火曜日, 12月 7, 2021
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地域で芽生えたつながりを表現 つくばで写真展「ほにゃら」

障害者団体「つくば自立生活センターほにゃら」(つくば市天久保、川島映利奈代表)の設立20周年を記念し、牛久市在住の写真家、柴田大輔さん(41)が19日から、つくば市民ギャラリー(同市吾妻)で写真展を開く。テーマは「ほにゃら―地域の中にある、それぞれの暮らし」。「障害者が地域で生活することで、様々な人のつながりができることを感じてもらえれば」と語る柴田さんに話を聞いた。 障害者のいることが当たり前 柴田さんが、ほにゃらの活動に出会ったのは3年前。最初は、障害のある人もない人も楽しめるイベントの写真撮影を頼まれた。何回かイベントに参加するうちに、「雰囲気がおもしろく、つながり続けたい」と思った。「土浦で育ったが、同じ地域で生活する障害者の存在は全く知らなかった。地元のことをもっと知りたい」という思いもあり、今年1月から同団体で定期的に障害者の介助もしている。 障害者と関わりをもったきっかけは、以前住んでいた都内のシェアハウス。重度知的障害を持つ同居人が介助者から支援を受けながら生活していて、写真家活動の合間に、知的障害者の外出支援をするようになった。またシェアハウスの1階では、「バリアフリー社会人サークルcolors(カラーズ)」(石川明代代表)が、毎月10回ほど、障害の有無に関係なく、様々な人が集うイベントを開催していて、柴田さんも顔を出すようになった。 そこでは、障害者を特別扱いはしないが、必要な配慮は自然にされていたという。「シェアハウスに住むまでは、障害者は別の世界の人だと思っていたが、自分よりも知的障害者の方が片付けまでするなど、きちんと生活している面があって、価値観が変わった」と柴田さん。 シェアハウスで3年過ごし、茨城へ移住するときにほにゃらを紹介された。「特に障害者と関わりたいとは意識していなかったが、東京にいたころから障害者と周囲の人との関係性を身近に見てきた。障害者が自分の生活のことを主体的に決めながら、地域の中で当たり前に暮らす自立生活に興味があった」

介助者という社会資源の少なさ【かなわなかった自立生活】㊦ 

自立生活がかなわず今年1月に亡くなった蛯原千佳子さん(60)は、つくば自立生活センターほにゃらで2017年8月から宿泊体験を14回繰り返した。19年11月には、ほにゃらの介助者も蛯原さんの介助に自信が出てきて、人数さえ増えれば、一人暮らしを始められる状況になった。しかし、一人暮らしを支える介助体制をつくれないまま、蛯原さんは亡くなった。 ほにゃら事務局長の斉藤新吾さん(46)は、「地域で生活したい障害者の希望をかなえるためには、障害者が入所施設ではなく、地域で暮らすことは人間としての当たり前の権利であることを、ほにゃらの職員だけでなく、社会全体が認識していく必要がある」と話す。 街中で求人チラシ配る 蛯原さんに関わる介助者を増やすためには、当初から蛯原さんに関わっていた介助者が蛯原さんの介助に十分に慣れ、新しい介助者に障害の特性や体調に合わせた介助方法を伝えられるまでになる必要がある。宿泊体験を始めてから1年8カ月後の19年春、蛯原さんの介助に慣れてきたころ、ほにゃらでは蛯原さんの一人暮らしを支える介助者を募集した。 求人チラシを作成し、駅前で配ったり、全国の福祉系大学に求人票を郵送した。介助という仕事が持つ負のイメージを変えるために、仕事内容の紹介動画を作り、ホームページに載せたりもした。蛯原さん自身も宿泊体験中に介助者と一緒に街中に出かけ、直接チラシを配った。 ほにゃらの介助者だけでは足りず、他の訪問介護事業所と連携することも考え、20年1月には相談支援専門員を探し始めた。相談支援専門員とは、訪問介護や訪問入浴など複数の事業所が1人の障害者の生活に関わる際、事業所間の連絡調整をおこなったり、必要なサービスを受けるための行政的な手続きをおこなう機関である。

【かなわなかった自立生活】㊤ 準備進めた5年間

蛯原千佳子さんの死 約20年間、県内の障害者施設に入所していた蛯原千佳子さん(60)が、今年1月に亡くなった。蛯原さんは生まれつき重度の運動障害と言語障害があり、首から下は自分で動かせなかった。しかし、いつか施設を出て、地域で暮らしたいと強く願い、5年前から障害者団体「つくば自立生活センターほにゃら」(つくば市天久保、川島映利奈代表)の支援を受けながら、一人暮らしに向けて準備を続けていた。 しかし、蛯原さんの体力面や介助者不足などで、ほにゃらの介助者と一緒に一人暮らしの練習をするのは月1回が限度で、介助者が蛯原さんの介助やコミュニケーションに慣れるのに時間がかかった。介助者さえ増やせれば一人暮らしを始められる状況までいったものの、その間に、新型コロナの蔓延により、施設でほにゃら職員との面会も制限されてしまった。会えない期間が続く中、蛯原さんは体調を崩し、亡くなった。 「もう一度、地域で生活したい」 生前、蛯原さんはほにゃらの機関誌の中で、それまでの人生を振り返り、なぜ地域で一人暮らしをしたいのか、文章につづっている。

