火曜日, 6月 24, 2025
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本サイトへのアクセス状況を分析する 《吾妻カガミ》207

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左はNEWSつくばの事務所がある日本国際学園大学体育館の建物、右は1階入り口に立て掛けてある案内板

【コラム・坂本栄】本サイトはつくば市と土浦市を中心とする地域の話題とテーマ自由のコラムで構成されています。周辺市町村の話題も取り上げていますが、ほとんどが両市の行政や催事・人物紹介の記事です。このため、本サイトにアクセスするのは両市の人がほとんどと思っている方が多いと思います。実はそうではありません。他の地域から来訪する方がかなりの数に上ります。

県内だけでなく全国から来訪

5月中旬にNPO法人の年次総会を行った際、編集担当者が2024年度(2024年4月~2025年3月)のアクセス概況をまとめました。それによると、つくば+土浦からのアクセスを10とした場合、東京4区(新宿+渋谷+千代田+港)からのアクセスが5に上りました。主要市(大阪+札幌+横浜+名古屋+福岡)からやって来る方は8ですから、本サイトは全国的に読まれていることになります。

ローカルのニュースを扱っているのに、どうして全国から訪れるのか? ①学園都市エリアに対する関心はこの地域にとどまらない(あるいは東京通勤者がオフィスで読んでいる)②このエリアで仕事をしていた人が東京に戻り(あるいは全国に散らばり)元勤務地の話題に関心を持っている―などが考えられますが、正直なところよく分かりません。

ちなみに、県内主要市町(水戸+牛久+阿見+取手+筑西+石岡+守谷+龍ケ崎+つくばみらい+古河+下妻+常総+ひたちなか+日立+かすみがうら)からのアクセスはつくば+土浦とほぼ同数でした。水戸からのアクセスは土浦並みでしたから、「県都」の方々の学園都市エリアへの関心の強さが分かります。

こういった分析結果=本サイトの記事はつくば+土浦エリアだけでなく県内はもちろん全国の方々に関心を持たれている=はサイト運営のヒントになります。つまり、購読者や視聴者エリアが限定されるローカルの新聞や放送と違い、Webメディアは地域情報を全国に発信する機能も持っており、サイト運営に当たっては「地域情報の全国発信」を意識する必要があるということです。

土浦のイベント類に強い関心

アクセスが多かった上位7記事を紹介すると、①開催を中止 土浦全国花火大会(24年11月1日付)②五十嵐氏が星田氏破り3選 つくば市長選(同10月28日付)③内部告発で分かったつくば市政の実態【吾妻カガミ】(同9月30日付)④県案の土浦スマートIC 国交省がゴーサイン(同9月6日付)、⑤聖地土浦に巨大ロボット立つ アニメ「パトレイバー」(同8月3日付)⑥道の駅 市内2カ所に整備も検討 つくば市(同12月9日付)⑦霞ケ浦湖畔で音楽フェス 5年ぶり野外開催(同9月19日付)―の順でした(青字部を押すと記事が現れます)。

土浦の花火中止記事へのアクセスは6万を超えましたから、全国の方々の関心も強かったようです。土浦のイベント類がベスト7に3本も入ったのは予想外でした。つくばの市長選挙結果や市政は地域だけでなく全国の関心を集めたようです。

残念だったのは、昨年度の記事(コラムを含む)掲載本数が1日平均2.15本にとどまったことです。7年半前の本サイト創設発表の際、1日平均3本(朝昼晩各1本のイメージ)を目指すと述べたことを思い起こすと、「1食抜き」に近づきました。(NPO法人NEWSつくば理事長)

ドストエフスキーに魅せられて 清水正さんの軌跡《ふるほんや見聞記》5

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写真は筆者

【コラム・岡田富朗】元日本大学芸術学部教授の清水正(まさし)さんは、1949年に千葉県我孫子市に生まれました。清水さんが<批評>に目覚めたのは、小学生の頃と言えるかもしれません。時計の読み方を理解できなかったことがきっかけで、「<時間とは何か>を考えるようになった」そうです。

この頃から、本を読んで知識を得るのでは無く、あくまで自分の頭で考え、自分の納得のいく解答(解釈)を求め続けるタイプで、それは現在も変わらないそうです。

清水さんは17歳の時、太宰治の『如是我聞』に出合い、太宰作品に深く没頭します。死が親しいものとなり、「これが文学というものなら、わたしも一生を文学に賭けてもいいな」と思い、最初の小説『青蜻蛉(トンボ)』を執筆しました。そのテーマは<芸術と死>でした。

本気で小説家を目指しましたが、同じ年にドストエフスキーの『地下生活者の手記』を読んで衝撃を受け、以来、ドストエフスキー文学の研究にのめり込むことになります。清水さんにとって<読む>ということは批評するということであり、ドストエフスキーに関する作品批評は膨大なものとなりました。

ドストエフスキーについての初の著書『ドストエフスキー体験』を20歳の時に刊行し、19歳の時にはすでに『白痴』についての論考を書いていました。

怒りと悲しみを抱えて

かけがえのない人の死に立ち会いながら、怒りと悲しみを抱えて書き続けてきた清水さんが語った「書くことは祈りである」という言葉には、人生そのものを賭けて文学に向き合ってきた重みがにじみ出ています。

そして今、誰も成し得なかった偉業『清水正・ドストエフスキー論全集』全11巻を完成させた清水さんは、なおも筆を執り続けています。ドストエフスキーという偉大な山を登りながら、そこから見渡す風景の中で、現代文学にも目を向け、鋭い批評を続ける著書は一読に値します。

清水さんは、大正4年(1915年)に我孫子に移り住んだ志賀直哉をはじめ、宮沢賢治、林芙美子などの批評も行っています。そのほか、「つげ義春を読む」「阿部定を読む」「世界文学の中のドラえもん」「今村昌平を読む」「宮崎駿を読む」「土方巽を読む」など、多岐にわたる著書を執筆されています。(ブックセンター・キャンパス店主)

卸業者がコメ2トンを土浦市に寄贈 子ども食堂や生活困窮者へ

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2キロ入り2024年産の県産コシヒカリを小林勉副市長に手渡す田島屋の田嶋光夫社長(左)=土浦市役所

コメの高騰が続く中、米穀卸売業の田島屋(土浦市上高津、田嶋光夫社長)が30日、2024年産の県産コシヒカリ2トンを土浦市に寄贈した。2キロ入りを1000袋用意し、同市社会福祉協議会を通じて市内の子ども食堂や生活困窮者に手渡される。

同社はコロナ禍の2021年と22年にも2キロ入り1000袋などのコメを同市に寄付し、コロナ禍で外出が難しい一人暮らしの高齢者や生活困窮者に配布された。

今回は創業170周年を迎えたことから、3回目の寄付となった。田嶋社長(75)は「40数年やってきて、これだけ値が高くなったのは初めて。今、備蓄米の話が出ていてどうなるかなと思っている。きちんとしたコメを皆さんに届けて、いろいろな場面でお使いいただけたら」と話す。

受け取った小林勉副市長は「21年、22年にも1000袋をいただいた。歴史がある田島屋様からおコメをいただけたことは本当にありがたい。コメの話は高騰、不足、備蓄米等々あるが、2024年産の新米のコシヒカリを、生活困窮者等、工夫させていただきながら、市民に温かい気持ちをお伝えしたい」と述べた。

7月6日、ひとり親家庭フードパントリーで配布

今後は、市内12の子ども食堂や、食品を無料で配布するフードパントリーやフードバンクを運営する団体などに要望を聞きながら、配布先や配布量を決める予定。コメは田島屋の冷蔵倉庫に保管し、配布が決まったらその都度届ける。

手始めに、市社協とシングルマザーを応援する「ママのホップ・ステップ・ジャンププロジェクト」が共催し、7月6日、市総合福祉会館で開く「ひとり親家庭フードパントリー付き大相談会」での配布を予定している。

