月曜日, 4月 6, 2026

3年ぶりリニューアルオープン ホテルJALシティつくば

2月1日から つくば国際会議場に直結するホテルJALシティつくば(つくば市竹園)が約3年間の営業休止を経てリニューアルし、2月1日から営業を再開する。快適性を追求し、全客室のベッドを高級ベッドのシモンズ製に入れ替えたほか、8種類の枕が選べるピローバーや、アメニティバーも用意する。イタリア高級家具ブランドの日本総代理店、カッシーナ・イクスシーが内装デザインを監修した日本料理店「ろくさん」も新規オープンする。 同ホテルは2020年4月、グループホテルのブランドの組み替えに伴って、オークラフロンティアホテルつくばエポカル館から名称を変更してリブランドオープンしていた。2020年12月から新型コロナウイルスの宿泊療養施設として県に貸し出し、営業を中止していた。23年9月に県への貸し出しを終了。約4カ月間復旧工事を行い、客室や共用スペースの壁紙、カーペットを修繕して全客室186室のベッドを一新した。2月の営業開始に向け、昨年12月1日から宿泊予約を開始していた。 日本料理店「ろくさん」として新規オープンするのはエポカル館だった時にファミリーレストランCASAが入っていた建物。ホテル直営ではなく、構内請負業務を行うサクセス(常総市)が運営を行う。「ろくさん」マネージャーの川田晋さんによると、レストラン内装は、天井の高い建物の空間を最大限に生かし、床のタイルから電球までこだわったデザインになっているという。 同ホテルではコロナ禍前は約3割が海外からの宿泊客だったこともあり、今後のインバウンド需要を見込んで、日本料理にコンセプトを絞った。日本ならではのおいしい和食を味わってほしいと、こだわりの出し汁の味噌汁や、お米マイスターが選ぶお米、地場野菜などの食材を使った朝食膳を宿泊者限定で提供する。当面は宿泊客限定で、朝食時間帯のみの営業だが、今後、完全予約制でのディナー営業や、宿泊者以外への朝食膳提供なども企画の予定だという。(田中めぐみ)

浄化し宝に…作詞の心記す 幻の歌「霞ケ浦周航歌」を探して(下)