障害者の権利のために闘ったリーダー 《電動車いすから見た景色》22

【コラム・川端舞】今月、障害者団体「つくば自立生活センターほにゃら」がつくば市の中学校等に寄贈した「わたしが人間であるために—障害者の公民権運動を闘った『私たち』の物語」(現代書館)。アメリカの障害者リーダーであるジュディス・ヒューマンの自伝本だ。 アメリカは、障害児が最大限に可能な範囲で、障害のない子どもとともに教育を受けることを原則としている。しかし、ともに学ぶことを法律で規定するまでには、障害者たちの長い闘いがあった。 幼少期から車椅子で生活していたジュディスは、障害児だけが通う学校で学び、自分はアメリカの一般の教育制度から排除された存在であることを自覚していく。同じ学校に通う障害のある仲間たちと、なぜ自分たちは障害のない子どもたちと異なる扱いを受けているのか話し合うこともあった。 大学入学後は、階段がある校舎に入れないなど、障害のために不利益を被ることがあっても、同じ経験をする障害学生同士で話し合ことで、障害という問題の原因は自分たちにあるのではなく、自分たちを受け入れない社会にあるのだと考えるようになった。 障害者が他の人と同じように学校や社会に参加できないのは、社会の在り方に問題があるという考え方を「障害の社会モデル」という。私は障害者運動に関わる中でこの考え方を学んだが、その後も無意識に障害のある自分が悪いと思ってしまう癖が残っている。社会モデルの考え方を自分の経験から導き出したジュディスたちの聡明さを見習いたい。 悩みながら戦い続ける

障害者の権利のために闘ったリーダー 《電動車いすから見た景色》22

【コラム・川端舞】今月、障害者団体「つくば自立生活センターほにゃら」がつくば市の中学校等に寄贈した「わたしが人間であるために—障害者の公民権運動を闘った『私たち』の物語」(現代書館)。アメリカの障害者リーダーであるジュディス・ヒューマンの自伝本だ。 アメリカは、障害児が最大限に可能な範囲で、障害のない子どもとともに教育を受けることを原則としている。しかし、ともに学ぶことを法律で規定するまでには、障害者たちの長い闘いがあった。 幼少期から車椅子で生活していたジュディスは、障害児だけが通う学校で学び、自分はアメリカの一般の教育制度から排除された存在であることを自覚していく。同じ学校に通う障害のある仲間たちと、なぜ自分たちは障害のない子どもたちと異なる扱いを受けているのか話し合うこともあった。 大学入学後は、階段がある校舎に入れないなど、障害のために不利益を被ることがあっても、同じ経験をする障害学生同士で話し合ことで、障害という問題の原因は自分たちにあるのではなく、自分たちを受け入れない社会にあるのだと考えるようになった。 障害者が他の人と同じように学校や社会に参加できないのは、社会の在り方に問題があるという考え方を「障害の社会モデル」という。私は障害者運動に関わる中でこの考え方を学んだが、その後も無意識に障害のある自分が悪いと思ってしまう癖が残っている。社会モデルの考え方を自分の経験から導き出したジュディスたちの聡明さを見習いたい。 悩みながら戦い続ける ジュディスは上院議員のアシスタントとして、障害児が障害のない子どもとともに教育を受けることを保障する法案の起草にも関わった。幼少期に障害のない友達と同じ学校に行けない悔しさを味わったジュディスは、「傷だらけの経験を、子どもたちの人生を変える法律の立案に役立てられることにワクワクした」と書いている。 私も通常学校で学んだ障害者として、障害児教育をよりよくしたいと思っているが、障害児教育に関わることは、自分の辛かった経験とも向き合い続けることになり、痛みを伴う。 しかし、障害者が他の人と平等に生きる権利を獲得するために政府などと闘い続けたジュディスも、差別を受けた時は動揺したり、政府と闘う前日まで自分は正しいのか悩んでいた。私も悩みながら、インクルーシブ(障がいのあるものとない者が共に学ぶ)教育を実現するために自分のできることをやり続けたい。(つくば自立生活センターほにゃらメンバー)

米国発「私たち」の物語を中学校に つくばの障害者団体が寄贈

障害者団体「つくば自立生活センターほにゃら」(つくば市天久保)が2日、同市内の中学校・義務教育学校16校に『わたしが人間であるために―障害者の公民権運動を闘った「私たち」の物語』(現代書館)を寄贈した。アメリカの運動家で、世界的な障害者リーダーであるジュディス・ヒューマンさんの自伝本。重度の障害があっても自分らしく生活できる地域づくりを目指している同センター代表の川島映利奈さん(39)は、つくば市役所での寄贈式で「障害のある子とない子が小さい頃からともに過ごす大切さを感じてもらえたら」と話した。 「分離こそ差別」 ジュディスさんは障害のために学校から排除され、「なぜ友達と同じ学校に行けないのか」と疑問に思った経験から、障害を理由に学ぶことや働くこと、地域で暮らすことから排除される社会と闘ってきた。障害が医学的な問題ではなく、人権の問題として扱われるために、1970年代からアメリカの法制度の整備に尽力した。 障害女性としての葛藤を抱きながらも、障害者が「人間であるために」当たり前の権利を獲得すべく、仲間とともに闘ってきた彼女の半生が記されている。 日本語版は2021年7月に刊行された。 四六判336ページ、2750円(税込)。翻訳に当たった曽田夏記さんは、都内の自立生活センターの職員であり、自身も障害を持ち、地域での障害者支援や全国での権利擁護運動に従事する。訳者あとがきの中で、曽田さんは「差別を受け、人間として扱われず、障害者の公民権運動を始めざるを得なかった障害者自身が語るストーリーを日本にも伝えたかった」と記している。 川島さんは寄贈式で、「障害のある子とない子が小さい頃からともに過ごすことで、お互いを知り、認め合うことができる。本書で『分離こそ差別』と書かれているが、分離することでお互いを知る機会が減ることが一番の課題。これから社会を作っていく生徒の皆さんが、少しでも障害者の歴史や課題を知り、考えていくきっかけになれば」と話した。

