火曜日, 1月 27, 2026
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土浦花火大会復活へのシナリオ《見上げてごらん!》6

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土浦全国花火競技大会実行委員会提供

【コラム・小泉裕司】土浦の秋の風物詩、土浦全国花火競技大会(11月5日午後5時30分~8時)が戻ってくる。安藤真理子市長は5日の記者会見で、「今年の大会を開催する」と力強い声で発表し、大会は3年ぶりの開催に向け、ついにスタートラインに立つことができた。

11月5日まで2カ月。この時期の決定は、国内最高峰の内閣総理大臣賞を贈るにふさわしい安全な大会としての環境整備にめどが立ったということだろうし、参加業者にとっては、競技大会の「特別な作品」の製造に要する時間を考えると、リミットでもあったろう。

コロナ禍、相次いだ花火大会の中止で危機的な経営状況に陥り、事業の継続性や技術の継承の問題が顕在化していた煙火業界だが、18都道県から55業者が参加するとのことで、まずはほっとしている。今年1年の集大成となる土浦大会で、どんな感動と出会えるのか、期待に胸が膨らむ。

ところで、花火大会はお祭りだろうが競技大会だろうが、何よりも安全第一。観客にとっても、花火師にとっても、主催者にとっても安全でなければならない。花火関係者すべての合言葉であると同時に、今大会を開催に導くためのキーワードでもあった。

イベント報道では、今年前半から、決まり文句のように「3年ぶり」の見出しが急増しており、土浦の場合も同様だ。決して間違いではないのだが、どうも違和感がある。実は土浦大会だけが抱えている「安全」上の深刻な事情があるからだ。

2018年、2019年と、2年続いた花火事故による途中中止に加えて、コロナ禍による2年間の取り止めを加えると、競技大会としての成果は4年連続で残せていない。これは太平洋戦争中の5大会に次いで、史実に残る長期の空白となっている。先人が営々と築いてきた競技大会としての伝統を継承するべく、実行委員会には、安全な大会を再構築し、復活させるという、きわめて重い使命が課せられていたのである。

事故対策では、専門家をはじめ関係機関の協力・理解を得ながら安全対策に心血を注ぎ、再起のめどがついた頃、コロナ対策で出鼻をくじかれた。通常でも大会開催までの準備はほぼ1年を要する土浦市最大のイベントに、未経験の大きな課題が2つも加わっている。それでもこの高い壁を乗り越えなければ、土浦の花火の未来はないのだ。

<具体的な課題対策は、本サイトの記事「3年ぶり 11月5日開催決定 土浦全国花火競技大会」(9月5日掲載)をご覧ください>

ウィズコロナの花火鑑賞

さて今年、私が鑑賞した花火大会は、県内外合わせて2桁に到達したが、心がけているのはコロナ対策である。観覧席、道路や駅など人混みでの距離感が気になる空間では、「時差式発光花火」(4月17日掲載の本コラム)にあやかって、遅めの会場退出や電車予約など時間差で「密」回避策をとっている。

同様の行動パターンをされる方は、結構多いように感じている。一方で、観覧席に持ち込んだテーブルいっぱいに、弁当や酒類を広げて、声を張り上げ宴会を楽しむ観客も少なくない。

花火の楽しみ方は人それぞれでよいのだが、アルコールが進めば、その後訪れるトイレ行列。打ち上げ中にもかかわらず、千鳥足で観客の面前を横切り、花火師の魂の1発を背中で鑑賞する。今年に限り、こうしたお作法はいったん封印をいただき、土浦の夜空を見上げて、珠玉の「全89作品」を見尽くしてみませんか。

もしかすると、苦虫をかみつぶしたようなお顔のお客さんが、お隣でにらんでいるかも知れませんよ。本日はこの辺で「打ち止めー」。「ドン ドーン!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

ヒストリー展や最後の感謝祭 LALAガーデンつくば 閉店まであと1カ月

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LALAガーデンつくば1階の「ヒストリー展」会場に設置されたフォトスポットを案内するスタッフの福田彩夏さん

つくば市小野崎の大型商業施設「LALA(ララ)ガーデンつくば」が10月16日、18年の歴史を閉じる。閉店まであと1カ月となった9月16日から、館内では18年間の歴史を振り返る「ヒストリー展」が開かれているほか、「最後の感謝祭」と銘打った割引セールなど、さまざまなイベントが開かれている。

ヒストリー展は、年表、写真、雑誌記事、販促品など計約50点を展示し、2004年3月19日の開業から18年間の足跡をたどっている。開業を告げる04年3月当時の広告記事、08年に誕生したオリジナルキャラクター「つくバンビ」と「つくベイビー」のイラスト、ハロウィンやクリスマスに催されたスタンプラリーの台紙、イベント時のスナップ写真、2021年からスタートしたワークショップ「土曜キッズデー」の参加者の感想などが展示されている。

同展の会場奥には、フォトスポットが設置され、同施設の外観と筑波山、風船や渦巻き模様のオリジナルロゴを描いたポップなデザイン画の前で、記念写真を撮影できるようになっている。

18年の歴史を振り返るヒストリー展会場=LALAガーデンつくば1階、プラザ広場前のつくラボ

同施設を運営する、三井不動産商業マネジメント(本社・東京都中央区)スタッフの福田彩夏さん(26)は「LALAガーデンつくばを長くご利用いただいた皆様に、思い出を思い起こしていただければ」とし「フォトスポットもあるので、新しいお客様にも、思い出をつくるなどお楽しみいただければ」と話している。

「最後の感謝祭」は、第1弾を9月16日から30日まで、第2弾を10月1日から16日まで開催する。第1弾は各店で10%から90%割引セールなどを開催している。さらに、同施設の外観や夜景、オリジナルキャラクターなどをデザインした記念のポストカードを買い物客にプレゼントしている。土日や祝日はイベント会場のプラザ広場で、高校生や大学生、スポーツチームによるさまざまなイベントが催される。(鈴木宏子)

解決をしてはいけない時期《続・気軽にSOS》117

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【コラム・浅井和幸】周りや環境の悪口を言い続けたり、借金を返さなかったり、人や自分を傷つける言動を繰り返したり、乱暴な運転をしたり、嫌いな人のことばかりを考えたり、人と連絡を絶ち引きこもったりと、人はわざと不幸になりたいのかなと思うような行動をとり続けることがあります。

しかし、そのような行動をとる人たちでも、ほとんどは、よりよく生きたいと思っています。つらい状況にどうしようもなく追い込まれることもありますが、上記のような行動がより良い生活のために必要だと考えて、意識して行動し続けていることも多々あるのです。

よりよい状況にしたいので、そのための邪魔になる問題は早く解決したいと考えます。ですが、問題解決を焦ってしまうと、むしろよりよく生きることとは逆の方向に向かってしまうことがありますので、注意が必要です。

借金は早く返した方がよいと無理な返済計画を立てたら、最後まで返済できなくなるかもしれません。スピードを出して乱暴な運転をしたら、事故を起こす可能性が上がり、目的の場所にたどり着けなくなるかもしれません。宿題をやれと怒れば怒るほど、宿題をやらなくなるかもしれません。

短期的に、しかも狭い範囲で見れば得をする、問題解決すると思うことが、中長期的に見みると、むしろ問題をこじらせてしまうことも多々あるのです。短期的に見れば、お金を借りて返さない方が、お金を返すよりも手元に残って得かもしれません。ですが、長期的に見れば、借りたお金を返した方が信頼ができ、次にまたお金を借りることができるようになるかもしれません。

