月曜日, 4月 6, 2026

聖地「イチグラ」お披露目 筑波大サッカー場改修完了 

人工芝の全面改修が完了した筑波大学(つくば市天王台)第一サッカー場が16日披露された。披露式典のあいさつに立った永田恭介学長は、「聖地『イチグラ(第一サッカー場のこと)』が新しい形で戻ってきた。(日本代表の)三苫選手や谷口選手をしのぐ選手が出てきてくれることを願っている」と祝辞を述べた。改修事業は今年、前身の師範学校創基から 151 年、大学開学 50 年を迎える同大記念プロジェクトの一環。 同大蹴球部は、1896(明治29)年に設立された高等師範学校フートボール部にはじまる127年の歴史を持つ日本最古のサッカーチーム。ワールドカップカタール大会に出場した三苫薫選手や谷口彰悟選手など、日本を代表する選手を多数輩出してきた。 一方で、開学と同じ1973年につくられた同サッカー場は、2004年に張り替えられた人工芝の劣化が進み、グラウンドの衝撃吸収や安定性が日本サッカー協会による基準値を下回るなど、練習環境としての安全性の低さが指摘されていた。人工芝がはがれた箇所でつまづくなどし、怪我をする部員も出ていた。その中で持ち上がったのが、今回の人工芝の全面的な改修事業だった。同大によると、改修にかかった約7000万円のうち、クラウドファンディングと寄付で4000万円、残りを地元企業などからの支援と大学の資金で賄った。 中山雅史さんら、協力呼び掛け 今回の改修事業への協力の呼び掛けには、現在J3アスルクラロ沼津で監督を務める元日本代表の中山雅史さんら、多数のOB、OGが協力した。学生が中心となりクラウドファンディングも立ち上がった。クラウドファンディングでは、想定していた1000万円を大きく上回る約1800万円が集まった。 蹴球部の小井土正亮監督(44)は「我々の力だけではなく。関係者、OG、OB、地域の皆さん、サッカー部と筑波大を応援してくれる方々のおかげで改修できた。感謝の気持ちを忘れず、ここを使っていきたい」と述べるとともに、「選手には安全な環境でサッカーをさせたかった。高い目標に向かって、仲間と切磋琢磨していってほしい」と語った。 同大女子サッカー部主将の野嶋彩未さん(21)は「新しい芝はボールも蹴りやく走りやすそうだと感じている。インカレ優勝という目標に向かって頑張っていきたい」と力を込めた。 蹴球部主将の山内翔さん(21)は「これまでのグラウンドは硬かったり、はがれた芝がけがに繋がった。芝の感触は柔らかく質もいい。自分たちのやりたいサッカーが思い切りできる。協力していただいた方への感謝を日々の行動で返していきたい」と述べ、「筑波に一つでも多くのタイトルを残したい」と目標を掲げた。(柴田大輔)

議論は当事者の声を聞いてから 《電動車いすから見た景色》40

【コラム・川端舞】最近、メディアやSNSで、体の性と自認する性が一致しないトランスジェンダーに関する議論をよく目にする。しかし、なぜ「トイレや更衣室の利用」についてばかりが注目されるのだろう。もっと早急に議論すべきことがあるはずだ。 2021年にイギリスのトランスジェンダー当事者であるショーン・フェイにより書かれた「トランスジェンダー問題―議論は正義のために」(明石書店)は、当事者が社会の中で経験する様々な課題を論じている。 同書によると、イギリスではトランスジェンダーの子どもの6割が学校でいじめに遭っているが、その半数がいじめについて誰にも相談できていない。また、トランスジェンダーの若者の8割が、自傷行為をした経験がある。トランスジェンダー全体の4割が、否定的な反応を恐れて、家族に自分の性について話せていない。 本書を訳した高井ゆと里さんの解題によると、日本でもトランスジェンダーを理由に家族から拒絶される当事者は多い。今、世間でトランスジェンダーについて議論している人は、当事者の生きづらさをどのくらい直接聞いたことがあるだろうか。 障害者とトランスジェンダーの連携 私たち障害者も社会から生きづらさを押し付けられてきた。障害者が他の人と同じように、どこで誰と住むかを自分で決めたり、障害のない子どもと同じ学校で学ぶ権利があることを定めた国連の障害者権利条約は、2006年に世界中の障害者が参加して作成された。日本の障害者関連の法律を権利条約に合わせたものに整備するよう、日本政府に働きかけたのは国内の障害者たちだ。 この背景には「障害者のことは障害者が一番分かっている。障害者のことを障害者抜きに決めないで」という信念がある。障害者自身の声によって作られたからこそ、障害者権利条約はそれまで社会から抑圧されてきた障害者の権利を丁寧に規定し、世界中の障害者を勇気づけるものになった。 トランスジェンダーが社会から負わされる生きづらさを一番よく分かっているのはトランスジェンダー自身だ。偏見にさらされやすい今の社会で、人口の1%にも満たないトランスジェンダー当事者が声を上げるのは想像を絶する勇気がいることだろう。しかし、今現在も堂々と情報発信している当事者もいる。トランスジェンダーについて議論するのなら、当事者の声をじっくり聞くことから始めなければならないのではないか。 障害当事者の声を法律や政治に反映させるために長く運動してきた障害者団体の経験は、トランスジェンダー当事者にとっても役に立つだろう。障害者とトランスジェンダーが連携することで、互いに生きやすい社会に変えていく速度を上げられると私は確信している。(障害当事者)

