金曜日, 9月 30, 2022
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古家晴美

受け継がれる土になじむ習慣 《菜園の輪》2

【コラム・古家晴美】最寄り駅から徒歩圏内にあるつくば市内の貸し農園を利用している、40代の中本暁子さん親子―息子の容太郎くん(小学校低学年)、70代の父の川島弘之さん、母の和子さん―に、お話をうかがった。暁子さんは、農園近くのマンションに13年前に引っ越してきてから、同僚の紹介によりここで野菜作りを始めた。畑は約30平方メートルで、年間使用料は約1万円である。 前のアパートでも庭先を使って野菜を作っていた。父が家の庭で畑仕事をする姿を見て育ち、自然と植物の成長を見守ることに楽しさを感じるようになったと言う。暁子さんは独学で野菜作りに取り組んでいたが、8年前の妊娠で畑の手入れが十分にできなかった。 そこに手を差し伸べたのが弘之さんだ。平日の畑の管理を和子さんと行い、週末には孫の容太郎くんと畑で会うという楽しみもできた。容太郎くんは歩けるようになると、ほどなく、はだしで畑に入り、土遊びを始めていたと言う。現在でも友達を呼んで、共にじゃがいも掘りをしたり、ミミズを関心深気に観察したりと、農業に対する関心も高い。 父の参加により、菜園は新たな段階に入る。暁子さんによれば、父が牛糞(ふん)や山からいただいてきた腐葉土を畑に入れてくれたことにより、収穫量が大幅に増えた。 中本暁子さん・容太郎くん、川島弘之さん・和子さん親子 弘之さんは農家の出身で、幼いころから土いじりになじんでいた。土がないと落ち着かないと言う。教員生活の合間に、庭先でずっと野菜作りをしてきた。しかし、全く苦労がなかったわけではない。秋蒔(ま)きで越冬させねばならない三度豆(さんどまめ)は、この畑ではその時期に蒔くと枯れたり、カラスに食べられた。試行錯誤を繰り返しながら、遅蒔きにして5月に収穫することにした。

市村すみいさん・典子さん 《菜園の輪》1

【コラム・古家晴美】新タイトルの「菜園の輪」では、人の緩やかなつながりに注目したい。ここでいう「菜園」は、家庭菜園から直売所に品物を出荷する自家用畑まで含む大まかなくくりだ。 そこで主な生計を立てているわけではないが、食生活の一部に深く組み込まれている「菜園」は、様々な形で「人のつながり」をもたらしている。家族で食べきれない野菜をおすそ分けする友人知人。育て方のコツを教えてくれる畑の隣人。土地を貸してくれる地主さん。そして、家族もつながりの中に入る。 初回は3町歩(3ヘクタール)の稲作を行いながら、トマトやキュウリなど栽培している、市村すみいさん(92)と市村典子さん(65)の菜園を紹介したい。 つくば市にある市村さん宅の菜園は、母屋裏手の長さ50メート、幅5メートル弱の長細い畑と、自宅から少し離れた1畝(せ、1アール)の畑の2カ所に分かれている。筆者は30年近く、様々な菜園のあり方を見てきたが、このように、家の敷地内や近くで、日常よく使う葉菜類や果菜類を育て、少し離れた畑で根菜類を育てる自家用畑は多い。 食卓を鮮やかに彩る野菜 家裏手の畑は、土起こしや果樹の剪定(せんてい)以外は、基本的にすみいさんが、種まきから草取り、収穫までを健康維持のために管理している。ほうれん草や小松菜などの菜っ葉類や小豆、えんどう豆などの豆類、聖護院(しょうごいん)大根が中心だ。