障害者の私だからできること 《電動車いすから見た景色》21

【コラム・川端舞】私は時間管理が下手である。自分の体力を過信し、いろんな予定を入れてしまう。よくよく考えれば、私は話すのにもパソコンを打つのにも他の人より倍の時間がかかるのだから、他の人と同じ感覚で予定を入れたら、パンクするのは当たり前なのだが…。でも、やりたいことはどんどん出てきてしまう。 最近、そんな時は自分がやろうとしていることが「障害者でもできること」なのか「障害者だからできること」なのかを考えるようにしている。「障害者でもできること」のほとんどは、他の人でもできること。障害のない人に任せた方が、短時間で効率的にできることがほとんどだ。もちろん、あえて障害者が時間をかけてやることで、独特の味わいが出てくることも多々あるが。 しかし、障害があってもなくても、1日は24時間。時間は平等に過ぎていく。せっかく時間をかけて何かをするなら、「障害者だからできること」を追求したい。 例えば、このコラムを通して、障害者の私が考えていることを多くの人に発信すること。もちろん、私は障害者の代表ではないし、大した考えを持っているわけでもないが、私の日常を描き続けることで、「障害者も悩みながら生きている、普通の人間なのだ」と多くの人に思ってもらえれば、それは「障害者だからできること」になるのではないか。 何より、電動車いすに乗っている私が街中に出かけ、多くの人の目に入ることで、障害者が街中にいることが当たり前になる。それは障害者を含め、誰もが生きやすい社会につながる。 そんな堅苦しいことをいつも考えているわけではないが、「障害者だからできること」は思ったよりたくさんある。「障害者でもできること」を追及するあまり、「障害者だからできること」をおざなりにするのはもったいない気がする。 社会とまっすぐ向き合う強さ しかし、社会一般では、障害者は劣っている存在だとみなされ、「障害者でもできること」を探すのに本人も周囲も必死になりがちだ。大学時代までの私がまさにそうだった。 そのような社会で、「障害者だからできること」を主張すると、煙たがられることもあるかもしれない。それをすることは、ある意味、自分の弱さを社会にさらすことにもなり、時には痛みを伴う。しかし、それで少しでも多様な人を受け入れられる社会になるなら、逃げずに向き合う人間になりたいと思う。もし私が本当に間違いを犯したときは、きっと信頼する仲間が叱ってくれるだろう。(つくば自立生活センターほにゃらメンバー)

障害者の私だからできること 《電動車いすから見た景色》21

【コラム・川端舞】私は時間管理が下手である。自分の体力を過信し、いろんな予定を入れてしまう。よくよく考えれば、私は話すのにもパソコンを打つのにも他の人より倍の時間がかかるのだから、他の人と同じ感覚で予定を入れたら、パンクするのは当たり前なのだが…。でも、やりたいことはどんどん出てきてしまう。 最近、そんな時は自分がやろうとしていることが「障害者でもできること」なのか「障害者だからできること」なのかを考えるようにしている。「障害者でもできること」のほとんどは、他の人でもできること。障害のない人に任せた方が、短時間で効率的にできることがほとんどだ。もちろん、あえて障害者が時間をかけてやることで、独特の味わいが出てくることも多々あるが。 しかし、障害があってもなくても、1日は24時間。時間は平等に過ぎていく。せっかく時間をかけて何かをするなら、「障害者だからできること」を追求したい。 例えば、このコラムを通して、障害者の私が考えていることを多くの人に発信すること。もちろん、私は障害者の代表ではないし、大した考えを持っているわけでもないが、私の日常を描き続けることで、「障害者も悩みながら生きている、普通の人間なのだ」と多くの人に思ってもらえれば、それは「障害者だからできること」になるのではないか。 何より、電動車いすに乗っている私が街中に出かけ、多くの人の目に入ることで、障害者が街中にいることが当たり前になる。それは障害者を含め、誰もが生きやすい社会につながる。 そんな堅苦しいことをいつも考えているわけではないが、「障害者だからできること」は思ったよりたくさんある。「障害者でもできること」を追及するあまり、「障害者だからできること」をおざなりにするのはもったいない気がする。