TX研究学園駅前公園の桜 《ご近所スケッチ》3

【コラム・川浪せつ子】桜の花の開花を心待ちにする日々です。桜の名所はたくさんありますが、名所とまではいかない穴場スポットがけっこうあります。「研究学園駅前公園」もその一つ。染井吉野はたった1本だけなのですが、古民家「つくばスタイル館」とマッチして、独特の雰囲気をかもしだしています。 つくばエクスプレス(TX)が開通。そして市庁舎が研究学園駅に移転してから、この周辺は急激に人口が増えた所です。その地域で、街の活性化を行っている団体があります。通称「けんがく」。研究学園(けんきゅうがくえん)の略だそうです。「研究学園駅周辺」を「見学しながら」盛り上げていく?なんていうのが、私の勝手な解釈。 その「けんがく」グループが3月25日、この研究学園駅前公園で「さくらまつり」を開催するそうです。どこかな?って、「ラーメン祭り」イベントなどをやっているあの場所です。時間は午前11時から午後3時まで。初春のひと時を、楽しみにお出かけください。 今回は、昨年に引き続き2回目とか。昨年より進化したイベントになっていて、「つくばスタイル館」(古民家)では、私も桜の絵を出展させて頂くことになりました。 出展を勧めてくださったSさんとは、つくば市主催の「ショートムービーコンペディション」で9年前に知り合いました。地域のつながりを深めるため、尽力されている方です。今回、このようなイベントの成り立ちや団体のお話などを、たくさん伺いました。地域の方々が自分に合った活動ができるよう、いろいろな団体があるそうです。 タウンの会、花壇・グリーンの会… その趣旨は、研究学園駅周辺は、移住してきた方=新住民が多いため、地域のつながりがないので、いろいろ協力をして、地域を盛り上げていこうというですね。例えば「グリーンネックレス」の会の中には、「タウンの会」「花壇・グリーンの会」などがあり、ゴミ拾いや駅前周辺の花壇の手入れを、「街の広場」は定期的に広報誌も出しているとか。 お聞きして、私も研究学園駅に住みたくなってしまいました。ゴミ拾いには、多い時で、子供から大人まで60人も集合なさるとか。結束の強さを感じました。 駅から数分の大型ショッピングセンター向かいの「学園の杜公園」の桜並木は圧巻です。横が住宅地ということもあり、家族連れが多く、軽いスポーツを楽しんでいます。研究学園駅方面は新規店舗も多く、便利で魅力的ですね。小中学校も新しく出来たのに、まだまだ人口が増え、新しい小中学校も建てられるそうです。 私は40年前に転居した新住民ですが、いまや「新新住民」の方々が多くなり、うれしい限りです。(イラストレーター)

