木曜日, 3月 13, 2025
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コタツ生活《短いおはなし》35

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イラストは筆者

【ノベル・伊東葎花】

朝、いつものようにタカシ君を迎えに行った。

「タカシ君、学校行こう」

家の中から声がした。

「ごめん、ユウ君。コタツから出られないんだ」

「えっ、何言ってるの? 早くおいでよ」

タカシ君のお母さんが出てきて言った。

「ごめんね、ユウ君。コタツがタカシを放してくれないのよ。今日はお休みさせるから、ユウ君ひとりで行ってね」

???

コタツがタカシ君を放さないってどういうこと?
寒くてコタツから出られないだけだろう。

学校が終わってから、ぼくはまたタカシ君の家に行った。

「タカシ君、プリント持ってきたよ」

「ユウ君、玄関開いてるから入って」

「じゃあ、おじゃましま~す」

上がって部屋に行くと、タカシ君はコタツに寝そべってマンガを読んでいた。

「なんだ。やっぱりさぼりじゃないか」

「違うよ。コタツがぼくを放さないんだ。コタツ布団をめくってごらん」

言われた通りめくってみると、コタツの足がタカシ君の足に絡まっている。

「ねっ、コタツから出られない理由がわかったでしょ」

「大変じゃないか。トイレとかどうするの?」

「それがさ、平気なんだよね。ぼくの身体がコタツの一部になったみたいでさ、感覚がないんだ。ほら、コタツはトイレ行かないだろう」

「つらくないの?」

「ぜんぜん。だってこうしてマンガは読めるし、ご飯も食べられるよ。それに何よりあったかいからね」

ぼくは、プリントを置いて帰った。
タカシ君は、コタツの中で手を振った。

翌日もタカシ君は学校を休んだ。
学校帰りにタカシ君の家に行くと、タカシ君のお母さんが一緒にコタツに入っていた。
寝そべってみかんを食べている。

「もしかして、おばさんも?」

「そうなのよ。うっかりコタツで寝ちゃったら、もう出られなくなっちゃったの」
「ごはんとか、どうするんですか」

「デリバリーがあるから大丈夫。スマホがあれば何でも買えるわ。あら、注文したピザが来たみたい。ユウ君、悪いけど受け取ってくれる。そうだ。お父さんに電話して、明日のパンを買ってきてもらいましょ」

コタツの一部になっても、お腹は空くんだな~と思いながら、玄関でピザを受け取った。

家に帰って、ママに尋ねた。

「ねえママ、うちにはコタツはないの?」

「ないわよ。コタツは人間を堕落させるからね。コタツから出られなくなったら困るでしょ。私はこの温風ヒーターがあれば充分よ。ほら、温かいわよ」

ママが温風ヒーターにへばりついた。

しばらくすると、温風ヒーターから手が伸びて、ママの足に絡みついた。

「あらいやだ。温風ヒーターの前から離れられなくなっちゃった。ユウちゃん、テレビのリモコンとスマホとお茶とミカン、手の届くところに置いてちょうだい」

なんてこった。
それもこれも、寒さのせいだ。
ああ、早く春が来ないかな。

(作家)

学校給食に画びょう混入 市立土浦五中

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学校給食に混入していた画びょう(土浦市教育委員会提供)

土浦市教育委員会は21日、同市手野町、市立土浦五中(平田豊校長)3年生のクラスで同日出された学校給食のスパゲティのおわんの中に異物が混入していたと発表した。

市学務課によると、同日午後0時53分ごろ、生徒が食事を始めた後、3年の生徒の一人が、きのことツナのスパゲティが入ったおわんの中から、長さ約2センチ5ミリの画びょうを発見した。発見時はクラスのほとんどの生徒が既に給食を食べ終わっている状態だった。

同給食は市立学校給食センターが提供し、小学校7校、中学校2校に提供した。ほかの学校で異物混入は確認されず、同日午後8時時点で体調不良を訴える児童・生徒は無いという。

なぜ、どのように混入したかは不明で、市教委は現在、混入経路を調べている。今後の対応として同校は、全保護者に異物混入があったことを通知するほか、土浦保健所の立ち入り調査を受ける。さらに配食時の管理・指導を徹底するとしている。学校給食センターは調理過程での異物確認を徹底し再発防止に取り組むなどとしている。

使い切る「京のしまつ」《デザインを考える》16

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構成は筆者

【コラム・三橋俊雄】今回は、京都の「しまつ」という「もったいない」のお話をさせていただきます。その前に「しまつ」と表裏の関係にある「京の着倒れ」からご紹介します。

聞いて極楽 見て地獄

井原西鶴『好色一代男(1684)』(巻四・目に三月)には、「げにげに花の都、四条五条の人通り、…遠国とは違ふて是は是はそれはと見るに、下には水鹿子の白むく、上にはむらさきしぼりに青海波(せいがいは)、紋所は銀にてほの字切りぬかせ五所(いつところ)のひかり、帯はむらさきのつれ左巻、…」と、京の女性たちの装いも目を見はるばかりであるといった情景が描かれ、「京のはなやぎ」が感じられます(上図・左)。

また、十返舎一九の『東海道中膝栗毛(1802〜1814)』(七編・京都めぐり)では、「商人のよき衣きたるは他国と異にして、京の着だをれの名は、益々西陣の織元より出、染色の花やぎたるは、堀川の水に…」とあり、京都人は、衣装に大金をはたいて惜しまない「着倒れ」の気風があることを揶揄(やゆ)しています。

一方で、京都には「 三条室町 聞いて極楽 見て地獄 おかゆ隠しの長暖簾(ながのれん)」という家風歌(かふうか)があります。

それは、<あこがれて奉公に上がった老舗ではあるが、実は営々と続く家訓を厳守し、決して華美な生活など送っていない。季節ごとに着るものまできちんと決められ、食事も質素倹約を旨とする。祭りなどの「付き合い」で義理を欠くことは決してないが、日常生活は極めて慎ましいのが当たり前。店の主人から奉公人まで一緒になって「おかゆ」をすする>というものです。

そうした「質素な暮らし」を、京都では「しまつ(始末)」と言います。しかし「しまつ」はただの「ケチ」とは違います。モノを無駄に捨てないで「一工夫」加えて、「使い捨て」ではなく「使い切る」ことが「京のしまつ」です。

縫い糸のしまつ

私は、2000年ごろ、京都の伝統的な生活の中に「もったいない」に相当する文化がどのように継承されているかを知るために、「記憶の中の京の暮らし」という調査を行いました。そして「しまつ」という京都人の「精神」に出合うことができました。

そこで一番印象的だったのが、「糸のしまつ」でした。京都では、女性たちが、毎日の針仕事で使い残したくず糸を捨てずに、重ねた古布に玉むすびをしないまま針を通し、何針か縫ったあと、そのまま針を抜く。そうした作業を何日も繰り返すことで、1枚の雑巾が縫い上がるというものです(上図・右)。

調査では、京都府内在住の「生活学校」に通う111名の方に「京のしまつ」についてうかがい、「残ったくず糸で雑巾を縫う」と答えた方が25名もおられました。

こうした「京のしまつ」も時代の流れの中で急に姿を消しつつあるようですが、次回も「京のしまつ」について、もう少しご紹介していこうと思います。(ソーシャルデザイナー)

原材料高と人件費増が経営問題 筑波総研調査

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グラフⅠ

筑波銀行グループの筑波総研(本社・土浦市)はこのほど、最近の「茨城県経済の現状と展望」をまとめた。筑波銀と総研が昨年12月に実施した企業動向調査によると ①製造業は人件費の上昇や原材料の高止まりからコスト上昇が続いているが、販売価格への転嫁や生産・受注回復により素材業種を中心に改善している ②非製造業は所得の改善を背景にして、個人消費の底堅い動きに支えられた小売業などを中心に改善している―という。