学校に通えない子どもがいる日本 《電動車いすから見た景色》20

【コラム・川端舞】人工呼吸器など医療的ケアの必要な子どもとその家族に対する支援法が先の国会で成立した(6月11日)。これにより、小中学校や特別支援学校の設置者は、在籍する医療的ケア児に対し、適切な支援を行う責務を有することになった。 このような流れの中、各メディアで医療的ケア児の現状が取り上げられるようになった。普段、(障害のある者と障害のない者が共に学ぶ)インクルーシブ教育について考えることも多い私だが、恥ずかしながら、今回、一連の報道を見る中で、特別支援学校にも通えない医療的ケア児が少なくない現状を初めて知った。 学校に通えない障害児に対しては、特別支援学校の教員が障害児の家庭などに訪問し、週3回、1回2時間を標準とした訪問教育が行われる。大学時代に特別支援教育について学んだ私は、日本の教育の中に訪問教育が存在することはわかっていたが、なぜ学校に通えず、週3回しか授業を受けられない障害児がいるのか、深く考えもしなかった。 お𠮟りを受けるだろうが、大学時代の私は「特別支援学校にも通えないほど、障害の重い子どももいるのだな」くらいの浅はかな考えしか浮かばなかった。 しかし今回の報道で、特別支援学校の通学バスに看護師が同乗しないために、バスに乗れず、保護者が送迎しないと特別支援学校に通えない場合もあること、単に学校に通う手段がないから、家で訪問教育を受けている障害児がいることを知った。 身近に当事者がいるかどうか もちろん病気の急性期などで、病室から出られない子どももいるだろう。しかし、通学バスの中で医療的ケアができないために通学できないのは、子ども自身の問題ではなく、通学バス乗車中に医療的ケアができる環境がない社会的な問題だ。 おそらく大学時代の私は、医療的ケアを行っている現場を見たことがなく、医療的ケアが必要な人に会ったこともなかったため、バカ正直に「医療的ケア児は外出が難しいだろう」と思っていたかもしれない。しかし、痰(たん)吸引や人工呼吸器などの医療的ケアを介助者から受けながら、親元を離れて1人暮らしをし、車や電車で当たり前に外出している障害者を身近に知っている今なら、研修を受けた介助者や看護師が付き添えば、医療的ケア児でも当たり前に通学できるのではないかと疑問に思う。 医療的ケア者が身近にいる私だからできる取材もある。つくば市周辺の医療的ケア児の状況や、今回の医療的ケア児支援法によりどう変わるのか、長い目で取材していきたい。(つくば自立生活センターほにゃらメンバー)

学校に通えない子どもがいる日本 《電動車いすから見た景色》20

【コラム・川端舞】人工呼吸器など医療的ケアの必要な子どもとその家族に対する支援法が先の国会で成立した(6月11日)。これにより、小中学校や特別支援学校の設置者は、在籍する医療的ケア児に対し、適切な支援を行う責務を有することになった。 このような流れの中、各メディアで医療的ケア児の現状が取り上げられるようになった。普段、(障害のある者と障害のない者が共に学ぶ)インクルーシブ教育について考えることも多い私だが、恥ずかしながら、今回、一連の報道を見る中で、特別支援学校にも通えない医療的ケア児が少なくない現状を初めて知った。 学校に通えない障害児に対しては、特別支援学校の教員が障害児の家庭などに訪問し、週3回、1回2時間を標準とした訪問教育が行われる。大学時代に特別支援教育について学んだ私は、日本の教育の中に訪問教育が存在することはわかっていたが、なぜ学校に通えず、週3回しか授業を受けられない障害児がいるのか、深く考えもしなかった。 お𠮟りを受けるだろうが、大学時代の私は「特別支援学校にも通えないほど、障害の重い子どももいるのだな」くらいの浅はかな考えしか浮かばなかった。 しかし今回の報道で、特別支援学校の通学バスに看護師が同乗しないために、バスに乗れず、保護者が送迎しないと特別支援学校に通えない場合もあること、単に学校に通う手段がないから、家で訪問教育を受けている障害児がいることを知った。 身近に当事者がいるかどうか

日本の学校では当たり前の一斉授業 《電動車いすから見た景色》19

【コラム・川端舞】前回のコラムで、障害児が普通学校に通うのは権利だと書いたが、今の日本の普通学校が何も変わらないまま、全ての障害児が通えるとは全く思っていない。 私は子どものころ、学校の授業についていけなくなったら、学校に通えなくなると思っていた。それは私に障害があったからでもあるが、障害のない子どもでも同じようなことを感じるときはないだろうか。学校に通えなくなるまでは思わなくても、授業についていけなくて面白くないと感じたことがある人は多いだろう。 学校の授業をつまらないと多くの人が感じる理由は、日本の学校が一斉授業を基本にしていることが大きいだろう。1クラス30人以上の生徒がいて、ひとりひとり、得意科目も苦手科目も違う中で、全員が同じ教材を同じスピードで理解しようとする。 障害の有無に関わらず、その科目が苦手な子どもは、授業の内容が分からず、面白くないかもしれないし、反対にその科目がとても得意で、どんどん先に進みたい子どもにとっては、授業の内容が簡単すぎて、退屈かもしれない。一斉授業の場合、平均的な学力の子どもにしか面白くない授業になってしまう可能性がある。 子どものひとりひとりに合った教材 障害のある子どものほとんどが普通学校に通うカナダでは、授業でプリント学習をする際、教員が4種類ほど内容の異なるプリントを用意し、子どもたちが自分のやりたいプリントを選んで学習するのだと、ある新聞記事に書いてあった。多民族国家であるカナダでは、英語が苦手な子どもがいることに配慮し、英文の難易度が異なる教科書を3種類準備。表紙は同じで、どの教科書を使っても同じ内容を学べるという。 ひとりひとり、自分の学力に合った教科書やプリントで学習し、分からないところは教員に個別に質問する。そうすれば、十人十色の子どもたち全員が、自分の学力に合った学習ができるのではないだろうか。 ただ、この方法を取るには、1クラス30人の子どもを1人の教員が教えるのは大変である。日本は少子化なのだから、1クラス10人にしたらどうだろうか。自分のペースで学べる学校は、障害児だけでなく、障害のない子どもにとっても過ごしやすい学校になるだろう。(つくば自立生活センターほにゃらメンバー)