入管問題描いた「牛久」を上映 筑波大学生サークル

筑波大学公認団体の学生サークル「クローバー(CLOVER)〜難民と共に歩むユース団体」がこのほど、日本の入国管理問題に焦点を当てたドキュメンタリー映画「牛久」(トーマス・アッシュ監督、2021年)の上映会を開催した。 クローバーは「難民に寄り添う(Care & Love for Refugees=CLOVER)」を掲げ、日本で暮らす外国人が日々希望を持ってもらえるよう活動する団体で、09年に難民問題に興味を持った同大生により設立され、14人が所属している。 現在は週に一度、勉強会を開催し、所属するメンバーがドイツと日本の難民受け入れ制度の比較や難民が描くアートの紹介、外国人が日本で永住権を取得することなど関心のあるテーマを持ち寄っている。さらに世界や日本で暮らす難民・移民についての情報をメンバー間で共有し、その様子をSNSで発信している。また、諸外国と比べ、非常に低い日本の難民認定率や日本の入国管理制度が持つ問題の認知拡大に取り組んでいる。 同団体代表で社会国際学群国際総合学類2年の菅原瑠莉さん(20)は高校生の時に、自由や尊厳を奪われている人々、特に紛争地域や貧困地域で保護を必要としている人々を手助けする活動に興味を持った。大学に進学し、クローバーと出会ったことで「入管」の存在を初めて知り、困難な人々に寄り添うという理念にひかれ支援の輪に加わった。代表に就任してからは、日本の入国管理制度の概要やその問題点を議論する中で得た勉強会の知識を生かし、竹園高校ボランティア部と交流会を開催するなど、学生に向けた活動に力を入れている。 映画「牛久」は、不法滞在者として国外退去を命じられ、牛久市にある東日本入国管理センターに収容されている難民申請者らに、トーマス・アッシュ監督が面会し、証言を記録したドキュメンタリーだ。 菅原さんは上映イベントを開催した経緯について「私たちと同じ学生に対し、日本の不条理な一面を知り、疑問や問題意識をまずは持ってもらえればと思い開催した」とし、「入管問題は、国家による不当な差別の問題、日本の政策の歴史に基づく根深い問題である。日本に生き、意思決定を行う権利を持つ私たち国民は、日本の現状を知り、強い問題意識に基づいて行動する必要があると思う。この問題の解決に何が求められているのか、学び、考えながら活動していきたい」と話した。 上映イベントは2月中旬に開催され、筑波大生9人と竹園高校生2人が参加した。竹園高校1年の女子生徒(16)は映画鑑賞後、「うまく言葉にできない」と話し、「ニュースで報道されることの少ない日本の入管問題の現状について、イベントで学んだ知識を家族や友人と共有したい」とした。 同校1年生の女子生徒(16)は「怒りなのか、悲しみなのか気持ちの整理がつかない」とし、「牛久入管に収容されている方たちへの理解を深め、いつか面会に行けたら」と話した。 同団体は学生の立場から、母国の事情により保護を求めて日本に来る難民がいること、その難民らは日本の入国管理制度により心身ともに苦しめられていることを SNSやイベントを通して学生らに訴え、難民や日本の入国管理制度に対して問題意識を持ってもらえるよう活動したいとしている。 “CLOVER〜難民と共に歩むユース団体〜”は公式ホームページやTwitter、インスタグラムで活動の様子やイベント情報を随時発信している。(上田侑子)