慢性的な人手不足 建設・警備

業種別では「世界情勢とそれに伴う価格上下により経営判断が難しい」(木材・木製品)、「主力製品の半導体製造装置用部品の先行きが不透明」(一般機械)、「業界は繁忙で慢性的な人手不足を感じている」(建設)、「人件費の上昇分を値上げでまかなえず利益が減少している」(コンビニ)、「新規募集が難しいことに加え従業員の高齢化による人手不足により受注を増やせない」(警備会社)といった声が聞かれた。

経営上の問題点は何かとの質問には、「原材料・仕入高」「人件費など経費増加」「売上・生産の停滞・減少」との回答が多かった(グラフⅡ・Ⅲ)。総研によると、人件費などの経費は製造業・非製造業の両方で上昇しており、非製造業ではその割合が多かった。「茨城県の最低賃金(時給)が昨年10月から52円引き上げられたこともあり、パート・アルバイトが多い業種では経営環境がさらに厳しくなる」と予想している。

グラフⅡ
グラフⅢ

賃上げで採算が悪化 中小企業

昨年秋、全国加重平均の最低賃金は1055円(前年比5.1%)引き上げられた。茨城県は5.46%引き上げられ、1005円になった(グラフⅣ)。最低賃金の引き上げは非正規労働者の生活を支えることにつながる一方で、労務費の価格転嫁が遅れている中小企業にとっては採算の悪化につながる。

総研は最低賃金引き上げに伴う企業の対応も調査した。その結果(トップのグラフⅠ)、「最低賃金を超える水準まで賃金を引き上げた」企業は13.9%、「最低賃金と同額まで賃金を引き上げた」企業は10.3%だった。残り4分の3は「すでに上回っているが引き上げた」「すでに上回っているので据え置いた」と回答した。(坂本栄)

グラフⅣ

100年前に戻る?トランプの世界《吾妻カガミ》200

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日の出。霞ケ浦総合公園 釣りをする少年像付近

【コラム・坂本栄】米国は20日昼(米東部時間)からトランプさんの時代に入る。絵に描いたような保護主義(自国経済・産業優先)と孤立主義(自国第一・他国軽視)になりそうだから、世界の政治・経済システムは100年前(第1次大戦と第2次大戦の間)の状態に戻りそうだ。日本としても相当な覚悟が必要だろう。

バイデンの「嫌がらせ」

新年早々、日米間にトラブルが発生した。日本製鉄によるUSスチール買収計画について、退任直前のバイデンさんがNOと言ったからだ。日鉄はもちろん日本政府もこれに猛反発、おかしな雲行きになってきた。大統領選で負けた民主党・バイデンさんの「嫌がらせ」の感もするが、これをトランプさんが追認すれば、反米感情が高まるだろう。

日鉄とUSスチールにとっても、日本経済と米国経済にとっても、この買収案件は合理的と私は考えている。米国にとってはUSスチール・米経済の再生につながり、日本からすれば製造プラントの分散=海外投資の拡大を意味するからだ。

NOの理由として、米政府は安全保障上の理由を挙げている。日系の米社だと非常時の鋼材手当てが危うくなるという理屈だが、いざとなれば日鉄傘下のUSスチールを接収すればよい。NOは最近はやりの経済安全保障レトリックであり、本音は「大統領選時の民主党公約を破るのはまずい」ということだろう。

賢さに欠けていた日鉄

45年前、米市場で日本車が増え、米メーカーを保護するために日本車を閉め出す騒動が起きた。保護派議員や自動車労組は、高関税や輸入台数制限を打ち出したが、日本側が米政府の(見える形での保護貿易に走りたくない)立場に配慮し、対米輸出台数を抑えることで事態を沈静化させた。その後、日本メーカーは米国内に工場を次々建て、ウイン・ウインの関係を構築した。日米とも賢かったといえる。

バイデンさんとトランプさんの言動からも明らかなように、米国は自国の力に自信を失いつつあり、ストレートな方策で国益を守ろうとしている。大統領選中(経営が悪化したUSスチールにせっつかれたとしても)国名を冠した米社の買収に動き、組合員の敗北感を刺激した日鉄は賢さに欠けていた。米国の経済は読めても(国民の愛国感情に左右される)政治・選挙が読めなかったようだ。

沖縄を返せと言われる?

(以前米国が領有していた)パナマ運河を返せ、(デンマーク自治領の)グリーンランドが欲しい、と叫ぶトランプさんの言動には唖(あ)然としている。

こういった他国軽視が通用するならば、自国の安全保障のためにNATOの欧州圏との間に緩衝地帯を設けたい(ウクライナを支配したい)と考えるプーチンさんの行動を否定できないし、内戦に負けた中華民国の末裔(まつえい)が支配する台湾は中国の一部だと主張する習さんの言い分も説得力を持つ。

プーチンさんのウクライナ侵攻、習さんの台湾戦略と同じように、トランプさんはデンマークとパナマに戦争を仕掛けているようなものだ。この伝で行くと、対中戦略上必要だから「沖縄を返せ」と言ってきても不思議でない。両大戦の間から100年になる今、世界は力が支配する時代に戻りつつある。(経済ジャーナリスト)

サンガイア ホームで北海道YSに連敗

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チームトップの17得点を挙げた架谷(緑のユニフォーム)=撮影/高橋浩一

バレーボールVリーグ男子のつくばユナイテッドSunGAIA(略称サンガイア、本拠地つくば市)は18、19日、土浦市大岩田の霞ケ浦文化体育会館で北海道イエロースターズ(YS、本拠地北海道札幌市)との2連戦を戦い、18日はセットカウント2-3、19日は0-3で両日とも敗れた。これでサンガイアは7勝7敗で東地区3位。

2024-25 Vリーグ男子(東地区)レギュラーシーズン(1月19日、霞ケ浦文化体育会館)
サンガイア 0-3 北海道YS
19-25
20-25
25-27

18日はフルセットを戦い、先にマッチポイントを握りながらあと1点が奪えずという惜しい敗戦。対して19日はストレート負けという厳しい結果。第3セットは中盤まで優位に進めながら後半逆転され、そこからデュースに持ち込んだものの、最後の競り合いでブレイクできなかった。

ライトからバックアタックも果敢に放った長谷川直哉

「昨日は相手のサーブミスなどに助けられたが、今日は自分たちのミスが多かった」と長谷川直哉。「相手は個の力で得点を重ねてきた。うちはチーム力で戦わないといけないが、踏ん張り切れなかった」と川村駿介は話す。

また架谷也斗主将は「守備では練習の成果が出て、チーム全体で守りの形をつくれていた。問題は攻撃。トランシジョンでミスをせず、決めるべきところを決めきりたい」と振り返った。

第2セット途中から出場した鎌田敏弥

試合全体としては長いラリーが続き、強打ではなかなか決着が付かず、両チームとも軟打やフェイントを織り交ぜて相手を揺さぶっていた印象があった。だがこれらはコンビネーションが合わず、苦し紛れの結果でもあったそうだ。またレシーブ合戦の様相を呈したのも、互いに相手の長所であるブロックを避けたせいでもあったという。

一方で守備面での安定感は高く、それはサンガイアの今季サーブレシーブ成功率にも表れている。リベロの浅野楓は72.6ポイントで個人ランキングトップ、架谷は68.1ポイントで同3位。この2人を避けるように今日の相手のサーブは川村に集中していたが、川村もまた同19位の名手。1試合中40本のサーブを受けて67.5ポイントの成功率を挙げた。「余裕を持ってスパイクに入れるよう、高さを出したレセプションを心掛けた」と話している。

