少し遠回りの理由がある。

実はこの半年ほど、バーチャルの世界での写真撮影にハマっている。バーチャル、いわゆるPCやテレビゲームの中の空間で写真を撮ることができるのだ。実は結構昔からあったシステムなのだが、最近のゲームのグラフィックの向上によって、まるで現実のような写真が撮れるようになってきている。

ゲームの世界を歩き回りながら撮影しているうち、今までの自分であれば撮らなかったような写真もゲームの中では撮るようになった。特にストリートスナップという、いわゆる街中の写真だ。

これは現実の世界でも撮ったら楽しいかもしれない、と思うのに時間はかからなかった。今まで使っていたカメラでも撮れないことはないのだが、いかんせん見た目もデカくて迫力あるカメラのため、街中でサッと使えるコンパクトなカメラ、そう、ミラーレス一眼を導入してみよう、となったわけだ。

次回は、このバーチャル世界での写真撮影、「バーチャルフォトグラフィー」というものについておはなししてみようと思う。(言語研究者)

つくばは3人超の8陣営、土浦は定数と同じ3陣営出席 県議選立候補予定者説明会

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県議選の立候補予定者説明会であいさつする星野学・県選挙管理委員会委員長

12月2日告示、11日投開票で行われる県議選まであと1カ月となる中、県南の選挙区を対象にした立候補予定者説明会が2日、土浦市真鍋の県土浦合同庁舎で実施され、つくば市区(定数5)は3人超の8人の陣営が、土浦市区(定数3)は定数と同数の3人の陣営関係者がそれぞれ出席した。

つくば市区で出席したのは受付順に▽山本美和氏(53)=公明、新人▽佐々木里加氏(55)=未定、新人▽宇野信子氏(57)=市民ネット、新人▽山中泰子氏(71)=共産、現職▽鈴木将氏(50)=自民、現職▽塚本一也氏(58)=自民、現職▽星田弘司氏(48)=自民、現職=と、無所属で新人の男性(41)の計8人。新人男性は立候補するか否かまだ検討中としている。一方、同市区ではほかに市議の男性が立候補に意欲を見せており、8~9人が立候補するとみられる。

一方、土浦市区で出席したのは、いずれも現職の▽伊沢勝徳氏(52)=自民▽高橋直子氏(38)=自民▽八島功男氏(66)=公明=と、定数と同数の3人のみ。

事前審査は16、17日の2日間、各市の選挙管理委員会で実施される。

4年前の県議選は、つくば市区は4人超の9人、土浦市区は1人超の4人が立候補した。9月1日現在の有権者数はつくば市が19万4686人と4年前と比べ約1万2500人増え、土浦市は11万8410人と約900人減っている。

パークPFI撤回し利用料値上げを つくば市長、県に要望 洞峰公園アンケート独自集計

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定例会見で洞峰公園のアンケート集計速報を発表する五十嵐立青つくば市長=2日、市役所

つくば市にある県営の都市公園、洞峰公園(同市二の宮)に県がパークPFI制度を導入し、グランピング施設の整備などを計画している問題で、五十嵐立青市長は2日の定例会見で、県が集計しなかった8月実施のアンケート項目の集計速報を発表した。その上で市として、パークPFI事業を撤回し、代替策としてプールやテニスコートなどの利用料6割値上げを県に要望していく方針を表明した。五十嵐市長は「(アンケートの)合理的帰結は、パークPFIを止めて値上げをしていくこと」だと強調した。

県が今年7月から8月に実施し回答があった1113人分の記述式アンケート結果のうち、県が集計しなかった項目などを市独自に集計した。県は7-8月実施のアンケートは記述式だったなどとして、一部項目を集計しなかった。さらにつくば市民が回答者の9割を占めたとして、洞峰公園は県民全体の税金で維持管理されていることから、県は9月に追加のアンケートを実施し、パークPFI事業への賛成が反対を上回ったなどと発表していた(10月25日付)。