田島屋は江戸時代末期の1855年創業。米穀卸売、精米加工、炊飯業、倉庫業などを営む。全国から集めたコメを保管、精米し、関東一円の小売店や飲食店などに卸している。土浦市上高津とつくば市上広岡に精米設備、つくば市寺具に精米設備と倉庫がある。今回、小泉進次郎農相が小売店やネット事業者などに販売する2021年と22年産の備蓄米に関しては、大手のスーパーから同社に精米の依頼がきているという。(鈴木宏子)

◆「ひとり親家庭フードパントリー付き大相談会」は7月6日(日)午前10時~午後3時、同大和町9-2 ウララ2ビル 市総合福祉会館4階で開催。参加希望者は6月2日~20日に申込を受け付ける。詳しくは土浦市社会福祉協議会のホームページへ。

茨城リーグ選抜が準優勝 全日本選手権、奮闘ぶり強い印象

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イニング間の円陣で茨城選抜の選手に監督から檄が飛ぶ

少年硬式野球 挑戦の軌跡振り返る

5月の爽やかな青空の下、牛久運動公園野球場でひときわ輝いていたのは、悔しさをにじませながらも胸を張る茨城リーグ選抜の少年たち14人の姿だった。

少年硬式野球の「JA共済杯第13回インターミディエット全日本リトルリーグ野球選手権大会」が10、11日に同運動公園野球場で行われた。茨城代表チームは選抜メンバーを編成して大会に臨み、堂々の準優勝。あと一歩で優勝を逃したものの、その奮闘ぶりは、多くの関係者に強い印象を残した。

大谷翔平も 世界目指す第一歩

リトルリーグは、国内にとどまらず世界を目指せる数少ない小中学生の硬式野球組織。メジャーリーガーの大谷翔平や鈴木誠也もこの舞台から世界に羽ばたいた。

インターミディエットのカテゴリーはリトルリーグの中でも、走者リードやけん制が導入され、より本格的な野球が展開される。対象年齢は小学5年から中学2年まで。全日本選手権優勝チームは6月に台湾で開催されるアジア・パシフィック大会に日本代表として出場。同大会に優勝すれば8月に米国で開催される世界大会の出場権を与えられる。

冬の戦いから始まった

全日本選手権に向けて茨城リーグは、県内6チーム(牛久、常陸太田、常陸大宮、竜ヶ崎、友部、小美玉)からの選抜編成で臨んだ。

2月、まずは4日間の総当たり戦で腕試し。最も勝ち星を挙げた牛久スラッガーズのスタッフ陣が、選抜チームの指揮を託された。

そして3月。中学1年(当時)の4月~8月生まれを中心に4度の合同練習を経て、3月30日、14人の茨城代表が決まった。顔ぶれは、中1が12人、小6が2人。各所属チームで主力を張る選手たちが集結し、新たなチームが動き出した。

    茨城リーグ選抜メンバー
1 眞壁 陽大 中1 牛久スラッガーズ
2 飯塚龍一郎 中1 龍ケ崎スターズ
3 中島直太郎 中1 牛久スラッガーズ
4 後藤 桜雅 中1 常陸太田山吹
5 長島  岳 小6 牛久スラッガーズ
6 萩原 唯月 中1 牛久スラッガーズ
7 鈴木 心明 中1 牛久スラッガーズ
8 朝  隆晟 小6 牛久スラッガーズ
9 小澤 優智 中1 友部ジャイアンツ
10 瀧本  渚 中1 友部ジャイアンツ
11 戸塚 大智 中1 小美玉ジャイアンツ
12 御鳴佑太朗 中1 常陸大宮レッドスピリッツ
13 瀧  龍信 中1 常陸大宮レッドスピリッツ
14 阿部 俊太 中1 常陸太田山吹

茨城選抜チームの集合写真。全日本選手権開会式前に撮影

千葉と前哨戦

4月中旬、千葉リーグ選抜との東関東連盟代表順位決定戦が行われた。全5試合で2勝3敗。あと1勝が届かず、茨城は東関東連盟第2代表として全国大会に臨むこととなった。

だがこの経験はチームにとって決して無駄ではなかった。対千葉で痛感した「個の力と総合力の差」を乗り越えるため、選手たちはその後の練習にさらに熱を入れた。

決勝まで快進撃

開会式の様子。全国の予選を勝ち抜いた8連盟9チームが参加

5月10日。予選リーグ初戦の相手は九州北部。先発を任された戸塚大智(小美玉)が粘りの投球で試合をつくると、阿部俊太(常陸太田)、瀧龍信(常陸大宮)へと継投し、4-2で勝利。大きな初戦白星を手にした。

続く第2戦、相手は関西の強豪・兵庫。ここで主将の萩原唯月(牛久)が覚醒する。3安打3打点の大活躍で6-3と突き放した。投げては眞壁陽大、瀧本渚(友部)が“翌日も登板可能な20球までのリレーで3回まで2失点と試合を作った。4回から7回までは中島直太郎(牛久)がロングリリーフで試合を締め、予選リーグを2勝で通過した。

そして11日、晴天スタジアム美浦で行われた準決勝では、ワイルドカードで勝ち上がった兵庫と再び激突。御鳴佑太朗(常陸大宮)の2ランなど、打線が奮起し11-1の5回コールド勝ちで決勝へと駒を進めた。

初陣を控えて整列。県内各チームが応援に駆けつけてくれた

決勝は再び千葉

午後、決勝戦の舞台は牛久運動公園野球場に戻る。相手は、前哨戦で惜敗した千葉選抜。投手陣総動員で挑んだが、千葉の強力打線を前に苦戦を強いられた。

結果は4-13の敗戦。準優勝という結果は、輝かしい戦績であると同時に、“あと一歩”の悔しさがにじむものでもあった。

監督の吉田明宏(牛久)は試合後「千葉の投手力は折り紙付き。どう打ち崩すかを考え、練習してきた。差を見せつけられた形になってしまったことが残念」と語った。主将の萩原も「一緒に台湾に行きたかった」と言葉を詰まらせながらも、「もうちょっとできたかなという思いがある」とチームメートを見つめた。

今回の全国大会では、14人すべてが打順に組み込まれる全員連続オーダー制での戦いが求められ、限られた打席とチャンスの中で結果を出す難しさと向き合った。

メダルが贈呈された閉会式の様子。左が準優勝の茨城リーグ選抜

茨城の底力見せつけた

準優勝は、悔しい結果に違いはない。しかし茨城リーグ選抜は、結成からわずか1カ月半という短期間でここまでチーム力を高め、強豪千葉に真っ向勝負を挑んだ。その軌跡は、彼らの努力と結束、そして“茨城”の底力を見せつけるものだった。

敗れても、夢は終わらない。この舞台を踏んだ14人が、再び“世界”を目指す日が、きっとやってくる。

おさがり《短いおはなし》39

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イラストは筆者

【ノベル・伊東葎花】

お気に入りの金魚の浴衣を畳みながら「来年は着られないね」とママが言った。
私が着られなくなった服は、近所に住む従妹(いとこ)の物になる。
従妹の楓は2つ下の6歳で、楓のお母さんの幸子おばさんは、ママの妹だ。
楓は男の子みたいに乱暴で、私が大切に着ていた服をすぐに汚す。
フリルがついたワンピースも、チェックのスカートも、全部泥だらけ。

