神社仏閣の逆襲「ゲニウスロキ」《看取り医者は見た!》7
【コラム・平野国美】今日のタイトルは「神社仏閣の逆襲」ですが、中身はこの表現ほど過激なことはありません。神主さんも僧侶さんも、今後の神社仏閣の存在について多少不安を感じています。人口減少、少子高齢化、シャッター商店街化が、檀家や参拝客の減少につながるのではないかと。
いくつかの神社とその商店街の成り立ちを調べると、戦後、引揚者に境内を開放して住まわせ、そこに闇市が立ち上がり、飲み屋街や商店街として発展した歴史が見られます。そのため、敷地や建物が避難所の役目を果たし、その一角に怪しい場所が存在したこともありました。それゆえ、本体の寺社仏閣が枯れてゆくと、商店街も同じ道筋をたどる運命共同体なのです。
私は、こういった場所を、いつからか探して歩くようになりました。今は寂しげなのですが、全盛期のざわめきや勢いを感じるのです。郊外の大型ショッピングセンターでは味わえない雰囲気があります。佐賀神社にあったアーケードの商店街に唯一残った店、八女市の神社と同居してシャッター街化した所などです。大家が先か?店子が先か? いずれにしろ、運命共同体だったのです。
神田明神のIT系お守り
茨城南部では最近、寺社仏閣で新たな動きが始まっています。私たちが学生だったころ、学校の古典や漢文の先生には、神主や僧侶と併任の方がおりました。この20年間、私が仕事で回っている間に、寺社仏閣の世代交代が始まりました。
新しい後継者は古文や漢文の先生でなく、IT系の方もおります。神社仏閣のホームページをしっかりと作られ、SNSも利用し情報を発信しています。おそらく、御守りや御札に関しても伝統と斬新さを混ぜて来るでしょう。
数年前、神田明神では、システムエンジニアの皆さんに対し、IT系の御守りが用意されていましたし、将門神社にはキューピーちゃんの将門バージョンが置かれていました。石岡の歴史ある神社の神職は、有名な雑誌の編集者でした。その仕事で得た人脈を利用して、ファッションショーも開催しています。
お祭りでは御神輿(おみこし)の担ぎ手が街から消えたように見えましたが、TXの開通もあって新住民が住むようになり、担ぎ手が抽選になる地域もあるようです。
時代が変わり、担い手も変わっていく姿に期待してしまいます。今、神社仏閣の存在の仕方は大きく変わりつつあると思います。地霊そのものである神社仏閣の逆襲が始まりそうです。(訪問診療医師)
<参考>
「ゲニウスロキ」シリーズ、前回「地域の神社仏閣」はこちら、前々回「土地の守護精霊」はこちら。
40年振り返るミニ企画展開催 筑波実験植物園
開園40周年を迎えた国立科学博物館 筑波実験植物園(つくば市天久保)教育棟で14日から、同園の40年の歩みを振り返るミニ企画展「開園40周年記念・筑波実験植物園の過去・現在・未来」が始まる。会場の大型モニターでは、アカマツ林を切り開いた造成時の風景から現在に至るまでの同園の変遷を、スライドでめぐる映像が上映される。
同様の企画展は、25周年を記念したものに続く2回目の開催となる。会期は来年1月21日まで。
植物園が開園した当時は、現在の筑波研究学園都市一帯が、建築物がまばらな開発途上期にあった。モニターに映し出される開園直後の植物園では、現在は木々が生い茂る場所もまだ新しく植えられたばかり。スライドでは、敷地から、広い空と筑波山を見渡すことができた当時の様子がうかがえる。そんな開発初期のつくばの風景を含め、緑豊かな現在に至るまでの40年間の変遷を、約6分間で振り返る。
その他、培養室での希少種の無菌培養などの活動紹介や、ランやシダ、琉球の植物など希少種についての解説、過去の園内パンフレットなどが展示され、同園が経てきた40年の歩みを一覧できる。
同園は、1983年10月2日に開園して以来、生きた多様な植物を収集・保全し、絶滅危惧種を中心とした植物多様性保全研究を推進している。42ヘクタールの敷地では、常緑広葉樹林、温帯性針葉樹林、砂礫地植物、山地草原、岩礫地植物、水生植物など世界の生態区を再現することで、環境省が指定する絶滅危惧種の約20%、日本の固有種の約24%を含む、約7000種の植物を保有している。現在は、8人の研究員を含む、約30人のスタッフが勤務する。
広報の中山瑠衣さんは「研究者やボランティアが行う園案内に昨年は約5000人が参加した。全国から修学旅行の学生が来るなど、コロナが明けて来園希望が増えている」とし、「年間来場者も初めて10万人に届きそうなところへと伸びている」と明るい現状を語ると、「今回の展示では、40年前にお子さんだった方が当時を振り返ることができると思う。多くの方に来ていただきたい」と、来園を呼び掛ける。
日本初の結実
