月曜日, 6月 5, 2023
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田口哲郎

アーカイブ「遠藤周作『聖書』をゆく」 《遊民通信》60

【コラム・田口哲郎】前略 J:COM茨城で放送されている「泉秀樹の歴史を歩く」アーカイブの今月の番組は「遠藤周作『聖書』をゆく」です。以前書きましたが、泉さんは若いころ産経新聞の文芸担当をしていて、遠藤周作と知り合います。昭和41年(1966)のことで、遠藤は代表作『沈黙』を執筆した直後でした。遠藤周作はカトリック作家としての地位を確立し、ぐうたらシリーズ、狐狸庵先生シリーズなどのユーモア・エッセイで一世を風靡(ふうび)していました。 その後、泉氏はフリーのライターとなり、遠藤と親交をさらに深めます。そして昭和44年(1969)に、エルサレムへの遠藤周作の取材旅行に同行します。今月の番組「遠藤周作『聖書』をゆく」はこのエルサレム旅行の模様を中心にすえています。 きびしい神の沈黙とやさしい神の愛 エルサレムはキリスト教の始祖イエスが宗教家として成長し、最終的に十字架にかけられた場所です。聖書のクライマックスの舞台を遠藤周作はカトリック信者として、そしてカトリック作家として旅します。エルサレムは砂漠のなかにある都市です。まわりは荒地でとてもきびしい環境です。このきびしい世界こそが、イエスが生きたユダヤ社会の神、つまりユダヤ教の神ヤーウェのきびしさを生み出したのではないか、と遠藤は考えていました。 そのユダヤ教の改革者としてイエスは生き、そして保守的な人々と対立し、無実の罪で処刑されました。これはとても悲しい出来事です。イエスの弟子からしたら、師匠がみじめに処刑されたなんて、なんとも救いようがないことだったでしょう。しかし、イエスは不思議なことに復活して救い主になります。こうしてキリスト教が生まれました。

小津映画が教えてくれるしあわせな日常《遊民通信》59

【コラム・田口哲郎】前略 今さらながら、小津安二郎監督の名作をアマゾンビデオで鑑賞しました。紀子三部作と言われる『晩春』(1949年)、『麦秋』(1951年)、『東京物語』(1953年)と『お茶漬けの味』(1952年)です。 小津映画については蓮實重彦氏の著名な評論があり、さまざまな論者がさまざまな切り口で論じています。ですから小生がなにを言ったところで、誰かがどこかで言っているかもしれないのですが、それにしても、小津映画を見たら余韻にひたるだけではなく、誰かに感想を言いたくなるものだなと思いました。 こんなに語りたくなる映画は、そうはない気がします。小生のような者にも語らせるのですから、小津映画の内容の厚さはそうとうなものでしょうし、だからこそ小津映画の評論は絶えず出つづけているのでしょう。 さて、映画素人の小生が感じたことは、セリフのなかの「あいさつ」の多さです。たとえば、『麦秋』で原節子演じる紀子は丸の内でタイピストをしているわけですが、北鎌倉の自宅から通っています。すると、紀子が帰宅すると「ただいま」となるし、出勤するときは「いってまいります」となる。家族団欒(だんらん)のあと、就寝の時間になると演者たちはめいめい「おやすみ」「おやすみなさい」と言います。 冒頭のシーンは家族の朝ごはんのシーンですから、「おはよう」「いただきます」「ごちそうさま」「いってまいります」です。逆にあいさつがこれだけ出てくるシーンの連続なのに、飽きないのです。

