水曜日, 4月 8, 2026

長岡花火、打ち上げ開始でございます《見上げてごらん!》29

【コラム・小泉裕司】8月2日、3日は、「土浦の花火」や「大曲の花火」とともに日本三大花火と言われる「長岡まつり大花火大会」(新潟県)。昨年は、信濃川河川敷の会場に2日間で38万人が訪れたという。 作品の順番を決める土浦や大曲の競技大会とは違い、長岡は8月1日から3日にかけ行われる「祭」行事としての花火大会。「祭」は1945年8月1日の長岡空襲からの復興を願い、翌年から始まったが、「花火大会」はこれとは別に1879年が始まりとされ、今年で145年目を迎える。 長岡市民の「熱い想い」が込められた花火大会に魅せられた多くの長岡花火ファンが、全国から訪れる。ちなみに、長岡花火を見て育った山本五十六元帥と土浦花火とのつながりは、こちら(2023年11月3日掲載)をご覧いただきたい。 白菊3発 「空襲で亡くなられた犠牲者の慰霊と平和への祈り、10号玉3発、打ち上げ開始でございます」。女性アナウンサーによる名物アナウンスに続いて、信濃川上流方面に「白菊」と呼ばれる銀色の菊花火が連続して打ち上がり、長岡の花火劇場120分間の幕が開く。 天地人花火 長岡ゆかりの大河ドラマを記念して登場した超ワイドスターマイン。打ち上げ担当は野村花火工業(水戸市)。2発同時に打ち上げる五重芯花火の対打ち、野村ブルーの八方咲きなど、野村花火のもてる超豪華玉を惜しげもなく投入する。野村陽一社長おすすめの花火だ。ドラマのテーマ曲にシンクロした圧巻の3分間は、初日のみのプログラム。 翌日は、「花火 この空の花」。大林宣彦監督の映画「この空の花 長岡花火物語」を記念したプログラム。マルゴー(山梨県)が打ち上げを担当し、十八番の時差式発光花火と映画の主題曲がシンクロした超ワイドスターマイン。 復興祈願花火フェニックス 新潟県中越地震(2004年)からの復興を祈念して、翌年から始まった超ワイドスターマイン。平原綾香さんの Jupiter(ジュピター) に合わせて、幅2キロ9カ所にわたり次々に打ち上がる花火が夜空を埋め尽くす。不死鳥フェニックスを模した花火も見逃せない。長岡花火煙火協会の阿部煙火工業、新潟煙火工業、小千谷煙火興業の3社が区間を分担して打ち上げている。 2017年に訪れた際、隣席の男性がフェニックス花火を見上げながら鼻をかむほど号泣されていた記憶がよみがえる。 正三尺玉3発 サイレンが鳴り響いた後、直径約90センチ、重量300キロの正三尺玉(しょうさんじゃくだま)が打ち上がる。開花高度は600メートル、開花の大きさは650メートル。製作に1年半を要するというが、まさに花火技術の粋を集めた傑作である。 ちなみに、花火玉の大きさを表す「三尺」は打ち上げ筒の内径の寸法をいうが、それに対して「正三尺」は玉の直径が三尺(直径90センチ)の花火玉をいう。新潟県民は「大玉好き」と言われるが、8月3日開催の「古河花火大会」(茨城県)をはじめ全国で打ち上げられる三尺玉のほとんどが新潟県産とのこと。 映画館で長岡花火 6月28日から7月18日まで全国の映画館で公開された「中越地震復興20周年祈念ドキュメンタリー 「長岡大花火 打ち上げ、開始でございます」は、花火界では前例のない試みだった。日頃は立ち入ることのできない打ち上げ現場からの映像や裏方の活躍など、大スクリーンに映し出された映像は、思い切りの臨場感とその美しさ、迫力に圧倒された。 そして、8月2日、3日は、史上初となる全国の映画館でのライブビューイングが行われる。チケットは7月21日までこちらで申し込み受付中。我が家は、長岡現地への派遣、映画館と自宅テレビに分かれて長岡花火の魅力を堪能する予定。 本日は、この辺で「打ち留めー」。「しゅるしゅるしゅる だーん ずしーーーん」(花火鑑賞士、元土浦市副市長) <参考文献>「白菊」(山﨑まゆみ、小学館、2014年7月刊)「長岡大花火 祈り」(長岡まつり協議会・文藝春秋、2006年6月刊)

