【コラム・山口絹記】変な時間に寝てしまい夜中に目を覚ましてしまうことがある。さえてしまった眼で時間を確認すると、夜中の1時。しばらく寝られそうにもないが、目だけでも閉じておこうとしたところで、今夜は3年ぶりの皆既月食、とのスマホの通知が目に入った。
せっかくだし撮っておくか。ごそごそと立ち上がって、三脚とカメラに望遠レンズをセットする。望遠レンズといっても、せいぜい子どもの運動会用のレンズだが、最近のカメラは性能が良いので、トリミングすればそこそこな写真が撮れてしまう。
寝ている妻にも声をかけてみると、「子どもたちに見せようか」と言うので、月が欠けてきたら起こそう、ということになった。
セッティングを確かめるために一度外に出て三脚をセットする。が、夜なのにまだ暑くて待機するのは諦めた。部屋に戻ってパソコンを立ち上げると、いたるところで月食LIVEの動画配信が行われていた。便利な時代である。快適な室内でちょうどよい頃合いをうかがって外に出ればよい。
観察される側になった私
はっきりと食が確認できるようになったタイミングで、妻と子どもたちと外に出た。子どもたちは食にはそこまで興味がないようで、珍しい夜のイベントに興奮したのかパタパタとあたりを走り回っている。
カメラの背面モニターで拡大した月を確認しながらピントを合わせる。食が最大となる瞬間は何度見ても美しい。何枚か撮影して顔を上げると、娘が月ではなくこちらを見ていた。
ふと、自分が小さい頃、夏休みの自由研究でアゲハチョウの観察をしたことを思い出した。サナギの状態のチョウを枝ごと持ち帰って羽化を観察する計画だったのだが、チョウの羽化は朝早いので、私はウトウトしていてほとんど記憶がない。カメラをやっていた伯父が羽化の瞬間を撮影していたのだが、チョウの羽化よりも、それを見て感動している伯父の姿の方が記憶に残っている。
家族が家に戻った後も撮影を続けながら、ああ、そうか、私も観察される側になったのかもしれないな、とふと思った(言語研究者)