わらづと納豆作りに挑戦 《県南の食生活》31

【コラム・古家晴美】前回取り上げた「こも豆腐」に引き続き、今回も藁(わら)を使った食品を作ろうと思う。そこで「納豆」に挑戦した。他県の人から見た「茨城」のイメージとして、納豆は切っても切れないものかもしれない。 蒸し大豆を藁苞(わらづと)に詰め、納豆菌を繁殖させた「糸引き納豆」は日本独自のものだ。それまでは、中国から伝来した「塩辛納豆(浜納豆)」が寺院を中心に作られていた。糸ひき納豆の由来譚(ゆらいだん)は、八幡太郎義家をはじめ諸説あり、その出生は明らかではない。 しかし、江戸中期の『和漢三才図会(わかんさんさいずえ)』を見ると、たたいて豆腐と蕪(かぶ)青菜の汁に加え、芥子(けし)を放って食べるとおいしい、と記されている。そして、江戸末期になると、納豆売りの行商が盛んになり、醤油をかけて食べる方法も普及した。 茨城の小粒の納豆が注目されるようになったのは、明治22年(1889年)に水戸線が開通して以降のことだ。販売のための流通手段を獲得した水戸の「天狗納豆」は、現在に至る水戸名物としての地位を確立していく。 なんと納豆の糸が引いているではないか! 総務省の家計調査からも、2016~2020年の都道府県別納豆消費量は、「東高西低」傾向が依然見て取れる。2020年消費量は、東北諸県が上位に食い込み、茨城県は惜しくも5位になった。が、現在でも、納豆好きの県民が多いのではなかろうか。

「こも豆腐」を作ってみた 《県南の食生活》30

【コラム・古家晴美】10月に入っても関東では所々で30度以上になったというのに、近畿地方では23日に木枯らし1号が吹いたそうだ。秋が短くなってしまったのか…。街路樹の木々が慌てて紅葉しているように感じられる。 今回は、かすみがうら市歴史博物館のご好意でいただいた貴重なわらを使い、何か作りたいと思った(当初、納豆のつもりだったが、それは次回のお楽しみ)。 ということで、「こも豆腐(つと豆腐)」を取り上げる。 作り方は、藁苞(わらづと)を作り、そこに崩した豆腐を詰め、豆腐の周囲にわらを均等にめぐらせ、両端を縛る。これを大鍋でゆでた後、水に放して冷やし、わらを剥がす。この後、砂糖、醤油、みりん、酒で煮る。 一見、シンプルに見えるが、実際に作ってみると、苞(つと)に豆腐を入れてうまく形をつけるのが結構難しく、往生した。しかし、思わぬご褒美も手に入れた。ゆでているときに、何気に鍋の上に顔を寄せると、かすかに懐かしい香りがした。何の香りかとしばし頭を抱えたが、それはご飯の炊きあがりのときの湯気を連想させたのだ。 わらとご飯。稲を介しての結びつきは当然といえば当然だが、なぜか、少し胸が熱くなった。写真のこも豆腐は味付けをする前のもので、薄茶色は、わらの色だ。 ほのかなわらの香りと特徴的な形

秋最大のごちそう 新米 《県南の食生活》29

【コラム・古家晴美】ようやく猛暑の盛りを過ぎ、実りの季節が到来する。採れたての栗や落花生を目にされた方も多いだろう。今回は秋最大のごちそう、新米を取り上げてみたい。 現在、米といえば新潟県や北海道、秋田県を思い浮かべるが、令和2年の水陸稲収穫量を見ると、茨城県は全国7位で、堂々ベストテン入りしている。県南地域でファンが多い地域ブランド米と言えば、「北条米」だろう。 筑波山麓の桜川沿いに広がる平野には、筑波山の岩石のミネラル分をたっぷり含んだ水も注ぎ込んでいる。つくば市北条、筑波、田井、小田の4地域で生産されているこの米は、適度な粘りと甘み、冷めても照り輝きと旨(うま)味が失われないことから、最上ランキング特Aと評されるのもうなずける。 この地域の明治時代の記録によれば、米は農業産出額の7割以上を占めていた。そして、様々な野菜、果物、畜産が生産経営されている現在でも、つくば市の農業産出額を見ると、2位の野菜を大きく引き離し、米が1位に輝いている。立派な米どころだと言える。(令和元年市町村別農業産出額=推計=) 生産者に敬意を表していただく ところで、この時期、何段階かで収穫の労をねぎらうご馳走が作られてきた。稲刈り開始にあたり、赤飯や混ぜご飯を食べる(土浦市、つくば市、麻生町)。また、稲刈り完了を祝うのに、赤飯やぼたもちを作り、神棚や仏壇に供え、手伝ってもらった家には重箱に詰めて配る(土浦市、つくば市、牛久市、麻生町)。あるいは、新米で油揚げ、人参、かんぴょうが入ったカリアゲメシを炊き、神棚、仏壇、オカマサマに供えた(つくば市)。

