水曜日, 3月 12, 2025
ホーム ブログ ページ 4

死の間際に起こる「走馬灯現象」《看取り医者は見た!》36

3
写真は筆者

【コラム・平野国美】死を迎える瞬間に現れる「お見送り現象」について、前回(1月31日掲載)取り上げました。最期に現れる現象がもう一つあります。「走馬灯現象」と呼ばれているものです。人生最期の瞬間に、自分の過去の出来事などが次々と頭の中を駆け巡る現象で、日本の伝統的な灯籠「走馬灯」の中で影絵が回転して映し出される様子に似ていることから、こう名付けられました。

この現象は多くの人が報告しており、過去の回想、幼少期から現在までの出来事や経験が連続的にフラッシュバックするようです。特に強く残っている瞬間や印象的なシーンが浮かんでくると言われています。ただ通常時間の感覚とは異なり、数秒や数分の間に多くの記憶が高速で映し出されると言われています。

事故で意識を失った方、海で溺れた方が生還したとき、この走馬灯現象を話すことがあります。この現象の科学的な解釈は確立されていませんが、いくつかの仮説があります。

一つは、脳が酸素不足や他の生理的ストレス―例えば強い痛みや刺激を受けた際に起きるストレス―に反応して起こり、脳の海馬(かいば)や扁桃体(へんとうたい)といった感情や記憶を司る部分が関与していると考えられます。人生の総決算として、自分自身と向き合う瞬間とも言えるでしょう。

どのような記憶が浮かんでくるのかは人それぞれであり、その人の生きてきた証しが映し出される瞬間と考えられないでしょうか?

Near-Death Experience

海外では、走馬灯現象を「Life Review Experience」や「Near-Death Experience」の一部として報告されています。特に「Near-Death Experience」(NDE)で語られることが多く、死に近い状況に置かれた人々が「過去の出来事を非常に迅速かつ詳細に思い出す」ことです。NDEには、離脱体験(肉体から魂が離れる感覚)、過去の回想(走馬灯現象)などが含まれることがあります。文化や個人の信念によって異なる表現がされますが、基本的な体験内容は共通しています。

この文化や個人の信念と言われる表現は、欧米では「光に包まれた世界」と表現され、日本の「三途(ず)の川を渡る」といった表現は同じ現象と思われます。走馬灯現象でも「お見送り現象」同様、エンドルフィン、セロトニン、アドレナリン、ドーパミンといった脳内ホルモンが複雑に作用して引き起こされると考えられます。

海辺の病院で働いていたとき、海で溺れた方がこう話していました。「少し苦しいと思ったが、しばらくすると楽になり、頭の中を子供の頃の思い出が回り始めた。気が付いたら助けられていた。長い時間、夢を見ていたようだったが、溺れていた時間は数分だったと聞いて驚いた」。このような話は臨床の場で時々聞きます。(訪問診療医師)

自宅の車庫で夫にぶつけられた!《ハチドリ暮らし》46

3
写真は筆者

【コラム・山口京子】日常の暮らしのなかで、不意になにがしかの事故が起きることがあります。わが家の場合、車の事故を経験しました。夫が自宅の車庫に車を入れる際、なかなかバックでの切り返しがうまくできません。私が道路のわきに立ち、声掛けしていたところ、ハンドル操作を誤り、私にぶつかり、カーポートにぶつかって車が停止しました。

車にぶつけられた瞬間は衝撃だけで、痛みはありませんでした。車はカーポートと接触していて、右側の前後両方のドアがへこんでいます。運転できる状況ではないため、自動車保険についているサポートセンターに連絡し、レッカー車を手配してもらいました。次に保険会社に報告するように指示を受け、連絡すると事故の状況を聞かれます。ここで何回かのやりとりがありました。

2時間もしないうちにレッカー車が到着し、車を買った販売店に運んでもらいました。そのころには、自分の足の痛みがひどくなっています。近所の友人が整形外科クリニックに連れて行ってくれ、治療を受けレントゲンを撮りました。診断は左足の骨折。自宅療養で6週間が目安のようです。左足を固定し、鎮痛剤や抗生物質の薬をもらい帰宅しました。

友人のサポートに感謝

起きてしまったことは、取り返しがつきません。夫が車を運転するのは不安でしたし、自分は運転できないため、代車は断りました。翌日、保険会社から電話がありました。今回は自賠責保険の対象にはならないので、同保険からの補償はないとのこと。任意自動車保険から、ケガについては一定の補償があること。車両保険に入っていたので車の修理はされるが、等級が下がるとの説明を受けました。

しばらく車が使えない生活と足の治療が続きます。このとき助けられたことの一番は友人のサポートでした。友人は病院への送迎や買い出しを申し出てくれました。役に立ったのは、レトルトやフリーズドライの食品、缶詰、切り餅など、災害用に備蓄していた食品です。台所に立てないので、そのまま食べられるものや電子レンジで温めるだけの備蓄品があったことはラッキーでした。

家から歩いて行ける距離に食料品店があります。この際なので、夫に夕食を作ってほしいとお願いすると、この個人商店に通って買い物をするようになりました。痛いのと不便さを体験して、痛みなく歩けることのありがたさに気づかされています。(消費生活アドバイザー)

元旭天鵬ら豆まき 筑波山神社で年越祭

0
高さ3メートルの特設舞台から豆まきをする力士ら

11日は歌手の相川七瀬さん

筑波山神社(つくば市筑波、上野貞茂宮司)の年越祭が10日、筑波山中腹の同神社拝殿で催され、大相撲大島部屋の大島親方(元旭天鵬)ら力士が豆まきをし、福を求める参拝客や観光客でにぎわった。

年越祭は、拝殿でおはらいを受けた年男が福男となり、福豆とともにたくさんの福物をまき、1年の家内安全や商売繁盛、健康維持、厄よけなどを祈願する祭礼、「年男は万歳、年女は万歳」と境内を歩き、拝殿で儀礼のあと、豆まきを行う。本来旧暦の正月14日に行ってきたが、現在は毎年2月10日と11日の両日に行っている。

10日午後の豆まきには大島親方のほか、旭海雄(きょくかいゆう)、旭水野(きょくみずの)、旭将里(きょくしょうり)、旭天道(きょくてんどう)の5人の力士やつくば観光大使らが参加。高さ約3メートルの特設舞台から福豆や餅、菓子などをまき、参拝客らは歓声を上げながら手を伸ばして福物を取り合った。11日は歌手の相川七瀬さんも加わり豆まきを行うという。

手を伸ばして福豆や餅を拾う参拝客や観光客ら

千葉県銚子市からきた杉山一恵さん(40)は「友人たちと日帰りで筑波山登山にきた。今日は偶然、豆まきがあるとわかり参加した。お餅も拾えてラッキーだった。この運が今年ずっと続いたら良いと思う」と語った。

会場には「スリ注意」の看板が設置され、会場では「リュックを前掛けにする」などの対策をとるようアナウンスがあった。見回りにきた警察官は「豆まきの時にスリが何回かあった。隙を狙っている人がいるので充分気をつけて欲しい」と話していた。(榎田智司)

行方市で初の「焼き芋サミット」《邑から日本を見る》177

9
行方市で開かれた焼き芋サミット

【コラム・先﨑千尋】今は「第4次焼き芋ブーム」。2000年頃から続いている。その火付け役となったのは従来のツボ焼きや引き売りとは違うスーパーなどでの店頭販売だ。始めたのは、茨城県行方(なめがた)市にあるなめがた農協(現なめがたしおさい農協)。その行方市で1月17日に全国初の「焼き芋サミット」が開かれた。