日本の学校では当たり前の一斉授業 《電動車いすから見た景色》19

【コラム・川端舞】前回のコラムで、障害児が普通学校に通うのは権利だと書いたが、今の日本の普通学校が何も変わらないまま、全ての障害児が通えるとは全く思っていない。 私は子どものころ、学校の授業についていけなくなったら、学校に通えなくなると思っていた。それは私に障害があったからでもあるが、障害のない子どもでも同じようなことを感じるときはないだろうか。学校に通えなくなるまでは思わなくても、授業についていけなくて面白くないと感じたことがある人は多いだろう。 学校の授業をつまらないと多くの人が感じる理由は、日本の学校が一斉授業を基本にしていることが大きいだろう。1クラス30人以上の生徒がいて、ひとりひとり、得意科目も苦手科目も違う中で、全員が同じ教材を同じスピードで理解しようとする。 障害の有無に関わらず、その科目が苦手な子どもは、授業の内容が分からず、面白くないかもしれないし、反対にその科目がとても得意で、どんどん先に進みたい子どもにとっては、授業の内容が簡単すぎて、退屈かもしれない。一斉授業の場合、平均的な学力の子どもにしか面白くない授業になってしまう可能性がある。 子どものひとりひとりに合った教材 障害のある子どものほとんどが普通学校に通うカナダでは、授業でプリント学習をする際、教員が4種類ほど内容の異なるプリントを用意し、子どもたちが自分のやりたいプリントを選んで学習するのだと、ある新聞記事に書いてあった。多民族国家であるカナダでは、英語が苦手な子どもがいることに配慮し、英文の難易度が異なる教科書を3種類準備。表紙は同じで、どの教科書を使っても同じ内容を学べるという。

人権は「やさしさ」なのか 《電動車いすから見た景色》18

【コラム・川端舞】子どものころ、自分が普通学校に通い続けるためには、常に良い成績をとり、教員のご機嫌をとる必要があると思っていた。そんなことをしなくても、自分にも普通学校に通う権利がもともとあるとは考えもしなかった。 日本の学校教育では、「人権」と「思いやり」「やさしさ」は同じものとして教えられることが多い。私の小学校時代も、毎年12月の人権週間では「友だちにやさしくしよう」のようなスローガンが掲げられていた。もちろん人間にとって「思いやり」「やさしさ」が大切なのは言うまでもない。 しかし、例えば「障害者にやさしくする」と言った場合、「やさしくしよう」と決めるのは障害者の周りにいる人である。周りの人の気持ち次第で、「昨日は時間に余裕があってやさしくできたけど、今日は忙しいから難しい」と言ってしまうこともできる。 障害児が普通学校に通うのは権利 障害のない子どもは、原則、少なくとも中学校までは家の近くの学校に行ける。少子化による学校の統廃合はあるが、子どもの数が多いという理由で、特定の子どもを他の学校に転校させることはせず、教員や教室の数を調整するだろう。それは学校側が「やさしい」からではなく、子どもには、家の近くの学校に通う権利があるからだ。 しかし、障害児の場合、支援の手が足りないなどの理由で、家の近くの普通学校ではなく、市町村に数ヵ所しかない特別支援学校に通うことを簡単に提案されてしまう。障害児が普通学校に通うのは、障害のない子どもと同等の権利のはずなのに、「障害があるけど、普通学校に通わせてあげる」という「やさしさ」にされてしまい、学校側に「やさしくする」余裕がなければ、当然のように特別支援学校への転校を提案されてしまう。 障害のない子どもが当たり前に通う普通学校に、障害児も当たり前に通えるのが権利であり、周囲の気持ち次第で変わってしまう「やさしさ」に左右されるべきではない。障害がある子とない子がそれぞれ必要なサポートを受けながら、同じ教室で学べる環境が前提にあって、初めて「やさしくする・される」「やさしくしない・されない」という経験がお互いにできるのだろう。 人間関係を学ぶ上では、時に友達とけんかし、「やさしくされない」経験も必要だが、障害児は友達にやさしくしてもらわないと学校に通えない環境にいる場合、友達と本気でけんかする経験もできなくなる。(つくば自立生活センターほにゃらメンバー)

人権は「やさしさ」なのか 《電動車いすから見た景色》18

【コラム・川端舞】子どものころ、自分が普通学校に通い続けるためには、常に良い成績をとり、教員のご機嫌をとる必要があると思っていた。そんなことをしなくても、自分にも普通学校に通う権利がもともとあるとは考えもしなかった。 日本の学校教育では、「人権」と「思いやり」「やさしさ」は同じものとして教えられることが多い。私の小学校時代も、毎年12月の人権週間では「友だちにやさしくしよう」のようなスローガンが掲げられていた。もちろん人間にとって「思いやり」「やさしさ」が大切なのは言うまでもない。 しかし、例えば「障害者にやさしくする」と言った場合、「やさしくしよう」と決めるのは障害者の周りにいる人である。周りの人の気持ち次第で、「昨日は時間に余裕があってやさしくできたけど、今日は忙しいから難しい」と言ってしまうこともできる。 障害児が普通学校に通うのは権利 障害のない子どもは、原則、少なくとも中学校までは家の近くの学校に行ける。少子化による学校の統廃合はあるが、子どもの数が多いという理由で、特定の子どもを他の学校に転校させることはせず、教員や教室の数を調整するだろう。それは学校側が「やさしい」からではなく、子どもには、家の近くの学校に通う権利があるからだ。 しかし、障害児の場合、支援の手が足りないなどの理由で、家の近くの普通学校ではなく、市町村に数ヵ所しかない特別支援学校に通うことを簡単に提案されてしまう。障害児が普通学校に通うのは、障害のない子どもと同等の権利のはずなのに、「障害があるけど、普通学校に通わせてあげる」という「やさしさ」にされてしまい、学校側に「やさしくする」余裕がなければ、当然のように特別支援学校への転校を提案されてしまう。

