日曜日, 12月 28, 2025
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山本五十六元帥と土浦 いくつかの符合(2)《文京町便り》47

【コラム・原田博夫】前回コラム(11月23日掲載)では、慶應義塾塾長・小泉信三(1888~1966年)の一人息子・信吉(海軍主計中尉、1942年10月22日の戦没後大尉進級)に関連して、信三博士の交友・人脈のうち、旧制土浦中学(現土浦一高)卒の武井大助氏(1887~1972年、海軍主計中将などを歴任)との交誼(こうぎ)に焦点を当てた。今回は、信吉中尉への各般の弔問・弔意の中から、土浦に関連がある2人に目を向けてみたい。

1人は、信吉氏が乗船していて轟沈(ごうちん)した戦艦・八海山丸の艦長・中島喜代宣大佐(戦没後少将)である。北品川の小泉邸へ弔問に数回訪れた武井氏が小泉博士に語ったところによれば、中島艦長は武井氏と中学時代の同級生(土浦中学第3回生、1904年3月卒)だったとのこと。

小泉信三「海軍主計大尉 小泉信吉」(私家版1946年刊、文藝春秋版1966年刊、文春文庫版1975年刊)によれば、八海山丸艦長の夫人・中島まつ子は、夫とともに戦死した信吉・海軍主計中尉の報に接し、1943年1月、次男の宣二(海軍少尉)とともに小泉邸を弔問に訪れ、夫君の出発日朝の様子などを語っている。

数日後、信三博士自身も上落合の中島邸を訪れている。帰宅後に受け取った海軍省人事局長からの速達便には、子息・信吉の海軍主計大尉進級が官記されていた。

この交流には、中島大佐と土浦中学で同窓だった武井氏が介在していたことが推測できる。中島大佐と土浦中学同窓だった武井海軍主計中将は、東京高商(現一橋大学)在学時、福田徳三博士宅で開かれていたアダム・スミス輪読会で信三博士と懇意となり、これが二人をつなぐことになった。

対米開戦直前、霞月楼に礼状

2人目は山本五十六元帥(1884~1943年、戦没後授与)である。山本元帥は1924年、霞ケ浦航空隊(いわゆる予科練)副長として赴任し、航空部門を中心とした海軍力の強化を図った。酒はダメだが酒宴は嫌いでなかったようで、しばしば、土浦市内の料亭「霞月楼」を訪れていた。

当時の若い海軍兵たちの酒宴はかなり乱暴だったようで、霞月楼に今でも保管されている山本元帥の礼状(真珠湾攻撃直前の1941年12月5日付、連合艦隊旗艦長門から)には、無礼講(ぶれいこう)へのお詫びとともに、自分にとっては「最後の御奉公」と記されている。この間の事情は、故堀越恒二(霞月楼元社長)著「記念誌:霞月楼100年」(非売品)に記されている。

山本元帥は信三博士とも交誼があり、元帥からの手紙(1942年11月尽日付、開封は12月21日)には、謹呈された信三博士著「師・友・書籍 第二輯」への礼のあとに、令息(信吉主計中尉)戦死への悔やみが述べられ、自分も「最後の御奉公」に取り組んでいる旨が記されている。元帥も、和歌では武井主計中将(1965年、歌会始の召人)を先達としていたようで、そのことも「海軍主計大尉 小泉信吉」で言及されている。

信三博士は、山本元帥が知友・武井氏と趣向が同じ点でも、元帥に親近感を抱いていたようである。1943年5月21日、慶應義塾教職員俱楽部で山本連合艦隊司令長官戦死のラジオ放送を聞いた時には(実際の死没は4月18日)、満腔(まんこう)の敬意をもって、塾生に知らせるよう指示した。ちなみに、第一艦隊司令長官は、1941年8月、山本海軍大将から、武井大助氏や中島喜代宣氏と同級の高須四郎海軍大将(1884~1944年)に替わっている。これも符合の一つである。

私の(母方)祖父から伝承された「手本とすべき先輩たち」の話に導かれ、小泉信三「海軍主計大尉 小泉信吉」は、私にとっては無視できない符合がいくつか重なった。それらを個人的な記憶として風化させるべきではないと考え、2回にわたり記した次第。(専修大学名誉教授)

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