川村(右端)が相手スパイクをシャットアウトする

今後の改善点としてはコンビネーションの精度を上げることと、スパイカーの枚数を増やし、戦術の幅を広げること。昨年11月に入団内定した4人の選手も、それぞれプロデビューやベンチ入りを果たすなど、チームにフィットしつつあるという。

「北海道YSに独走を許したことで地区優勝は厳しくなったが、プレーオフ進出圏の2位以内には十分可能性がある。当初の目標通り新Vリーグ初代王者を目指し、最後までぶれずにやっていく」と加藤俊介コーチは意気込む。

次節は2月1、2日、川崎市のカルッツかわさきで川﨑レッドスピリッツと対戦する。(池田充雄)

「県南の小田氏文化圏こそ雪村育てた」 水墨画の巨匠めぐり謎解き

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会場入り口のギャラリーには雪村作品の複製品が展示された=県県生涯学習センター

水墨画の巨匠、雪村(せっそん)をめぐっては現在、作品の多くをたどることはできても、生没年には諸説あり、生誕地も不詳、どこで画業の修業を積んだかも不明という謎多き存在だ。この歴史ミステリーに挑んでいるのが茨城県北、常陸大宮市に事務局を置いて活動している雪村顕彰会(冨山正一会長)。18日には冨山会長が土浦市に足を運んで講演し「県南の小田氏文化圏こそ雪村を育てた拠点だったかもしれない」の自説を展開した。

顕彰会主催の雪村講演会は土浦市大和町、県南生涯学習センターで開かれた。2月15日から水戸市の県立博物館で開館50周年企画展「雪村ー常陸に生まれし遊歴の画僧」が開かれることから、前宣伝を兼ねての開催となった。雪村は室町時代の画僧で常陸国生まれ、当時の県北一帯を支配していた佐竹氏ゆかりの出自とみられるが、県南では今一つなじみがない。

生まれた年については延徳元年(1489)、明応元年(1492)、永正元年(1504)の3学説があり、晩年の隠棲地となった福島県三春での生誕を主張する向きもある。

講演する冨山章一会長

佐竹氏の研究家として知られる冨山会長は、これらの諸説や文献と向き合い、各地に足を運んで実地に調査、取材をし考察してきた。その上で「冨山の見方」と断っていくつかの持論を展開した。

生誕地は「奥七郡」、茨城県北部の部垂(へたれ)の村田郷、現在の常陸大宮市下村田が有力とした。雪村は得度(出家)の上画僧になっているが、得度寺は下村田に近い那珂市の静神社境内にあった弘願寺(こうがんじ、現在は移設)の可能性が高い。弘願寺は常陸国で唯一、版木による印刷物を発行していた。

修業を積んだのは城里町下古内の臨済宗幻住派の清音寺(せいおんじ)と見る。ここで禅宗の幻住派がクローズアップされる。幻住派の開祖である中国・元時代の禅僧、中峰明本(ちゅうおうみんぽん)の画など宋、元時代の絵画に接したと考えられる。権威主義を排し自由さを求めた教義に雪村はひかれ、創作にも影響を与えたようだ。

土浦の法雲寺目指す

そして雪村は清音寺の法縁を頼って土浦市高岡の法雲寺(ほううんじ)を目指した。関東における当時最大の幻住派の拠点だった。何百人と修行僧のいる大きな寺で、画業の研さんを積むには不向きだったが、法雲寺末寺の崇源寺が桜川対岸のつくば市大にあった(現在は廃寺)。小田氏の最盛期を築いた8代当主孝朝が開基した。崇源寺は末寺の中でも別格の大寺といえ、ここに雪村が住んでいたという話と雪村作と伝わる絵が伝わっている。

さらにつくば市小田の龍勝寺には雪村作の「鷹(たか)図」が所蔵(門外不出)されている。龍勝寺も元は孝朝が建立した崇福寺で、幻住派寺院だった。

土浦-つくば一帯の法雲寺と末寺を中心に育った地域文化を「小田氏文化圏」と命名した冨山会長は「県北の佐竹氏の文化は、後の支配者である水戸徳川家との関係でベールに包まれてなかなか見えてこないところがある。小田氏文化圏はそうしたフィルターを介さずに伝わっているようだ。雪村についても掘り起こしてみるともっと出てくるのではないか。興味深く見守りたい」と語った。(相澤冬樹)

◆「雪村ー常陸に生まれし遊歴の画僧」は2月15日(土)から4月6日(日)、水戸市緑町の県立博物館で開催。同館では33年ぶりに雪村の名作が全国から集まる。国重要文化財の「風濤(ふうとう)図」など100点以上を展示。入場料:一般690円、満70歳以上350円、小中高生・未就学児は無料。電話029-225-4425。【おことわり】本記事の内容は同展に直接関わるものではありません。

大学入学共通テスト始まる 「情報」加わり試験科目再編

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試験開始を待つ受験生たち=つくば市天王台=筑波大学

大学入学共通テストが18日、始まった。試験は19日まで2日間行われる。会場の一つ、筑波大(つくば市天王台)では、昨年より50人少ない6253人が受験を予定している。全国の志願者数は、昨年より約3200人多い49万5171人。県内では、昨年より約100人少ない1万2249人(男性6579人、女性5670人)が受験する予定だ。

現行の学習指導要領に対応した最初の試験で、今年から新たに情報リテラシーやプログラミングの基礎などを扱う「情報」が加わり、これまでの6教科30科目から、7教科21科目に再編された。既存の科目でも問題数が増えたり、試験時間が延長されるなど、昨年までと大きく変化している。初日は地理・歴史・公民、国語、外国語が、2日目は理科、数学、情報が行われる。

筑波大には、午前7時過ぎから受験生を送り届ける家族の車やバスなどが到着し始めた。つくば市ではこの日、最低気温がマイナス4度を記録。受験生たちの白い息を朝日が照らしていた。父親に車で送ってもらった利根町の野口明莉さんは「今日は5時に起きて準備した。全力でいきたい」と意気込みを語った。牛久市の丁村啓介さんは「少し緊張しているが、これまでの成果を発揮できるように頑張りたい」と気持ちを落ち着かせた。

インフルエンザ流行、無理せず追試験を

大学入試センターでは、インフルエンザが流行する中で体調がすぐれない場合は無理をせず、1月25日と26日に行われる追試験の受験を申請するよう呼び掛けている。追試験会場は、東日本(北海道、東北、関東、甲信越、静岡県)は東京都府中市の東京外語大学と、小金井市の東京農業大学。本試験で指定した試験場の地区に基づき、それぞれの会場で受験することができる。(柴田大輔)

昨年の花火大会、異常気象で明暗《見上げてごらん!》36

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2024年8月31日、大曲の花火・夜の部直前に観客席上空に現れた虹(筆者撮影)

【コラム・小泉裕司】「祈るばかりだったので、開催が決まってうれしい!」。昨年の「大曲の花火」は、開催日8月31日(土)の3日前、28日(水)午前9時に開催決定を発表した。台風10号が九州地方をゆっくりと北上、長時間にわたって大荒れ、秋雨前線が北日本に延び、東北や北海道など遠隔地にも記録的な大雨をもたらす予報の中で、台風のゆるい動きを見極めて決断をした。

冒頭の喜びの声は、地元紙「秋田魁新報」に掲載された日本花火鑑賞士会会長 間瀬基夫さんのコメント。大会当日、開始時には、準備した雨具に着替える瞬間もあったが、以後は、雨が上がり、湿気で煙が滞留し、見にくい作品もありつつも、競技は無事終了した。

大曲は「明」で土浦は「暗」?