つくば秀英、竜ケ崎一を圧倒しベスト8【高校野球茨城’24】

第106回全国高校野球茨城大会は12日目の20日、4回戦4試合が行われた。ひたちなか市民球場ではつくば秀英が竜ケ崎一と対戦、7回コールド 9-0と投打で圧倒し、準々決勝進出を決めた。 つくば秀英は、前回の日立商業戦で9回を2安打無失点と完璧な投球で抑えたエース羽富玲央が、中二日で先発した。 羽富は初回に竜ケ崎一の先頭打者、植竹悠真に四球を与えたが、続く伊勢山禅をセカンド併殺打に打ち取り、さらに黒岩悠人を三振に仕留めた。2回には、ヒットで出塁した平沢陸斗にバントで2塁に進塁されるが、続く吉満大葵をサードゴロ、野口侑真を三振に仕留め、ピンチを切り抜けた。 その裏つくば秀英は、吉田泰規が死球で出塁すると、続く大石隼也がチーム初ヒットをセンター前に放ち、ランナー1、2塁とチャンスを広げた。続く稲葉煌亮がバントで送り、知久耀のサードゴロの間に吉田泰が先制のホームイン。さらに羽富が四球で1、3塁となり、佐々木将人がセンター前にタイムリーを放ち2点をリードする。 3回表終了後の午後1時50分、雷が近づき試合は中断。その後激しく降り出した雷雨で、試合は2時間5分中断した。午後3時55分にグランド整備を終えて試合が再開されると、待ちわびたスタンドから拍手が鳴り響く場面もあった。 つくば秀英は再開直後の3回裏、2四球で1、2塁のチャンスに、知久が右中間にタイムリー2塁打を放ち2点を追加。5回にも1点を追加し試合を決定付けた、6回には小久保良真、吉田泰、大石のタイムリーで駄目押しの4点を入れた。 投げては羽富が固い守りに助けられ、6回まで毎回走者を出しながらも粘り強く要所を抑え、竜ケ崎一打線を4安打無失点に抑えた。7回は石塚大志、中郷泰臣の完封リレーで準々決勝進出を決めた。 つくば秀英の櫻井健監督は「中断が入った難しいゲームだったが、再開後も変わらずいい試合だった。中断開けに2点入ったのがよかった。前回(日立商業戦)ロースコアのゲームをものにでき、守備をしっかりしていれば点は入る。0に抑えたのが大きい。コールドになったが次の試合は入りが難しい。守りをしっかりして、振りが大きくならないようにコンパクトにいきたい」と話した。 羽富、石塚、中郷の3人の投手を好リードで支えた捕手の稲葉は「チーム内で全試合3失点以内に抑えることを目標にしていて、羽富はヒット、四球を出したが粘り強いピッチングが出来た。3人とも難しく考えず、ゾーンの中でそれぞれ自分の長所を活かした投球が出来た。次の試合も先を見ず一戦必勝で全力で勝つ」と意気込みを語った。 知久に代わって4番に入り2安打1打点と活躍した吉田泰規は「いつもと変わらずしっかりチームに貢献出来た。中断中は継続試合も考えたが、再開してからも気持ちを切らさなかったのがよかった。次もこれまでと同じく一戦必勝で勝ちにいく」と抱負を語った。 つくば秀英は23日の準々決勝で、茨城キリストと下妻一の勝者とノーブルホーム水戸で対戦する。(高橋浩一)