周りや世界が変化するのを待つ

これらを踏まえたうえで、相談を受けるときにはどうでしょうか。例えば、お金を貸してくれと相談されても、無駄遣いをすることが明らかなときはお金を貸しても解決にはならないでしょう。それと同じように、学校にさえ行ければ、彼女さえできれば、何かきっかけさえあれば、うまくいくと決めつけた状態のときは、次に進むのは危険なことが多いのです。

また、これとこれをまず行ってみて、次にこれをすれば状況が変わってくると予測できても、当人がこちらの言葉に耳を傾けて実行できる段階でなければ、問題解決に進むのではなく、まずは話をじっくり聞いて共感をするなどし、味方になることが必要になります。

例えば、Aさんが周りの悪口を言い続けているような状況のときは、Aさん自身に考え方や行動の変化を促しても反発につながります。そのときは、その悪口に耳を傾けて、周りが変わったらもうけもんだというぐらいの感覚で、じっと何年も待つことが必要かもしれません。

働きかけず待つだけで、周りや世界が変化するのを待つのも一つの生き方なのでしょう。私は、自分のできる動きで目的に向かう方法を探ることをお勧めしますが、それができないときは、じっくりと伴走をして待つのも相談の一つなのでしょう。(精神保健福祉士)

日本政府の恥ずかしい認識《電動車いすから見た景色》34

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2022年8月に国連ジュネーブ本部の前で介助者と

【コラム・川端舞】8月22~23日、障害者権利条約に対する日本の実施状況を審査する会合が国連ジュネーブ本部でおこなわれ、日本から障害者や家族、支援者など約100人が現地に向かった。審査自体は審査を担う国連の障害者権利委員会と日本政府との対話形式で進められるが、審査に先立ち、国連の委員と日本の障害者団体などが対話する時間が設けられたほか、審査の合い間に会場の外で、障害者たちが日本の現状を委員に直接訴えた。

私も、自分の子ども時代の普通学校での経験を書いたカードを委員に手渡し、障害児が日本の普通学校で学ぶ上で直面する困難を伝えた。私が差し出すカードを笑顔で受け取り、「インクルーシブ教育は日本にとって大きな課題だと思っている」と言ってくれた委員もいた。

実際の審査で「特別支援学校を廃止するために、予算措置を特別支援学校から通常の学校へ移行する予定はあるのか」「通常の学校が障害児を拒否することを禁止する法令を策定する予定があるのか」など、国連からの厳しい質問に、日本政府が回答した内容は、聞いているこちらが恥ずかしくなるようなものだった。

「特に知的障害児は中学・高校と学年が上がるにつれ、障害のない生徒と同じ内容を学ぶのが難しくなり、特別支援学校を選ぶことが多くなる。特別支援学校では知的障害のある生徒もリーダーシップを発揮できる」などの日本政府の回答を聞いていて、「特別支援学校を廃止する方略を聞かれているのに、特別支援学校の意義を主張してどうするのか」とツッコミを入れたくなった。

学習が苦手な生徒を支援する教員を1人多く教室に配置したり、生徒本人が「静かな部屋で集中して学習したい」「少し休憩したい」と思ったときだけ、他の教室で過ごしたり、知的障害のある生徒もどうやったら他の生徒とできるだけ一緒に学べるかを考える過程こそが、権利条約のいうインクルーシブ教育の過程なのに、日本政府の回答はその過程を放棄している。権利条約のいうインクルーシブ教育を全く理解していない。

「分離教育」中止を要請

8月の審査を受け、今月9日に国連が公表した報告書では、障害児を分離する現在の特別支援教育は止めるよう、日本政府に強く要請している。日本の障害者たちが自分と仲間の権利のためにジュネーブまで行った結果だ。現在、通常の学校に通っている障害のあるお子さんとご家族もジュネーブに行き、国連の委員に直接、日本の教育の現状を訴えたのも大きいだろう。

国連の要請にどう答えるのか。政府の反応に注目だ。(障害当事者)

ユーチューバーも特撮の主役に「爆破体験フェス」参加者募集 

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爆破体験フェスの会場となる常陸大宮市の採石場での撮影風景(スカイテック提供)

10月22日、特撮ロケ地で

荒野に響くごう音、立ち上る真っ赤な炎。その前に立てば、誰もがアクションスターのようにー。音楽ステージや映画撮影現場での特殊効果をプロデュースする「スカイテック」(土浦市乙戸南、野澤勇人社長)が、テレビや映画の特撮で使われる爆破を一般にも体験してもらう体験・撮影会「爆破体験フェス(通称・爆フェス)」を10月22日、常陸大宮市の特撮ロケ地で開催する。「非日常の世界で、誰もが主役になれるチャンス」と参加を呼び掛ける。

新たな活用法あるはず

「その人を映えさせる、際立たせるためのドッカーンです」。特殊効果の魅力を野澤さんはそう語る。

同社は、舞台やコンサート、映画、プロモーションビデオなどに使われる特殊効果のプロデュースや、特殊効果用機器類、煙火などの輸入・販売を手掛けている。これまでに「ロック・イン・ジャパン」や「ラッキーフェス」などの大型音楽イベントなどを多数手掛けてきた。

「やっぱり私はライブがいい。大好きな矢沢永吉のライブに行くと、現場だからこそ感じるオーラがある。その主役の魅力を引き立てるのが、我々、演出です」

スカイテックの野澤社長

今回、場所を提供するのは、土木工事を手掛ける松井建設(那珂市、松井祐一郎社長)。自社で所有する常陸大宮市の採石場を活用したロケサポートを、約15年前から実施している。荒野をイメージさせる18ヘクタールの敷地は、映画「日本沈没」、大河ドラマ「麒麟がくる」、三代目J SOUL BROTHERSや聖飢魔IIのミュージックビデオなど様々な撮影で活用されてきた。

「今回の特色は、個人で爆破を体験できること」だと野澤さんは話す。「これまでCM撮影など、企業による爆破撮影の依頼を受けることはよくあったが、まだまだ新しい活用方法はあるはず。今回のイベントをきっかけに、ユーチューバーやインスタグラマーなども含めて、これまで爆破と結びつくことのなかった業種のPRにも利用してほしい」と期待を込める。

コロナ禍からの再起

背景に、音楽イベントが軒並み中止に追い込まれるなど、コロナ禍の影響もあったと野澤さんは話す。自粛が求められる日が続き「全く仕事がなくなった。ほぼゼロ」と2020年を振り返る。「それでも何かしなきゃいけない」と考える中で生まれたアイディアの一つが「爆フェス」だった。また「茨城は映画やドラマのロケ地として有名。特撮ロケ地への観光誘致として、地域おこしにも貢献できれば」ともいう。

機材設置には、さまざまな場面で爆破を手掛けてきた特殊効果の職人が当たる。大きな炎が特徴の「ナパーム爆破」、灰色の煙が巻き上がる「セメント爆破」、衣服に取り付けた火薬が破裂する西部劇さながらの「弾着」、「バズーカ砲」などが特別価格で体験でき、参加者は自身の様子を動画や写真に収めることができる。広大な荒野の隣には採石場がある。特撮ロケで使われた現場を見ることができるのも魅力だ。