昨年の土浦大会前日の11月1日(金)の予報によると、東日本では当日の2日から3日にかけて、台風21号から変わった温帯低気圧や前線の影響で24時間降水量は多いところで120ミリの大雨となる所がある見込みとのこと。

さらに雲底高度も低いとの予報が出され、安全な煙火消費および競技花火としての観覧環境が確保できないとの判断により中止となったことは、本コラム34「土浦の花火に思う」(11月17日〉のとおり。11月に台風が日本列島に接近するという近来まれな事態は、やはり異常気象と言わざるを得ないのだろう。

終了直後のゲリラ雷雨:神明花火

昨年8月7日(木)に開催した「神明の花火」(山梨県)は、打ち上げ数2万発、来場者数18万人、人気花火師が担当する花火大会に全国からファンが集う大会。当日の天気予報は、熱帯低気圧の影響で大気のバランスが不安定となり、夕方から夜になると激しいゲリラ雷雨が確実に発生すると予想。

そんな中、19時30分から打ち上げを開始、予定どおり21時に終了。直後、帰りを急ぐ観客をゲリラ雷雨が襲った。状況は、本コラム30「夏本番」(8月18日)をご覧いただきたい。

帰りの電車の立ち往生や公共施設への緊急一時避難など、全国ニュースで取り上げられるほど希少な経験をしたが、見事な花火を鑑賞した余韻は、今も脳裏に焼き付いていて、危機一髪な花火大会の開催を決断した主催者は、大いに安堵したことだろう。

打上げ20分前に中止決定:足立花火

昨年7月20日(土)午後7時20分打上予定、荒川河川敷を会場とする「足立の花火」は、雷雨のため午後7時に中止を発表、会場にはすでに約40万人が来場していた。開催を決定した当日朝の天気予報は、太平洋側に雨雲や雷雲、地上の気温が高い影響で大気の状態が不安定となり、足立区周辺を含む関東南部では急に雨が降るとあり、主催者は開催するかどうか逡巡したという。

決定後も、南にそれていく可能性もあるとの専門機関の情報を確認していたので、ただひたすら心の中で念じていたが、かなわなかったとのこと。

雷雨の中を帰路に着いた観客にとって、花火を見る事ができなかったのだから「暗」ということかも知れないが、足立の場合は、その後の観客ファーストのリスク対応があまりにも素晴らしかった。稲光を背景にケーブルテレビで中止の理由を説明する近藤やよい足立区長の頼もしい姿に感服した次第。

順延を期待する声もあったというが、順延しない理由を「約700人の警備員が従事するが、近年は警備業界の人員不足のため、警備員が減り、安全の確保が難しい状況」と説明。有料観覧席の全額払い戻しにかかる費用についても区の補正予算で対応したが、特に話題となることなく予算化が図られたと聞く。

ちなみに今年は、熱中症などの健康上のリスクや天候(風雨、雷、台風、気温など)による中止リスクがあることから、5月31日(土)に開催日程を変更した。

「順延・中止決定は2日前に」

昨年12月の土浦市議会定例会では、飲食店や小売店の損害が最小限になるよう、順延や中止の発表を、現在の「前日9時」から「2日前の早期」に変更できないかとの質問があった。

天気予報の精度が格段に高まっていることをその根拠にあげていたが、足立区の場合、ウェザーニュース(2024/7/20)では、夕立のような激しい土砂降りを予報しながらも、次の一文を付記した。「ひとつひとつの雨雲は小さいため、ちょうど上空を通過するかどうかは運次第」。

いずれにしても、主催者は、異常気象下での可否判断に苦悩しながらも、安全で魅力的な花火大会が開催できるよう、これからも最善の努力をされるに違いない。私は、その決定を、敬意を持って受け入れるのみ。

成人の日午前7時、複数個所で響いた5段雷花火が初花火。「ドーン パンパンパンパンパン」(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

落ち着きが無い=多動性から考える《看取り医者は見た!》34

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写真は筆者

【コラム・平野国美】多動性。教育の現場では「落ち着きが無い」と言われる子どもがいます。現代の基準には合わないかも知れませんが、歴史上の人物の行動パターンから、多動性ではないかと思われる英雄がいます。

ナポレオン。非常にエネルギッシュで、多くの戦闘や改革を迅速に進めました。彼の決断力や行動力は、現代の多動性に似ています。アッティラ。彼はフン族を率いて欧州を侵略、多くの戦闘を指揮しました。彼らの大胆な行動力は、多動性の特性に類似しています。

彼らの無駄なほどエネルギッシュな個性が、広範囲に移動しながら戦闘することを可能にしたのではないでしょうか。

アフリカに生まれた我々の先祖、ホモサピエンス。彼らのリーダーは砂漠を横断し、北欧、アジアへ。そのエネルギッシュな移動をリードしたのは、多動性の資質を授かった者だと思うのです。

進む先が地獄かも知れないのに歩き続ける彼らの姿は、最近、私がお会いする元研究者たち―今は患者さんとしてですが―の現役時代と重なります。実験の先にあるものが、成功なのか失敗なのかわからぬまま、突き進む姿です。そこには名誉欲など存在せず、好奇心のみがあったように思えるのです。

衝撃的なゴッホの行動特性

芸術に目を向けると、ゴッホが代表的存在です。多くの絵画を短期間で制作しましたが、その行動特性は衝動的でした。彼の創造力とエネルギーには、注意欠如・多動症(ADHD)の特性と一致する何かがあったように思います。しかし、現代風に言うところのコミュニケーション力や社会性はなかったようです。

子供のころ読んだ偉人伝や伝記には、彼らの少年時代の一風変わった性格や奇行が描かれていました。

これらの人物が多動性を持っていたかどうか、確証はありません。しかし、残された逸話などを手掛かりに考えると、その行動や特性が多動性に関連している可能性があります。ADHDにしても自閉スペクトラム症(ASD)にしても、特殊な条件や環境が設定されれば、抜群の能力が発揮される可能性があります。

私は仕事を通して、伝記に出てくるほどの人でなくても、多くの天才の老後生活を見ています。彼らから読み取れる物語は興味深いものがあります。(訪問診療医師)

ロボッツがN高グループなどと協定 つくばが縁

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協定書に調印した、茨城ロボッツ・スポーツエンターテインメントの川﨑社長( 左)と、日本財団ドワンゴ学園理事/角川ドワンゴ学園理事長の山中伸一さん

プロバスケットボールB1リーグの茨城ロボッツを運営する茨城ロボッツ・スポーツエンターテインメント(水戸市)は16日、通信制高校のN高(沖縄県うるま市)やS高(つくば市作谷)などN高グループを運営する角川ドワンゴ学園と、通信制大学「ZEN大学」設置者の日本財団ドワンゴ学園との3者で、スポーツと教育を推進する連携協定を締結した。バスケットボールを起点とした地域の発展と、次世代の人材育成などを目指す。

N高グループはN高とS高から成り、3万人超の生徒数を擁する国内最大の通信制高校で、今年は新たにR高を群馬県桐生市に開校する予定。ZEN大学は神奈川県逗子市に今年開学予定。いずれもインターネットを通じた学習だけでなく、企業や地域と連携したプロジェクト型学習や体験学習にも力を入れている。

茨城ロボッツの川崎篤之社長は「地域社会との向き合い方に、われわれと同じ強い思いを抱いていると感じた。ロボッツの創業地であるつくば市にS高の本校があるという縁も、協定締結の基盤になった」と話す。

具体的な連携事例としては、ロボッツが取り組む地域貢献活動に両学園の学生や生徒が参加したり、スポーツがもたらす地域活性化効果について学んだり、最新のテクノロジーを導入したスポーツ・エンターテインメントビジネスを模索したり、実際のスポーツや健康づくりの機会を提供するーなどが構想されている。