常総学院、4回戦で姿消す 常磐大に1-3【高校野球茨城’24】

第106回全国高校野球茨城大会は12日目の19日、2会場で4試合が行われた。ノーブルホームスタジアム水戸の第1試合で常総学院が常磐大と対戦。相手エースに完投を許し1-3で敗れた。この試合で常総学院は7安打7四死球を記録しながら14残塁。これに対し常磐大は4安打だがそのうち3つが得点にからむという効率の良さだった。 先発投手は常総学院が小林心汰、常磐大が沢畑壱心というエース対決。全体的にはお互い走者は出しながら要所を締めるという流れだった。特に常総学院はほぼ毎回スコアリングポジションに走者を進めるが、なかなかホームへかえすことができず、もどかしい展開となった。「ヒットは出ていたが大事なところで打てなかった。前半で1点でも取れていれば流れが変わっていた」と島田直也監督。 常磐大に得点が生まれたのは5回裏。安打と守備エラー、送りバントで1死二・三塁の場面から二ゴロで1点を先制された。なおも1死一・三塁とピンチは続いたが、次打者は三ゴロからのダブルプレーに打ち取り最少失点に抑えた。 6回裏には小林が崩れ、右中間二塁打と死球、右越え三塁打で2点を失った。「小林は悪くなかったが、ストライクを取りに行った球に相手がよくアジャストしていた。関東大会で傷めた右ひじも万全ではなかった」と島田監督。ここで救援に向かったのは大川慧。小林からはボールとともに「気合いで投げればみんなが守ってくれる。後ろは任せて自分の投球すれば大丈夫」との言葉を受け取った。四死球で満塁の走者を背負ったが、空振り三振と投ゴロでピンチを乗り切った。 次第に残りイニングも少なくなる。7回表は2安打を放ちながらフライアウト3つでチェンジ。8回表は代打攻勢をかけるが、四球の走者を二塁に進めることさえできなかった。「相手投手はコントロール良くコースを突いてくる。甘い球を一発で決められず、終盤は疲れから肩が下がり、ポップフライが増えてしまった」と若林佑真主将。島田監督は「別にあわてる必要もなく、関東大会でもこういう試合展開から勝ってきた。だが最後の夏ということであせりが出たのか、余計な力が入ってしまい、状況に応じた打撃ができなかった」との見方を示した。 最終回は3番・池田翔吾の中前打と、4番・武田勇哉の三ゴロ敵失、5番・森田大翔の中犠飛で辛くも1点を返す。次打者の小林は「後ろへつなぐことだけを意識した」と打席に入り、放った打球は大きくバウンドするが、野手がそらさず一塁へ送球、懸命のヘッドスライディングも間に合わずゲームセット。試合後の小林は「みんなに申し訳ない。この経験を今後の野球人生に生かしたい」と沈痛な声で語った。(池田充実)

子供たちが着衣水泳を体験 つくばの小学校プール 茨城YMCA

子どもたちに水の事故から身を守る知識や術(すべ)を身に付けてもらおうと、夏休みが始まった20日、つくば市谷田部、市立谷田部小学校のプールで、服を着たまま水に入る着衣水泳を体験する「ウォーターセーフティプログラム」が催された。 青少年の社会教育活動に取り組む茨城YMCAが水の安全指導を目的に県内で初めて開催し、子供たち13人が参加した。同小近くの茨城YMCAみどりのセンターやたべ館で、水辺の危険について室内講義を受けた後、谷田部小に移動し、着衣水泳を体験した。YMCA水泳指導者の太田昌孝さん(48)が指導した。 室内講義では、YMCA発行の「ウォーターセーフティハンドブック」という冊子が子供たちに配られ、池や川、湖、海のほか、プールなどに潜む危険などについて説明があった。出掛ける時は天気を確認し、大人と一緒に出掛けること、場合によってはライフジャケットを着用する必要性などについても話があった。もしおぼれてしまったら、まず落ち着いて浮き身の姿勢をとり、大原則は浮いて待つこと、岸が近い場合は泳いで戻るなど、順序立てて説明があった。もしペットボトルなど浮くものが近くで見つかったら、浮くものを胸の前で持つなど、太田さんから分かりやすい説明があった。 その後、徒歩で谷田部小プールまで移動し着衣水泳を体験。服のまま水に入った印象について子供たちはそれぞれ「気持ちが悪い」「重い」などと感想。太田さんは「実は服を着たまま水に入ると浮きやすい」と話し、子供たちは、体の力を抜いて背面で浮く方法や、ペットボトルを胸の前で持って楽に浮く方法を体験した。服を着たまま泳ぐ際、呼吸がしやすく長く泳ぎつづけることができるエレメンタリーバックストロークという、背面で楽に泳ぐ方法なども学び、ほとんどの子供たちが新しい技術を習得した。 参加したみどりの学園義務教育学校5年の志村響さんは「本格的に着衣水泳をやったのは初めて。少し変な感じがしたが、うまく浮くことが出来た」と感想を語った。 同やたべ館主任の三好陽之さん(28)は「(着衣水泳は)全国のYMCAでやっている企画だが茨城で実施するのは初めて。活動を通じて意識向上を図り水難事故防止に役立ってくれれば」と話した。(榎田智司)

