土曜日, 2月 28, 2026
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宇宙飛行士候補者の諏訪さん、米田さん つくば市長を表敬訪問

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五十嵐立青つくば市長(左)を表敬訪問した宇宙飛行士候補者の米田あゆさん(中央)と諏訪理さん=つくば市役所

つくば市千現の宇宙航空研究開発機構(JAXA)筑波宇宙センターで基礎訓練を開始した宇宙飛行士候補者の諏訪理さん(46)と米田あゆさん(28)が18日、地元のつくば市役所を訪れ、五十嵐立青市長を表敬訪問した。

世界銀行の上級防災専門官だった諏訪さんは7月から、日本赤十字社医療センターの外科医だった米田さんは4月からそれぞれJAXAに入り、筑波宇宙センターで訓練を開始した。約2年間、訓練を続け、正式な宇宙飛行士を目指す。米国が主導する有人月探査「アルテミス計画」で、日本人として初めて月面に立つことが期待されている。

諏訪さんは「今までの宇宙飛行士とはちょっと違った(自身の)バックグラウンドが、有人宇宙開発の中でどういうふうに生きていくのかを考えながら訓練にあたっていきたい」と意気込みを述べ、「つくば市出身なので、高校卒業以来30年弱ぶりぐらいにつくばにお世話になることになり、わくわくしている。今朝は以前住んでいた並木地区を走ってきた。本当にふるさとに戻ってきたんだなと、気持ちを新たにしている」と話し、「茨城県に育てられたという思いを強く持っている。どこかでつくば、茨城に恩返しができたら」と話した。

米田さんは「つくばという地で新しいことをたくさん学んで、新しい知識を得た上で宇宙に行ければと考えている。ここが宇宙飛行士としての始まりの場になる。街中で見かけたときは声を掛けていただいて、茨城の皆さんと一緒になって宇宙に行ければ」と語った。筑波宇宙センターでは4月から、語学や体力訓練のほか、宇宙ステーションのシステムについて勉強しているという。

五十嵐市長は「宇宙飛行士がこれだけ身近にいるまちもなかなか無いと思う。今回お二人は厳しい選抜試験を乗り越えた。これからお二人が様々な活躍をするのを市としても全力で応援したい」と述べた。

諏訪さんは東京生まれ。2、3歳のころつくばに転居し、高校卒業までつくばで育った。東京大学理学部地学科卒。プリンストン大学大学院地球科学研究科修了後、青年海外協力隊員としてアフリカのルワンダに派遣。2014年に世界銀行に入り、今年6月までアフリカの防災や気候変動に取り組んだ。史上最年長の宇宙飛行士候補者に選ばれた。

米田さんは東京出身。東京大学医学部医学科卒。日本赤十字社医療センターの外科医として3月まで虎ノ門病院に勤務した。

つくばについて諏訪さんは「昔からあるつくばと、70年代、80年代の研究学園都市ができた時のつくば、TXができてから開発されたつくばの三つがよくなじんで新しい形の街になってきているなと感じている」と話した。米田さんは、つくば駅前の中央公園にある、ノーベル賞受賞者の業績やメッセージに触れながら来園者自身が銅像の脇に立つことができる「未来の台座」について「子どもたちや来てくれた人たちの気持ちを奮い立たせるいい作品だなと思った」と話し、「自然の中で、まち全体が新しいことにどんどんチャレンジしていくのは素敵だなと思いながら毎日訓練に励んでいる」と語った。

2人は共に、11月26日に開催されるつくばマラソンに出場する予定だという。(鈴木宏子)

TX土浦駅接続計画 空港延長も再議論《吾妻カガミ》162

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土浦駅東口のコンテナヤード。TXのホームがこの辺にできる?

【コラム・坂本栄】茨城県の大井川和彦知事は6月下旬、現在つくば駅止まりのTXをJR常磐線土浦駅まで延ばしてもらい、これが実現した後、同駅から茨城空港につなぐことを議論してもらうという計画を発表しました。この中には土浦駅延伸に向けた3フェーズ(段階)も記載され、土浦駅接続&空港延長(?)が県の計画に位置付けられました。

延伸実現に向けた3段階の作戦

発表文TX県内延伸に係る方面決定についての結論部(いわば戦略目標と作戦要綱)を整理すると以下のようなことです。

▼目標:常磐線土浦駅への接続を実現その後に茨城空港延伸を議論

▼フェーズ1(たたき台の作成):沿線開発による需要拡大策・費用削減方策、採算性が確保できるルート・事業のスキームなどを検討関係機関との調整に向けて県の素案を策定

▼フェーズ2(調整と磨き上げ):関係者との調整と追加調査国交省・交通政策審議会答申に盛り込み

▼フェーズ3(計画の総仕上げ):関係都県や関係者と調整路線計画・建設計画・事業計画を決定TX運行会社などと共同して事業許可を取得

沿線開発→乗客増という好循環

私はコラム155「…土浦駅延伸 次の焦点は…」(4月17日掲載)や147「…延伸実現へのシナリオ」(2022年12月19日掲載)などで、茨城空港の首都圏第3国際空港化、研究学園都市の米ボストン化を想定して、TXを空港まで延ばすよう主張してきました。こういった声が県に届いたのか、戦略目標には空港延伸が余韻として残りました。

また155で「(第三者委員会の提言には)実現可能性が優先され地域開発の夢が見えない」(地元経済人)との声を紹介しましたが、フェーズ1に「沿線開発による需要拡大策・費用削減方策を検討」が入りました。記事「…『祝賀集会』…」(7月2日掲載)でも言及されているように、つくば駅―土浦駅間には新駅が2~3設置されるようですから、沿線開発乗客増加という好循環が起き、県が心配する採算性はクリアされるでしょう。

延伸沿線開発では、現TX敷設の際に県土地開発公社とUR都市機構が沿線土地を分担して先行取得した先例に倣(なら)い、県、つくば市、土浦市の土地公社による土地取得も検討課題になります。

知事任期と微妙に重なる時間表

記事「土浦駅に決定…」(6月24日掲載)によると、知事はフェーズ2の交通政策審議会答申を2028年と想定しています。この中に、土浦駅現TX(つくば駅―秋葉原駅)東京駅の両方向延伸を入れさせ、総経費を東京、埼玉、千葉、茨城で分担する形に持ち込む(茨城の負担を抑える)―これが知事の基本作戦ですから、同年が決戦の年になります。

面白いことに、大井川知事の任期(現2期目は2021年夏~2025年夏、出馬当選すれば3期目は2025年夏~2029年夏)と作戦要綱のタイムテーブル(実現可能な県の素案を作るフェーズ1は2期目後半、1都2県と中央政府に諸工作するフェーズ2は3期目前半、計画を具体化するフェーズ3は3期目後半)がほぼ重なります。延伸作戦は政治作戦でもあるわけです。(経済ジャーナリスト)

猛暑の中の投手戦 常総学院が我慢勝ち【高校野球茨城’23】

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6回表2死満塁、石井の適時打で2者生還(走者は2人目・川上)

第105回全国高校野球選手権茨城大会は17日、3回戦に入り、J:COMスタジアム土浦では常総学院が下妻二と対戦。両チーム合わせてわずか7安打という投手戦を繰り広げ、常総学院がワンチャンスを生かして下妻二を退けた。

常総学院の先発はエースの諸星蒼空。「初戦は誰でも緊張するので、主戦投手に早く夏の経験をさせておきたかった」と島田直也監督の目論見。「春とは全然違う雰囲気だった。相手より先に失点せず、粘り強く投げられたが、エースとしてはチームを勢い付けられる投球をしなくてはいけなかった。そこが反省点」と諸星。「暑さの中でしっかり投げてくれた。投手が頑張ってくれれば野手もそれに応える。そういうことができるチーム」と島田監督。

常総学院の先発、諸星

下妻二の先発はアンダースローの飯塚史恩。対策は立ててきたものの、巧みな緩急やボールの出し入れの前に、常総打線はゴロアウトやフライアウトを連発。チームに不安がよぎったという。

「負けたらどうしようと硬くなり、自らの首を絞めてしまった。自分たちは関東大会でベスト4まで行ったのだから、天狗になってはいけないが、いままで練習で培った力を信じなさいと話した」と島田監督。