庭の片隅の食べもの ミョウガ《県南の食生活》28

【コラム・古家晴美】今夏も猛暑に見舞われ、かつ新型コロナの緊急事態宣言が発せられ、外出もままならない。暑苦しく、行き場のないいら立たしさを感じている方々もいらっしゃるのではなかろうか。しかし、このような中で、キーンと冷えたお素麺(そうめん)を喉から流し込む瞬間の心地よさ。そのお伴が、本日のお題の庭の片隅でひっそりと出番を待っているミョウガだ。主役になる機会は少ないが、なくてはならない脇役だ。今回はミョウガを取り上げてみよう。 実は、3世紀の『魏志倭人伝』に、すでにその名が記されている。日本人と長い時間を共に過ごしてきた。 阿見町大室のHさんは、ミョウガを輪切りにして素麺、蕎麦(そば)、うどん、味噌汁の薬味や吸い口にする。また、子どものころから、家の竹山にできるミョウガを摘んできて、母が甘酢漬けにしていた。水洗いした後に、十分に水を切らないと、そこから傷んでしまう。竹山のミョウガは竹の根が張っているせいか、全然増えないが、その分、他家のミョウガよりも大きく育った。 ミョウガには、7月ごろに摘み取る早生で小ぶりの夏ミョウガと、9月に入ってから採れる中生・晩生の秋ミョウガがある。ミョウガの芽が出始めて、程よい大きさになったものから順番に摘んできて使うのは、夏から秋にかけての楽しみの一つだ。 また、繁殖力が非常に旺盛で、一度摘んでしまっても、4~5日するとすぐに次の芽が出て、肥料もいらない便利な香味野菜といえる。天ぷらや卵とじにして吸物の具、ぬか味噌漬け、粕漬け、味噌漬けにしたり、浅漬けにもみ込むこともある。その利用法は多岐にわたる。さらに、甘酢漬けにすれば1年間持つという優れものでもある。 たくさん食べると物忘れする?

にんにく祭りとニンニク 《県南の食生活》27

【コラム・古家晴美】一の矢神社(つくば市玉取)の祇園祭(ぎおんさい)は、旧暦6月7日(今年は7月16日)に開催され、茨城県内の祇園祭の皮切りとされている。「にんにく祭り」としても有名だ。その後、順次、他の八坂神社が祭礼を執り行う。鉾田町には、全戸が参加する一の矢講を編成し、玉取まで参拝に来ていた地区もあったと言う。 潮来市や行方市でも「一の矢の天神様の祭り」として、うどんや餅を作って食べた地域があり、広い地域で知られた祭りであった。では、どうして「にんにく祭り」なのか。諸説あるが、ご祭神の素戔嗚尊(すさのおのみこと)が朝鮮から持ち帰ったニンニクを用い、江戸時代に流行した疫病退治のために、戸口につるしたことが始まりと言う。 実際には、遣隋使か遣唐使がもたらしたものと推測されている。『万葉集』には、醤酢(ひしおす)とともにニンニクをついてタイを食べたい、という歌がある。『医心方』には、かっけ、風邪、虫刺されに効く、と書かれている。『源氏物語』の「帚木(ははきぎ)」には、風邪のために薬草(ニンニク)を煎じて飲んだ、とある。 禅宗の山門には「不許葷辛酒肉入山門」とあるが、滋養強壮作用があることから、修行の妨げになるということで、葷食(くんしょく=ネギ、ニラ、ニンニク、ラッキョウ、タマネギ)を禁じた。 また、室町から江戸時代にかけては、獣肉の調理や臭い消しに、すりおろしたニンニクが使用された。江戸から昭和にかけて、へき村では、節分の鬼やらいで、とげのある柊(ヒイラギ)、臭気があるイワシの頭とともに、さらに匂いが強いニンニクを門に挿しかける風習もあった。 また、コレラなどの悪疫の流行時に、児童にニンニク入りのお守りを持たせて、悪疫を防いだ。このほか、ニンニクは、腹痛、下痢、風邪の予防と治療に用いられた。