やさしい国家が人をしあわせにする 《遊民通信》58

【コラム・田口哲郎】前略 1789年のフランス革命のあとに、「人間と市民の権利の宣言」、いわゆるフランス人権宣言が採択されました。この宣言は世界各国に影響を与え、それは当然、日本の民主主義の根幹にかかわるものでもあります。 フランス共和国の人権宣言をごく簡単にまとめるとこうなります。人間は生まれながらにして自由と平等を保証されている。共和国が基本的権利を保証するのであって、ほかの団体などがその権利を侵害してはならない。つまり国家だけが、福沢諭吉が言ったところの「天は人の上に人をつくらず、人の下にも人をつくらずと言へり」を約束できるということです。国民と国家の信頼関係によってすべては成り立っているわけです。 規則と改革 そんなのあたりまえじゃないかと思ってきました。でも、よく考えると、わたしたちは基本的人権によって自由と平等をあるていど享受しているけれども、その自由と平等は完全ではありません。完全な自由と平等の実現はかなり困難でしょう。でも、それでも人権宣言の理念を目指していかなければならない。そのためには、規則よりも人間の真情に寄り添う姿勢が大切です。 そうなると対立するのは、規則と改革です。ある人が困っている。でも規則はその人の望みを解決することはできない。だからその規則を変えるしかない。いや、規則を変えることは国家の根幹を揺るがすので簡単にはできない。しかし、このままでは国家が保証すると約束したその人の自由がないがしろにされてしまう。

近代化の主役、鉄道を楽しむ乗りテツ 《遊民通信》57

【コラム・田口哲郎】前略 2022年は鉄道開業150年、日本初の鉄道が新橋―横浜間で営業を開始した記念すべき年でした。鉄道が150周年ということは、日本の近代化も150周年ということになります。もちろん、どのタイミングを近代化のはじまりとするかは、いろいろ意見があると思います。しかし、人びとの生活を実質的に大きく変えたという意味で、鉄道は近代化の象徴と言えるでしょう。 開業以来、鉄道は人びとの生活に影響を与え続けてきました。いや、支配し続けてきました。コロナ禍の前まで、鉄道の特権的地位は揺るぎないものでした。自動車や飛行機があるではないか、と言われるかもしれませんが、車や飛行機の普及は鉄道よりもずっと後です。近代化を先頭切って突き進んだのは鉄道です。 鉄道は人の移動と物流を激増させ、中央集権的な社会をつくりあげました。江戸時代は人びとの社会単位は村でした。今よりずっと小さい村が無数にあり、それを藩がまとめていました。その限られたテリトリーを鉄道はうちこわして、大きな単位でも人びとが生活していける経済圏を成り立たせたのです。 さらに、鉄道は人びとの時間の感覚を近代化しました。むかしは徒歩や馬の速さでまわっていた時が、鉄道の速さで流れます。定時運行とスピードが、人びとの生活を仕切るようになったのです。ようするに、のんびりがセカセカになりました。資本主義経済が人びとの欲望を刺激して、もっと豊かに、よりはやく、より安く、がよしとされる社会の誕生です。 コロナ禍で人間の物理的移動が広い範囲で制限されてはじめて、鉄道の存在意義が問われることになりました。自動車、飛行機だって人や物を乗せて移動するので、電子情報だけをのせる通信網に速さではかないません。

マザー・テレサが教えてくれたこと 《遊民通信》56

【コラム・田口哲郎】前略 寒中お見舞い申し上げます。有名なカトリック修道女にマザー・テレサという人がいます。コルカタの聖女と呼ばれ、インドのコルカタ(カルカッタ)で死期が近い路上生活者たちへの保護活動など、弱者に寄り添う慈善活動を精力的に行いました。1997年に亡くなり、2016年に列聖されて、カトリック教会の聖人になりました。 わずか19年での列聖は異例の早さということが話題になりました。日本でも有名なイエズス会士の聖人フランシスコ・ザビエルは1552年に亡くなり、列聖されたのは1622年で、70年かかっています。通常、列聖には厳密な調査があり、何十年もの年月が費やされるとされているのです。 さて、そのマザー・テレサのドキュメンタリー映画を見たときのことです。マザーは人道的な活動をするために、コルカタの街に出かけていき、路上で生活している人々に会い、いたわり、やさしい言葉をかけ、必要な人に必要なことをしていました。 その誠実な活動に感動したのですが、一方でこう思う自分がいました。恥をしのんで正直に告白します。「マザーは路上の人を救っている。でも、ここにも苦しんでいる人間がいるのに。マザーは私のような者のところには来ないのか」 しばらくして、私は自分がとてもごう慢な思い違いをしていることに気づきました。私は路上生活者と自分が違う人間だと思っていたのです。彼らほど困窮していればマザーが手を差し伸べるけれども、自分のような者にマザーは無関心だろう、と。

