月曜日, 10月 12, 2026
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総合病院の病理科の仕事とは?《メディカル知恵袋》12

【コラム・内田温】総合病院の病理科は、患者さんはもちろん、多くの医療従事者にとってもあまりなじみのない部門です。しかし、医療の根幹を支える重要な役割を果たしています。今回は、そんな病理科についてご紹介します。

主な業務

病理科の主な仕事は、「病気を肉眼および顕微鏡で診断すること」です。たとえば、胃や大腸、乳腺などから小さく採取された組織(生検検体)を観察し、悪性かどうかなどを判定する「生検組織診断」、手術で摘出された臓器や腫瘍の診断を行う「手術検体組織診断」があります。

さらに、手術中に腫瘍の良悪性や切除断端の状況などを判断するため、臨床検査技師が作製した凍結切片から病理医が短時間で診断を下す「術中迅速診断」も重要な業務です。

近年では「がんゲノム医療」においても、遺伝子変異の有無やバイオマーカーの評価を通じて、患者さん一人ひとりに最適な治療法を選ぶ手助けをしています。

病理医は希少種

このように重要な役割を果たす病理医ですが、全国的に非常に数が少ないのが現状です。日本全国の病理専門医は2800人弱と、全医師数の1%にも満たない「希少種」と言える存在です。

当院では幸いなことに3名の常勤病理専門医を擁しており、正確で信頼性のある病理診断を提供するため、すべての症例において原則2名以上の病理医が協力して診断を行うダブルチェック体制を構築しています。

臨床検査技師

病理診断を支えてくれている、大切な存在が病理検査室の臨床検査技師です。病理診断のためには、提出された検体から適切な標本を作製する高度な技術が必須であり、このプロセスを担うのが臨床検査技師です。彼らがいなければ、病理医は診断業務を遂行することができません。まさに信頼すべきパートナーであり、常に尊敬と感謝の気持ちを持って一緒に仕事をしています。

病理診断とAI

昨今では、さまざまな分野でAI(人工知能)の活用が進んでいますが、病理診断の分野でも以前からAI技術に関する多数の研究が行われてきました。

有名な研究としては、乳癌リンパ節転移の検出精度を競う国際的なコンペティションにおいて、AIが病理医と同等かそれ以上の診断精度を示した報告があります(Bejnordi et al., JAMA, 2017)。また、胃生検の病理診断支援AIについて、全国10施設の画像を用いた検証で約95%の一致率を記録した日本の研究もあります(Abe et al., Cancer Sci, 2022)。

AIが病理医の仕事を奪うのではないかという懸念もありますが、私個人としては、そのような事態は今後数十年(少なくとも私が現役でいる間)は訪れないと考えています。AIは病理医の「置き換え」ではなく、「診断を補助するための優秀な道具」として、診断の効率化や業務のストレス軽減に貢献してくれるものと期待しています。

なお、当院では現在のところAIシステム導入の予定はなく、リンパ節転移個数測定やバイオマーカー陽性率算出などを含め、地道な業務を当面今まで通り行っていく方針です。

縁の下の力持ち

病理科は表に出ることの少ない「縁の下の力持ち」ですが、診療の根幹を支える極めて重要な存在です。患者さんやご家族の安心、そして正確な治療につながる診断のために、私たちは日々努力を重ねています。このコラムが、病理科について少しでも理解を深めるきっかけとなれば幸いです。(筑波メディカルセンター 病理科 医師)

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