常総学院の得点は6回。暑さの中で相手投手の疲れにつけ込んだ。四球2つと川上大宝の中前打で1死満塁にすると、押し出し四球でまずは1点。三振一つをはさみ、2死満塁で打席に立ったのは石井恭悟。

6回表2死満塁、石井が右前へ2点適時打を放つ

序盤から相手投手の変則ピッチングに苦しみ、関東大会でも木更津総合のサイドスロー投手に抑えられたことが石井の頭をよぎったという。「同じような悔しい思いはしたくない」と打席へ。直球と変化球のどちらもかわされていたので、この回は直球に的を絞り、カウント3-1からの5球目を右前へ2点タイムリー。3点差と突き放し、相手先発をノックアウトした。

6回裏は常総学院の先発、諸星にも疲れが見え、二番手の飯塚遥己にマウンドを引き継いだ。飯塚は「ボールの調子はよく、6回はストライク先行でいけた。7回は先頭打者に四球を与え、流れを相手に渡してしまった」と振り返る。7回裏の守りは先頭打者四球の後、暴投、野選、送りバントで1死二・三塁のピンチを迎え、ショートゴロ2つで乗り切った。「投手が苦しいときは野手がカバーし、野手が苦しいとき投手がカバーして助け合う。次戦もストライク先行で、しっかり腕を振っていきたい」と飯塚。

常総学院の2番手、飯塚。9回2死まで無安打のピッチング

常総学院は9回表にも石井の中前二塁打で得点機をつくるが、挟殺などで追加点を奪うことはできなかった。「自分たちは点を取った後に攻撃が落ちてしまうのが課題。勝ち上がるにはそこで隙間をつくらず、畳み掛けていかなくては。次は相手もさらに強くなり、同じ戦いでは勝てない。暑さも厳しくなるので、打撃陣が投手の力になれるよう調子を上げていきたい」と石井は前を向いた。(池田充雄)

▽17日の土浦、つくばの出場校の試合結果は以下の通り

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つくば秀英が4回戦進出 土浦二にコールド勝ち【高校野球茨城’23】

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2回裏、無死二塁でレフトにタイムリー二塁打を放つ、つくば秀英の池内

第105回全国高校野球選手権茨城大会は大会8日目の17日、3回戦8試合が行われた。笠間市民球場の第1試合は、つくば秀英が土浦二にゴールド勝ちし、4回戦進出を決めた。

土浦二は初回、制球に苦しむつくば秀英の先発樋熊慧人から2四球を選び、一、二塁のチャンスをつかむも、後続が倒れ無得点に終わった。つくば秀英はその裏1死後、エラーと死球で一、二塁のチャンスに渋谷天空がセンターオーバーの3塁打で2点を先制した。

2点を追う土浦二は、2回に田上倖大の二塁打と田上将也のヒットで一、三塁と攻めるも、塩山侑生、前原知が凡退。つくば秀英は2回裏、先頭の明石理紀斗が四球で出塁すると、池内航がレフトオーバーの二塁打で1点を追加。さらに失策と木村永遠の2塁打で、この回3点を加えリードを広げた。

つくば秀英の先発、樋熊投手

つくば秀英先発の樋熊は、ストレートとスライダーを軸にカーブ、チェンジアップを交え、3回を無失点に抑えると、2番手石塚大志が3者連続三振を奪い、3番手大石隼也も2回を無安打無失点の好投を見せた。

つくば秀英は4回にも1点を追加すると、6回には1死後6安打で4点を奪い、6回ゴールドで土浦二を破った。 

土浦二は初戦からエース横川巧が今大会1人で投げきるも、創部初となる3回戦突破はならなかった。

今大会を1人で投げきった土浦二の横川

土浦二の相良真博監督は「初回から守備が乱れてしまったがその中で横川はよく投げてくれた。横川のお陰で2回も勝たせてくれた」とエース横川をねぎらった。主将の前原知は「序盤、最少失点で行けずに、エラーで相手に点を与えてしまったのが敗因だった。これまで3回戦が一番最高の成績だったので、ここで勝って歴史を塗り替えたかったが、負けてしまったので後輩達に託したい。2回勝てて2回校歌を歌えたので、最後、ゴールドで負けてしまったが、自分としては力を出してやり切った」と話した。投手の横川は「打たれてはいけない時に失投してしまった。自分の目標、チームの目標のベスト8まで進めなかったのが悔しい。3年間野球をやってきて練習はきつかったが、仲間と居れる時間は楽しかった」と振り返った。

猛暑の中で声援を送る土浦二の創作舞踊部

つくば秀英の桜井健監督は「(初戦の)2回戦はいい試合が出来たが、今回はうまくいかないぞと言った。100点の試合をした後はそこが基準になって、何をやってもうまくいかないと感じてしまうので、うまくいく、いかないを想定しながら試合に入った。しっかり我慢するところで我慢が出来て、取るべき所で点が取れた。信頼できる樋熊が2回戦で勝った時、樋熊で行くと決めていたので、みんなでしっかり準備して、いろんな想定をしながら試合に入れたのが勝因」と試合を振り返った。

4回戦進出を決めたつくば秀英は20日、ノーブルスタジアム水戸で、鹿島学園と緑岡の勝者と対戦する。(高橋浩一)

試合後、つくば秀英(左側)の健闘をたたえ握手する両校の主将

17日の土浦、つくばの出場校の試合結果は以下の通り

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ルワンダで障害と向き合う 義足を作り続ける夫婦がつくばで講演

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ルワンダで活動するルダシングワ真美さん(左)と、夫のガテラさん(ルダシングワ真美さん提供)

東アフリカのルワンダで義肢装具を製作し、紛争や病気で手足を失った人たちに無償提供するルダシングワ真美さん(60)と夫のガテラ・ルダシングワ・エマニュエルさん(68)による講演会が22日、つくば市吾妻、つくば市民ギャラリーで開かれる。障害者の自立生活支援に取り組む当事者団体「つくば自立生活センターほにゃら」(同市天久保、川島映利奈代表)が企画した。

2人がルワンダの首都キガリ市で活動を始めたのは1995年で、約100日間に80万人以上が命を奪われた「ルワンダ大虐殺」の翌年だった。96年にNGO「ムリンディ・ジャパン・ワンラブ・プロジェクト」を立ち上げ、97年から義肢装具の製作を開始し、これまでに延べ1万2000人以上に無償提供してきた。

危機からの再出発

「窮地からは脱して再オープンしました。今は日常に戻り、義足作りをしています」と、真美さんが現在の状況を語る。

2020年2月、夫妻の活動拠点であるキガリ市にある「ワンラブ・ランド」が突如、ショベルカーで壊された。そこには義肢装具の工房とともに、活動資金を捻出するために建てたゲストハウスやレストランがあり、地元の人たちも数多く働いていた。近年、度々洪水の被害に遭っていたことから、政府は一帯の住民に対して「また大雨が降る、今すぐこの場所を出るように」と、立ち退きを迫っていた。「すぐに移動はできない」と断るも、翌日には重機が押し寄せ家屋は取り壊された。

多くの時間と労力をかけて築いた施設が、目の前で壊されていく。あまりの衝撃に、「自分たちの活動に意味があるのか、本当に必要とされているのだろうか」と葛藤した。しかし「ルワンダで私たちにできることは他にない。これをやるしかない」と思い至った。

同年10月、施設再建の資金を募るためクラウドファンディングを立ち上げると、3カ月で1200万円を超える支援が集まった。この資金を元手に、翌年新たな場所に施設を新設した。

キガリ市の義肢製作工房の様子(同)

2人の出会い

2人の出会いは1989年。ルワンダの近隣国でのことだった。神奈川県出身の真美さんは当時、勤めていた日本の会社を辞めて語学留学でケニアを訪れた。そこで出会ったのが民族対立が続くルワンダから避難してきたガテラさんだった。ガテラさんは幼少期に受けた医療ミスで右足にまひがあり装具を付けていた。真美さんにとって障害以上に印象に残ったのは、大きな体とドレットヘアー、そして誠実で明るい人柄だった。