市の集計速報によると、7-8月実施のアンケートの結果は、パークPFI計画全体に「改善すべき点がある」との回答が85.89%だったとした。改善すべき具体的な箇所としては、グランピング施設だとする回答が95.19%、バーベキュー施設が82.64%、クラフトビール工房(県が取り止めを発表)が67.15%、24時間トレーニングジムが60.88%だったなどとした。五十嵐市長は「『改善すべき』という回答はイコール反対ととって間違いないと思う」と述べた。

さらに、7-8月のアンケートの回答者は、週1回以上、洞峰公園を利用している人が42.79%、月に1回以上利用している人が22.07%など、普段から洞峰公園を利用している人であるとし、五十嵐市長は、県が9月に県民全体を対象に実施した追加アンケートにつして「9月のアンケートは、回答した人が洞峰公園を知っているのか、確認がとれない」と述べ、つくば市民が9割だった7-8月のアンケート結果は、県民全体を対象とした9月のアンケートと比べて重みが違うなどと話した。

8月に県が実施した説明会で、県自身がパークPFIを実施できない場合の代替案としてプールや体育館、テニスコートなどの利用料金を6割値上げする案を示したことについてもアンケートを集計し、代替案の6割値上げで「良い」との回答が24.98%、「どちらかといえば良い」が26.77%の計51.75%と5割を超えていたことにも触れ「半数を超えている方が値上げでよいと回答している。非常に重たいと感じている」などと話した。

グランピング施設などが計画されている洞峰公園野球場=つくば市二の宮

五十嵐市長はその上で県に対し、11月中にも「まずパークPFIでなく、値上げをしていただくことが利用者にとってもいいし、県も財政的問題を解決できるということを県にお伝えしていく」とした。

さらに都市公園法で位置付けられた、公園管理者と利用者などが必要な協議を行う協議会設置を改めて県に要望し、県、市、有識者、地域住民などで構成される協議会で「洞峰公園のあるべき姿から議論していくことが望ましい」などとした。

一方、大井川和彦知事が10月25日の会見で「(洞峰公園を)市の所有にしてもらい、県の公園から市の公園に移していただくということも一つの選択肢」だと述べたことについて五十嵐市長は「移管となれば、どのような費用がかかっていて、どのような経費がかかるのかを把握をしないと、簡単にいります、いりませんと安易にお答えできるものではない」と明言を避けた。

一方、つくば市の集計結果について、洞峰公園を担当する県都市整備課は「(コメントは)特にない」とし、五十嵐市長がパークPFIの撤回を県に要望したいと表明したことについては「市から何の話も受けてないので何のコメントもできない」としている。

社会を変えるはじめの一歩 土浦で高校生らのワークショップ

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「診療看護師」を目指したいと語る栗山大雅さん=茨城県県南生涯学習センター(土浦市大和町)

「つくば駅周辺に高校生が楽しめる場所がない」「通学路にゴミが散らかっている」「SNSでの誹謗(ひぼう)中傷をなくしたい」「LGBTへの理解を深めたい」―。そんな、自身や周囲が関わる課題に取り組もうと、県南地域の高校生や大学生によるワークショップ「ユース・チャレンジ・プロジェクト」が土浦市大和町の県県南生涯学習センターで、再来年3月まで、年8回程度のペースで開催されている。これまでに高校生が22人、大学生が3人参加し、問題解決にむけた、はじめの一歩を踏み出そうとしている。

医師不足に取り組みたい

「医師不足を抱える茨城で、診療看護師になりたい」と語るのは、同市内の高校に通う栗山大雅さん(18)。診療看護師は、看護師にはできない特定の診療行為を一定の条件下で行うことができるため、医師不足が進む過疎地域での活躍が期待されている。現在、全国で数百人が活動しているとされる。

栗山さんはこれまで野球に打ち込んできたことから、スポーツに携わりたいと理学療法士を目指していた。「絶対ためになるから」と高校の先生に勧められてワークショップに参加した。これまでに参加した4回の中で話題にのぼったのが医療過疎。その中で、診療看護師の重要度が高まっているのを知った。