「世の中リモートばかりになった。オンラインでは相手の息が感じられないですよね。息を感じることは、相手を知ること。リアル、ライブっていうのはやっぱり重要。そうコロナ禍で実感しました」「そんな時だからこそ、リアルな体験を。コスプレも大歓迎です」と野澤さん。(柴田大輔)

◆「爆破体験フェス(爆フェス)」は10月22日(土)午前9時~午後4時、常陸大宮市小場4585-1で。参加には事前チケット(1グループ3万5000円・税込み)の購入が必要。詳しくは同フェスホームページへ。

科学都市つくばとねずみ男《映画探偵団》59

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【コラム・冠木新市】今年はマンガ家、水木しげる生誕100年である。2007年にフランスのアングレーム国際漫画祭で「のんのんばあとオレ」が日本人初の最優秀作品賞を受賞。09年には「総員玉砕せよ!」が同漫画祭の遺産賞を受賞。10年には日本の文化功労者に選ばれた。

さらに15年に「コミック昭和史」がアイズナー賞最優秀アジア作品賞。2023年には映画「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」公開。またアニメ「悪魔くん」がNetflixで全世界に配信される。水木しげるの評価が自分のことのようにうれしいのは、歴史を共有してきたからだ。

水木しげる漫画の半妖怪

1960年、「墓場鬼太郎」を貸本屋で見つけ、妖気漂う画調に虜(とりこ)になった。その頃は、手塚治虫の明るい「鉄腕アトム」全盛時代である。どちらも好きだったが、一般受けしなかった「墓場鬼太郎」に肩入れした。東京オリンピックの翌年、1965年に「墓場の鬼太郎」が週刊少年マガジンに登場する。

このころ、東京世田谷区三軒茶屋の古本屋で、片腕のない壮年が助手の青年に次々に指示して本を選び、終わると風のように去って行く姿を目撃する。すぐ「アッ、水木しげるだ!」と気づいたが、声をかける勇気はなく呆然(あぜん)と見ていた。

2度目に出会うのは、俳優・丹波哲郎さんに何気なく「ねずみ男の冒険」の映像化を勧めたところ、大乗気になって、1997年、原作の許諾を得るため調布市にある水木プロダクションを訪ねたときだ。

「面談30分」との貼り紙のある応接間で、水木先生にお会いした。企画の話をすると、「丹波哲郎のねずみ男、イイですなあ!」と大喜びで、1時間近く話が続いた。「ボクが製作会社に話してあげましょうか」とまで言っていただいたが、こちらは時間超過が気になって、落ち着かなかった。

その後、コント55号の欽ちゃんに監督も決まったが、ある事情で映像化にはならなかった。申し訳ないと今でも思っている。

「ゲゲゲの鬼太郎」人気を支えるものは何だろうか。それは、ねずみ男の存在にある。人間でも妖怪でもなく、正義でも悪人でもなく、金と名誉と女性に極めて弱く、ときには仲間を裏切る、得体(えたい)のしれないキャラクターなのだ。しかも、水木マンガでは主役も張れば、準主役も張り、脇役、特別出演もやる。鬼太郎よりもねずみ男の方が、ファンが多いのではなかろうか。

110億で売れたら目が変化

科学都市つくばでは、妖怪ワ一ルドは受けないと思っていたが、2010年、NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」が放送されると、女性たちの人気を呼び話題となった。昔、貸し本の「墓場鬼太郎」を気持ち悪そうに見ていた女性の成長した姿である。

あれから10年が過ぎた。ある土地が110億円で売れた途端に、一括売却反対だった人たちの、その場所を見る目が変化した。自分がもうかった気になっているようだ。もしかしたら、つくば市は半妖怪ねずみ男の故郷なのかもしれない。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

散策から出会う土浦・路地裏物語 石川多依子さん モノクロ写真展

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石川多依子さん。写真展会場にて

土浦市在住の写真家、石川多依子さんの写真展「モノクロ語り・土浦」が13日から、同市大和町の土浦市民ギャラリーで開催されている。2007年から現在までの約15年間、街の変遷を撮り続けた写真の中から、57枚を厳選して展示している。

街角での気付きが源泉

写真展より

昨年1月、大町の通りに昔からある茶舗で、午前中の暖かい日差しに包まれて店番をする、1人と1匹の姿を収めた作品が展示されている。「若いころから知っている人で、懐かしいと思って話し掛けて撮らせてもらった。おじさんが優しい目で猫を見ていて、猫はどーんと構えている。その関係がいい」と石川さん。

写真展より

2015年2月の厳寒の日、当時はまだアーケードがあった中央大通り商店街で、うつむき加減で歩いていた女性を振り向きざまに撮った作品もある。「すごく寒そうな感じで、マフラーの流れ方や手にしたビニール袋も雰囲気がある。駅へ向かうバスもちょうど来て、いい感じに撮れた」

生活の臭いがする写真

「人がいない風景ではなく、ちょっとでも人が入っている、生活の臭いがする写真が撮りたい」と石川さんは言う。はしごを使って物干し台へ登る主婦や、道端で遊ぶ子どもの姿などもある。ほんの少し前まで身近に見られた光景だ。「こういう写真にはモノクロの方が似合う。見ていても物語性があり、想像力が働く気がする」

今展に向けて、写真をプリントしながら思ったのは、やっぱり土浦は古い街だなということ。駅の周辺や表通り沿いなどは再開発が進んだが、一歩奥へ入ると路地や裏町が残っており、そうガラッとは変わっていない。ただそれでも、少し前まであった塀がなくなったり、家が空き地になっていたりなど、歩く度に小さな変化がそこかしこで見られるという。

タイの少数民族など撮影

石川さんは1945年水戸市生まれ。中学2年のとき父から一眼レフをもらい、写真の撮り方を教わった。高校3年で県美術展に初入選。大学入学から就職、結婚を経て一時写真から離れたが、40歳のころ家族と共に両親の住む土浦に戻り、再び精力的に撮り始めた。

インドや中東の国々を巡ったほか、タイでは少数民族の子どもたちと出会い、2000年にチェンライ市で教育支援活動をするNGO「さくらプロジェクト」に参加。北部山岳地帯の暮らしや、民族衣装の美しさなどを、現地に滞在しながらカメラに収めてきた。写真は都内のギャラリーや、水戸の常陽芸文センターでの個展などで発表。京都写真美術館のサイトでは、エチオピアで撮影した「サバンナの民・ボラナ」が公開されている。

歩いて初めて目が向く

こうした活動の合い間を縫って、07年ごろから土浦の街を撮り歩くようになった。「車では通ることがなかった路地や裏町の面白さに、歩くようになって初めて気付いた。しかもカメラを下げていると、普段は素通りしていたところにもあちこち目が向く。古い家屋のたたずまいや、当たり前の日々を営む人たちの姿に、懐かしさや温かみを感じてきた」

コロナ禍以降は、健康のためという目的も加わった。「何もしないでいると家に閉じこもりきりになってしまう。自分の中では遊びの写真だが、この辺で一度まとめてもいいかなと思った」と開催意図。15年余りの移りゆく街の姿が、ほぼ撮影年代順に並んでいる。(池田充雄)

写真展の様子

◆石川多依子写真展「モノクロ語り・土浦」は13日(火)から19日(月・祝)まで、土浦市大和町1-1アルカス土浦1階 土浦市民ギャラリーで開催。入場無料。開館時間は午前10時~午後5時(最終日は午後4時まで)。問い合わせは電話029-846-2950(同ギャラリー事務室)