水素発電と生ごみ全量堆肥化を実証実験 ビアフェスト会場でつくば市

脱炭素先行地域をPR つくば駅前のつくばセンター広場で21日まで3日間開催されているイベント「つくばクラフトビアフェスト2024」の会場で、最新技術を使い、水素を金属結晶のすき間にためて運ぶ「水素吸蔵合金配送システム」による水素発電と、最短1日で生ごみを分解する「スマートコンポスト」による生ごみ全量堆肥化の実証実験が実施されている。 つくば駅周辺地域が昨年、2030年度までに二酸化炭素排出量実質ゼロを目指す「脱炭素先行地域」に選定された(23年12月12日付)ことから、市民に脱炭素先行地域を知ってもらおうと、企業からの提案を受けて、市が約270万円で取り組んでいる。 水素吸蔵合金配送システムは、都市ガスや天然ガス、液化石油ガスなどを原料に製造した高純度の水素を、ナノ化鉄チタン合金のタンクに高密度でためて、イベント会場に運び、会場でタンクの圧力を調整して水素を放出し、燃料電池で発電する仕組み。ビアフェスト出店店舗53店のうち、北側に出店している7店のテント7張りで3日間使用される照明やビールサーバーなどの電気を水素発電でまかなう。出力は2キロワット、3日間で計24キロの二酸化炭素排出を削減できる見通しという。 脱炭素化先行地域の取り組みとして市は、水素発電の導入を事業の一つに掲げている。今回、製造した水素は化石燃料がベースだが、将来は再生可能エネルギーなどを使って発電に伴う二酸化炭素排出実質ゼロを目指す。 今回のイベントで水素発電による電気の供給を受ける7店舗の一つで、静岡市から出店しているビール醸造所「ホースヘッドラブズ(HORSEHEAD LABS)」取締役の市瀬健一郎さん(36)は「(水素発電だと)知らずに電気を使っていた。不具合もなく、水素発電だと思いもしなかった。そういう技術があるなら広めていってほしいと思う」などと話していた。 生ごみの堆肥化は、縦約1.5メートル、横約1メートル、奥行き約90センチのコンポストに、イベントで発生した生ごみを投入し、全量を堆肥化する仕組み。特別に開発された微生物群が生ごみを分解して最大98%まで減らし、最短1日で堆肥にする。上部には太陽光パネルが設置され、生ごみ投入量、分解量、分解率などのデータをパソコンなどで同時確認できる。市ではイベント終了後も約1カ月間ほどつくばセンタービル内のバックヤードに設置し、飲食店などで発生する生ごみを堆肥化して、センター広場のプランターなどで堆肥を利用する予定だ。 市環境政策課の渡辺俊吾課長は「こういうイベントを通して脱炭素先行地域を皆さんに知っていただき、一緒に(脱炭素社会を)つくっていければ」と話している。今回の実証実験が成功すれば、秋にセンター広場で開催されるイベントでも実施したいとしている。 ◆「つくばクラフトビアフェスト2024」は19日(金)から21日(日)までの3日間、つくばセンター広場で開催。主催はつくばクラフトビアフェスト実行委員会。各地のビール醸造所や飲食店約50店が出店し300種類以上のクラフトビールを楽しむことが出来る。環境負荷を低減するため会場ではほかに、繰り返し使えるリユースカップ、リサイクル可能な容器やフォーク、スプーンなどを導入している。開催時間は20日(土)が午後10時まで(ラストオーダーは9時まで)、21日は午前11時~午後6時(同5時)まで。