可処分時間でYouTubeを楽しむ 《遊民通信》55

【コラム・田口哲郎】 前略 テレビの視聴習慣がなくなりつつあると言われ始めて、ずいぶんたちます。いまは個人が自由に使える時間を可処分時間というそうで、動画コンテンツのサブスクサービス、たとえばAmazonビデオとかネットフリックスがその可処分時間を獲得する激しい競争が起きているそうです。 むかしは可処分というと所得で、個人がお金をどう使うか、企業は市場調査に余念がなかったのですが、時間までも企業が虎視眈々(こしたんたん)と狙っているとなると、文明もゆくところまできたなという感があります。 さて、その可処分時間の話です。ローカルテレビ番組が好きで、テレビをつけているときはほぼテレビ神奈川かJ:COMチャンネルをつけている私のような者でも、動画サブスクを見るようになっています。私の場合はYouTubeです。 テレビ局もYouTube人気はしっかり把握していて、一部の番組はYouTube配信を行っています。でも、YouTubeのおもしろさはユーチューバーの番組でしょう。

「5時に夢中」の岩下さんの見せる「文化」《遊民通信》54

【コラム・田口哲郎】 前略 東京メトロポリタンテレビジョンの月~金曜日夕方5時からの番組「5時に夢中」を楽しく視聴していることは、以前書きました。「5時に夢中」は東京ローカルのワイドショーという感じですが、コメンテーターが多彩で、サブカルチャーの殿堂のようです。 私が好きなのは、木曜日の中瀬ゆかりさんと火曜日の岩下尚史さんです。中瀬さんは新潮社出版部部長で、文壇のこぼれ話を巧みな話術で披露して笑わせてくれます。岩下さんは新橋演舞場勤務から作家になった方で、東京のいわゆるハイ・カルチャーをよくご存じの方で、こちらも話術が巧みで笑わせてくれますが、ひとつひとつのお話に含蓄があるというか、うなずくことが多いです。 岩下さんの小説『見出された恋 「金閣寺」への船出』の文体は流麗で、引き込まれます。岩下さんは國學院大学ご出身ですが、國學院の偉大な民俗学者にして作家の折口信夫の小説『死者の書』などの文体を思わせる傑作だと思います。 さて、岩下さんのインスタグラムの話題が出ていて、美食家としての一面が見られるというので、見てみました。岩下さんらしい、ハイソな生活を垣間見られるのでおすすめです。シティ・ホテルでのパーティーや会食、料亭とおぼしきところでの高級料理など、きらびやかな世界が広がっています。

時の流れとノスタルジー《遊民通信》53

【コラム・田口哲郎】 前略 今年は鉄道150周年イヤーだそうです。1872年に新橋-横浜間に開業した路線が日本初の鉄道になりました。150年前は明治時代ですから遠い昔のように感じます。確かにそうなのですが、今わたしは43歳です。たとえば鉄道の150年のうちの43年間は自分にとってもリアルタイムだったことになります。 単純計算で、わたしが生まれたときは、鉄道は開業して117年だったわけです。歴史の一部が自分の半生にかかっているというのは、なんとも不思議な感覚です。いつも現在だった今が、いつの間にかある程度時間的な距離のある過去になってしまうほど、自分がこの世に存在してきたのだなと驚きます。 ふと気づいたら、高校球児がずいぶん年下になってしまうと言われますが、それが感覚的によくわかるようになりました。 40歳を超えたあたりから、振り返ることができる年月が10年単位になることにも気づきました。若かったとき、いわゆる中高生だった時代は30年前、最初の大学生時代は20年前になります。わたしにとって懐かしい時代は90年代、ミレニアム、そして2000年代です。あのころを思って、ノスタルジーにひたることになるとは思いもしませんでした。