幻の歌「霞ケ浦周航歌」。作詞をしたのは土浦で育った禅研究家、赤根祥道さんだった。故人となった作詞者を師と仰ぐ塾生らは「歌を知ってもらい、口ずさんで、この歌で地域の歴史や文化を知ってほしい」と呼び掛ける。 土浦でも「赤根塾」 1998年、塾生の一人で当時土浦市議会議員だった内田卓夫さん(78)は、東京だけではなく土浦でもビジネス禅の研修会を開きたいと「赤根塾」を企画した。赤根さんに師事したいと、大久保写真館(土浦市桜町)代表の大久保博さん(58)など、地域の会社社長や重役など当時30代から50代の約15人が1期生として集まった。内田さんは当時53歳だった。 「(赤根先生は)一度会っただけでただ者じゃないという感じだった。この人に付いていけば大丈夫だろうと考え、学びたいと思った」と内田さん話す。塾生らは97年に完成した「霞ケ浦周航歌」を広めたいと活動したが、歌はなかなか広まらず、知っているのはごく一部の人だけとなった。 塾生が歌碑を建立 歌が完成した97年、「赤根塾」の塾生だった吉川國弘さんが赤根さんの思いに共感し、自宅の庭に楽譜を刻んだ歌碑を建立した。その後、歌碑は歩崎公園に移設されて現在の場所にある。赤根さんが作った歌詞は8番までで、9番は吉川さんが作って付け足した。歌碑が建つ歩崎公園はサイクリングコース「つくば霞ケ浦りんりんロード」上にあり各地から訪れたサイクリストの目に留まるも、ネット上に音源はなく、忘れ去られた歌となっていた。 赤根さんを知る山城経営研究所の竹之内由美子さんは「おおらかで何事も肯定的にとらえる人柄で、経営リーダーの方々を激励していた」と人となりを話す。塾生の一人、大久保博さんは「経営者には不安がつきものだが、赤根先生の話を聞くと不安が無くなった。とにかく話がおもしろく、心をつかまれた」と思い出を語る。 直筆のメモ残る 赤根さんは学生時代、ボート遊びをして霞ケ浦に親しんでいたという。土浦市の郷土史家である永山正さんの著書も参考にして歌詞を考えたと見られ、本の内容を抜き書きした直筆のメモが遺っている。赤根さんは作詞の心を「日本第二の湖・霞ケ浦を誇りにして、大事に浄化して、私たちの心とくらしの宝にしたい。みんなの心をこの歌で元気にしたい」と、手書きで記している。 内田さんは「赤根先生は都内で活躍していたが、土浦に恩返ししたいという気持ちがあったようだ」と話す。「この歌で改めて地域の文化や歴史を知り、地域に誇りを持ってほしい。ボランティアで作られた歌だが、今まで日の目を見なかった。みなさんに知ってもらい、口ずさんでほしい」と思いを話した。 霞ケ浦周航歌 歌詞 一、筑波の嶺をあとにして 花の筏の桜川 亀城の櫓 壁白く めざすは霞浦の湖ぞ 二、霞浦の川面は波静か 帆曳きの影も あざやかに古き江戸崎港には 天海和尚 不動院 三、お江戸廻船あとしたい 古渡の渡し すぎゆきて夢の浮島 信太の館 広がる稲穂 和田岬 四、三又すぎて 潮来には 娘船頭 赤だすきあやめの園や 十二橋 水郷うれし 潮来節 五、鹿島の月は 高くして 俳聖芭蕉 旅衣仏頂禅師 したいたる 根本寺の句碑古し 六、剣聖卜伝 磨きたる  天下無双の剣の道鹿島の社 森深く タケミカツチの武をたたう 七、麻生の浜は 天王崎 歴史も古き 玉造国府石岡 万葉の 歌人の跡 ここかしこ 八、歩崎なる観音寺 望めば遠く 富士の山一望千里 はてしなき 利根の恵みの大平野 https://youtu.be/_WAl82yQ-uA 内田さんは「霞ケ浦周航歌」のシングル版CDを大切に保管していた。 (田中めぐみ) 終わり 【2月12日追加】カラオケバージョンを作成しました。 https://www.youtube.com/watch?v=OmKXxP3qg0s