昔「オイルショック」 今「老いるショック」《看取り医者は見た!》23

【コラム・平野国美】最近の新聞・雑誌記事のタイトルを眺めていると、老人問題、老後問題、年金問題、少子高齢化など、加齢による問題が多く出てきます。50年前、私たちは「オイルショック」におびえ、今は「老いるショック」におびえ、悩んでいるのです。 「老いるショック」という言葉は、私のオリジナルなのかなと思い検索をしてみると、あちらこちらで使用されていました。老いる―ネガティブな意味しかないのでしょうか? 最近友人と会うと、「ああ、歳(とし)は取りたくねえ」とつぶやく機会が増えてきました。一方で、「若い人はいいねえ!」とは発していないのです。この混沌(こんとん)の時代、将来のことを考えると、「若さ」をうらやましいとも思えないのです。これから70~80年を生きていく、彼らの困難を感じてしまうのです。 いろいろな本を読むと、老後という状況を持つ動物は、人=ホモサピエンスと、シャチ、ゴンドウクジラぐらいのようです。これらの老後の時間が長いのは、「群れ」という名の集団生活にあるようです。人間に近いチンパンジーやゴリラには、老後期間がほとんどないようです。 老後問題のパラドックス 老後とは文字通り歳を取った後の意味ですが、社会的には引退後を意味しています。しかし生物学的に見ると、生殖可能年齢から死に至るまでの期間を指します。今の平均寿命で考えると、生殖可能年齢は約50年、老後が約30年になります。この寿命が90~100歳と伸びてくると、人生の半分が「老後」となってしまいます。 寿命が延びた原因は、食料状況が量的にも質的にも改善されたこと、医療福祉の発達に負うところが大きいと思います。医学は病気を解明し制御し克服してきました。新千円札の北里柴三郎先生は、新型コロナ以上のインパクトを世に与えたペスト菌を発見し、感染症の分野で活躍されました。医学の進歩は感染症やがんを制御し、寿命を延ばします。 原始的な時代は、食料を獲得できないことが寿命を限定していました。足腰が弱った時点で他の動物の食料となってしまったこともあります。それは、豊かな食料は我々を死から遠ざけ、幸せをもたらしてくれました。 しかし、斜めから見ると、医療の進歩も食料の充足も人命を延ばし、老後問題を引き起こしてしまいます。パラドックスではないでしょうか? 生きる時間が延びることにより、認知症という社会問題を生じます。認知症を制御すると次の問題を引き起こすでしょう。 パラドックスの流れが止まらない? とても悩ましいことです。(訪問診療医師)