主催したのは同市と実行委員会。沖縄から北海道まで全国から、焼き芋ファンや焼き芋業者、サツマイモ流通業者、加工業者、生産者、農協・自治体関係者、研究者など約200人が集まった。会場は同市宇崎の鹿行生涯学習センター「レイクエコー」。

同市は昨年11月に、市役所だけでなく、農協や生産者、流通業者などを加え、サツマイモに特化した官民連携の「行方市さつまいも課」を発足させた。同課は、サツマイモの商談やイベント開催など様々な問い合わせにワンチームとなって対応する。行方市の強みをかたちにしたもので、実在の課があるわけではない。事務局は市ブランド戦略課が担当している。

同市のサツマイモ生産金額は約90億円で、茨城県鉾田市、千葉県成田市に次いで全国で第3位(2022年)。栽培面積は約1000ヘクタール。

今回の焼き芋サミットは、さつまいも課発足後最初のプロジェクトで、焼き芋専門家やファンの交流・学びの場とすることが狙い。講演や事例紹介、トークセッションなど多彩なプログラムが用意された。

まず、農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)北海道農業センターの片山健二さんが、焼き芋はなぜ甘くなるのかについて品種改良の歴史を踏まえて説明し、あまはづき、ゆきこまち、ひめあずまなどの新品種や、海外輸出、寒冷地の北海道での作付けなど幅広い解説をした。

スーパー店頭でも販売

続いて、なめがたしおさい農協の金田富夫専務が、同農協でスーパー店舗内での焼き芋販売を始めた動機や苦労話、販売戦略、地域の農林水産物や食品を保護する農水省の地理的表示(GI)保護制度登録と、海外輸出、焼き芋販売戦略と地域活性化が評価され、日本農業賞と天皇杯を受賞したことなどを紹介した。

同農協は、焼き芋をスーパーで手ごろな値段で1年中おいしく販売できるスタイルを全国に先駆けて確立した。海外への輸出は17年から始め、タイ、カナダ、香港、シンガポールなどに輸出している。金田さんは話の中で「ただイモを販売するのではなく、イモに関する情報をイモに載せないとダメ」だと強調した。

同農協は、農家で生産されたサツマイモをキュアリング低温冷蔵庫で保管し、1年中いつでも甘くておいしい焼き芋を提供するため、サツマイモの特性を生かした品種リレー出荷を行っている。また、焼き芋マニュアルを作成し、味のばらつきがないように焼き方をマニュアル化し、品質の安定化を図っている。同農協の焼き芋が食べられる店舗は、現在では4000店以上に伸びている。

トークセッションでは、冷やし焼き芋の可能性やアフターコロナの焼き芋屋事情、新産地北海道の現状というテーマで、焼き芋屋や流通業者、青果市場担当者などが、冷やし焼き芋の現状と可能性、コロナ禍での休業、イベント出店、近況などを伝え、会場からも質問や意見などが出されて、さながら焼き芋交流会のようだった。

サミットの最後に、鈴木周也行方市長は「今回のサミットを契機に、焼き芋で多くの人とつながり、焼き芋の可能性を探り、国内だけでなく世界に向けて焼き芋文化を発信して、盛り上げていきたい」と抱負と決意を述べた。(元瓜連町長)

愚痴と恨み節のバレンタインデー《続・平熱日記》175

1
絵は筆者

【コラム・斉藤裕之】「チョコレートいくつもらった?」と聞かれて…。「ひとつ」は奥さんからが見え見えだし、「みっつ」は妙にリアル、「十」はうそっぽい、「ゼロ」は…。バレンタインデーについて私が何か書くとなると、当然、愚痴や恨み節のようになるのはご容赦願いたい。

そもそも、この国ではクリスマスにしろ、バレンタインデーにしろ、「愛」という概念(?)をラブラブと勘違いしてしまったから面倒くさいことになってしまった。

2月14日。学校が何となく色めき立つ日。心なしか、校内にあま~い匂いが漂っているような。そして、大方の男子にとっては憂鬱(ゆううつ)な日でもある。イケメンと呼ばれる星の下に生まれない限り、そうやすやすとチョコレートなぞもらえるはずもない。

かく言う私も、収穫ゼロの人生を歩んできたわけだが…。長らく、この女子がチョコレートを持って右往左往する日を何とかしてほしいと思っていた(本気の方々には思いが届くことを願っています)。

しかし、一時の凶器にも近いチョコレート送り合戦は収まったようだが、今度は自分にご褒美などと訳の分からないことを言い出し始めて…。結構なお値段のチョコレートに驚くやら、いまや中学生の日常会話にベルギーの高級チョコレートの名前が違和感なく出てくる国もどうかと思うが…。

「トブラローネ」という名のチョコ

というか、このところの不作でカカオの高騰がニュースになっていて、チョコレート会社も四苦八苦しているとか。また、カカオをめぐっては児童労働や森林の伐採などが問題となっているそうで、チョコレートを取り巻く状況は甘くはないようだ。

ところで、つい先日のこと。舶来の食品を使う店で「トブラローネ」というチョコレートを手に取った。このチョコには思い出があって、親父がパチンコの景品に持ち帰っていたのか、たまたまうちにあって、子供のころからこの三角柱のチョコにはなじみがあった。

それからしばらく、このチョコを口にすることはなかったのだが、パリにいたときに親しかったスウェーデン人の女性画家がこのチョコレートのことを「トッブラローネ!」と独特のアクセントで呼んだのを聞いて名前を知ることとなり、それ以来見かけると買ってしまう。

しかし、結構いい値段だな…少しためらったが、ミニサイズがいっぱい入っている袋を買ってみた。トブラローネは3種類の味があって、黒、クリーム、白色の包装になっている。その独特の三角形の連なった形を、改めてこれはスイスの山の形か?と思いつつ絵に描いてみることにした。

「チョコいくつもらった?」「愛は数ではないのだよ」と言いたいところだが…。「先生お返し期待しているね!」に「愛とは見返りを求めないものだよ」とも言ってやりたいのだが…。いつか本気のチョコレートを手渡す日がくるよ…。

描き終えたチョコを口に入れた。私はやっぱりクリーム色のヤツが好きだ。(画家)

10日早く開幕、開花は1週間遅れ 筑波山梅まつり

0
平年並みの寒さでまだ見頃が続くロウバイの前でポーズをとるつくば観光大使の(左から)宮本真里さん、仲条佑佳さん、友部穂乃歌さん、兵藤大地さん、 針谷美樹さん、宮本真理子さん

第52回筑波山梅まつりが8日、筑波山中腹の筑波山梅林(つくば市沼田)で始まった。温暖化で開花が早まっていることから今年は開幕を例年より10日ほど早めた。しかし今年の冬は平年並みの寒さとなり、開花は昨年より1週間ほど遅れているという。

現在、早咲きの紅梅は3分咲き、白梅はまだつぼみで、一輪また一輪とほころびが見られる程度。見頃は3月に入ってからになるとみられる。1月中旬ごろ満開となったロウバイはまだ見頃が続いている(1月24日付)。今年の開花状況を見て関係者は「(梅まつりの)開催時期は難しい」と話す。

ようやく見つかった白梅

筑波山神社による神事の後、関係者約60人が参加し開園式が催された。筑波山梅まつり実行委員会の神谷大蔵委員長は「梅林の魅力は関東平野が一望でき、天気が良ければ富士山やスカイツリーなども見ることが出来る。展望台に上がると梅の香りが下から上がってくるのが感じられる」とあいさつし「新たな試みとして、知名度を上げるため、在住3年以内の市民にモニターツアーを募集したところ3倍ものの応募があった」などと話した。開園式には五十嵐立青つくば市長、黒田健祐市議会議長、青山大人、国光あやの衆議院議員らが出席した。