たそがれの土浦・節分会《土着通信部》55

【コラム・相澤冬樹】古い水戸街道が土浦市大手町から中城通りに入り、桜橋を渡って、旧町名でいう本町から仲町、田町、横町にいたる界隈(かいわい)は昭和の半ばまで、土浦旧市内きっての繁華街であった。今の中央1、2丁目から城北町には天神や稲荷講、三夜講など、月々に随所で縁日が開かれ、売り出しの市が立った。水運で桜橋近く、川口川の河岸(かし)に集まった農山漁村の民たちが一仕事終えて、日暮れから夜にかけてにぎわいをつくり出したのが土浦の特色だった。 昭和の終わりから平成にかけ、通りは活気を失い、各種の縁日はほとんど途絶えてしまったが、年に一度だけ界隈がわずかににぎわいを取り戻す宵が来る。桜橋をはさむ水戸街道の一画に節分の夜、土浦らしい節分行事が出現する。 ことしの節分は2月3日、土曜日。まずは中央2丁目側の旧本町で、午後4時から「まあかっしょ」が始まる。語源は不詳だが、郷土史家の故永山正さんはこう書いた。 「節分の夜東崎の鷲神社に参拝の帰りに本町の四辻(昔の土浦にはここのほか三叉路や四辻はなかった)で、厄年に当たる人々(男は42歳、女は33歳)がかねて用意したお金(年の数だけ百円硬貨でも十円硬貨でも何でもよい)を男は褌(ふんどし)に、女は腰巻に包んで投げる。これによって厄払いができたというわけである。これを拾ったものは幸運がくるというわけで、争ってこれを拾った」(『土浦町内誌』) 「逢魔が時」の逢魔が辻に出現する、奇祭である。褌や腰巻が飛ぶ時代ではなくなったが、小銭やお菓子をまく風習はコロナ禍の間も細々続けられてきた。温かい飲食物もふるまわれる。記述に出てくる東崎の鷲神社では旧暦正月の15日に、味噌おでんで無病息災を願う「じゃかもこじゃん」という行事も行われていたが、こちらは2014年で途絶えた。 続けて、中央1丁目側の中城にある琴平神社と不動院が前後して節分会(え)を催す。土曜の夜 午後5時から不動院が、同6時から琴平神社が豆まきを予定する。宮中行事の追儺(ついな)にちなむ節分の豆まきは、疫病退散を願う意味合いもある行事だが、コロナ禍には勝てず、地域の神社・仏閣では過去3年、豆まきを中止したり祭事を縮小したりするところが相次いだ。両社寺並んでの豆まきは4年ぶりの開催だ。ここでは豆というより、餅まきというのがふさわしい。かけ声は「福は内」だけで、「鬼は外」は言わない。町内の顔役らが箱ごとぶちまけるように投げつける紅白の丸餅は、直撃されると結構痛い。境内に集まったお年寄りや子供たちは、当たらぬようにかわしながら追いかけ、受け止める。年越しの節分の夜が明けると、4日は立春。新しい年が始まる。琴平神社と不動院の入り口には中城通りをはさんで向かい合う土浦まちかど蔵の「大徳」「野村」があり、同日から始まる「土浦の雛(ひな)まつり」のメーン会場となる。会期は3月3日まで、市街地の商店・飲食店など約100店が参加、旧家に伝わる人形から最近の創作びななどを店内にあしらう。土浦のかつての豊かさがほんのり薫ってくる、春の入り口である。(ブロガー)

歌碑ひっそりたたずむ 幻の歌「霞ケ浦周航歌」を探して(上)

霞ケ浦を望む歩崎公園にひっそりとたたずむ「霞ケ浦周航歌」の歌碑―。霞ケ浦の名所を叙情豊かに歌い上げている。土浦で育った禅の研究家が「霞ケ浦を浄化し、誇りにして宝にしたい」と作詞し、1997年に完成したが広まらなかった。歌を作ったのは一体どのような人で、どうして幻の歌となってしまったのか。 歌碑には楽譜と歌詞が刻み込まれているが、その曲を知る人はほとんどいない。歌碑を目にしたサイクリストも「聞いたことがない。ネットで検索しても何も出てこない」と話す。歌碑には「作詞 赤根祥道、作曲 安田優」とある。 霞ケ浦を一周 「筑波の嶺をあとにして 花の筏(いかだ)の桜川 亀城の櫓(やぐら) 壁白く めざすは霞浦(かほ)の湖ぞ」という歌詞から始まるこの歌は、1番から9番まである。楽譜を見ると8分の6拍子の曲で、歌詞には、土浦、江戸崎、浮島、潮来、鹿島、麻生、玉造、石岡、歩崎と霞ケ浦を反時計回りに一周する地名を詠み込んでいる。それぞれの地の歴史、文化に触れる内容になっており、その歌詞からは郷土への愛が伝わってくる。 作詞は赤根祥道さん 作詞をした赤根祥道さんは1930年、中国・大連市生まれ。2001年に亡くなっている。土浦一高を卒業し、東北大学と駒澤大学大学院で哲学と禅を、青山学院大学大学院で経営学を学んだ禅の研究家だった。1990年から亡くなる2001年まで、山城経営研究所(東京都千代田区)が主催するビジネス禅の研修会「赤根塾」で講師を務めていた。 「赤根塾」では、禅語の書物「碧巌録(へきがんろく)」などを用いて、全国の有名企業、中小企業の社長や重役などに禅の知恵を解き、経営の心を教えていた。禅に関する多数の著作があり、1998年には土浦市立図書館に「赤根祥道文庫」として著書約200冊と視聴覚資料を寄贈している。 歌はアマチュア作曲家の安田優さんが曲を付けて1997年に完成し、同年に開かれた「泳げる霞ケ浦市民フェスティバル」で披露された。安田さんの詳細は不明。歌のCDは地域の中学校などにも寄贈されたという。しかしその後広まらず、幻の楽曲となってしまった。(田中めぐみ) 続く