消費者トラブルに遭わないために《ハチドリ暮らし》17

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【コラム・山口京子】今の社会は、商品やサービスを購入して、その商品やサービスを消費して暮らしを成り立たせています。そして、広告の誘引力はとても大きいものがあります。みなさんは、広告の文句にひかれて商品を購入したものの、実物とイメージの違いに落胆したことはありませんか。

消費者としてトラブルに遭わないための知識を得ようと、消費者講座に参加しました。2022年の消費者白書によると、21年の消費生活相談件数は85万件にもなっていました。これは相談があった件数なので、諦めてしまった人たちがいることを踏まえると、かなりのトラブルがあるのではないかと推測されます。

泣き寝入りしないためには、きちんと契約について知ること。契約に際しての規約や約款を確認すること。そもそも、その契約が自分に必要な契約なのか、じっくり考えること。こういったチェックが必要です。どの広告も「今すぐに」と呼び掛けますが、そういう宣伝こそ要注意だと思います。

私たちの暮らしのルールは民法が基本になっています。民法は対等な私人間の関係を前堤にした体系です。しかし、売る側の人たちと私たち消費者の間には、情報の質・量、交渉力などで大きな差があります。その差を前提に、売買の是正を考えたルールを作らないと、公正な取引はできないでしょう。

消費者契約法と特定商取引法を学ぶ

その格差を是正するためのルールが、消費者関連法といわれる法律です。講座では特に、消費者契約法と特定商取引法を学びました。消費者契約も契約ですから、民法の契約を基本にしています。その上で、消費者契約の特殊性から、これら2つの法律ができたということです。

消費者契約法には3つの柱があります。1つは、契約の勧誘段階の規制で誤認類型と困惑類型をあげ、該当すれば取り消しができます。2つ目は、不当な契約条項を無効とするもので、実際にどういうことが無効になるのかを定義しています。3つ目は、消費者被害に遭ったときなどに、被害者である消費者に代わって消費者団体に訴訟する権利を認めたもので、消費者団体訴訟制度と呼ばれます。

特定商取引法は取引形態を7つに類型化し、それぞれの特徴に応じた規制や民事ルールを整理しています。みなさんは「クーリングオフ制度」という言葉を聞かれたことがあるでしょうか。頭を冷やしてじっくり考える期間を保障し、その結果いらないと判断したら、無条件に契約を撤回、解除できる制度です。

特定商取引法では、通信販売を除く6つの取引に適用があります。また通信販売では、返品特約の明記が義務づけられています。県内でも様々な消費者講座があると思います。みなさんもぜひ参加してほしいです。(消費生活アドバイザー)

稲刈りに戻ってきたよ つくばの田んぼに児童100人

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田んぼに入り稲刈りする児童たち=つくば市小田、武平ファーム

稲刈りシーズン到来ー。つくば市小田の武平ファームの田んぼに13日、江戸川学園取手小(取手市野々井、鈴木克已校長)の児童約100人がやってきて、田のぬかるみと格闘しながら、初めての収穫体験をした。

県内初の小中高一貫教育校として、同学園が小学校を開校した2014年から続く恒例の校外学習。春に田植えをした2年生が、秋に再び訪れて稲刈りをする。9年目となる今回は、3クラスの児童約100人が、武平ファーム代表の大曽根隆さん(60)からカマの扱い方などの指導を受け、長靴に履き替えて田んぼに入った。

前日来の雨でぬかるんだ田んぼに入り、神妙な表情で手ほどきを受け、恐る恐る稲穂にカマを当てていたチビっ子たち。次第に慣れて、鳴き声のするカエルの姿を探したり、刈り取った稲穂をかける「おだ」にぶらさがって「それは鉄棒ではありません」と注意を受ける姿も。約1時間にわたって収穫に取り組んだ。

𠮷田浩副校長によれば「学校には東京、埼玉、千葉、茨城から児童が集まる。特に都内の子が多いので、田んぼに入るというのは貴重な体験。多くの気づきが得られる」行事という。無農薬の田んぼで収穫したお米は月2回、同校の米飯給食で使われるそうで、この日の昼食にもファームで取れたお米でつくったおにぎりが振る舞われた。

大曽根さんは「100人分のおにぎりを用意したり、田んぼも事前に生えているヒエを刈っておかねばならないなど準備も大変だが、おにぎりをほおばる姿を見るとねえ。米作はもうからない大変な時代だけど、こればっかりは止められない」と目を細めた。(相澤冬樹)

つくばにはベンツとポルシェがよく似合う 関彰商事の関さん【キーパーソン】

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関彰商事 関正樹社長

つくば市研究学園のイーアスつくば前、研究学園交差点から国土地理院に向かう通り(取手つくば線)を走ると、輸入車販売店が多いことに驚く。国内で売られている輸入車は、ほぼこの一画で買うことができる。輸入高級車の代名詞ともいうべき、ベンツ(独)、ポルシェ(独)の店をこの区域に出している関彰商事の関正樹社長に、同社の経営戦略などを聞いた。

つくば学園都市をターゲットに

茨城全体をカバーするポルシェ店は、元々、ひたちなか市にあったが、2015年、研究学園駅に近い現在の場所に移した。「水戸市に近いところよりも、わが社が本社機能を置くつくば市の方がよい。それに、つくばの方が(高級車を求める)高所得層が多く住んでいると考えたからだ。もうひとつ、常磐高速を使い来店する首都圏のお客様にもつくばの方が便利になると判断した」という。

関さんによると、関彰が扱うポルシェの年間販売実績は140台ほど。一方のベンツは、つくば店で年間240台ぐらい販売している。平均的な販売価格は1000万円を超えるというから、つくばエリアには裕福な人が多い。

ベンツ店は1989年のオープン時から、ショールームが「つくば本社」(二の宮)の1階、整備工場が土浦市に置かれ、ユーザーにとっては不便だった。「研究学園駅近くによい土地を見つけ、2013年、ショールームと整備工場を今の場所に移転、統合した」。ベンツの新車を扱う店は、つくば市のほか、古河市、いわき市(福島県)、鴻巣市(埼玉県)にも置いている。

研究学園駅近くに5販売店配置

関彰が扱う輸入車はポルシェとベンツだけではない。プジョー(仏)の店も、2021年、土浦市から研究学園駅近くに移転、オープンした。国産車も扱っており、同駅近くにホンダの店を出している( 「セキショウホンダ19店の1つ)。ポルシェ店に隣接するベンツのサーティファイドカーセンター(保証付き中古車店)を加えると、この区画に自動車販売店を5つも展開していることになる。

関彰の自動車販売額は年間約300億円に上る。グループの年商は約1600億円というから、モビリティ部門は2割ぐらい。シェアが大きいのは街のスタンドなどで販売するガソリンを中心としたエネルギー部門で、全売上高の半分の約800億円。3番目は事務機器などを扱う法人営業部門の約150億円。

いずれ、東京にも本社を設置?