また現在、温室では、日本初となる、高さ130センチ余りのショクダイオオコンニャクの結実を見ることができる。「世界最大の花」と呼ばれるショクダイオオコンニャクの花が、今年5月に開花し、現在は真っ赤な果実をびっしり実らせている。世界でも開花はまれ。同園の細矢剛園長は「スタッフの努力の賜物。展示と合わせてぜひ足を運んで欲しい」と話す。(柴田大輔)
◆ミニ企画展「開園40周年記念・筑波実験植物園の過去・現在・未来」は、14日(火)から来年1月21日(日)まで。入園料は一般320円(税込み)、高校生以下と65歳以上は無料。期間中休園日等の詳細は筑波実験植物園内のイベントホームページへ。
マンホール蓋に残る旧県章 筑波研究学園都市に多数現存
1966年に制定された茨城県の旧県章デザインを刻んだマンホール蓋(ふた)を、意外にもつくば市で多く見掛ける。筑波研究学園都市の造成時に敷設された下水道は、合併前の当時の旧町村ではなく、茨城県と日本下水道事業団によって整備されたためだ。学園都市の黎明期に整備された旧国家公務員宿舎の車道や市中心地区の歩道などで見ることができるが、順次、現在の県章デザインや市のシンボルデザインの蓋に置き換えられ、姿を消している。
ご当地の観光資源やアニメのキャラクターなどデザインマンホール蓋が増える中、茨城県の歴史文化を伝える旧県章のマンホール蓋は、今となっては貴重な県政資料の一つ。
旧県章のデザインは、1911(明治44)年に公募により旧制中学の学生が提案したものが採用され、使用されるようになった。1966年にデザイン補正され、県章や県旗となった。「いばら」のイメージを模した図版内に、「イ・ハ・ラ・キ」の旧仮名遣いカタカナ文字が隠されており、難解なパズルにも見える。
旧県章は1991年まで主に県旗として県内各地の公共施設などで使われてきたが、同年11月13日の茨城県民の日を契機に現デザインへと変更された。今では「いばら」のマークは使われていない。
土浦市湖北にある県流域下水道事務所は、県内5流域の公共下水道を管理しており、その一環として雨水幹線、汚水幹線などの老朽化したマンホール蓋を更新している。
どれほどの数の旧県章マンホール蓋が残っているのかを同事務所に尋ねたが、概数は不明との答えが返ってきた。
「マンホールの更新事業は流域ごとに進めています。更新の判断基準は耐用年数として車道部の蓋は敷設から15年、それ以外は30年を越えているものとし、その中でも腐食や劣化の激しいものから交換することになっています。蓋の摩耗によるスリップ事故、蓋のがたつきや離脱による車両物損事故、騒音・振動や通行障害等の発生を防ぐためです」と同事務所。
同事務所が管理する下水道のうち、県南地域の流域下水道は、霞ケ浦湖北流域下水道(土浦、かすみがうら、石岡市、阿見町など)と霞ケ浦常南下水道(つくば、牛久、龍ケ崎、稲敷市など)に分かれている。湖北流域だけでも1900カ所ものマンホール蓋があるという。
土浦市内では相当数の蓋が土浦市市章やその他のデザインに交換された。流域下水道事務所では「土浦市内にもまだ旧デザインの蓋があるが、2023年度の更新事業対象なのでもうすぐ無くなる予定」と解説してくれた。
その敷設地点にあたる大岩田地区を訪ねてみたが、道路上のものは既に土浦市のマークに交換されていた。歩道上には「いばら」マークではなく「茨城県」と刻印された蓋があったが、これは上水道の制水弁と空気弁であった。
一方、県下では新しい街に属するつくば市内で多く見られるのは、まだ耐用年数内のものがたくさんあるということだ。それでもつくば市内の蓋の数々もやがて耐用年数を迎える。
「未使用品と劣化により取り外された蓋の違いは、デザインの新旧も含めて、当事務所のエントランスホールに展示してありますので、ご来場ください。平日の業務時間内であれば、安全に、いつでも見学することができます」(流域下水道事務所)
マンホールの大半は車道上に存在するため、事故やトラブルの懸念としてそれらを見物するのは控えてほしいという。つくば市内を歩いてみると、つくばエキスポセンター裏手の歩道上に2カ所、旧県章の汚水幹線マンホール蓋が現存しているので、これらは安全に見ることが可能だ。
きょう11月13日は県民の日。足下に残る茨城県の歴史を考えた。(鴨志田隆之)
農協がなくなってしまった!《邑から日本を見る》147
【コラム・先﨑千尋】先月26日、私が住んでいる常陸農協瓜連支店が店を閉じ、今月6日に「ふれあいプラザ瓜連」に替わった。私はこれで、この地区(旧瓜連町)から農協がなくなってしまった、と思った。ATMはそのままで、購買品は取り扱うというものの、農協としての機能は隣接の那珂支店に移行された。同農協管内では、同日に山方支店、水府支店もなくなった。