多様性を認め合う育ちの場へ《令和楽学ラボ》27

【コラム・川上美智子】先般、つくば市内の民間保育園、認定こども園、幼稚園の施設長を対象とする研修会が開かれた。2名の講師をお迎えし、「つくば市の特徴を捉えたこれからの保育施設に必要なこと」「療育と保育の連携の重要性について」という、タイムリーなテーマで講演が行われた。 小学校では通級希望の児童が待機待ちですぐに通級措置が受けられないことが話題になっているが、つくば市内の保育園や幼稚園でも保育士が上手に対応しきれないお子様が増えてきており、施設長会での課題となっている。 特別支援を要する身体的、知的障害には当てはまらない、気になる子や、グレーゾーンと呼ばれる子どもが近年増えていると言われている。多様性を認め合うダイバーシティ(Diversity)や障害のあるなしにかかわらず共に学び合うインクルージョン(Inclusion)が尊重される現代社会にあって、幼児教育施設では、そのような子を排除したがる風潮があることは否めない。 実際、適切な個別対応の方法についての知識や経験に乏しい現場の保育士たちにとっては、手に負えない子どもであって、やっかいもの扱いである。危険だとか、他の子どもの迷惑になるとか、責任が負えないとか、集団行動から外れる子どもは、いつも怒られてばかりで嫌な思いをしている。 どの子どもにも優しく接してもらいたい、子どもの人権を尊重してほしいと願っているのであるが、余裕のない中で働く保育士たちにとっては酷なのであろう。ゆったりと一人ひとりの子どもに向き合える環境を整えることが第一と考えられるが、学校教育の場ほど保育の現場は恵まれておらず、国の厚い支援が求められるところである。 また、保育士の質の向上も喫緊(きっきん)の課題である。養成施設のカリキュラムでは、子どもの心理や療育の学びが十分とは言えず、キャリアアップ研修などで力を入れる必要がある。 「人は皆違う、違ってよい」社会 完璧な人間などいないし、完璧な子どももいない。皆、人それぞれに特性であって、それが人間である。今回の講演の中で、文科省が2022年度に実施した「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査」の数値(推計値)が披露されたが、小中学校で知的発達に遅れはないものの「学習面または行動面で著しい困難を示す」子どもは8.8%で、10年前より2.3ポイント上がったという。 しかし詳しく調べていくと、高校生では2.2%に過ぎない。学年別に見ていくと小学校低学年で割合が一番高く(12%前後)、中、高と進むにつれ、困難な割合は下がり、高校3年では2.1%となる。人間成長するにつれ、気になる面が解消されることがわかる。 また、この調査で使われている学習面、行動面(「不注意」「多動性‐衝動性」)、行動面(「対人関係やこだわり等」)の項目をみると、誰でもいくつか該当すると思われる項目があって、小学生にここまで要求するのかという疑問も残る。 例えば「多動性・衝動性」では、①手足をそわそわと動かし、またはいすの上でもじもじする、②教室や、その他、座っていることを要求される状況で席を離れる、③不適切な状況で、余計に走り回ったり高い所へ上ったりする、④静かに遊んだり余暇活動につくことができない、⑤「じっとしていない」、またはまるで「エンジンで動かされているように」行動する、⑥しゃべりすぎる、⑦質問が終わる前に出し抜けに答え始めてしまう、⑧順番を待つことが難しい、⑨他人を妨害したり、邪魔をする―の9項目で判定する。 さらに「不注意」9項目を加え、うち6つ該当すれば、困難児とされてしまう。もちろん、科学的根拠があってこのようなスケールが出来たのであろうが、小さい頃からレッテルを貼られてしまう今の子どもたち、親たちには余りにも残酷な気がする。 早く診断をすることよりも、「人は皆違う、違ってよい」という社会になることを、また、違っていることを受容し、周囲が上手に対応するキャパシティーのある社会になってほしいと願う。(茨城キリスト教大学名誉教授、みらいのもり保育園園長)