「車にしてもガソリンにしても、要するに、150年前の『発明』や『発見』で食べている会社」と、笑う。そして「それはそれでやっていくが、次の世代は(これらの)モノを売るだけでは会社が成り立たなくなる。成り立っていく仕組みをつくっていかねばならない」と、現状に満足することを戒める。

具体的には、モビリティ部門、エネルギー部門、法人営業部門など、縦割りの仕事の進め方を改め、各部門の「自立」を維持しながら、部門間の「交流」を活発にしたいという。個人顧客や取引先企業のニーズなどの情報が共有されれば、既存の事業を拡大できるだけでなく、新たな事業分野を開拓できると考えているようだ。

インタビューの中で驚いたのは、「今後、東京にも本社を置く可能性はゼロではない」という発言。来年2023年に創業115年を迎える関彰は、今世紀はじめ、本社機能を下館市(現筑西市)からつくば市に移し、2016年には、下館本社、つくば本社の「2本社体制」に移行した(登記上の本社は筑西市)。事業の構成や仕事の仕方だけでなく、本社についても次のステップが頭にある?

【せき・まさき】1963年、下館市生まれ。1988年、成蹊大経済学部卒。1988~92年、セコム勤務。1992年、関彰商事に入り、取締役、常務、専務、副社長を経て、2006年から社長。現在、茨城県経営者協議会副会長、筑波大経営改革室メンバー、学校法人・茗渓学園理事、下館商工会議所副会頭など。つくば市在住。

【インタビュー後記】研究学園駅から車で5分以内のところに、ジープ(米)、ルノー(仏)、アウディ(独)、VW(独)、BMW(独)、ボルボ(瑞)、キャデラック・シボレー(米)などのディーラーも店を構えており、この区画は「輸入車の街」と言ってよい。「独製セダンから国産SUVに乗り換え若ぶっている」(FBでの自己紹介)私にとっても、面白いゾーンだ。(経済ジャーナリスト・坂本栄)

開店40年、二の宮の「エレガンス」 《ご飯は世界を救う》51

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【コラム・川浪せつ子】今回は、今年で40周年のイタリアンダイニング「エレガンス」(つくば市二の宮)さんです。私が、つくば市(そのころは谷田部町)に来たときと同じ。ずいぶん昔々ですが、今なおステキなお店。コーディネートされたお花が、室内にたくさん飾られています。建物も素晴らしい洋館風。

私の建築関係の仕事仲間は、こちらでウエディングパーティーを開きました。また建築士会の女性部会主催のコンサートも。そんな催事もできてしまう広さとインテリアです。

外観

コロナになったばかりのとき、外食を控えていました。そんなとき、エレガンスさんのテイクアウトをして、斜め前の公園で食しました。お弁当は良かったのですが、なんだかとてもわびしく、寂しい思いをしました。

お料理というのは、お味も大切ですが、どこで食べるか、そして居心地の良い場所なのか―というのが、重要なことだと感じました。

今回、思ったこと。以前はもっと混んでいたなぁ~、と。やはりコロナのせいですね。それと、最近感じることは、研究学園駅方面に新しいお店が増えて、時代の流れと、人の動向にも影響していること。これからも、末永く頑張ってほしいお店です。

秋の日の入り口付近

最後に。気が付いたら、このコラム、前回ちょうど50回目でした。そんなに食べたの?わたし!でした。おいしくて、楽しくて、お絵かきもして…。このコラムを見て「行きました!」というお話もお聞きして、ニコニコ、ハッピーです。ありがとうございます。コメント、お待ちしております。(イラストレーター)

筑波大 バス停ベンチリニューアルへ 創基151年・開学50周年記念事業

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リニューアルされたバス停ベンチを除幕する(左から)金保安則 筑波大副学長、永田恭介学長、関正樹 関彰商事社長、岡本俊一常務

筑波大学(つくば市天王台)構内の合宿所前バス停ベンチがリニューアルされ、12日、永田恭介学長らが参加して除幕式が催された。同大は来年、創基151年、開学50年を迎えることから、記念事業の一つ「フューチャーシップ・シート・プロジェクト」としてリニューアルが実施されている。

同大は1872(明治5)年に設立された東京師範学校(のちの東京教育大学)が起源で、前身の東京教育大がつくばに移転する形で1973年に開学した。同プロジェクトは創基151年にちなみ、企業などから1口151万円の寄付を受け、学内のベンチや教室のイスなどをリニューアルする。

「筑波大学の中にあるイスを通じて、学生を応援して下さる皆様と学生たちを繋げるためのプロジェクト」と同大。寄附をした企業は、会社名と学生に向けたメッセージを刻印したプレートをベンチやイスに取り付けることができる。

第一弾として昨年12月から、学内にあるバス停17カ所のベンチ59脚をリニューアルするための寄付の受け付けが始まった。現在までに16社から申し込みがあったという。今回ベンチに設置されたプレートは同大芸術学群の学生がデザインした。

12日の除幕式には同プロジェクトに寄付をした関彰商事から関正樹社長、岡本俊一常務、筑波大から永田恭介学長のほか金保安則副学長が出席した。 

今回ベンチがリニューアルされた合宿所バス停近くには、関彰商事が2016年に人工芝敷設工事費用を寄付した「セキショウフィールド」があり、アメフトなどの練習・試合、授業で使用されている。除幕式のあいさつに立った同社社長の関社長はこうした経緯を踏まえて、プレートに「健全なる次世代のために」というメッセージを刻んだことを伝えるとともに「今後も筑波大と良い関係を築き、保って、世界で活躍できるような会社にしていきたい」と語った。

ベンチに刻まれた「健全なる次世代のために」と記されたメッセージ

第2弾として、大学会館ホールや教室のイスも寄付を募りリニューアルしていく。寄付金はさらに、世界トップレベルの研究や国際交流推進とグローバル人材育成の支援に充てられる。(柴田大輔)

学校生活の悩み話そう 障害児の保護者に向け教育座談会 つくばの当事者団体

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5月に開催した「ほにゃらキッズ」のイベント。自立生活をする当事者が経験を共有し合った

25日、自立生活センターで

障害児を持つ保護者を対象に、学校生活の悩みを共有するための座談会「障害があると違う学校に行かなきゃダメなの?先輩の経験談から考えるインクルーシブ教育座談会」が25日、つくば市内で開かれる、障害者の地域生活を支援する当事者団体「つくば自立生活センターほにゃら」(川島映利奈代表)が主催する。同団体は障害児の将来の自立をサポートする「ほにゃらキッズ」という活動に取り組んでおり、今回の企画はその一環となる。

座談会では、小中学校時代に市内の普通学校に車いすで通い、現在は寮で生活しながら県外の大学に通う子を持つ女性と、小学校から高校まで普通学級で学んだ障害当事者で、ほにゃらメンバーの川端舞さんが登壇し、介助を必要とする子供が学校で直面した課題と向き合い方、その後の歩みについて具体的な事例をもとに話す。後半には参加者からの質疑と座談会が予定される。

共有できる機会少ない

ほにゃら代表の川島さんは(40)は開催のきっかけを「学校で適切なサポートを受けられず悩む、普通学校に通う障害児の保護者たちから相談があった」と話す。市内外の保護者から、支援不足から親が学校生活に付き添わなくてはならない、子供が周囲と馴染めず疎外感を覚える、授業についていけない、学校生活に必要な情報不足などが寄せられているという。

「友達と同じ学校に行きたいという子供の思いを受け、通学できるよう頑張るお母さんがいる。でも、いざ学校に通うと、親も子も様々な悩みを抱えてしまう。通いたいはずの学校で傷つく子供の姿に、自分を責めてしまう母親もいる」とし「障害児の母親は学校で少数派。悩みを共有できる機会は少ない」と川島さんは話す。