あまりにひどいので「もう楓ちゃんに服をあげないで」とママに言った。

「まあ、どうして?」

「だって、楓ちゃんすぐ汚すもん。それに、全然似合わないよ」
「そんなことないわよ」

「そうだ。ネットで売れば? ねえママ、そうしよう」

「唯、そんな悲しいこと言わないで」

「じゃあ妹が欲しい。ママ、妹を産んで。私の服は妹のために取っておく」

「いい加減にしなさい」

ママが、珍しく大きな声で怒った。
その夜、ひとりで泣いているママを見て、私はすごく反省した。

その後、楓は叔父さんの転勤で遠くの町に行くことになった。

「お姉さん、唯ちゃん、今までありがとう」

幸子おばさんが楓を連れて最後の挨拶に来た。

「おばちゃん、バイバイ」

楓はママの胸に顔をうずめて泣いた。

「あらあら、甘えん坊ね」

幸子おばさんはママから楓を引き離すと、「じゃあ行くね」と背を向けた。

「唯が着られなくなった服、送るね」

ママが声をかけると、幸子おばさんは立ち止まった。

「お姉さん、おさがりはもういいわ。楓には、自分の好きな服を選ばせるわ」

何だか冷たい言い方だった。ママは「そうね」とうつむいた。

その日、ママはやっぱりひとりで泣いていた。

ママの涙の理由を知ったのは、法事で親戚が集まった6月のこと。
久しぶりに楓と会った。楓は1年生になっていた。
大人たちの会話に飽きた私たちは、別の部屋でゲームをしていた。
奥の部屋からボソボソと話し声が聞こえた。話好きの本家の大おばさんたちだ。

「楓ちゃんはすっかり幸子の子供だね」

楓の名前が聞こえて、思わず襖に耳を近づけた。

「それにしてもねえ、いくら妹に子供が出来ないからって、自分の娘を養女に出す? 犬や猫の子じゃあるまいし」

「よほどの事情があったんだろうね」

「そうだとしても、あたしは嫌だね。お腹痛めて産んだ子を養女に出すなんて」

「そうね。よく平気だね」

衝撃的な内容に、私の心臓はバクバク動いて、気づいたら襖を開けていた。

「あ、あら、唯ちゃん、いたの?」

「しまった」と顔を見合わせる大人たちに、私は言った。

「平気じゃないよ。ママ、泣いてたよ。楓ちゃんの引っ越しの日、泣いてたよ」

言いながらぽろぽろ泣いた。大人たちはバツが悪そうに早足で部屋を出て行った。

「養女って、なに?」

あどけない顔で楓が私を見た。

「知らない。楓ちゃんは知らなくていいことだよ」

私は、楓の手をぎゅっと握った。
梅雨が明けたら、金魚の浴衣を楓にあげよう。きっと似合う。
だって私の妹だから。

(作家)

茨大生の将来は明るい《地方創生を考える》29

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ダイヤモンド筑波

【コラム・中尾隆友】茨城大学で『人生を豊かにする働き方・生き方』という寄付講座を2年連続で行った。この講座は2014年に東京大学で行った村上憲郎氏との対談が下敷きになっているのだが、これから社会人になる学生たちに言いたかったのは、主に次の2つのことだ。

  • 仕事の成否は「9割の戦略を持った努力」と「1割の運」で決まる。ただし、一生懸命に努力して、初めて運が呼び込める。努力しない者には、決して運は訪れない。
  • 若いうちに自らの視野を大きく広げてもらい、人生ができるだけ豊かになる働き方を模索していってもらいたい。

しかし、学生たちのレポートをみてわかったのは、もっとも関心が高かったのが冒頭で余談として話した内容であったということだ。

すなわち、私が起業してからずっと実践してきた効率的な働き方についてだ。列挙すると以下の通りだ。

  • 会社の近くに住んで、通勤になるべく時間をかけない。
  • 頭の働きが鈍らないために、朝食は取らない。
  • 頭の働きを良くするために、コーヒーを飲んで仕事を始める。
  • 午前中の早い時間帯に集中して、頭を使う仕事をする。

伊藤忠が常態化した朝型勤務

人間は朝の早い時間帯に頭が一番働くから、午前中に集中して仕事をすることが効率的だ。しかし、首都圏や大都市圏に住む会社員の多くは、この頭が働くゴールデンタイムに満員電車で出勤するという、非常に効率が悪い働き方をしているのだ。

この問題に一石を投じたのが、伊藤忠商事だ。同社は2013年から早朝(午前5~8時)に勤務する社員に対してインセンティブを付与し、朝型勤務を常態化させた。その結果、同社は商社の中でトップの生産性を誇るようになった。

効率よく働くことは、自分のスキルを高めるとともに、生活の質をも高めることができる。茨城大学の学生たちが私の朝のルーティンに強い興味を持ったことは、その効果を詳しく説明しなくても、その重要性を感じ取ったからなのだろう。

そういった意味では、彼らの将来は明るいといえるし、できれば茨城経済の担い手として活躍してもらいたいところだ。(経営アドバイザー)

順延は1日のみ、警備員を確実に確保 土浦の花火 11月1日開催へ

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26日開かれた土浦全国花火競技大会実行委員会の様子=土浦市城北町、ホテルマロウド筑波

今年開催する第94回土浦全国花火競技大会の実施計画を決める同実行委員会(会長・安藤真理子土浦市長)が26日、土浦市内のホテルで開かれた。昨年、荒天時の順延日に人手不足から警備員が確保できず中止としたことを踏まえ、今年は順延日を例年の2日間から1日のみとし、順延日に確実に警備員を確保できるようにする。

今年の開催日は3連休初日の11月1日とする。花火大会の始まりとされる、神龍寺の秋元梅峯住職が1925(大正14)年に花火を打ち上げてから100年を迎えることから、大会の名称に「土浦の花火100周年記念」を付ける。荒天の場合は1週間後の8日に延期し、両日とも開催できない場合は中止とする。

例年は開催日翌日と1週間後の2日間を順延日としていた。昨年は11月の開催予定日に台風が接近したなど異常気象の中、翌日を順延日とすると河川敷に設ける観覧席の足場が悪いままの恐れがあることなどから翌日は順延日に設定しない。警備費用が1日当たり1800万円程度かかることもあり、順延日を1日のみとして、確実に警備員を確保する。

今年の警備員確保については現在、大会事務局の市商工観光課が複数の警備会社に聞き取りを実施し、開催日と順延日両日の確実な警備員の確保のほか、警備費用などについても聞き取りを実施しており、現時点で両日とも警備員を確保できる見通しだという。夏頃までには警備会社を選定する予定だ。

一方、翌日を順延日としないことで、弁当業者や屋台業者などの食材費の負担が増える恐れもある。市商工観光課は「(翌日を順延日としないことは)今日の実行委員会で決まったばかりなので、関係者にはこれから理解を求めていきたい」とする。

意思決定は役員会で

大会開催の是非を決める意思決定については、中止を決定した昨年、実行委の副会長の一人である市議会議長が協議に加わらなかったことが議会などで問題になった。意思決定について今年の大会からは、会長と副会長3人で構成する役員会で協議した上で、会長が最終判断することを大会実施要綱に明文化する。

ほかに実行委員会の組織として、観客輸送、安全対策、煙火消費の三つの専門部会を設けたり、他部署に異動した事務局経験者の市職員をアドバイザーにするなど組織を強化する。

座席数増やし値上げへ

物価高や資材高騰の中で収入を確保する方策については、有料観覧席に新たにテーブル席を設けるなど座席数を3万9000席から4万4000席に約5000席増やすほか、有料観覧席すべてを1000~2000円値上げして、有料席販売収入を前年予算比約4100万円増の2億5100万円にする。

新たに設けるテーブル席は4人で8万円とする予定。桟敷席(定員5人)は2万6000円(前年までは2万4000円)、椅子席はA席が6000円(同5000円)、B席5000円(同4000円)、C席4000円(同3000円)といずれも値上げする予定で、ほかにツアー向けなど、さらなる高額な座席も検討している。

今年の大会の予算は計約3億5000万円で、前年比約4100万円増(13%増)を見込む。収入は、市が昨年と同額の8500万円を補助し、ほかに有料観覧席の販売収入2億5100万円、広告料収入1000万円、駐車料金や花火グッズ販売収入など350万円を見込む。