インドのハンセン病患者を支援 筑波大学生団体

寄付募り住居5軒を建て替えへ 筑波大学の学生でつくる国際ボランティア団体「ナマステ(namaste!)つくば支部」(袴田裕菜代表=国際総合学類2年)は、インド国内のハンセン病患者への支援として、患者らのコロニー(集落)に家を建てるプロジェクトを行っている。2026年3月末をめどに計5軒の建て替えを目指す。 新規感染者が世界最多 ハンセン病は現在では完治する病だ。インドは今、ハンセン病新規感染数が世界最多と言われている。世界保健機関の調査では2021年のインド国内における新規感染者数は約7万5000人に上っている。背景にあるのは、衛生環境の問題とされる。インドでは差別がいまだ根強く、感染者や回復者、家族が暮らすコロニーが国内に点在している。数世代に渡って暮らしている場合が多いが、低賃金労働や物乞いによって生計を立てている生活者が多く、経済的問題から電気水道等のインフラも整っていないコロニーも多い。 そうしたインドでのハンセン病患者や、後遺症や差別に苦しむ回復者を支援しようと、ナマステはもともと、2011年頃に早稲田大学の学生らによって創設された。つくば支部は15年にスタートした。同支部の創設者は当時、筑波大国際総合学類に入学した酒井美和さんで、酒井さんは21年からインドでハンセン病コロニーを支援するNPO法人わぴねす(東京都中央区)の代表理事を務めている。現在のつくば支部はわぴねすとも協力関係にあり、協同してプロジェクトを行うこともある。 直接渡航し支援 つくば支部には現在30数人が所属する。創設以来インドに直接渡航し、ハンセン病差別の問題と向き合ってきた。渡航が制限されていたコロナ禍を除き、長期休暇で授業のない3月と9月の年2回、数週間程度滞在し支援活動を行ってきた。昨年12月まで代表を務めていた生物資源学類3年の長井絢香さんは「インドにはたくさんのコロニーがある。現在つくば支部が支援している西ベンガル州のビシュナプールコロニーもその一つで、西ベンガル州の州都カルカッタから電車で4時間ほどかかる場所にある」と話す。滞在中はコロニー内の学校施設を借りて滞在する場合が多かったが、コロナ禍以後はインド政府によって禁止され、コロニー近くのゲストハウスで寝泊まりをしている。 ビシュナプールコロニーは140人ほどが暮らすコロニーだ。村長のジョゲンナさんはハンセン病の回復者で、差別されホームレス状態にあった人たちに声を掛け共に暮らすようになり、徐々にコロニーが形成されていった。電気は通っているが極めて不安定で、飲料水は井戸に頼っている。男女比はほぼ同数で、90歳を超えた生活者もいる。23%が近隣の市場などで日雇い労働に従事し、40%が物乞い、そのほか多様な職業に就いているが「多くが低賃金労働で、生活環境は悪いまま」だと長井さんはいう。 学生としてできること 現在、つくば支部では26年3月末をめどに、ビシュナプールコロニー内の住居5軒を建て替えるプロジェクトを進めている。電気や上下水道、教育や就労などの支援ではなく、「住む家」に焦点を当てたのには理由がある。「コロニーに行って学生の私たちに何ができるかを聞くと、真っ先に出てくるのは雨漏りがひどくて安心して眠ることができないというような住居の具体的な問題。教育や就労の問題はあまり出てこない。お金を集めて家を建て替えることももちろん容易なことではないが、教育や就労よりも具体的な事業であり、学生としてできる最大限だと思った」と長井さん。コロニー内の住居は土壁が基本で崩れやすく、壁のない部屋もある。 23年の渡航時に地元の事業者に、家の建て替え工事の見積もりを行った。1軒あたり13万ルピー、日本円にして約23万円が工事費用としてかかることが分かった。そこで寄付型のクラウドファンディングで最も緊急度の高い1軒の建て替え工事費用を募ることにした。23年の11月25日からクラウドファンディングキャンペーンをスタートさせた。12月初めには目標金額10万円に届き、最終的に19万円を集めることができた、足りない分はさらに寄付を募るなどして工面したいという。 長井さんは「自分たちにできることは小さいと思う。それでも一歩踏み出す勇気が身に着いた。団体には行動力のある人が多くアクティブ」と話す。つくば支部での活動を経て、国際開発関係の進路を選択する学生も少なからずいる。長井さん自身も「将来は、国際的に社会の基盤を支えるような仕事に就きたい。直接的に国際開発の仕事に就きたいと考えているわけではないが、つくば支部での活動が影響を与えていると思う」と話す。つくば支部の長期的な活動目標は、支援するコロニーを増やすことだ。つくば支部では現在、実質的に支援しているのはビシュナプールコロニーのみ。「インド国内には数多くのコロニーがある。ビシュナプールコロニーだけでなく、他のコロニーへの支援をすることを長期的な目標にしたい」と長井さんは話す。(山口和紀) ◆ナマステつくば支部のX(旧ツイッター)はこちら

