日曜日, 9月 6, 2026
ホームスポーツ世界初公開資料も デフリンピックの歴史知るパネル展 筑波技大

世界初公開資料も デフリンピックの歴史知るパネル展 筑波技大

聴覚障害者による国際スポーツ大会「東京2025デフリンピック」が11月に開催されるのに先立ち、筑波技術大学(つくば市天久保 石原保志学長)の天久保キャンパスで、デフリンピックの歴史を紹介する特別パネル展「デフリンピックの歴史を知る」が7日から始まった。展示されているのは、大会最初期の記録などに基づき作成された歴史年表などパネルや動画作品約20点。会期は11日まで。

資料作成を担ったのは、企画を担当する同大教員で、デフリンピックの主催団体「国際ろう者スポーツ委員会(ICSD)」副会長の大杉豊教授だ。大杉さんは今回の展示資料作成のために3月に渡米し、聴覚障害者の大学・ギャローデッド大学に保管される非公開資料などを調査した。

「100箱以上ある全てのボックスを開けて中身を確認した。これまで把握できなかった国際ろう者スポーツ委員会設立当時の議事録をはじめ、国際オリンピック委員会が初めて国際ろう者スポーツ委員会を認知した時の通知など貴重な資料が多数あった。今回の展示では、世界初公開となる資料も複数含まれている。聞こえない人が時間をかけて大会を発展させてきた。デフリンピックを知ってもらう機会にしたい」と企画への思いを語る。

米国で発見した資料をもとに作成した展示パネル

「手話の復権」

デフリンピックの始まりは、1924年8月にフランス・パリで開かれた、ろう者による世界初となる国際スポーツ大会「国際サイレント大会」だ。以降、それぞれ4年に1度ずつ夏期と冬季にそれぞれ大会が開かれた。今回の東京大会は25回目の夏季大会。デフリンピック100周年の記念大会で、日本での開催は夏・冬通じて初めてとなる。

大杉さんが、今回の展示で伝えたい物語の一つに「手話の復権」があるという。第1回大会がパリで開かれた当時、世界的に手話は差別の対象となっていた。1880年にイタリア・ミラノで開かれた第2回国際ろう教育者会議(通称:ミラノ会議)で、ろう学校での手話が禁止され、言葉を声に出して話す「口話」がろう者のコミュニケーション手段として奨励された。日本でも1933年にろう学校での手話使用が禁止された。口語のみを認め、ろう者の言語である手話が否定されたことは、ろう者の尊厳を傷つけることにつながったという。

パリで第1回大会が開かれるひと月前、同じパリで、第8回夏季オリンピックが開かれていた。それを見た、ろうの当事者たちは「聞こえる人も、スポーツを楽しんでいる。聞こえない人たちも、同じように楽しみたい」と考えた。そして、「スポーツのために世界から人が集まるのなら、心置きなく世界中の人々がコミュニケーションを取り合い、精一杯スポーツを楽しもう。そのために手話が話されるのは悪くない」と話し合ったという。大杉さんは「第1回大会はいわば、手話にとっての『ルネサンス(復権)』」の機会となったのだと話す。

今回の展示では、大杉さんが米国で関係者から聞き取った「手話の復権」に関するインタビュー動画も上映する。国際手話で語られた内容に、日本語字幕と、日本語手話と字幕を載せた約20分の映像作品だ。期間中、毎日正午から午後1時までの間、リピート再生する。

一連の調査と資料作成を通じて大杉さんは「時代を超えて(国際スポーツ大会を始めた)当時の人々の気持ちとつながることができたのは感慨深かった」と語る。

11月16日から

手話で拍手をした手を前に突き出す「サインエール」は、デフリンピック東京大会のために開発された目で見える応援スタイルだ

11月16日から始まる「東京2025デフリンピック」は、東京体育館(渋谷区)や駒沢オリンピック公園総合運動場(世田谷区)など東京都内にある17会場のほか、静岡県伊豆市の日本サイクルスポーツセンター、福島県楢葉町のJビレッジなど19会場で全21競技が行われる。12日間の大会期間中、70から80の国と地域から約3000人の選手が参加する。