関東ローカルTV局の情報番組が楽しい!《遊民通信》52

【コラム・田口哲郎】 前略 ローカルテレビ局のローカル番組が好きなことは前に書きました。まだ好きで見ています。J:COM茨城経由で映るテレビ神奈川、千葉テレビ、テレビ埼玉のスクランブル放送で行われている朝、昼、夕の情報番組です。 朝は千葉テレビ「モーニングこんぱす」、昼はテレビ神奈川「猫のひたいほどワイド」、夕方はテレビ埼玉「マチコミ」(テレビ埼玉はテレビ神奈川経由でしか映りません)です。それに加えて、東京メトロポリタンテレビジョンの「5時に夢中」も見ています。 ローカルテレビ番組の良いところは、視聴者のメッセージを紹介してくれるところです。特に熱心にメッセージを送っているのが、「猫のひたいほどワイド」と「5時に夢中」です。「猫」の方は月曜から木曜まで昼12時から13時半までの1時間半。「5時」の方は月曜から金曜まで夕方5時から1時間の放送枠を持っています。 街の規模が大きいので、情報量が多いということでしょうか。それだけのボリュームのコンテンツに需要があるのがすごいと思います。

泉秀樹研究② あなたはなぜ神など信じるのか?《遊民通信》51

【コラム・田口哲郎】 前略 泉秀樹さんは1983年に『率直にきこう あなたはなぜ神など信ずるか』という本を、遠藤周作の愛弟子の加藤宗哉さんと共著で、女子パウロ会という出版社から出しています。同会はカトリックの女子修道会が運営する出版社です。この本で出てくる神とは、キリスト教の神です。内容はインタビュー形式で、対談相手はカトリック関係者です。 その中で目に留まるのは、矢代静一、遠藤周作、曽野綾子、三浦朱門といった当時一線で活躍していたカトリック作家です。そしてマザー・テレサも登場していて、往年のカトリックの勢いを感じます。 面白いのは、泉さんも加藤さんもカトリック信者ではないことです。信者ではない人が、信者に「なぜ神を信じるのか」と問う。なかなか鋭い質問を投げかけるコンセプトです。すべての対談者がそれぞれの個性を出しながら、信仰を語ります。それぞれの味があり、凄(すご)みもあり、なるほどと思わせます。 圧巻は遠藤周作へのインタビュー

泉秀樹研究① 泉秀樹とは誰なのか?《遊民通信》50

【コラム・田口哲郎】 前略 泉秀樹という人をご存知でしょうか? 数年前まで私も存じ上げなかったのです。泉氏を最初に知ったのは、J:COMの番組「泉秀樹の歴史を歩く」でした。メガネをかけ、ひげをたくわえた素敵な男性が、物静かなトーンで、歴史にゆかりのある場所を歩きながら、昔のロマンを語ります。 「歴史を歩く」シリーズはいくつかあるのですが、私が好きなのは、今月アーカイブ放送されている「江ノ電沿線史一駅一話」です。鎌倉と藤沢を結ぶ江ノ島電鉄の全駅にまつわる歴史秘話を、ひと駅ひと駅解説するというもの。ゆったりした番組の流れのなかで、江ノ電沿線の風景とともに泉氏の歴史解説が入ります。 視点がユニークなので、へえ!と納得することも多々あり、紹介された旧跡に行ってみたい気分にさせられます。歴史番組でもあり、旅番組でもあり、情報番組でもあるのです。 この泉秀樹という人は誰だろう?と興味がわき、グーグルで検索しました。ウィキペディアには、1943年生まれの作家・写真家とあります。「静岡県浜松市生まれ。慶應義塾大学文学部卒。新聞社勤務を経て、以後、作家・写真家として活動する。1973年、小説『剥製(はくせい)博物館』で第5回『新潮新人賞』受賞。歴史に関する著作が多い」