洞峰公園と「他人の顔」《映画探偵団》62

【コラム・冠木新市】白い包帯で顔をぐるぐる巻いた姿は、まるで透明人間のようだった。仕事中の事故で顔にやけどを負った主人公が、医師によって作られたプラスチック状の仮面を装着する。包帯の時と仮面を付けた時との主人公の心境変化と周囲の反応の違いを前衛的な手法で表現していく。 安部公房原作・勅使河原宏監督の「他人の顔」(1966)は、ゴシック(神秘的で幻想的な)ホラーとも近未来ものとも見える、何とも形容しがたい作品だった。 人間の体の模型やフラスコなどが飾られた、美術館や舞台セットを思わせる病室。顔を失い屈折した主人公を演じる仲代達矢。冗舌に解説する医師の平幹二郎。何か企んでいる風な瞳輝く看護婦の岸田今日子。3人の演技を見ていると、映画とも舞台ともTVともつかぬ、異空間に迷い込んだ錯覚にとらわれる。 そうそう、この作品の美術を担当したのは、後につくばセンタービルを設計する若き日の磯崎新である。 気になるグランピング反対派の沈黙 2月14日の「つくば市議会全員協議会」は記念すべき日になった。それまで、洞峰公園をめぐるやり取りは、大井川知事も五十嵐市長も議員もNHKも新聞も、「無償移管」の表現を用いていた。しかし、この日を境に「無償譲渡」となったからだ。「移管」は公園を県が所有し運営は市。「譲渡」は所有も運営も市となる。 私も含めて、このことを理解していた人はほとんどいなかったと言ってよい。洞峰公園にグランピング施設は必要ないと考えるシン・旧住民の私は、県から市への「無償譲渡亅はよかったと考える1人だ。 知事はグランピングに未練を残し「無償譲渡」を渋々決めた様子だった。しかし、つくば市区の県議は賛成なのか反対なのかはっきりしない。一方、市長は昨年からグランピング反対の狼煙(のろし)をあげ、主張を貫いた姿勢は評価できる。しかし、市議は賛成なのか反対なのかはっきりしない。 さらに気になるのは、グランピングに反対する署名活動をしたグループの沈黙である。当初の主張が実現したのはよいが、今後の公園運営にお金がかかるので、これでよかったのかどうか迷いが生じているのだろうか。 また、洞峰公園問題を他人事として見ていた周辺地域の人たちが、運営費用がかかるため「無償譲渡」に反対だと言い出しているというのだが、本当にそうかどうかは疑わしい。反対ならば、何らかの行動を起こすはずだからだ。 何はともあれ、洞峰公園問題を語る際には、ぐるぐる巻きの包帯と仮面をはずし、「他人の顔」から素顔をさらして意見表明すべきだろう。などなど、洞峰公園の野球場の青いべンチで考えた。サイコドン ハ トコヤン サノセ。(脚本家)

「自身で困難克服する力を」 筑波学院大で卒業式

筑波学院大学(つくば市吾妻、橋本綱夫理事長)の2022年度卒業式が13日に催され、経営情報学部ビジネスデザイン学科の133人が卒業した。卒業生代表として、総代の石﨑達也さんが望月義人学長から卒業証書を受け取った。会場でのマスク着用は個人の判断に任され、一部の卒業生はマスクを外して式に臨んだ。 元朝日新聞記者だった望月学長は、記者時代に、今年亡くなったトヨタ名誉会長の豊田章一郎氏に何度も取材し聞いた話を挙げ、「トヨタが経営不振に陥った時期、ちくわの生産を考えるほど困窮した時代があった。この話を聞いた当時、既に優良企業だったトヨタとちくわとのギャップに驚きを禁じ得なかった。トヨタはその後経営不振を乗り越え、自身の力で困難を克服し、繁栄の時代を迎えた。この例は、個人のあなたにも十分に役立つはず」と述べて、困難の乗り越え方や、現場に赴き真実を自分の目で把握することの重要性について告示した。 橋本綱夫理事長は「みなさん一人一人が社会において欠かせない存在となり、自分の力を生かして喜んでもらうこと、それが人生において何よりも幸せなことではないかと思う。これからぜひその力を生かしてたくさんの人に喜んでいただき、みなさん自身も充実した幸せな人生を歩んでほしい」と挨拶した。 卒業生代表として答辞を述べたサンジュオントン・パッサコンさんは、大学院に進学することを話し、「MBA(経営学修士)を取得し、IT企業を立ち上げるという目標を達成した将来の自分の姿を想像し、受験への意欲を高めた。受験でも学園祭でも将来をはっきり思い描くことが成功につながると感じた」と述べた。また「友人や、大学生活の様々な助言をしてくれた先生方、そして何より最後まで自分を支えてくれた両親に感謝します」と感謝を伝えた。 卒業生らは大教室での式の後、各教室に分かれ、一人ずつ名前を呼ばれて卒業証書を受け取ると、互いに卒業を喜び合っていた。(田中めぐみ)