第1弾として現在、N高、S高などの生徒がロボッツの新ユニフォームをデザインする体験学習プログラムが進行中だ。ロボッツのスポンサーでもあるアパレルメーカーのアダストリアが協力し、5日間にわたる特別授業や試合観戦を経てコンテストが行われ、最優秀デザインは製品化され選手が実際に試合で着用する。

さらに来年4月には、ロボッツユース選手を対象にN高やS高などへの進学を支援する特別奨学生制度も始まる予定。学びの自由度が高い通信制のメリットを生かし、日中の練習やトップチームの練習への参加など、一般の高校生ではかなわない練習環境が得られ、プロを目指そうとする選手にとっては大きなアドバンテージとなるとする。

「これらの連携はBプレミア26チーム中でも他にないユニークな取り組み。面白い事例をたくさん育て、全国や世界へ展開していきたい」と川崎社長は構想する。(池田充雄)

元公邸料理人 岩坪貢範さん 筑波山麓にイタリア料理店オープン【ひと】

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岩坪貢範さん

筑波山麓の筑波山口(旧筑波鉄道筑波駅跡)近くに昨年10月、イタリア料理店「クラクラ」(CRACRA、つくば市筑波)がオープンした。白い洋風の店舗で、元公邸料理人の岩坪貢範(38)=いわつぼ・たかのり=さんがオーナー兼シェフを務める。

岩坪さんは2013年から10年間、つくば市国松出身の外交官、岡田誠司(68)さんの下で、カナダ、南スーダン、バチカンの在外日本大使館や総領事館の料理人を務めた。2年前、岡田さんのふるさと、筑波山麓に居を構え、筑波山地域の食材の豊かさや自然環境に魅せられ、昨秋、開業した。

店の外観

公邸料理人は、大使館や総領事館などで、公的会食業務に従事し高品質の料理を提供する料理人のこと。現地要人との会食など外交活動で重要な役割を担う。岩坪さんは2013-16年にカナダのバンクーバー総領事館、17-20年に南スーダンの大使館、20-23年にバチカンの大使館に勤務し、大使の家族の食事も作ってきた。2023年度には外務大臣から優秀公邸料理長の称号を受けた。

岩坪さんは「料理人として相手国の人々やその土地に合わせた料理を作るという稀有(けう)なキャリアを積むことができた」と振り返り、「岡田さんとはバンクーバーやバチカンで、プライベートで一緒に旅行をし、カナダのワイナリーや、リゾートにあるレストランなどで食事し大変刺激を受けた。イタリアでは北イタリアを中心に各都市を回り、イタリアの野菜、畜産、ワイナリーなど食文化を直に見ることができ、大変勉強になった。現在も岡田さんはクラクラを交流の場として使ってくれる一番身近なお客さん。今回の開業においても人脈も含めいろいろ助けられた」と語る。

店内

岩坪さんは富山県出身、調理科のある地元の高校を出て、卒業後は東京の調理専門学校で学んだ。19歳で神奈川県藤沢市のホテルに就職、21歳で東京のレストランに勤務し、日本食からフランス料理まで、オールラウンドに料理を学んだ。2013年公邸料理人の道に進み、さらに料理の腕を磨いた。

帰国後、筑波山麓に移り住み、レストラン開業に向けて更地から事業計画を練り、創業融資などを受け昨年ようやく開店にこぎつけた。クラクラはイタリア語でカエルの鳴き声ことを言い、筑波山のガマガエルにちなみこの名を使った。岩坪さんは「地元の食材を使った料理にこだわり、地元筑波山麓を大事にしていきたい」という。

ランチメニューの一部。(上段左から)前菜の生タコのカルパッチョ・メヒカリのセモリナ粉揚げ・ひよこ豆のポタージュ、自家製ハム、つくば地鶏とトマトのラグースパゲッティ、(下段左から)魚料理のスズキのポワレほうれん草添え・アサリのスープ仕立て、肉料理の県産秀麗豚の赤ワイン煮込み、デザートのホワイトチョコレートケーキ・キャラメルのジェラート添え

料理はランチメニューが2500円から4000円、ディナーは5000円から1万円で、前菜、自家製のハム、パン、パスタ、肉料理や魚料理などのコース料理を提供する。素材は岩坪さんが厳選したものだ。メニューは1週間ごとに変わり、定番メニューは作っていないという。

店内の広さは約100平方メートル、テーブル席が18席、カウンター席は2席で、完全予約制。立食形式なら25人は入れるという。現在は従業員を雇わず、厨房、接客、レジまで一人でこなす。絵心もあり、店のポストカードのイラストは自身が描く。

「この地域には地ビールや造り酒屋、ワイナリーがあり、連携していけたら良いと思う。何らかの形で地域にも貢献していきたい。料理もお客さんの要望にあわせたメニューも可能なので、気軽に相談してほしい」と語る。(榎田智司)

◆クラクラ(CRACRA)はつくば市筑波2696-3、営業時間は午前10時から、毎週火曜定休。電話(Fax)029-897-3680、メールは298CRACRA@gmail.com、ホームページはこちら。現在のところ予約のみ受け付けている。

清ちゃんの大八車《写真だいすき》36

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今は疲れ果てているが、大八車は仕事の仲間として大切にされていた。写真は筆者

【コラム・オダギ秀】突然、そのガタピシャの車を見たとき、ボクは懐かしさとうれしさで、うろたえてしまった。そのくらい、その大八車の印象というか思い出は強烈だった。大八車と言っても、今の人、特に若者には何のことかも分からないだろう。

要するに荷車だ。自動車なんてなかった時代、働くと言うことは、即肉体労働するというイメージであったころ、木で作られた大八車は、人間と一緒に働く仲間のような存在だった。物を動かし、動かすのを助け、動かす者を支える同僚のような存在だった。

ボクが田舎に住んでいた子どものころ、隣の集落の清(セイ)ちゃんがいつも引いてくる大八車は、まさにこのような荷車だった。

いい歳になっていた清ちゃんは、大八車をウチの庭先の柿の木の下に止めるとそこに腰を下ろし、弁当を食った。いつもそうしていたわけではなかろうが、なぜか、弁当を食う清ちゃんの記憶が今も鮮明に残っている。

ある日、清ちゃんは、大八車にくくりつけた手拭いのようなものを開き、中から団子のように丸まったケーキをくれた。仕事先でもらったのだそうだ。ボクは、「秀坊に」と清ちゃんがくれたケーキを妹と分けたが、あのケーキはうまかった。

息子に買ってもらった洗濯機

清ちゃんの弁当は、自分で作ったものだった。早くに奥さんを亡くした清ちゃんは、中学生の男の子と暮らしていて、その子の弁当も清ちゃんが作っていた。清ちゃんの弁当はうまそうには見えなかったが、ある時、頭の上の柿を採り弁当に載せると、「うまいぞ」とニコニコしながら食っていた。そばに、大八車があった。

ボクのウチが水戸から田舎の父の実家に引っ越したときには、清ちゃんが大八車を引いて家財を運んでくれた。清ちゃんはボクと妹も家財と一緒に大八車に載せ、一度も止まらずに田舎の家まで引いて行った。

清ちゃんの息子は、中学を出ると自動車の修理工場に就職した。清ちゃんはそれが自慢で、しばらくしたとき、息子が電気洗濯機を買ってくれたと、辺り中に吹聴した。息子は父親が洗濯するのをいつも見ていたに違いない。

で、ボクら家族は、清ちゃんの家に電気洗濯機なるものを見に行った。ボクのウチにはまだ電気洗濯機はなかった。清ちゃんは、電気洗濯機をたらいのように使い、その中で洗濯してみせた。うれしそうだった清ちゃんの顔を、ボクは今も覚えている。