「私にとって、彼と知り合う以前に障害のある人との出会いはほとんどありませんでした。彼を通じて障害への純粋な好奇心を持ったんだと思います」

1991年にガテラさんが来日し、滞在中に壊れた装具を治すために訪ねたのが、神奈川県の「平井義肢製作所」だった。そこで目の当たりにした高い技術にガテラさんは「これをルワンダの人のために役立てたい」と思いを強くし、真美さんはその夢を実現するため平井さんの元に弟子入りを志願し、5年の修行の後に国家資格を取得した。ルワンダに渡ったのは大虐殺翌年の95年。その間ガテラさんはケニアへ逃れ無事だった。暴力の傷が色濃く残るルワンダで再会し、2人は新しい暮らしをスタートさせた。

ルワンダで気づいた「自由」

95年当時、町なかには手足を失った人があふれていた。初めての患者は地雷で足を失った男性だった。満足に材料が手に入らないなど予期せぬトラブルがあったが、無事完成すると、男性は、歩行訓練の中で徐々に、再び働くことへの希望を取り戻していったという。

以来、様々な障害のある人たちと関わってきたルワンダで、真美さんが居心地の良さを感じたのが「楽天的」なところだという。「うちにはレストランがあるので、障害のある人にお酒を振る舞うことがあるんです」と言いつつ、こんな例を挙げる。

「酔っ払って音楽があれば、みんな杖(つえ)つきながら踊るんですよ。それでお開きになると、2、3本、杖が置きっぱなしになってることがある。本来、杖ついて来たはずなのに、どういうこと?どうやって帰ったの?って、思いますよね。酔っ払って誰かに抱えられていったのかもしれないし、片足で歩いて帰っちゃったのかもしれない」

「酔っ払って転んじゃってる人もいる。ただの酔っ払いのおじさんと変わらないそんな姿を見て、いいなと思ったんですよね。誰だって酔って転ぶことあるじゃないですか。転ぶのはその人の勝手。障害があろうがなかろうが、私がタッチすることじゃない。杖を忘れて転ぶくらい放って置かれていい。それくらい自由がいいと思ったんです」

「日本では、転ぶ前に手を差し伸べたり、必要以上の心配をしてくれちゃうことがある。『これできないから、よろしく』って言われた時に、『はいよ』って手を差し伸ばせる関係がいいんじゃないかって。それが、お互いに気持ちがいい状態でいられる関係なんじゃないかって気がしたんです」

激動の30年と「アフリカの奇跡」

ルワンダは近年、「アフリカの奇跡」と呼ばれる高い経済成長率を記録し、国民が悲劇の記憶を乗り越えようとしている。また女性の国会議員の割合が世界1位となるなど、女性の社会進出でも注目を集めている。

真美さんはこれまで日本の「師匠」の元に約10人の若者を派遣し、技術を学ぶ機会を作ってきた。そのうち4人が独立して工房を構え、2人はワンラブ・ランドの工房で共に汗を流している。「大きな夢はないんです。このまま義足を作っていければいいなと思っています」と今後について話すと、「普通に場所を構えて、人が来るのを待って、地方に出向いて必要な人に届ける。後継者というか、任せられる人がいればいつでも死ねるかな、なんて思ってます」と語る。

30年の間にルワンダは大きく変化した。この激動の歴史の中に身を置いてきた記憶を語る講演会は、これまで全国で多数開催されてきたが、茨城では今回が初めてになる。(柴田大輔)

◆講演会「義足と歩むルワンダ」は、7月22日(土)午後2時から、つくば市吾妻2-7-5 つくば市民ギャラリーで開催。参加費は無料。申し込み・詳細はイベントの特設サイトへ。

自分を野次り続ける《続・気軽にSOS》137

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【コラム・浅井和幸】今ではどうか知りませんが、私が若いころの野球事情は、味方の応援と相手チームへの野次(やじ)が半分半分だったと記憶しています。味方がボールを見逃したら「大丈夫、次の球打ってこー」と大声を出し、相手チームがボールを見逃したら「バッター、ビビってるよー」と声を張り上げるのです。

味方を盛り上げ、相手をこき下ろす。なんともはや、これが世間一般で思われている「爽やかな少年たちの野球」で、大人たちはこのように指導していたのです。まぁ、自分の力を発揮して、相手の弱点を突くというのが対戦スポーツの醍醐味(だいごみ)で、それをルールの中で行っているから素晴らしいのかもしれませんが…。

この、言葉で相手を攻撃して相手の力を発揮させない、ネガティブな刺激によりネガティブな結果を生み出すということはそれなりに効果があり、勝負事ではまあまあ力を発揮します。

ネガティブな自己暗示

さて、そのネガティブな気持ちや言葉を自分に向け続けたらどうなるでしょうか。「俺はダメな人間だ」「世界中の人が自分を悪く言っている」「もっとちゃんとしないといけない」「自分は恥ずかしい生活を送っている」などなど。

野球の試合であれば、その口汚いチームと対戦している時間以外は、野次は飛んできません。しかし、自分が自分であるのは24時間365日です。自分が自分に向かって野次を飛ばし続ける。それはとてつもないプレッシャーで、手も足も縮こまり、人の目も見られなくなり、笑顔もなくなり、身動きできなくなるのも当然です。ネガティブな自己暗示、悪い過去や未来のイメージトレーニングを続けているのですから。

習慣化した自分への野次、家族への野次、自分の所属するコミュニティへの野次…。何を目的として、そのネガティブな野次、口汚いこき下ろしをしているのか、もう一度考え直してみてください。

事実ではない(たとえ事実の部分があっても)目的を失って辛くなりすぎることに、苦行以外の何も得られないことでしょう。うまくことが進んでいないときは、もう少しだけ自分や自分に相対するもの、自分が属する何かへの野次は控えることをお勧めします。(精神保健福祉士)

全国大会出場へ 牛久リトルリーグマイナー

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元メジャーリーガーの牧田和久投手(前列中央)とナンバーワンポーズで記念撮影する牛久リトルリーグマイナーの選手ら

牛久市やつくば市を拠点に活動する少年硬式野球チーム「牛久リトルリーグマイナー」(小学3~5年、会長・根本洋治牛久市長)が、5月に行われた野球大会「AIGプレゼンツ MLB CUP 2023リトルリーグ東関東連盟大会」で優勝し、7月28日から宮城県石巻市で行われるファイナルラウンド(全国大会)への出場を決めた。

東関東大会は茨城県と千葉県で構成するリトルリーグ東関東連盟所属の11チーム(うち2チームが合同)が出場し3日間にわたり実施された。牛久は決勝戦までの4試合のうち3試合でコールド勝ちし、総得点49点に対して失点はわずかに1点と圧倒的な強さを見せた。

決勝は船橋リーグに初回、エースの眞壁陽大君が連打を浴びて2点のリードを許した。2回にも1点を献上し苦しい展開となったが、迎えた5回裏、四球と内野安打を皮切りに怒濤(どとう)の反撃で5点を奪い逆転に成功した。しかし最終回の6回表、勝ちを急いだ配球が相手打線につかまり同点に追いつかれた。延長7回は無死二塁からのタイブレークとなったが、2番手としてマウンドに上がった速球派・萩原唯月君の力投で無失点で切り抜けた。波に乗った牛久はその裏、送りバントで一死一、三塁から、3番・飯田弥大君のセンターへの犠牲フライでサヨナラ勝利を手にした。牛久の全国大会出場は2016年の第1回大会以来7年ぶり2度目。

タイブレークを見事に抑えた萩原唯月君

今井卓監督は「決勝は3点ビハインドを追う苦しい展開だったが、選手たちは絶対に何とかしようとボールに対して必死に食らいついていたので、必ず逆転できると信じていた。日頃の練習の成果が発揮できた試合だったと思う」と話し、内田夏生主将は「全国大会に行くためにこの試合は何が何でも勝ちたかったので本当に良かった。東関東連盟の代表として全国大会も一戦必勝で優勝したい」と意気込みを話した。

各会場では、60秒間のうち45メートルのラインを何本越えられるかを競うホームランダービーが行われた。チーム一の長身選手である中島直太郎君が9本で優勝し、閉会式で、プレゼンターの牧田和久投手(元サンディエゴ・パドレスほか)からサイン入りの記念バットが授与された。決勝の午後にはリトルリーグ東関東連盟所属全てのマイナーリーガーが一堂に会し、牧田投手による野球教室も開催された。

プレゼンターの牧田和久投手と記念撮影するホームラン王の中島直太郎君(左)

