【コラム・冠木新市】中学1年生のころ。米国の進駐軍が戦争直後の日本の子どもたちにチョコレートやチュ一インガムを配る記録映像を目にし、不思議に思った。あの行為は、米国が日本人に好印象を持ってもらおうとの戦略だったのだろうか。
同じころ。古本屋で購入した「キネマ旬報/日本映画戦後18年総目録」の中に不思議な単語を見つけた。「…女性尊重、殿様の権威否定(もろもろの権威が殴られる)とともに、野球などのスポーツをねらったものがある。つまり3S政策といわれたものに対する、極めて素朴な、しかし商売上手な戦前からの転身が見られる」(戦後日本映画展望/井沢淳)
3S政策とはなんなのだろうか、疑問だった。だが、以後この言葉を目や耳にすることはなかった。1990年代に入って、ようやくその意味が分かる。
終戦後、米国はかねてから準備していた占領政策を打ち出した。その中核をなすのが「3S政策」、別名「日本弱体化政策」であった。3Sとは、SPORT(スポーツ)、SCREEN(スクリーン、映画)、SEX(セックス)の頭文字を示すもので、この3つのSを日本人の思考と身体に浸透させ、日本人を弱体化し、政治に興味をなくさせ、都合よく操ろうという計画だった(文献は残されていない)。
日本国民は、米国を美化して描いたハリウッド映画の洗礼を受け、知らず知らずに米国を理想化していった。大人たち以上にスクリーンの洗礼を受けた少年少女たちは、後に団塊の世代と呼ばれるようになり、3つのSが浸透し話題の中心となり、生き方を決めていくこととなった。
小津安二郎監督「東京物語」、溝口健二監督「雨月物語」、撮影中の黒澤明監督「七人の侍」など、日本映画界が黄金期を迎えていた1954年。
大リ一グの野球選手だったジョ一・ディマジオと結婚したセックスシンボルの女優マリリン・モンローが「帰らざる河」の撮影を終え、新婚旅行で日本にやって来た。表向きは、ディマジオが読売新聞の野球イベントに招待されたとされている。しかし、そのころは朝鮮戦争中で、モンローは韓国で戦う米兵の慰問を兼ねていたといわれる。米国でコンサートのリハ一サルまでして来たとの情報もある。
日本人は、モンローとディマジオの来日に熱狂した。2人の来日は、もしかして、文化復興してきた日本に対して、3S政策を再度強化するための作戦ではなかったのか(映画探偵団35)。
1960年代の高度成長期に入ったころから、日本人に糖尿病患者が急に増加する。テレビでは、コーラとチョコレートのCMがガンガン流れていた。映画館のスクリーンを見て、コーラを飲み、チョコレートを食べていた私は、成長して当然のように糖尿病となった。
2000年代に入ると、3S政策の話はちょくちょく目や耳にするようになる。そんなある日、病院からの帰り道で突然ひらめいた。3S政策のSとは、SUGAR(砂糖)ではないかと。進駐軍は子どもたちに甘味を覚えさせ、3S政策で興奮を与え、着々と糖尿病患者に育てようとしたと妄想するのだが、糖尿病患者の皆さんはどう思われるだろうか。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)
<お知らせ> 物語観光「つくつくつくばの七不思議セミナー」
・日時:11月29日(土)午前11時~午後1時
・場所:コリドイオ小会議室
・内容: 映画上映「サイコドン(第2話)」、製作発表「新春つくこい祭/北条芸者ロマンの唄が聞こえる」の後、まちづくり懇談(参加費無料)



































