【コラム・三橋俊雄】つくば市の竹園地区は、1970年代に研究学園都市の中でいち早く整備された地域の一つです。そのため、この地区には学園都市建設当時の理想や期待が色濃く刻み込まれています。公務員宿舎や公共施設もそうした構想のもとで整備されました。
しかし半世紀近くが過ぎた現在、社会の姿は大きく変わりました。人口構造や働き方、住まい方が変化し、かつて重要な役割を担っていた施設の一部は、その役割を終えています。その結果、閉鎖されたままの公務員宿舎や使われなくなった設備の一部は、街の中に残されることになりました。
毎週水曜・日曜のラジオ体操の際に気になっているのが、竹園ショッピングセンター広場に設置されていた水飲み場(写真右下の2枚)です。もともと、ショッピングセンターと交流センターの間には、3基の水飲み場がありました、しかし5年以上前から、金属製の蛇口は取り外され、石造の基部だけが残されています。かつては夏の日に子どもたちや買い物客の喉をうるおし、まちのやさしさを感じさせる存在だったことでしょう。
それだけではありません。つくば市誕生当初から設置されている案内地図板(写真左の2枚)も今は色あせ、機能していません。研究学園都市として新しい未来を切り開こうとしていたころの期待や希望を映し出していたはずの地図板も、今では静かに時の流れを物語るだけの存在となっています。それらが適切な手入れもされないまま残されている姿は、歴史的景観というよりも、むしろ「廃墟」のような印象を受けます。
さらに昨年から、管理者によって使用が禁止されたままとなっている郵便局脇の掲示板(写真右上)も、そのまま使用できずに残されたままです。子どもたちの通学路でもあるこの広場は、長年にわたり多くの人々が行き交い、掲示板は地域の情報を共有する場として親しまれてきました。掲示板には地域のイベントや活動のお知らせが貼られ、そこには日々の息づかいが感じられていました。その掲示板だけがポツンと残されている光景に、私は一抹の寂しさを覚えています。
「廃墟」と「現在」が同居
使えない水飲み場や、色あせた案内地図板、使用できない掲示板が放置されたまま、この広場には「廃墟」と「現在」が同居しているのです。そうした風景を眺めていると、研究学園都市として船出したころに抱いていた理想や、市民とともにまちを育てていこうとしていた熱意は、どこへ行ってしまったのだろうか?と思わずにはいられません。
まちの魅力は、新しい施設だけによって生まれるものではありません。人々が集い、情報を共にし、地域への愛着を育む場所であってこそ、まちは生き続けることができるのです。水飲み場も、案内地図板も、掲示板も、一見するとささやかな存在かもしれません。しかし、そうした身近な施設にどう向き合っていくかということこそ、そのまちのありようが表れているのではないでしょうか。
今こそ、つくばが研究学園都市として歩み始めたころの志に立ち返り、まちの記憶と誇りを次世代へ受け継ぐための「まちのデザイン」が必要ではないでしょうか。(ソーシャルデザイナー)






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