開園式の神事の様子

梅まつり期間中、つくば観光大使のお出迎え、がまの油売り口上実演、梅林の上を横断する100メートルジップスライドなどのイベントがあり、つくば観光ランティアガイド298が園内を案内する。おもてなし館では筑波山梅林の梅シロップを使った「梅Café」、周辺店舗では梅を使った期間限定メニュー「つくばの梅(うめ~)食」などのグルメも用意される。周遊企画として梅の香りが楽しめる「梅和香」が開催され、梅アロマが筑波山ケーブルカー、筑波山京成ホテル、はつね、神田家、日升庵、いでむら、江戸屋、神橋亭、梅林おみやげ館などに置かれ楽しむことができる。

また筑波山ケーブルカーの緑色車両は「梅の花」仕様に彩られ、ヘッドマークも限定デザインになる。ケーブルカーを運行する筑波観光鉄道の枝村誠社長は「梅まつりの開催が例年より早くなったが、良いことだと思う。これからどんどんいろんな花が咲き始めるという楽しみがある。筑波山ケーブルカーも内装を替えたりし、筑波山観光がさらに盛り上がるよう協力していきたい」と語った。

筑波山梅林は標高約250メートル付近にあり、中腹の斜面に広がる4.5ヘクタールの園内には約1000本の白梅や紅梅がある。梅まつりは3月9日まで催される。(榎田智司)

「土浦の雛まつり」始まる 商店街100店 まち彩る

7
訪れる見学者に作品を解説する「松翠会」の小嶋さん(左)

20回目の開催

今年で20回目を迎える「土浦の雛(ひな)まつり」(市観光協会主催)が4日から、土浦駅西口近くの商店街などで始まった。3月3日まで開催される。目印となるピンクののぼりを立てた約100カ所の商店や公共施設に、趣の異なるひな人形が飾られている。最初の週末を迎えた8日、イベントの中心地となる旧水戸街道沿いの宿場町、中城通り(土浦市中央)には、展示会場を記した地図を手にする観光客が、城下町の趣を残す路地を行き交っていた。

江戸時代に建てられた商家などが点在する中城通り。展示会場の中心となる

第1回から欠かさず参加

中城通りの空き店舗を利用し、手製のつるしびなやひな人形など、色とりどりの作品数百点を展示するのは、古布を使った細工を楽しむ同好会「松翠会」(会主・小嶋幸子さん)。毎月2回、市内の公民館に会員が集まり、古布を生かした作品制作をしている。「土浦の雛まつり」には第1回から欠かさず参加してきた。会を主宰する小嶋さんは「作品は会員同士でアイディアを出し合い作ったもの。時間をかけて丁寧に作ることを心掛けている。毎年、ここで展示するのが活動の励み。ぜひみんなの力作を見てほしい」と、思いを込める。

中城通りの「野村」に展示されている、はすの花たくを用いた「霞蓮雛(かれんびな)」

江戸後期に建てられた呉服店の蔵を改築した観光拠点「土浦まちかど蔵・大蔵」には、江戸時代後期から明治にかけて江戸で活躍した人形師、3代目仲秀英の作品のほか、十二支をモチーフにしたものや、土浦のご当地キャラクター「つちまる」「キララちゃん」の創作びななどが展示されている。「大蔵」の向かいにある、江戸後期から明治に建てられた「まちかど蔵・野村」では、土浦の特産品であるハスの花托(かたく)部分で作った「霞蓮雛(かれんびな)」や、霞ケ浦でとれたタニシを用いた「かすみ人形」が展示されている。

霞ケ浦でとれたタニシを用いた「かすみ人形」

市観光協会の浅川善信さんは「江戸から明治、現在にかけて作られた、さまざまなひな人形が展示されている。会場を巡りながら歴史ある土浦の街を知るきっかけになるとともに、それぞれのお気に入りのひな人形に出会ってもらえたら」と来訪を呼び掛ける。(柴田大輔)

◆「第20回土浦の雛まつり」は、同市中央1丁目の土浦まちかど蔵「大徳」「野村」など中城通りを中心に3月3日(月)まで開催。期間中、協賛イベントとして「大徳」で野菜市(2月15日、22日、3月1日)、土浦まちかど蔵駐車場でキッチンカーの出店(2月24日、3月1日)、矢口家住宅前(同市中央)でおしるこの無料配布(2月23日、3月2日)。3月1日まで上高津貝塚ふるさと歴史の広場・考古資料館(同市上高津)では、企画展「縄文ファッションのお雛さま・縄文土偶のお雛さまの展示」が開かれる。その他、期間限定メニューを提供する飲食店、市内4カ所をまわる「デジタルスタンプラリー」も開催される。2月22日から3月2日にかけての土・日曜、祝日には、無料で乗車できる7人乗りの電気自動車「グリーンスローモビリティ」が、土浦まちかど蔵と市立博物館の間を1日10回往復する。

電子顕微鏡開発のルーツ「DA-1」がたどった道 日本電子 創立75周年

0
日本電子本社の開発館に設置されているDA-1

【PR】電子顕微鏡などの理科学計測機器メーカー、日本電子(JEOL、本社東京都昭島市、大井泉社長)が昨年、創立75周年を迎えた。同社の創立メンバーが1947年に初めて開発に成功し商品化したのが電子顕微鏡「DA-1」だ。本社の開発館には貴重な1台が鎮座している。開発館のDA-1は1975年11月に茨城大学から譲り受けた。それまでどのような歴史をたどってきたのだろうか。今回、経緯の一部が明らかになった。

DA-1 茨城大学へ

茨城大学にDA-1が搬入されたのは1951年のこと。当時のことを茨城大学工学部同窓会 多賀工業会の稲見隆 事務長(2023年取材当時)に確認してもらったが、詳細は残されていなかった。

浦尾亮一名誉教授

ではどのような経緯で茨城大学に設置されたのだろうか。取材班はDA-1を知っているという同大工学部の浦尾亮一 名誉教授(86歳、2023年取材当時)からお話しを伺うことができた。DA-1が設置された1951年にはまだ茨城大学に着任されていないので、当時の様子は周囲から聞いた話も含まれている。

当時の写真に目を通す浦尾氏

「金属材料の研究をしていた千早正氏を茨城大学工学部に迎えるにあたり、1951年当時の工学部長、都崎雅之助 教授(後に第5代同大学長)が、先端機器である電子顕微鏡が設置されていないことは研究遂行上、問題であると言って茂原に連絡をし、DA-1を調達したと聞いています」(浦尾氏)。茂原とは、千葉県茂原にあった日本電子の前身にあたる電子科学研究所のことだろう。

特別な電子顕微鏡

茨城大学に設置されたDA-1を使っていたのはもっぱら千早氏だった。だが浦尾氏が着任したころにはほとんど使われなくなっていた。教授となっていた千早氏は工学部長も務めるようになり、DA-1のある部屋や実験室から遠く離れた学部長室で執務することが多くなっていたという事情もあるのだろう。

かつてDA-1が設置された茨城大学工学部の建物外観。内観ともに改修されている

浦尾氏が着任すると、待っていたのは忙しくなった千早教授の代わりに実験室の面倒を見る仕事だった。そこで数回だけDA-1を操作したことがあったという。利用回数が少ない理由は「もっぱら千早先生が使う装置だ」という遠慮と、すでに”古い部類”になってしまった装置の不安定さが要因のようだ。安定稼働させるために電源として蓄電池が用意されていて、日中から午後11時近くまで充電する。その後、観察を始めるのだが、稼働できたのは2時間程度だったという。