筑波技術大学・大学院からは、現在、産業技術学部に所属するテコンドー選手の星野萌さんら5人が代表に内定している。また、バドミントンの沼倉千紘さん・沼倉昌明さん、サッカーの岩渕亜依さん、柔道の蒲生和麻さんなど多数の卒業生も代表選手に選ばれている。大会のエンブレムをデザインしたのは、卒業生の多田伊吹さんだ。

「是非、聴覚障害者が活躍する大会があるということを知ってほしい」と、同大広報担当の折笠紀恵さんも期待を込める。(柴田大輔)

◆特別パネル展「デフリンピックの歴史を知る」は7日(月)~11日(金)、つくば市天久保4-3-15 筑波技術大学天久保キャンパス「大学会館1階OnOffラウンジ」で開催。開館時間は午前9時から午後5時まで。最終日は午後2時まで。展示期間中、毎日正午から午後1時まで、大杉さんが手話による作品解説を行う。入場無料。

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

2 コメント

2 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho





spot_img

最近のコメント

最新記事

市議会の行政視察報告書を読む《水戸っぽの眼》16

【コラム・沼田誠】先月、福岡県議会の海外視察をめぐる報道が話題になった。現議員の任期が始まった2023年4月から2026年3月までの3年間で計23件実施され、総額約2億6496万円、1人当たり平均約135万円に上る費用であることが報道されている。 地方議会の行政視察とは、どのような根拠に基づくものなのか。委員会として行う視察は、地方自治法第100条第13項「議会は、議案の審査又は当該普通地方公共団体の事務に関する調査のためその他議会において必要があると認めるときは、会議規則の定めるところにより、議員を派遣することができる」という条文に基づく。 つまり、毎年必ず実施するものではなく、必要に応じて予算を通して実施するという、一般的なルールの上に成り立っているに過ぎない。このことを踏まえれば、費用や頻度以上に、調査研究する必要性が明確であるかどうか、つまり「目的が明確か」「何を持ち帰るかが意識されていたか」ということが、もっと問われるべきだと思う。 つくば市 9件中2件は合格 この視点で、つくば市議会と水戸市議会の視察がどうなっているのか調べてみた。つくば市議会は、委員会ごとの視察報告書が公式サイトで公開されていたので、2025年度の委員会視察報告書9件を読み比べてみた。 広報広聴委では、視察前から「2026年度に主権者教育の取組を実施できないか検討しており、その具体化に向けた参考とするため」という論点を持って臨み、視察先の3段階の難易度設定などを、評価軸ごと持ち帰っていた。また、総務文教委では、視察を受けて「決算審査分科会の集中審議事業に選定した」と、視察成果を議会の活動につなげることを報告書に明記している。9件中この2件は、目的と市民への還元が明確に表現されている。 しかし、他委員会の所感は、視察内容の説明のあと、「大変参考になりました」などの言葉で締めくくられ、市の具体的な行政課題との接続が明確ではないものもあった。とりわけ、議会運営委として改革の先進市を視察しながら、「引き続き積極的に議会改革を進める所存」という一般論で結ばれていたのは、腰が引けている印象を受けた。 水戸市 個別の報告書公開なし 水戸市議会はどうか。残念なことに、水戸市議会公式サイトでは、つくば市議会のように個別報告書の公開は見当たらなかった。これでは、行政視察が充実した内容だったとしても、広く一般に知らしめることはできない。まずは、その質を市民が問える状態をつくることに取り組むべきだろう。 筆者自身、水戸市職員時代に、地方議会の行政視察対応を行ったことがある。その際は、視察側の目的を踏まえて準備し、質疑も真摯(しんし)なものだった。しかし、議会によっては、先に行先が決まり、後付けでテーマが設定されるところもある、という噂(うわさ)も聞いたことがある。 行政視察は「旅行」ではない。何のために行き、何を持ち帰ったか―その費用を負担している市民がしっかり確かめる必要があるだろう。(元水戸市みとの魅力発信課長)