参加者一人ひとりにアドバイスを送る入沢弘子さん=同

参加者へのサポート役を務めるのは、大手広告代理店で企業広報を務め、つくば市のプロモーションや新設された土浦市図書館の初代館長を務めるなど、地域の情報発信を担ってきた入沢弘子さん(60)。栗山さんへは「医師が不足しているというが、実際にどの程度不足しているのか、また、『医師不足』が地域のどの問題と繋がっているか、メディアなどをもとに実際の状況を裏付ける資料を探すと、提案としてより強くなる。医療不足解消へのアクションとして、具体的に何ができるのかも考えてみるといい」とアドバイスを送った。栗山さんは、診療看護師の重要性に反して実際の人数が少ない理由を探るために「まずは、医療関係者へのアンケート調査をしたい」と今後の活動目標に力を込めた。

自分たちで考えることを大切に

ワークショップは、県による「課題解決チャレンジ事業」の一環として県南生涯学習センターが実施。同センターの幸田尚志さんは「スキルを身につけるだけでなく、異なる高校や大学生とのネットワークづくりにもなる。将来的な地域の活性化につなげたい」と思いを込める。

ワークショップはこれまで4回開催された。土浦青年会議所のメンバーやOBから課題に向き合う実例を聞くなどし、参加者同士で課題について話し合った。その中で参加者の変化について入沢さんは、「みんな堂々と話せるようになったと思う。報道やウェブサイトで調べたデータと照らし合わせて裏付けを取るなど、皆さんの成長が感じられる」とし、「最終的には、大人への働きかけはしていきたい。動画での発表など、見える形にしていくことも。課題に関係する自治体があれば、そこへの提案もしていきたい。何らかの形で社会に知らせることはしていきたい」と語る。

「押し付けではなくて、自分たちで考えることを大切にしている。生涯学習という点とも結びつく。過程が大切。見ず知らずの人が集まり一つの課題に取り組むことは、どんな仕事でも基本的には同じこと。突き詰めて考えることを含めて、社会人になってからも役立つ。大変意味があると感じている」
(柴田大輔)

◆参加者は随時募集をしている。問い合わせ・申し込みは、県南生涯学習センターへ電話(029-826-1101)、またはホームページへ。

筑波山頂 深まる秋の御座替 神幸祭は春を待って

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神衣を運ぶ氏子たちを登山客が珍しそうに見守る=女体山頂付近

筑波山神社(つくば市筑波、上野貞茂宮司)で1日、恒例の御座替(おざがわり)が行われた。行動制限のない秋の観光シーズンを迎え、神輿(みこし)を担いで神社拝殿を目指す「神幸祭(じんこうさい)」の開催が期待されたが、今回も完全実施は見送り。筑波山頂での「神衣祭(かんみそさい)」と筑波山神社(拝殿)での「奉幣祭(ほうべいさい)」、2つの祭事の開催にとどまった。

神幸祭の開催見合わせは、コロナ禍に見舞われた2020年春から6回連続となる。奉幣祭も19年までは毎回約200人を招待して社殿にあげていたが、今回は100人に制限されている。記者は山頂まで登って、神衣祭の写真を撮ることになった。

中腹の神社は拝殿で、筑波山神社の本殿は男体・女体2つの山頂にある。親子の神が夏と冬に、本殿と拝殿で神坐を入れ替えることから御座替といい、毎年4月1日と11月1日に行われてきた。

女体山頂の本殿で行われた神衣祭

神社の神職らが午前9時30分に男体山、10時30分には女体山の本殿に参り、神衣(かんみそ)を取り替える儀式が神衣祭だ。この日の気温は10℃、標高877メートルの女体山、さえぎるもののない山頂では寒さが身にしみる。

しかし、紅葉シーズンを迎え山頂には朝から登山客の姿があり、珍しい儀式に遭遇する形で、神の衣が入れ替わる瞬間を興味深く眺めていた。登山客の一人は「なんにも知らないで登山をしたが、貴重な神事に立ち会えて有難い気持ちがした」と語る。

