【コラム・三橋俊雄】里山で出会った「もったいない」についてお話ししようと思います。これは、モノの持つ本来の価値を大切にし、無駄にしないという考えです。「もったいない」は、ノーベル平和賞を受賞したケニアのワンガリ・マータイさんが世界に広めた言葉でもあります。
今回は、福島県の人口3000人ほどの過疎山村、三島町での桐(きり)の木の活用についてです。
この町では桐の栽培が400年も前から行われ、桐は「金の木」と呼ばれて大切な農家の財産として育てられてきました。町では、この貴重な桐の木を、小枝から幹、根にいたるまで無駄なく使い尽くす、伝統的なものづくりの知恵が生かされていました。(上図を参照してください)
桐の太さ2寸5分〜3寸(約7~9センチ)以下の残木(ざんき)と呼ばれる小枝は、小箱づくりに利用されました。また、薪(まき)は燃やすと火が柔らかくなり、豆腐づくりに最適であったと言われています。灰は肥料として畑にまかれ、トマトなどのアク抜きにも用いられました。
桐の幹部は、20〜25年ほど生長して直径7〜8寸(21~24センチ)となったものが桐箪笥(だんす)の板目として利用されました。さらに、30〜40年ほどのものは直径1尺2寸(36センチ)ほどにもなり、木目がきれいにそろった鏡板として高値で取り引きされました。
箪笥用に伐採された残りの桐の根の上部は、桐下駄(げた)や桐火鉢、生け花の台などに利用されました。また、「下駄尺」と呼ばれる根の上8寸(24センチ)ほどの幹部からは、男物の巾広の下駄材と女物の巾の狭い下駄材が切り出され、さらに、残った四隅の三角形の材からは高下駄の台が取られ、それに朴(ホオ)や橅(ブナ)の「刃」を付けて製品化されました。
最後に、桐の根を5〜6寸(15~18センチ)残した「ごんぼ根」からは新芽が育ち、「二才木」と呼ばれて、息子が生まれると記念樹として大切に育てられたということです。
一物全体活用
このように、かつての三島町には、桐を貴重な里の資源として余すところなく使い尽くす、「一物全体活用」と言われる「もったいない」の観念が根付いていました。
しかし、私が訪ねた1990年代には、桐箪笥や下駄材に使われる以外のほとんどが、野積みにされ焼却されるという状況でした。
人間は、厳しい自然に対峙(たいじ)しながらも、自然を積極的に働きかける対象としてとらえ、自然から生きる術(すべ)を学び取ってきました。その一例が、桐の一物全体活用という「もったいない」のデザインなのではないでしょうか。(ソーシャルデザイナー)