【コラム・三橋俊雄】前回(8月19日掲載)は、「ホモ・ルーデンス(人間とは遊ぶ存在である)」について紹介しました。今回は、これに関連する「遊び仕事」という考え方について、お話ししていきたいと思います。
「遊び仕事」とは、環境倫理学や現代民俗学の視点から、鬼頭秀一氏(「自然保護を問いなおす」、ちくま新書、1996)や松井健氏(「自然観の人類学」、榕樹書林、2000)らが提唱しはじめた概念です。
そこでは「遊び仕事」が、自然との関わりにおける人間の基本的活動として捉えられてきました。それは主要な生業(サブシステンス)ではなく、地域の人々が日常生活の一部として継続してきた副次的な生業(マイナー・サブシステンス)であり(上図)、その今日的意義について探求されてきました。
ここではまず、「これこそ遊び仕事」と私が実感した「タケノコ掘り」についてのエピソードをお伝えします。
タケノコ掘り
毎年5月になると、筑波山麓にある竹林をお借りして「タケノコ掘り」を行います。「そろそろタケノコ掘りの季節だなあ」と、ちょっとしたワクワク感を覚えます。
タケノコ掘りは、竹林所有者の「ご好意」から始まリます。そして、鍬(くわ)一つあれば、誰でも掘り起こすことができます。「さあ、掘るぞ!」という意気込みで竹林に入り、タケノコを「探す」「掘る」「食べる」という一連の過程を楽しみます。タケノコがたくさん採れた時には、「おすそわけ」をすることもでき、それも「楽しみ」の一つです。
「おすそわけ」は連鎖します。例えば、タケノコを5本いただいたとします。その方は、3本を「うちの分」として残し、あとはお隣さんに1本、お友達に1本など「おすそわけ」の輪が広がります。時にはタケノコのお礼にと「フキの煮物」をいただいたりもします。このように「おすそわけ」の「お返し」が生まれ、物々交換が続きます。
一方「食べる」楽しみとしては、まず、採れたてのタケノコを「お刺身」として味わいます。続いて「タケノコご飯」「タケノコの味噌汁」「煮物」といった料理を楽しみます。それでも余ったら、タケノコの塩漬けや水と一緒に瓶(びん)に詰めて冷蔵庫で保存します。
こうして毎年繰り広げられるタケノコ掘りは、楽しみであると同時に、竹林の維持・管理として「山が荒れる」ことを防ぐ役割もします。
自立自存の姿
このように考えると、タケノコ掘りとは、日本人の生活文化に根ざした「遊び仕事」と言えるのではないでしょうか。この「遊び仕事」は、市場経済に染まらず、人々が自然と対等に付き合うための一つの「仕方(しかた)」であり、自給自足、自立自存の姿でもあると思います。(ソーシャルデザイナー)