生活保護費 計1481万円を30人に過払い つくば市

つくば市は19日、生活保護の受給者30人に対し、2013年から今年7月までに、計1481万94円の生活保護費の過払いがあったと発表した。生活保護制度に関わる県による状況確認があり、判明した。30人のほかに、調査中の受給者が3人いる。 市社会福祉課によると、過払いがあったのは ①障害年金の受給を申請する際に提出する診断書料の上限額を超えた過払い分が、2019年度から23年度まで、5人に対し計6万550円 ②障害者加算の誤認定による過払いが2013年2月から今年7月まで、20人に対し計1360万994円 ➂重度障害者加算の誤認定による過払いが2020年6月から23年9月まで、5人に対し114万8550円。 ①障害年金の診断書料の上限を超えた過払いは、本来、障害年金の診断書料として支給できる上限額(6090円)の超過分は自己負担となり、障害年金受給開始時に自己負担分を相殺すべきところ、5人に対して自己負担させずに上限額を超えて事前に支給する取り扱いをしていた。今年1月に県からの状況確認があり分かった。 ②障害者加算については、精神障害者で障害年金の受給権がある場合は、裁定請求後、年金証書に基づき加算することができ、障害年金の受給権がない場合は、初診日から1年6カ月経過した後に取得した精神障害者保健福祉手帳により加算することができる。しかし誤った認識により、本来対象でない20人に加算していた。今年2月、県の状況確認により判明した。 ➂重度障害者加算については、障害の程度が重度で日常生活において常時の介護を必要とする人に加算するものだが、受給要件の解釈の誤りにより、本来対象ではない5人に加算をしていた。2023年9月、同課の職員が気付き、翌10月に改めた。 同課によるといずれも、制度に対する解釈や認識を誤り、監督職員もチェックができていなかったことが原因だとしている。再発防止策について同課は、関係法令の確認を徹底し、解釈や処理を確実に行うと共に、監督職員による点検を徹底するとし、さらに生活保護制度の理解を深めるため、職員の研修体制を強化し再発の防止に努めるとしている。 対象者に対しては今後、経緯を説明し謝罪した上で、過払い分については、生活保護法に基づき返還などの対応を検討していくとしている。時効により5年で返還請求権が消滅してしまうことから、①診断書料の過払いは6万550円のうち1万5510円が請求できなくなる。②障害者加算の過払いは1360万994円のうち396万186円が請求できなくなる。 一方、生活保護費の過払い分について国費の返還が必要かどうかについては、国や県と協議していくとしている。 【訂正 20日正午】過払いについて、障害年金ではなく生活保護費等、訂正しました。関係者にお詫びします。

つくばの「日本茅葺き文化協会」 国選定保存技術の保存団体に認定へ

国の文化審議会(島谷弘幸会長)は19日、つくば市北条に事務局があり、茅葺き(かやぶき)に関わる文化と技術の継承と振興に取り組む「日本茅葺き文化協会」(代表・安藤邦廣筑波大名誉教授)を、国選定保存技術の一つである「茅葺」の保存団体に認定することを文科相に答申した。官報告示後に正式認定される。 同協会は、地域的にいくつかの技法が見られる「茅葺き」の地域性に配慮して技能の継承を図り、さらに同協会の茅葺き職人が全国の文化財の保存修理工事に従事するなどの実績が認められた。 茅葺きの保存団体の認定は全国社寺等屋根工事技術保存会(1980年認定)に次いで2団体目になる。一方、同協会は2018年にすでに「茅採取」の保存団体に認定されており、今回の認定で「茅採取」と「茅葺」の2件の技術の保存団体となる。またユネスコ無形文化遺産「伝統建築工匠の技・木造建造物を受け継ぐ伝統技術」団体にもなっている。 文化財保護法は、文化財の保存のために欠くことのできない伝統的な技術または技能のうち、保存の措置を講ずる必要があるものを「選定保存技術」として選定し、その技を保持している個人または技の保存事業を行う団体を保持者または保存団体として認定している。「茅葺」は1980年に選定保存技術に認定された。今回の認定により、選定保存技術は計89件、保持者は67人、保存団体は48団体(重複があるため実団体は40)になる。 新たに茅葺きの保存団体に認定された同協会は、日本ナショナルトラストの活動の中で1999年に設立された「全国茅葺き民家保存活用ネットワーク協議会」が前身。2010年に安藤代表(76)らの尽力により「日本茅葺き文化協会」として発足した。 茅葺きは、日本の多様な気候風土に適応し、地域性豊かな農村景観をつくり上げてきた一方、近代化、都市化が進み、その姿は失われ、伝統技能が失われつつあることから、茅葺きの文化と技術の継承と振興を図ろうと設立された。 活動は、茅葺き職人のほか一般会員も参加して、茅刈りや茅葺きなどの技能研修をしたり、全国の地域間の交流と連携を図る茅葺きフォーラムを開いたり、すそ野を広げる普及活動としてワークショップを開催している。海外とも、技術や文化の交流を図る国際交流などにも取り組んでいる。 具体的には2020年に熊本県高森町で茅刈り研修を開催、21年には静岡県御殿場市秩父宮記念公園で茅葺き研修、22年には沖縄県海洋博会場で茅葺き体験などを開催している。国際交流としては19年に欧州や南アフリカから茅葺き職人ら約120人を招いて岐阜県白川村で日本大会を開催している。 事務局は、安藤代表が主宰する同市北条の里山建築研究所内にある。会員は180人の個人と42の団体で構成し、122人の茅葺き職人がいる。年齢構成は50代以下が中心で、40代が最も多い。茅葺き職人は全国に200人ほどしかおらず、6割が同協会に所属する。80代以上の職人が全体の半数以上を占めるが、同協会に加盟していない人が多いという。 茅葺きの保存団体の認定について安藤代表は「茅刈りと茅葺きの一貫した、そして地域性に配慮した技能の継承と研修事業に取り組んできた。そのことが評価され、『茅採取」に加えて『茅葺』の追加認定を受けたことは大変うれしい」とし「今後は、技能の向上に努めると共に、若手の職人育成に力を入れ、そのためにも新しい茅葺きの技術開発やデザインにも取り組んでいきたい。また、茅場、草原の持つ生物多様性の維持や環境保全に果たす役割を広く啓発し、地域の茅葺き文化の継承と発展をはかりたい」と述べる。(榎田智司)

