水曜日, 10月 21, 2026
ホームスポーツ土浦日大 投手4人で無安打コールド【高校野球茨城'26】

土浦日大 投手4人で無安打コールド【高校野球茨城’26】

第108回全国高校野球選手権茨城大会は8日目の14日、3回戦に入り、J:COMスタジアム土浦の第1試合では土浦日大が下館工と対戦。守っては投手4人のリレーで無安打無失点に抑え、攻撃では16安打13得点と打線爆発した。

14日 3回戦 J:COMスタジアム土浦 第1試合
土浦日大 3011206 13
下 館 工 0000000 0

1回表土浦日大2死一・三塁、一走・根津が二盗を敢行、送球がそれたのを見て三走・伊勢山が本盗のスタートを切る

土浦日大は初回の攻撃で3点を先制。まず2死一・三塁で5番・青木智潤の打席の時、2球目で一走・根津然斗がスタートを切り、続いて三走・伊勢山暖もスタートし、本塁を陥れた。これはダブルスチールかと思いきや、伊勢山の独自判断だったそうだ。「送球が浮いたら行こうと思っていた。いつもやっていることが普段通りにできた」と伊勢山。この後、根津は青木の右前打で生還し、青木も7番・大立克輝の左前打で生還した。

投手は左腕の板橋悠希が先発し、3イニングを無安打。「ストレート中心で押して、変化球で打ち取った。吉田(惺南、捕手)のリードでいい投球ができた」と板橋。「相手は積極的にバットを振ってくる。外角中心に組み立て、各投手がしっかり投げきってくれた」と吉田。3回裏は守備陣の活躍もあった。先頭打者を四球で出したが、次打者の送りバントは2-6-4の併殺で返り討ちに。その後死球で再び走者を背負うが、次打者の三ゴロは三塁手・林悠哉が横っ飛びで捕球し、事なきを得た。

土浦日大の先発投手、板橋

攻撃陣はその後も順調に得点を重ねた。3回は左前打で出た青木が6番・林の左前打で返り、1点追加。4回は1死三塁から根津の右犠飛で伊勢山が生還。5回は7番・大立克輝が左前打で出塁し、8番・高石涼太の右中間二塁打で生還、高石も伊勢山の右前打で生還した。伊勢山、大立、高石はいずれもこの試合3安打の活躍。

3回表土浦日大1死二塁、6番・林の左前打で根津が生還
3回裏無死一塁、下館工は送りバントを敢行するが、土浦日大が2-6-4の併殺に仕留める。遊撃手伊勢山

7回はビッグイニングになった。林、大立、高石、伊勢山と途中出場の青山紘大で三塁打2本、二塁打2本、単打1本のつるべ打ち。とどめは吉田の2点本塁打。「今日はここまで1安打と調子が上がってなかったが、思い切って行こうと、ストレートに狙いを絞って強くバットを振った。打ったのは真ん中近くの若干外寄りで完璧な当たり。やっと1本出たと、楽な気持ちでダイヤモンドを回れた」と吉田の振り返り。小菅監督は「最後は全員がつながって締めくくれた。2戦目とあって最初は硬さも見てとれたが、すぐ修正しうまく点を取れた」と評した。

7回表土浦日大1死三塁、吉田が中堅へ2点本塁打を放ちダイヤモンドを一周、ベンチで仲間の祝福を受ける

投手陣は4人を試すことができた。先発の板橋が3回を担当した後、左腕の園山祐平が2回、初戦で先発した嶋悠希が1回、エースの小池陽斗が1回を投げた。「小池が柱だが、それに続く投手を探している。ブルペンとマウンドとの差を見極めたり、一人だけに負担をかけないという意図もある」と小菅監督。

試合終了、握手を交わす捕手・吉田と4人目投手のエース小池

次戦は18日、ノーブルホームスタジアム水戸の第2試合。相手は、明秀日立と水戸農の勝者。小菅監督は「手強い相手だが自分たちの野球をやる、やれることを精一杯やる」と、ここまでの笑顔を引き締めた。(池田充雄)

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