支出は、物価や資材が高騰する中、警備費や清掃費、有料席販売委託料など委託料が前年の2300万円増の9300万円(34%増)、桟敷席や椅子席、テント、花火打ち上げ筒、仮設トイレ借り上げなど使用料・賃借料が2000万円増の1億6000万円(15%増)を見込んでいる。

収入と支出の差額については例年100万円程度の黒字が出て、これまで土浦市に戻していたが、今年から基金を設立して積み立て、物価や資材の高騰などに備える。

市に4000万円戻し入れ

一方、中止とした昨年の大会については、市が当初8500万円を補助し、中止後、さらに2億3000万円を追加補助し市の負担は計3億1500万円になる見通しだったが、最終的に4000万円の残高が出たことから市に戻し入れた。中止となったことによる市の最終的な負担額は2億7500万円になった。

前期 首位で折り返す つくばFCレディース 

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ゴールを決めて喜ぶつくばFCレディース(水色のユニフォーム)の浦海(右から2人目)=撮影/高橋浩一

関東女子サッカーリーグ1部のつくばFCレディースは25日、つくば市山木のセキショウチャレンジスタジアムで前期最終戦を迎え、東京国際大学(本拠地・埼玉県坂戸市)に1-0で勝利した。これでつくばは通算成績5勝1分1敗、2位の東国大に勝ち点1差をつけ、首位でシーズンを折り返した。後期第1節は6月7日、アウェーで山梨学院大学と対戦する。

第31回関東女子サッカーリーグ1部 前期第7節(5月25日、セキショウチャレンジスタジアム)
つくばFCレディース 1-0 東京国際大学女子サッカー部
前半0-0
後半1-0

観客席に勝利のあいさつをする選手たち

今季初、コーナーキックから得点

つくばはこの試合、立ち上がりから相手にほとんど攻撃の形を作らせず、安定した試合運びを見せた。「今日の相手は長いボールを蹴ってくるので、それに対するチャレンジ&カバーと、周りの選手のプレスバックを徹底した。また前節の反省から、チームでどのようにボールを奪いに行くかを整理し、連動した守備ができるようになった」と志賀みう監督。

ボランチでセットプレーのキッカーも務めた高橋(右端)

「全員が集中して守備でき、チャンスもつくれていて後は決めきるだけだった。攻撃では前への意識を持ちながら落ち着いたボール回しをし、そして状況を見ながら自分たちの時間を作っていこうと話し合っていた」とMF高橋萌々香主将。

中央で数多くのチャンスを作った諸富

前線には冨田歩花、諸富愛莉、石黒璃乙と長身FW3人を並べたフォーメーション。石黒によると「3人で前からハイプレスを仕掛け、サイドでハメる形」だそうだ。石黒は前半は右サイドで、ボールの扱いが上手い林里咲と組んで攻撃の起点となり、後半は左サイドへ回って、ドリブル突破が得意な所千紗登と連携。石黒がDFを引き連れて所をフリーにしたり、所にDFが行ったら石黒が背後を狙うといったプレーを見せた。

3トップの一角を務めた石黒

得点は後半24分、コーナーキックから生まれた。高橋主将が冨田を狙って蹴ったボールは相手守備にはね返されたが、こぼれ球をDF浦海綾が蹴り込んだ。「点が欲しい時間帯だったので積極的に狙おうと意識していた。自分の前に流れてきたので決めるだけ。チームみんなで決めた得点だと思う」と浦海の振り返り。

右サイドで攻撃の起点となった林

志賀監督インタビュー

-前半戦を振り返っていかがですか。
「ここまでは何となくうまくいっていた試合が多かった。だが前節で負けてしまったことで、自分たちの立ち位置をもう一度再確認でき、今日しっかり自分たちのやりたいゲームをやって勝てた。そういう意味では前回負けた意義があった」

後半12分、シュートを放つMF穂谷颯季

-後半戦に向けては。
「ここまで連戦が続いてきたが、来週1週間空くので、1回しっかりリセットし、チームとして前向きに取り組むことができる。前期はホームが多かったぶん、後期はアウェーの試合がすごく増える。2巡目で相手にも分析され、勝つのが難しくなってくる。それでもコンディションを管理したうえで、しっかり戦えるよう頑張りたい」

-今季の目標は。
 「関東リーグ優勝はもちろんだが、一番の目的は1シーズンでのなでしこリーグ2部への復帰。この戦いを通じて、勝ったとしても負けたとしてもしっかり、全員で成長するということを一番大事にして、これからもやっていきたい」(池田充雄)

試合後、観客とハイタッチを交わす

趣味が高じて陶芸窯を作る《令和楽学ラボ》35

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自宅のガーデンルームの窯と作業場

【コラム・川上美智子】2023年の日本人の平均寿命は、男性81.09歳、女性87.14歳と、この数年は鈍化傾向にあるが、生命表によれば女性の半数(50.1%)は90歳まで、4人に1人(25.5%)は95歳まで生きる時代である。男性は、それぞれ26%と9.2%と、女性に比べれば短命であるが、戦後間もない頃の90歳まで生きる女性が2%(男性0.9%)、95歳まで生きる女性が0.2%(男性0.1%)の数値と比較すると、日本はしっかりと長寿社会を築いてきた。

誰も自分の余命がどれくらいになるかは実際のところは分からないが、寿命が長くなった分、退職後の時間が長くなり、その後の人生、セカンドライフをどう生きるかが大きな課題となっている。

厚生労働省は、労働力不足の対策として、高齢者雇用安定法を制定し、70歳までの定年の引き上げ、継続雇用、定年制の廃止などを努力義務とし、暮らしの安定、健康や生きがいのために長く働くことを奨励している。実際、2023年時点の70~74歳の労働力人口比率をみると34.5%、75歳以上では11.5%まで伸びていて、生涯現役で働く人が増えている。私も、70歳で大学退職後の9年間のうち8年間は保育園の仕事に関わり、その後も会社のアドバイザーとして週3日勤務し、それが生きがいとなっている。

また、この17年間、週半日は陶芸の作品作りに充てている。老後の趣味づくりの一つとして始めたものであったが、陶芸に特化していったのは、多くの不思議なご縁があったからである。

まず、結婚相手が大学時代、京都の陶芸家・叶光夫宅に下宿していて、陶芸の手ほどきを少し受けていたことである。私と同郷の淡路島出身の叶光夫先生は、日展審査委員として皇居などにも作品が所蔵されている著名な作家で、お見合い時に個展に行きお目にかかった。また、夫は日立製作所の大甕(おおみか)陶苑の竹内彰さんとも懇意にしていて何回か窯をお尋ねし、私も抹茶椀(わん)作りなどした。

また、結婚した年(1970年)の笠間陶器市に出かけ、一番気に入り購入したコーヒーカップ5客セットが、後に私の師になる荒田耕治先生作であった。就職した茨城キリスト教短期大学では、所属していた家政科の1975年頃の改革で造形分野を拡張し、陶芸窯を設置して渡辺信雄氏を非常勤講師に招聘(しょうへい)した。そこで学生と一緒に作品作りを行い、日立市美術展覧会にも出展した。

今年初めて新槐樹社展に応募

その後、1993年策定の「茨城県笠間芸術の森公園展示施設構想」の策定委員として笠間陶芸美術館の構想にも関わらせていただいた。これもご縁であるが、当時、県職員として笠間芸術の森の誘致に骨を折られ、現在城里町副町長の藤田悟史さんが今年の陶炎祭で鶯釉(うぐいすゆう)の壺(つぼ)をお持ち帰り下さった。

2008年に茨城で開催された第23回国民文化祭では、初めて荒田耕治先生とご一緒に3年間企画委員を務め、それがきっかけで先生からご指導いただくことになり今に至っている。