大学生による里山保全活動《宍塚の里山》109

【コラム・森本信生】法政大学・市ケ谷キャンパスを中心とした学生で構成される環境系サークル「キャンパス・エコロジー・フォーラム(キャンエコ)」は2002年10月以来、毎月1回(コロナ禍による休止時期を除く)、宍塚の里山で活動しています。 キャンエコは、主に棚田班と里山班の2つで構成され、棚田班は千葉県鴨川市の大山千枚田で、里山班は宍塚の里山で活動しています。学内サークル満足度1位の人気サークルで、OB、OGは841人とのこと。東京から高い交通費を使って、月1回、30~40人のメンバーが参加しています(TXの回数券が廃止されたのが痛手ですが…)。 活動は多岐にわたっています。湿地保全のために過繁茂する柳の伐根や外来種の抜き取り、雑木林の林の下にも光が当たり里山独自の植物が育つための落ち葉かき、落ち葉のプールでのダイビング、水路の落ち葉かき、ブルーギルやブラックバスを駆除するための釣り。 そして、梅などの果樹の剪定(せんてい)、自然農の水田での田植えと収穫、フクロウの巣箱の設置、孟宗竹(モウソウチク)の切り倒し、切り出した竹を使ってのランタン作り、クリスマスや正月飾り作り、雑木を利用しての遊具作り、雑木を利用しての遊具作り。 さらに、「田んぼの学校」に参加した子どもたちとの木登りや、ブランコ、ハンモック遊び。竹と藁(わら)で造る秘密基地(お昼寝場所)建設、窯でピザを焼き、畑で芋を育て大学祭での販売、観察路の手入れやSNSを利用した道案内システムの構築。 こういった様々な活動を、私たちの会員と綿密な相談をして行っています。山の中の体力勝負の作業も、男女隔てなく頑張っています。 将来に役に立つ体験を提供 学生たちの一番の楽しみになっているのが「里山のごちそう」。宍塚でとれたお米や野菜、山菜、地元に古くから伝わる大豆「たのくろ豆」を原料にした味噌などを使った昼食を提供しています。私たちの会員による「つくし亭」のメンバーが、里山の現地で調理をしています。休憩場所は、明治14年(1881)築の古民家「百年亭」です。 人間環境学を専攻する学生たちは、授業で学ぶ環境と人間との関係を里山体験を通じて学べているようです。卒業後、里山で学んだことを生かした仕事に就いている学生もいます。学生たちの将来に役に立つ体験を提供できてうれしい限りです。 もちろん、彼らは里山保全作業の大きな力になっていますし、若い息吹に、(比較的歳をとった)会員たちは元気をもらっています。私たちの里山の近隣には、大きな大学がいくつかあります。近くの学生たちも、どんどん来てほしいと思っています。(宍塚の自然と歴史の会 会長)