ボクが大八車を見たとき、そんな思い出が突然湧き上がった。このガタピシャの大八車は、清ちゃんのに違いない。きっとそうだ。ボクはそう思ってカメラを向けた。(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)

松代公園の雪景色《ご近所スケッチ》14

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松代公園の雪景色

【コラム・川浪せつ子】松代公園(つくば市松代)の雪景色は2年前の1月にも掲載したのですが(23年1月20日掲載)、今回は反対側の児童館が見える方向で描いてみました。この公園は家からも近く、四季折々の移り変わりがステキな公園です。ですが、雪を写しながらのお散歩は1時間。とても寒く、連れ合いに連絡し、車で迎えに来てもらいました。

かつて、バスツアーで1人、飛騨高山、五箇山に雪の取材に行きました。その年は雪が少なく、とても残念でしたが…。今年の豪雪を思うと、雪の恐ろしさ、大変さ、お見舞い申し上げます。

話は変わりますが、つくば市周辺のことをもっと知りたいと思い、昨春から「X」を始めました。Facebookは以前からやっていますが、サイト内に「大好き!つくば」「つちうらが好き!」「各地から見える筑波山」などがあり、頻繁に見るようにしています。

つくば市周辺の食べ物店や風景を描くにあたって、自助努力だけではモーラできないと感じています。lnstagramも地域のアップはあるのですが、私の欲しい情報が少ないと感じています。ステキな風景画像はたくさんありますが、私が行けそうな場所がなかなかありません。

つくば市に住んで40数年

「X」の場合、近場の野菜青空市で安く買えた、近くにレストランがあったとか、取材できそうなネタがあります。しかし、つくば周辺の知らない風景、絵になる風景はあまりありません。

なぜか?「X」は登録している方が割と若い。また、つくばに引っ越してきた世代の方々は、仕事や育児などで忙しく、風景にまでたどり着いていないのかなぁ~と。でも若い世代の人が転居して来るって、うれしい! 周辺にはステキな公園があるので、楽しんで欲しいです。

つくば市の人口は26万人を超えました。そして、将来の天皇陛下候補様もつくば市に。茨城県、つくば市周辺の良さ、皆さんに知って欲しいなぁ。きっと、その良さを感じていただけると思います。誰も知った人がいなかった私が、40数年住んで言うのですもの。

そのためにも、この地の良さを発信すべく、これからも絵を描いていきたいと思います。(イラストレーター)

「足りてないこと数字で示したい」県試算につくば市長 県立高校不足問題

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記者会見する五十嵐立青市長=14日、つくば市役所

児童生徒数が増加しているつくば市で県立高校が不足している問題で、県教育庁が昨年10月「県立高校の今後の募集学級数・募集定員の見込みを試算」と題する資料を示し、「つくばエリア」(つくば、つくばみらい、守谷、常総市など)について「現時点では定員増が必要との判断に至ってない」とする方針を明らかにしたことについて(24年10月24日付25年1月12日付)、つくば市の五十嵐立青市長は14日の定例記者会見で「(県立高校が)足りてないことを(県に対し)数字で示したい」と述べ、市としてつくば市やつくばエリアの県立高校の学級増を引き続き県に要望し協議を続けていく姿勢を示した。

五十嵐市長が昨年12月23日、つくば市の県立高校の学級増などを求めている市民団体「つくば市の小中学生の高校進学を考える会」(片岡英明代表)と懇談したことに関し、記者の質問に答えて、改めて市の姿勢を示した。

同市の県立高校不足問題について五十嵐市長はこれまで、昨年9月に実施した2025年度の県予算編成にあたっての要望活動の際、大井川和彦知事に対し、市内にある県立竹園高校の定員を1学年2学級80人分、3学年で6学級分増やすための校舎増築費用4~5億円を市が負担すると提案したとしているほか、翌10月に実施された市長選で、市建設費負担による竹園高校の学級増を公約に掲げた。

つくば市竹園にある県立竹園高校

14日の会見で五十嵐市長は、昨年10月の県試算資料で記されたつくばエリアの状況分析について「実際にそもそも1時間というものが(通学時間の)基準として定められているが、(生徒の)通学時間をまず正確に把握し、正確なデータをもとに議論をすることが必要だと思っているので、それを市民団体と連携しながら進めていきたい」と話した。

その上で「(竹園高校の学級増という)私の公約は(増築校舎の)建設を県に提案したということだが、県としては『足りている』という認識が急に(昨年10月に)出てきたので、それに対し、足りていないということを数字できちんと示すことは大事だろうと思っている。これから実際の数字について(県と)お話をしていきたいと思っている」とした。

さらに「併せて県として今、定員割れしているところ(つくばサイエンス高と筑波高)は増員を進めているという話があったので、それについては今年の出願状況等をみてまた議論しましょうと知事と話をしているので、そういったことを継続して行っていきたい」と述べた。

この問題で市民団体は近く、県教育庁と懇談を予定している。(鈴木宏子)

➡昨年10月の県資料「県立高校の今後の募集学級数・募集定員の見込みを試算」はこちら

雨情とチャップリンとロッキー《映画探偵団》84

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イラストは筆者

【コラム・冠木新市】チョビひげと旅する人生の姿が重なる茨城県出身の詩人・野口雨情と映画監督チャ一リ一・チャップリンは、ほぼ同時代に活躍した芸術家である。日本公開年度は少しずれるが、チャップリンの『黄金狂時代』(1925)、『街の灯』(1931)、『モダンタイムス』(1936)、『独裁者』(1940)が作られたころ、雨情は全国を旅して新民謡を作っていた(映画探偵団31)。

『街の灯』では、放浪紳士が目の見えない花売り娘のために奮闘し、ボクシングの試合に挑む姿などが描かれる。ラストでは、貧しい放浪紳士と手術で目が見えるようになった花屋経営者の女性との再会が描かれる。貧富の差を逆手にとった皮肉の利いたハッピ一エンドが胸をうつ。

50年ほど前、無名ボクサーが世界チャンピオンに挑戦する姿を描いた、低予算で作られた映画『ロッキー』(1976)を見た。脚本・主演を務めたシルベスター・スタローンは、実際のボクシング試合を見て物語を発想したそうだが、私はこの作品の元ネタは『街の灯』だと思った。

ロッキーがペットショップの店員エイドリアンにほれて、世界チャンピオンとの戦いに最後までリングに立ち続ける話で、誰もが共感できるリアルな作品に仕上がっていた。ロッキーとエイドリアンがリング場で抱き合うラストは、テ一マ曲と相まって素直に感動したものである。

その後、『ロッキー2』(1979)、『ロッキー3』(1982)、『ロッキー4/炎の友情』(1985)、『ロッキー5/最後のドラマ』(1990)、『ロッキー・ザ・ファイナル』(2006)が作られた。50年近くたった今、ロッキー・シリーズを振り返ると、エキサイティングなボクシングシ一ンよりもロッキーの人間的な描写の方が印象強い。

チャンピオンの妻として強くなったエイドリアンの変貌ぶりにとまどうロッキー、試合に負けたロッキーが最期まで勝利を信じて亡くなるコーチを見送る場面、最愛の弟子に裏切られショックを受けるロッキー、親の七光りに悩む息子とそれを受け止めきれず親として悶々とするロッキーなどの方が思い浮かぶ。

シリーズ物の面白さはそこにある。時代の変化で印象が変わるのだ。私は青春映画の延長として見てきたが、現在の観客だと年を取った男がボクシングにこだわる物語にしか見えないのではなかろうか。そこが映画とともに歩んできた観客と後から見る客との違いではなかろうか。