電気工事会社と飲食店・ハム工房を経営する 塚崎さん【キーパーソン】

つくば市と土浦市を中心に事業を展開する塚崎雅之さんは面白い人だ。電気設備・空調設備工事会社、雅(みやび)電設(本社土浦市中)を経営しながら、土浦市内に飲食店2つと飲食街ビル1つを所有し、つくば市内ではハム・ソーセージ製造工房を買い取った。飲食店舗の新しい展開があるのか? 電設工事と飲食店舗がどうつながっているのか? いろいろと聞き出した。 つくば学園の森 薫製手造り工房 塚崎さんは5年前、つくば市沼崎にあったハム製造事業をM&Aで継承し、「つくば手造りハム」を立ち上げた。ここが軌道に乗ったことから、その拠点を同市西大橋に移し、今夏、「つくば学園の森 薫製手造り工房」をオープンする。1200坪(4000平方メートル)の森林を切り開き、製造体験もできるハム工房を建て、庭に飲食コーナーも設ける。 商品冊子のタイトルは「薔薇乃ベーコンBARANO BACON」。茨城産のローズポーク(県ブランド豚肉)を使った、ベーコン、ハム、ソーセージのほか、薫製のチーズやチキンも作る。 土浦市内の展開も意欲的だ。4年前、土浦駅から徒歩3分の飲み屋街に、18の小店舗が出店できる飲食街ビル「つちうら横町」(桜町)を建てた。現在、おでん、ホルモン焼、カラオケ、スナックなど16の店が入っている。この中の一つ、パスタと牛タンの店「伊酒や・佐京」は塚崎さんが自ら経営。そのほか、駅近くの裏町通りにあった店を買い取り、うなぎ蒲焼き店「浦」(桜町)も開いた。 飲食ビルの設計思想と計算違い 飲食系の店を次々手掛けたのは、大中小の建物の電気工事に携わる過程で、出店場所や店舗設計の成功例と失敗例を数多く知り、「兄と一緒にやってみよう」と思うようになったからという。本業の電気工事をしながら、飲食商売の知見を蓄えていたわけだ。 面白いのは、その知恵を自分の店舗展開だけでなく、「まちづくり」に生かそうと考えていることだ。2階建て「つちうら横町」の1区画は5坪(17平方メートル)から7坪(23平方メートル)と小さい。「飲食店の内装工事には普通1000万円ぐらいかかるが、サイズを小さくすれば300万円ぐらいに抑えられる。若い人にもチャレンジしてもらいたくて、小さめの区画にした」。電気工事屋さんらしいアイデアだ。 この飲食街ビル建設には計算違いもあった。土浦市の中心市街地活性化基本計画の1プロジェクトとして立案。「国から補助が受けられると思っていたら、落選してしまった。多少の誤算はありながらも、その後、皆さんの支援のおかげで、『つちうら横町』を無事オープンすることができた」そうだ。 【つかざき・まさゆき】1987年、常総学院高校卒。電気専門学校卒後、つくば市内の電気工事会社入社。2001年に独立、有限会社雅電気を設立。05年、雅電設に改め株式会社に。年商12億円、従業員39人(本社26,東京5,ベトナム8)。青年会議所(JC)活動を経て、現在、新治商工会副会長、土浦商工会議所会員。1970年、新治村(現土浦市)生まれ。つくば市在住。 【インタビュー後記】独立後はワンボックスカーに資材と工具を積んで走り回った。今では商業施設の電気工事を引き受ける中堅会社に。飲食分野に手を広げ、土浦のまちづくりにも貢献。つくば市に保有する中層の「イエロービル」もそうだが、土浦・つくば地区では何かと気になる人だ。(経済ジャーナリスト・坂本栄)