牛久は昨年9月に行われた東関東連盟大会において2年連続で優勝し、11月の秋季関東大会ではチーム史上初の準優勝を果たした。同決勝での敗退以降、ここまで練習試合を含めてAチームの試合は無敗のままといい、全国大会での優勝を十分狙える位置にある。「秋の関東決勝で敗れた東練馬リーグを全国で倒すことを目標に頑張ってきた」と内田主将は力強く語る。

牛久ナインは7月25日に根本牛久市長を表敬訪問し、28日の開会式に合わせて宮城県石巻市入りする。28日はホームランダービーが行われた後に開会式。29日に1回戦と準々決勝、30日に準決勝が行われ、両日ともに敗退リーグを対象にMLBゲストの野球教室が行われる。昨年は松坂大輔氏や岩隈久志氏らがゲストとして招かれた。

表彰状を手にする内田夏生主将(左)と萩原唯月副主将

牛久リトルリーグは1977年4年に創設された。過去に神戸拓光選手(元ロッテ)や菊田拡和選手(巨人)を輩出している名門リーグ。

リトルリーグは学童野球と異なりアメリカ基準で学年構成されるため、新チームの結成は毎年8月からとなる。連勝続きのこのチームも7月の全国大会をもって解散し、5年生は活動場所をつくば市谷田部に変えメジャーチームの6年生と合流、4年生は3年生とのマイナー新チームでそれぞれ始動する。

事務局長を務める西川政和さんは「この子たちは仲が良くてまとまりがありティーボール(3年生以下)の頃から負け知らず。これまでの公式戦を総なめにしている。現在は低学年の人数が不足しているので広報活動に力を入れている。特に5年生以降の練習場所はつくば市のTXみどりの駅の近く。興味のあるご家庭は是非見学に来て欲しい。学童野球からの移籍も大歓迎です」と持続可能なチームを目指しPRも抜かりない。

牛久リトルリーグマイナーのベンチ入り選手(敬称略)
(5年生)
内田 夏生(主将)
萩原 唯月(副主将)
眞壁 陽大
中島 直太郎
鈴木 心明
吉松 岳
阿部 心陽
梶本 大馳
(4年生)
飯田 弥大
西川 遥摩
朝  隆晟
神田 歩武
松本 逢生
鴻巣 うらら

◆試合はSportsnaviにて全試合生配信され、その後も見逃し配信される。牛久リーグのウェブサイトはこちら。問い合わせは電話090-1048-6265(西川事務局長)

特定外来魚駆除へ 釣り大会開き活用法模索【桜川と共に】6

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7月上旬に開かれた釣り大会でアメリカナマズを釣り上げるつくば市の菊池さん兄弟=つくば市松塚の桜川

7月上旬、つくば市と土浦市の桜川で「特定外来魚釣り大会」が開かれた。県内外から親子連れなど約70人が参加し、午前中だけでアメリカナマズ126匹、ブラックバス2匹、ブルーギル9匹の計約131キロを釣り上げた。

同大会は、釣り好きの一般参加者の協力を得て特定外来魚を駆除しようと、桜川漁業協同組合(つくば市松塚、鈴木清次組合長)が毎年主催している。釣果の9割を占めたアメリカナマズは1980年代に霞ケ浦に定着し、2000年ごろに爆発的に増え始めたとされる。雑食性で、組合員が捕まえたアメリカナマズの腹を割くと、ワカサギなどの在来魚のほかモグラまで出てきたことがあった。漁協では刺し網やはえなわ漁を組合員に推進しているが、捕っても収益になる見込みがないことが課題となっている。

釣れたアメリカナマズはこれまで穴を掘って埋めていたが、「ただ殺すのは忍びない」(組合員ら)と今回新たに、つくば市内の中華料理店や、近隣農家で働いている外国人技能実習生らが引き取り、食べてもらうこととなった。漁協は多方面に声を掛け、新たな活用法を模索している。

県内外から参加

釣り大会は、釣り上げた総重量で順位を付け、兵庫県から参加した斎藤直之さん(39)が16.7キロで優勝した。斎藤さんは筑波大の卒業生。「在学中から桜川でバケモノ(アメリカナマズ)が釣れると知り、釣りに来ていた」と話す。大会には都内や栃木県在住の釣り仲間と一緒に参加した。

優勝した齋藤直之さん=栗原交流センター

つくば市内在住の小学5年青山秀延(しゅうすけ)さんは「魚が好きで初めて参加した。釣りはおもしろい」と、釣り上げたアメリカナマズを優しく手で持ち上げてみせた。市内在住の小学6年菊池風汰さんと小学4年泰佑さんの兄弟は、釣り好きでよく川に出掛けるという。続けざまにヒットし、手慣れた様子でリールを巻きあげ、笑顔を見せていた。

アメリカナマズは背びれと胸びれに太く鋭いとげを持っており、漁業者や釣り人がけがをすることもある。漁協組合員の鈴木孝之さんは、釣れたナマズを手に持って「ナマズは小さい頃の方がとげが固い。それは小さいうちは敵に襲われやすいから。大きくなるととげが柔らかくなる」と子どもたちに説明。鈴木さんが小さいナマズのとげでどれだけ大きなナマズを持ち上げることができるかやって見せると、親子から歓声が上がっていた。

組合員の鈴木孝之さん(右)の説明を聞く参加者=栗原交流センター

ハクレン大量遡上、カワウ減少傾向

アメリカナマズ、ブラックバス、ブルーギルといった特定外来魚以外にも、桜川ではハクレンの大量遡上など、魚種の変化が組合員の間で問題になっている。ハクレンは特定外来魚ではないが、外来種で、一昨年から4月、5月に大群となって桜川を遡上するようになった。体長60センチから90センチと大型の魚で、今年4月30日には、漁協の活動拠点であるつくば市松塚で「ハクレンジャンプ」と言われる集団跳躍行動が見られ、漁業者らを驚かせた。大型外来魚の増加に伴ってコイやアユなどはいなくなり、これらを餌とするカワウも減少傾向にあるという。(田中めぐみ)

連載【桜川と共に】の過去記事はこちら

ハクレンの過去記事はこちら

桜川漁協提供

日本の花火大会のルーツは?《見上げてごらん!》16

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イラストは筆者

【コラム・小泉裕司】前回の15「花火を観るなら有料観覧席でⅡ」(6月18日掲載)で紹介した「隅田川花火大会」は、日本最古の花火大会とされている。大会公式HPでは、「両国の川開き」という名称で、享保17年(1732)、大飢饉(ききん)と疫病の流行による犠牲者の慰霊と悪疫退散を祈って江戸幕府8代将軍吉宗が催した水神祭に続き、翌年に両国橋周辺の料理屋が許可を得て花火を上げたことが始まりと解説している。

国内の花火企業約300社が加入する公益社団法人日本煙火協会の平成30年度版「花火入門」でも「通説」と前置きしながら、夏の花火大会のルーツとして紹介している。同様の記事は、様々なメディアで散見するので、このように承知されている読者も多いのではないだろうか。

ところが、「花火入門」の令和元年度版からこの記述は消失し、最新の令和5年度版(6ページ)でも、隅田川での花火鑑賞の記録としては、さらに100年以上前の寛永5年(1628)、浅草寺に来た天台宗の僧・天海を花火でもてなしたという記録にさかのぼり、その後の両国橋架橋により花火の名所となったとある。

記述変更の経緯について、テレビの花火解説でおなじみの日本煙火協会河野晴行専務にたずねたところ、墨田区すみだ郷土文化資料館開館20周年を記念して開催された特別展「隅田川花火の390年」の図録(2018年)に掲載されている同館福澤徹三学芸員の「論考-享保18年隅田川川開開始説の形成過程」を根拠にしたとのこと。

この論考では、過去の膨大な記録を読み解く中で、隅田川での花火の記録は寛永5年が初見であり、享保18年開始説の記録は存在しない。同時に、「享保説」は明治24年から昭和9年までの44年間にわたって3段階の付け加えが行われ、日時的にも根拠のない「創作」であると論じている。今後も有力な新資料が発見されない限り、現在流布している「享保説」を採用することはないとしている。

一方で河野氏は、「享保説を声高に否定するようなことはしない」とも言う。「粋」を信条とする花火師の世界。「眉間にしわを寄せて議論するような野暮(やぼ)は言いなさんな」ということなのだろう。

なお、「疫病」をコレラと表記している解説も一部見られるが、コレラが江戸で流行となったのは、「安政コロリ流行記-幕末江戸の感染症と流言」(白澤社、2021年)によれば、安政5年(1858)であり、これはもう「論外」。