千早教授は時々、学部長室を出て実験室に来ることがあった。そして浦尾氏らと話をしてまた学部長室に戻っていく。話の内容は実験の進ちょくだったり雑談だったりで、DA-1の話をすることもあった。千早教授は茨城大学の装置は極めて初期に作られた1台という話をしていたという。

かつてDA-1が設置された場所

DA-1 発見

DA-1を調整する芦沼寛一

1975年7月10日、一人の営業担当者が茨城大学を訪れた。日本電子に入社して2年目の渡邊愼一(現・顧問)である。

当時茨城大学の工学部は日本電子のユーザーではなかった。アウェイを覚悟で訪問したのだが、思いのほか歓迎された。「いいものがある」と倉庫に案内されると、そこには話に聞いたことのあった古い電子顕微鏡が保管されていた。日本電子の社員が現存するDA-1を見つけた瞬間である。

ただ、入社して間もない渡邊にとっては本物かも区別がつかない代物であった。そこでDA-1の設計者の一人である芦沼寛一に後日、確認してもらった。芦沼は感慨もひとしおだったようだ。なにせ28年前に苦労して完成させたDA-1の姿がそこにあったのだから。

それから誰からともなく「茨城大のDA-1を日本電子に戻せないか」という声が上がるまで時間はかからなかった。

DA-1 日本電子へ

DA-1を譲り受ける話し合いのため、渡邊らは1975年9月17日に茨城大学を再訪する。そして同年10月20日。引き渡しが行われ、DA-1は本社開発館へ設置された。

以来、今日までこのDA-1は、芦沼と同じく設計者の一人である伊藤一夫による「設計ノート」と、日本電子の創業者である風戸健二がこの顕微鏡を作るきっかけとなった黒岩大助著「電子顕微鏡」とともに開発館ショーケースの中に保管され、世界中から訪れるユーザーを出迎えている。

「透過型電子顕微鏡 DA-1とその設計ノート」は、2010年秋に国立科学博物館より「重要科学技術史. 資料(未来技術遺産)」に登録された。また2012年秋には社団法人日本分析機器工業会(JAIMA)と一般社団法人日本科学機器協会(JSIA)が合同で創設した「分析機器・科学機器遺産認定」にも選定されている。

極微の世界と科学の発展

日本電子創業者 風戸健二

以下は風戸の言葉である。

「今や日本は、アメリカとともに高級理科学機器の世界の大国となって、成果の出るのはこれからであろうが、日本の青年を信頼し、青年に頼って立国の大業の成ることを期して待とうではないか!彼らに、我々の遺伝子が伝えられていることを信じて!」

当時まだ見ぬ未来の日本電子社員に向けて発信されたであろうこの一文は色あせることなく受け継がれ、日本電子は今日も世界初・世界最高技術への挑戦を続けている。

創業117周年を盛大に祝う 関彰商事

4
あいさつする関正樹社長

関彰商事(本社筑西市・つくば市、関正樹社長)は6日、つくば国際会議場(つくば市竹園)のLeo Esakiメインホールに出席者333人を集め、創業117周年記念式典を開催した。永年勤続表彰や優良社員表彰などにより功績のあった社員に報いたほか、記念講演では筑波大学の永田恭介学長が登壇した。

今年は関彰商事の創業117周年に当たるほか、福島県進出110周年でもあることから、記念式典では福島における同社の軌跡もビデオにまとめて上映した。漁船の燃料不足で困った人たちを助けるため、創業者の故・関彰氏が新潟や秋田の産地まで出向いて石油をかき集めた話や、東日本大震災のとき被災地のいわき市内へいち早く燃料油を供給した話なども紹介。ビデオの後で関社長は「過去を知った上で、今の時代に自分たちが何をできるかを考え、新しい世代が新しいわが社をつくっていってほしい」と社員に向けてエールを送った。

記念講演する筑波大の永田学長

式典終了後は、筑波大学の永田恭介学長が「朋出贔案奉社好:友とともにアイデアを生み、会社を発展させる」と題し講演した。タイトル前半の漢文めいた部分は「ボーイズビーアンビシャス」と読み、実はこちらが講演の主要テーマ。自身がポスドクとして単身ニューヨークに渡ったときのエピソードなどを紹介し、「人は自分がやってきたものの上でしか何かを成し得ない。将来何かをつくっていこうとするなら、いままでの知識や経験が通じないようなゼロベースのところで苦労してくることも必要。全く考えたことも見たこともないようなことに出合わないと、やっぱり人はなかなか成長できない」と、外へ出て見聞を広めることの重要性を語った。

アスリート社員の西願寺さんが表彰

特別表彰では、グリーントランスフォーメーション部GX1課の西願寺哲平さんの業績が称えられた。昨年10月に佐賀市で行われた国民スポーツ大会の柔道成年男子種目で、茨城県チームの次鋒として出場。決勝までの4試合で3勝を挙げ、準優勝の立役者となった。また業務では、大手商業施設との取引を任され、111店舗もの契約を獲得したことが評価された。

特別表彰を受けた西願寺さん(左)

西願寺さんは東京都出身、埼玉栄高から筑波大を経て、現在は関彰商事入社2年目。24歳。競技での目標は日本代表に復帰し、世界選手権やオリンピックに出場すること。「当社アスリート社員の中でも営業職は珍しく、部内の先輩方の理解を得て、練習と仕事で時間をやりくりしながら、タイトなスケジュールの中でやり遂げることができた。自分の場合は業務をしながら勝つことに意義があると思う。今後も両立しながら結果を残していきたい」と話す。(池田充雄)

こどもとゲームをするということ《ことばのおはなし》78

0
写真は筆者

【コラム・山口絹記】最近、こどもとテレビゲームをするようになった。正確には、2人でコントローラを握って遊ぶわけではなくて、こどもがゲームをやっているのを横で眺めている。どうしようもなく行き詰まったときだけ、協力することにしている。

ゲームと一口に言っても様々な種類があるが、こどもがやっているのはストーリーのあるアクションロールプレイングというジャンルだ。ゲームの世界の中で様々な他者と交流、協力をし、目的のために戦闘をしながらストーリーを進めていく。

ゲームのプレイングというものには、その人それぞれの性格や感性、行動規範のようなものが垣間見える。常に様々な選択を迫られる中で、どういった判断を下していくかというのが見えるという意味で、こどもがゲームをプレイしているのを眺めているのは存外に楽しいものなのだということに気が付いた。

こどもが見せる様々な一面

普段、こどもと私も、親子というある意味でのクローズドなロールを無意識に演じているわけだが、ゲームの中ではこどもは多くの他者と関りを持っていく。一緒に過ごす時間が小さい頃よりも短くなった中で、こどもの見せる様々な一面には驚かされることが多い。

ストーリーをどう解釈して、何に疑問を持ち、どういった選択をするのか。どういったことに慎重で、どんなことには大胆に挑むのか。意外な知識を持っていたり、思いのほか深い理解をしていたり、私とは全く違うストーリー解釈にうならされることもある。

自分のこどもが成長していくということは、こどもが私の知らない人たちと交流して、私の知らない物語を知り、違うものが好きになっていくということなのだろうと思う。お互いに理解できないこともどんどん増えるのだろうけど、それは、なんだかとても素晴らしいことに思えるのだ。(言語研究者)

地域の歴史知るきっかけに 「土浦八景」「垂松亭八景」の案内板設置

0
土浦駅西口駅前広場に設置された土浦八景の案内板

土浦ロータリークラブ

江戸時代末期、土浦城下で活躍する町人が、城下にある風光明媚な八つの場所を選んだ「土浦八景」と、土浦藩4代藩主、土屋篤直が1752年に選定した「垂松亭(すいしょうてい)八景」の場所を記す二つの案内板を、土浦ロータリークラブ(原田博夫会長)が製作し昨年12月、それぞれ土浦駅西口駅前広場の交番横と、同市小松にある小松二十三夜尊敷地内に設置した。5日、土浦八景案内板の寄贈・目録贈呈式が土浦市役所で開かれ、原田会長が安藤真理子市長に目録を贈呈した(1月26日付)。