江戸時代の「酒」 《県南の食生活》26

【コラム・古家晴美】前回、江戸前期に著された『本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)』(1697年)に記されていた、日本酒で作る「梅酒」について取り上げた。その後、江戸中期の類書『和漢三才図絵(わかんさんさいずえ)』(1712年)に基づき復元醸造された酒を入手し、飲んでみた。せっかくの機会なので、今回は「酒」つながりで、江戸の酒について述べることにしたい。 島根県の若林酒造が醸した「寛文の雫(かんぶんのしづく)」は、アルコール度14%、酸度4.4ミリリットル、アミノ酸度7.1ミリリットル、精米歩合90%、日本酒度(甘さと辛さを示す指標、マイナスになるほど甘くなる)マイナス78、酵母 生酛(きもと)―とラベルに記載されている。正直なところ、お酒というよりも味醂(みりん)に近い甘さだ。 現代の日本酒は、アルコール度数が大体16%、酸度1.5ミリリットル、アミノ酸度1.2ミリリットル、精米歩合70%前後、糖分4%―。日本酒度に関していえば、最近の超辛口がプラス25、大甘口がマイナス60というから、マイナス78がいかに甘いかがわかる。ちなみに、手元のプリズム式の糖度計で糖度を量ったところ、現代の某醸造元の甘口酒が11、超辛口が9、またウイスキーが14.5だったのに対し、「寛文の雫」は23.5であった(値が大きいほど糖度が高い)。 また、醸造学の小泉武夫氏によれば、江戸前期の『本朝食鑑』を復元した酒は、アルコール度数が17度で、酸度7本朝食鑑、アミノ酸度6本朝食鑑、糖分16%と、現代の酒の糖分の4倍だ。味が濃く、味醂のようにとろりとした酒で、「あんなに味の濃い酒、飲めるはずない」「酒に水増ししたものも結構、出回っていたのではないか」とのことだ。 酒の甘辛は世相を映す鏡

江戸時代の梅酒 《県南の食生活》25

【コラム・古家晴美】この時期、店頭にはチラホラと青梅が姿を見せ始めている。昨夏は梅の土用干しについて記したので(20年7月22日付)、今回は梅酒について見てきたい。現在、水割りや炭酸割梅酒が手軽に飲めるサイズで販売されているが、それでも自家製のものをお作りになる方もいらっしゃるだろう。 以下は「梅酒」の作り方についてしばしば引用される、江戸時代前期に著された『本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)』の一節である。著者は、庶民の日常生活に用いる食に関して記したと述べている。 「痰(たん)を消し、渇きを止め、食を進め、毒を解し、咽痛を止める。半熟の生梅の大ならず小ならず中くらいのを、早稲草の灰汁(あく)に一晩浸し、取り出して紙で拭き浄め、再び酒で洗ったものを2升用意する。これに好い古酒5升・白砂糖7斤を合わせ拌勺ぜ(かきまぜ)、甕(かめ)に収蔵める。20日余を過ぎて梅を取り出し、酒を飲む。あるいは、梅を取り出さずに用いる場合もある。年を経たものが最も佳い。梅を取り、酒を取りして、互いにどちらも用いる」(人見必大著・島田勇雄訳注『本朝食鑑2』 平凡社東洋文庫 1977年) 現代との違いは、いわゆる薬酒として用いられているが、焼酎ではなく、3年物の古酒の使用を勧め、あく抜きに藁(わら)の灰汁を使用している。慶安期の引き札によると、薩摩焼酎が1升500文なのに対し、酒が40~60文(古酒はこれよりは高いだろうが)で、焼酎は高価だ。庶民にとって、手頃な価格で火入れの技術が発達していなかった当時、3年間腐敗を免れた古酒は、果実酒作りにふさわしかったとの指摘もある。 かなり甘く濃厚 酒というより薬