花火見物は「特別な時間」

それにしても、4年ぶりの「隅田川花火」を2週間後にして、「何、無粋なこと言ってんだか」とお思いの読者には、「粋」なお話をひとつ。

両国橋周辺が花火の名所となった江戸時代後期の旧暦5月末から8月末まで、毎日20発ほどの花火が上がっていたそうで、遊び好きな江戸っ子にとって花火見物は堂々と夜遊びができる特別な時間。

1発打ち上げるのに30分以上かかっていたようで、次の花火を待つ闇夜に乗じ、素敵な人に声をかけるなんてこともあったとか。当時の浮世絵に見る川端に憩う女性のファッションで、気合いの入り方が読み取ることができるとも。本日は、この辺で「打ち止めー」。「ドン ドーン!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

大獅子今夏も戦わず つくば「小田祇園祭」

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大獅子とにらめっこしてごきげんのチビっ子=つくば市小田、筑波山麓小田駐車場

コロナ禍による丸3年の行動制限は、各地の町内会・自治会で行われていた夏祭りにも大きなダメージを残した。7月中下旬、つくば・土浦地域でも盛んに行われる八坂神社の祭礼「祇園祭」。みこしや山車、獅子舞が繰り出して、おはやしの音が各地に本格的な夏の到来を告げるが、15日開催の小田の祇園祭では、メーンイベントの大獅子の練り歩きを今年も見送らざるを得なかった。この大獅子には何かと故事来歴がある。

7月の第3土曜に開催される「小田祇園祭」。江戸時代の貞享四年(1687)に始まったという祭りで、戦後の一時休止期間を経て、50年ほど前に復活した。本町3つ、今宿2つの5組が持ち回りで当番組(トウメ)となり祭りを仕切る。日中から太鼓を鳴らしながら門付けをして回る行事から始まり、夕刻には子供たちのみこしや山車、獅子舞が通りを練り歩く。

例年ならこの後、田向延寿院から大獅子が繰り出して、竹ざおで獅子頭を高く掲げて練り歩くご神行(じんこう)となる。長さ約8メートルの獅子幕を引く巨大獅子頭。小田大獅子保存会が組織され、独特の太鼓や三三七拍子のリズムを聞かせる。当番組は毎年川で藻を採集し、乾かして大獅子のたて髪を結う一方、門付けに持参して家々の魔除(よ)けとして配っている。

メーンイベントは、通りで待ち構えるみこしと獅子が対峙(じ)して、それぞれが高さを競うように角突き合わせる「顔合わせ」という場面を迎える。祭神のスサノオノミコトとヤマタノオロチの戦いを模して、押しては引いての衝突を5度繰り返す。近在の祇園祭には見られないスタイルで、筑波大学の研究者や学生が現地調査に訪れたこともある。

子供会のみこしと獅子舞で代演の「顔合わせ」=つくば市小田

コロナ禍の3年間、「顔合わせ」は中止され、大獅子は奉納場所である延寿院を出ることがなかった。今年の当番は「顔合わせ」の復活を模索したが、担い手の減少と高齢化は予想以上。交代要員を含めれば50人以上を揃えなければならない。「一度休んでしまうと元に戻すのは容易ではない」という。今回は子供会のみこしと獅子との「顔合わせ」で代替した。

奉納したのは長島尉信

「来年こそは完全復活」との意気込みもあるが、人材不足解消に見通しがあるわけではない。街歩きのガイドを務める常陸小田城親衛隊(川村兵庫代表)は、歴史的な初心に戻ることを提案する。

大獅子を奉納した幕末の農政学者、長島尉信(やすのぶ、1781~1867)にスポットを当てる。尉信は20歳の時、旧小田村の名主だった長島家の養子となり、45歳で隠居し、天文、暦学、測量などを学んだ。測量術を生かして土浦の修復などにも取り組んだ。土浦では、色川三中、佐久良東雄らとの交友があった。慶応元年(1865)に土浦藩を退き、小田村へ戻っている。この時これまでの志願成就を謝して、田向延寿院に「獅子頭」を奉納した。

尉信は慶応三年(1867)7月16日没し、延寿院境内の墓地に眠る。「ひとらしき我にあらねどひとまねにまことひとつを置き土産かな」と詠んでいる。

今回の祭りで「顔合わせ」できない「獅子頭」を延寿院から引っ張り出し、メーン会場である筑波山麓小田駐車場に飾ってもらった。実は同駐車場こそ、代々名主を務めた長島家の土地だった。2012年、「長島家跡地」として約4000平方メートルがつくば市に寄贈され、91台収容の無料駐車場として、小田の街歩きや宝篋山の登山客に利用されている。

親衛隊によれば「小田では八田知家(鎌倉幕府有力御家人、小田氏の始祖)や小田氏治(小田氏15代にして最後の当主)のように名の知られる人物もいるが、長島尉信は地元でもほとんど知られておらず残念。なんとかアピールの機会を作って訴えていきたい」と蒸し暑さ募る祭り会場を歩き回っていた。(相澤冬樹)

土浦工、6回で力尽く【高校野球茨城’23】

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先発の清水(左)と救援の横張。「互いに言いたいことが言える、兄弟のような存在」と清水=J:COMスタジアム土浦

第105回全国高校野球選手権茨城大会は15日、J:COMスタジアム土浦で土浦工が初戦を迎えた。2回戦で水戸葵陵と対戦したが力及ばず、1-11のコールド負けを喫した。

土浦工は、エース清水達也と救援の横張功樹主将が代わる代わるマウンドに上がる独自のスタイルで水戸葵陵を迎えた。清水は110キロ台の球速だが伸びのあるストレートと落ちるカーブが持ち味。長身の左腕から投げ下ろすクセ球が何よりの武器だ。「前半途中から安定してきて自分の調子が出せた。終盤リズムを崩し、悪い流れを生んだことが悔しい」と試合後のコメント。

横張は清水とは幼な馴染みで、小中高と一緒に野球を続けてきた。2年の春から清水が体調不良で入院し、野球をあきらめかけたときも、横張の声掛けによりチームに復帰することができたという。

4回表土浦工2死一塁、青木の適時二塁打で渡辺が生還

土浦工は2回と3回に1点ずつを失うが、4回表2死一塁から青木雄璃の左翼線への二塁打で1点を返し、追い上げムードを高めた。青木は「走者の渡辺匠は俊足なので、バッテリーは盗塁を警戒してストレートで来ると予想していた。打った瞬間はサードライナーかなと思ったけれど、抜けてくれてよかった」という。

普段はショートとして守備を支える横張が、この日最初に救援に向かったのは4回裏、1死一・二塁の場面。「横張は気持ちが強いので、球にピンチの場面もがんがん行ける」と久保田昌倫監督。「決め球のスライダーがあるので、ワンポイントだったら行ける」と横張。犠牲フライで1点を失ったが、相手の上位打線を抑えた。

横張が2度目のマウンドに立ったのは6回裏。だがこのときは疲れで足がつるなど、すでに余力は残っていなかった。3つの四球と2つの暴投、さらに3安打を浴びて6点を献上し、佐々木に敗戦処理を託した。「つらいときも苦しいときも助けられながら、最初から一緒にやってきた仲間たちに1勝させてあげられなかったことが悔しい」と横張。

試合後の土浦工ナイン。この17人から3年生10人が抜け、秋からは1・2年生7人で再出発する

4月に赴任した久保田監督は、わずか3カ月間で守備の基本を叩き込むなど、チームのテコ入れを図ってきた。「後悔のないよう詰め込んだが、鍛えきれない部分も多かった。例えば外野手には、芝生の球場での試合経験を積ませてあげたかった」それでも選手たちは短期間で見違えるように変わり、その集大成をこの試合で見せてくれたと讃えた。(池田充雄)

女性職員らの活躍推進へチーム設置 筑波銀行 

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14日発足した「ダイバーシティ推進プロジェクトチーム」の第1回会合の様子=つくば市竹園、筑波銀行本部

女性職員など多様な人材の活躍を推進しようと、筑波銀行(本店・土浦市)は14日、行内に、生田雅彦頭取をプロジェクトリーダーとする「ダイバーシティ(多様性)推進プロジェクトチーム(PT)」を発足させた。