お神輿を担ぎ神橋を渡って拝殿へ

神衣が納められたお神輿を担いで山から下りてきた一行は、神橋を渡って神社拝殿に向かう。神幸祭ではさらに中腹の集落を巡って拝殿を目指す長丁場の行程となる。メーンイベント格の神幸祭を含め、通常の形で3つの祭りが実施されるのは、神社によれば23年春の祭礼からになりそうということだ。

地元の総代の中山光昭さん(67)は「総代や神官は男体山、女体山と山道の全行程を歩いていくので大変だ。それでも明治の頃はふもとの六所神社(つくば市臼井、現在は廃社)から全行程を歩くのでさらに大変な行事だったと聞く。今はケーブルカーも使うし、だいぶ楽になった」と語る。(榎田智司)

エレキの神様・寺内タケシに感化 土浦出身の映画監督 ご当地で製作発表

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土浦セントラルシネマズの街角に立つ映画監督の鈴木純一さん=土浦市川口

昨年6月に82歳で亡くなった土浦出身のギタリスト、寺内タケシさんを偲ぶ映画「俺たちの長い旅~エレキの神様に捧ぐ」が2023年夏の公開を目指し、製作される。映画監督で脚本を書いた鈴木純一さん(63)が1日、土浦市内で出演者らと製作発表に臨み、来春予定のクランクインでは、同市はじめ茨城県内オールロケでの撮影になることが明かされた。

勇気と希望と絆の青春ドラマ

映画「俺たちの長い旅」製作委員会(大石真裕委員長)による製作発表は、寺内さんの生家が営む映画館、土浦セントラルシネマズ(同市川口)の特設会場で行われた。鈴木監督のほか、出演が予定される緒形幹太さん、宮崎さやさんが出席した。

製作発表に臨む(左から)宮崎さやさん、鈴木監督、緒形幹太さん=製作委員会提供

鈴木監督と宮崎さんは同市出身。「夢のキセキ~里山の少女からもらった一粒の光~」(2017年)などの作品がある鈴木監督は、寺内さんと同じ土浦旧市内の生まれで、父親の茂さんは地元の楽団でギターを弾く音楽好きだった。幼いころ、寺内さんのコンサートに連れていってもらい、以来「大ファン」になったという。

60年代にエレキギターやバンドが非行の温床だとして学校で禁止されるようになる中、寺内さんは母校の県立土浦三高を皮切りに、数十年かけて全国1500百校近くの高校で演奏した。「ハイスクールコンサート」と呼ばれる活動。音楽を通じ、学校や保護者、地域社会の理解を得る取り組みで注目された。軽音楽好きの鈴木監督は、同じ時代を過ごした。

しかし近年、特に若者の間では「寺内タケシって誰?」となるほど存在感が薄れてしまい、映画化の思いを募らせたそう。ここ数年ミュージシャンの伝記映画がさかんだが、「寺内さんはあまりに偉大過ぎて、演じられる俳優がいない。今の時代の高校生の中に投影して、青春ドラマとして描き直すのはどうだろう」と企画した。折からのコロナ禍、修学旅行も運動会も成人式まで出来ずにいる若者の閉塞感を重ね合わせて脚本を書いた。

茨城の高校生たちでつくる軽音楽部。それぞれが抱える悩みや苦しみと葛藤する中、指導の教師から地元に「エレキの神様」と呼ばれた人がいたと聞かされる。過去にエレキ禁止令というものがあり、子供たちの音楽の自由が奪われていたこと、それをエレキの神様が救ってくれたことを知り、新たに上を向き歩み進んでいく-、勇気と希望と絆の物語に仕立てた。

一昨年には横浜にある寺内さんの自宅を訪ね、脚本を見せると「分かった、任せる」と映画化に快諾を得た。コンサート以外で初めて、対面で会う機会だった。

県内オールロケ、エキストラも県内募集へ

ところが昨年6月18日、寺内さんが他界。「同じ6月の6日に母親を亡くし、自分も参っているところへの訃報だった。母の享年も寺内さんと同じ82歳、前に進まなければならないと思った」そう。