制度化なるか? 重度障害者の就労時の介助 つくば市議会で議論

重度障害者が働くと受けられなくなる公的介助サービスについて、つくば市議会で市民団体からの提案をもとに、実施に向けた議論が進んでいる。厚生労働省は「地域生活支援事業」の対象に、通勤・就労時の身体的な介護を加え、昨年10月から市町村の任意事業として提供できるようにした。 厚労省によると、昨年8月時点で全国13市町村が実施予定とした。市民団体「茨城に障害のある人の権利条例をつくる会」(事務局・水戸市)の調査によると、今年4月時点で、県内で「利用希望に応じて検討したい」とした市町村は数カ所あったものの、「実施予定」とした市町村はひとつもなかった。 「働いている」のに賃金もらえず 従来の制度では、公的介助サービスは通勤時や就労時は利用できないため、介助が必要な障害者は、働く能力があっても就労が難しかった。昨年から国の地域生活支援事業の中で始まった「雇用政策との連携による重度障害者等就労支援特別事業」で、国と県から補助を受けて、市町村が職場等における介助や通勤の支援を行えるようになった。 重度身体障害を持つ川島映利奈さん(38)は、障害者団体「つくば自立生活センターほにゃら」代表として活動する。自立生活センターでは、地域で生活する障害者に介助者を派遣する事業を行っていて、川島さんは介助者の採用面接や研修、勤務シフト表作成に関わる。また、障害者や家族からの相談に応じたり、障害のある人とない人が交流できるイベントの企画もしている。平均週20時間、活動している。 しかし、ほとんどの活動に賃金は発生しない。川島さんは障害のために痰(たん)を吐き出す力が弱く、多い時で30分に1回、介助者に痰吸引をしてもらう必要がある。また全身の筋力が弱く、会議の資料を作成するためのパソコン入力や、初対面の人との名刺交換など、活動するために必要な動作のほとんどを介助者にサポートしてもらう必要があるため、常に介助者がそばにいる。公的介助サービスを使っている時間は就労できないため、どんなに活動しても賃金はもらえない。

私の嫌いな言葉「頑張る」《電動車いすから見た景色》17

【コラム・川端舞】「頑張る」という言葉が好きではない。幼い頃から周囲に「頑張り屋さんだね」と言われるたびに、「自分は頑張らないと見捨てられるのだ」と無意識に思ってしまい、苦しかった。 もちろん、自分がやりたいことのために頑張ることは否定しない。それで夢をかなえることができたら素敵なことだ。しかし、私が純粋に自分の好きなことのために努力し始めたのは大学に入学してからだ。 「自分は障害があるから、勉強は誰よりもできないと、見捨てられる」。少なくとも中学時代までは、何も疑うことなく、本気でそう思っていた。だから頑張った。でも、どんなにいい点数を取っても、「これでまだ学校に通える」と一瞬安心できるだけで、また次のテストのために頑張ることしか頭になかった。自信が付いたり、自分をほめてあげることはできなかった。 どんなにいい点数を取っても、自分の障害はなくならないのだから、当然だ。当時の私は、自分の障害を学力で補おうとしたが、そもそも障害は勉強や個人の努力で補うものではない。校舎をバリアフリーにしたり、できない部分は周りが手伝ったりすることで解決できるものだ。環境を変えることで解決するべき問題を、私の努力だけに押し付ける言葉として「頑張り屋さん」が使われた。 もちろん、当時、そのような意図を持って、この言葉を私に投げかけた人は少なかっただろうが、幼かった私は「頑張り屋さん」という言葉にプレッシャーを感じてしまったのだろう。今でも「頑張る」という言葉にアレルギーがあるようだ。 休み方がわからない 中学時代、他の生徒と同じ量の課題を無理に終わらせて、体調を崩したことがあった。大人になっても、自分の体力を考えずに仕事に集中し、後日、反動で寝込むことも時々ある。 疲れたら、適度に休めばいい。頭ではわかっていながら、気づくと休まずに、限界までやってしまう。昔から、休み方や気分転換の方法が分からない。 障害があると、他の人と同じことをやろうとしても、何倍も時間がかかってしまうことが多い。バカ真面目な私は、時間をかけてでも完璧にやろうとしてしまいがちだが、それでは当然体調を崩す。自分の障害を努力で補うのではなく、周囲からサポートを受け、上手に休む方法を子どもの頃から身に付けたかったと、大人になって思う。(つくば自立生活センターほにゃらメンバー)

私の嫌いな言葉「頑張る」《電動車いすから見た景色》17

【コラム・川端舞】「頑張る」という言葉が好きではない。幼い頃から周囲に「頑張り屋さんだね」と言われるたびに、「自分は頑張らないと見捨てられるのだ」と無意識に思ってしまい、苦しかった。 もちろん、自分がやりたいことのために頑張ることは否定しない。それで夢をかなえることができたら素敵なことだ。しかし、私が純粋に自分の好きなことのために努力し始めたのは大学に入学してからだ。 「自分は障害があるから、勉強は誰よりもできないと、見捨てられる」。少なくとも中学時代までは、何も疑うことなく、本気でそう思っていた。だから頑張った。でも、どんなにいい点数を取っても、「これでまだ学校に通える」と一瞬安心できるだけで、また次のテストのために頑張ることしか頭になかった。自信が付いたり、自分をほめてあげることはできなかった。 どんなにいい点数を取っても、自分の障害はなくならないのだから、当然だ。当時の私は、自分の障害を学力で補おうとしたが、そもそも障害は勉強や個人の努力で補うものではない。校舎をバリアフリーにしたり、できない部分は周りが手伝ったりすることで解決できるものだ。環境を変えることで解決するべき問題を、私の努力だけに押し付ける言葉として「頑張り屋さん」が使われた。 もちろん、当時、そのような意図を持って、この言葉を私に投げかけた人は少なかっただろうが、幼かった私は「頑張り屋さん」という言葉にプレッシャーを感じてしまったのだろう。今でも「頑張る」という言葉にアレルギーがあるようだ。 休み方がわからない