今回の店舗再編計画は、茨城県内農協の本支店体制整備方針(2014年策定)により、貯金や共済で一定の事業量がない支店を統合するというもの。県全体では192店舗を105店舗にほぼ半分に減らし、常陸農協でも10店舗が消える。農協も経営環境が厳しくなり、赤字店舗を減らすということだ。
旧瓜連町管内ではすでに常陽銀行が撤退し、金融機関として残っているのは郵便局だけだ。ATMやコンビニがあり、キャッシュレスの時代だから、1日に10数人程度の来客しかいない店は残さないという方針は、経済原則では当たり前のことかもしれない。だが、私には寂しさが残る。
農協という組織の前身は産業組合で、産業組合法は1900年に成立している。資本主義経済の中で、農民は経済的に弱い立場にあった。弱い者でも集まれば強くなると先人たちは考え、信用、購買、販売の組合をつくった。共済事業は戦後始まった。
農協に行けば用が足りた
瓜連町地域では、1933年に保証責任静村信用販売購買利用組合(静村産業組合)が誕生し、水郡線静駅前に事務所、倉庫を建てた。その時、敷地内に、協同組合の元祖である二宮尊徳(金次郎)を祀(まつ)った報徳神社も建立している。同組合は、戦時統制経済のもとで「農業会」と看板を塗り替え、戦後の1948年に「農業協同組合」となった。
静村は無医村地域だった。そこで産業組合の先人たちは、組合主導で国民健康保険組合を設立し、診療所を開設、無料診療を実施した。戦後は農協が引き継ぎ、茨城県協同病院静村分院となり、医師と看護師が常駐し、往診まで行った。県内で診療所を持つ農協はここだけだった。
静村農協はそれだけでなく、理髪所を持ち、澱粉(でんぷん)工場、製粉製麺所を経営し、肥料・農薬などの農業資材だけでなく、酒や塩、切手も含めた日用品も販売していた。葬儀用の祭壇もいち早く備え、葬儀があれば貸与していた。とにかく、農家の暮らしに必要なものは農協に行けば用が足りた。私が子どもの頃、床屋は農協以外にはなかった。農協の総会のあとは演芸会があり、年寄り、子どもまでが芝居や漫才などを楽しんだ。
酒は四斗樽(たる)から量り売り。あとで聞いた話だが、宿直に当たった職員が寝しなに少し酒樽から失敬し、その分、水を入れてごまかした。それが続くと酒がだんだん薄くなり、売り物にならなくなってしまったとか。
頭で分かっていても寂しい
同村農協は、このように県内でも最先端を行く活動を展開していた。1953年には「茨城農政研究会」が結成され、「茨城農民自由大学」を開いた。この活動にも農協青年部の活動家が積極的に関わり、近藤康男、山川菊栄、住井すゑ氏らを講師に招き、多くの聴衆を集めた。
このような先駆的な活動を行ってきた農協が消えてしまう。農業が衰退し、今や農協に頼らなくとも生きていける。必要でないものはこの世から消え去る運命なのだと頭で分かっていても、やはり寂しい。(元瓜連町長)
次期県立高校プランにつくばの人口増反映を 市民団体がフォーラム
人口増が続くつくば市に県立高校が少ない問題で、現在、県が策定を進めている2024年度からの県立高校改革プラン実施プランⅡ期(26年度までの3年間)に、児童・生徒数の増加が続くつくば市などの状況を反映させ入学枠の改善などを改めて要望しようと、市民団体「つくば市の小中学生の高校進学を考える会」(片岡英明代表)が12日、同市役所内で「つくばに県立高校を求める」と題した教育フォーラムを開いた。
小中学生の子供をもつ父母らのほか、市議、県議、国会議員など計約70人が参加した。考える会は、この日のフォーラムで出た報告や意見などをまとめ、近く県に要望書を提出する予定だ。
同改革プランは、県立高校の適正規模・適正配置や学校・学科の在り方などについて方向性を示すもので、県は同実施プランⅠ期(20-23年度)に基づき、つくば工科高校を改編しつくばサイエンス高校を新設などした。つくばエクスプレス(TX)沿線では、改革プラン策定時の2018年時推計を上回って、児童・生徒数が増加している。
基調報告した片岡代表は「改革プランでは県内を12のエリアに分け『エリア区分ごとに募集学級数を調整する』という方針を出しているにも関わらず、県議会などの答弁で県は、周辺エリアを加えエリアを拡大させた答弁をしており、おかしい」などと指摘。つくば市などつくばエリアの全日制県立高校の募集数は2023年度で中学卒業数の50.1%にとどまっていることから「実施プランⅡ期ではエリア区分ごとに募集学級数を調整し、県平均水準(68.4%)までつくばエリアの募集枠を増やしてほしい」などと話した。
フォーラムでは、国光あやの衆院議員や、海外出張中のためビデオメッセージを寄せた五十嵐立青市長から、県が現在、竹園高校の定員増を調査していることなど、新たな動きについて報告があった。
