日曜日, 7月 26, 2026
ホーム暮らし海外サイトで県が販路開拓 技術の粋集めた県産品10点

海外サイトで県が販路開拓 技術の粋集めた県産品10点

【山崎実】茨城県は20日から、米国EC(電子商取引)サイトを活用した県産品の販売を開始する。コロナ禍で世界的に市場規模が拡大している海外のECサイトを活用し、県産品を生産する県内事業者の海外販路開拓を支援する。

販売商品は公募の中から10商品を選んだ。いずれも日用品、装飾品などだが、技術の粋を集めた県産品の海外販売だけに、県も意欲的に取り組み、成果を期待している。

販売するECサイトは、米国小売りEC市場の売上シェア4割を占める最大手の「アマゾン」と、売上シェア3位で衣料品から伝統工芸品まで幅広い商品を掲載している「イーベイ(eBay)」。

現地での検索サイト広告や、SNS・動画サイトで、一般ユーザーの投稿と同形式で広告を掲載するなど、販売プロモーションを行う。

米国ECで現地販売する県産品は次の通り。価格はいずれも消費税込み。

▽ハンドメイドによる高級囲碁・将棋盤「囲碁盤」(茨城木工、神栖市、国内価格5万7200~11万5500円)=囲碁・将棋盤の国内シェア8割以上を占める信頼のメーカーによる新カヤの無垢材を使用した高級碁盤
▽風鈴にヒントを得た銅合金製オリジナル打楽器「ミニ凛1オクターブ8音セット」(大塚製作所、水戸市、3万3000円)=精密機械加工技術で銅合金を鐘に加工、シンプルで小さく独特な澄んだきれいな音色と長く続く余韻が特徴
▽世界で唯一の金属製蝶ネクタイ「Metal Butterfly(メタル・バタフライ)」(日青工業、河内町、2万7500円)=精密板金加工の技術をファッションアイテムに応用、実在のチョウをモチーフに1枚のアルミ板から製造
▽Eスポーツ向け本格マウスパッド「ステンレス製マウスパット」(稲見精密、筑西市、1万3000~5万2000円)=特殊表面加工により摩擦を軽減、高級感あるステンレス鋼を使用し耐久性や耐摩耗性がある
▽洗濯洗剤を不要にするマグネシウム製品「洗濯マグちゃん」(宮本製作所、古河市、7590円)=マグネシウムと水の反応を利用し洗濯機に入れるだけで洗剤を使わず洗濯ができる、洗濯槽やホースの美化にも効果あり
▽はすの花をイメージした綿100%風呂敷「風呂敷Lotus(ロータス)・フラミンゴピンク」(プラネッツ、常陸大宮市、3575円)=「風呂敷デザインコンペ2009」で大賞を受賞した呉服店による風呂敷
▽ブラシ専門製造者によるこだわり製造のブラシ「タワシブラシ」(橋本ブラシ製作所、美浦村、2000円)=ねじりブラシ専門製造業者として熟練職人の手と技術で作られた、密度と洗浄効果が高いブラシ
▽広げても折り紙の形に戻る形状記憶レンズクリーナー「PetiPeto(プッチペット)」(南海プリーツ、牛久市、1760円)=折り紙をモチーフにした眼鏡やスマートフォン用ポリエステル製クリーナー、プリーツ加工のため広げても元の折り紙の形に戻る
▽オーガニック100%のこんにゃくで作られた肌ケア用スポンジ「つるりんころりん」(袋田食品、大子町、800円)=コンニャクを素材とし細やかな編み目のためとても滑らかな使い心地
▽世界で唯一のパイプクリーナー機能も持つ洗剤「環境配慮型洗剤 緑の魔女ランドリー」(エーベル・バイオクリーン、龍ケ崎市、大667円、小391円)=環境や健康に配慮、バイオの力でパイプをきれいにする効果もある

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中国の歴史と人材・知恵に向き合うには?《文京町便り》54

【コラム・原田博夫】第2次天安門事件(1989年6月)後の90年代初頭、鄧小平が外交・安全保障関係組織に発したとされる「24字戦略」(6つの四文字熟語)の中では、4番目の「韜光養晦」(とうこうようかい=力を隠して周りを油断させ、その間に力を蓄える)が人口に膾炙(かいしゃ)している。 それ以来、中国外交のこの基本路線は、江沢民、胡錦涛らの後継政権に引き継がれてきた、と私は見ていた。中国政治に疎いこともあり、「大国・礼節の国」中国の最高権力者には節度と余裕はあるのだと、その低姿勢ぶりに感心したものである。 ところが事態はそうは単純ではなく、この韜光養晦路線は、文字通り、一朝事ある時までの偽装だったようだ。事実、2008年の北京オリンピックの成功や、同年のリーマン・ショック後の世界経済低迷を中国経済が下支えしたことで、中国内の国粋主義的ナショナリズムが覚醒された。 2009年7月、日本に対中親和・対米離反の民主党政権が登場したとみるや、10年9月には、尖閣諸島周辺の領海で、中国漁船が海保巡視船に意図的に衝突する事案が発生した。尖閣諸島はその後、当時の石原都知事の購入宣言(12年4月)を受けて国有化された。そして同年11月には、胡錦濤国家主席が中国共産党第18回代表大会で「中国は海洋強国になる」と宣言するに至った。 こうした準備段階を経て、2013年3月に跡を継いだ習近平は、対外的には慎重な鄧小平路線をかなぐり捨て、中華思想満載の「中国の夢」の実現を掲げ、「一帯一路」戦略を進め、果ては「戦狼外交」を展開している。こうした攻撃的な外交スタイルは、3期目に入って政権基盤の固まった習近平体制になってから展開され始めたというより、中国の伝統的な対外発信のスタイルと見たほうがいい。 大戦中には宋美齢が反日演説 1933年2月に国際連盟からの脱退を表明した松岡洋右・主席全権(後に外相)のスピーチと、太平洋戦争中(1943年)に全米各地で演説した宋美齢(中華民国総統・蒋介石の夫人)のスピーチは、全く対照的である。ファナティックな松岡演説は当時の日本国民の多くには胸のすく思いだったようだが、対外的には日本の選択肢を狭め、外交的孤立(ナチス・ドイツとの運命共同体)をもたらした。 これ対して宋美齢演説は、対日批判を見事な英語で展開し、米国の対日批判感情を引き上げ、日本への圧力をさらに高める効果があった。その時点でのそれぞれの国内的な評価は双方とも同等かもしれないが、国際的なインパクトおよびその後の影響は比較にならない。 歴史と人材・知恵の宝庫、中国を相手にするときは、当面の対処だけではなく、中期的な視点と影響を見据えて取り組まなくてはならない、と自戒したい。(専修大学名誉教授)

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