つまみのない酒が、いちばん危ない《看取り医者は見た!》55

【コラム・平野国美】「先生、おやじがボケました」。長男さんからその電話を受けたのは、真夏の午後だった。受話器を置いてから、私は1年前の冬を思い出していた。 佐藤さん(78歳、仮名)の奥さんを看取ったのは、あの家の奥の6畳間である。あのときの佐藤さんは実に立派だった。50年連れ添った妻の介護を、ほとんど1人でやり遂げた。最期の場面でも取り乱さなかった。私が頭を下げると、「先生、ありがとうございました」と、こちらが恐縮するほど深く礼を返された。この人なら大丈夫だ—そう思って、私はあの家を辞したのである。 あれから1年。何が起きたのか。異変はひと月ほどの間に現れたという。何度も同じことを聞く。足元がふらつく。昼間もウトウトしている。家族が認知症を疑ったのは無理もない。往診に伺うと、確かに会話がかみ合わなかった。記憶が抜けているというより、そもそも話に注意が向いていない。 「朝は普通なんです。夕方になると、急に人が変わって」。長男さんの一言が、私の頭の中で引っかかった。認知症なら、こうも短い時間で行ったり来たりはしない。 「お父さん、食事はどうされていますか」。長男さんが口ごもった。月に一度、家に来るのが精一杯で、わからないという。私は台所に上がらせてもらった。答えは冷蔵庫にあった。缶ビールが、ぎっしり詰まっていた。ほかには、ほとんど何も入っていない。あれほどきちょうめんに妻の食事を作っていた人の台所が、空だった。 枝豆、冷ややっこ、焼き鳥、乾き物 採血の結果、血液中のナトリウムが118。正常の下限を大きく割り込んでいた。「ビール多飲症」である。腎臓が余分な水を尿として捨てるには、塩分やたんぱく質といった「捨てる相手」が要る。ビールにはそれがほとんど含まれていない。食べずに飲み続ければ、水を出したくても出せない。血液が薄まり、脳がむくむ。それが物忘れとふらつきと眠気になって現れる。 ここで、ふと思い当たることがある。酒にはつまみがつきものだ。枝豆、冷ややっこ、焼き鳥、乾き物—どれも塩気とたんぱく質の塊である。あれは味を引き立てるためだけのものではなかった。腎臓に水を捨てさせるために必要なのだ。先人は理屈を知らぬまま、体でそれを知っていたのだろう。 危ないのは酒そのものより、つまみのない酒である。治し方も厄介だった。急いでナトリウムを戻せば、今度は脳の神経が傷む。あえて、ゆっくり治す。入院をお願いし、数日かけて緩やかに補正していただいた。退院後、佐藤さんは自分の言葉で私に話しかけてきた。「先生、ご迷惑をかけました」。あの日と同じ、律儀な人の姿だった。 「急にボケた」と聞いたら、私はまず採血をする。そして台所を見せてもらう。認知症という名前は、一度つくと簡単には外れない。だから、つける前に立ち止まる。佐藤さんが飲んでいたのは、多分、ビールではなかったのだと思う。妻のいない寂しさ。それを責めるわけにもいかない。(訪問診療医師)

国スポ「3位以内目指したい」ライフル射撃 浅井優汰選手

関彰商事で壮行会 9月に青森県で先行開催される第80回国民スポーツ大会(国スポ、旧国体)ライフル射撃競技に、茨城県代表として出場する浅井優汰選手(27)=関彰商事所属=の壮行会が4日、つくば市二の宮の関彰商事(本社筑西市・つくば市、関正樹社長)つくばオフィスで開かれ、浅井選手は「大会本番では冷静に落ち着いて力を発揮し、3位以内、優勝を目指したい」と意気込みを語った。 壮行会には関正樹社長のほか、役員、部門責任者、社員など約100人が参加した。関社長は「県を代表して大会での活躍を心から祈っている」とエールを送った。  浅井選手は牛久市出身。小中学校はサッカー、バスケットボール、水泳、合気道などを行っていた。竜ケ崎ー高に入学後、個人競技もやってみたいと、高校生からでも始められるライフル射撃を始めた。高校1年の秋から頭角を現し、高校時代はインターハイ、全国選抜、全日本で優勝し輝かしい成績を残した。 明治大学を卒業後、2023年に同社に入社、現在マーケティング部に所属している。 今年7月、神奈川県伊勢原市で行われた関東ブロックを5位で通過し国民スポーツ大会の切符をつかんだ。毎週木曜と土曜または日曜に桜川市のライフル射撃場で練習に励んでいる。  国スポ ライフル射撃の競技日程は9月10日〜13日、青森県の弘前市運動公園運動広場 特設ライフル射撃場で開催され、男子50メートルライフル立射と、男子50メートルライフル三姿勢の2種目に出場する。(高橋浩一)