女性職員のキャリア支援や仕事と家庭の両立支援のほか、シニアや障害者の活躍推進、外国人の登用などについてメンバーが意見を出し合い、業務に反映させたり、内外に発信などする。

同行は第5次中期経営計画(2022年4月-25年3月)で、25年3月末までに女性管理職比率20%以上、男性の育児休暇取得率100%ーなどを掲げており、PTでの協議を通して数値目標の達成や企業風土の醸成に取り組む。

今年3月末時点の数値目標の達成率は女性管理職が18%、男性の育休取得率は93%。すでにフレックスタイム制度や短時間勤務制度、在宅勤務制度など多様な働き方を導入したり、女性対象のキャリアアップやマネジメント研修などを実施しているという。

PTは生田頭取と、勤続11年から37年目の係長から支店長までの女性職員11人で構成する。3カ月に1回会合を開いて意見を出し合い、取締役会にも毎年、報告する。

同行は2014年8月にすでに「女性の活躍推進PT」を設立し、当時のメンバ―から出された意見を元に、育児休暇取得中の女性職員同士が情報交換したり、職場復帰に向けて準備や相談をする場を設けるなど、育児休業を取得しやすくする環境を整えてきた。

今回、PTが協議する対象を、女性職員だけでなく、シニア、外国人などにも拡大し、名称を「ダイバーシティ」に変更した。さらに生田頭取がプロジェクトリーダーに就任し、新たにスタートさせた。

14日開かれた第1回会合で生田頭取は「女性活躍や働き方改革はこれまでもやってきたが、今回、シニアや外国人なども含め幅広く取り組みたい。全行挙げて、どうしたら女性が活躍でき、多様な人材の活躍機会の拡大を図ることができるか、皆さんと議論し、経営に反映させていきたい」と話した。

同PTのプロジェクトマネージャーで人事総務部の田久保玲子主任調査役(54)は「頭取のリーダーシップの下、ダイバーシティに関する企業風土の醸成を高めていくと共に、メンバ―からの意見を参考に、様々な職員の能力や経験、価値観を尊重する環境を構築し、多様な人材が活躍できる機会を拡大させていきたい」としている。

気温が体温と同じぐらいに《くずかごの唄》130

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】気温が、体温と同じくらいになるなどということは、今までの日本で考えられなかった現象である。コンクリート道路の上などは40度C近くになってしまう。

こうなると自分で自分の体温が維持できない人たちが増えてくる。

今までにない身体現象だから、あいまいに、おおまかに、春は「花粉症」、夏は「熱中症」と呼んでいるが、呼吸、皮膚炎、頭痛、咽喉炎、生理痛などが体温の変化と複雑に絡み合ってしまっている。

こういう時代が来ることは、医療関係者も予想していなかったにちがいない。

平凡に解熱鎮痛剤を処方する医者。抗アレルギー薬を入れて処方する医者。熱があるからといって抗生物質を処方する医者。先生たちも気温と体温の、からみあいのめちゃめちゃに頭を悩ましているに違いがいない。

えっ、ドクダミって薬草なの?

暑すぎるので雑草たちも元気がない。その中で、なぜか根茎で増えるヤブガラシとドクダミだけは元気過ぎるほど元気で、我が家の庭も草抜きが大変だ。

子供たちにドクダミの花を見せてあげる。

「ほら、ドクダミの花、可愛いでしょ」
「おかしな匂いがするね」
「嗅いでごらんなさい。薬草の匂い」
「えっ、薬草なの? ドクダミは毒草だと思っていた」
「冗談じあない。十薬といって10の効果のある薬草の中の王様なのよ。昔は家で採ったドクダミを、きれいに洗って軒下にぶら下げて、干してある家もあったわよ」

昔の子供たちはごく自然に、ドクダミは身近にある家庭用薬草ということを知っていたのに、今の子供たちは全然知らない。

「毒ではないのに、何で毒ダミなんていう名前なの?」

さあ困った。何でドクダミなどという名をつけたのだろう。「牧野富太郎先生、教えて下さい」(随筆家、薬剤師)

終盤猛追も及ばす つくば国際大は惜敗【高校野球茨城’23】

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9回1点差に迫り湧き上がるつくば国際大ベンチ=日立市民球場

第105回全国高校野球選手権茨城大会は14日、2回戦10試合を行った。日立市民球場に乗り込んだつくば国際大は終盤、日立工を追い上げたが及ばす8ー9で破れた。

つくば国際大は中盤突き放され、6回までに9−3と大量リードを許す苦しい展開。7回1死で山口が左翼に二塁打を放つと一番打者の阿井が、狙っていた変化球をレフトスタンドへ運ぶ2ランで、反撃ののろしをあげた。ここまで3打席凡退で繋げようという気持ちで打席に入ったという。

7回1死二塁で放った阿井の2ランが反撃ののろしになった

8回には先頭の古田が右前打で出塁し、2死後に山本の三塁打で1点を返し、3点差で9回を迎えた。ヒットと四球で無死一・二塁のチャンスを作り、高野のタイムリー二塁打と石橋のライト犠飛で1点差に迫ると、応援に駆けつけたサッカー部12人と控え部員の大きな歓声が響いたが、追撃もここまで。後続が凡退し及ばなかった。

両チーム共に11安打を放った乱打戦。つくば国際大は主戦投手、山本頼みの試合が多かったが、これまでにない打線の奮起が試合を盛り上げた。

試合後、伊藤徹監督は「完敗。先発山本と2番手阿井が9点取られるとなかなか追いつけない。そんなに点数が取れる打線ではなく、最小失点に抑えて1点差で勝つ野球をやってきたので、今日みたいな展開で追い上げられたのは打線としてはよく頑張った」と選手の健闘をたたえた。

先発したエース山本の投球

先発した山本は「いつもより調子が悪かったが打線もよく繋いでくれて自分達の野球で最後まで諦めず過去一番いい試合が出来た。自分は1年生から背番号をもらって、2年でも投げていて最後に力を出し切りやり切った」と満足した表情を見せた。

吉田主将は「自分が主将になって秋、春と3点以上取ったことがなく、ここまで追い上げたのは満足だけど最後勝ちきれなかった。ここまで成長でき夏の集大成でみんなの思いが一つになって良かった」と話した。(高橋浩一)

土浦湖北、狙いの後半勝負で初戦突破【高校野球茨城’23】

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6回裏土浦湖北2死一・三塁、長谷川凌汰の勝ち越し打で2者が還り、ベンチの祝福を受ける=J:COMスタジアム土浦

第105回全国高校野球選手権茨城大会は14日、J:COMスタジアム土浦で土浦湖北が守谷と対戦した。前半のきっ抗した展開から、後半に湖北が逆転に成功、最終的には14安打で7-2と突き放し、3回戦に勝ち進んだ。

湖北の先発、久保田蓮大は、予定回数の5回までを3安打1失点の好投。直球を軸に、カットボールでタイミングを外すピッチングで、「自信あるボールで攻めていけ、テンポよくリズムを作れていた」との本人評。一方、打線は軟投の相手投手に対し、毎回のように走者を得点圏に進めるが、肝心の場面での一打が出ない。ようやく5回に清水俊輔の適時打で追い付き、迎えた6回の攻防がカギとなった。

5回を好投した湖北の先発・久保田蓮大

この回湖北は、久保田から浅野真那斗へと投手交代。その替わりばなを攻められた。四球と2連打で無死満塁とされ、右前への適時打で1点は許すものの、2人目の突入には捕手、野口彗太が本塁を死守。野口は次打者のファウルチップにも反応よく飛びつき、この回を最少失点で切り抜けた。浅野は登板直後は球離れに乱れがあったようだが、その後は調子を取り戻し、7回と8回はともに併殺で打ち取り、9回は3連続三振で締めている。

6回裏、湖北は富施賢太の左前打から2死二塁とし、木村恭太郎の左翼線を破る二塁打で同点。投手交代でピンチを乗り切ろうとする守谷に対し、浅野の中前打と長谷川凌汰の左越え三塁打で2点を勝ち越した。長谷川は「打ったのは真ん中に入ってきたスライダー。ストレートにヤマを張りながらスライダーも狙っていた」と振り返る。

