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「人体の自然」に添う食が健康体をつくる《邑から日本をみる》187

【コラム・先﨑千尋】「私たち人間の体は120歳まで生きられるようにできている。植物食を食べ、長生きしよう」。9月18日、那珂市瓜連の常陸農協レインボーサロンで「『人体の自然』に添う食-それが健康体をつくる」という演題の講演会が開かれた。講師は牛久市在住の長谷山俊郎さん。私と同年で、50年来の友人だ。

長谷山さんは大学を出て農水省の研究員になり、現役の時は地域農業の改善や地域づくり、地域活力の向上などの支援を行ってきた。退職してからは日本地域活力研究所を立ち上げ、もっぱら健康づくりをテーマとし、執筆や講演活動を続けている。それは、10代から病気のオンパレードで「不健康で病弱だったから」。60歳の時に水野葉子さんの本を読み、その本には「食を改善したら、持病が直った」とあった。

それから持ち前の研究熱心さで、食や健康の研究にのめりこみ、今では医療費はほとんどゼロ。健康に関する著作も多い(コラム5 とコラム162参照)。

長谷山さんはこの日、約40人の参加者を前に、20ページを超える資料を基に、人体の自然に添う植物食が健康を生み、人体の自然に添わない動物食や食品添加物、化学物質、加熱油、小麦が病気を生む、と話した。

アルカリ性体質だと健康になる

以下、長谷山さんの講演から、ここが大事だと私が思ったことを列記する。

・今の医療は、薬などで病状を和らげる「対症療法」であり、病気を生まない「原因療法」でない。今の医学と栄養学は食と体の関係を知らない。健康は「バランスのとれた食品群を食べること」ではない。

・私たちの体は、人類が誕生した200万年前と変わっていない。その頃は果物中心のアルカリ性体質なので、病気にならない。腸内細菌叢(そう)は免疫力を高め、栄養の吸収を良くし、老廃物を蓄積せず、体に炎症を起こさない。これが人体の自然で、健康をもたらす。

・アルカリ性体質だと健康、酸性体質だと不健康になる。アルカリ性食品を80%以上取る。食品添加物は慢性腎臓病をもたらす。肉の摂取で坐骨神経痛や痛風になる。

・動物性食品や加工食品などの酸性食品は、血管や脳によくない影響を与える。がん細胞は酸性環境で活動し、アルカリ性環境では活動できない。アルカリ性体質はコロナを防ぐ特効薬。インフルエンザにもかからなくなる。認知症の予防にもなる。

・アルカリ性体質にする食材は、生野菜、果物、海藻類、キノコ類、発酵食品、漬物など。

・酸性食品は肉類、卵、乳製品、小麦、紅茶、チョコレート、加工食品、電子レンジ食品、炭酸水など。

・小麦は1955年以降品種改良が行われ、グルテンが以前の40倍になった。それによって体の多くに炎症を起こす食品に変わった。病気を生まないためには小麦を食べないこと。私はこのことを知らなかった。(元瓜連町長)

<参考>長谷山さんは5人以上集まれば講演に来てくれる。連絡先は電話029-871-4645、メールはjuhht71724x@kna.biglobe.ne.jp。

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