一方、市内に住む小学5年と2年の子供をもつ母親は「5年前につくばに転居し、高校に困ることになることは想像してなかった」と述べ「(つくばは)小学校3年、4年から塾に通っている子がほとんど。学費をねん出するため親はほぼ共働き。子供は夜遅い時間に自転車で塾などから帰宅する。親も子もほぼ家にいない。高校生になると通学に月3万円かかると聞く。通学に時間がかかると子供の時間が失われるのがもったいない。(牛久栄進高校の1学級増など)コトが動いていることも感じるが、(片岡代表が指摘する)ファクトに基づくデータをもっと見える化したい」と話すなど、参加した父母からは切実な声が相次いだ。(鈴木宏子)
軽トラデート《続・平熱日記》145
【コラム・斉藤裕之】弟の次女は誰に似たのかとても勉強が好きで、大学で英語を学んだ後にちゃんとした会社に就職した。その後大学の同級生と結婚して、そのだんなさんもお堅い仕事に就いているのでとりあえず弟夫婦も安心という、なんとも親孝行な娘だ。
余談だが、見た目が幼く見えるせいで、私の長女の結婚式では未成年が飲酒していると勘違いされたり(お酒はかなり強い)、また仕事で海外に出張するというのだが、外国の人から見ると余計に幼く見えて、子供がやって来たと思われはしないかと心配している。
そんな姪(めい)夫妻が茨城に遊びに来たいという。山口の山の中で育ったせいか、東京での都会暮らしに物足りなさを感じるらしく、通勤圏内のちょっと郊外、つまり茨城に住んでみたいらしい。
いつだったか、この姪夫婦がこの前うちに来た時に近くをドライブしたいというから、あいにく軽トラしか空いてないけどいいかと聞くと、むしろ軽トラがいいという。天気も良かったので筑波山方面を勧めておいた。軽トラには似つかわしくないいでたちの若いカップルは、うれしそうに出かけて行った。
軽トラには乗用車にはない特別感があるのかもしれない。座席は狭いし地面の振動がダイレクトに伝わってくるので、妙な一体感がある。地元民のような、労働中のような、気取りがないのもいい。どこを回ったのか詳しくは忘れてしまったが、夕方帰ってきた2人は茨城にも軽トラにも満足していた様子だった。
乗り心地は軽トラより軽乗用車
そんなことがあって(というか前回の軽トラデートも茨城移住の布石だったとも考えられもするが)、今回の軽トラデートの目的地は守谷らしい。守谷は都心へのアクセスも良く、今や人気の住宅地だ。車があれば海にも山にも行ける。都心から同じ距離・時間離れた神奈川や埼玉では、家賃も高いし車を持つのは容易ではない。
ただ2人にはその先の計画もあって、将来外国で暮らすという夢があるそうな。もしも私が親なら、せっかく安定した仕事に就いているのに…と思うだろう。ところが、弟夫妻は「自分たちの生きたいように」と言うばかりか、移住先に遊びに行きたいとまで言っている。
まあ、私も弟もまたその長女も海を渡って暮らした経験があることを考えると、「とりあえず日本脱出」という遺伝子が斉藤家には受け継がれているのかもしれない。
ところで、今回は軽トラではなく軽乗用車を貸した。守谷偵察?を終えて帰って来た2人は「やっぱり乗り心地は軽トラよりいいですね」と素直に答えた。
コロナ禍で結婚式はしていない姪夫妻。随分と長い間娘のために母親が編んだレースのドレスを着て、今年の5月、生まれ育った家の庭でやっと記念の写真を撮ることができた。あいにくの空模様だったそうだが、撮影をする間だけ雨雲が協力してくれたそうだ。
帰り際の姪に、むかごご飯を炊いて持たせた。しばらくして「むかごご飯おいしー!」とメールが来た。ふたりだったらなんとかなるさ。まずは茨城にいらっしゃい。軽トラ、いつでも空いてるよ。(画家)
小美玉市の古刹・鳳林院《日本一の湖のほとりにある街の話》17
【コラム・若田部哲】小美玉市の鳳林院( ほうりんいん)は、14世紀の室町時代は応永年間に開山されたとされる、市内有数の古刹(こさつ)です。初心者歓迎の坐禅体験会を定期的に開催していることで有名な同寺にて、物思いにふけりがちな秋、煩悩多きこの身を清めるべく坐禅体験をしてきました。
そもそも坐禅は、インドの菩提達磨(ぼだいだるま)を開祖とする禅宗の修行の一つ。日本では禅宗の代表的な宗派に曹洞宗と臨済宗があり、それぞれ内容が異なりますが、曹洞宗である鳳林院では、一般的な坐禅のイメージに近い、ただただ無心に黙って坐る「只管打坐(しかんたざ)」という行を体験できます。
この月に一度の坐禅会は50年以上前から行っているとのことで、老若男女問わず、県内外から20人ほどの参加者があるそうです。
まずはご住職に坐禅の流れをご説明いただき、早速体験に移ります。「結跏趺坐(けっかふざ)」という独特の足の組み方で坐り、両手を「法界定印(ほっかいじょういん)」という、半円を組む形で組みます。目は薄く開け、1メートルほど先の畳の上に落とし、天井から頭がつられているイメージで、いざ坐禅開始!