茨城県芸術祭美術展覧会、水戸市芸術祭美術展覧会での陶歴17年目にして友人に勧められ、今年初めて全国展の新槐樹社(しんかいじゅしゃ)展に応募し新人賞や会友推挙をいただき、国立新美術館や京セラ美術館などに作品が展示された。この秋の展覧会は、何と、私の父が昭和期に勤務していた日窒鉱業株式会社のビルの跡地に建てられた銀座洋協ホールで開催されることになり、またまたご縁を感じている。亡くなった父にどの作品を見てもらおうかと楽しみである。

残された人生、子どもたちに反対されるも、陶芸を続けてみようと、つい先月、庭に電気窯を設置し、陶芸の道を進む覚悟を決めたところである。(茨城キリスト教大学名誉教授、関彰商事株式会社アドバイザー)

米大統領、奨学金制度を止めないで!《文京町便り》40

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土浦藩校・郁文館の門=同市文京町

【コラム・原田博夫】トランプ米大統領は当選以来、過激な発言・政策(?)をいろいろ繰り出しているが、その一つに、フルブライト奨学金やギルマン国際奨学金といった、海外・国内留学生向けの奨学金プログラム「停止」発表(2025年3月7日)もある。この通知をいきなり受け取った現役留学生はじめ関係者には困惑と激震が走った。

この措置は、電気自動車テスラおよびX(旧Twitter)の経営者イーロン・マスクが主導するDOGE(政府効率化省)が、連邦行政機関の予算と人員を削減することに躍起になっていることに関連している。

フルブライト奨学金制度とは、米上院議員ウィリアム・フルブライト(1905~1995年)が提案し、1946年に設立したものである。彼がこの奨学金制度を提案するに至ったのは、彼自身がローズ奨学金制度で英オックスフォード大学に留学していたからだった。

19世紀植民地主義の頂点ともいうべきアフリカの鉱山王セシル・ローズ(1853~1902年)の遺言で、オックスフォード大学は彼の莫大な遺産を基に奨学金制度を1903年に設けた。その奨学生だったフルブライトは、第2次大戦後の世界のリーダーたらんとする米国への留学機会を世界の若者に開き、米国への理解者を世界中に広めようと考えた。

日本では、1949年にガリオア留学制度がスタートしたが、フルブライト奨学金による交換留学制度が始まったのは1952年からである。

両制度による日本人留学生は1968年ごろまでは毎年約300名に及んだ。しかし、予算が半減された1969年以降は、日本人留学生も50名前後に低減していた。その中、1979年、日本政府が米国フルブライト予算と負担を折半することにしたため、1980年には71名まで増加した。

私もフルブライト制度で留学

実は私自身、1982年のフルブライト奨学生で米スタンフォード大学に留学する機会を得た。すでに大学に専任講師の職を得ていたが、この期間は(私費留学に伴う)休職扱いにしていただいた。

この期間中に、専門分野での研究を深めることができただけでなく、米国サイドが設定してくれた留学生同士の交流の場(複数回、各2泊3日程度)で、ヨーロッパやアフリカからの留学生たちと様々な意見交換ができたことも貴重な機会だった。国務省に招かれた際は、生前のフルブライト氏自身とも直接言葉を交わすこともできた。

申請時には、それまでタイプライターを打ったこともなかったため、奮発してコレクション(修正)機能付きで相当な重量の電動タイプライターを購入し、深夜まで申請書類などを仕上げたことも、懐かしい思い出である。

それを止めるというトランプ大統領の乱暴な政策(思い付き?)はさて置き、日米教育委員会(フルブライト・ジャパン)は2025年の募集を予定通り進めている。マスク氏も「自分はトランプ陣営にすでに相当の寄付をしている」(5月20日)と公表し、政権メンバーとは一線を画す気配のようだ。くれぐれも、こんな愚策は取り下げてもらいたい。(専修大学名誉教授)

食と一緒に春の恵みを楽しむ《宍塚の里山》124

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写真は筆者

【コラム・阿部きよ子】4月27日、宍塚大池の堤防で「里山の春を楽しむ会」(宍塚の自然と歴史の会主催)を開催しました。この行事は、里山の春の恵みを食と共に体験する恒例のイベントです。新型コロナウイルスのため、しばらく休んでいましたが、昨年から復活ができました。

今回は、地元の方々をはじめ、毎月東京から里山保全活動に来ている「法政大学キャンパス・エコロジー・フォーラム(キャンエコ)」の学生の皆さん、4月に新学期を迎えた「田んぼの学校」の親子受講者、雑木林の植生管理に汗を流す「里山さわやか隊」、そして会員の皆さんに加え、視察に来られていた「大阪自然環境保全協会」の方々も足を運んでくださいました。

さらに、関彰商事から3名のボランティアの方々が応援に駆けつけてくださり、機材の運搬作業や草餅づくり、天ぷらの調理など、終日大活躍してくださいました。

楽しむ会の主な内容は、野外調理、竹食器の工作、学生主体の踊り、おしゃべりなどの交流です。事前に野草の摘み取りを行い、前日には筍(タケノコ)掘り、筍の水煮、食材の下ごしらえ、水の準備などを進めました。当日は、早朝から多くの方々が機材運搬や会場設営、調理、工作指導などにご協力くださり、大変助かりました。

春の恵みとして楽しんだ料理は、筍おこわ、筍とセリ、ノビルなどの天ぷら、ヨモギやタンポポ、ハルジオンなどの山菜を乗せたお焼き(宍塚に伝わる大豆を使った自家製味噌添え)、ヨモギたっぷりの餡入り草餅、余った食材で作った炒め物など、用意した食材をすべて食べきることができました。

竹工作では、長老の3名が指導してくださり、学生たちが大きな孟宗竹の「お皿」に料理を盛り付けて食べる姿は豪快そのものでした。久しぶりに顔を見せてくださった方や、病から回復された方も参加され、あちこちで交流の輪が広がりました。

お弁当を持って散策してください

昼過ぎには、堤防の上でキャンエコの指導による踊りが披露され、青空と新緑のもと、素敵な踊りの様子が動画に記録されました。若い皆さんに加え、ベテラン会員さんも軽やかに踊っておられました。ぜひ皆さん、キャンエコ発信のYouTubeでご覧ください。

午後になると風が強くなり、軽いものが飛ばされる場面もあり、早めに帰られた方もいましたが、無事に行事を終えることができ、ほっとしています。春の一日、里山の自然の恵みを、老若男女92名が存分に満喫できました。

今回の行事は終了しましたが、皆さん、宍塚を訪れ、お弁当を持って散策してみてはいかがでしょうか。外で食べるお昼は格別です。(宍塚の自然と歴史の会 理事)

小型ロボット6台 みどりの義務教育学校に寄贈 つくばのあおぞら

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モバイル型ロボット「ロボホン」を持って記念撮影をする(左から)茨城ロボッツの川崎社長、陳岡選手、あおぞらの藤井社長、五十嵐つくば市長

茨城ロボッツの地域貢献活動で

廃棄物リサイクル会社のあおぞら(つくば市片田、藤井邦彦社長)が23日、プロバスケットボールチームを運営する茨城ロボッツ・スポーツエンターテインメント(水戸市、川崎篤之社長)の地域貢献活動を活用して、つくば市に身長20センチほどのモバイル型ロボット6台を寄贈した。6台はあおぞらの地元にある市立みどりの学園義務教育学校(山田聡校長)に寄贈される。

同日、つくば市出身の陳岡流羽(じんがおか・るう)選手(22)らが参加して同市役所で贈呈式が催された。陳岡選手は同市立桜南小、谷田部東中から土浦日大高校、白鴎大学を出て、茨城ロボッツに入団した。

地域貢献活動は「M-HOPE」と名付けられ、皆が元気になれる、皆がバスケを楽しめる、皆のチャレンジを応援する、皆で地域の未来をつくる、カラフルな社会づくりーの5つのテーマのもと、茨城ロボッツの活動やバスケットボールを通じて地域が元気になることを目指している。