つくばFC 男女とも勝利 開幕前にプレシーズンマッチ

つくば市を本拠地とするサッカークラブ、つくばFCの男女各トップチームが12日、ホームグラウンドのセキショウチャレンジスタジアム(つくば市山木)でプレシーズンマッチを開催。男女とも勝利を挙げ、4月1日のシーズン開幕に向けはずみを付けた。この日はつくば市民ファン感謝デーとして観戦無料、試合の合間には親子サッカー教室のイベントも開かれた。 つくばFC 2023プレシーズンマッチ(3月12日、セキショウチャレンジスタジアム)第1試合 つくばFCレディース 2―1 筑波大学女子サッカー部前半0-1後半2-0 第1試合は女子のつくばFCレディース(なでしこリーグ2部)と筑波大学女子サッカー部(関東大学女子サッカーリーグ1部、関東女子サッカーリーグ1部)の対戦。前半11分、筑波大がMF山田美優羽のミドルシュートで先制するが、つくばFCは後半10分、MF赤嶺美月のミドルシュートで同点とする。さらに後半40分、FW三浦晴香の左クロスに中央で赤嶺が合わせ、つくばFCが逆転に成功。赤嶺は今季、日本女子サッカーリーグのディアヴォロッソ広島から移籍、三浦は浦和レッズレディースユース出身で日本体育大学を卒業し入団。新戦力2人がさっそく結果を出した。 赤嶺は「前半先制されてしまい、その後も苦しい時間帯があったが、チャンスもつくれていたので、絶対逆転できると声をかけ合って後半に臨んだ。自分はサイドからの攻撃やアシストが得意なので、チャンスにつなげ、上位争いに貢献できるよう成長していきたい」とコメントした。 今季就任したつくばFCの白馬聡監督は「まだ仕上がりは6割ぐらい。しっかりと守備をしてボールを奪いに行き、攻撃につなげていきたい。選手にはサッカーがうまくなってもらい、次のステップアップを図りながら勝ちにもつなげていきたい」と抱負を語った。 筑波大の田井楓監督は「シーズン開幕まで1カ月を切り、いいチームづくりができている。ここからさらにギアを上げてレベルアップを図る。昨季はできなかったインカレ出場を果たし、優勝まで駆け上がりたい」と目標を見据えた。(高橋浩一) 第2試合 ジョイフル本田つくばFC 1-0 アイデンティみらい前半0-0後半1-0 男子による第2試合はジョイフル本田つくばFC(関東サッカーリーグ1部)と、アイデンティみらい(関東サッカーリーグ2部、本拠地つくばみらい市)の対戦。試合開始からつくばFCはFW熊谷誠也、MF鍬田一雅らを核に攻勢を見せるが、相手GKの好セーブなどでなかなか得点は生まれず。後半30分、左サイドの崩しからクロスのセカンドボールがMF升田大誠に渡り、逆足での一振りが決勝点を生んだ。 升田は昨季SC相模原U21から移籍、来週3月20日に20歳を迎える若い選手だ。ポジションはボランチだが、得点やアシストなどゴールにからむプレーでアピールしたいという。今日の得点についても「サイドの選手が駆け上がるのを見て、前に入ればボールがこぼれてくると思った。シュートコースが空いていたので、後は落ち着いて決めるだけだった」との振り返り。 新チームについて、副島秀治監督は「選手の多くが残留し、昨季のベースを継続できている。全員のハードワークによりボールを大事にし、攻守に主導権をしっかり握るサッカーを目指す」と話し、菅谷将人主将は「やり方や感覚が近い選手がそろっている。動き出しのタイミングなど相手を見なくても分かるようになり、迷いない攻撃ができるようになった。新しい選手も溶け込み、チームに自信が感じられる」とコメント。リーグ戦での活躍はもちろん、天皇杯本戦に出場し、Jリーグのチームを倒すという夢を今年こそ現実にしたいという。 今季開幕戦は男女とも4月1日、セキショウチャレンジスタジアムにて。つくばFCレディースはノルディーア北海道と、ジョイフル本田つくばFCは流経大ドラゴンズ龍ケ崎と対戦する。(池田充雄)