案内板はアルミ複合板製で、それぞれ高さ2メートル、幅1メートル40センチ。表面は土浦市の地図に八景の場所が指し示されている。裏面は、同市立博物館が監修したそれぞれにまつわる歴史が書き込まれている。

「土浦八景」は、幕末期に当時の土浦城下で文化活動をする5人の町人が選んだ。霞ケ浦をはじめ、桜川に架かる水戸街道の銭亀橋から、土浦城北門までの間にある市内の名勝地8カ所が選ばれている。選んだのは、土浦城下で薬種業や醤油醸造業を営んだ国学者の色川三中、折りたたみ式の地球儀を作ったことで知られる市内出身の地理学者、沼尻墨僊、同市神龍寺住職の如蓮らで、和歌や漢詩、俳句の題材として用いられていた。

垂松亭八景の案内板が置かれた小松二十三夜尊(土浦市小松)。敷地からは、土浦市街が一望できる

「垂松亭八景」は、土浦八景が選定される約100年前に、旧小松村の高台に「垂松亭」と名付けた小さな庵を置いた土浦藩主・土屋篤直が、そこから見える八つの場所を選んだものだ。

同クラブ会長の原田さんは「2023年12月、土浦市が作成した、地域に残る歴史的な街並みを維持・向上させるための計画が『歴史的風致維持向上計画』として国に認定されている。江戸末期に選定された『土浦八景』を巡ることで、江戸から現代にかけて土浦の時代変遷を感じることができると思う。自転車で回る人にも見てもらいたいし、歩く人にも、是非市内を歩くための目標ポイントにしてもらいたい」と思いを寄せた。

安藤市長に目録を贈呈する土浦ロータリークラブの原田会長(左)

土浦八景案内板の寄贈を受けた土浦市の安藤真理子市長は「案内板が置かれた駅前は、高校生など若者がたくさん集まる場所。選ばれている場所を知らない人も多いはず。是非、多くの市民に見ていただきたい」と話し、訪れる外国人観光客に対しては「土浦は台湾の台南市と友好都市を結ぶなど、中国や台湾をはじめ、多くの外国人観光客が訪れている。今後さらに土浦を知る大きなきっかけになればと思う」と、今後への期待を込めた。(柴田大輔)

つくばから世界へ チアリーディング2チームが世界選手権に挑戦

4
つくばから世界選手権大会に出場する「つくばオールスターチア」(左)と「「フェニックス チアリーダーズ」の選手ら

5月に米国で開催されるクラブチーム対抗の世界大会、チアリーディング世界選手権大会「ザ・サミット2025」に、つくば市内で活動する小学生から高校生までの2チームが出場する。同市二の宮を拠点に活動する「つくばオールスターチア」(奥寺由紀代表)と、みどりの南の「フェニックス チアリーダーズ」(横田久美子代表)だ。大会を前に、2チームとも練習に熱が入る。

2度目の出場 つくばオールスターチア

世界選手権に向けて練習に励む「つくばオールスターチア」のトップチーム

「つくばオールスターチア」は2023年に次いで2度目の出場となる。トップチームメンバーは小学5年から高校2年まで19人。そのうち8人が2年前にも世界の舞台を経験した。今年は新たなメンバーを加え、8位だった2年前を上回るさらなる上位入賞を目指す。

筑波大出身で団体代表を務める奥寺由紀さんが2004年にチームを創設した。奥寺さんは同大学院修士課程でスポーツ健康科学を学び、修了後、チアリーディングの本場、米オレゴン州立大学に留学した。帰国後つくばで教室を開き、2009年に日本初のチアリーディング専用ジムを開設したパイオニアだ。

「子育ての一環として、楽しみながら子供たちの成長を助けることができれば」と2003年にチアリーディング教室をスタートさせたのが始まり。現在、県内外の4歳から大学生まで220人が専用ジムに通う。一般クラスの生徒たちは筋トレなどの基礎トレーニングや組体操、床運動などの練習を通して体力をつけ、地域のイベントや祭り、スポーツ大会などにも出演して演技を披露し、観客や選手を応援し励まし元気づける。

世界に挑むトップチームのコーチは、つくばオールスターチア1期生で米国オレゴン州立大チアリーダー出身の井出華絵さんだ。演技指導のほか、選手に合わせた振り付けや演技の構成も指導する。選手は現在、週3回のチーム練習を重ねる。

今年のトップチームについて井出コーチは「まじめで、チアのことをよく考えて研究し、上手になろうと熱い気持ちをもって練習している子が多い」と話し、「大会では、上手な演技にとどまらず、見る人が感動や元気をもらえるような演技ができたら」という。

キャプテンで土浦三高1年の鈴木亜弥奈さん(16)は「今までの練習の成果を発揮し、自分たちの納得する演技を世界に見てほしい」と意気込みを話す。

5月の世界選手権大会を前に、選手たちは今月9日に国内大会の予選に出場する。決勝は3月30日に行われ全国優勝を目指している。

念願の出場権 フェニックス チアリーダーズ

世界大会に向けて練習に打ち込む「フェニックス チアリーダーズ」の選手たち

「ゴー フェニックス! ジャスト ドゥ イット!」

全体練習を前に選手たちの掛け声が会場に響く。円陣を組むのは、つくば市みどりの南を拠点に活動するチアリーディングチーム「フェニックス チアリーダーズ」の選抜メンバー16人。ユニティというチーム名で、5月に開催される世界大会へ向けて、練習に熱を込める。

フェニックス チアリーダーズは2016年につくば市で生まれたクラブチーム。同市みどりの南にある専用練習場、ニューバランスアリーナで練習を積んでいる。現在、3歳から高校生・大人のクラスまで全部で70人ほどの生徒を抱える。当初は5人から始まり、設立8年目を迎えた昨年11月に開催された国内大会で2位を獲得し、念願の世界大会「ザ・サミット」への出場権を得た。

クラブチームを立ち上げた同団体代表でヘッドコーチの横田久美子さんは競技の魅力を「人を応援し、励まし、元気づけるスポーツ」だと言い、「『スタンツ(組体操)』や『タンブリング(床運動)』など華やかで高度な技が見る人を魅了するが、技の後ろに選手が積み上げた多くの努力がある。ここに至る過程も感じられる演技をすることで、見る人が元気になる演技をしたい」と言い、「子ども達にとって一生に一度あるかないかの経験。ただ出るのではなく、これまでのプロセスや本番に臨むメンタルが人生の糧になるはず。彼女らと時間を一緒に過ごせるのは私にとっても幸せなこと」と夢の舞台への思いを語る。

キャプテンの柴原あかりさん(14)は「(世界大会出場が)決まった時は、夢の舞台に立てるとうれしさが込み上げた。本番ではこれまでの練習の成果を発揮して、みんなの気持ちを一つにし、いい演技をしたい」と意気込みを語った。

チアの聖地で開催

世界選手権大会は、世界各地で行われる予選大会を経て出場権を獲得したクラブチームによるもので、チアリ―デングの聖地、米国フロリダ州オーランドにあるディズニーワールドリゾートで開かれる。2チームは小学6年から高校1年などが対象となる16歳以下の部に出演する。1チーム16人以上で構成するのが条件で、2分30秒の競技時間内に音楽に合わせて繰り出す技の完成度や美しさなどを競い合う。演技中の表情や声も重要な審査の対象になる。(鈴木宏子、柴田大輔)