寄贈されたモバイル型ロボットはシャープ製の「ロボホン」で、電話や電子メールのほか、専用のツールを使用してプログラムを作成しロボットを操作したり対話することができる。

あおぞらの藤井社長は「つくば市は人口が増え発展している地域。子供の教育に役立ててもらえればという思いで、ロボッツさんの地域貢献活動を利用して寄贈した」と話した。

ロボッツの川崎社長は「茨城ロボッツは現在、水戸市が本拠地となっているが、元々はつくばで誕生した。チームカラーのオレンジは筑波山で出来る福来みかんからとったもの。今季は15勝45敗、東地区7位と苦戦したが、つくばのためにも頑張っていきたい」と語った。

みどりの学園義務教育学校の山田校長は「寄贈されたロボットを教育の現場でさっそく活用していきたい。プログラム作成のほかにも利用方法を探していきたい」と述べた。(榎田智司)

つくバスが横断中の歩行者と接触 男性が軽傷

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つくば市役所

21日午後9時ごろ、つくば市筑穂、西大通りの信号機のある交差点で、男性が横断歩道を歩いて渡っていたところ、左折してきた同市のコミュニティバス「つくバス」と接触し、男性は右膝に軽傷を負った。

市総合交通政策課によると、つくバスは研究学園駅発とよさと病院行きの吉沼シャトル下り20便で、つくバスが交差点を左折した際、横断歩道を歩いていた歩行者に気付かず接触してしまったという。男性は市内の病院に救急搬送されたが入院などはしていない。

事故時、つくバスには乗客4人が乗車していた。乗客やバスの運転士にけがはなかった。乗客4人はそれぞれ、つくバスを運行する関東鉄道が手配したタクシーや家族の送迎、徒歩で帰宅などした。

つくバスは、同市が関東鉄道に運行を委託している。五十嵐立青市長は「相手の方にけがを負わせてしまったことに深くお詫びします。バスの乗客の方にもご迷惑をお掛けしました。再びこのような事故を起こさぬよう、関東鉄道に対し安全運行の徹底と再発防止を強く要請しました」とするコメントを発表した。

工事作業車が給水管を破損 隣接施設の風呂利用を一時停止 つくば市

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つくば市北条、八幡川の河川改修工事現場=22日午後4時30分ごろ

八幡川河川改修工事でまた事故

つくば市北条、八幡(はちまん)川の川岸で21日正午ごろ、市内の工事業者が、市発注の河川改修工事を実施していたところ、作業車両が現場付近に埋設されていた水道の給水管を誤って破損させ、漏水が発生する事故があった。給水管は利用休止中だったが、隣接する市の市民研修センター内浴室の水道から濁った水が出て、同センターは風呂の利用を一時停止した。

市道路整備課によると、重機を搬送するトラックが、地面と同じ高さに埋まっていた水道の取水栓を誤って踏み、給水管を破損させた。給水管は4~5年前から使用されていなかった。現場では直ちに破損箇所を修理したが、破損した給水管が本管とつながっていたため、隣接の市民研修センターの浴室の水道から、さびの混じった濁った水が出て、同センターは同日正午から浴室の利用を一時中止した。

濁った水は3~4分で出なくなり元に戻ったことから、同センターは濁水が出なくなったことを確認の上、同日午後1時45分、風呂の利用を再開した。この事故で、正午から午後1時45分までの間に同センターを訪れた利用者7人のうち4人は浴室を利用できなかった。3人は再開を待って利用した。

一方、同センター近隣には民家が2軒あることから、市は民家の水道に濁水が混入してないか調査を実施、濁水が無かったことを確認した。破損した給水管は翌22日午前中に改めて復旧工事を行った。

同課によると、地面に水道の取水栓があることを工事受注業者は把握していたが、重機を搬送する作業車はリース会社のトラックだったことから、運転手が取水栓があることを把握していたかどうかは不明という。

再発防止策として市は、現場内の埋設物について再度確認を行い、必要に応じて防護措置をとらせるなど、工事現場内の安全管理を徹底するとしている。

八幡川の河川改修工事現場では4月7日にも、同じ受注業者が工事中、土の中に埋まっていた霞ケ浦用水の農業用パイプラインの接続部分がはずれ、パイプラインの水が流出して、土手の斜面の一部が崩落する事故があったばかり(4月9日付)。

「選択的夫婦別姓の実現を」当事者ら、つくば駅前でプラカード掲げる

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つくば駅前で横断幕やプラカードを掲げ、手を振ってくれたドライバーに手を振って応える当事者ら=21日夕方

「選択的夫婦別姓の実現を」「望まない改姓ゼロに」―つくば駅前で21日夕方、横断幕やプラカードなどを掲げて立つ10人の姿があった。自分の名前で生きることに悩み、事実婚や旧姓使用をする当事者らだ。

つくば市や牛久市などに住む20代から60代の研究者や会社員らで、誰もが息苦しさを感じず自分らしく生きられるジェンダー平等社会を目指して活動する「一般社団法人あすには」(東京都新宿区、井田奈穂代表)のメンバー。つくば駅前での行動は5月7日に続いて2回目となる。

今国会で選択的夫婦別姓の実現が期待された中、4月23日から毎週水曜日、国会前でプラカードなどを掲げてきた。地元でも行動しようと、県内に住むメンバー同士が声を掛け合い、つくば駅前で行動を起こした。19日になって国会情勢が変わり今国会での結論は先送りとなりそうだが、諦めず行動を続ける。

第3次訴訟の原告

そのうちの一人、宇宙航空研究開発機構(JAXA)研究者の新田久美さん(59)=仮名=は、選択的夫婦別姓の実現を求めて東京地裁に提訴している第3次訴訟の原告だ。別姓導入の機運が高まっていた約30年前、夫と事実婚をした。しかし社会の壁に突き当り計5回、書類上の結婚と離婚を5回繰り返してきた。大手電機メーカーに勤めていたころ、事実婚では社宅に入ることができなかったため結婚届を出し、その後、自身のパスポートの名前を同一にするため離婚届を出した。子供が生まれると、戸籍上、子供が非嫡出子となったことを知った夫の母親から泣かれ、再び結婚届を出した。その後事実婚に戻したが、マイホームを購入しようとして事実婚ではペアローンが組めず、結婚届を出した。現在は事実婚だ。

仕事柄、海外出張が多い。セキュリティレベルが高いNASA(米航空宇宙局)などの施設に入る際はパスポートの提示を求められ、研究者として使用している名前とパスポートの名前が異なると入ることができない。これまで60件くらいの特許を取得しているが結婚時と事実婚時の二つの名前で登録され、同一人物のものだと分からない。

選択的夫婦別姓を認めない民法や戸籍法の規定は、婚姻の自由を保障する憲法24条に違反するなどとして2024年に起こした第3次訴訟は、「あすには」の井田代表から声が掛かり、夫婦で原告になった。

待って30年

「あすには」は、2018年に始まった選択的夫婦別姓・全国陳情アクションが前身で、これまで地方議会で意見書採択を求める請願活動をしたり、国会議員に陳情活動などをしてきた。県内では2019年のつくば市議会をスタートに取手、牛久、龍ケ崎、鹿嶋市議会などで請願が採択され、地方議会から国に選択的夫婦別姓導入を求める意見書が出されてきた。

茨城での活動を引っ張ってきたのは牛久市の団体職員、小泉祐里さん(56)だ。21日は事実婚の夫と共につくば駅前で横断幕やプラカードを掲げた。

小泉さんは選択的夫婦別姓導入の機運が高まっていた31年前、「すぐに導入されるはずだから結婚届を出すのを少し待とう」と1994年、夫と事実婚をした。しかし待っても待っても変わることはなかった。「待っているだけではなく、何かしなくてはいけない」と全国陳情アクションに加わり、県内の市町村議会や県議会に働き掛けたり、県出身の国会議員に陳情活動などをしてきた。