茨城県の唄シリーズ

私はこれまで雨情さんの唄を独立した作品として、『筑波節』(1930)、『磯原節』(1932)、『水戸歩兵第二連隊歌』(1934)、『土浦小学校校歌』(1935)を見てきた。だが、雨情さんは、故郷に深い思い入れがあった人だ。これらの作品を茨城県の唄シリーズとして見たらどうなるだろうか。印象が変わらないだろうか。関連があるのではなかろうか。

『戦争は唄にはなりゃせんよ』と言っていた雨情さんが、なぜ『水戸歩兵第二連隊歌』を作ったのか。当然、軍歌にジャンル分けされるわけだが、ようやくその謎が解明できそうだ。なんとか1月25日のイベントに間にあった。私の中で、雨情とチャップリンとロッキーがつながった。

思わぬ発見をし、喜んでいる。雨情ファンよ、1月25日の「雨情からのメッセージⅢ 詩劇コンサート 」(山水亭)にご期待ください。サイコドン  ハ  トコヤンサノセ。(脚本家)

アメリカから福島原発事故を考える《邑から日本を見る》175

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『原発と民主主義』の読書会=茨城大学

【コラム・先﨑千尋】昨年12月16日、茨城大学図書館で見出しのテーマの講演会と読書会が開かれた。主催は同大人文社会学部市民共創教育センターで、市民と学生ら約50人が参加した。

第1部は、平野克弥『原発と民主主義―「放射能汚染」そして「国策」と闘う人たち』(解放出版社)の読書会。著者の平野さんはひたちなか市出身で、現在は米カリフォルニア大学ロサンゼルス校の歴史学教授。

1999年に東海村の核燃料施設JCOで臨界事故が起き、2011年には東京電力福島第1原発が大事故を起こした。平野さんはこの2つの事故から、平穏な日常を一瞬にして奪われた人々の声や言葉を拾い上げ、後世に伝えることを思いついた。そして「放射能や原発事故に向き合ってきた人たちが、日本の『民主主義』『地方自治』『故郷』『豊かさ』をどのように考えているのかを聞き出し、言葉にして『思想』として読者に伝えたい」と、本書を編んだ。

話者は、村上達也、小出裕章、武藤類子、鎌仲ひとみ、鈴木祐一、長谷川健一、馬場有、小林友子、崎山比早子、里見喜生の各氏。大部分は福島原発の近くに住んでいる人たちだ。それぞれが平野さんと、原発と地方自治、原発廃絶の闘い、絶望と冷静な怒り、住民なき復興など、経験、体験をもとに語っている。

本書を読んで分かったことは、「原子力エネルギー政策は民主主義の原則と根本的に相いれない。国策の最大の犠牲者は常に子ども、女性。原子力政策は、都市部の巨大消費を支えるために地方を犠牲にする構造をもつ。私たちはライフスタイルの転換が必要」など。

読書会では、原発に関心を持つ市民活動家の谷田部裕子さんや村上志保東海村議など、ひたちなか市や東海村などで活動する住民や議員が同書を分担して読み込み、重要だと思ったところ、みんなで議論したいことなどを報告し、参加者と話し合った。

原爆と原発は命に関わる問題

第2部は、平野さんの「アメリカから福島原発事故を考える」と題する講演会。

平野さんは「原発は、第2次世界大戦後の世界の覇権をめぐる資本主義国と共産主義国の競争と対立から生まれた。アメリカとソ連の冷戦時代には、度重なる核実験によりアメリカや太平洋諸島の先住民たちが被曝し、人体実験の対象にされた。戦争は『国策』、核エネルギー政策も『国策』だ。『国策』とは、国民の同意や審議という民主的な手続きを経ることなく、国家が『国益』という大義名分により主体となって行う政策を言う」と語った。

さらに「日本の原発政策は、広島・長崎の記憶を払拭(ふっしょく)させ、核を新たなエネルギーとして産み出し、利益を得ることを狙いとして考え、位置づけられた。原爆や原発により犠牲を強いられてきた人たちは被害者であり、一方で文明社会を謳歌(おうか)してきた点で加害者でもある。戦争(原爆)やエネルギー政策(原発)は人と自然の命の問題であり、市民である私たちは暮らしを守り、命を守り、人権を主張する。そのことによって本当の幸せが得られる」などと述べた。

日頃あまり考えてこなかった原発と民主主義の関係について、学ぶことが多い集まりだった。(元瓜連町長)

門出祝い「二十歳のつどい」 つくば、土浦 

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つくばカピオで旧友たちとの再会を喜ぶ参加者たち

成人の日を前に12日、つくば市と土浦市でそれぞれ20歳の門出を祝う「二十歳のつどい」が開かれた。つくば市はコロナ禍以来続く、式典参加を出身中学ごとに分けた午前・午後の2部制で催した。土浦市は市内のダンスチーム「モアナテア」がフラダンスやタヒチダンスを披露し、亀城太鼓保存会の和太鼓に合わせた共演も行われた。今年度20歳を迎えたのは、つくば市が昨年より135人多い2927人(男1595人、女1332人)、土浦市は7人少ない1348人(男女各674人)だった。

夢に向かって挑戦し続ける

「うわー!久しぶり!」「変わんないね!」

肌寒い曇り空の下、つくば市竹園、つくばカピオの屋外で式典の始まりを待つ新成人たちから、旧友との再会を喜ぶ明るい声が響く。

家族と会場を訪れた大学生の沢畠侑奈さん(20)は、朝7時から晴れ着の着付けに向かい式に臨んだ。現在は水戸市の大学で教員を目指して勉強に励んでいる。「将来はいろいろな人に寄り添える先生になりたい」と目標を語った。専門学生の森田創太さん(20)は市内の専門店ではかまを着付け、中学時代の部活の仲間と会場に足を運んだ。「やんちゃをしていた時期もあった。専門学校では機械設計を学んだ。就職も決まり、将来はいい家庭を築きたい」と思いを語った。

同級生と記念写真を撮る森田創太さん(前列左)=つくばカピオ前

式典では参加者を代表し齊藤言葉さんが「一人ひとりが持つ夢に向かって挑戦し続け、困難にぶつかっても決して諦めずに前を向いて歩いていきたい」と思いを述べた。

あいさつした五十嵐立青市長は、昨年宇宙飛行士に認定されたつくば市出身の諏訪誠さんによる「きのうの夢は今日の希望となり、明日の現実となる」という言葉を引きながら、「諏訪さんは落選を経験しながら46歳で夢を現実にした。自分を信じて進み続けることの可能性を身をもって示してくれた」とし、「皆さんが活躍する中で、いろんなことを言う人、アドバイスする人がいると思う。基本的にそんなものは聞かない方がいいと思う。アドバイスは一旦置いておいて、自分を信じて自分がやりたいことを反対されても貫いていくことが一番人生にとって価値がある。やりたいことを実現し、いつの日かつくばで生かしてくれることを楽しみにしている」と言葉を贈った。

自分の手で未来を切り拓く

クラフトホール土浦で式典の始まりを待つ参加者たち

土浦市では午後1時から、同市東真鍋町、クラフトシビックホール土浦(市民会館)でオープニングアトラクションが開かれ、2時から式典が始まった。

現在は東京都に暮らし千葉県の大学に通う関皓樹さん(19)は、久々の帰省を懐かしみながら「同窓会を楽しみにしてきた。大学では電気電子を学んでいて将来は技術職に就きたい。学生の今だからできることにチャレンジしていきたい」と話した。

式典で成人を代表して押雄大さんは、これまでに経験した東日本大震災やコロナ禍を踏まえて「当たり前だと思っていた生活が一瞬で変わってしまう経験を幾度も重ねてきたが、私たちはどんな困難に直面しても力強く立ち上がり、未来を見据える力強さを身につけてきた」と言い、「自分の手で未来を切り拓く覚悟を持つことが、これからの時代を生きる私たちの使命。一歩一歩、世界に新しい価値を届ける挑戦を続けていく」と決意を表した。