魚影なき霞ケ浦・北浦で ワカサギ漁21日解禁

霞ケ浦・北浦の夏の風物詩、ワカサギ漁が21日、解禁となる。令和に入ってから、年々落ち込む一方の漁獲量が続いていたが、今季は極めつけの不漁となりそうで、漁具の準備をする漁師らの表情はさえない。 ワカサギ漁は霞ケ浦では21日午前3時半から、北浦では同4時からが解禁時刻。土浦の各漁港では午前3時に出航し、5時頃まで、動力船の後方に網を入れて水中を引くトロール漁により行われる。 県霞ケ浦北浦水産事務所(土浦市)によれば昨年の解禁日には、123隻(霞ケ浦107隻、北浦16隻)が出漁した。1隻あたりの平均漁獲量を聞き取った調査では、霞ケ浦で9.8キロと一昨年の18.6キロから半減した。12月末までの漁期を通じても、漁獲量は霞ケ浦・北浦全体で史上初めて10トンを割り込む低調な推移になった。 「夏場の気温上昇がこたえた。(水温が)30度を超えるとワカサギが消える」と土浦市沖宿の漁師、黒田栄さん(90)はいう。県水産試験場内水面支場(行方市)でも、令和に入って以降、夏場の高温が続き、その影響で漁獲量が年々落ち込んでいるとする。 夏場を乗り越えたワカサギが親となり、1月以降に産卵期を迎える。これを漁業資源とした養殖漁業のサイクルが戦後取り入れられた。禁漁期間に入ったワカサギでも定置網にかかった親魚は捕獲が出来、産卵・ふ化させた稚魚を各地の漁協が支部ごとに船溜まりや湖岸ポイントに放流する事業だ。これが軌道に乗り、2015年ごろは霞ケ浦・北浦で273トンもの年間漁獲量にまで回復した。全国に先駆けての解禁で、成長が早く栄養価も豊富なこの時期のワカサギは「ナツワカ」と呼ばれ、県はポスターなどを作成しての消費拡大キャンペーンを展開してきた。が、漁獲低迷から昨シーズンはトーンダウン。今季は「売り出ししようにも入荷が見込めない」と取り扱い業者も敬遠気味だ。今季は定置網にかかる親魚自体が激減し、数匹単位の捕獲しかなかった例も。放流を断念する漁協支部が続出した。戦後すぐにワカサギ漁に就いた黒田さんは「約70年間やってきてこんなにひどいのは初めて」としながら、解禁日はお祭りみたいなものだから漁には出るという。「ただ獲りにいくのはワカサギじゃなく、シラウオになると思う。目の細かい網を使えば少しはかかるんじゃないか。本当はもう少し大きくなってから獲りたいんだけどね」。今年90歳になって最後のワカサギ漁にするかもしれないという。(相澤冬樹) 観光帆引き船も操業開始 霞ケ浦の観光帆引き船も21日、操業開始となる。土浦市では21日(日)午後1時30分~を皮切りに、10月14日(月・祝)までの毎週土・日曜日と祝日に操業。帆引き船は「操業」となっているが、帆とバランスを取るため空の網をひくスタイル。操業日には土浦港から見学船ホワイトアイリス号が運航される。大人1570円、子供780円(どもに税込み、未就学児無料)。問い合わせはラクスマリーナ(電話029-822-2437)。 【続報:21日午後2時追加】県霞ケ浦北浦水産事務所によれば、21日のトロール漁解禁日に、霞ケ浦には89隻、北浦には12隻が出漁した。加工業者6者への聞き取りの結果、ワカサギは1隻あたり数尾から0.3キロにとどまった。シラウオについては1隻0.8キロから80キロの漁獲に達した。