「煩悩の一つや二つ減らせるかな…」。いきなり煩悩が浮かびます。これはイカン。すると、「考えちゃだめだ、心を無に…」と思ってしまい、次いで「『考える』とはどういうことか?」と、意識の別のところから突っ込みが入ります。ううむ、心を無にすることのなんと難しいことか。
普通のしがらみを捨てるのが坐禅
しばらく、そんな感じに脳内で悪戦苦闘していると、ふと鳥のさえずり、さわやかな秋風の音がただ聞こえ、周囲と一体となった感覚が!…と感じるや、「あ、今無心になっていた!」と、湧き上がる雑念。トホホ、ふり出しに逆戻りです。
ほぼほぼ煩悩、合間にほんの少しの無心の境地?を体感し、十数分ほどで体験を終わりました。
「無心の境地を少しは得られるのではと思いましたが、難しいですね…」。苦笑すると、ご住職は穏やかにお答えくださいました。「初めて体験する多くの方が『何か得られるのでは』と期待されています。ですが、『ただただ坐り、一生懸命何もしない』ことで、普段のしがらみを『捨てる』のが坐禅なのです」
つまり、最初に「得る」のではなく、まずは余計なものを「置いていく」ことで、その結果として心身がリセットされ、新しい自分が得られるということなのだそう。
情報化の急速な進展により、私たちは常に膨大な情報の処理を強いられています。そのことに疲れてしまったとき、いったん心身をリセットする坐禅は、現代社会に生きる私たちにとって、とても心休まるリフレッシュの時間となるでしょう。ぜひ一度、日常の喧騒(けんそう)から離れたひと時をご体験ください。(土浦市職員)
<注> 本コラムは「周長」日本一の湖、霞ケ浦と筑波山周辺の様々な魅力を伝えるものです。
➡これまで紹介した場所はこちら
貸出金残高初の2兆円台 筑波銀行が中間決算
筑波銀行(本店土浦市、生田雅彦頭取)は10日、2024年3月期第2四半期(23年4月から9月まで半年間)の決算を発表した。財政状況は、貸出金残高が前年度末比531億円増の2兆43億円となり、2010年の同行設立以来初の2兆円台となった。
エネルギー価格など物価高騰の影響を受けた地元中小企業の資金繰り支援や本業支援に積極的に取り組んだ結果、中小企業の貸し出しが増えたことに加え、TX沿線の宅地開発やマンション需要の増加に伴う住宅ローンなど個人向け貸し出しや、地方公共団体向け貸し出しが増加したことが要因。貸出金残高のほか、預金残高(2兆5844億円)、預り資産残高(3124億円)も第2四半期としていずれも過去最高となった。
生田頭取は「貸出金が初めて2兆円の大台に乗った。3行(関東銀行、つくば銀行、茨城銀行の)が合併した時の貸出金は1兆円だった。合併して13年、ワンチームとして皆で積み上げてきた結果」だとし、「2兆円をクリアし、一つの節目を通過した」と強調した。
増収減益に
連結の中間決算は、売り上げに当たる経常収益が前年同期比11%増の206億2300万円と増収となる一方、国債など債券の売却損の計上や外貨調達コストの増加に伴う経常利益の減少などにより、中間純利益は同比14.5%減の19億3000万円となり、増収減益となった。
経常収益は、銀行本来の利息や手数料で稼ぐ本業はほぼ順調に推移した一方、国債など債券の売却損の増加を、株式などの売却益で相殺した形という。
要管理債権が増加
一方、不良債権の状況は、正常債権から要注意の要管理債権にランクダウンした債権が前年度末の80億円から41億円増えて121億円となった。
生田頭取は「新型コロナの影響や、その後の原材料高、エネルギー高、人件費などから、企業が収益を出しずらく、キャッシュフロー不足になる先があった」とし「(新型コロナ対策として国が実施した無利子・無担保の)ゼロゼロ融資の返済も重なって要管理債権が増えた。これをどう支援していくかが当行の役目。膝詰めで(企業の)経営計画をつくって、どうすれば価格転嫁を図れるかや、販路拡大などの支援を一緒にやっていきたい」とした。
不登校とは何なのか 経験者5人が赤裸々に語り合う
きっかけは?後悔してない?
不登校を体験した大人たちが、当時を振り返って語り合う座談会が先月21日、つくば市の桜総合体育館で開かれた。親や学校との摩擦、友人関係、死を意識した心境…つらい経験を時にユーモアを交え、聴衆からの質問にも答えつつ、語りかけた。不登校になった子に、大人はどう接するべきなのか。切実な語りに耳を傾けると、ヒントが見えてきた。
フリースクールや、行政の教育相談機関など不登校を支援する関係者が集うイベント「不登校・多様な学び つながる”縁”日」の一環。保護者やフリースクール運営スタッフのほか、不登校支援に関心を持つ市議も出席していた。主催団体の「不登校・多様な学びネットワーク茨城」は今月12日にも筑西市の県西生涯学習センターで同じタイトルのイベントを開催。フリースクールのブースを設け、悩み相談会も開く。
登壇したのはざっきー(20代男性、NPO支援組織職員)、しーちゃん(30代女性、シンガーソングライター)、にっちー(20代男性、大学生でフリースクール職員)、まこちゃん(30代女性、精神保健福祉士)、まりりん(30代女性、フリースクール運営)の5人(いずれも仮名)。内容の一部を紹介する。
―いつから不登校に?当時の心境は?
ざっきー 中2まではまじめでいい子。生徒会役員もやっていました。中3の始業式の日、熱が出て2週間体が動かなくなってしまった。「学校がイヤだから行きたくない」ってわけじゃない。今も学校に対してそんなに悪い印象はない。
にっちー 中3の時。はっきり覚えていないんだけど、人に会うのが怖くなった。頑張って学校に行ったときはしょうゆを携行して飲んでいた。体調不良を理由に早退できると思っていたので。ネットで知り合った不登校の友人と、学校に通う「リア充」とみなして敵意をツイッターでつぶやき合っていました。
しーちゃん 「リア充」への違和感、分かります。みんなが盛り上がっている話題だと、大して面白くないけど空気を読んで笑う。なかなか本当の自分が出せず、小6で一時不登校に。学校は戦いに行く場所でした。
まりりん 中1の冬から。家で寝て、テレビ見てゲームをして現実逃避していた。自分と関係ないところで時間が進んでいく感覚で、当時のことはあまり覚えていない。(学校には)スクールカーストがあった。明るく楽しくしていい人もいるけれど、私ははしゃいじゃいけない人、みたいな空気を感じて息苦しかった。
まこちゃん 小学2年生から。保育園や幼稚園に行っておらず、幼い頃は心の病気を患っていた母とずっと一緒に生活。就学前健診で初めて同年齢の子と出会った。女の子同士の遊びに入りたくても、遊び方がまるでわからない。周囲に合わせて「アルプス一万尺」を覚えたころには、もうポケモンがはやり出す。頑張ってもついていけない私はランクが下。上手に友だちづきあいできる同級生は手が届かない、「セレブ」のような遠い存在だった。
―不登校の子と、そうでない子の違いは?