脚本に手を加え、製作委員会を立ち上げ、キャスティングを開始。1日の製作発表に漕ぎつけた。筑西市のテーマパーク「ザ・ヒロサワ・シティ」に寺内さんを顕彰し遺品などを集める「寺内タケシ記念館」が開館したのが10月31日で、土浦のファンから「なんで筑西なんだ」との嘆きが聞かれるタイミングでの発表になった。

クランクインは来年3月、順調なら夏には公開の予定。寺内さんの演奏する記録映像を織り込みながら、全編を土浦を含む県内ロケで描きたい意向だ。舞台となる土浦三高には特にこだわりたいとし、「三高の桜並木のある坂道で現地ロケをしたいし、三高の名前も使いたい」と鈴木監督。

クランクインまでの間に、県内高校の軽音楽部などを通じエキストラを募集する一方、出演以外にも一般の協力を幅広く呼び掛けていくという。(相澤冬樹)

中国共産党と権力闘争《雑記録》41

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【コラム・瀧田薫】中国共産党は10月23日、習近平総書記(69)=国家主席=の3期目続投(異例)を正式決定し、同時に党の最高指導部である「党政治局常務委員」(習主席を筆頭に7人)の新メンバーを公表した。内外の中国ウオッチャーを驚かしたのは、新任された4人全員が習の側近で占められていたことである。つまり、習は常務委員会内の政敵を一掃し、党と国家における「習一強体制」の実現に成功したのである。

10年前の第18期党大会において、習は常務委員会トップに就任すると同時に、党内の政敵に対する攻撃を開始した。今回の「習一人勝ち」は、過去10年にわたる熾烈(しれつ)な闘争の結果であると同時に、習が目指す、さらに高い目標を実現するために必要な、より強化された権力でもある。

過去10年、今回を含めて3度の党大会があった。大会ごとに選ばれた常務委員の顔ぶれを通観すれば、習の闘争には首尾一貫した戦略があったことが見て取れる。まず18期大会では、常務委員7人中3人が江沢民派、胡錦濤派が1人、習派は彼自身を含めて3人であった。

つまり、このときは派閥均衡による「集団指導体制」(毛沢東による独裁を2度と繰り返さないため鄧小平が定めた慣例)が機能していた。胡派は鄧小平の改革開放路線を継承し、江派は共産党の古い体質を受け継ぐ保守派、習派はソ連邦の崩壊に危機感を抱き、中国における改革開放の必要性を認めつつ、それに先んじる形での共産党の規律と権力の維持・強化を重視する立場であった。

習は鄧小平の遺産・中国流資本主義経済を共産党の強力な監督・管理下に置かない限り、かつてのアヘン戦争のように、あるいはソ連邦のように、中国が蝕(むしば)まれていくことを何よりも恐れていた。そのため、習は着々と戦略通りの権力闘争を遂行、第19期党大会において、江沢民派を排除し、今回の第20期党大会においては胡錦濤派を一掃して、「習一強体制」の樹立に成功したのである。

一党独裁システムを繰り返し精錬

習の仕掛けた権力闘争は、毛沢東が仕掛けた「文化大革命」と共通する性格をもっている。毛沢東の場合は「走資派」攻撃、習の場合は「鄧小平の改革開放路線継承派」攻撃だが、両者に通底するのは、共産党一党独裁のシステムを繰り返し精錬し直すことに全力を傾注する強固な信念である。

習は今回、チャイナセブンをイエスマンで固めることに成功した。この余勢を駆って、彼が毛沢東のように終身主席として党と国家に君臨する可能性もある。それでは、中国は習の思惑どおり、近い将来覇権国家にまで上りつめるのだろうか?

筆者は今回の習の成功が、中国にとって大きな禍根として振り返られる日が遠からず来ると予想する。今回の党大会を契機として、習の強権的支配が強まり、内外の敵に「団結」して立ち向かおうとのスローガンの下、あらゆる領域で党、国家、そして習主席個人に対する忠誠が国民そして共産党党員に要求されるだろう。しかし、それと同時に、習のプーチン化も始まっている。(茨城キリスト教大学名誉教授)