「国策」と無茶苦茶 《邑から日本を見る》131

【先﨑千尋】岩波書店が出しているPR誌『図書』3月号が面白い。巻頭のエッセイのタイトルは「満蒙開拓団の歴史から『国策』を考える」。筆者は『満蒙開拓団』(岩波書店)や『「大日本帝国」崩壊』(中公新書)などの著書がある加藤聖文さん。日本近現代史が専門だ。 加藤さんは冒頭、岸田首相が原発再稼働を決めたことをやり玉に挙げ、「この国は一度決めた国策を止めることはおろか転換することもできない。大日本帝国でも日本国でも国策をめぐる本質は変わっていない」と書く。そして「78年前に破綻した満蒙開拓団を巡る歴史は、国策がどのような背景で生まれ、どのように変質し、悲劇の大きさに反比例してなぜ責任の所在が曖昧になるのか、その本質を見事に表している」。 満州へ移民を送り出すという国策は、一見すると一石二鳥にも三鳥にもなる国策だったが、結末は悲劇でしかなかった。今日の原発政策は戦前の満蒙開拓団の「国策」と同じではないか、教訓とすべきだと加藤さんは言う。 小説家の柳広司さんは「無茶苦茶」の書き出しで、昨今の日本の情勢を表すのにこれほどぴったりな四字熟語はあるまいと書いている。無茶とは「道理が立たないこと。乱暴なこと」、無茶苦茶は「無茶」を強めていう意味の言葉だ。 柳さんが無茶苦茶だと言っているのは、昨年12月に「岸田自公政権が国会でろくな議論もしないで、敵基地攻撃能力保有のための防衛〝軍事〞費倍増を決めたこと。この国の形を変える原発再稼働ならびに稼働期間延長という方針転換を行ったこと」の2つだ。「敵基地攻撃などと口にできる者たちこそ平和ボケしている」という。 「千載青史に汚名を残す」 原発について柳さんは「事故で故郷を失った人たち2万人以上が理不尽な生活を強いられている。だから、再稼働を云々する前に、原子力緊急事態宣言解除に向けた取り組みこそが最優先課題」と言う。 さらに、「現岸田政権関係者、そして今回の基本方針作成に関わった官僚、有識者(って何だよ?)の皆さん、『千載青史(せんざいせいし)に汚名を残す』という言葉の意味がわかりますか? 目先のわずかばかりの地位や名誉やお金のためにフクシマ原発事故で苦しむ関係者の心情を平然と踏みにじり、事故が原因で命を落とした人たちや犬や猫たちのことを忘れ、未曽有(みぞう)のあの原発事故を『なかったこと』にして、日本の未来を破滅に売り渡したあなたたちのことを、私は書き留めます」と糾弾する。読んでいて、そうだそうだと拍手を送りたくなった。 原発事故があった東京電力福島第1原発周辺の地域は、復興事業が進むにつれ、町の姿が半ば強引に消されてしまう。それを恐れた写真家の中筋純さんは、写真の定点記録として原発直下の双葉町などの被災状況を撮影記録し、全国各地で写真展を開いてきた。水俣の伝承活動に倣ったことだと言う。中筋さんの「おれたちの伝承館」という一文は、官製の「原子力災害伝承館」と対比させながら、「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる」というドイツのワイツゼッカー大統領の言葉を引き、本当の過去を遠ざけてしまわないように「おれたちの伝承館」を作っていくのだという覚悟を語っている。(元瓜連町長)