国葬から見えた英国の魅力 《遊民通信》49

【コラム・田口哲郎】前略 エリザベス2世の国葬が行われましたね。19時から生中継があるから、見ようとテレビをつけたのですが、ふと思いました。他国の元首の葬儀を生中継。それを興味津々で視聴しようとしている自分。これが英国のスゴさなのだろうか…。 棺(ひつぎ)がウェストミンスター寺院に移送されるとき、スコットランド音楽が流れました。バグパイプの音が、英国という世界の中心的近代国家の民族性を浮かびあがらせました。 棺が寺院に入ると、寺院専属の聖歌隊によるおごそかな聖歌。イギリスの有名寺院や屈指の名門大学の付属チャペルの聖歌隊には、女性がいない場合が多いです。ソプラノパートは少年たちが担います。少年聖歌隊用に専属の学校があり、少年たちはそこで寮生活を送りながら日夜練習に励むのです。 これはキリスト教会の祭儀が男性中心に発展したなごりです。カトリック教会やアメリカの大学の付属チャペル聖歌隊では、よほどこだわってないかぎり少年聖歌隊はなく、女性がソプラノを歌っています。少年聖歌隊がこれほど残っているのは、イギリス国教会の特徴だと思います。これも英国の「伝統」がなせるワザでしょう。 葬儀式次第には女王のリクエストが盛り込まれていると事前に報道されていて、ビートルズの曲が流れるかも?とささやかれ、ダイアナ妃の葬儀でのエルトン・ジョン登場のようなサプライズを期待する声がありました。

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博物館の歴史論争拒否、土浦市法務が助言 《吾妻カガミ》159

【コラム・坂本栄】今回は158「土浦市立博物館が郷土史論争を拒絶!」(5月29日掲載)の続きになります。市立博物館と本堂清氏の郷土史論争。博物館の論争拒否に対し、本堂氏は「(博物館がそう出るなら同施設を管轄する)市教育長に検討申請書を提出する」と反発しており、エスカレートしそうな雲行きです。 また取材の過程で、本堂氏を門前払いするようアドバイスしたのが市の法務部署であったと聞き、土浦市の博物館マネジメントにも唖然(あぜん)としました。論争を挑む本堂氏をクレーマー(苦情を言う人)並みに扱うよう指導したわけですから。 郷土史をめぐる主な論争は3点 私は中世史に疎いこともあり、市立博物館(糸賀茂男館長)の学芸員にこの論争の要点を整理してもらいました。 いつから山の荘と呼ばれたか ▼本堂氏:『新編常陸国史』(国学者中山信名=1787~1836=が著した常陸国の総合史誌)の記述からも明らかなように、「山の荘」(土浦市北部の筑波山系地域)の名称は古代からあったのに、博物館は同歴史書の記述を無視して同名称を古代史から抹消した。

阿見町の予科練平和記念館 《日本一の湖のほとりにある街の話》12

【コラム・若田部哲】終戦直前の1945年6月10日。この日は、阿見・土浦にとって決して忘れてはならない一日となりました。当時、阿見は霞ヶ浦海軍航空隊を有する軍事上の一大重要拠点でした。そのため、B29による大規模爆撃を受けることとなったのです。当時の様子は、阿見町は予科練平和記念館の展示「窮迫(きゅうはく)」にて、関係者の方々の証言と、再現映像で見ることができます。今回はこの「阿見大空襲」について、同館学芸員の山下さんにお話を伺いました。 折悪くその日は日曜日であったため面会人も多く、賑わいを見せていたそうです。そして午前8時頃。グアム及びテニアン島から、推計約360トンに及ぶ250キロ爆弾を搭載した、空が暗くなるほどのB29の大編隊が飛来し、広大な基地は赤く燃え上がったと言います。付近の防空壕(ごう)に退避した予科練生も、爆発により壕ごと生き埋めとなりました。 負傷者・死亡者は、家の戸板を担架代わりに、土浦市の土浦海軍航空隊適性部(現在の土浦第三高等学校の場所)へと運ばれました。4人組で1人の負傷者を運んだそうですが、ともに修練に明け暮れた仲間を戸板で運ぶ少年たちの胸中はいかばかりだったかと思うと、言葉もありません。負傷者のあまりの多さに、近隣の家々の戸板はほとんど無くなってしまったほどだそうです。 展示での証言は酸鼻を極めます。当時予科練生だった男性は「友人が吹き飛ばされ、ヘルメットが脱げているように見えたが、それは飛び出てしまった脳だった。こぼれてしまった脳を戻してあげたら、何とかなるんじゃないか。そう思って唯々その脳を手で拾い上げ頭蓋に戻した」と語ります。また土浦海軍航空隊で看護婦をしていた女性は「尻が無くなった人。足がもげた人。頭だけの遺体。頭の無くなった遺体。そんな惨状が広がっていた」と話します。 累々たる屍と無数の慟哭 この空襲により、予科練生等281人と民間人を合わせて300名以上の方々が命を落とされました。遺体は適性部と、その隣の法泉寺で荼毘(だび)に付されましたが、その数の多さから弔い終わるまで数日間を要したそうです。