怒りよ、社会を変える力となれ《電動車いすから見た景色》56

【コラム・川端舞】今、私は怒っている。昔から、嫌なことがあると周りではなく自分を責めていた私が、今自分でも驚くほど、ある事柄に怒っている。自分の尊厳を傷つけられたことに対する怒りだ。そして、そんな自分を頼もしく思う。怒りでしか守れないものがあるから。 怒りを表面に出すと、たいてい「冷静になれ」「そんな言い方では伝わらない」とたしなめられる。私自身、感情的に怒るより、きちんと相手の立場を考えて、論理的に話し合う方が賢い問題解決の方法だと信じていた。でも、傷つけられている最中に、その痛みを客観的に説明するなど無理だった。 これ以上自分が傷つかないように、「私は今、痛いんだ!」と必死に叫ぶしかなかった。そうすることでさらに批判の対象になることは分かっていても、自分を守るには大声で叫ぶしかなかった。「今は自分の尊厳を守るために怒るべき時だ」と、直感で思ったのかもしれない。 人間の尊厳のために怒れる社会に 障害者文化論を研究する荒井裕樹さんは、対談集「どうして、もっと怒らないの? ―生きづらい『いま』を生き延びる術は障害者運動が教えてくれる」(現代書館)の中で、長年、障害者運動に関わってきた人たちと、かつての障害者運動の根幹にあった「生きづらさへの怒り」について語り合っている。 その冒頭で、荒井さんは「1970年代の日本の障害者運動には、自分の存在を不当に低く抑え込み、生きる幅を狭めようとする社会の常識や価値観そのものをぶち壊したいという衝動が煮えたぎっていた」と語っている。 本のタイトル「どうして、もっと怒らないの?」は、1970年代から80年代にかけて、社会に多大な影響を与えた障害当事者による運動団体「青い芝の会 神奈川県連合会」の元会長である故・横田弘さんが晩年によく言っていた言葉だ。 生前、実際に横田さん本人からその言葉をかけられたことのある荒井さんは、「その問いかけは『人間の尊厳が目減りしていくことへの危機感が足りない』と諭していたのでは」と推察する。 昨年末、タイトルに吸い寄せられるように、この本を手に取った。それまでどんなに納得いかないことでも、分かったふりをし、「おかしい」と声を上げられなかった私を、叱咤(しった)激励してくれているように感じた。そして、初めて「私は今、痛いんだ!」と叫べたとき、自分を前より少し大切にできた気がした。 私はこれからも、自分や大切な人の尊厳が踏みにじられたときは、真っ当に怒れる人でありたい。そして、人間の尊厳を守るための怒りを押さえつけるのではなく、ともに怒り、ともに闘う社会であってほしい。(障害当事者)

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