成人代表の押さん(右)から謝辞を受け取る安藤市長

安藤真理子市長は「みなさんは青春真っただ中の時期にコロナ禍を迎え、学校に行くな、誰にも会うな、外に出るなと言われてきた。ピンチをチャンスに変えて、コロナという大変な時期を乗り越えてきた人たち。これから土浦で仕事をし、家庭を持つこともあると思う。外に出て、全国、世界、宇宙で活躍する人もいると思う。皆さんが土浦で生まれ育ったこととを誇りに思って、土浦を離れても何かの時に戻ってきてほしい」とし、「自分の気持ちを周りにきちんと伝えることが大人。いろいろなことに感謝をできる人になってほしい」と話した。(柴田大輔)

つくばエリアの県立高、本来8学級増《竹林亭日乗》24

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今年元旦の筑波山

【コラム・片岡英明】茨城県教育委員会は昨年10月、2030年までの「県立高校の今後の募集学級数・募集定員の見込みを試算」を発表した。その試算1によると、30年の県全体の中学卒業生は24年に比べ2141人減少する。この中卒者減に対応して、県立高の定員を1480人(37学級分)減らすとしている。

今回の試算では、中卒者減に対する県立高の定員削減率は69.1%。減少する中卒者の7割に相当する県立高定員を減らすことになる。

県の試算は3学級増

県教育庁は県内を12エリアに分け、エリアごとの学級増減も示している。これによると、県全体では県立高定員が削減されるが、つくばエリアの中卒者は逆に477人増えることから、現在58の学級数を61にする。

つくばエリアの中卒者増に対する定員増加率は25.2%となっているが、県全体の中卒者減に対する定員削減率が69.1%であるならば、つくばエリアの県立高定員増加率も同様にすべきではないか。

つくばエリアの中卒者が477人増える(24年~30年)と推計すると、その中卒者増に見合う定員増は330人(中卒者増の69.1%)になる。ということは、本来8学級増を示すべきではないか。

本来8学級増なのに、なぜ3学級増なのか? 生徒が急増しているつくば市内には県立高が少なく、3学級しか増やせないと判断したのであろう。

竹園高には2学級増を

県教育庁が2019年に発表した「改革プラン」では、つくばエリアの中卒生は440人増加する(18年~26年)と推計していた。今回試算と同様に考えると、440人増には7学級増が必要だが、当時の学級数に2学級プラスした59学級に抑えられていた。

18年~30年、つくばエリアの中卒者は747人増える。この生徒増に合わせるには12学級増が必要となる。ところがその後、つくばエリアの学級は1学級しか増えていない(57学級→58学級)。改革プランと今回試算を合わせても、4学級増(57学級→61学級)に抑えられている。このことが、多くの小中学生の高校進学の悩みの元になっている。

この2年間、牛久栄進高の1学級増、筑波高の進学コース設置、サイエンス高の普通科設置など、県立高の定員問題は改善されている。しかし、中卒者増に学級増が追いついていない。つくばエリアの中卒生増に対応するために、2026年度には県立竹園高の学級を2つ増やしてほしい。(元高校教師、つくば市の小中学生の高校進学を考える会代表)

➡「県立高校の今後の募集学級数・募集定員の見込みを試算」はこちら

新たな産業用地候補地 2地区120haが重点促進区域に つくば市

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1月にも策定予定のつくば市都市計画マスタープラン立地適正化計画のエリアプラン案(パブリックコメントの資料より引用)。地図の中に産業集積拠点候補地が新たに4カ所盛り込まれる予定だ

市議会「地権者に説明が先」

工場や物流倉庫などが集積する新たな産業用地の創出を、つくば市が市内4カ所を候補地に検討している。昨年末、そのうちの市内2カ所、計約120ヘクタールが、地域未来投資促進法に基づく県の第2期圏央道沿線地域基本計画の重点促進区域となった。一方、候補地2カ所は現在いずれも市街化調整区域で、農地のほか山林や宅地も含まれ、地権者に説明すらされていない。昨年末開かれた同市議会12月会議では「地権者への説明が先」だとされ、市が12月補正予算案に計上していた1カ所の文化財試掘調査費約757万円が削除され、調査着手が延びることになった。

昨年末、新たに重点促進区域となった2カ所は高須賀地区(高須賀、上郷)74ヘクタールと、谷田部地区(同市谷田部、境松、房内)45.7ヘクタール。

経産省のホームページなどによると高須賀地区は、県道土浦坂東線に接し、今春、同市島名に新規開通する圏央道つくば西スマートICから約3キロに位置する。加えて特別高圧電力の供給が可能なことから、地域経済をけん引する事業を重点的に促進させることが適当だとする。一方すべてが市街化調整区域となっており、真瀬土地改良区の集団的農地を中心として農用地が37.4ヘクタールあり、農業従事者の実態、就業意向を把握し、兼業農家の安定的な就業に向けた取り組みの推進を図るーなどとしている。

谷田部地区は、県道谷田部藤代線に接し、谷田部IC(インターチェンジ)から約2キロに位置する。加えて特別高圧電力の供給が可能。一方、区域全体に第一種農地が10.4ヘクタール存在していることから、土地利用調整を行う場合は、農業従事者の実態や就業意向を把握し、兼業農家の安定的な就業に向けた取り組みの推進を図るーなどとしている。

市が候補地として検討している産業用地はほかに、筑波北部工業団地の西側とつくばテクノパーク豊里の南東側の2カ所。市は1月中にも策定予定の市都市計画マスタープラン立地適正化計画に、計4カ所を新たな産業集積拠点の候補地とすることを盛り込む方針だ。

長年の懸案

市立地推進室によると、市内には工業団地に空きが無く、産業用地が足りないことが長年の懸案だった。市は2016年度に市内全域を対象に産業用地可能性調査を実施し10カ所を候補地とした。2023年度にそのうち評価が高かった7カ所をさらに4カ所に絞り、市都市計画マスタープラン立地適正化計画案に盛り込んで昨年8~9月にパブリックコメントを実施した。今年1月中に開催予定の市都市計画審議会を経て、同計画に位置付ける。

併せて今回、4カ所の中で評価が高かった高須賀地区と谷田部地区の2カ所計約120ヘクタールについて、開発の際に手続きが簡略化されたり、税制優遇などを受けることができる地域未来投資促進法に基づく重点促進地域に申請し、12月末に経産省の同意を得た。

先行する高須賀と谷田部について市は昨年7月から、立地企業の業種検討、民間企業へのアンケート調査、土地利用方針図の作成のほか、下水道計画など必要資料を作成し、候補地の産業用地整備の事業化の可能性を検討するための基礎調査を実施中で、今年3月までにまとめる予定だ。

基礎調査と併せて市はさらに昨年の市議会12月会議に、2カ所のうち最も評価が高かった1カ所について、埋蔵文化財を試掘し文化財の範囲を確認するための調査費の計上を提案、文化財の調査に着手する予定だった。一方この間、地権者などへの説明は一切なかったことから、昨年末、市議会から「まず先に地権者に説明し同意を得ることがしかるべき順序。どこを試掘するかも明らかでない」(川村直子市議)などの意見が出て「待った」がかかった。

1カ所で地権者説明会開催へ

市立地推進室は今後、最も評価が高く埋蔵文化財調査に着手する予定だった1カ所を対象に、1月中に地権者説明会を開く予定だとし、近く地権者全員に通知を出したいとしている。昨年12月の議会で削除となった埋蔵文化財調査については、改めて議会に再提案する予定だ。開発手法などは、民間施行も含めて検討しており、市担当者は「まずは地権者の意向を聞きたい」としている。(鈴木宏子)