【コラム・山口絹記】この記事は前回コラムの続きなのだが、台湾人の旧友と、その旦那さんであるドイツ人と私で、なぜか日本でお好み焼きを食べている状況ということだけわかっていていただければよいと思う。
ビールを運んできた店員さんにアレルギーの有無を聞かれたので、私が「あ、大丈夫です」と答えると、彼女が食い気味に「今の大丈夫は、OK? No Thank you? どっちの意味? なんで正反対の意味に使うの?」と乗り出してきた。
「文脈によるけど、今のは大丈夫の意味」と答えると、「日本語のそういうところが難しい」と彼女は言いながら座り直した。「そんなこと言ったら時制のない中国語も大概だと思うよ。ドイツ語の複合名詞も勘弁してほしいけど」と旦那さんに話を振ると、「日本語も中国語も名詞は雑にくっつくし、単語の間にスペースもないじゃないか」と旦那さん。
全員、お互いの言語を中途半端に理解しているために、いろいろと思うところがあるのだが、なんだかんだと私たちはお互いの言語の違いを愛しているという共通認識がある。
ドイツ人の漢字の名前
ところで、と私が話を変える。「旦那さんはビール以外飲まないの?」「ビールだけだね」ときっぱり。わかりやすいドイツ人で好印象である。「私はあなたのおすすめにチャレンジするわ」と、それを尻目に彼女が言うので、私は電気ブランをおすすめする。漢字が読める彼女に「電気を使って作るの?」と問われるが、私にもそんなことはわからない。たぶん使っていない。
目の前で調理されるもんじゃ焼きをじっと観察していた旦那さんが思い出したように、「そういえば自分にも漢字の名前があるんだ」と言い出した。ポケットからメモ帳とペンを取り出して渡す。漢字上級者の台湾人と日本人に監視されながら漢字を書くドイツ人、という構図がなかなか面白い。
書かれた漢字とドイツ語の元の名前を見比べて、なるほどねと彼女を見ると、いいでしょ?と表情だけで返される。彼女が名付けたのだろう。元の名前の音を生かしつつ意味が込められている名だった。漢字は複数の音と意味を持つので面白い。四半世紀前に私と彼女の唯一のコミュニケーション手段だった筆談は、今も現役で役に立つのだ。(言語研究者)