6回表守谷無死満塁、適時打から2人目の走者のホームインは、捕手・野口が阻む

湖北は7回にも1死満塁の好機をつくり、平田夢叶のスクイズと木村の左前打で計3点を追加した。土佐一成監督は「投手が替わった後も浮いたボールを狙い、後半は粘り強く打ってくれた。もう少し早く点が取りたかったが、初戦なのでやむを得ない部分もある。レギュラー陣は去年からのメンバーは少なく、緊張もあったと思う」。

「自分たちは後半勝負。俺たちならやれると、あせりなく試合に臨めていた。チャンスにはベンチも盛り上がり、相手のミスにも付け込んで、一つずつつなぐ自分たちらしい野球ができた」と野口主将。「今年のチームはバッティングが魅力的。投手の枚数もあり、去年より完成度は高いと思う。甲子園に向かって一戦一戦、今日と同じ気持ちで戦っていきたい」と次戦を見据えた。

「勘十郎の馬鹿っ堀」 《写真だいすき》22

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宝珠庵赤子:石仏は、人々を救ってくださる仏さまではなくて、救って欲しい人々の姿なのだと思いながら撮影することもある(撮影筆者)

【コラム・オダギ秀】何十年の時が流れても、いつまでも心に残る撮影は、少なくなかったが、いま、その地を訪ねたら、新しい住宅が並び、わずかな水溜(た)まりがあり、ここがあの撮影地だったかよと思った。

霞ケ浦の北岸近くに、紅葉(もみじ)と言う美しい名の集落があり、そこに紅葉運河という古い大きな堀跡がある。堀は、紅葉から大洗に近い涸沼の海老沢という入り江まで、途切れ途切れにつながっていた。その堀は三百年ほども前、運河として掘られたものだが、数十年前の撮影に訪ねた頃は、田んぼや溜め池となっているところがあって、水をたたえてはいても流れてはいず、もちろん運河とは言えず、ただの水溜まりの連なりであった。

堀を見下ろす土手の木立の中に、素朴な小さな石の慈母観音菩薩さまがあった。慈母観音は、子安観音とか子育て観音などと呼ぶこともあり、しっかりと幼子を抱き、その成長を願うものだが、その観音さまは、菩薩と言うより、妙に人間的な息づかいを感じさせる野の仏さまで、心に残った。

江戸時代初期、奥州諸藩から江戸に送られる米は、多く海から船で運ばれ涸沼に入り、対岸の海老沢に荷揚げされると紅葉村まで陸送され、ふたたび船積みされて、北浦、利根川、江戸川を経て江戸に運ばれた。

紅葉運河は、この涸沼の海老沢から紅葉村までの陸送区間を船で結ぼうという、当時としては壮大な目論見の運河なのだった。

宝永四年(1707)、深刻な財政難に苦しんでいた水戸藩は、船運経路の発展と通航船からの交通税の取り立てをねらい、松波勘十郎という浪人事業家を起用して、この紅葉運河を起工した。それは、幅40~50メートル、深さは20メートル余り、延長10キロにもおよぶ運河を通すという大工事で、しかもそれをわずか半年で完成させようとしたのだった。

この工事のため、延べ百数十万人にのぼる農民が強制的に労役に駆り出され、賃金も支払われず酷使された。過酷な工事は、2年足らずの後、領内全域にわたる農民一揆を引き起こし、失敗に終わった。

「酷かったもんだよ」。堀端の家の古老に堀の由来を尋ねると、三百年も昔のことなのに、ほんの少し前に聞いたかのように、その様を語ってくれた。忘れ去られずに語り継がれるほど、過酷な歴史だったと言うことだろうか。

堀を見下ろす慈母観音菩薩さま

じつはボクは、堀のことではなく、堀端の慈母観音さまのことを尋ねたのだ。すると古老は、ひとしきり過酷だった運河工事の話をし、それから「それでな」と、慈母観音さまの話に入った。

「工事には、犠牲者も少なくなかったのよ。紅葉におった、かよさんという女房の旦那も駆り出され、事故に遭って簡単に死んでしもうた。かよさんには可愛がっている幼子がおってな。だが、労役で野良仕事が出来んかったから、金もなく食わせるものもなく、幼子も死んでしもうた。夫を亡くし子をなくし、つらかったろうなあ。それで世をはかなんだかよさんも、堀に身を投げて死んでしもうた」

堀を見下ろす慈母観音菩薩さまは、そのかよさんを供養する像だと言う。「観音さまは、あれはかよさんじゃ。かよさんと、かよさんの子じゃ」。だからいつも食べ物を供えて慰めていると、笑いのない眼で古老は語った。

慈母観音は、本来、母と子を護ってくれる菩薩と言われる。だが、木立の陰に立つこの観音さまには、子を守ることができなかった母の悲しみが満ちていた。

堀工事はずさんで、涸沼と紅葉との高低差を確かめることさえなく進められたから、結局、低池から高地へ水が流れる運河とはならず、通船を見ることはなかった。後の人々は、ただの溜まり水をたたえたこの堀を、工事を進めた松波勘十郎の名をとり、「勘十郎の馬鹿(ばか)っ堀」と呼んでいたが、今の人々は、勘十郎堀という名さえ、定かには知らないようだ。(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)

木村「二刀流」で圧倒 土浦三、霞ケ浦に苦杯【高校野球茨城’23】

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4回まで打者12人から5三振を奪った霞ケ浦の先発・木村=J:COMスタジアム土浦

第105回全国高校野球選手権茨城大会は13日、2回戦に入り、J:COMスタジアム土浦では土浦三が霞ケ浦とのご近所対決。初回からの連打攻勢の霞ケ浦が土浦三の繰り出す7投手を打ち込んで、5回コールド勝ちした。プロ注目の右腕、木村優人は140キロ台の速球を投げ込み、打では右翼ポール直撃の本塁打と大暴れだった。

霞ケ浦は初回、打者一巡の猛攻。5安打で5得点を挙げ、難しいとされる初戦の立ち上がりを万全の形で入った。

土浦三の先発、中村太陽は「自分のピッチングができず3年生に申し訳ない。打たせて取るつもりだったが、甘く入った球を全部持っていかれ、詰めの甘さを実感した。一瞬の隙も見逃してくれず、1番から9番まで気が抜けなかった」と相手打線を評する。

1回表霞ケ浦無死二・三塁、木村の中前打で三走・新保玖和が還り先制

「ロースコアに持ち込んで勝機をうかがいたかったが、自分たちの攻撃の前に大量失点してしまった。逆に相手は大量リードで気持ちに余裕ができた」と土浦三の竹内達郎監督。軟投で霞ケ浦打線のタイミングを外すプランは早々に崩れ、2回以降は手持ちの投手を次々と投入。だが2回には木村のソロホームランを浴び、3回と5回にも失点を重ねた。

霞ケ浦はその木村が先発のマウンドに立ち、3回までノーヒットのピッチング。土浦三は木村を想定した対策を積んできたが、打席に立ってみるとボールのキレがけた違いだったという。「木村のボールは手元でグッとくる。芯でとらえても押し込まれて、みんなボールに押し負けていた」と増田築主将の証言。

4回、伊藤達矢が木村から初安打を奪う。初回の第1打席は外角ストレートを空振り三振だったが、この打席は同じ球を左前へはじき返した。「木村はまっすぐが伸びるが、かといって変化球は即座に対応が難しい。この打席もまっすぐに狙いを絞り、初球から積極的に振っていった」との振り返り。

土浦三4回裏2死から伊藤が左前へ初安打。この後二盗を狙うも阻止される

ご近所同士の両校は、市内大会や練習試合などで顔を合わせる機会も多く、また土浦三の1・2年生には霞ケ浦高付属中出身の選手もおり、打撃や守備のレベルの高さなどは耳に入っていたという。中村は「自分たちもああいうチームになりたいと思う一方、対抗意識も持っていた。特に今回は地元での試合なので、負けたくないという思いが強かった」と語る。

今年の土浦三は、登録メンバー20人中15人が1・2年生という若いチーム。「この大会の経験をチーム内で共有し、来季も高い目標を持って戦えるよう、自分たちでチームを盛り上げていきたい」と伊藤と中村は口をそろえた。(池田充雄)

中林、5回参考も完全試合 常総学院コールド発進【高校野球茨城’23】

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5回打者15人を完全に抑えた常総学院の中林投手=ひたちなか市民球場