実家損壊など被災学生に経済支援 能登半島地震で 筑波大

一時金や生活支援など 能登半島地震で実家が損壊し仕送りが滞っている学生や大学院生などを対象に、筑波大学(つくば市天王台、永田恭介学長)は、20万円の一時金や月5万円の生活費支援、学生宿舎料や授業料免除など独自の経済支援を実施することを明らかにした。 同大によると、福井、石川、富山、新潟の被災4県の出身学生は大学生、大学院生併せて639人おり、26日時点で実家が損壊したなどの報告が学生6人から寄せられている。現在、学生の被災状況を調査しており、支援する学生が何人になるか、現時点で不明。甚大な被害が報告されている石川県七尾市と志賀町出身者については該当者14人に個別に安否確認を実施したとしている。 独自の支援内容は、実家の家計が急変し仕送りがもらえなくなるなど学業を続けることが困難となっている学生に一時金として緊急支援奨学金20万円を給付する。ほかに地震によって実家が全壊、半壊、一部損壊した上、実家からの仕送りがもらえなくなっている学生に1月分から、月5万円の生活費支援と学生宿舎料の免除を実施する。4月からは生活費支援、学生宿舎料免除に加えて、授業料や入学金の全額または半額免除を実施する。 永田学長は25日の定例会見で「被災4県の学生が600人おり、安否確認、安全確認はできたが、実家に大きな問題を抱えている学生がいる。現在個別に調査中だが、被災学生の支援のため寄付を募り始めた。長引いた場合、最長1年半の生活費支援を検討している」などと話した。(鈴木宏子)

6階建て賃貸マンション完成 ひたち野うしく駅近く

【PR】ひたち野うしく駅から徒歩5分の牛久市ひたち野東5丁目に6階建て賃貸マンション「ドメニカ・ドーロ」が25日完成した。西大通り沿いに立地し、1階は店舗が3店、2~6階は単身者向け1Kと、夫婦などペア向けの1LDKが計33室ある。 建築主はつくば市東光台、東光拓商事社長の大野治夫さん。施工主の東建コーポレーションつくば支店の小林恭彦営業課長によると、ひたち野うしく駅周辺は、つくば、守谷と並び県内でも人気エリア。ひたち野地区は市街地が整備されて20年が経過し未利用地がほとんど残っておらず、賃貸マンションの空き物件があまりない。同駅周辺で賃貸マンションが新築されたのは数年ぶりという。 個人の需要のほか、駅に近く、牛久、阿見、土浦、つくばなどに立地する事業所へのアクセスがいいことから、会社など法人の単身赴任者向け寮などとしての需要が多いと見込んでいる。 完成したマンションは鉄筋コンクリート造、基礎杭を24メートル打ち込むなど耐震性が高く頑丈な造り。男女問わず安心して暮らせるよう建物の出入口などに防犯カメラを設置してセキュリティーを強化。各部屋のサッシや窓は二重窓で防音性と断熱性が高い。各部屋いずれもインターネット環境が整っている。入居者用の駐車場は29台分備えている。 上の階からは東側に牛久大仏、南西に真っ白な雪をかぶった富士山を眺めることができる。周辺は徒歩圏内にスーパーが3店舗立地しているほか、周辺の西大通り沿いは「クリニック通り」とも呼ばれ、診療所が多数立地しているなど生活の利便性が高い。 ◆現在入居者を募集している。単身者向け1Kタイプは広さ29.54㎡(8.9坪)で家賃は月6万4000円、ペア向け1LDKは46.35㎡(14坪)で家賃は月7万1000円。問い合わせは電話029-870-4600(東建コーポレーションつくば支店)または電話029-878-1120(一誠商事ひたち野うしく支店)へ。