「端午の節句」の食べ物 《県南の食生活》24

【コラム・古家晴美】もうすぐゴールデンウイークだ。時節柄、自粛生活を選ばれる方も多いだろう。今回はゴールデンウイーク中に迎える端午の節句について触れてみたい。単語の節句の食べ物といえば、最初に思い付くのが柏(かしわ)餅かもしれない。現在では和菓子店の店頭に並ぶが、最近まで自宅で手作りすることが普通であった。 初節句のときに、お祝いをいただいた家に柏餅をお返しとして配った(牛久市、かすみがうら市、つくば市、土浦市、龍ケ崎市、阿見町、行方市など)。柏餅以外に、白い餅(かすみがうら市、行方市)や草餅(稲敷市、つくば市、行方市)を配ったり、赤飯をふかして食べることもあった(稲敷市、つくば市、龍ケ崎市)。 県北地域や鹿行地域では、柏餅のほかに、しんこ餅(米粉の餅に食紅で赤や緑の色を点々とつける)を作ったり、柏の葉がない家では、茗荷(ミョウガ)の葉や朴(ホオ)の葉を用いることもあったと言う。 さらに全国的に見ると、その多様性に目を見張る。柏餅とちまき、笹(ササ)団子、笹餅などが入り乱れて分布しており、一概に「東の柏餅」「西のちまき」とは言い切れない。 シンプルに見える「ちまき」でも、中身がもち米のもの(山形県)、米粉のもの(山形県)、両方をブレンドしたもの(福井県)、小麦粉のもの(徳島県)、包む葉が笹(新潟県、山形県、新潟県、富山県、福井県、大阪府、三重県)以外に、カヤ・ヨシの葉(愛知県、奈良県、兵庫県、徳島県)、あるいはススキの葉でつと状に包む(愛知県)など、さまざまだ。 子どもの成長と家の繁栄を願う

大震災10年後の山菜採り《県南の食生活》23

【コラム・古家晴美】ちょうど10年前、東日本大震災という大惨事に見舞われた。この地震は、多くの方々の命、家族、家、仕事、故郷を奪い、漁業・農業など第1次産業に携わる方々の生活にも深刻な影響をもたらした。 食との関わりで言えば、春秋の楽しみとされてきた野山での山菜やキノコの採取にも大きな打撃をもたらした。現在、店頭に並ぶキノコ類の多くは栽培されたものであり、野菜類とともに、セシウム含有量は基準値以下なので安全性が保証されている。 しかし、茨城県のホームページを見ると、昨年末(2020年12月25日)のデータによれば、県南地域では、石岡市の野生・・山菜であるコシアブラ(特に放射性セシウムの含有量が多いとされる)や、つくば市や石岡市の野生・・キノコの出荷が制限(実質的には禁止)されている。 どうして畑の野菜が大丈夫なのに、事故後10年近くもたつ森林の中の植物に食用にできないほどのセシウムが残留しているのか。専門外のことなので、理解が不十分な点があると思うが、その点あらかじめご容赦いただきたい。 吉田聡氏(放射線医学総合研究所2012)によれば、「大気中に放出されて地表に沈着した放射性物質の多くの部分は、様々な生物が共存する生態系であり、かつ人が木材、食糧、水、燃料を供給源とする森林・・に存在する。樹木やその落葉に沈着した放射性セシウムの73パーセントは深さ5センチでの表層土壌表層に存在するが、残りの部分は、より深い土壌と植物(主として樹木)である」(傍点は筆者)。 放出されたセシウムは森林に残留