車いすから見た世界を描くライター、川端舞さん

「障害者として堂々と生きていきたい」 そう話すのは、重度障害のあるライター、川端舞さん(29)だ。NEWSつくばでコラム「電動車いすから見た景色」を連載、市民記者としても活動し1年が経った。介助者のサポートを得て営む一人暮らしは11年目を迎えた。ありのままの自身の経験や日々の出来事を発信し、障害について考えるきっかけを読者に投げかける。 言語に障害があっても話していい 言語障害のある人は、「(自分は)話さないほうがいい」と思ってしまうことがあるという。自身も言語に障害のある川端さんは、積極的に発言することで、誰もが気楽に話せる社会を作ろうとする。 原稿執筆のため資料をあたる

本当は楽しかった高校時代 《電動車いすから見た景色》16

【コラム・川端舞】私は小学校から高校まで、普通学校に通い、体に障害があるのは自分一人だけという環境で育った。高校の卒業式の夜、「友達がほしかった。養護学校に行きたかった」と、母の前で大泣きした。でも、それは勘違いだったと、11年の歳月が経った今思う。 高校時代、本当は私には友達がいたし、楽しい思い出もたくさんあった。卒業時にそれを思い出せなかったのは、嫌なことだらけだった中学時代の記憶が強すぎて、人間不信になっていたせいだろう。高校3年生の1年間は受験勉強で必死になり過ぎていたのかもしれない。でも、高校3年間は大変なこともあったけれど、楽しかったことも同じくらいあった。 中学時代まで、私が学校にいるときは常に介助員がそばに付いていて、必要なサポートは全て介助員にやってもらうように言われていた。教科書を開いてもらうなど、簡単なことでも近くの友達に頼むと、「介助員にやってもらいなさい」と言われた。 高校に入学すると、介助員は付かなかった。その代わり、「困ったことは友達に手伝ってもらいなさい」と、それまでとは正反対のことを言われた。最初は同級生にどう頼んだらいいか分からなかった。特に教室から体育館に行く廊下に段差があり、数人に車いすを持ち上げてもらわないと体育館に入れなかった。入学したばかりの頃は、誰にも声を掛けられず、置いていかれてしまうこともあった。しかし、だんだんスムーズに声を掛けられるようになり、同級生からも「一緒に行こう」と声を掛けてもらえるようになった。 私も参加できるルール 体育の授業でバドミントンやバレーボールをするとき、私も一緒にできるような特別ルールを教員が考えてくれ、私も他の生徒と対戦する機会をつくってくれた。それを参考に、どうやったら私も学校行事である球技大会に参加できるか、クラスメートと話し合い、休み時間に体育館で練習をした。 避難訓練のとき、エレベーターが使えないことが分かり、誰が私をおんぶして逃げるかをシミュレーションしたこともあった。さすがに生徒同士でのおんぶは危険だと注意され、クラスメートが職員室に教員を呼びに行くことになったが…。 今振り返ると、卒業式の夜になぜ思い出せなかったのか不思議なほど、全部が大切な思い出だ。あの夜、大泣きしていた自分に言ってあげたい。「大丈夫。この高校に通ってよかったと思える日が来る。高校時代のあなたは大切にされていたよ」と。高校時代に受けた教育が、私にとってのインクルーシブ教育なのかもしれない。(つくば自立生活センターほにゃらメンバー)

本当は楽しかった高校時代 《電動車いすから見た景色》16

【コラム・川端舞】私は小学校から高校まで、普通学校に通い、体に障害があるのは自分一人だけという環境で育った。高校の卒業式の夜、「友達がほしかった。養護学校に行きたかった」と、母の前で大泣きした。でも、それは勘違いだったと、11年の歳月が経った今思う。 高校時代、本当は私には友達がいたし、楽しい思い出もたくさんあった。卒業時にそれを思い出せなかったのは、嫌なことだらけだった中学時代の記憶が強すぎて、人間不信になっていたせいだろう。高校3年生の1年間は受験勉強で必死になり過ぎていたのかもしれない。でも、高校3年間は大変なこともあったけれど、楽しかったことも同じくらいあった。 中学時代まで、私が学校にいるときは常に介助員がそばに付いていて、必要なサポートは全て介助員にやってもらうように言われていた。教科書を開いてもらうなど、簡単なことでも近くの友達に頼むと、「介助員にやってもらいなさい」と言われた。 高校に入学すると、介助員は付かなかった。その代わり、「困ったことは友達に手伝ってもらいなさい」と、それまでとは正反対のことを言われた。最初は同級生にどう頼んだらいいか分からなかった。特に教室から体育館に行く廊下に段差があり、数人に車いすを持ち上げてもらわないと体育館に入れなかった。入学したばかりの頃は、誰にも声を掛けられず、置いていかれてしまうこともあった。しかし、だんだんスムーズに声を掛けられるようになり、同級生からも「一緒に行こう」と声を掛けてもらえるようになった。 私も参加できるルール 体育の授業でバドミントンやバレーボールをするとき、私も一緒にできるような特別ルールを教員が考えてくれ、私も他の生徒と対戦する機会をつくってくれた。それを参考に、どうやったら私も学校行事である球技大会に参加できるか、クラスメートと話し合い、休み時間に体育館で練習をした。