24時間介助受けながら理事長として働く 川島映利奈さん【ひと】

「意思決定支援に力入れたい」 つくば市の川島映利奈さん(44)は24時間、ヘルパーの介助を受けて地域で暮らす障害当事者だ。昨年11月、障害者にヘルパーを派遣するNPO法人サラダボールの理事長に就任した。「意思決定支援」に今後さらに力を入れたいと川島さんは考えている。9月には、障害のある人の意思をどのように受け取り、日々の支援につなげるのかを考える勉強会をつくば市内で開く。 いつ、何を食べるのか、今日は何色の服を着るかー。障害の有無にかかわらず、人は日々、小さな選択を繰り返しながら生活している。しかし重い障害があり、言葉による意思表示が難しい場合、選択の機会が限られたり、本人が発しているサインが意思として受け止められなかったりすることがある。 「どんなに障害が重くても、だれもが好きなこと、嫌なことは感じる。表現手段として、ある人は、指差しとか、笑うとか、泣くとか、体の緊張が強くなったり、眉間にしわが寄ったりする。障害の当事者が発する小さなサインを見落とさないことが大切」だと川島さんは言う。 自立生活センターと出会い、衝撃 川島さんは福井県出身。全身の筋力が低下する先天性の進行性難病による障害があり、幼いころから手足を大きく動かすことが難しかった。筑波大学大学院進学を機に2005年、親元を離れてつくば市で自立生活を始めた。現在は車椅子を使い、痰(たん)の吸引や身の回りのことなどヘルパーの介助を受けながら、市内でパートナーと暮らしている。2011年からは、サラダボールの設立母体で、障害者の権利擁護活動を行う当事者団体「つくば自立生活センターほにゃら」の代表を務めてきた。 幼少期から日常生活には家族の介助が欠かせなかった。家族が着替え、食事、風呂やトイレなど、川島さんの生活全般を支えた。一方で、我慢したこと、諦めたことも多かった。 ベッドへの移動にも人手がいるため、就寝時間は家族に合わせる。夜遅いテレビ番組は我慢する。ひとりでは買い物に行けず、欲しいものを自由に買えない。手伝ってくれる人を待つため、行きたいときにトイレに行けない。髪は洗いやすいよう、伸ばすのを諦めた。暮らしの中でさまざまな「モヤモヤ」が募っていった。 転機となったのが、地元福井で出会った自立生活センター「コムサポ」の重度障害者たちとの出会いだった。当時、福井県内の大学に通っていた川島さんは、コムサポの障害当事者メンバーと食事や外出を重ねる中で、介助サービスを使って地域で暮らし、やりたいことをやり、いきたい場所にいく姿に衝撃を受けた。 2005年、筑波大大学院への進学が決まると、コムサポから紹介された「ほにゃら」によるサラダボールからヘルパー派遣を受けながら大学の寮に入り、念願の自立生活を始めた。「すべてが新鮮。朝、誰にも起こされないのも、自分で時間を計算して起きなきゃいけないのも。授業後に、寄り道しながら帰れるのも」 失敗も重ねた。初めての洗濯では色物と一緒に白いTシャツを洗って色が付いてしまったり、洗濯ネットの使い方が分からなかったり。だが、いくつもの失敗に心が躍った。何時に起きるのか、何を着るのか、どこへ行くのか、どんな介助が必要なのかを自分で考え、他者に伝える必要があることも知った。 こうした経験の積み重ねの先で出会った健常者の夫と、今は市内で暮らしをともにしている。しかし、川島さんは、身の回りのことを夫には頼まない。自分でできることは自分でするし、できないことは、いつも別室で待機している介助者に声をかけてやってもらう。「パートナーは介助者ではない。私は介助してもらうために結婚したわけじゃないし、介助者のほうがちゃんと訓練しているプロなので丁寧。プロの介助者だからこそ、自分のタイミングで自分のことができる」 「本人が何をしたいか」で支援を組み立て 川島さん自身の介助には、1週間でおよそ15人のヘルパーが交代で入る。仕事中も介助は続く。昨年から市の制度を利用し、勤務時間中も介助者によるサポートを受けながら働いている。