《県南の食生活》22 ひな祭り その歴史と形

【コラム・古家晴美】今の時期、多くのスーパ―では、袋詰めのひなあられが山積みにされている。ひな祭りと言えば、どちらかというと女児のための朗らかな行事のイメージが強い。しかし、奈良・平安時代の天皇や貴族にとっては、上巳(じょうし、3月3日)は水辺で和歌を詠み、桃花酒(とうかしゅ)を飲み、草もちを食べて邪気を祓(はら)う行事を執り行う日であった。 「ひな祭り」が貴族・武家・上層の商家や農家や都市部で成立したのは、その数世紀後の室町時代から江戸時代にかけてのことだ。それ以前は人間の穢(けが)れを移した人形を水辺に流していたが、これ以降、内裏雛(だいりびな)として屋内に飾られ、江戸幕府がこの日を五節供(ごせっく)の一つに定めた。 さらに農村漁村の庶民における普及は、近代に入ってからになる。つまり、かなり新しい。県南地域でも、戦前にひな人形を所有していたのは、経済的に豊かな家庭に限られた。庶民の子どもたちはひな飾りのある家を見て回ると、その家で作られた甘酒や草もち、ひなあられが振る舞われた。 ひな飾りがない家では、親戚や仲人さん、地域の組合から贈られたお内裏様(だいりさま)が描かれた掛け軸(カケジ、ヒョージ)を飾り、自家製の桜まんじゅうや餅、草もち、赤飯で祝った。 また、初節句には、仲人や親せきなどを招いてご馳走した。特に霞ヶ浦湖岸では、特産物であるシラウオや鯉(洗いや煮つけ)などが饗されたと言う。お祝いのお返しとしては、餅や桜餅、桜まんじゅう、赤飯などを配った。 「ひなあられ」は野外での携行食

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ジョンの代わり《短いおはなし》7

【ノベル・伊東葎花】 大好きだったジョンが死んだのは、寒い冬の夜だった。 僕はまだ9歳で、妹は7歳だった。 その夜は、何となく別れの予感がしたのだろう。 僕たち家族は、深夜を過ぎても誰も眠ろうとしなかった。 いつもだったら「早く寝なさい」という母も、眠い目をこする妹を抱きしめていた。

茨城ロボッツを応援しよう!《令和楽学ラボ》20

【コラム・川上美智子】スポーツには疎い方ですが、小学3年生の孫に誘われて「茨城ロボッツ」を応援するようになりました。保育園のころにサッカーでつまずいた孫が、小学生になってから茨城ロボッツのスクールに通うようになり、すっかりバスケットファンになってしまいました。 昨シーズンも、アダストリア水戸で行われたホーム試合は全て応援に行き、さらにYouTubeでそれぞれの試合を何度も何度も観戦して、試合運びを分析するほどの熱の入れようです。休みの日には、敷地内の小さな中庭のバスケットゴールで腕をみがいています。 そのような折、ロボッツから試合後の選手に提供するリカバリー弁当の話が舞い込みました。私がオープニングでプロデュースのお手伝いをした「レストランAOYAMA」(水戸市赤塚)のオーナーシェフ青山雅樹さんから、メニュー作成と監修の依頼がきたのです。そんな形でお役に立てればうれしい話と、早速、前職場の茨城キリスト教大学の教員に声をかけ、ロボッツの西村大介社長と詰めに入りました。 昨シーズンが始まり、ロボッツがなかなか勝てなかった時期の話で、昨年12月に6者協定の話がまとまり、年明けから「茨城ロボッツ・スポーツニュートリション 6者連携プロジェクト」がスタートしました。この取り組みが功を奏したのか、この後は、ロボッツが勝利する試合が多くなりました。 「食」の応援プロジェクトは3本柱 このプロジェクトの内容は、以下のようなものです。