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グローバリゼーションに新ルール 《雑記録》30

【コラム・瀧田薫】ダニ・ロドリック氏が「グローバリゼーション・バラドクス(The Globalization Paradox)」(2011年)を出版してから、今年でちょうど10年になります。この間、「グローバリゼーション」に関する論文・著作が数多く発表・発行される中で、この本の存在感はまだ失われていません。 この書物が発行された当時、著者は世界経済の「政治的トリレンマ」(民主主義、国家主権、グローバリゼーション)を同時にバランスよく追求することは不可能で、旗色の悪くなった国家主権と民主主義を守るために、グローバリゼーションをある程度制限することもやむを得ないと主張しました。 この主張を経済学の観点から見れば、いわゆる新自由主義的論理が市場と政府は対立関係にあると考えるのに対して、金融、労働、社会保障など、国家がコントロールする諸制度が補完しない限り、あるいは政府による再分配やマクロ経済管理が機能しない限り、市場はうまく回らず、秩序あるいは社会的安定も確保できないとする考え方と言えるでしょう。 政治学においても、国家の統治能力の向上なしに持続的な経済発展は望めないとの見方が有力ですし、ロドリック氏の考えは正鵠(せいこく)を射たものと思われます。 主権国家が新たな規制枠を用意

商品はカタログや自動車雑誌【クルマのある風景】1

サーキットのモータースポーツでもオフロードのクロスカントリーでもなく、日常にある自動車と向き合う人々は数多く存在する。ニッチ(すきま市場)とも、趣味の世界ともいえる、つくば、土浦のクルマのある風景をたずねた。 ノスタルヂ屋 松浦正弘さん つくば市花畑に所在する「ノスタルヂ屋」は、一見すると昔ながらのレコード店のように見える店内だが、ここで取り扱われているのは音盤ではない。ジャンル別、メーカー別、車種別に分類された、1950年代くらいから現代に至る、内外各自動車メーカーが販売した自動車、オートバイのカタログや自動車雑誌が商品、まさしく趣味の世界だ。 そんな品物に商品価値があるのかと言えば、興味のない人には古本以下だが、かつて乗ったことのあるクルマ、昔からほしかったクルマを手に入れた、そのような人々には至高の宝物がカタログなのだ。 店主の松浦正弘さん(69)は、20代の頃に東京・中野区で「ブックガレージ」という名の店を起こし、40年を超えてこの商売を続けている。自動車雑誌がオールドカーの特集を組み、特定車種のヒストリー記事をまとめる際、自動車会社にさえ現存しないカタログなら編集者は松浦さんのもとを訪ねる。

市民グループがつくば市長を追撃 《吾妻カガミ》121

【コラム・坂本栄】今年5月に市民グループから「センタービル再生事業」の進め方がおかしいと指摘された五十嵐つくば市長。今度は「1期目退職金22円」はおかしいとその政治スタンスが追及されています。センタービル問題(監査請求→住民訴訟)に続く退職金問題(監査請求)。五十嵐さんの周辺がまた騒々しくなってきました。 22円市長は624万円を賠償せよ! 市に対する新たな監査請求は、五十嵐さんが2016年の市長選挙で掲げた公約「市長特権の退職金廃止」をめぐるものです。実際は、退職金ゼロは制度上無理と分かり、議会で特例条例を通してもらい(2020年9月18日)、最少額の22円を受け取りました。市民グループ(代表=酒井泉さん)は「自分を犠牲にして市民のために尽くす市長」像を市民の間に広げることを狙った選挙戦術と批判。公職選挙法上も問題があると主張しています。 退職金問題の監査を求めて、市に出された文書(11月16日付)のポイントはいくつかあります。その内容を紹介する前に、議論になっている数字を押さえておきます。退職金受け取りに備えて市が自治体職員退職金プール組合に払い込んだ金額=624万円、規定による1期分の市長退職金=2040万円―です。 ポイント1は、市長は22円しか受け取らず、市が払い込んだ624万円はムダになったのだから、市は市長に624万円の損害賠償を求めよ―。その2は、退職金制度では2040万円もらえることになっていたのに、受け取らなかったのだから、市は退職金プール組合に払い込んだ624万円を返してもらえ―。その3は、そもそも22円条例が問題なのだから、市は同条例が違法であることを認めよ―。いずれも面白い視点です。 順番が逆になりましたが、ポイント3の違法性は、公職の候補者は寄付行為をしてはいけないとしている公選法199条3に照らして、22円退職金は市に対する寄付(金額は624万円マイナス22円)に当たるから違法だ、という主張です。監査結果はどうなるでしょう? センタービル問題の方は、コラム113「五十嵐つくば市長...

つくばの市街地にイノシシ出没

つくば市の市街地にイノシシが出没している。11月初旬から12月初めに天久保4丁目、学園の森、天王台付近で相次いで目撃された。農村部ではイノシシによる農作物被害が大きな問題になっているが、街中でイノシシが目撃されるのは同市で初めてだ。市や警察は連日パトロールを実施している。現時点で被害の報告はない。 市鳥獣対策・森林保全室によると、11月4日、松塚と古来で目撃された。その後、7日に筑波大学近くの天久保4丁目の住宅地で目撃され、20日と21日には学園の森の商業施設周辺で目撃された。11月25日から12月4日には天王台で目撃された。 大きさなどは不明だ。これまで市内各所で目撃されたイノシシが同じ個体なのか、別の個体なのかなども分かっていない。 目撃場所付近では、市と警察などが巡回を続けているほか、学園の森付近では目撃場所近くにわなを設置している。3日までにまだ捕獲されていない。 「初期段階の対策重要」