今国会での情勢の変化に対して小泉さんは「私たちは今国会での導入を諦めてない。会期末まで頑張りたい」と話し「万が一、今国会で先送りされたとしても、市町村議会や国会議員への働き掛けを続けていきたい」と話す。(鈴木宏子)

2つのユニバーサルデザイン《デザインを考える》20

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写真は筆者

【コラム・三橋俊雄】ユニバーサルデザインとは、年齢や性別、障がいの有無などに関わらず、できるだけ多くの人が利用しやすいように道具や環境をデザインすることですが、一方で、障がい者の多様な声に耳を傾け、彼らの個別ニーズに対応したデザインを行うことも必要です。今回は、京都で出会った「歩くことができないKさん」と「手首が回らないAさん」のためのデザインについてご紹介します。

Kさんのための「空飛ぶ座布団」

Kさんは脳性麻痺で、四肢のうち自由に動かせるのは左手のみ。バーセルインデックス(食事、移乗、トイレ動作、入浴、歩行など10項目の日常生活動作の能力を点数化する評価方法)では40点以下という、生活の大部分が要介護の状態で、毎日朝晩と隔日の昼間にヘルパーのサービスを受けています。屋外での移動は電動車椅子ですが、その車椅子に乗るまでの準備工程も、ほとんどをヘルパーに頼らなければなりません。また、室内での姿勢は「アヒル座り(内股座り)」しかできません。

このようなKさんに対し、自力で室内の移動ができるための福祉用具デザインを試みました。彼の移動能力を調べると、乗り移ることができる高さは19センチ、降りる時に11センチを超えると怖い、乗った時の姿勢のズレを防止する凸部が必要、乗り降りのためのブレーキが必要など、試作モデルでの使用実験を繰り返し、写真(上)のような「空飛ぶ座布団」のデザインになりました。

Kさんからは「おかげで、ヘルパーなしでも1人で乗り降りができ、うろうろすることができるようになった」とのことで、Kさんの望みをひとつ叶(かな)えられたと思いました。

Aさんのための食事補助具

脳性麻痺のAさんは、車イスで移動したり、杖を用いれば歩行も可能な学生でしたが、左手は筋肉が硬直し、手首が外側を向いたまま、手のひらを返すことができませんでした。

そのAさんの「両手を使ってみそ汁を飲みたい」という要望に応えるため、左手でお椀(わん)を口に運ぶことができる食事補助具のデザインに挑戦しました。

上肢の可動状態を把握し、左掌が下向きのままミソ汁椀を口に運ぶことができるモデルを、①お椀の持ち上げやすさ、②お椀の口元への近づけやすさ、③握りやすさ、④お椀を置いたときの安定性、⑤総合的な使いやすさなどの視点から検討し、写真(下)の補助具にたどり着きました。

健常者にとっては使いやすくても、障がい者にとっては使えなかったり、使いにくかったりする道具や環境がたくさんあります。障がい者のためのデザインがもっと増えてこそ、真のユニバーサルデザインの社会が実現するのではないでしょうか。(ソーシャルデザイナー)

学校給食に異物混入 つくば市の中学校

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給食に混入していたホチキスの針=つくば市提供

つくば市は19日、市内の中学校で16日に出された学校給食に異物が混入していたと発表した。教員が食べた鶏肉のトマト煮にホチキスの針が混入していた。

市教育局健康教育課によると、16日午後0時50分ごろ、市立中学校の職員室で、教員が鶏肉のトマト煮を食べた際、口の中に違和感を感じ、異物を吐き出したところ、長さ1センチくらいのホチキスの針一つが混入していた。教員にけがなどはないという。発見時、生徒のほとんどが給食を食べ終わっていた。

鶏肉のトマト煮は同日、つくばほがらか給食センター谷田部で調理され、幼稚園4園、小学校6校、中学校3校の3317人に提供された。異物が混入していた給食は職員室で配膳されたものだという。同校や他校などから、ほかに異物混入の報告はない。

発見後、同校のほか、給食センター、食材納入業者それぞれ、異物混入の経緯などを調査したが、現時点で混入経路は不明。

同給食センターは16日、保護者にお詫びの通知を出した。

群馬に5連敗 茨城アストロプラネッツ

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3回裏茨城1死一・二塁、先制の右犠飛を放つ原=撮影/高橋浩一

プロ野球独立リーグ・ルートインBCリーグの茨城アストロプラネッツは18日、土浦市川口のJ:COMスタジアム土浦で群馬ダイヤモンドペガサスと戦い、1-4で敗れた。今季初の土浦開催となった。茨城の通算成績は5勝10敗で東地区3位。今季の群馬戦の戦績は0勝5敗となった。

【ルートインBCリーグ2025公式戦】(5月18日、J:COMスタジアム土浦)
茨城アストロプラネッツ-群馬ダイヤモンドペガサス
群馬 000001210 4
茨城 001000000 1

試合は3回に茨城が先制。先頭の9番・原田京雅と続く1番・山本仁が右前へ連続安打、2番・高田龍の送りバントで1死一・二塁とすると、3番・原海聖が右翼へ犠牲フライを放ち1点を奪った。「ノースリーだったが四球を狙わず振っていけと指示し、しっかりと外野まで運んでくれた」と巽真吾監督。「打ったのはちょっと浮いたチェンジアップ。相手投手は入れてくると思い、甘い球を見逃さずとフルスイングすることを意識した」と原。

3回裏、先制の右犠飛を放ち、生還した原田(右)がジョ・ミンヨンとタッチを交わす

投手は金韓根が先発し、5回83球を投げて無失点。立ち上がりは低めの球を見極められ走者を出したが、途中から組み立てを変え、高めのボールからストライクになる変化球でカウントをかせぎ、後半はテンポの良い投球でフライアウトに打ち取った。5回表には内野安打と四球で1死一・二塁のピンチを作るが、相手の送りバントを自ら処理し三塁封殺に成功。「捕手は一塁を指示したが自分の判断で三塁に投げた。ここで走者を残すと単打でも1点を許すことになる。絶対に三塁を踏ませたくなかった」との振り返り。

先発し5回無失点の好投をした金

6回以降は4人の投手が1イニングずつ投げたが、2番手の三浦遼大は替わりばなの初球で本塁打を浴び、3人目の川端啓新は四球と送りバントの一塁悪送球で無死一・二塁とされ、単打と内野ゴロで2点を失った。4人目の斉藤淳斗は3安打に野手のファンブルが重なり1失点。5人目の太田大和は1安打2四球で1死満塁のピンチを迎えたものの、6-4-3の併殺で切り抜けた。

6回表群馬無死、ソロ本塁打を浴びうなだれる三浦。打者は群馬の濱田

攻撃でも茨城は小さなミスが目立った。1回は山本が四球から足を生かして一死三塁の好機をつくり、原の右飛にタッチアップを狙ったが、ポテンヒットになったことで本塁突入に失敗。5回には四球で出塁した山本が牽制球から挟殺に遭い、次打者の高田龍が右前打を放ったため、ここで山本が生きていればと惜しまれる結果になった。

9回には6番・草場悠が四球を選び、8番・三池裕翔が中前打と盗塁で2死二・三塁、一発が出れば同点という見せ場を作った。打席に立った原田はバットを折るアクシデントもありながらフルカウントまで粘ったが、最後は遊飛に倒れ、「ボールを見極めることはできたが、投手の気迫に負けて外野へ運ぶことができなかった」との無念の敗戦となった。

9回裏茨城2死二・三塁、最後の打者原田は遊飛に倒れる

「群馬戦はここ数試合接戦が続いているが、四球と失策が重なるとか、チャンスであと1本が出ないなど、いずれも勝てそうなゲームを少しの差で負けている。投手と野手がかみ合う試合をつくり、チームが一体感を持って勝利を目指したい」と巽監督はリベンジを誓う。(池田充雄)