富岡町出身者の交流団体立ち上げ 小園治さん、喜英子さん【震災12年】

福島県富岡町出身の小園治さん(72)と喜英子さん(67)は、つくば市の研究学園駅に近い新興住宅地に2016年から夫婦2人で暮らす。翌17年には、つくば市内に住む30世帯ほどの富岡町出身者に声を掛け、避難者同士が交流し親睦を深める「つくばさくら会」を立ち上げた。現在コロナ禍で活動を休止しているが、3カ月に1回ほど集まり、芋掘り、ブルーベリー摘み、料理教室 ボウリングなどのイベントを開催してきた。 「おなかの底から笑えるのは地元の人じゃないと。かしこまらなくて済むし」と喜英子さん。「富岡から来て、外に出にくかったり、自宅にこもりがちになっている人に声を掛けて、少しでも外の空気を吸ったりして、皆で楽しんでいる」と治さんは話す。 「つくばに来て、右も左も分からなかったが、外に出て何かやらなきゃいけないと、筑波大学のゴルフ講座に申し込んでそこで友達ができた」と治さん。喜英子さんは「つくば市役所の相談窓口で卓球サークルを紹介してもらって卓球を楽しむようになり、今も週1回、谷田部総合体育館で続けている。夫婦で大穂交流センターのいきいき体操教室に参加したお陰で友だちも増えて、『畑やらない?』って誘われて、豊里の畑でジャガイモをつくったりしている」と話す。 ただ、今年に入り、配偶者の死をきっかけに「ここにいる意味が分からない」と、福島県内に土地を見つけ、引っ越していった会員もいるという。 車庫の車の中で一夜 12年前の3月11日、喜英子さんは、福島第1原発から8キロほど離れた富岡町で、次女と2人で暮らしていた。夫の治さんは当時、電力会社の関連会社に勤務し、神奈川県川崎市の会社寮に単身赴任。東京電力社員の長男は、大熊町の社員寮に入り、BWR(沸騰水型軽水炉)の運転員を養成するためのBWR運転訓練センターで研修を受けていた。 次女は隣の双葉町役場で保健師として勤務していた。3月11日は送別会の予定があり「なるべく早く帰っておいで」と言って次女を送り出した。しかし次女と再会できたのは1週間後。保健師の次女は町民と一緒にバスでさいたまスーパーアリーナに避難し、さいたまで次女の無事を確認することができた。 余震が続く3月11日、近所の人たちは近くの体育館に避難した。次女と連絡がとれない中、喜英子さんは「娘が帰ってきたら自分を探すのではないか」と、車庫に止めてあった車の中で、時折エンジンをかけてラジオを聞きながら、一夜を過ごした。 翌日、避難するよう言われ、着の身着のまま隣接の川内村の小学校に避難した。すぐに帰宅できるだろうと、飼っていたビーグル犬を庭先につないだまま、容器に水とえさをいっぱい入れて自宅に残した。 避難先で、福島市の友人と電話がつながり「水は無いけど電気があるからうちにおいで」と誘われ、川内村の避難所から福島市の友人宅に2泊した。栃木県の那須塩原駅までなら新幹線が通っていることが分かり、タクシーで那須塩原まで行き、震災から5日後、東京駅で治さんと会うことができた。その後は治さんが単身赴任する川崎市のワンルームの寮に身を寄せた。 町民と医師の板挟みに 次女は双葉町民と共にさいたまスーパーアリーナから加須市の旧騎西高校に避難し、保健師として勤務を続けた。夜中、次女から喜英子さんに電話がかかってきたことがあった。社会人1年目だった次女は、住民と医師の板挟みになり憔悴している様子で、トイレの個室から泣きながら電話を掛けてきた。 数日後、休暇をとるよう夫婦で次女を迎えに行ったところ、男性用のももひきをはき、よれよれの格好をして、咳込んでいる次女の姿があった。次女はその年の7月に双葉町役場を退職、都内の大学病院や総合病院で勤務した。 感動の再会 富岡町の自宅は当時、居住制限区域に指定された。一時帰宅した際、自宅の駐車場にビーグル犬を保護したと書かれた動物愛護団体の貼り紙が貼ってあった。喜英子さんは一人になる日中、インターネットを検索し、ビーグル犬を探し始めた。 やがて「ブルーの真新しい首輪をしたよく吠える犬です」と紹介された被災犬のサイトを見つけた。掲載されていた写真は飼い犬そっくり。同じ川崎市内の動物病院にいることも分かり、そんなに吠えるなら飼い犬に違いないと、翌日、動物病院に見に行った。 朝早かったことから、動物病院はシャッターが閉まっていて、犬の鳴き声もせず静かだった。すると看護師が犬を3頭ほど連れて散歩から戻ってきた。そのうちのビーグル犬が喜英子さんを見つけて突進してきて、ワンワン吠ながら喜英子さんの顔をぺろぺろなめ、感動の再開を果たした。 喜英子さん夫婦は単身寮から駅近くのマンションに引っ越していたが、犬を飼うことはできず、千葉県内に住む長男の妻の実家で引き取ってもらうことになった。ビーグル犬はその後、2016年8月まで生き、17歳で死んだ。「最期は幸せだったと思う」と治さんはいう。 根無し草ではいられない 2015年2月、富岡町で近所だった喜英子さんの同級生が、つくば市内に住む長女と同居することになり、「日中何もしてないから、つくばに遊びにおいで」と連絡があった。初めてつくばに来た喜英子さんを、友人があちこち案内してくれ、分譲住宅を見て回った。 治さんは翌年1月に会社を退職することが決まっていた。富岡町の自宅はすでに解体していた。再び治さんとつくばの分譲住宅を見に行き、「1人でも知っている人がいたら心強い」と2カ月後、つくばに家を購入することを決め、治さんが退職した16年1月、つくばに転居した。 「家が決まるまでは夢中で、私たちどうなっちゃうんだろう、いつまでも根無し草ではいられないと、気持ちばかり焦っていた。どこかに落ち着かなきゃ、腰をすえなきゃと、富岡のことは考えられなかった」と喜英子さんは当時を振り返る。「今つくばに落ち着いてみると、富岡で生まれ育ち、富岡で子育てをして、富岡しか知らない私にしてみると、なんで富岡に帰る選択をしなかったのかなとも思う」とともいう。 富岡町の家は解体したが、お墓が残る。治さんは千葉県柏市出身。長男だったので、富岡町に家を建てたとき、千葉の両親のお墓を富岡町に移した。喜英子さんは「もしものことがあったら、富岡のお墓に入れてねって、子どもたちには言ってある」という。(鈴木宏子) 終わり

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