司会者 私は学校行っていたけど、人に合わせたり、つまらないと感じたりした時はあった。不登校の子との違いってなんでしょうか?
まりりん しんどいけど学校行ってた人は「いい子」。いい意味でも、悪い意味でも我慢することに慣れることができていたんだと思う。
しーちゃん 頑張りすぎて学校に行ってコップから水があふれたタイミングがたまたま小6だった。中学生や社会人になってそういう風になった可能性はあると思う。
ざっきー 同じですね。たまたまコップの水があふれた時期が学生のときだった。
にっちー 僕も同じ。いまだに、どうして不登校になったのかよくわからない。
まこちゃん 最初は頭痛から、そして全身に体調不良が広がっていった。それで親とも相談して病院にも行って「行かない」という選択をした。
不登校を経験した男性―学校に行かないで後悔したことは?
ざっきー 地元のつながりが消えてしまい、寂しい面もある。でも大学生の友達と昔話はするので、虚無感はない。
にっちー 文化祭に行きたくなくてトイレにこもっていた人なので、中学・高校の友達はほぼゼロ。でもゲームを通じて友達と交流できたし、大学で楽しいこともあった。人間関係が苦手になったという後遺症はあるけど、後悔はあまりない。
まこちゃん 小学生の学習支援をしていて、子どもたちに「二桁の割り算ができないの?」と驚かれた。小2から不登校で、小5でかけ算を覚え、その後で割り算に取り組んだ。先日、4歳の息子の保育園の運動会に行って、こんなに楽しいものなんだと気づいた。「学校に行っておけば良かった」と思う気持ちはゼロではない。子どもの時、学校に行かなくても、大人になって体験できることもある。でも、割り算は捨ててますけど(笑)。
まりりん 大学生のころ、同級生との会話で修学旅行の話題は避けていた時期があった。後悔していないが、親になってみると、自分のように家に引きこもるのはもったいないと思う。大学に入って最初は人と話せず、友人との距離感がなかなかつかめずに失敗を重ねた。そういう人間関係の失敗は早めにした方がいいと思っている。
しーちゃん 不登校の子の知り合いは多いが、「後悔している」という声はあまり聞かない。自分は臆病なので、片足突っ込んだぐらいで不登校の期間が終わった。今では、ちゃんと自分に向き合って不登校しておけば良かったと後悔している。
次ページに続く「親はどう受け止めればいいの?」
親はどう受け止めればいいの?
フリースクール職員―不安に思う親や祖父母は多い。どう接するべきなのか。
ざっきー ひきこもりになるかもしれないから無理やり連れて行こうとするのは、やめたほうがいい。中3で不登校になったとき、父から「行くのが義務だろ」と言われ、もめた。以後10年以上、父とまったく話をしていません。母もあきらめているようです。こうなるのイヤじゃないですか?親御さんにはお勧めしません。
にっちー 自分のことで親同士がケンカしている声を別室で聞くのが一番いやだった。「このままじゃまずい」という気持ちはわずかですけど、あったんです。「ゲームのデータ消す」と誓ったのに、1週間後にはまた再開してしまう。その繰り返し。そのうちスイッチが入るんです。親が焦る気持ちは分かるけど、少しずつ子どもは進もうとしている。それを信じてほしい。
まこちゃん 成長するにつれて、心の病を抱えている母に相談しても難しいと感じるようになった。進学した高校では、先生たちが母親代わり。朝と放課後、職員室を訪れると必ず話しかけてくれた。親以外の大人と関われる場所があれば、親も距離をとれるし、子どもも息が詰まらないんじゃないかな。
まりりん 小さい頃は立派な大人になるためにちゃんとしなくてはと思い込みすぎていた。大検受けて大学入ったら、夜通し飲んだり、単位落としたりダメな先輩たちがいた。その姿をみて「あっダメでも失敗してもいいんだ」って思い、救われた。サークル活動や恋愛を通して社会復帰した面もある。
しーちゃん 反対や否定をすればするほど、子どもは自分の殻にとじこもる。そのことを想像して言葉をかけてほしい。好きなことがあるって大事。昔は人前に立てなかったけど、それでもシンガーソングライターになるという夢があったから生きてこれた。好きなことを応援すれば、不登校の子もどんどん外に出て行くと思います。
司会者―でも、親も不安を抱えている。どう過ごせばいいのでしょう。
にっちー いまフリースクールのスタッフをしている。親御さんの中にも自分を認めてもらえず、苦しんだ過去を持つ人もいる。少し気晴らしに行くなどして自分自身を責めず、いたわってほしい。