第105回全国高校野球選手権茨城大会は13日、2回戦に入り、ひたちなか市民球場では第一シード常総学院が登場。先発した中林永遠投手(3年)が、5回参考記録ながら完全試合を達成し、打線は2回の打者一巡の猛攻など毎回得点を重ねて、麻生に5回コールド勝ちした。

常総学院先発の中林は初回3者連続三振を奪う立ち上がりから、5回を60球9三振を奪い、走者をひとりも出さずに参考記録ながら完全試合を達成した。

打線は1回山崎、川上の連打で1死後一、三塁のチャンスに武田のセンターへの犠牲フライで先制。2回には相手エラーと四球で2点を追加し、さらに一、三塁から近藤がライトへタイムリー、秋山がレフト線への2塁打で続き、この回打者10人で6点を上げた。3回にも近藤が2本目のタイムリーを放ち1点、4回にも2点を追加し10ー0としてコールド勝ちを決めた。

2回1死1、3塁でライト前タイムリーを放つ常総学園・近藤(捕手・池田)

中林は背番号18。先発を言われたのは3日前で、ずっと準備してきた。「応援団、ブラスバンドが入って最後の大会でいろいろ掛ける思いがあった」そう。「初戦は大事になってくると思うのでチームが勢いに乗れるようなテンポいいリズムで投げた。四球もなかったので自分のイメージした通り投げた。少し甘くなって相手が打ち損じてくれてよかった完全試合は意識しないで自分のピッチングが出来た」

島田直也監督は「初戦と言うことで2年ぶりに勝ててほっとしている。選手より自分のほうが緊張しついた。長丁場なので4番手、5番手の投手をどれだけ使えるか試した。中林は期待以上にやってくれた」と手応えを語る。「選手には大会前からコールドで勝とうが1点差で勝とうが勝ちは勝ちなので最後に勝っているほうが勝ちだと言ってきた。打線に関してはまだまだ繋がりが足りないので上げていかなければならない」と手綱を締めた。

常総学院は3回戦で17日に下妻二ー日本ウェルネス茨城の勝者と対戦する。(高橋浩一)

■このほかのつくば・土浦勢の結果

詳報はこちら

常磐線も4車線でまたぐ 25日に354号土浦バイパス全線開通

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跨線橋を下りバイパスを直進すると土浦北IC方向=木田余バイパス西入口交差点= 土浦市木田余

土浦市若松町~手野町の間で県による4車線化整備が進められていた国道354号土浦バイパスのうち、最後まで残っていた常磐線をまたぐ木田余跨線橋(きだまりこせんきょう)など0.9キロ区間の工事が完了し、25日午後2時から全線開通する。

今回開通するのは、常磐線をまたぐ跨線橋が東西で立ち上がる木田余跨線橋東交差点~木田余バイパス西入口交差点の区間。既存の木田余跨線橋の南側に新たに2車線を増設する形で橋梁を拡幅整備し、両交差点について改良工事を行った。事業費は約30億円。線路に架かる橋梁工事の一部をJR東日本水戸支社(水戸市)に委託している。

354線土浦バイパスと荒川沖木田余線

国道354号は、茨城県西から県南、鹿行地域にかけて横断する広域幹線道路で、災害時の緊急輸送道路にも指定されている。そのうち土浦バイパスは鹿行地域方面から常磐自動車道土浦北ICへのアクセス機能の強化と土浦市内の渋滞緩和を図るため、1991年度から延長5.3キロ、幅員25メートルの4車線で着手された。バイパスは2011年2月に暫定2車線で供用し、これまでに、おおつ野団地入口交差点~木田余東交差点まで約2.9キロと、若松町の市道をまたぐ跨道橋~木田余西入口交差点まで約1.5キロの4車線化が完了している。

25日は開通に先立ち、午前10時半から地元の公民館で県土浦土木事務所主催による安全祈願を行う。

土浦駅東のボトルネック解消には道遠し

県は「土浦市内の渋滞緩和や常磐道の土浦北ICへのアクセス強化が図られる」としているが、交通量の増大により木田余跨線橋東交差点からJR土浦駅東方向に向かう荒川沖木田余線(荒木田線)の交通混雑がさらに悪化する懸念もふくらむ。同バイパスの24時間交通量(国交省道路交通センサス)は2021年で2万5000台を超え、2010年の約2倍、特に大型車は3倍近くに達している。

荒木田線は常磐線の東側を並走する形で、阿見町荒川沖本郷から土浦市木田余に至る延長11.5キロの都市計画道路。1957年に都市計画決定され、全区間の整備が一応は完了している。しかし土浦駅東の港橋から南側区間(荒川沖方面)の都市計画決定が幅員25メートルなのに対し、北側区間(木田余方面)は幅員18メートルだった。土浦駅方向への通勤や送迎のためラッシュが朝夕に恒常化し、ボトルネックとなった北側区間は同市きっての渋滞路線になっている。

354号土浦バイパスとの交差点周辺は、同市特産のレンコンの生産地帯で、渋滞を嫌った一般車両が農道に入り込んでは、生産者とトラブルになるケースも少なくない。2016年に新築移転した土浦協同病院(同市おおつ野)への緊急車両がひんぱんに混雑に巻き込まれたりもしている。

354号土浦バイパス入口。左折して4車線化された跨線橋に入る。手前が荒川沖木田余線=木田余跨線橋東交差点

荒木田線は2013年、幅員18メートルの約2.3キロ区間について幅員25メートルに都市計画変更され、車線数も4車線に設定し直された。これ以降、県と土浦市が事業区分を分担して整備を進めてきた。このうち土浦市が施行者となる木田余跨線橋東交差点~流域下水道事務所(同市湖北)まで1.3キロ区間は、4車線への拡幅工事が年内にも完了し、年度内に供用できる見通しとなっている。

しかし、土浦駅東寄りの約1キロ区間の整備は手つかずで、ボトルネックの解消にはなお遠い道のり。事業区分上、県が約370メートル、市が約630メートルを残しており、共に用地取得の交渉中で着工の見通しはついていないという。(相澤冬樹)

タロットカードで街を眺める ひたち野うしく《遊民通信》68

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【コラム・田口哲郎】
前略

オカルトが似合う街は新興住宅地だと前回書きました。新興住宅地は伝統的な宗教色がありません。そしてオカルトは伝統宗教とはちがった意味をもとめます。ですから、新しくできた、科学技術があちこちに感じられる新興住宅地を歩いていると、そこはかとなくオカルトの匂いを感じるのです。

現在のオカルトの源流は19世紀フランスに求められます。そのオカルティスムの祖はエリファス・レヴィとされています。レヴィはタロットカードをユダヤ神秘主義思想にもとづいて整備しました。この思想は歴史があり、ある意味伝統的です。それではオカルトは宗教的伝統がないわけではないではないか、と言われそうです。たしかに源流ではそうです。

でも、現在までさまざまな社会の変化を経たオカルトには、宗教的伝統の影はほとんどないと言えるでしょう。宗教の伝統で育ったオカルトが世の中に広まる途中で、旧来の宗教の養分を消化吸収して、新しい「宗教のようなもの」をつくろうとしています。

「Ⅵ 恋人たち」のカード

前置きが長くなりましたが、ここでタロットを使って、オカルトが似合う街を眺めてみたいと思います。私は散歩していて、オカルトと街をつなげてみたらどうかと思いつきました。今回は、ひたち野うしくを、タロットの大アルカナ(22枚)のなかの1枚をひいて、オカルト的に見てみます。よくカードを切って、1枚を選びました。出たカードは「Ⅵ 恋人たち」のカードです。

このカードの絵柄は、太陽の光のもとで、雲のなかに大天使がいます。地上にはアダムとイブを思わせる裸の男女が向かい合って立っています。大地の奥には高い山が遠くに見える。男女それぞれの背後には1本ずつ気があり、男の後ろの木は炎の花が咲いている。女の後ろの木にはリンゴがなっていて、幹にヘビがからんでいます。このカードは全体的にとても明るく美しいイメージです。

ひたち野うしくは超高齢社会にあってとても若い街です。子育て世代も多く、小・中・高生が多く歩いています。若い家族が子どもを育てて、活気がある街。これがこの「恋人たち」のタロットカードによく表れていると思います。1回1枚ひいただけではただの偶然じゃないかと言われそうですが、この偶然を信じることが、オカルトには大切だと思います。ごきげんよう。

草々
(散歩好きの文明批評家)