【コラム・奥井登美子】
「土浦は『おひたじ(醤油=しょうゆ)のまち』と聞いていたけれど…」
「うちの隣りのあの大きな倉も、昔、醤油を作っていたらしいわ」
「おひたじ、使い過ぎですよ。漬物にまでかけるのね」
私の母は明治時代、京橋で生まれて育った人。醤油のことを「おひたじ」と言っていた。常陸の国の「ひたち」が下町風になまって、「おひたじ」になったらしい。
私が3人目の女の子を出産したときだった。奥井家の親戚の男の人から「女っぱら…」と言われ、私は何のことやら、さっぱりわからなかった。家が重んじられた江戸時代、女の子ばかり産んでいる母親を「差別用語」でそう呼んだらしい。
まだそのような差別用語が、土浦には残っていたのかと、びっくりした。
醤油ジャブジャブの夫
私の夫、奥井清は94歳まで日本山岳会に入っていて、山登りを楽しみながら、明るく、たくましく生きて、天国にみまかった。
彼は76歳のとき、東京のお茶の水で大動脈解離を起こし、救急車で当時の東京医科歯科大学病院に運ばれた。大動脈の中膜が脳へ行く1センチ下からの解離で、脳味噌も何とか機能を保持しながら退院ができた。
3人の娘たちは、子育てしながら仕事をしていたが、介護の私を実に細かくサポートしてくれた。「女っぱら…なんて言われたけれど、女の子が3人いて本当によかった」。彼はしみじみとそう言って、3人の娘たちに感謝していた。
退院のときに医者から強く言われたのは、食事の塩分制限だった。お醤油をジャブジャブ使う夫の舌を、どうやって改造し、塩分を減らしていけばいいのか、私は途方にくれてしまっていた。
千葉大学病院で胃がんの手術をしていた外科医だった兄も、「大動脈解離の後、いつ何が起こるか分からない状態だから、2人とも覚悟して生活を変えなさい」と、心配してくれた。
医者の言うことは聞いてくれるが、私が言えば反発するに違いない。当時、霞ケ浦医療センターに栄養指導の部門があったので、そこへ2人で通院することにした。(随筆家、薬剤師)






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