派閥秘書団は、どう考え、行動していたのか 《文京町便り》24

【コラム・原田博夫】自民党派閥(とりわけ安倍派)のパーティー券収入のキックバックならびに不記載問題は、とりあえずは、2、3の派閥の会計責任者の起訴とそれに続く派閥解散で、(少なくとも岸田総裁としては)幕を引き、事務処理ミスの形式犯で済ませようとしている。 こうした会計処理が、どうして隠然と継承されてきたのか、という疑問がある。派閥会長やベテラン議員はともかく、新人議員では、政治家本人も事情・経緯が分からず、ましてやいきなり国会に登院したばかりの新人議員の秘書ではどう処理すべきか、途方に暮れるのではないか。その際、頼りになるのは派閥であろう。 派閥の会長・幹部が新人議員を呼び、こうした事務処理の機微は派閥のベテラン秘書団が詳しいので、彼らに相談して対応するように、とアドバイス・指導・指示するに違いない。まさに、新人議員にとっては、派閥はありがたい、のである。しかし、ひとたびこのクモの巣にからめとられると、生涯(少なくとも国会議員の間は)そこから抜け出ることはできなくなる。 そもそも、秘書には3つのタイプがある。第1は、親族(多くは父親)が国会議員の場合で、この場合は、何でも懸念無く相談でき、(秘密を共有できる)片腕としてそばに置きたい、という動機に由来している。家業としての政治家を続くける限りは、こうした父子相伝は(良し悪しは別にして)重要な要素である。 この場合は、いずれ適当な時期に、この国会議員のポストを子弟(多くは息子)に譲るのが既定路線である。つまり、この場合の秘書はあくまでも見習い・帝王学の最中であって、事務(とりわけ会計)処理の子細に立ち入るかどうかはケースバイケースであろう(無い場合も少なくない)。 第2のタイプは、将来議員になる野望を秘めていて、その前段階で、国会議員秘書を務めているケースである。いきなりの国会議員はハードルが高くても、市会議員・県会議員などへの立候補は、国会議員秘書としての顔見せ効果がかなり有効である。しかし、このケースでも、事務・会計処理の具体については大体の状況・雰囲気は分かるものの、確実なところ(裏側など)は疑問符かもしれない。 蓄積されたノウハウを継承 第3のタイプは、当初は第2のタイプだったけれども、なかなか転身(議員への立候補)がうまくいかず、かつ、親分(国会議員)が引退した場合、秘書を止めるか続けるか、で分かれる。秘書を止める場合は、自分の家業(父親の跡)を継ぐなどの事例もあるが、地元でどこか適当な企業・事業所に然るべきポストを見つけるのは、先の見えた秘書が手繰り寄せる手堅い転職・転身ルートであり、これは相当数に上っている気配がある。 そうした転身先を見つけられない場合は、親分(国会議員)を変えて秘書稼業を不本意ながら続けることになる。派閥秘書団はこうした(親分のいなくなった)秘書のリストをプールし、新人議員に斡旋(あっせん)している可能性がある。その際、秘書の有能さの評価には、事務・会計処理能力(グレーゾーンの見極め)の高さが含まれるはずである。 派閥の会長・幹部の指針・了解のもとに秘書団に蓄積されてきたノウハウの継承が、今回のような派閥主催のパーティー券収入のキックバック処理の慣習が野放図に継続する契機だったのではないか。(専修大学名誉教授)

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