◆つくばオールスターチアは世界大会出場のサポーターを募っている。詳しくはチームの公式サイトへ。フェニックス チアリーダーズは、大会に参加するため選手16人、コーチ3人が米国への渡航等にかかる費用約1100万円への寄付を募っている。クラウドファンディングも準備中。活動の詳細はチームの公式サイトへ。

諦めることの理由《続・気軽にSOS》158

0

【コラム・浅井和幸】仕事に就けないのは、仕事が少ない地域だから。資格を持っていないから。年齢が高いから。日本人だからしょうがない。田舎育ちだから仕方ない。都会だから諦めよう。何かを諦めるときに、もっともらしい理由を探したくなるものです。

私は下手ながらにギターを少し弾くことがありますが、手が小さくギターは弾けないから諦めたなんて言う人もいましたね。

個々のケースに立派なできない理由を持ってくることを、私たちは日常的に行っているものです。それらは諦めることの罪悪感を避けるために、無理やりにでもその正当性を、時には他の人に、時には自分に言い聞かせるためのこともあります。

物事を諦めることに立派な理由、正当な理由を用意しなければいけないものなのでしょうか。諦めたいのであれば、諦めて生きる方法を探ればよいのではないでしょうか。しかし、格好よく諦めるには格好良い理由が必要なのでしょうね。

自分の素直な気持ちを探る

もう一つ考えられること。文頭の例でいえば、就職をしたい、諦めずにやり遂げたいと思っているのに、自分では影響を与えられないことの理由しか思い浮かばず、やり遂げるための改善方法を見つけることが下手になっているという状況です。

仕事が少ない地域でも人手を必要としているところを探せるかもしれないし、資格を取るとか、資格がなくても雇ってくれるところ、年齢が高くても採用してくれるところを探す方法があるかもしれません。

例えば、「寒いのは冬だからだ」と考えたとしましょう。寒い原因が冬である以上、寒い状況を避けるのは、冬という季節自体を変えるしかないですよね。日本の季節、地球の環境自体をねじ曲げなければいけません。まぁ、できるはずがないですよね。

ですが、寒い冬に暖かく過ごしたいのであれば、服を着るとか、暖房をつけるとか、陽だまりを探すとか、暖かいものを食べるとか、何かしら方法があるはずです。暖かく過ごすことを諦めることに罪悪感があるから、冬のせいにしようとしているのではないかと考えると、違和感が出てくることが分かるでしょう。

あなたは、罪悪感を抱かずに諦めるという選択肢に進めるでしょうか、やり遂げる方法を探すことができるでしょうか。まずは、どちらを選択したいかという、自分の素直な気持ちを探ることから始めてみてください。(精神保健福祉士)

つくば市副市長に篠塚英司元市総務部長 市議会に提案へ

25
つくば市役所

任期満了により昨年12月22日に退任したつくば市の飯野哲雄副市長の後任として、篠塚英司元市総務部長(62)の選任が13日開会の市議会2月定例会議に提案される。

篠塚氏は1986年、合併前の旧谷田部町役場職員となり、2015年から観光物産課長、17年から経済部次長、18年から経済部長を務めた。20年からは総務部長を歴任し、23年3月末、市職員を定年退職。その後2年間、市の業務から離れていた。つくば市在住。

同市の副市長の定数は2人。昨年12月、2期8年務めた飯野氏が退任し、現在、副市長は松本玲子氏一人となっていた。

13日開会の2月定例会議初日の本会議に、五十嵐立青市長が篠塚副市長の選任について提案し、即日採決される。松本副市長との役割分担は就任後、改めて決めるという。

2月定例会議にはほかに、総額1273億2500万円の2025年度当初予算案(2月3日付)、香取台中学校の新設を見直すことによる高山中学校の生徒数急増に対応するため隣接地に増築校舎用地約1.4ヘクタールを県から4億6300万円で取得する財産取得議案(24年12月10日付)など報告3件、議案36件の計39件が提案される。

会期は13日から3月25日までの41日間。会派代表質問は2月27日、一般質問は28日、3月3、4、5日の4日間。(鈴木宏子)

蛇と仲良くしよう《くずかごの唄》146

2
イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】今年は蛇の年。蛇さんと仲良くしよう。私たちの水道水の水源地、霞ケ浦の周りには森林が少ない.浄水器になる森を造ろうではないかと、2000年、岡野静江さんたちと、かすみがうら市加茂の農地にみんなで造ったのが「どんぐり山」だ。どんぐりの苗木を植えたが、雑草の草刈りが大変だった。

現地の人たちは除草剤をまけばよいのにと言うが、昆虫のいる自然に近い森林を目指していた私たちは、農薬を使いたくなかった。みんなでいろいろと協議した結果、段ボールの箱を森全体に敷き詰めてみた。おかげさまで、3~4年間草刈しなくても、どんぐりの木は元気に育ってくれた。

2003年、このどんぐり山が「茨城県自然保護大会」の実習の森に選ばれた。子供たちがたくさん来てくれるのはうれしいが、安全も大事だ。点検に行ってみたら、マムシ君とヤマカガシ君がたくさん生息している。

加茂の石川さんが「蛇をつかむとき、手袋は駄目なんだ。素手でつかむと、蛇が何を考えているかがよく分かる」と言いながら、マムシを素手で8匹もつかまえてくれた。それを展示用のガラスケースに入れて、山の実習のとき、子供たちに見てもらった。

マムシにかまれたときはマムシ血清があるが、厄介なのはヤマカガシで、かまれても血清が存在しない。この蛇は性格がこざかしく、複雑怪奇。かわいらしいところもあるが、かわいがると付け上がってくる。

私が下見に行ったとき、どんぐりの木の上の方の枝にヤマカガシが絡まっていた。「いったい、何をしているのだろう?」。70~80センチ離れたところで、じっと観察していたら、急に頭の向きを変えて、私のおでこに飛びついてきた。振り払ったので無事だったが、チトびっくりした。

蛇がいなくなって寂しい

2005年。夢にまで見た国蝶のオオムラサキが、どんぐり山に出現。以来、年1回「オオムラサキ観察会」を続けている。観察会のとき、私は救急係。蛇と蜂がいるか、2~3日前に点検に行き、当日は救急箱に薬を詰め込んで参加する。

小学生のとき、蛇が恐いと言って泣いたら男の子にいじめられ、恐くないフリをしているうちに蛇と仲良しになった。私にとって蛇は自然の豊かさを象徴する動物で、魅力的な存在になっている。5~6年前から、「どんぐり山」観察会の前に点検に行っても、蛇はいなくなってしまった。なぜかとても寂しい。(随筆家、薬剤師)

高安招き 2年ぶり豆まき 土浦 宝積寺

4
豪快に豆をまく高安(左から2人目)と田子ノ浦親方(左端)

立春の3日、土浦市木田余の宝積寺(飯山孝之住職)で2年ぶりの節分会が催され、同市出身の元大関 高安と田子ノ浦親方らが豪快に豆まきした。節分より1日遅れての開催となった。

灰色の着物姿の高安らが本堂の舞台に上がり、「福は内」の掛け声と共に、福豆や福銭、菓子、おひねりなどを勢いよくまいた。境内には地域住民や地元 真鍋小の児童、相撲ファンなど約200人が集まり、歓声を上げながら笑顔で福豆などに手を伸ばしていた。

豆まきに手を伸ばす地域住民ら

同寺の節分会は伝統文化を子どもたちや地域住民に体験してもらおうと、木田余地区区長会、同子ども会育成会、同資源保存会が始め、毎年の恒例行事となっていた。ここ数年はコロナ禍のため開催を見送っていた。