しーちゃん 親も子も「私は相手のことをよくわかっている」と思いがちだが、想像以上に考えが異なっていると思った方がいい。たとえ親子でも、自分にとっての当たり前は、相手にとっては当たり前ではない。お母さんたちは同じ境遇の親と話し合って気分を発散してください。
まりりん 不登校になると、フリースクールや自然体験、外で遊ばせるとか、親はつい「学校に行かないからこれをさせよう」と、欲を出す。そうすると子どもは期待にこたえようと頑張る。親のコントロールを手放すことも大切。
ざっきー 「学校に行かなくてもいいから、寝てるのだけはダメ」といわれ、ペン習字をさせられたことがあった。
まこちゃん 4歳の息子のために良かれと思い、何かすると「自分のため?息子のため?」と、夫に指摘される。そこでハッと気づき自己嫌悪に陥る。同じ人間でも、それぞれに「子ども」「母親」といった役割を担ううちに、脳がそれに慣れていく。誰も自分を知らない土地に行って、何者でもない自分になってリセットできるといいですけどね。
まりりん 大人も忙しすぎる。なんにもしない日があってもいい。
にっちー 半年間ウガンダに行って、子育ての違いを目の当たりにした。日本では親が育てるのが当たり前だが、ウガンダではご近所同士が集まって外で食事を作って食べる。母親が忙しいときは、自然と手が空いている近所のおばちゃんが子どもの面倒をみる。でも、日本では親だけで抱え込む。これって人間には無理なんじゃないか。共働きが増えているいま、子どもにとっても親にとってもきつい状況。
まりりん 一番下の子が2歳。一人で抱えるの大変だし、小学生の子がホームスクールで家にいたので、煮詰まるように。だったらみんなでやろうと自宅の一角でフリースクールをやるようになった。とくにつくばは転勤族が多いので、親が人間関係をつくりづらい面がある。
次ぺージに続く「周囲の支援、イヤだったこと、良かったこと 自治体の支援は」
周囲の支援、イヤだったこと、良かったこと/自治体の支援は
専門学校職員(学校に来ない学生を支援する立場で)―先生からの言葉がけ。傷ついたこと、支えになったことは?
ざっきー 「みんな心配してるよ」はイヤですね。「みんなってだれ?」って思います。あと寄せ書きとか。良かったのは、先生が母に対して「息子さんは大丈夫です」と言ってくれたこと。そのことを母から聞いて安心した。でも、直接言ってくれれば良かったのになあ、とは思います。
まりりん 中1の担任が生徒をあだなで呼ぶ先生で、友達のように気遣ってくれたのがうれしい。かまってほしい面もあるので、放置されすぎても、困ってしまう。
しーちゃん 大人嫌いが強かったけど、まじめじゃない先生から「シーちゃんは大丈夫だから」と言われて心強かった。子どもじゃなく、友達として扱われていると感じた。着飾った言葉はいらない。気持ちを正直に伝えてもらえれば。
にっちー いやなこと…「文化祭出ろよ」とかかな。でも、先生の立場からすると言わざるを得ない面もあると思う。再び登校し始めた頃、周囲に知られないようひそひそ声で「保健室じゃなくていいの?」と声をかけてくれた先生が思い出深い。さりげない気遣いがありがたい。
しーちゃん それは人それぞれだよね。こそこそ言われたらイヤな人もいるだろうし。
まこちゃん 同級生からプリントを自宅に届けられるのがイヤだった。5人ぐらいでピンポン押して呼びに来る。そうすると母が怒る。今になって思えば、先生は同級生とかかわる機会をつくってあげようとしていたのかもしれない。居留守を使っていても、根気強く週1回、ちゃんと来てくれて置き手紙残してくれた先生がいた。これはありがたかった。「大丈夫」の一言は大きい。でも、「今はそんな時期じゃない」って反発されることもあるので、タイミングが難しい。
しーちゃん 「学校に行こう」とは誘わないけど、友人が毎日来てくれた。後で、友人が先生に「しーちゃんは大丈夫」と話していたと聞いて泣いた。根拠なくても「大丈夫」と言われるとありがたい。でも、感情は生もの。自分のフィーリングを大切にして言葉がけしてほしい。
まりりん 声をかけられた時は「イヤだ」と思っても後になると「ありがたかった」と思うこともある。
司会者 相手への思いやりと信頼感に裏打ちされた言葉をかけてあげることが大事だと思いました。
市議の男性―自治体に求める「対症療法的ではない」支援とは?