支援員 足りてない

学校には、食事、排せつ、教室の移動や授業など、個別の支援が必要な児童・生徒を支援する特別教育支援員がいる。つくば市では「教育補助員」として2000年度より小中学校に配置を始めた。市によると5日現在、小学校は29校すべて、中学校は12校中6校、義務教育学校は4校すべてに、計144人が配置されている。

国全体では2006年の学校教育法等改正により、特別支援学校や小・中学校の特別支援学級だけでなく、普通学級においても障害などにより支援を必要とする子どもに対し適切な教育を行うことが明確化された。しかし「茨城に障害のある人の権利条例をつくる会」(事務局・水戸市)の20年調査によると、全44市町村の教育委員会に「支援員が足りているか」と質問したところ、6割超の27市町村が「足りていない」と回答し、保護者が学校に付き添っている自治体は8市町村あった。

一方、16年に施行された障害者差別解消法により、障害児も他の子供たちと対等に学校生活を送れるよう合理的な配慮をすることが公立学校での法的義務となった。教育現場での「合理的配慮」は、日本が14年に批准した障害者権利条約で「障害者が健常者と同様にあらゆる教育を受けられる」権利として定められている。

川島さんは「当事者同士、互いの生の声を聞ける機会を大事にしていきたい」とし、「情報が少ないことで一人で悩む保護者もいる。体験談を聞くことで、一人じゃないと思ってもらいたいし、必要な支援を受け地域で暮らしていくために、何が必要か共に考えていきたい」と話し、「現在困っている方に参加してもらいたい」と呼び掛ける。(柴田大輔)

◆同教育座談会は25日(日)午後1~3時、つくば市天久保2-12-7 アウスレーゼ1階 つくば自立生活センターほにゃら事務所で。対象は普通学校に通っている、または通うことに関心のある障害児童生徒の保護者。参加費無料。定員10人(先着順)。申込締切は18日(日)。申込方法はインターネットから申し込む。問い合わせは電話029-859-0590またはメールcil-tsukuba@cronos.ocn.ne.jp (ほにゃら)で。

新しい資本主義には新しい原発が必要? 《邑から日本を見る》119

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水戸で開かれた東海第2原発の再稼働を止める集会

【コラム・先﨑千尋】先月28日、ロシアが占拠しているウクライナのザポリジエ原発で、原子炉から約100メートルにある建屋が被弾した。原子炉本体が攻撃され、制御不能になれば、チェルノブイリ原発事故以上の被害が出ると言われており、間一髪という感じがする。ウクライナの原発だけでなく、わが国の原発だって、武力攻撃のリスクが高まっているという判断は今や常識だ。

それなのに、岸田総理は突然、次世代原発の開発を含む原発の新増設や原則40年の運転期間の延長、東海第2原発や柏崎刈羽原発の再稼働促進などの方針を示した。東京電力福島第1原発の事故後、歴代首相は国民感情を意識し、原発の新増設には触れないできたのに、国会や閣議などで検討することもなく、突然の方針転換。先の参院選でも争点にせず、故郷を奪われた被災者や原発の安全性に不安を抱く多くの国民の理解を得ていない。私は「岸田さん。あんた、マジか?」と言いたい。

この政府の方針転換に、県内の首長は戸惑いを見せる。大井川知事は「現場で抱えている課題を考えると、突然、来年の春とか夏とかいう話はちょっと難しい」、東海村の山田村長は「国の動向に左右されず地元として丁寧に対応していく」、水戸市の高橋市長は「実効性ある避難計画ができなければ再稼働は認めない」(いずれも8月26日の東京新聞)。

新聞の社説は、「足元の『危機克服』を理由に、長期的な国策を拙速に転換すれば、必ず禍根を残す。考えなおすべきだ」(朝日新聞)、「2011年に起きた東京電力福島第1原発事故の反省を、政府は忘れてしまったのか」(毎日新聞)、「これ以上、原発依存を続けることに国民の不安は大きく、持続可能な社会や脱炭素にも本当につながるとは思えない」(京都新聞)などと、政府の方針に疑問を投げかけている。

水戸では東海第2再稼働反対集会

たまたまだが、先月27日に東海第2原発の再稼働を止めようという集会が水戸市で開かれ、県内外から450人が参加した。鎌田慧さん(とめよう!東海第2原発首都圏連絡会)や海渡雄一さん(東海第2原発運転差止訴訟弁護団)、藤井学昭さん(東海村願船寺住職)などの挨拶、訴えなどがあり、「岸田首相は原発推進政策の『短絡的な号令』を撤回せよ」という抗議文を採択した。

この集会には、福島県新地町の漁師小野春雄さんも参加し、汚染水を海洋放出するという政府と東京電力の方針を厳しく糾弾した。「海は人間の命であり、宝物だ。また我々の仕事場であり、我々が海を守っている。そこをなぜ汚すのか。日本は法治国家のはずだ。東電は我々の承諾がなければ、汚染水を海に流さないと文書で約束しているのに、一方的に反故(ほご)にしようとしている。勝手に決めないでくれ。ハラワタが煮えくり返っている」と訴えた。

今回の集会には、五十嵐立青つくば市長や中島栄美浦村長らの多くの賛同人があったが、私は飯島清光水戸農協組合長や秋山豊常陸農協組合長ら農業関係者が賛同人に入っていることに注目した。福島の事故でも、第1次産業と言われている農林漁業が取り返しのつかない被害を受けている。茨城でも、東海第2原発が再稼働になり事故が起きれば、多くの人が避難しなければならなくなり、農林漁業関係者のダメージは計り知れないことが予測される。(元瓜連町長)

「みんなを元気に」 宝来館跡地で8回目の野外映画祭 常総水害から7年

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常総市内外から多くの来場者が訪れた野外映画祭

「待ってました!」。映画の上映が始まると、会場から大きな声援が飛び交った。常総市で10日夕、野外上映会「一夜限りの復活映画祭 第8回 懐かシネマ」(懐かシネマ実行委員会、東郷治久会長)が開かれた。会場は、かつて旧水海道市の中心にあった映画館「宝来館」(常総市水海道宝町)跡地の駐車場。会場に立てられた大スクリーンで上映される映画「二宮金次郎」(五十嵐匠監督)を楽しもうと、約200人が市内外から訪れた。上映前には、ウクライナから避難し、今年6月から常総市内で暮らすシンガーのヴィテリアック・イリータさんのミニコンサートが開催された。

始まりは水害1年前

この日は、2015年の鬼怒川水害から7年。常総市では、関東・東北豪雨により鬼怒川堤防が決壊。市内の3分の1が浸水し災害関連死を含め15人が亡くなった。上映会場のある水海道駅前一帯も、膝まで水に浸かった。イベント開始に先立ち、映画祭発起人で実行委員の羽富都史彰さんが呼び掛け、1分間の黙とうが捧げられた。

「この映画祭は1回限りの予定で、水害の1年前に開催したのが始まりでした。しかし、翌年に水害があり、みんなを元気付けようと2回目の開催を決意したことが今につながりました」

そう話すのは、懐かシネマ実行委員会会長で、つくば市でホテルや料亭、専門学校などを経営するサンスイグループ代表の東郷治久さん(74)。上映会場にあった「宝来館」は、東郷さんの両親が1946年から1983年にかけ営んでいた映画館で、東郷さんの生家だった。