飯山住職は「地域の皆さんや、団体の方の協賛で無事、節分会を開くことができた。今年の開催時間では5年生、6年生がまだ下校してないので、もっと子どもたちに集まってもらうため、来年は開催時間を後にしたい」と述べた。

近くの同市大岩田から来た大の相撲ファンだという酒井和夫さん(75)は「宝積寺の節分会に来たのは2回目。市内で、こんなに近くから高安関を見ることが出来てとてもうれしい。今場所は勝ち越したので、とても良かった。今年高安関も35歳になるので、長く相撲がとっていられるよう見守っていきたい」と話した。(榎田智司)

自動運転バス購入、ユースクリニック開設 つくば市25年度当初予算案

1
市議会予算決算委員会で新年度予算案について説明する五十嵐立青市長(左端の起立者)=つくば市役所

7年連続過去最大を更新

つくば市の五十嵐立青市長は3日、2025年度当初予算案を発表した。一般会計は前年度当初と比べ13.9%増の1273億2500万円、特別会計などを加えた総額は同比9.6%増の1933億7400万円で、7年連続で過去最大を更新する。

主な新規事業として、2027年度の定常運行を目指し自動運転バスを購入などする(実証事業負担金1億4800万円)。中高生から20代までの若者が、体や心、性の悩みなどを保健師や助産師にオンラインや電話、対面で相談できる「若者のためのユースクリニック」を市大穂保健センターに開設する(設置費120万円)。ほかに地域に開かれた新しい学校施設の在り方として旧谷田部庁舎跡地の利活用や近接する体育館、市民ホールの複合化の検討を含めた谷田部小学校建て替えの基本構想と基本計画を策定する(1680万円)。

ほかに主な事業は、市内に道の駅を2カ所整備するための基本構想を策定(4600万円)、旧上郷高校跡地に陸上競技場を整備するため校舎解体と設計を実施する(4億9200万円)。旧岩崎保育所用地は茎崎給食レストランと貯蔵庫を整備するための設計などをする(1300万円)。廃校となった旧田水山小学校は2026年度オープンを目指し芸術文化創造拠点として校舎改修などをする(3億9600万円)。

予算規模が過去最大を更新する要因として、児童手当が昨年10月から所得制限の撤廃や高校生までの支給延長など大幅拡充されたことに伴い前年度比25%増の67億8700万円を計上すること、2年目となる中根・金田台地区小学校建設事業が前年度の約2倍の40億5800万円になること、市役所庁内のネットワーク基盤整備費事業に8億8200万円を計上することのほか、子育てや福祉など民生費、国の人事院勧告に伴う市職員の人件費の引き上げ、物価高による材料費や資材費の増加などが予算規模を押し上げているとしている。

市債残高見通し過去最大に

歳入は、人口増などに伴い個人市民税7.9%増、法人市民税が26.8%増、固定資産税5.1%増を見込む。市税収入が歳入全体の44.6%を占め、自らの税収で財政をまかなっていけるとされる不交付団体となる見込みだ。不交付団体は2016年度から10年連続。一方、中根・金田台地区小学校の建設、香取台小学校拡張用地の取得(13億7500万円)などに市の借金である市債を発行する予定で、2025年度末の市債残高見込みは過去最大の1321億6000万円になる見通し。

新年度当初予算案は、13日開会の市議会2月定例会議に提案される。(鈴木宏子)

知事選の年、つくばの県立高問題は動く?《吾妻カガミ》201

40
茨城県庁(左)とつくば市役所

【コラム・坂本栄】一昨年は洞峰公園問題で茨城県とつくば市の間にバトルが起きましたが、今年は県立高校問題で一波乱ありそうです。つくば市は人口増に伴い中学卒業者が増えているのに、県教育委員会の高校対策が場当たり的だからです。教育環境の良さが売りのつくば市にとっては放置できない問題です。

定員プラスはTX沿線だけ

昨年秋のつくば市長選挙の10日前、県教育委は「県立高等学校の今後の募集学級数・募集定員の見込み試算」というタイトルの資料を公表しました。この中で教育委は県内を12エリアに分け、各エリアの2030年の募集定員を試算しています。これによると、24年との比較で生徒募集がプラスになるのは「つくばTX沿線」エリアだけで、他エリアはすべてマイナスになっています。

マイナス幅が大きいのは「県北臨海」「水戸近郊」「県南北部」「県西南西部」などですが、県全体では24年比で1480人のマイナスになると想定しています。唯一プラスになるTX沿線エリアは120人増(3クラス分に相当)ですから、県全体をにらんで教育行政をしている部局は対応に苦慮しています。

エリア:①県北臨海②県北内陸③水戸近郊④県央臨海⑤鹿行北部⑥鹿行南部⑦県南北部⑧県南東部⑨県南南部⑩つくばTX沿線⑪県西北東部⑫県西南西部

この問題を解決するにはTX沿線に公立高を新設したらよいと私は考えています。118「…学園都市は公立高過疎地」(2021年10月18日掲載)では、県にその気がないのなら市立・県営高を建てたらどうかと提案しました。

既存高クラス増+遠距離通学

私の提案に比べると県教育委のTX沿線対策は場当たり的です。これまでは、つくばサイエンス高(つくば市谷田部)に2クラス増やす(+80人、23年実施)、牛久栄進高(牛久市東猯穴町)に1クラス増やす(+40人、24年実施)ことで対応してきました。筑波高校(つくば市北条)やサイエンス高に進学コースや普通科を設けたのも市民の不満をくんだ対策でしょう。

場当たりの極みは、足りないなら隣接市の県立高に通ったらよいと言っていることです。そして、常総の3校、つくばみらいの1校、守谷の1校、土浦の4校、牛久の2校、下妻の2校を通学先に挙げています。片道1時間の通学は当たり前という発想ですから、つくば市民は冷たく扱われたものです。ちなみに私が自転車で通った土浦一高は自宅から往路10分(上り坂)~復路5分(下り坂)のところにありました。

知事と市長のギクシャク

本サイトにコラムを寄稿している片岡さんは「…本来8学級増」(1月12日掲載)の中で、県の試算はつくばの中卒者のうち県立高に進む生徒の割合を少なめに計算していると指摘し、独自の試算では8クラス(320人分)増やす必要があると主張しています。五十嵐市長も県の試算に異を唱え、「足りていないことを数字で示したい」(1月14日の記者会見)と対県論争を宣言しました。

厄介なのは大井川知事と市長の関係が良くないことです。195「つくば市は孤立?…」(2024年11月4日掲載)では、「洞峰公園問題で知事と市長の間にコミュニケーション不足が生じ、知事が五十嵐氏に強い不信感を抱いた…知事と市長のギクシャクは(昨秋の市長)選挙後も続くだろう」と書きましたが、こういった関係も県教育委の施策に影響を与えているような気がします。

でも今夏には知事選挙があります。つくば市に対する県の冷たい態度が続くようだと、市の保護者は知事に冷たく対応するでしょう。洞峰公園問題(県営公園をつくば市に無償譲渡)同様、県立高問題でも抜本策が示されることを期待しています。(経済ジャーナリスト)

高校受験~学校選びから学校参加へ《竹林亭日乗》25

7
2月初の筑波山

【コラム・片岡英明】2月6日から県立高校の出願が始まる。中学生には悩みから決断のときだ。学校での面談が済み、願書提出後も悩み続ける生徒もいる。悩む時間は人生の中で貴重な体験であり無駄ではない。

学校選びで悩むのは当然である。それが止むのは、生徒自身が学校選びから学校参加に舵(かじ)を切れたときだ。高校受験は貴重な学びのチャンスで、その山や谷の中で人間が一周り大きくなる。