介助者は会議や研修に同席することもあれば、利用者の個人情報を扱う際には、部屋の外で待ってもらう場合もある。痰の吸引などの介助が必要になれば、会議を中断して川島さんが一時的に外に出て介助を受ける。 ヘルパーの成田恵理さんは、川島さんとの関係について「一緒にやっていく、仲間」と表現する。「ここでの活動の目的は社会を変えることなので、その延長線上に、サラダボールの仕事がある」と語る。 理事長になり、求人や研修、支援会議、介助シフトの調整などに加え、これまで深く関わってこなかった経営にも向き合うようになった。これまで主に女性利用者の支援を見てきたが、理事長職を引き継いで以降は男性利用者を含めた事業所全体を見るようになった。 自立生活センターで何より重視するのは「本人が何をしたいのか」だ。1日のどこで食事をし、外出するのか、当事者の意思を第一に支援を組み立てる。 意識して増やそうとしているのが、職員同士で話し合う機会だ。特に、介助者と利用者の調整役を担う立場の職員とは会議や研修、日常的なコミュニケーションを増やしてきた。 子どものうちから「自分で選ぶ」経験を 川島さんたちが力を入れている活動の一つに「ほにゃらキッズ」がある。地域で暮らす障害のある子どもたちが、将来、自立生活を暮らしの選択肢の一つとして考えられるように、家族とともにさまざまな経験を重ねる取り組みだ。2003年に保護者らの発案で始まり、20年以上続いてきた。 障害のある小さな子どもも一時的に家族と離れ、介助者と買い物をする。カラオケやバーベキュー、料理、電車で東京へ行き「推し活」をしたこともある。買い物では、子ども自身が店に並ぶ商品を見て食べたいものを選ぶ。「自分で決める」経験を重ねながら、自分が何を好きなのか、どんな暮らしが自分に合っているのかを知っていく。家族にとっても、「親ではない人に任せても大丈夫」と知る体験になるという。 「失敗も大切な経験」だと川島さんは言う。その先に生まれるのが、自立生活という選択肢だ。 当時に比べ、現在は障害者の地域生活を支える制度も増えた。「子どものころから知っていれば、できることもいっぱいある。実際にやれる場所があるというのは、すごく大事だと思う」 言葉にならない意思をどう受け取るか 川島さんが特に大切にしているのが、本人の小さなサインを見逃さないことだ。表情の変化がわずかな人もいる。それでも川島さんは「きっと何かはアピールしているはず。こっちが受け取れていないだけ」と考える。それでも、読み取ったものが本人の本当の意思だったのか、簡単に答えが出るわけではない。「正解はなかなか分からない。でも、受け取ろうとすることを怠っちゃいけない」 「やっぱり、自立生活を知ってもらいたい。こういう仕事もあるよって知ってもらいたいし、当事者にも、こういう生活があるよって知ってもらいたい」と言う。その先には、誰かに支えられるだけではなく、働き、責任を担い、今度は自分が誰かの暮らしを支える仕組みをつくる側になる人生もある。 「どんな障害があっても、住みたい場所で、やりたいことをしながら、その人らしい生活を作っていくっていうのが、私たちが一番やりたいこと。その中で、介助者と利用者だけで完結せずに、ちゃんと地域の人とつながってこその生活です。私はそのために、いろんな仕掛けをつくりたい」。川島さんはそう話す。 ◆障害者の意思決定に関する講演会「意思決定支援(SDM)を知ろう!〜支援の「モヤモヤ」を大切にする関係づくり〜」が、9月13日(土)午後1時30分からつくば市役所 コミュニティ棟(つくば市研究学園1丁目1−1)で開かれる。講師は、筑波大学人間系講師で、SDM-Japan代表理事の名川勝さん。参加費は無料。定員50人(先着順)。申し込みは専用フォームで9月7日(月)まで受付。問い合わせは、メール(cil-tsukuba@cronos.ocn.ne.jp)か電話(029-859-0590)でつくば自立生活センターほにゃらへ。