火曜日, 10月 6, 2026
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かや屋根で懐かしい未来を創る 《邑から日本を見る》89

【コラム・先﨑千尋】田植えが終わったばかりの5月、〝産直と有機農業の里〞と言われている旧八郷町(石岡市)を1日歩いた。八郷は知り合いがたくさんいるので、これまでにもたびたび行っている所だ。今回歩いてみて、ここは〝常陸国のまほろば〞だと感じた。「まほろば」とは古語で「すばらしい場所、住みやすい場所」という意味だ。古事記には「大和は国のまほろば」という歌がある。

産直と有機農業が柱の「やさと農協」

八郷地区は筑波山、加波山、足尾山などに3方を囲まれ、山根(やまね)盆地と言われてきた。農業面では、河川沿いの水田、丘陵地の畑や樹園地と制約された条件での経営が営まれているため、大規模な産地にはなっていなかった。逆に、変化に富んだ地形や豊かな自然を生かし、水稲、葉タバコ、花卉(かき)、果樹、酪農、養豚、養鶏、野菜、シイタケなど、古くから少量多品目の複合経営が行われてきた。

暖地でしかできないミカンや富有(ふゆう)柿も栽培され、最近ではイチゴやブルーベリーなどもあり、観光果樹園、イチゴ狩りもにぎわっている。

同地区にある「やさと農協」は、産直と有機農業が運営の柱。その歴史は古く、産直のスタートは1976年。東京の東都生協に鶏卵生産者が卵を届けたことから始まった。東都生協は、卵、肉、米、野菜といった単品の取引は地域農業を破壊すると考え、「地域総合産直」を提案し、現在では鶏卵、野菜、果物、米、納豆と総合的な産直に発展している。

有機農業も産直の実践の中から生まれた。生協との交流が深まり、農協内部に野菜果物産直協議会が誕生し、1997年には有機栽培部会がスタートした。1999年には、新規で有機農業をやりたい人を対象に「ゆめファーム」新規就農制度を立ち上げ、現在まで続いている。

農協が有機農業に取り組む前の1974年に、東京の消費者グループ「たまごの会」が同地域に自給農場をつくり、魚住道郎さん、合田寅彦さん、筧次郎さん、中島紀一さんらが次々に移住してきた。中島さんは茨城大学農学部長も務め、有機農業研究の第一人者。地域の人たちとの交流を大事にし、多くの人を育ててきた。

山田晃太郎・麻衣子さん夫妻

その中に山田晃太郎・麻衣子さん夫妻がいる。2人は、落ち葉(がしゃっぱ)、雑草、敷き藁など植物の力を活用し、自然に寄り添ったたくさんの生き物と共に生きる農業を目指し、「旬の野菜セット」を保育園の仲間など70世帯に届けている。さらに、八郷地区の北部・小見(おみ)にある築100年のかや屋根の家(旧柘植屋敷)を譲り受け、家の保存と、その家を地域の人たちの交流の場(みんなの広場)にしようと活動を始め、NPO法人設立の準備を進めている。

広場では子供たちが裸足で駆け回り、地域のばあちゃんたちが集まり、おしゃべりをしたり、柏餅など季節の食べものを作ったりしている。山田さんの農作業、野菜の出荷には近所の人が手伝いに来る。今冬にはかや屋根の葺(ふ)き替えをするという。2人は「共同作業を通じて、自然とつながった豊かな農ある暮らしを再発見し、〝懐かしい未来〞を創る第一歩にしたい」と夢を語る。

かつて、有機農業は「勇気農業」と言われたことがあった。有機農業をやるには勇気が要るという意味だ。しかし山田さんたちはごく自然に村の人の中に入り、村の人たちもそれを歓迎し、力を貸している。2人と話していて「まほろば」という言葉を思い出したのだ。(元瓜連町長)

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バイシクル・ダイアリーズ ⑹《ことばのおはなし》97

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