霞ケ浦高校に勤めていたとき、大学受験用模試の学校別成績分布の山を時々生徒に紹介した。すると多くの生徒が驚く。分布の形は各学校によって違いはあるが、トップ高も含めて多くの学校の山が重なり合っているのだ。

偏差値によって輪切りにされ、成績は重ならないと思い込んでいたが、実際は相当重なっている。「やればできるかも」と、そんな気になる。高校入試で学力など判定できない。学びは高校入学がスタートで偏差値は参考資料だ。

入学後、自分流の学習スイッチが入れば、中学の学習内容は3カ月ほどで回復できる。それまでの学習や、どの高校かなどはほとんど関係ない。入学後の学習で、各高校の成績分布も大いに変化し重なり合うのだ。

どの高校を選んでも、いや、どの高校に参加しようと決めても、学校には学ぼうとする生徒を支え応援する先生が必ずいる。安心して、高校選びから高校参加への道を進んでほしい。

筑波高・サイエンス高を支援

受験生を地元や行政も支援している。昨年12月、つくば市長との懇談の場で、市も地元高校への応援姿勢を示してほしいと、筑波高校とつくばサイエンス高校への通学支援を要請した。市長をはじめ市の職員の方々も熱心に受けとめてくれた。

市長との懇談の際、事前に高校にも話を聞き、利用者の多い「つくバス」の運行改善を要望した。つくバスや道路整備の担当課とも話し合いを持つことができた。筑波高・サイエンス高の校長先生も、独自につくバスの運行改善を市に要望した。

サイエンス高への通学路改善では、現地の聞き取り調査も行った。市長との懇談では、道路整備は地元区会の要望書も必要と指摘があった。すぐに谷田部地区の区長会の会長と懇談し、地元区会に要請した。その中で、地元区会のサイエンス高への応援の姿勢を感じた。

サイエンス高校は今年から普通科3学級が併設され、新しい「学び」を提案している。生徒の進学希望にも応えるこの学びに地元も期待している。また、筑波高では地域とつながり、地区のお祭りにも参加している。筑波高は北条地区の街づくりの核で、地域の支援や期待も高い。

高校受験生への応援活動

1月29日、私たちの会は、県に土浦一高の高入6学級体制と竹園高2学級増などを求め、教育委員会の担当者と懇談した。加えて、私たちは、つくばエリアの県立高定員枠改善のため、筑波高4学級、サイエンス高普通科5学級も視野に入れ、受験生を応援している。(元高校教師、つくば市の小中学生の高校進学を考える会代表)

「がんに皆で向き合う」8日 つくばで応援ウオーク 家族や当事者トークも

0
イベント用に作ったタオルを掲げる照井さん。自宅には、小児がんと闘った次男の善高さんの写真が飾られている=つくば市内

がん啓発イベント「みんなで向き合う がんロコモウォーク」が8日、つくば市内で開かれる。主催するのは小児がんの当事者や家族を支援する市民団体「ヒスターズナウつくば」(照井美穂代表)。3回目の開催で、過去2回は洞峰公園で開催した。

イベントでは、がん患者が治療を受けるつくばメディカルセンター、筑波大学附属病院と、つくば駅前の中央公園を往復する「応援ウオーク」を開催する。さらに中央公園に設置する各ブースで、がん患者の家族や当事者によるトークイベント、支援団体による啓発企画などを開く。代表の照井さん(43)は「つくばには、がん治療のために市内外から訪れる多くの患者や家族がいる。治療は孤独。応援する人がたくさんいるし、頼れる場所があると知ってもらいたい。少しでも安心につなげられたら」と思いを語る。

我が子ががんに 感じた孤独

照井さんは、病室から見た風景を忘れられない。

2020年、照井さんは小児がんの治療を受けるために入院中の次男に付き添い、筑波大学附属病院6階の病室にいた。外に目をやると、車が行き交う道路に歩く人の姿は見えない。

「我が子がこんなに辛くて大変な思いで治療しているのに、誰にも気づいてもらえない、知ってもらえないという気持ちになり、すごく辛かった」

当時2歳だった次男の善高さんに腫瘍が見つかったのは2020年3月。脳幹組織に悪性腫瘍ができる小児脳幹グリオーマと診断された。同時に医師からは余命を宣告された。「やれることをやり切りきろう」。そう決意した照井さんは休職し、病院に泊まり込んでの看病が始まった。

「息子の病気は誰も助けられない状態。コロナ禍で外部との接触が限られている中、どうにか助けを得ようと訪ねた市役所でも支援団体を紹介してもらうことができなかった。本当に辛かった。こんなに頑張っている我が子を助けてくれる人はいないのかと、孤独でした」と、当時を振り返る。

「応援してくれる人がいるだけで希望がもてる。『頑張ってるの、知ってるよ』と、あのとき、誰か一人でも声を掛けてもらえていたら、私はもっと頑張れたんじゃないかと思うことがある。がん治療に臨む当事者や家族がいる病棟から見えるところでイベントをしたいと考えていた」と、今回の応援ウオーク開催への思いを話す。

毎週月・金曜日に市内のカフェで行う家族交流会で相談に応じる照井さん(中央)=つくば市二の宮「ひふみ杏 つくるひとcafe」

レモネード販売し100万円を寄付

2021年5月に誕生した「ヒスターズナウつくば」は、レモネードを販売し、売上金を小児がんの治療研究費に役立てる「レモネードスタンド」を県内各地で開催している(22年6月10日付)。昨年7月までに52回を企画し、100万円を超える寄付金を「NPO法人日本小児がん研究グループ」に寄贈した。地域の製菓店や飲食店の協力も受けて、入院する子どもに付き添う家族に食事を提供したり、院内の売店で使えるクーポン券を発行したりするなどの「院内家族サポート」や、イベントを通じた啓発活動にも力を注ぐ。

がんロコモウォークは今回で3回目。がんロコモとは、病気や治療がきっかけで、筋肉、神経などに障害が起き運動機能が低下すること。病気による二次障害も、ウォーキングをするなど対策をすれば防ぐことができる。イベント名には「がんをきちんと知ってほしい」という願いを込めた。

「2人に1人が、がんにかかる時代。がんは怖い、悲しい、治らないんじゃないかというイメージが強い。でも、きちんと知ることで、自分や周りががんになった時にどうすればいいのか、皆で考えることができる」と照井さん。

国は2023年3月に策定したがん対策推進基本計画で、がん予防、がん医療、がんとの共生を3本柱とし「だれ一人取り残さないがん対策を推進し、全ての国民とがんの克服を目指す」との目標を掲げている。

照井さんは「まずは予防。がん検診を受けてほしい。もしがんになっても社会復帰できる時代。治療を受けて、いかに社会復帰を早められるかも重要。不安を感じて落ち込み、ふさぎ込んでしまうと、運動機能の衰えが元で社会復帰を遅らせてしてしまうことがある」と言い、こう呼びかける。

「がんにかかると治療に先が見えず、先の見えない不安を感じるかもしれない。子どもがかかれば家族は『今頑張んなきゃ』と一生懸命になる。体調を崩してして付き添えなくなり自分を責めてしまい、心が折れる家族もいる。そんな時、孤独にならずに、いろいろな支援団体があると知ってほしい。応援したい人とのつながりをつくるのが私たちの役目。みんなでがんに向き合っていきましょう」(柴田大輔)

◆「第3回 みんなで向き合う がんロコモウォーク」は2月8日(土)午前11時から午後3時、つくば市吾妻2-7-5、市中央公園などで開催。イベントの詳細は「ヒスターズナウつくば」のホームページへ。応援ウォークの参加は専用フォームから事前申し込みが必要。問い合わせは、がんロコモチャレンジいばらき実行委員会(メールganlocomo.ibaraki@gmail.com)へ。