「父は映画館技師。入り口で切符を売る母親の背中に私はいました」と当時を振り返る。明治の芝居小屋を改装して作られた映画館には、延べ100万人以上が訪れたという。映画一筋だった父親からの「多角的な事業をしなさい」という教えが、その後の教訓になり、日本語学校、動物学校、ホテル事業などをつくば市を中心に展開してきた。「映画屋の息子である私にとって、故郷であるこの街が原点」と東郷さんは話す。

実行委員会会長の東郷治久さん。会場には、つくば市在住で、宝来館の絵も手がけた映画看板絵師・井桁豊さんの作品が展示されていた

タイムスリップできる

「懐かシネマ」は、「街に活気を」と2014年、常総市の千姫祭のときにスタートした。水害後の開催時にアンケートをとると「また来年もやってほしい」という声が圧倒的だった。「世の中、損得だけで動いているわけでない。故郷への恩返し」だと東郷さんは当時を振り返る。上映会を繰り返す度に「ここでデートした」「ここで亭主に手を握られた」「ここに来ると昔にタイムスリップ」など、宝来館での思い出を懐かしむ地域の声が寄せられた。

「ここに来ると、みんながタイムスリップできる。昔を思い出す場所。イベントがそのきっかけになっている」と東郷さんがイベント開催の喜びを語る。他の、もっとに広い会場での開催を求める声もあるというが「ここでやることに意味があるんですよね」。

一昨年はコロナ禍で開催を見送った。「毎年楽しみにしている市民がいます。今年はコロナが心配だったが、落ち着いてきたのでよかった」。今後については、「そう簡単にやめられません。私は宝来館の楽屋で育った。水海道に元気になってもらいたいという思いは常にあります。あと2回で10回。それまではなんとか頑張ります」と語った。(柴田大輔)

パクちゃん 山口へ行く《続・平熱日記》117

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【コラム・斉藤裕之】お盆に思い切って故郷山口に帰ってみることにした。鉢植えの水やりは「百均」のペットボトルを再利用したものでなんとか凌げそうだが、問題は犬のパク(ハクは随分前から「パク」という呼び名に代わってしまっている)をどうするか。預かってくれそうな先もいくつか思い当たったのだけれど、ここは一緒に車で帰ろうと決めた。

片道千キロ。しかも車嫌いのパクにとっては辛い旅になることはわかっていた。しかし、この先も車で2人?旅をするにあたっては、いずれ通らねばならない試練。思い立ったが吉日。渋滞を避けたつもりで出発してみたものの、すでに人々の移動は始まっていた。首都高通過に予想以上の時間がかかった上に、景色優先で選んだ中央道では名古屋の手前でホワイトアウト級の土砂降りに遭う。

やれやれ何とかたどり着いた。弟の家は山の中にあるほぼぽつんと一軒家だ。と、ちょっと目を離した隙にパクが山の中へと消えてしまった。「パクー!パクー!」と呼べども反応がない。「そのうち帰って来るよ」と弟夫妻。辺りはだんだん薄暗くなって、ヒグラシが寂しく鳴き始める。

山中にはイノシシの罠(わな)もかけてあるというし、かれこれ3時間が経つ。諦め半分の気持ちでふと外の縁側を覗くと、そこにパクが座っている。「パクー!」。顔と足が汚れていて、どうやら山の中の散策を楽しんだらしい。我が家に来て1年半。元はノラ公だったので、初めはなつくのか心配だったけれども、ちゃんと戻ってきてくれたぞ。

コーヒーの木は、なじみのカフェに

翌日。さして目的もないが、まずは粭島(すくもじま)に行き、弟の船で出航。アジ、タイ、カワハギの大漁。それから、件(くだん)のホーランエー食堂で冷たいそばをいただく。別の日には、瀬戸内海、日本海の道の駅を探訪。ビニール袋いっぱいの小ぶりのサザエが千円。

透き通るようにきれいな海に戸惑うパク。帰りの山道では、「何か落ちてる?」と思って車で近づいてみると、なんとウリ坊。死んでいるのかと思って、車で近づくと足をバタバタさせて、昼寝?

それから、ずっと疑問に思っていたこと。小さい頃、裏の山に一家で出かけると、母が摘んでいた丸い葉っぱ。確かその葉っぱで、柏餅(かしわもち)を作っていたと思うのだけれど…。道の駅で買った柏餅。なんと、その葉っぱに包まれている。弟の奥さん、ユキちゃんによると、「この辺りでは柏の葉の代わりに、サルトリイバラを使うんよ」。

帰りは渋滞もなく、ほぼ予定通りの時間に自宅に着くことができた。着いてまずは2階に上がる。枯れはしないかと心配だったコーヒーの木。元気そうな姿に一安心。実は留守をしていた間に一考して、この木はなじみのカフェに寄贈することを決めた。

オーナーもこの申し出を喜んでくれたし、家で私1人が見ているよりも、多くの人に触れ合うことができて、その方が木もうれしいに違いない。私も会いに行くのが楽しみだ。いつか花を咲かせてくれるなんてことを思うのは、ちょっと虫が良すぎるかな。

長旅を終えたパクも、安堵(あんど)した様子で階段下の定位置に寝転んでいる。旅から帰ったときのお決まりの文句でも言いたそうだ。「やっぱり我が家が一番。住めば都ねー!」(画家)

十五夜に人だかり 月の出映える霞ケ浦畔 土浦 

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湖面越しに十五夜の月の出=土浦市大岩田、霞ケ浦総合公園

十五夜の10日、絶好のお月見日和となった土浦市大岩田の霞ケ浦総合公園水生植物園前の広場は、多くの人出でにぎわった。

地平線・水平線から日の出、月の出を拝める同公園の湖畔域は近年、初日の出やスーパームーンなどの際に、人出が繰り出す格好のスポットになっている。今年の中秋の名月は土曜日、数日来の雨模様がすっかり晴れあがり、日中から好天だったこともあって、ファミリー客や若い二人連れの姿も目立ち、午後6時過ぎになって公園の駐車場が再び満車の混雑ぶりになった。

公園のネーチャーセンターからオランダ風車にかけての広場には、インスタ映えや天体写真を狙う一眼レフやスマホのカメラの列ができて、正面の霞ケ浦越しに上がってくる名月を待った。予定時刻は午後6時10分、ちょうど対岸の出島(かすみがうら市)、木原(美浦村)の両半島部が切れた湖面からの月の出が期待された。

日中からの好天は続いていたが、湖面近くの低空はもやがかかった状態で、予定時刻が過ぎても何も見えずやきもきさせた。やっと12分を過ぎたころ、円盤の赤い切れ端が虚空に浮かんだ。広場のあちこちから「見えた」「出たぞ」の歓声があがった。

日は沈んでいたが空はまだ青みを残しており、鮮やかな月の赤さに感嘆の声が続いた。空は急速に暗くなり、月は真円となり、黄色い輝きを強める。湖面への照り返しを楽しむ天体ショーは午後7時ごろまで続いた。

土浦市内から友達3人で来たという佐藤邦江さんは「80代になって、この先何回、十五夜が見られるか分からないから、毎年どっかで見ようねって、場所を探してきている。今夜は場所もお月様も最高だった」と喜んだ。