試合終了、あいさつに向かう巽監督(中央)と茨城の選手たち

難民支える自治体ネットワークに加入 つくば市 全国19番目

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署名した賛同表明文を見せる(左から)桒原妙子国連難民高等弁務官事務所駐日首席副代表代行と五十嵐立青つくば市長=つくばセンター広場、つくばフェスティバル特設ステージ

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が進める国際キャンペーン「難民を支える自治体ネットワーク」に18日、つくば市が加入した。自治体が難民への連帯と貢献を表明することを通して難民支援の輪を広げていく取り組みで、国内では東京都、広島市、札幌市などに続いて19番目、北関東の自治体では初の加入となる。世界では59カ国309自治体目。

同日、つくば駅前のつくばセンター広場などで開かれた科学と国際交流のイベント「つくばフェスティバル2025」会場で同ネットワークの加入署名式が催され、五十嵐立青つくば市長と桒原(くわはら)妙子UNHCR駐日首席副代表代行が同ネットワークの賛同表明文に署名した。

五十嵐市長は「世界に難民は1億2000万人いる。日本の人口と同じ。(難民の)状況は厳しくなっている。ウクライナ、ガザ、世界各地で大変なことが起きていて、奪われてはいけない命が奪われている。つくばにも避難してこられたり移ってこられた方がいる。だからこそ我々自治体は、連帯し国際社会の一員として支えていく責務がある。我々に何ができるか、まずは知ること。その先に何ができるか、皆さんと共に歩みを進めたい」と話した。「分断が進んでいる社会で、自治体としてメッセージを出していこうという意思表示」だという。

桒原代表代行は「つくば市が北関東で初めて参加してくださることは本当に心強い。つくば市はSDGs(国連の持続可能な開発目標)など地球規模の課題に積極的に取り組んでいる全国でも先進的な自治体。つくば市ならではの柔軟で創造的な取り組みを通じて、難民支援の輪が地域から自分ごととして広がっていくことに期待したい」と述べた。

2023年10月、フィリッポ・グランディ国連難民高等弁務官が、ウクライナから避難してきた学生や留学生などと意見交換するため筑波大学やつくば市役所を訪れたことがきっかけになった(23年10月20日付)。つくば市がSDGsに積極的に取り組んでいたり、不平等や格差是正に取り組むOECDの先進的市長(チャンピオンメイヤー)に選ばれていることなどから、UNHCR駐日事務所が同市に自治体ネットワークへの加入を呼び掛けた。

加入にあたって同市は「いろいろな機会をとらえてまず知っていただくことが一歩」(五十嵐市長)だとして、17、18日の2日間つくば駅周辺で開かれたつくばフェスティバルで、UNHCRの難民支援の仕事などを紹介するブーズを出展した。市中央図書館では1日から30日まで、UNHCR駐日事務所の協力で平和、共生、多様性などに関する同館所蔵図書を紹介する「難民のものがたり展」を開催している。

つくば市中央図書館入り口で30日まで開催されている「難民のものがたり展」

つくば市では現在、147の国と地域出身の外国人1万4251人が暮らしている。そのうち難民や戦争などからの避難者が何人いるかは不明。

他の加入自治体の取り組みとしては、UNHCR駐日事務所と連携して、難民問題を知るための独自イベントの開催や学校などでの出張授業、難民支援のための寄付の呼び掛け、大学の奨学金制度の導入や企業の雇用支援、母国を離れ難民キャンプなどで生活している難民を第三国が受け入れる「第三国定住」などを通じた難民の受け入れなどが行われているという。(鈴木宏子)

落成式に石破首相 産総研に社会実装向け計算技術拠点 つくば

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落成式でテープカットをする(左から)石村和彦産総研理事長、石破茂首相、武藤容治経済産業相

量子技術による新産業創出の中核

「量子」と「古典」のコンピューティング技術を相互に利用し、高度な融合計算技術の確立を目指す社会実装拠点が産業技術総合研究所(産総研)に出来上がった。つくば市梅園のつくば中央事業所内に設置された量子・AI融合技術ビジネス開発グローバル研究センター(G-QuAT=ジークアット)本部棟で、18日に石破茂首相、武藤容治経済産業相らと学界、産業界の関係者を集めて落成式が催された。

620億円かけ整備

産総研によるG-QuATの設立は2023年7月で、今年3月までに2つの研究棟が建設された。鉄筋コンクリート造地上4階建てのA棟5616平方メートルと同2階建てB棟2060平方メートルからなる本部棟と、地上2階建て2243平方メートルのQubed(キューベッド)棟の2つ。本部棟には、古典・量子ハイブリット計算環境としてGPUスパコンと超伝導量子コンピューター、量子デバイス評価として希釈冷凍機と量子ビット制御装置などを整備した。Qubed棟には中性原子量子コンピューター「QuEra」が設置された。

ジョセフソン素子からデザインをとったG-QuAT本部棟=つくば市梅園

建物と関連設備の投資規模は620億円。これは国から産総研への運営費交付金1年分に匹敵する規模で、研究開発拠点を超えて社会実装に踏み出すという意欲の表れとなった。量子技術による新産業創出には国も熱心で、G-QuATはその中核となる位置づけ。産総研発足の2001年以降、現職の首相を迎えるのは今回が初めてという。

初の「商用」超伝導量子コンピューター

米国エヌビディア(NVIDIA)社のH100を2020基搭載したGPUスパコン「ABCI-Q」は最新のAI技術を用いながら「古典」型というのが面白く、富士通製の「量子」コンピューターと超高速インターフェースで結んで、古典・量子融合型計算環境を構築する。

量子コンピューターと古典・量子融合を組むスパコン「ABCI-Q」

量子コンピューター自体、「重ね合わせ」という100年前に成立した量子力学の考え方を基礎にしている。一般的な(古典)コンピューターが電流のオンとオフで0と1の状態をつくって計算するのに対し、量子コンピューターは0か1か確定していない「重ね合わせ」の状態をつくり出して計算する。並列処理によって膨大なパターンの情報をひとまとめにして計算できる。

富士通が持ち込んだ64量子ビットの超伝導量子コンピューターは、わが国では初めての「商用」タイプとなる。G-QuATは最先端設備を開放しての産業支援を掲げており、企業共同研究など特定の事業に利用制限されないのを特徴としている。産総研がサポートにつく形で、富士通など企業主体での事業化を促す。超伝導量子コンピューターは現在最も開発が進んでいるされるが、絶対温度零度(マイナス273℃)近くの極低温環境が求められており、実現のための希釈冷凍機など次世代機の開発も同時に進める。

初の「商用」タイプとして設置された超伝導量子コンピューター前で左・吉田良行副センター長と富士通社員=G-QuAT本部棟

用途としては材料、金融、創薬などの分野で実用的な量子アプリケーションを開拓中で、量子コンピューターを活用する場合システムがどのように使われるか利用者目線から記述するユースケースを開発したり、高品質な部素材の評価・標準化、量子ビットの大規模集積化などに取り組む。本部棟には国内外の企業や大学などの多様な利用者が集う結節点としてのインキュベーションスペースも整備している。

落成式で石破茂首相は「量子力学100年=メモ=という節目の年に、世界最高水準の計算環境ができたのは意義深い。高度な研究設備が備わっており中小企業の皆さんにも共同研究に取り組んでいただけるよう、国としても強力に支援していきたい。つくばには、地方から世界にはばたく、そして地方から日本を変える拠点となることを期待したい」とあいさつした。(相澤冬樹)

※メモ【量子力学100年】1920年代、ド・ブロイ、ハイゼンベルク、シュレーディンガー、ディラックなどが現在の量子力学の礎となる成果を続々と発表した。ボーアによって「コペンハーゲン解釈」が成立したのが1926年。ユネスコは2025年に、量子力学100年を記念する取り組みを行うことを決議した。