牛久沼近くで谷田川越水 つくば市森の里北

台風2号と前線の活発化に伴う2日からの降雨で、つくば市を流れる谷田川は3日昼前、左岸の同市森の里の北側で越水し、隣接の住宅団地、森の里団地内の道路2カ所が冠水した。住宅への床上浸水の被害はないが、床下浸水については調査中という。 つくば市消防本部南消防署によると、3日午前11時42分に消防に通報があり、南消防署と茎崎分署の消防署員約25人と消防団員約35人の計約60人が、堤防脇の浸水した水田の道路脇に約100メートルにわたって土のうを積み、水をせき止めた。一方、越水した水が、隣接の森の里団地に流れ込み、道路2カ所が冠水して通行できなくなった。同日午後5時時点で消防署員による排水作業が続いている。 越水した谷田川の水が流れ込み、冠水した道路から水を排水する消防署員=3日午後4時45分ごろ、つくば市森の里 市は3日午後0時30分、茎崎中とふれあいプラザの2カ所に避難所を開設。計22人が一時避難したが、午後4時以降は全員が帰宅したという。 2日から3日午前10時までに、牛久沼に流入する谷田川の茎崎橋付近で累計251ミリの雨量があり、午前11時に水位が2.50メートルに上昇、午後2時に2.54メートルまで上昇し、その後、水位の上昇は止まっている。 南消防署と茎崎分署は3日午後5時以降も、水位に対する警戒と冠水した道路の排水作業を続けている。

論文もパネルで「CONNECT展」 筑波大芸術系学生らの受賞作集める

筑波大学(つくば市天王台)で芸術を学んだ学生らの作品を展示する「CONNECT(コネクト)展Ⅶ(セブン)」が3日、つくば市二の宮のスタジオ’Sで始まった。2022年度の卒業・修了研究の中から特に優れた作品と論文を展示するもので、今年で7回目の開催。18日まで、筑波大賞と茗渓会賞を受賞した6人の6作品と2人の論文のほか、19人の研究をタペストリー展示で紹介する。 展示の6作品は、芸術賞を受賞した寺田開さんの版画「Viewpoints(ビューポインツ)」、粘辰遠さんの工芸「イージーチェア」、茗渓会賞授賞の夏陸嘉さんの漫画「日曜日食日」など。いずれも筑波大のアートコレクションに新しく収蔵される。芸術賞を受賞した今泉優子さんの修了研究「樹木葬墓地の多角的評価に基づく埋葬空間の可能性に関する研究」は製本された論文とパネル、茗渓会賞を受賞した永井春雅くららさんの卒業研究「生命の種」はパネルのみで展示されている。 スタジオ’S担当コーディネーターの浅野恵さんは「今年は論文のパネル展示が2作品あり見ごたえ、読みごたえがある。版画作品2作品の受賞、漫画の受賞も珍しい。楽しんでいただけるのでは」と来場を呼び掛ける。 筑波大学芸術賞は芸術専門学群の卒業研究と大学院博士前期課程芸術専攻と芸術学学位プログラムの修了研究の中から、特に優れた作品と論文に授与される。また同窓会「茗渓会」が茗渓会賞を授与している。 展覧会は関彰商事と筑波大学芸術系が主催。両者は2016年から連携し「CONNECT- 関(かかわる)・ 繋(つながる)・ 波(はきゅうする)」というコンセプトを掲げ、芸術活動を支援する協働プロジェクトを企画運営している。 (田中めぐみ)