銀座通りの火の玉 《くずかごの唄》115

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】9月1日は防災の日。私は防災用品の点検をする日にしている。関東大震災を知っている人はいなくなってしまったが、子守歌代わりに震災の恐ろしさを聞いて育った私にとって、忘れられない日なのだ。

父は子供が大好きで、慶應義塾の学生時代、近所の子供たちを集めて、水泳を教えたり、絵本を読んだり、藤友会という「こども文庫」みたいなものをやっていた。母は、弟たちを藤友会に連れて来て、父と親しくなり結婚したらしい。

大正12年(1923)9月1日。20歳の母は妊娠8か月。東京中央区新富町に住んでいた。お昼時。食事をしようとしたら激震。周りは木造の家屋。竈(かまど)で薪(まき)をくべて煮炊きする時代だったから、地震でつぶれた家屋から発火し、引火して、町のほうぼうが火事。逃げるしかない。父と相談し、目の悪い姑(しゅうと)の手を引いて、3人で皇居前広場を目指して避難することになった。

火事の火を避けて歩いていたけれど、銀座通りを横切る時。すごい風が火の玉となってぶつかってきて、危うく死にそうになったという。

皇居前広場のあたりは、昔、三菱ヶ原と呼んでいた。父が子供の頃、トンボ取りをした原っぱがあったという。新富町あたりの子供たちは、4キロくらい離れた皇居前まで遊びに行っていたらしい。皇居前広場はたくさんの人が避難していて、喉が渇いて水が飲みたかったが、某国人が井戸に毒を入れたから井戸水は飲むなという「オフレ」が出て、つらかったという。

父は足を棒にして友達の家を探し回り、慶應同級生の亀山さんの目黒の家が焼けずに残っていたので、その家に転がりこんで、お世話になった。母は芝公園の中の仮設産院で兄を出産した。着るものがないので、亀山さんの妹の跡見女学校の制服を着ていったという。兄の加藤尚文(故人、経済評論家)の戸籍謄本には、出生地芝公園内2号地と書かれていた。

母から聞かされた震災の恐怖

母は震災後の精神的後遺症なのだろうか、10年間子供がつくれなかった。10年目に私が生まれて、物心ついた時。私を相手に、震災で避難の時の恐ろしさを、繰り返し、繰り返し、語っていた。

10年目に生まれた娘にその怖さを語ることで、精神的なゆとりを取り戻していったのだろう。幼い時、母から何百回も聞かされた震災の恐怖。母のPTSD(心的外傷後ストレス障害)を忘れないように、私はその日を、今でも防災用品点検日にしている。(随筆家、薬剤師)

メール問い合わせ114件、設定ミスで1年半放置 つくば市スポーツ施設整備室

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つくば市役所

つくば市は9日、市民などからのメールによる市スポーツ施設整備室への問い合わせが、設定ミスにより、2021年4月23日から今年9月8日までの約1年半の間、同室に届かなかったと発表した。その間、同室に計114件の問い合わせメールがあったが、対応がなされず放置されたままになっていた。

同室は、市スポーツ施設の管理運営や陸上競技場の整備などを担当する部署で、昨年4月、スポ―ツ振興課から分かれて新設された。同室のホームページは、市役所のホームページ内に昨年4月23日に開設された。

市広報戦略課によると、各課・室のページには問い合わせフォームが設定されており、市民が各課・室の問い合わせフォームからメールを送ると、いったん市のシステムに保存され、各課・室に割り振られる設計になっている。

スポーツ施設整備室が昨年4月、同室のページを開設した際、問い合わせメールを同室に割り振るための市内部のメールアドレスの設定を誤ったため、同室に届かず、市のシステムの中に保存されたままになっていた。担当職員の不注意が原因で、当時、テストメールなどのチェックも行わなかったという。

今年9月7日、市スポーツ振興課に市民からメールがあり、同施設整備室に問い合わせメールを送ったが回答がない旨が書かれていたことから発覚し、設定ミスが分かった。

これまで寄せられた114件のメールすべてを同室が確認したところ、内容は、スポーツ施設の利用方法や予約状況の問い合わせなどが主だったという。114件について同室は、返信が必要なものは返信するなど、内容に応じて個別に対応するとしている。

今回の設定ミスを受け、市広報戦略課が他のすべての部署の問い合わせフォームがきちんと設定されているかを確認したところ、すべて担当部署に届いており問題はなかった。

再発防止策として市は、ホームページ更新作業の際は2人以上でメールアドレスの確認を行うと共に、テストメールを送信するなどチェック体制を徹底するとしている。

秋が近づくこの時期のノスタルジー 《遊民通信》48

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【コラム・田口哲郎】
前略

蒸し暑いながら、どことなく秋めいてきました。空気が冷たくなり、道には落ち葉が落ち始めています。空の雲も夏の入道雲からうろこ雲みたいになっています。セミが盛んに鳴く夏が去りゆき、草むらで鈴虫が鳴く秋が近づくと、なんとなくさびしい気分になります。

さびしいときに思うのは、過去のことです。今年になって戦争や元総理襲撃、豪雨災害が起こり、世界はいよいよ混迷を深め、激動の時代が来る予感がしています。先の読めない時代にあって、過去は過ぎ去って確定した世界です。変えられないからこそ変わらない世界に、なぜかノスタルジーを感じるのは人情というものかもしれません。

私の世代、40代前半は、青春時代にはすでにバブル景気は終わり、学生が終わるころは就職氷河期でした。自己責任が叫ばれた社会で、かつての終身雇用制のような安定を求めることもできず、非正規雇用で辛酸をなめる人も多かったです。

そして、心を病んでしまう人もいて、ミドルエイジ・クライシスが問題化しました。さんざんな印象の時代ですが、それなりに思い出はあります。

カフェ・ブームとクラブ・ブーム

バブル崩壊でつかのまの栄華が終わり、空洞化していた東京の雑居ビルに、小さなカフェが次々と開店し、カフェ・ブームが起きました。今ではめずらしくないですが、小さいながら、モダンなインテリア空間で、健康志向のカフェ飯をいただくというスタイルが確立されました。

そして、クラブ・ブームも起こりました。六本木のマハラジャや湾岸のジュリアナで有名な大型ディスコではなく、やはり雑居ビルの一室で、D Jが流す、電子音楽に満ちたこぢんまりとした空間でゆるく踊るのが流行しました。カフェやクラブは渋谷の裏通りや恵比寿、西麻布あたりにあり、いわゆるメジャーな街にはありませんでした。右肩上がりの時代が終わり、なんとなく暗い気分の若者の感性に合っていたのでしょう。

庶民は不景気に苦しんでいましたが、一方で世界のだぶついたマネーが日本に流れ込みました。その資金によって、大手デベロッパーによる再開発が進み、東京中の裏通りがきれいな複合施設に生まれ変わる直前の風景です。

過去のノスタルジー効果なのでしょうか。幸福感もなく、次々と起こる社会変化を控えていた当時のほうが、今よりも幸福だったような気がします。これは思い出の美化で、妄想なのでしょう。こうした追憶から目が覚めたら、変わり続けている社会に適応していかねばなりません。「今」というのはおそらく過去の価値観が通用しないものです。

時流に乗る苦労に対するささやかななぐさめがノスタルジーなのであれば、これからはもっとノスタルジーにひたることが増えそうです。ごきげんよう。

草々
(散歩好きの文明批評家)