まこちゃん 子どもがいつもそこに行けば誰かに会えるような、大人と関われる場所をつくってほしい。
にっちー 理解してほしいのは、フリースクールは数値的な成果で測れるものではないってこと。人間の心の問題って薬を飲んですぐ解決できるような問題ではない。二歩引いて三歩進むようなゆっくりとした歩み。成果がすぐ出ないから予算つかないとなると難しい。
しーちゃん 行政の方がこの場に来てくれているのがうれしい。いまだに「怠けてる」「甘えている」と思っている大人は多い。子どもにとっての居場所が欠かせないことを理解する大人を増やすためにも、フリースクールを増やすことが必要。
ざっきー 予防的な考えでは、子どもが不登校になる前に、信頼できる大人といられるたまり場を地域に設置してほしいと思う。自分が支援に関わる自治体では2週間に1回ぐらいで開かれているが、頻度が十分ではないと感じる。まだ、こういう取り組みをする自治体は少ないと思う。例えば、児童館で受付をするだけじゃなく、ボードゲームをして一緒に遊んでくれるような大人が望ましい。
―最後に、過去の自分へメッセージを届けてください。
ざっきー 10数年前、カッターナイフを持って、自ら命を絶つべきか3時間悩んだ。でも結局、死ねなかった。だから「生きなきゃいけない」と思えた。いま自分が完全に幸せとは思わないが、まあ51%ぐらいの幸せは感じられる。だからあのとき、死ななかったことは後悔していないと伝えたい。
しーちゃん いま思えば、学校に行く行かないの問題ではなかった。こんなダメな自分を誰も受け入れてくれないと思い込んでいた時期はあったけど、意外と人は優しく、助けてくれた人も多かった。「だれか認めてくれる人は必ずいるよ」と声をかけたい。
にっちー 「今がダメでもいいじゃん」。こうして話をしても、「甘えてるだけでしょ」と考える大人はいると思う。でも、昔と今では、子どもの苦しみの質が違う。今の自分にも言い聞かせるけど、「自分に厳しくしすぎなくていい」って言いたい。
まこちゃん 「とりあえず大丈夫だよ」ってことかな。小中学生のころ、しんどいときに何度か死を思った。でも死なない。その経験値が積み重なると、死を選ばなかった自分を認めてあげられるようになる。生きていてファミレスでおいしいパフェを食べられたとか(笑)、ささいな喜びを増やしていった気がする。
「大人を見限らないでほしい」とも言いたい。人を見極める能力は、年齢と、出会った人数のかけ算で決まる。10代の自分に「『大人はダメ』って言えるほどいろんな大人に出会ってないでしょう」と諭したい。
まりりん 「このままの自分でいいのか?いやダメだろう」という負のループをずっと繰り返していた。いま思えば、それでいい。どん底まで悩まないと、どうにもならなかった。振り返ると、ガラスのようなプライドを守ろうとして精一杯頑張っていた。「人間なんて、そして自分なんてバカなんだよ。結局、あきらめずに生きていくんでしょ?」と問いかけたい。
終わり
(鹿野幹男)
土浦一高の募集学級削減問題を考える《竹林亭日乗》10
【コラム・片岡英明】牛久栄進高の募集が来年から1学級増えるという、県教育庁のうれしい発表が7月にあった。一方、2020年まで8学級だった土浦一高の募集は、21年に7学級、22年、23年には6学級になり、来年は4学級に減らされることに心を痛めている。
教育庁は11月2日、土浦一高の来年の募集について、付属中からの進級2学級、高校4学級になると発表した。結局、私たちの高校学級削減停止の要望は届かず、土浦とつくばを中心とした県南の高校受験生は大きな苦労を抱えることになる。
そんな中、土浦一高の募集削減の影響を小さくとらえ、「付属中に入る生徒もいるので影響は少ないのではないか」といった疑問に聞くことがある。そこで今回は、高校受験を正確に論じるために、生徒の増減を、県立・私立の中高一貫や県立付属中の生徒を除いた、高校入試の当事者数で考えてみたい。いわば「真水」の分析だ。
中卒者が増えているのに募集削減
先の疑問に応えるため、つくば市の並木中等学校と茗渓学園中学校を除いた「市立中学卒業数」で、土浦一高の高校削減問題を考えてみたい。
23年入試では、つくば市立中学卒業者が入学した県立高校は、多い順に竹園高200人、牛久栄進高129人、土浦二高113人、土浦一高88人で、これらトップ4校の入学者数は530人。これは、つくば市立中学卒業数2183人の24.3%、茨城の県立高入学1265人の41.9%である。
トップ4校の募集学級数とつくば市立中学卒業数の推移を見ると、以下のようになる。
▽20年:4校とも8学級、つくば市立中卒業生1928人(32学級)
▽21年:土浦一高7学級、 同 1954人(31学級)
▽22年:土浦一高6学級、 同 2065人(30学級)
▽23年:土浦一高6学級、 同 2183人(30学級)
▽24年:牛久栄進9、土浦一高4学級 同 2175人(29学級)
20年入試は4校とも8学級で32学級だったが、県の「付属中を設置しても総学級数は増やさない」との方針で、土浦一高の募集枠は減っている。24年入試では20年と比べ卒業数は247人増えるが、受験者の多いトップ校の募集は3学級減となる。
付属中設置と並行して、つくば市の高校受験生が減少しているなら、土浦一高の募集削減の影響は小さいが、実態は逆で、生徒増の中での募集削減になる。
生徒増に対応する募集学級増を
県の高校改革プランでは生徒の3分の2を県立高が担うとしているので、つくば市の増加数247人の3分の2に当たる164人分、つまり県立高4学級増が必要となる。そのうちトップ4校が県立入学全体の41.9%を占めるから、生徒増に伴い、トップ4校にはその41.9%の69人、最低1学級増が必要となる。
これは、20年の土浦一高8学級時代の水準を回復するには、24年時点のトップ4校で4学級増が必要であることを意味する。
以上、土浦一高の4学級削減への対策を考えてきたが、つくばエリアの県立高校不足と生徒増の中で、土浦一高の一層の定員削減は受験生にとって「泣き面にハチ」である。入学者の多いトップ4校を中心に、緊急に募集学級増ができないものだろうか。
11月の土浦一高の定員削減発表で、9月のコラムで書いたトップ4校の10学級体制の必要性がさらに高まったと思う。(元高校教師、つくば市の小中学生の高校進学を考える会代表)
