【コラム・山口絹記】最近、こどもとテレビゲームをするようになった。正確には、2人でコントローラを握って遊ぶわけではなくて、こどもがゲームをやっているのを横で眺めている。どうしようもなく行き詰まったときだけ、協力することにしている。
ゲームと一口に言っても様々な種類があるが、こどもがやっているのはストーリーのあるアクションロールプレイングというジャンルだ。ゲームの世界の中で様々な他者と交流、協力をし、目的のために戦闘をしながらストーリーを進めていく。
ゲームのプレイングというものには、その人それぞれの性格や感性、行動規範のようなものが垣間見える。常に様々な選択を迫られる中で、どういった判断を下していくかというのが見えるという意味で、こどもがゲームをプレイしているのを眺めているのは存外に楽しいものなのだということに気が付いた。
こどもが見せる様々な一面
普段、こどもと私も、親子というある意味でのクローズドなロールを無意識に演じているわけだが、ゲームの中ではこどもは多くの他者と関りを持っていく。一緒に過ごす時間が小さい頃よりも短くなった中で、こどもの見せる様々な一面には驚かされることが多い。
ストーリーをどう解釈して、何に疑問を持ち、どういった選択をするのか。どういったことに慎重で、どんなことには大胆に挑むのか。意外な知識を持っていたり、思いのほか深い理解をしていたり、私とは全く違うストーリー解釈にうならされることもある。
自分のこどもが成長していくということは、こどもが私の知らない人たちと交流して、私の知らない物語を知り、違うものが好きになっていくということなのだろうと思う。お互いに理解できないこともどんどん増えるのだろうけど、それは、なんだかとても素晴らしいことに思えるのだ。(言語研究者)