【コラム・瀬尾梨絵】世紀末を無事に乗り越えたブッダとイエス。大仕事を終えたバカンスとして下界に降り立った2人が、あろうことか東京・立川の古びたアパートで共同生活を始める。漫画界において、これほどまでに想像の斜め上をいく設定は類を見ないだろう。中村光先生による「聖☆おにいさん」(講談社、現在22巻)は、そんな常識外れの導入を読者が「まあ、2人ならそうなるか」と、ごく自然に飲み込んでしまうところから物語が始まる。
この作品の最大の魅力は、神様であるはずの2人が私たちと同じように悩み、笑い、そして時にダメ人間的な側面を露呈するかわいさにある。
ブッダは極度の節約家で、バーゲンセールに命をかける主婦のような一面を持つ。一方のイエスはネットサーフィンが大好きで、家電量販店で舞い上がっては、無駄遣いをしてしまう衝動的な性格。神としての奇跡を発動しつつも、2人の関心事は常に「家計のやりくり」「隣人との付き合い」「はやりの趣味」といった、極めて世俗的でささやか。
本来であれば敬虔(けいけん)な対象であるはずの2人が、Tシャツにジャージ姿で立川の商店街を歩き、お祭りや銭湯を楽しむ姿。そのギャップがもたらす滑稽(こっけい)さは、読み進めるうちに「神様仏様もこんなふうに悩むなら、自分の悩みなんて大したことないかも」という、不思議な安心感へと変化していく。
神様だってこんなにテキトー
この作品は、宗教的な教義を説くものではない。しかし、ブッダが他者の痛みに寄り添い、イエスが人類愛を実践しようとする姿は、どれほど不器用であってもそこに確かな「慈しみ」があることを教えてくれる。彼らの言動は、完璧な神様を描くことではなく、むしろ「完璧ではない人間」のいとおしさを浮き彫りにしている。
現在22巻まで刊行されているが、長く付き合えるのもこの作品の醍醐味(だいごみ)。連載が進む中で2人の下町ライフも少しずつ深まり、街の人々や周辺の神々との交流も増えていく。それでも変わらないのは、どんなに小さな日常にもドラマがあり、どんなに些細(ささい)なことでも笑い飛ばせるという、この作品全体を包み込む癒やしの空気感だ。
せわしない日々の合間にこの本を開くと、不思議と肩の力が抜け、「神様だってこんなにテキトーに、かつ一生懸命生きているのだから、人間である私たちが完璧じゃなくても大丈夫」。そんなエールを受け取ったような気分になれる。
もし日々の生活に少し疲れを感じているなら、立川の風呂なし六畳一間の松田ハイツをのぞいてみて欲しい。そこでは、今日も世界を救うはずの2人が今日の夕飯の献立や、安売りの情報を巡って平和な1日を過ごしているはずだ。笑えて、癒やされて、たまに少しだけ神聖な気持ちになれる。これほどまでに心地よい生活リズムが、今の私たちには必要なのかもしれない。(牛肉惣菜店経営)






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