不登校の子どもや保護者と支援者つなげたい 30団体がつくばで初の合同説明会

不登校など学校に悩みを抱える子どもや保護者と、支援者をつなぐイベント「不登校・多様な学び つながる“縁”日」が10月15日、つくば市流星台の桜総合体育館などで開催される。支援団体などでつくる「不登校・多様な学びネットワーク茨城つくばエリア」が主催する。支援団体による合同説明会と講演会などが催され、合同説明会は今回が初の試みとなる。 主催団体の石田佳織さん(43)は「支援につながれていない人が圧倒的に多い。複数の支援団体が協力し、より多くの人に支援を届けたい」と語る。 つくば市や近隣からフリースクールや親の会など約30団体が相談ブースを設置する。不登校の小中学生の居場所「つくし広場」を運営するつくば市教育相談センターもブースを設ける。ほかにフリースクールに通う子どもたちが企画ブースを設け来場者と交流を図る。発達心理学の専門家で恵泉女学園大学学長の大日向雅美さんによる講演会も予定されている。 支援者いると知ってほしい 「誰にも相談できずに苦しむ人は多い」。不登校の子どもの保護者を支援する「竹園学園”教室や学校に行きづらい子ども”の親の会」共同代表の中村規乃さん(47)が、当事者の声を代弁する。同団体は、同ネットワークに参加する団体の一つだ。 中村さん自身、不登校の子を持つ当事者。学校に行けない自身を責める子どもの気持ちを知り「学校に行って欲しいという思いと、学校に行かない子どもを認めたいという思いの間で苦しんだ」と当時を振り返る。

インターナショナルスクールを誘致 県、旧筑波小跡地に

秀峰筑波義務教育学校(つくば市北条)の開校に伴い2018年に廃校となった9小中学校の1つ、旧筑波小学校(同市国松)にインターナショナルスクールの誘致計画が浮上している。跡地利用についての意見交換会が9月に、2回にわたって同市沼田の働く婦人の家で開かれた。 開設を表明しているのは、東京都江戸川区で「グローバル・インディアン・インターナショナル・スクール(GIIS)」名で3つの学校を運営しているグローバル・スクールス・ファウンデーション(GSF、本部・シンガポール)。誘致しているのは、茨城県庁で国際渉外などを手がける営業戦略部。つくば市の経済部産業振興課を通じ学校跡地を貸借できないか打診してきた。 2回目の意見交換会は26日開催された。GSFの日本法人(株式会社組織)であるグローバル・インディアン・エデュケーション(GIE)から3人の関係者が説明に訪れ、県、つくば市の担当者らと、地域住民らの質問に答えた。約25人が参加した。 県によれば、つくば市周辺では半導体メーカーのTSMCジャパン3DIC研究開発センター(同市小野川)など世界的企業の進出が次々と決まり、外国人子弟の教育環境ニーズの高まりがあるとして支援する構えを見せている。「日本人生徒も数多く学ぶ学校で、地域への移住促進にもつながる」と誘致に動いた。 開設の意向を示したGSFに対し、県は市と調整し今春、校舎の耐震基準などを満たす市内3カ所の適地を紹介。夏までに旧筑波小跡地に絞り、今後の交渉を進めることになった。市は「地域に受け入れらなければ進められる問題ではない。今回の開催は説明会ではなく意見交換会。きっちり意見を聞いて、貸与について検討したい」との構えだ。 2018年に廃校となった旧筑波小